4.取材続行
通報してから5分足らずで、2人の男性警察官が文字通り駆けつけてきた。やがて、サイレンを鳴らしながら1台のパトカーが到着し、北村と中崎という2人の刑事が臨場した。救急車も遅れて到着したが、男が亡くなっていることを確認すると、早急に去っていった。
名古屋駅バスターミナルには非常線が張られ、駅前は騒然となった。バスターミナル内も乗り場が1つ使えないので、次々とやってくるバスたちは混乱していた。
東堂とアカネは、北村からの質問に答える形で事情を説明した。
「……なるほど。つまり、発見時には亡くなっていたわけですね?」
アカネと東堂の話を聞き、北村がそれをまとめる。
「ええ、おそらくですけど……」
アカネが自信無さげに目を伏せて答える。
「とりあえず、事情は分かりました。ただ、お2人には事件性の有無の判断がつくまで、待機していただくことになります」
「分かりました。あ、そうだ。会社に連絡をとってもいですか?」
東堂が聞くと、
「ええ、構いませんよ」
と、北村は返事した。
東堂はスマホの電話帳から会社のアドレスを探し出し、編集長の中山へ電話した。
2、3回のコール音がし、電話が繋がった。
「東堂です。編集長、今いいですか」
「いいぞ。どうしたんだ?」
「実は……」
東堂は、取材で添乗していたバスで人が亡くなっているのが見つかったことを話した。
「取材の方は、仕切り直して後日にしようと思うのですが」
東堂の言葉に、中山はしばらく考えたが、
「取材は続けてほしい」
と、返答した。
「なかなか無い体験だ。五十嵐さんや警察が許すなら、こういった有事の時の対処法とか聞いてもいいかもしれない」
「今回の記事の趣旨とは大きく違いますが」
「別のコーナーを設けてもいい。とにかく、取材は続行だ」
中山は一度決めたことをなかなか変えたがらない。東堂は諦めて、中山の指示に従うことにした。
「どうでした……?」
アカネが聞いてきた。どうやら、近くで聞き耳をたてていたらしい。
「取材は続けることなりました。できれば、今回の件のことも聞きたいです」
「はい、了解です」
アカネは敬礼のポーズをとると、恥ずかしそうに笑った。
警察の捜査が終わるまで、東堂とアカネの2人はバスターミナルにあるきっぷ売り場の事務室で待機していた。
東堂はノートパソコンを開いて原稿作業の続きをした。アカネはスマホで、何やら文章を打ち込んでいるようだった。おそらく友人か誰かと、チャットでもしているのだろうと、東堂は思った。
午前9時頃になって、刑事の中崎が事務室に顔を見せた。
「お待たせしました。初動捜査が終了したので、車両の移動をお願いしたいのですが」
中崎はアカネを見て言った。
「どちらへ移動させますか?」
「千種の営業所です。捜査の続きは、そちらで行いますので」
アカネは立ち上がると制帽を被り、バスの方へと向かった。
「私は、どうしたらいいでしょうか」
東堂が聞くと、
「東堂さんは、もうお帰りいただいて結構ですので」
と、中崎はそっけなく言った。
「でしたら、私も営業所の方に用があるので、車に乗せてもらえませんか」
中崎は一瞬、口を開こうとしたが、躊躇った。そして少し逡巡した後、
「分かりました」
と、肩を竦めて言った。
パトカーを先頭にして、バスはアカネの運転で千種営業所へ回送された。
営業所に着くと、バスは営業所の敷地の隅に止められた。
営業所の玄関では、心配そうな顔をした西田が待っていた。
「大変なことになりましたね」
「ええ。ただ、取材は続けることになりました」
東堂がそう言うと、西田は驚いた表情をした。
「五十嵐さんも協力してくださるそうなので」
「ああ、そうですか」
西田はそれ以上は聞かずに、口をつぐんだ。
それから東堂とアカネは点呼場へ移動し、アカネの終業点呼を済ませた。
今日行う予定だったアカネへの質問は、警察の捜査が終わってから行うことになった。
東堂が休憩室でノートパソコンに向き合っていると、私服に着替えたアカネが現れた。今日のアカネは、白のセーターに紺のハイウエストスカートと、春の装いだった。
「お疲れ様です、東堂さん。原稿は進んでますか?」
アカネがノートパソコンの画面を覗き込む。
「五十嵐さんもお疲れ様です。いや、全然進まないですね」
