3日目 (6月12日 11:00〜
八重を寝かしつけると、協力してある程度の後始末を行なった。
相沢の遺体を須山、長谷川と協力してフリーザーに移した。
大寺は事件から3時間後には目を覚まし、垣野と共に再度状況の把握に努めた。
多田の死体はバラバラで、それをペーパーシュレッダー用のビニール袋に纏めた。細かい肉片は全てを拾い集めるのは難しかったが、炭化している為腐ることもないと判断し、放置した。
後に垣野が今後について連絡するという。それまではすることもなくなった。
部屋に戻ろうとすると、須山の部屋の前に八代が立っていた。
顔色が良くない。
「…………手伝えなくて悪い」
「死体に吐かれても仕方ないからな。休んでいればいいだろう」
「………………聞いて欲しいことがあるんだけど、いい?」
俺と須山の顔を交互に見る八代。
いつになく真剣な態度に須山と顔を見合わせた。
「…………部屋………………入る……?」
「そっちの方がいいかな」
八代が言うので三人して須山の部屋に入った。
部屋に入ると八代はソファーに掛けた。
須山はベッドに腰掛け、俺はドア付近にたったままで八代を見た。
八代は俯いたまま暫く黙り込んでいたが、少しして口を開く
「僕の母親の実家は割と裕福だった」
唐突の自慢。脈絡の無い話だとは思ったが黙って聞く。
八代はぼんやりと正面の壁を見つめていた。
「母親は典型的な箱入り娘で、弱い所のある人で、大学時代に顔のいい男に恋心を抱いた。それが僕の父だ」
八代の口調は穏やかだった。
その雰囲気になんとなく押され、俺も須山も口を挟むことができない。
いや……穏やかなのではない。病的に無感情だった。
彼の目は壁などまるで見ていないのだろう。
きっと過去のことを回想しているのだ。
「母親は大学時代に妊娠した。父は子供を下ろさせようとした。でも、母と母方の祖父母は、生むことを主張した。でも現実問題父は学生で、家族を養える状況でもなかった。祖父母は援助を条件に籍を入れさせた。なんだかんだお互い好意はあったし、それは飲まれた。母は大学を中退し、父は数年後の就職を目指す。でもその援助が、父にとっては多額すぎたんだ」
八代は顔を伏せ、踵でカーペットの毛足を逆立てていた。
彼の感情を伺い知る事はできなかった。
「父は結局真剣に就活はしなくて、働くことはなかった。………いつも酒浸りだった。それはお腹の子………僕が育っても変わらなかった。あいつはダメな奴だった。それは自分でも分かってたみたいで、ストレスを僕と母にぶつけた。ドメスティックバイオレンスなんてかっこいい呼び方するけど……あんな言葉でくくってみたって何も変わりはしないんだ。母親は両親にも警察にも相談しなかった。弱い人なんだ。ある時あいつは僕に花瓶を投げつけた。僕が13歳、中学2年の時かな。頭から血を流した僕を見て、とうとう母親が切れた。後ろからゴルフクラブで殴りつけた。でもあいつ死ななくて、目を真っ赤にさせながら母親の首を絞め始めた。………それで僕………僕は………」
八代は震えだし、口を押さえる。
必死に吐かないようこらえていた。
「それでお前は台所へ行き包丁を握った。それで父親を刺したんだろう?」
予測を口に出すと八代はピタリと震えを止めた。
「………どうしてわかったんだ?」
「お前はかたくなに厨房へ入ることを拒んでいたからな。厨房だとかキッチン、或いはそこにあるものでどうしても見たくないものがあるのかと考えた。今の話から推測してお前が無事にその状況から逃れるには助けが入るか自力でどうにかするしかない。今の言い淀み方だと、自力でどうにかした上でそれがトラウマになったのだと判断した」
八代は黙って頷いた。
「この前から思ってたけどさ、お前名探偵みたいだよな」
八代は弱々しく笑った。
「結局母親は気絶して、あいつは死んだ。僕だけが立ってた。それでどうしたと思う?」
「………母親に包丁握らせて、警察に通報した……」
「そんな酷いことするか!須山お前失礼だな!………………僕は返り血が付かないように包丁を抜いて、近所の人が呼んだ警察が家の前に着いた所で自分に刺したんだ」
「やるな」
「………なんかお前らに話すと大した話じゃ無く感じるのが不思議だわ………。結局強盗ってことになったよ」
「ついていたな。まあバレていても正当防衛にはなっただろうが。これからはレッドラム八代と名乗ったらどうだ?」
「レッドラム?」
「知らないのか。スティーブン・キング原作、スタンリー・キューブリック監督の映画ザ・シャイニングは知っているか?」
「いや」
「レッドラムの綴りはREDRUM。逆から読むと?」
「MURDER………マーダー…………おい!酷すぎだろ!」
「気にするな。俺はレッドラムの知り合いは多いんだ。八代は一人しか殺してないんだろう?」
「1人しか、って……」
「まあその1人が実父っていうのはプレミア物だが」
「もうなんも言わない」
「……お母さん…守ったなら……すごいじゃん…」
「…そうかな…?」
「面白い話だった。SNSに書き込むか」
「やめろおっ!」
見ると八代は少しだけスッキリした顔をしていた。
因みに映画版ザ・シャイニングで輝いているのはジャック・ニコルソンの演技だけである。
八代は恐らく、殺人者である自分に多大なコンプレックスを抱いていたのだろう。
精神を止むほどの。
この事件で彼は死体を見ると嘔吐するようになったのだろう。
