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藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第8章 修学旅行 準備編
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354 修学旅行前夜

 この日の夕食は豚の生姜焼きだった。生姜味のたれで焼かれた豚肩ロースは体を温めて胃腸の調子を整えてくれる。豚肉に含まれるビタミンB1は糖質をエネルギーに変え、疲れを取ってくれる。旅行前にふさわしい献立だ。

「初日の京都旅行では六人一組で班を作って、班ごとに好きなところを観光するんだ。真理と俺は同じ班になったんだよ」

 藤城皐月(ふじしろさつき)は京都旅行について、及川頼子(おいかわよりこ)や娘の祐希(ゆうき)に細かい話をしていなかった。頼子に栗林真理(くりばやしまり)の弁当を作ってもらうので、真理と一緒に京都をまわることを話しておきたいと思っていた。


「このあいだ遊びに来た博紀君も同じ班なの?」

 頼子が月花博紀(げっかひろき)の名前を覚えていたことに驚いた。江嶋華鈴(えじまかりん)のことは「この前、家に来た子」と言っていた。博紀はこんなおばさんにもインパクトを与えるんだなと感心した。

「ううん。あいつは別の班だよ」

「そうなの? お友だちなのに?」

「先生が勝手に班のメンバーを決めたから、博紀とは同じ班になれなかったんだ」

「信じられない! 仲のいい友だちと同じ班になれないの?」

 祐希の反応はクラスの陽キャたちの反応と同じだった。皐月は祐希がどんな高校生活を送っているのか知らないが、多分幸せなんだろうと思った。

「班決めは(くじ)引きで決めるクラスもあれば、友だち同士で班を決めるクラスもあるよ。好きな子同士で班を決めたクラスはめっちゃトラブってたみたいだけど」

「あ〜、余った子問題ね。確かに私たちのクラスでもそういうあったな……」

「多分うちの担任はそういう残酷な事態を避けようとしたんだと思う。おかげで俺は真理と一緒の班になれた。なっ」

 皐月は真理に笑顔を見せた。真理は食卓についてから全く会話に加わってこなかったので、ここで相槌でも打ってもらいたかった。


「先生に班を決めてもらった方が不満が平等になっていいと思う。満足度は好きな子同士で班を決める方が高いと思うけど、不満というか、悲しみの総量は好きな子同士の方が高いと思う」

 真理が抽象度の高い言葉を多用した言い方で会話に加わった。皐月は真理の性格を知っているので、真理に他意がないことがわかる。だが、祐希はどうだろう。

 祐希は真理の小難しい言い方に言外の含みを感じるかもしれない。皐月には真理の言いたいことがよくわかって感心したが、祐希はこれを批判されたと受け取ったかもしれない。

「俺なんか博紀のグループから弾き出されちゃうから、ボッチになってたかもな。先生に班を決めてもらえて良かったよ」

「皐月ちゃんは真理ちゃんと同じ班になれたからよかったんだよね〜」

 頼子のフォローがありがたかった。これで祐希の意識をそらすことができそうだ。


「他のクラスだと、男子だけ女子だけの班っていう決め方をしたクラスもあったよ。俺たちは男子3人女子3人の班って決められてた。もしうちのクラスも男だけの班にされたら、真理とは同じ班になれなかったからね」

 これは皐月の作り話だ。祐希には真理に意識を向けられたくなかったから、皐月は嘘をついた。(さざなみ)を大波にしないように気を使うのはひどく疲れる。

「同じ班に鉄道オタクとオカルトマニアがいてさ、そいつらが観光ルートを決めるのに活躍してくれたんだ」

 皐月は明日の京都巡りの詳細に話題を移した。興味深く、感情の揺れない話をして、どうにかこの緊迫した夕食を乗り切りたい。

 皐月は主に頼子を意識して、参拝する予定の神社仏閣の紹介をした。真理には観光ガイド的な説明をしてもらい、皐月はマニアックな情報を補足した。頼子は楽しく聞いてくれたが、祐希に興味を持ってもらえるように話すのはなかなか大変だった。祐希は少し機嫌を損ねているようだ。


 食事を終え、皐月は真理と二人で玄関へ出た。頼子は見送りに来たが、祐希は自分の部屋に戻った。

「じゃあ真理のこと、送ってくる」

「明日は朝が早いから、あまり遅くならないようにね」

「家まで送り届けたら、すぐに帰ってくるよ」

 皐月と真理は夜の街へ出た。この時間ならまだアーケード商店街には開いている店もある。喫茶店のパピヨンもまだ営業していた。

「パピヨンでお茶でもしていく?」

「何言ってんの。私は帰って、少しでも勉強するよ。修学旅行期間は受験勉強できないんだから」

「そんなの受験生ならみんな同じだろ? 焦り過ぎなんじゃない?」

「わかってるけどさ……やれることはやっておかないと気持ちが悪いから」

 真理は変わったな、と思った。皐月の知っている真理はもっと楽な方に流される子だった。中学受験が真理を変えたのだろう。

 それに引き換え自分は女の間を行ったり来たりしている。華鈴には偉そうなことを言ったが、今の自分は魅力的な男とは程遠い。それどころかひどい有様だ。皐月は自己嫌悪に沈んだ。

「真理は偉いな。そういうところ、好きだよ」

「うわぁ〜。皐月が好きなんて言うの、珍しいね」

「そうか?」

「私も皐月の素直で、よく気がきくところが好き」

「じゃあ、俺って神様みたいないい子?」

「皐月が神様? さすがに神様はないって。ハハハ」

 皐月も真理に合わせてヘラヘラと笑った。だが、このやりとりで真理が『人間失格』を読んでいないことはわかった。真理は京橋のスタンド・バアのマダムの台詞を知らないようだ。

 皐月は以前、文学少女の吉口千由紀(よしぐちちゆき)に「葉蔵(ようぞう)みたいだね」と言われたことがある。真理の一言が千由紀の一言と繋がり、自分が人間失格の烙印を押されたような気がして、薄ら寒いものを感じた。


 真理の住むマンションの前までやって来た。周りに誰もいないことを確認し、二人は素早くキスをした。外でこんなことをするのは恥ずかしかった。

「じゃあ、明日。私のお弁当、忘れないでね」

「わかってるよ。真理こそ明日、寝過ごすなよ。朝早いんだからな」

「大丈夫だって。ちゃんと起きられるから。それにお母さんも起こしてくれるって言ってるし」

「へぇ〜。凛姐さん、頑張って早起きするんだ」

「私を起こしたらすぐに寝ると思うけどね」

「夜遅い仕事だからしかたがないよな」

 もう一度まわりを確認し、キスをして別れた。自分も真理も大胆になったと思った。風が涼しかったので、皐月は豊川駅の東西自由通路の階段を一気に駆け上がった。


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