350 もう一緒に仕事をすることはない
修学旅行の前日集会が終わると、6年生は教室に戻って帰りの会をして、いつもより早く帰途に就いた。だが、実行委員の藤城皐月は江嶋華鈴が来るのを一人教室に残って待っていた。自分の席に座っていても退屈なので、教室の最前列の窓際に移動して窓の外を眺めていた。
「お待たせ。遅くなってごめんね」
華鈴が慌ただしく教室に入ってきた。
「いいよ。ところで最後の打ち合わせって何?」
「北川先生から修学旅行のタイムテーブルをもらったの。私たち児童用じゃなくて、教師用のプリントね。私たち委員長と副委員長も目を通しておけって言われたから、一応目を通しておいた方がいいと思って」
「ふ〜ん。そんなの、俺たちが見る意味ってあるの?」
「まあ、私たちがする挨拶のタイミングはわかるかな。漠然と生徒を代表して挨拶しろって言われていたけど、具体的にいつ挨拶をするかはわからなかったでしょ?」
「まあ、そうだな。やれって言われたら、やるって感じだったし。そこはモヤモヤとしていたから、段取りがわかっていた方がいいかな」
華鈴にしては言っていることが明晰ではないと思った。児童会長をしている時の華鈴とも雰囲気が違う。皐月には華鈴に筒井美耶の持つ、自分に気のある雰囲気を感じた。
「で、そのプリントには細かいスケジュールが書いてあるわけだ。見せてもらってもいいかな」
「藤城君の分もコピーしてあるから」
華鈴に渡されたプリントは修学旅行の日程表の教師用のもので、そこには児童の知り得ない教師の行動が記されていた。
初日の京都での班行動の時に、教師の誰がどこにいるのかとか、旅館での教師の役割分担と細かいスケジュールなどが書かれていた。微に入り細を穿った段取りがびっしりと書かれていて、これは修学旅行のしおりと違って完全に業務用の書類だ。
「私たちが挨拶をするところはマーカーで色をつけておいたから。一通り読んでみた限りでは、挨拶のところ以外、私たちには何も関係なかったよ」
「そりゃ教師用のタイムテーブルだから、俺たちは関係ないよな……。でも、挨拶のタイミングがあらかじめ分かっているのはありがたい。それに修学旅行の舞台裏を覗いているみたいで面白いな、これ」
「よかった……。余計な仕事を増やすなってウザがられるかと思ってた」
「そんなことないって。こうしてまた江嶋と一緒に仕事ができるんだから、嬉しいよ。修学旅行が終わったら、こうして江嶋と一緒に仕事をするってことはなくなるんだからさ。そう考えると、なんか名残惜しいよな」
皐月の言葉に華鈴は何も返さなかった。華鈴がランドセルにプリントを入れて、帰ろうとした。
「なあ……俺、なんか変なこと言った?」
ランドセルを背負った華鈴が皐月の言葉に立ち止まった。
「別に……。何も言ってないよ」
華鈴は振り向きもせず、また帰ろうとした。
「待てよ」
たまらず皐月は華鈴の手を取った。華鈴はまた立ち止まった。
「一緒に帰ろうぜ」
「いい。一人で帰る」
「帰りの方向、同じじゃん。途中まで一緒に帰ろう」
華鈴はもう一人で帰ろうとはしなかった。ただその場にだまって俯いていた。
「明日、修学旅行じゃん。江嶋が何を怒っているのかわからないけど、旅行の前の日くらい喧嘩しないで仲良くしようぜ。なっ?」
華鈴の顔を覗きこむと、赤い顔をしていた。
「名残惜しいとか言わないでよ……」
「えっ?」
「もう一緒に仕事をすることがなくなるとか言わないでよ」
華鈴が顔を上げた。目から涙が溢れ出した。
「ああ……これで実行委員も終わりだと思うと、ちょっと寂しくなっちゃってさ。もしかして江嶋も寂しかった?」
「寂しいよ! 寂しいに決まってるでしょ」
涙を流して訴える華鈴を見て、皐月も感極まって泣きそうになった。
「江嶋と一緒に実行委員をやれて良かった。委員会の仕事をしている時、俺ずっと楽しかった」
華鈴が涙を拭き始めたので、皐月も目尻に溜まった涙を人差し指で拭った。すると、皐月まで堰を切ったように涙が流れ始めた。
「藤城君のさっきの挨拶。何、あれ? 盛り上げてって言ったのに、真面目なこと言っちゃって」
「俺、そういうの苦手なんだよ」
「スローガンのこととか言い出しちゃってびっくりした。私、スローガンなんて完全に忘れてた」
「お前、割とバカだよな。スローガンは大事だろ?」
「藤城君のことが大好きな筒井さんが考えたスローガンだから、そりゃ大事だよね」
華鈴がやっと笑った。
「一緒に帰ろうぜ。なんなら家まで送ってやろうか?」
「家はいい。今日はお母さんがいるから」
「そうか。そりゃ良かったな。じゃあ俺ん家まで送ってくれ」
「しょうがないな〜。じゃあ家まで送ってあげるよ」
6時間目の授業が行われている中、静かな校庭を皐月と華鈴は二人並んで校門を出た。