「………俺も、小さい頃………虐待、されてた。何をしても、殴られて、蹴られて………。きっと俺は何も、しちゃダメなんだ………そう思ってた。……………今では、絶縁してるけど………」
須山の言葉でなんとなく彼を理解する。
須山は自分から人に関わることが少ない。
どこかに幼少の頃一番身近だった人間に否定され続けたことのトラウマが残っているのではないか。そんな風に思える。
「そして八重も、6歳にして目の前で父を失ったわけか。でもあの子は俺たちの様にはならない。させない」
「俺たち?」
八代が俺の言葉じりを捉える。
「俺たちってことは武藤も何かあるのか?」
勿論、ある。だが言えない。
彼らはトラウマは残っても、解決はしているのだ。
俺は何も解決していない。
他人に話せるような状態ではない。
「………まあ、な。すまんが人に話せるほど整理できていない」
「いい…………話したくないことなら………」
「悪いな」
自分にさらけ出して来てくれた者に自分は話せない………
他人を信用しない自分ではあっても、多少の罪悪感は覚えてしまう。
こんな感情を抱くなど、俺らしくもない。
ここに来てから少し変だ。
「それにしても……大変なことになったね………。職員が二人も死ぬなんてさ」
「………うん」
「恐らくはこれからもっとややこしい事態になるはずだ。今日の騒動で皆疑心暗鬼になるはずだ。くれぐれも、合田に目を付けられる様な事はするなよ?」
部屋を余り出ない様確認してから自室に戻った。
相変わらず八重は眠っていた。
時折鼻をすする八重。夢の中で泣いているのかもしれない。
俺にはどうすることもできない。
彼女の安全を守れても、心の支えにはなれない。
きっと眠ることで心の傷を癒しているのだろう。
電気を消すとパソコンを開いた。
カメラの記録を参照していく。
数分前からエリア1のラウンジで草野と合田が話していた。
何故草野がエリア1に?無理やり連れてこられたというわけでもなさそうだ。
酸素ボンベの爆発後に現れなかった二人ではあるが、事情は知らされているはずだ。
とすると草野は………そうか。
彼女の事を理解する。
草野は1日目の事件の後、真っ先に相沢に声をかけていた。
そして今は合田。
恐らく、草野は強い者の下につくことで自分の身の安全を守ろうとしているのだろう。
生物として当然の本能ではあるが……流石に露骨すぎる。
自分の所では無く他所に行くのであれば好きにすればいい。俺には関係ない。
合田に女が一人つくことで情緒が安定するならそれもいい。
映像の中で草野は魅力的な笑を浮かべ、合田はさも愉快そうにニヤけている。
俺には草野の下心が分かったが、それでも演技には見えない笑みだ。
やはり俺には女の内心を表情から把握する能力はない。
(ならば近づけなければいいだけか)
草野は異性から見れば魅力的なのだろう。
顔も体も。
映像を見続けていると二人の下に大寺がやってくる。
何かを話し、エリア1の各部屋をノックして部屋の主をラウンジに集めている。
(何かの連絡か?……面倒だな。このタイミングで………何が起こってもしらんぞ)
やがて離れた所からノックの音が聞こえてくる。
須山、八代と呼び出しているようだ。
そして俺の部屋もノックされる。
返事をするか悩むが、話を聞いておく必要性も感じる。
仕方がない。
「はい?」
「大寺だ。エリア1に集まってくれ」
ドアを開ける前にそれだけ言うとさっさと立ち去ってしまう。
行くべきなのか。
手帳をちぎると八重宛に『へやでまっててね』と書いてガラステーブルに置いた。
廊下に出てロックを掛けていると須山と八代も出てきた。
エリア1に向かうと沼木、久方、垣野以外は集まっていた。
そういえば1日目以降沼木の姿を見ていない。
ホールのドアに寄りかかった大寺を半円に囲むと大寺はそのままの姿勢で口を開いた。
もし俺が彼の立場ならそんな姿勢で話などしない。
「ま、全員知ってると思うが、さっき多田が酸素を独り占めしようとして爆発しやがった。それで相沢さんも死んだ。このままじゃ酸素がもたねぇ」
その時、頭上で何かが軋む鈍い音が響き渡った。
その音が心を不安に軋ませる。
軋み、潰されない無いよう心を強く保つ。
「………プレートが押してきてんなぁ……」
つぶやく大寺
俺ならその言葉も吐かない。
一同は戦々恐々として天井を見上げた。
いつ崩れるかもわからない地中の空間
生徒にかかるストレスは尋常ではないだろう。
「わりぃが酸素消費を抑えなきゃなんねえ。消費量を抑えっからこっちの指示に従え。まず、こっちで施設の90パーの電源を落とす。実は大型の水の電気分解装置があってな、これに使える電力を全て回して酸素を発生させることにした。食料が腐るとあれだからフリーザーは生かしておくが、他は非常灯だけだ」
大寺はラウンジの足元付近に取り付けられている緑の非常灯を指す
電気分解装置なんてものがあったとは。だがそれでも数ヶ月は持たないだろうな。
「そういうことだから、食いもんは非常食でも食ってろ」
この言い方はまずい。俺ですら苛立つのだ。他の生徒はどう思っているのか……
「あ、あの………さ、酸素は、このままだと、ど、ど、どのくらいでなくなるんですか……?」
おどおどと尋ねる狭川。
彼の顔は青いを通り越して白い。
気の弱い彼にしてみれば自分を取り囲む状況は知っておきたいところだろう。
「今のままだと、3日は持たねえよ。電気分解して………そうだな、数週間ってとこだな」
俺にとっては絶望的な答えだった。
狭川はどう捉えたのだろう?
