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バス運転士・五十嵐アカネの事件簿  作者: 樋口鏡花
東名夜行バス殺人事件
6/7

6.アリバイ崩し

 黒田が電話してから1時間程が経った頃、インターホンが鳴った。


 アカネはモニター越しに来客の姿を確認すると、オートロックを解除した。


 それから2分も経たないうちに、玄関の扉がノックされた。


「どうもこんばんは」


 アカネが扉を開けると、そこに居たのは北村だった。


「早朝はどうもお世話になりました」


 アカネが頭を下げると、北村は顔の前で手をせわしなく振った。


「いえいえ、こちらこそ助かりました。あのままでは自殺で片付けられるところでした」


 北村は肩に掛かっていた鞄を床に置きながら言った。


「お疲れ、北村」


「黒田さん、お疲れ様です」


 黒田と北村が互いに会釈した。口調からして、黒田は北村よりも先輩なのだろう。


「で、なぜここに五十嵐さんと東堂さんが?」


 北村は2人の方を見て首を傾げた。


「ここはわたしの自宅なんです。東堂さんはまだ取材の途中です」


「ああ、なるほど」


 北村は納得したように頷いた。


「さて、頼んだものは用意できたか」


 黒田が聞くと、北村は頷いた。


「ええと、春岡と安田の高速バス乗車券とその座席表、乗車便の運行記録、それと運行票(スタフ)ですね」


 北村は1つ1つ確認しながら3人の前に書類を広げ、それらの説明を始めた。


「まず、乗車券は往復分確認しました。往路分はチケットレスだったので、予約サイトの購入履歴を持ってきましたが、復路はチケットがありませんでした」


「復路ってことは、東京から名古屋へ向かう便のものだな。なぜ無いんだ?」


 黒田が首を傾げた。


「それが、安田によると復路分は東京駅のバス乗り場の券売機で当日購入したそうなんです。ですが、肝心の乗車券は要らないから捨てたと」


「なんだ、乗車券は運転士が回収するわけではないのか」


 黒田の視線がアカネに向いた。アカネは察したように、理由を説明した。


「最近は高速バスの乗車券はチケットレスが主流になり、座席管理もインターネット上で行われているんです。なので、一部の路線を除いて乗車券の確認をする必要が無いので、回収はしてないんです」


 ここでいう一部の路線とは、停留所が多く運賃が細かく異なる路線のことを言う。事件の起きたムーンライト東京号は運賃が全区間で均一のため、乗車していることが分かればそれ以上の確認は不要なのだった。


「ですが、これはおかしいですね。普通、行きの乗車券がチケットレスなら帰りもチケットレスで購入しませんか?わざわざ券売機で購入する理由があったんでしょうか」


 東堂が首を傾げて言った。


「たしかにチケットレスならいつでも買えるしなぁ。わざわざ券売機で買う必要はないな」


 黒田も腕を組んで唸った。安田のこの行動は怪しい。


「次に座席表なんですが、これは我々が捜査で使っていたものを持ってきました」


 ムーンライト東京2号と10号の座席表は、1階席と2階席に分割された特徴的なものだった。北村が持ってきたのは予約システムから引用した表で、当日の乗客の名前が並んでいた。春岡と安田の名前は、空白のマスにペンで手書きされていた。


「面白いことに、春岡と安田は同じ座席位置なんですよ」


 北村は座席表を指しながら笑った。春岡と安田の席は、1階席22Cとなっていた。2人以外に、1階席を購入した客はいなかった。


「春岡さんと安田さんの2人だけ手書きなのはなぜですか?」


 東堂が座席表を覗き込みながら北村に聞いた。


「それがですね、これはインターネット予約システムから持ってきたものなんですが、チケットレスとコンビニ、それと電話予約は氏名が表示されるんですが、券売機や窓口で直接購入すると氏名が記載されないんですよ。販売済みなのは分るんですがね」


「もしかして、安田は名前が座席表に載ることを避けたかったんではないですか?」


「どうしてです?」


「それは……」


 東堂は伏し目がちになって唸った。これ以上は考えても答えが出てこなかった。その傍らでアカネは黙って何か考えるような仕草をしていた。


「ええっと、続いて運行記録ですね」


 北村はアカネに2枚の書類を手渡した。それは配車表と呼ばれるもので、どの車両がどの便に充てられていたかが分かるものだった。


「2号と10号に充てられたのはエアロキング、ナンバーは2331と2332で連番ですね」


 アカネはそう言って書類を北村に返した。


「同車種でナンバーが連番なのは、何か意味があるのか?」


 黒田が聞くと、アカネが答えた。


「うちの車の場合は車番と同じ番号ですね。管理用に会社がつけた番号で、このバスの場合は2331号車なのでナンバーも希望ナンバーで2331を取得している、という感じです。エアロキングは台数も少ないので、ナンバーはみんな似たような番号ですよ」