画面に表示されていた原稿は、半分が真っ白だった。今回の騒動を受けて、記事の内容を大幅に変更するため原稿を書き直していた。
「それにしても、あんなことがあったのは初めてですよ」
「そうですよね。私も初めてでした。ただ……」
アカネが東堂の隣に腰掛けた。ふわりと、良い匂いがした。
「わたし、何か嫌な予感がするんですよね」
「嫌な予感?」
東堂が眉間に皺を寄せる。
「東堂さんは、現場を見てどう感じましたか?」
「そうですね……。衝撃的な出来事だったので、あまりよく見てませんが、私があの時現場を見た感じでは、あれは自殺だと思いましたよ。男のあの表情は、持病で亡くなった感じではなかった」
「なるほど。では、どうやって自殺したんですか?」
「そりゃあ、毒を飲んで……じゃないですかね」
「それはわたしも同じ考えです。ですがあの時、実は座席の下に錠剤が落ちていたんです」
「錠剤ですか?」
「はい。おそらく睡眠薬です。わたしも以前使ったことがあるものでした」
「じゃあ睡眠薬を大量に飲んで、自殺を図ったんじゃないですか?」
「だとすると、おかしいんですよ」
「一旦、あの時の車内の状況を整理しましょう」
アカネは立ち上がって、スティーブ・ジョブズのようにろくろを回すような仕草をし始めた。
「あの時の車内は、1階席には亡くなった男性以外の利用は無いため、男性が利用していた座席以外は綺麗な状態でした。男性は座席のリクライニングを半分ほど倒した背もたれにもたれ掛かった状態で発見されました。男性の目は見開かれていて、口が開いた状態でした。衣服に乱れはありません。座席のテーブルは畳まれた状態で、荷物フックには何も掛かっていませんし、荷物棚にも手荷物はありませんでした。網ポケットにも車内案内の紙以外は挟まれていませんでした」
東堂は、アカネの説明を、よく覚えているなと感心しながら聞いていた。
「床は透明な液体で濡れていました。昨日は雨が降っていなかったので、飲み物として持ち込まれたミネラルウォーターか何かでしょう。東堂さんは、私が急ブレーキを掛けた時のことを覚えていますか」
「ああ。たしか、ほとんど空のミネラルウォーターのペットボトルが転がってきたよ。浜名湖のサービスエリアで捨てたやつだ」
「おそらく、それは男性が飲んでいたものだったんでしょう。さて、座席の下には睡眠薬の錠剤が落ちていました。わたしも使ったことがあるものなので知っていますが、あれは1回に2錠服用するタイプのものです。ですがあの時、床に落ちていたのはたった1錠だけだした。普通に服用しようとしたなら、1錠は飲んだと仮定すれば違和感がありません。しかし、今だとおかしいんです」
「たまたま1錠だけ落ちたとは考えられないですかね。最後の1粒、みたいな感じで」
「よく考えてみてください」
アカネは東堂の横で立ち止まると、身を屈めて東堂を見つめた。
「一般的に睡眠薬を多量に摂取して自殺を図る場合、
律儀に1錠ずつ飲みますか?」
「ガバッと、一度に大量に飲み込もうとしますかね。でも、世の中には1錠ずつしか錠剤が飲めない人だっていますよ」
「ならばなおさらおかしいですよ。わざわざ自分がやりにくい方法で自殺しようとしているんですから」
たしかに、アカネの言うとおりだった。
「ということは、睡眠薬は男が自分で飲もうとしていたものだとすると……」
東堂は、はっとした。それを見て、アカネが笑みを浮かべる。
「分かりましたよね。水の方に、毒物か何かを仕込んでいたんですよ」
アカネは自慢気に言って、再び歩き出した。
「だとすると、その状況で自殺だとおかしいですよねぇ」
アカネは下顎に人差し指の先を当てて、考える仕草をする。
「なので、残された選択肢は2つしかありません」
「病死か、殺人か……」
「ああ、それから」
アカネは立ち止まって東堂の方を向き、
「人にもよりますけど、病死の場合は目や口が閉じていることが多いそうですよ。あの表情から見ると、男性は苦しんで悶えた感じなので、突発的な脳出血とかはまず考えられません。心臓系の場合は、胸あたりを押さえて苦痛に表情を歪ませることが多いので、口はあそこまで大きく開かずむしろ歯を食い縛るような感じになります。口が開くとなると考えられるのは気管系ですが、気管系の病気で突発的に亡くなるなんて聞いたことがありません。喉に何か詰まったか、食べ物か何かを吐き出そうとしたと考えるのが普通です」
