383 産寧坂
班のみんなが来迎院にやって来たのは藤城皐月が予想していたほど遅くはなかった。
「悪いな、皐月。遅くなっちゃって」
「大丈夫。そんなに遅れていないから。それより、ちゃんと欲しい物買えた? 吉口さんは陶器が欲しいって言ってたよね?」
「買えたよ。紅葉が描かれたマグカップを買った。ちょっとここで出すのは面倒だから、見せられないけど」
「いいよ。それより先を急ごう」
「七味家本舗」の手前にある産寧坂の入口は人でごった返していた。進む順番が来るのを待ち、皐月たちはゆっくりと産寧坂に入った。
産寧坂の始まりは勾配のある石段だった。
道沿いの来迎院は継ぎ目が苔生す古風な石垣の上に建てられていて、他の建物はそれに合わせているように、現代的な御影石の石垣の上に建てられている。
産寧坂の沿道の両側には土産物屋や料亭など、様々な店が軒を連ねている。和風のイメージで統一されているが、一軒一軒を見ると個性に富んでいる。
和風建築でも造りはそれぞれ違っていて、現代的な和モダンの店もあれば、江戸から明治にかけて建てられた厨子二階の虫籠窓が見られる町屋もある。
白壁の家もあれば、焦香や鳥の子色、夏虫色などの伝統色の壁の家もある。艶っぽい赤壁の家や紅殻格子の家もあり、見ているだけで楽しくなる街並みだ。
「あっ!」
前を歩いていた男子中学生たちが転ぶのを見て、皐月は思わず声を出してしまった。産寧坂は三年坂ともいい、転ぶと三年以内に死ぬという都市伝説がある。中学生たちはわざと転んだのか、大笑いして喜んでいた。
「三年殺し、発動じゃね?」
「わざとならセーフでしょ?」
「いやいやいや。裁きは厳正なものだと思うよ」
皐月ら男子三人は中学生たちに呆れていた。オカルト好きの神谷秀真や皐月はこの手の冗談が嫌いだ。
「ここに枝垂桜があったんだよね。倒れちゃったけど」
「産寧坂の画像を検索すると、ここに桜があった頃の美しい写真がたくさん出てくるよね」
二橋絵梨花と吉口千由紀が話しているのは「明保野亭」の桜のことだ。
「ここで長州藩士と坂本龍馬が倒幕の密議をしたんだよね。二橋さんは佐幕派? 倒幕派?」
「私は佐幕派かな。新撰組が好きだし。吉口さんは?」
「ん〜、私は倒幕派。小説やドラマの影響だけど、坂本龍馬ってなんかいいなって思って。栗林さんは?」
「私はどっちも好きじゃない。心情的には佐幕派。ところで佐幕の『佐』って、なんで『佐』?」
学年で一番勉強ができる栗林真理でも意味がわからないようだ。漢検2級を持っている皐月も、佐幕の佐の意味がわからない。
「佐っていうのは『佐ける』っていう意味。補佐って言葉があるでしょ。あれは補って佐けるっていう、補助と同じ意味。補佐は人を助ける限定だけど」
漢字に強い千由紀の説明はわかりやすかった。
「ちょっとここに寄らせてね」
真理が「まるん」という和菓子のお土産を売っている店に入って行った。少し遅れて千由紀や絵梨花も店に入ったので、皐月たち男子は興正寺の霊山本廟の入口の所で待つことにした。
「秀真と岩原氏は行かなくてよかったの?」
「僕は鉄道のグッズ代を取っておきたいからね」
「僕は写真を撮りたい。この辺りってすごく風情があるよね。神社仏閣もいいけど、こういう京都らしい街並みもいいなって」
「僕も鉄道写真ばかり撮っているけど、風景写真も勉強したくなってきた。今まで美しい風景まで関心が向かなかったからな……」
神谷秀真や岩原比呂志は写真への興味が広がったようだ。撮影は秀真と比呂志に任せて、皐月も真理を追って「まるん」の中に入った。真理はクッキーを選んでいた。
「真理、クッキーなんて食べるのか?」
「自分用じゃない。検番に持って行こうかなって思って。皐月は検番にお土産買った?」
「買ってない。もう金がないからな……」
「どうすんの?」
「まあ、京子姐さんに謝るよ。お金がなくて買えなかったって。恥ずかしいけど……」
真理が手に取っていたのは「舞妓さんしょこら」という、簪を挿した舞妓の顔がプリントされている、京都らしいデザインのショコラクッキーだ。見た目がとてもかわいい。
「これ、二人で買ったことにしてあげるから、一緒に検番に持って行こう」
「うん……先の話になるけど、お金半分出すから」
皐月にとって真理の提案はありがたかった。「舞妓さんしょこら」は税込で1300円くらいの、そんなに高くないクッキーだ。皐月はお金が払えないことだけでなく、人の情けに縋らなければならないことが悲しかった。
「まるん」を出て秀真や比呂志と合流し、先を急いだ。
産寧坂を左へ曲がりながら下ると、左手に大塀造の屋敷が見えた。塀には「ゆどうふ奥丹」という行燈があり、少し進むと立派な門があった。その向かいには「阿古屋茶屋」というお茶漬けを出す店があり、その角を右に曲がると二寧坂だ。