366 清水五条駅
清水五条駅の構内の柱には美しい宣伝写真が巻かれていた。壁は白い正方形のタイルが敷き詰められていて、目地の色は黒かった。藤城皐月はこの平凡なタイルに碁盤を連想し、さらに平安京へとイメージが膨らんだ。
改札を出て、皐月たちは4番出口へ向かった。この出口にはエスカレーターが設置されていたので、みんなで体力の温存を図るためにエスカレーターを利用した。
外に出ると目の前は五条通と呼ばれている国道1号線だ。
この日は晴れていて、青い空が広がっていた。国道1号線の歩道は電線が地下に埋設されていて、景観がすっきりとしている。見通しが良く、空気が澄んでいたので、遠くの東山がよく見えた。
皐月らが住む豊川稲荷周辺からは山が見えないので、山が見られるだけですでに嬉しかった。
「ねえ、ちょっとコンビニで食べ物買ってくるから待ってて。すぐに戻るから」
栗林真理がローソンストア100に吸い込まれてしまった。皐月は真理を追いかけて行き、そんな真理と皐月を見て班長の吉口千由紀が顔を曇らせた。
「買い食いしちゃいけないって、班長会議で言われたんだけどな……」
「吉口さん、そんなに神経質にならなくてもいいと思うよ。別に悪いことをしているわけでもないんだし。それにお店の人に迷惑をかけるわけでもないからね」
二橋絵梨花が千由紀に寄り添い、声をかけた。
「二橋さんって学級委員だから、学校で決められたことは忠実に守るのかと思ってた」
「学級委員の仕事はきちんとこなすけど、理不尽な決まりに従うつもりはないよ」
「へえ〜。二橋さんって思ってたよりも自由な人なんだ」
「うん。自由を制限されるのは嫌いなの。担任の前島先生って私たちを拘束するようなことを全く言わないから好き。6年4組では私の悪い性格が今まで表面化しなかっただけなんだよね。嫌な先生には結構反抗的なんだよ」
楽しそうに笑う絵梨花を見て、千由紀は初めて完璧優等生の絵梨花に親しみを感じた。
「藤城君も『規則なんて、あんなの建前じゃん』って言ってた」
「そういうところ、いいよね。藤城君って」
真理と皐月が店から出てきた。真理はおにぎりを一つ、皐月は鶏竜田揚げを手にしていた。
「みんなは腹減らないの?」
「私はしっかり朝食をとってきたから大丈夫。藤城さん、朝ご飯食べて来なかったの?」
「食べてきたよ。でもお腹が空いちゃった。育ち盛りだからいくらでも食べられるな。二橋さんもお腹がすいたら何か買って食べなよ」
「うん。そうさせてもらう」
真理はさっそくおにぎりを食べていた。岩原比呂志は清水五条駅の写真を撮り、神谷秀真はタクシー乗り場の電話ボックスや真理たちの写真を撮っていた。神社の写真を撮るのが好きな秀真は風景写真を撮るのも好きみたいだ。
「真理、おにぎり1個で足りるのか?」
「う〜ん。ちょっと足りないかも」
「俺の竜田揚げ、一つやるよ」
「ありがとう。コンビニの竜田揚げよりも、この鶏専門店の唐揚げを食べてみたかったね」
「まだ朝早いからな……。これじゃあ清水寺の土産物屋も開いてるかどうかわかんないな」
袋から竜田揚げを一つ取り出して、直接手で真理に食べさせると、指が真理の口に当たった。あっと思ったら、真理と目が合った。皐月は思わずキスしたい衝動に駆られた。
「ちょっと時間が押しちゃってるから、そろそろ行くよ。清水寺をまわる時間が足りなくなっちゃうから」
千由紀に急かされて、皐月たちはキリキリと歩き始めた。皐月はスケジュールに余裕を持たせなかったことを後悔し始めた。
皐月たち6人は国道1号五条通を東に進み、まずは県道143号東大路通と交わる東山五条の交差点を目指した。往来には観光客相手の店は少なく、地域に根ざした店が多く立ち並んでいた。
鮮魚店や信用金庫、コンビニなど生活を支える店や、うどんやラーメン、たこ焼きなど庶民のお腹を満たす店があるかと思えば、お洒落なカフェや洋菓子、和菓子で身も心も気持ち良くなれる癒しの店もある。
着物レンタルや旅館、ホテルなどは旅行者をもてなし、数多の陶磁器専門店は好事家を喜ばせる。小学生には縁のない店が多いが、皐月たちは五条通の散策を楽しんだ。
「この通りってほとんど観光客がいないんだな」
風景写真を撮ることに夢中になっていた秀真が、みんなが何となく感じていたことを口にした。
「鉄道を使って清水寺へ行こうと思う人がいないってことだね。いわば穴場というやつだ。もったいない」
「もったいないって何? 岩原君って変なこと言うね」
「だって鉄道に乗らないなんてもったいないでしょ? 栗林さんは電車に乗って塾に通っているんだから、僕のこの気持ちをわかってくれるのかと思ってた」
「まあ、全然わからないわけじゃなくなってきたけどね。岩原君と皐月の教育のお陰で」
朝が早いので店を開けているところはまだ少ないが、皐月はなかなかいい道だなと感じていた。比呂志の言う通り「もったいない」と思ったが、皐月の「もったいない」はこの五条通を歩かないことだと思っていた。
冨田工藝という仏具店のある大和大路通を超えると、街路灯が瓢箪型になった。この辺りから緩やかな上り坂になり、少しずつ体力が削られていく。
「街灯が瓢箪みたいでかわいいね」
「豊臣秀吉の馬印みたい」
真理の何気ない言葉に絵梨花が歴史の知識で答えた。
「馬印って何?」
学校の教科では誰よりもできる真理だが、歴史の知識は中学生レベルまでしかない。小学6年生が中学生レベルの知識があるだけでもすごいが、真理の場合はバランスのとれた教科書レベルの知識で、絵梨花や秀真、比呂志のような尖がった知識ではない。
「馬印はね、戦国武将が戦場で自分はここにいるよって知らせる目印のことだよ。秀吉の馬印は金色の瓢箪で、自分はここにいるぞってアピールしていたみたいだね」
「ふ〜ん。絵梨花ちゃんは歴史のこと、よく知ってるね。じゃあ、この辺りって秀吉と関係があるのかな? 清水寺を参拝した後、ねねの道を歩くわけだし」
「豊臣秀吉は天下統一を成し遂げた後、京都の都市改造をしたんだよ。今日の京都を形づくったのは秀吉なの。ねえ、神谷さん。この辺りに秀吉を祀っている神社ってあったよね?」
「あるよ。豊国神社がこの近くにあったと思う。豊国神社は豊臣秀吉を祀っているんだ。でも、僕は人を祀っている神社ってあまり詳しくなくて……」
「そんなことないよ。この近くに秀吉を祀っている神社があることがわかっただけでも楽しいから。時間が許せば寄ってみたかったね。さっき通り過ぎた東福寺も」
「修学旅行だからしかたがないよね」