と、一気に持論を展開した。確かに、そうかもしれない。
「まあ、最後のはあくまでもわたしの想像の話なので、あまり参考にはならないかもですが」
それにしても大した観察力と知識量である。これが本当であれば、男は何者かに殺されたことになる。
「まるで探偵みたいですね」
東堂が感心して言うと、アカネは「ふふふ」と笑って、
「こう見えても、大学ではミステリー同好会に入っていたんですよ」
と、嬉しそうに言った。まるで、夢が叶った子供のようだった。
「今の話を、外の刑事さんたちにもしてきたらどうですか?」
と、東堂は半ば冗談交じりに言ったが、
「そうですね。そうしましょう!」
と、アカネはウキウキで外にいた刑事たちに、今した話を伝えに言った。
アカネの話を聞いた刑事たちの反応は様々だった。北村はわりと真面目に聞いていたが、中崎は素人の想像だというふうに真剣に受け止めていない様子だった。
アカネは少々不満そうな顔で休憩室に帰ってきた。中崎の態度が気にくわなかったのだろう。
「わたしの推理では、これは立派な殺人事件なんですけどねぇ。なかなか推理小説のようにはいきませんね」
「仕方ないですよ。五十嵐さんは一般人ですから、警察が話を真に受けないのは当然です。ただ、警察側も収穫が無かった訳ではないと思いますよ」
東堂はそうフォローしたが、アカネの機嫌は治らなかった。
「あとは警察に任せましょう。きっとすぐ解決してくれますよ」
「いや、この事件、わたしたちで先に解決しちゃいましょう」
「私の話、聞いてました?」
東堂は呆れた表情をしたが、アカネは気にも留めない様子だった。
「しかも、まだ殺人事件と決まった訳じゃないですよ」
「いや、これは殺人事件に間違いないんです。だから、それをわたしたちで証明するんです!」
アカネは語気を強めてそう言った。興奮しているのか、双眸が大きく開かれていた。
「待ってください。私は協力するなんて言ってませんよ」
東堂が慌てて言うと、アカネは不思議そうな顔をした。
「どうしてですか」
「私は取材が終わったら、東京に帰ります。まだ仕事も残っていますし」
「じゃあ、これも取材の一環ということにしましょう。そうすれば、記事も書けるしわたしも助かります」
おいおい、勝手なことを言わないでくれ。東堂は困惑して、眉間に皺を寄せた。
「協力してくれないなら、わたしも残りの取材に協力しません」
「そんな勝手な……」
「いいんですかぁ、記事が書けなくて困るのは東堂さんですよ?」
アカネが意地悪な笑みを浮かべる。断ればきっと、アカネは言葉どおり取材に協力してくれなくなるだろう。東堂は逡巡したが、良い答えは1つしか思いつかなかった。
「分かりましたよ、協力しますよ」
東堂は諦めた。もう、どうにでもなれ。
「ありがとうございます。必ず解決しましょう」
アカネは笑顔で、東堂の手を握った。
「それでは、さっそく捜査を始めましょうか。まずは、警察内部から捜査情報を聞き出しましょう」
アカネはさらっと、とんでもないことを言った。
「冗談ですよね?」
「実は知り合いの刑事に、先ほどと同じことをメールで送っておいたんです」
東堂はバスターミナルにあるきっぷ売り場の事務室で、アカネがスマホで何やら文章を打ち込んでいたのを思い出した。あの時か。東堂は納得した。
「おそらく夜には情報が手に入ると思います」
「じゃあ、それまで私たちは何をするんですか」
「今のところ、わたしたちは待つしかないですね」
アカネの言葉を聞いて、東堂はため息を吐いた。時間は無限ではない。取材が遅れれば当然、原稿の完成も遅れることになる。
「とりあえず、夜に備えて仮眠を取りましょう。明日はわたし、お休みなので夜から捜査しようと思います」
「それはいいんですが、私はどこで寝ましょうかね。仮眠室をずっと使わせてもらう訳にはいかないですし」
「それでしたら、わたしの部屋で寝ます?」
想定外の回答だった。女性の部屋に上がるのは少々躊躇う。しかし、ホテル等に泊まれば費用が嵩むし、捜査がいつ終わるかもわからない。
「では、お言葉に甘えて」
東堂がそう言うと、アカネは立ち上がって東堂の手を引いた。