385 石塀小路には入れない
二寧坂と維新の道が交わる手前に細い路地がある。そこが一念坂だ。坂といっても傾斜はないし、100mにも満たない小径だ。
ねねの道に進むなら、維新の道まで出ないで、手前の一念坂を通って行った方がいい。そうすれば京都霊山護国神社を避けることができる。
藤城皐月と神谷秀真は修学旅行だから、なるべく葬に関わる場所は避けたいと思い、一念坂を通ることに決めた。
一念坂も二寧坂のような風情がある。石畳のこの道に沿った家の壁の色は焦香に統一されていた。玄関には格子戸、二階の窓には欄干がある家が多い。一念坂はしっとりとした日本的な雰囲気が味わえる。皐月はカフェ「Unir」の非の打ちどころのない、格好いい塀が好きになった。
一念坂を抜けると、久しぶりに開けた場所に出た。右手には高台寺の入口があるが、ここは車用なので、徒歩で高台寺を訪れるならねねの道から入った方が趣がある。
ねねの道は産寧坂や二寧坂に比べて、広くなだらかな道だ。豊臣秀吉の妻の高台院、通称ねねが創建した高台寺と、ねねが亡くなるまで住んでいた圓徳院の間を通る道が名前の由来となっている。
ねねの道の始まるところに「えびす屋」の人力車乗り場があった。ここで人力車を頼めば屈強な青年が俥夫となって車を引き、観光名所を案内しながらまわってくれる。この時、ちょうど外国人の夫婦が乗った人力車が引かれて出て行くところだった。
「御手洗いがあるけど、寄ってく?」
高台寺の入口に高台寺公園のトイレがあった。車止めがされていて、御影石が敷かれているこの一角に和風瓦葺きの門のような建物がある。高台寺の入口の一つかと見紛いそうになるが、それがトイレだ。皐月はトイレを見つけた時は必ず女子に声を掛けようと心がけている。
「僕は寄ろうかな」
「私も」
岩原比呂志と二橋絵梨花と栗林真理が御手洗いに寄り、皐月たち三人は少し先の開けたところで待つことにした。神谷秀真は公園からねねの道の写真を撮っていた。皐月はねねの道がよく見えるところまで寄り、桜の樹の間から道を見下ろした。
「高台から見るねねの道もいいね」
隣に来た吉口千由紀に皐月が話しかけた。
「下の道にトラックとタクシーが停まっていたから、雰囲気を壊しているなって思ってた。でもここから見るねねの道は悪くない」
千由紀はせっかくの景色を、車が邪魔しているのに腹を立てていたようだ。ねねの道は道幅が広いので、タクシーや自家用車がよく通る。
皐月たちのすぐ先に、公園からねねの道に下りる階段がある。下りたその正面の細い道が石塀小路だ。石塀小路は料亭や旅館、スナックなどが建ち並ぶ、むせ返るような情緒のある小径だ。
「どうする? 石塀小路を抜けて、八坂神社に行く? その方が少し近くなるけど」
「私はねねの道がいい。石塀小路って夜の店が並んでいる道でしょ? 子どもがうろつくような所じゃないよ」
「ああ……。そうかもしれないな」
千由紀の拒絶は強かった。皐月は少し驚いたが、意外ではなかった。それは千由紀の家がスナックだということを知っていたからだ。
皐月の住むところにも似たような小径がある。情緒では石塀小路と比べ物にならないが、豊川の小路も車が通れない狭い道に料亭やスナック、旅館が立ち並んでいる。
ネットでは風情があると評判の石塀小路だが、皐月もできれば避けて通りたいと思っていたところだ。これは近親憎悪のようなものかもしれないと思っている。
「ねえ、吉口さん。ちょっと相談があるんだけど……」
「どうしたの? 改まっちゃって」
「うん。この後、祇園に行く予定になっているでしょ。俺が行きたいって言ってたところ。それでね……祇園、行くのやめにしてもいいかな?」
「えっ?」
千由紀が驚いた顔をして皐月を見た。皐月はその視線の相手をせず、桜の枝の隙間から、遠く石塀小路を超えて祇園の方を見据えていた。