「そうなのか」


 黒田は納得して頷いた。


「それにしても五十嵐さん、これらから何がわかるっていうんですか」


 北村は腕を組みながらアカネに聞いた。


「そうですね、とりあえず安田さんのアリバイは崩せそうですね。それから殺害方法も」


 と、ハッキリと言った。


 しばらく沈黙の時間が室内に流れた後、


「「「なんだって!?」」」


 と、東堂たち3人は揃って驚きの声を上げた。


「あくまで、わたしの仮説ですが……」


 と、アカネは前置きしてから、時刻表と2枚の行程表(スタフ)を示しながら話し始めた。


「まず、今までの捜査状況の整理からしましょうか。春岡さんと安田さんは、2人で東京へ出張に出掛けました。この東京出張は春岡さんが前日に急遽決めたもので、春岡さんと安田さん以外は知らなかった。もし仮に、他の社員の方が出張を知ったとしても、乗車する便まではわからなかったでしょう。しかも、帰りのムーンライト東京号の乗車券は、乗車当日に購入されています。つまり、2人以外にはムーンライト東京号に乗ることがわからなかった訳です。2人は2日間に渡る東京出張に一段落ついた後、個室居酒屋で晩酌を兼ねた夕食を摂り、それから東京駅のバス乗り場へと向かいました。その道中で2人はコンビニに寄り、ミネラルウォーターを購入しました。バス乗り場に着くと、安田さんはきっぷ売り場の自動券売機でムーンライト東京2号と10号の乗車券を購入しました。安田さんは東京駅22時30分発のムーンライト東京2号に乗車し、春岡さんとは別れました。春岡さんは、安田さんが購入した乗車券で東京駅23時30分発のムーンライト東京10号に乗車しました。それぞれ2人を乗せたバスは名古屋駅へと向かって走行していきます。日付が変わって午前1時過ぎ、春岡さんは日頃から服用していた睡眠薬を飲もうとした際にミネラルウォーターに口を付けたところ、中身にはシアン化カリウムが混入されており死亡しました。2時30分頃、春岡さんを乗せたバスは東名静岡バス停に到着。乗務員交代のため、わたしと東堂さんが乗車し、以降のハンドルをわたしが握ります。東名高速道路を走行中、強めのブレーキが掛かった時に春岡さんが口を付けたシアン化カリウム入りミネラルウォーターのペットボトルが床を転がり、それを東堂さんが拾いました。東堂さんは、ペットボトルをゴミだと思い、休憩箇所である浜名湖サービスエリアのゴミ箱に捨てました。5時30分頃、ムーンライト東京10号は名古屋駅に到着し、春岡さん以外の乗客が降車しました。トランクルームに残った鞄を不審に思ったわたしは車内を確認し、春岡さんが亡くなっているのを発見しました。一方、安田さんはムーンライト東京2号に乗車中です。安田さんは6時頃に自宅から程近い本山バス停で下車しました。よって、安田さんにはアリバイがあり、また、あらかじめ凶器を用意していたとしてもすり替える機会が無かったことから、春岡さんを殺害することは不可能だった。というのが、今の捜査状況です」


 アカネはそれを(そらん)じて見せ、話を続けた。


「まず時刻表を見ると、高速名古屋東京線の夜行便・ムーンライト東京号は1日6往復運転されていますね。22時30分発の2号以降15分おきに4号、6号、8号、10号、12号の6本が運転されています。全便が東京駅八重洲南口発、名古屋駅太閤通口行きですが、実はこれらは全て違うんです。何が違うかわかりますか?」


「停車するバス停が違うな」


 黒田が時刻表を覗き込みながら言った。


 夜行高速バス・ムーンライト東京号は東京駅から名古屋駅まで直行するものの他に、バスタ新宿や名古屋市内、三河(みかわ)地域の停留所を経由する便がある。そのため所要時間は便によって異なる。


「そうですね。ほかにもあります。東堂さんなら、わかるのではないですか?」


 アカネが東堂に聞いた。


「使用車両と経路ですね」


 東堂は即答した。取材にあたって調べておいたことが役立った。


「その通りです。ムーンライト東京号は昼行便と組み合わせた運用がされていて、1人掛け3列シート車と2人掛け4列シート車の2タイプが投入されています。他の路線の運用との都合もあるので車両は毎日変わりますが、車種は固定されています。時刻表にも、2号と10号の欄には『2階建て車両で運行』と注意書きがされていますよね」


 アカネが指さした欄には、たしかに『2階建て車両で運行』と小さな文字で書かれていた。この場合、特に注意書きが無い便は4列シート車で運行される。


「続いて経路なんですが、ムーンライト東京号は()便()()()()()()()()()んです。大きく分けると、ムーンライト東京2号、8号、10号は東名高速経由、4号は中央道経由、6号と12号は新東名高速経由です。それらはさらに細かく経路が違いますが、その辺りは触れなくてもいいでしょう」


