表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第9章 修学旅行 京都編
116/265

362 人間合格

 稲荷小学校の児童たちを乗せた新幹線が豊橋駅を静かに発車した。振動も音もほとんど気にならないほど小さかったが、加速は力強かった。

 遠くに飯田線の車両が並んでいる豊橋運輸区が見えた。豊橋駅構内の珍しい保守用車を見ているうちに高度が上がって高架になり、並走する東海道線や飯田線がどんどん離れていった。


 豊川(とよがわ)を超え、豊川放水路を超えたところで吉口千由紀(よしぐちちゆき)藤城皐月(ふじしろさつき)に話しかけた。

「藤城君、何をそんなに夢中になって見ていたの?」

「何をって、そうだな……。見慣れない保守用の機関車とか、車庫に停まっている電車とか、線路のある風景かな。漠然とたくさんのことをワーっと感じたから、ちょっと言語化が追いついてこない……」

「藤城君って鉄道が好きなんだね。私には面白さがわからないんだけど」

「俺も最初はただ電車を格好いいって思っただけだった。でも知識が増えてくると、どんどん面白くなるんだよね」

 皐月は千由紀に鉄道の話に付き合わせるかどうか迷っていた。鉄道趣味は女子に嫌われているらしい。以前、栗林真理(くりばやしまり)に鉄道の話をしたことがあるが、いい反応がなかった。千由紀に話すなら慎重にならなければならない。

「岩原君は本当に鉄道好きって感じだよね。藤城君と岩原君が鉄道の話をしている時って楽しそうだなって思って見てた」

「じゃあ、吉口さんも俺たちの話に入ってくる? 歓迎するんだけど」

「私はちょっと遠慮しておく……」

 やっぱりダメか、と皐月は肩を落とした。だが落ち着いて考え直すと、比呂志と三人が嫌であって、自分と二人で鉄道の話をするならいいのかもしれないと、もう少し希望を捨てずにいようと思った。


 新幹線こだまは蒲郡市に入った。皐月たちと反対側の車窓からは海が見えた。三河湾だ。

 三河湾は広く浅い海で、矢作(やはぎ)川水系や豊川水系など多くの河川が流れ込む。知多半島と渥美半島が取り囲んだ閉鎖的な地形で、湾口が狭く、外海との海水交換が少ない。

 (あさり)渡蟹(わたりがに)車海老(くるまえび)の水揚げ高は全国トップクラスで、海苔や(うなぎ)の養殖も盛んだ。愛知県は海の幸に恵まれた土地だ。

 車窓からは三河湾に浮かぶ竹島も見えた。本土と橋で結ばれた竹島には独自の植生があり、島全体が国の天然記念物に指定されている。

「吉口さんは竹島に行ったことある?」

「水族館と潮干狩りに行ったかな。藤城さんは?」

「俺も竹島水族館には行ったことがあるよ。手作りのポップが夏休みの自由研究みたいで、雰囲気がいいよね。でも解説されている内容は専門的で面白い。深海生物の展示されている種類の数が日本一だったかな。また行きたいな〜」


 新幹線は東海道本線の幸田(こうだ)駅の手前で交差した。ここから三河安城駅を過ぎた辺りまでは東海道新幹線の最長直線区間になる。

「藤城君は最近、なにか小説を読んでる?」

「学校では芥川の『歯車』を読んでいるけど、家では太宰の『人間失格』かな」

「どっちも私の好きな小説」

「俺も。『人間失格』はこれで二周目だ。そういえばこの前、吉口さんは俺のことを『葉蔵(ようぞう)みたい』って言ってたけど、それってどういう意味?」

 葉蔵とは『人間失格』の主人公で、大庭葉蔵(おおばようぞう)のことだ。皐月は自分のことを葉蔵に似ていると言われたことが気になって、『人間失格』を読み直そうと思った。

「ああ……それは藤城君が女に惚れられるようになりそうだなって思ったから。もう惚れられてるか」

「そんなことだったの? 俺はてっきり人間失格の烙印を押されたのかと思ったよ。何か人間を失格になりそうな行いをしたかなって、ずっと気になってた」


 皐月は千由紀の言ったことを言葉通りには受け止めていなかった。千由紀は葉蔵の中学校の同級生の竹一(たけいち)の言った言葉、『お前は、きっと、女に惚れられるよ』を引き合いに出して、自分のことをからかっているのだと思った。

「藤城君は人間合格だよ。羨ましいくらいコミュ力が高い」

 皐月には千由紀の言いたいことが何となく読めた。千由紀は自分の道化を演じているところを見て、葉蔵と重ねているはずだ。皐月にはそのくらいしか心当たりがなかった。

「吉口さんは葉蔵のこと、好き?」

 これは皐月にとって答えを聞くのが怖い、恐るべき質問だ。

「好き。でも、ツネ子みたいに葉蔵と一緒に死にたいとは思わない。私なら京橋のバアのマダムみたいに葉蔵を温かく迎え入れて、守ってあげたい。そういう好き」

 皐月はこの言葉に何も返せなかった。表情の乏しい千由紀の微かに微笑んだ顔を見て恥ずかしくなり、窓の外に目を向けた。列車は三河安城駅に到着した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