「なるほどな。だが、それがなぜ春岡殺しに関係があるんだ?」


 黒田が首を傾げた。アカネは呼吸を整えると、意を決したように結論を告げた。


「安田さんのアリバイ作りには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が用いられているからです」


 アカネはそう言った後、


「まあ、まだ全て証拠が揃っている訳ではないので推測の範囲なんですが……」


 と、付け加えてからトリックの説明を始めた。


「まず春岡さんと安田さんが乗車したバスですが、春岡さんが10号で安田さんが2号でした。しかし、わたしは本当は春岡さんと安田さんは互いに違う便に乗っていたと考えています。春岡さんが2号に、安田さんが10号に乗っていたんです」


 アカネの言葉に、東堂たちの頭の上には「?」が浮かんでいた。一体、何を言い出すんだ。


「まず、春岡さんは東京駅22時30分発、ムーンライト東京2号に乗車します。安田さんは何かと理由をつけて乗車せず、春岡さんを見送りました。そして1時間後、23時30分発のムーンライト東京10号に安田さんは乗車します」


「この時、既にミネラルウォーターの中にシアン化カリウムが入っていたのか?」


 黒田が聞くと、アカネは首を横に振った。


「いいえ、この時点ではまだ毒は入っていません」


「じゃあ、どうやって毒を入れたんだ?」


「入れたのではありません。元々入っていたものと交換したのです」


「だが、そうするとどうやって……?」


「答えはコレにあります」


 そう言ってアカネは2枚のスタフを提示した。


「これは、わたしたち運転士が使っているスタフです。見比べてみてください」


 そう言ってアカネは黒田にスタフを渡した。


 黒田たちは眉間に皺を寄せてスタフをじっと見つめる。やがて東堂の声が沈黙を破った。


「そうか、開放休憩か!」


「その通りです」


 アカネがパチパチと拍手を送った。東堂はちょっと嬉しかった。


「長距離高速バスでは、乗務員と乗客の休憩のためサービスエリアやパーキングエリアに停車することがあります。ムーンライト東京号の場合、中央道を経由する4号以外は最初に東名高速の足柄(あしがら)サービスエリアで休憩します」


 アカネは黒田からスタフを取り上げて、「足柄SA」の欄を指さした。


「ムーンライト東京2号と10号は東京駅出発時点では1時間の差がありますが、2号は東京駅出発後にバスタ新宿を経由していますので、足柄サービスエリアの時点でかなり差は縮まっています。足柄サービスエリアでの2号の停車時間は0時45分から1時5分の20分間、10号は1時0分から1時20分までの20分間停車します。つまり、2台は5分間だけ並ぶんです。その時、春岡さんと安田さんは入れ替わったんです。安田さんは春岡さんと入れ替わるために、わざわざ券売機で乗車券を、しかも同じ位置の座席を買ったんです。そうすれば券面にも座席表にも氏名は表示されなくなりますし、入れ替わりも容易でしょう」


 アカネの推理通りだとすれば、安田が乗車券を予約サイトではなく券売機で買ったことと、2人の座席の位置が同じだったことに説明がつく。


 しかし、ここで最大の疑問が残る。黒田がそれをアカネにぶつけた。


「だが、そんな都合良く並ぶか?あのサービスエリアは行ったことあるがかなり広かったぞ。どちらかのバスが遅れてくる可能性だってある。さらに言えば、ペットボトルだけすり替えればわざわざ入れ替わる必要もないじゃないか」


「おっしゃる通りです。ですが、駐車場所についてはうちのバス専用の駐車マスがあるので問題ありません。問題は、どちらかが遅れてきた場合です。2号の方が遅れた場合は10号と並ぶ時間が長くなります。反対に10号が遅れた場合は、2号と並ぶことが難しくなります」


「2人が入れ替わる必要性は?」


「あります。ペットボトルのみをすり替える場合、バスに乗り込んでペットボトルを入れ替え、バスから降りる必要があります。ですが、開放休憩中は他の乗客も乗り降りしますし、運転士も車両点検等で車外に出ますので、不審な動きをすると真っ先に疑われてしまう可能性が高くなります。なので、座席ごと入れ替わってしまえば不審な動きをすることなく凶器を仕込むことができるというわけです」


「だがな、それを実行するにはまだ疑問点がある。1つ目は春岡と安田はどうやって入れ替わったかだ。2つ目は春岡は荷物がトランクルームに預けてあった。入れ替わるのなら安田が荷物を持っていかなければならないが、それはどう説明するんだ?」


「それはまだわかりません。なので、黒田さんたちにお願いがあります」


 アカネは黒田と北村を見て言った。


「安田さんに会わせていただけませんか?」

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