数週間では間違いなく脱出できないのだ。
「もう大人は俺と垣野しかいねぇ。だから、くれぐれもルールを破んなよ」
その言葉が引き金だった。
それは予想できていたことだった。
職員達への不信、疑心暗鬼。
多田のように自分が助かるために他人に危害を加える者は必ずまた現れる。
草野が1日目から取ってきた他人に対する対応は至極正しい。
こんな状況下では有効な手立てだ。
長いものにはまかれろと言うが、人の顔色を見て行動する事が悪いことだとは俺は思わない。
自分が助かりたいのなら。
合田が切れた。
その切れ方はちゃちなチンピラなど目ではない程の迫力であり、その結果による素早さは誰かが止めたり口を出す暇など一切ないものだった。
大寺の最後の言葉が終わった瞬間合田が爆ぜ、体重の篭った右のストレートを大寺に決めた。
大寺はホールのドアに頭を強くぶつける。鼻からは血が出ている。
「テメェら職員が勝手にボンベ爆発させたんやろ!俺に命令すんな!指図すんな!テメェらで勝手に落とし前つけんかい!」
ドスの効いた声で大寺を罵倒する合田。
対して大寺は顔をしかめながら鼻血を拭う。
「少しは頭使え馬ぁ鹿。それでどうにかできんならとっくにやってんだカス」
大寺の言葉が終わった瞬間再度合田の手が出た。
強烈なアッパーカットが大寺の顎に突き刺さった。
その威力に大寺の体が一瞬浮き上がったように錯覚する。
ついでボディーブロー。
臓器を抉り出すような一撃が刺さる。
そして顎に左フックが当たる。
攻撃を為すすべ無く食らった大寺は顎と腹を抑え、体をくの字に折って悶絶した。
誰も止める者はいなかった。
明確な形となった暴力と悪意に呆然とし動けないのか、或いは大寺に大して思うことがあったのかは分からない。
俺の中にも確かに後者の感情が存在している。
それに態々止めに入って合田に目を付けられるのも馬鹿げている。
止めに入るかに思われた長谷川も唖然とした表情で二人を見つめていた。
久方がいれば止めに入ったのかもしれなかったが、今はいない。
先に嘔吐していたが、まだ体調が優れないのだろう。
合田は大寺の頭髪を掴むとメンチを切りながら話す。
「二度と、俺に、指図すんな!」
恫喝してから再度殴りつけようとした合田だったが、素早く大寺の右手が動いた。
咄嗟に合田は躱そうとして顔を引く。
だが、避けきれなかったのか血が散った。
振り切った大寺の右手にはメスが握られていた。
医務室にあった物だろうか?
銀色に輝く刃先の先端には毒々しい赤い血液がこびり付き、点々と滴り落ち、ラウンジの赤い絨毯と同化している。合田の顔右半分は血に塗れていた。
こめかみから左目を通り鼻梁にかけてザックリと切り裂かれていた。
大寺は再度、止めを刺そうと掌を返して斬りつける。
だが刃が届く前に顔の中心に強烈なストレートパンチが突き立った。
ミシリと骨が軋む音すら聞こえる強烈なストレートだ。
ナイフは大寺の手から離れ、狭川の足元でポスンという拍子抜けする軽い音を立てて落下した。
「ひっ」
血塗れた刃を見て狭川は後ずさった。
合田は続けざまに大寺を殴った。
手を翳して抵抗しても手の合間を縫って殴り、倒れ込んでも殴り続けた。
何度も何度も。
大寺は丸まって身を守るが、後頭部を殴られる。
合田は荒々しく息を吐きながら、唸り、言葉にならない叫びを上げて殴り続けた。
気迫に押されたのか、誰一人として動くものはない。
やがて、大寺は鼾をかきはじめ、直ぐにそれも止まった。
合田は、大寺を殴り殺したのだ。
拳は鮮血に染まり、顔も血塗れている。
漸く立ち上がった合田は激しく肩を上下させ、残った右目で学生達を睥睨した。
「今後、俺に逆らってみろ。こいつと同じにするで」
誰も何も言わなかった。
「俺の命令やったら何でも聞けぇ!俺が死ね言うたら死ね!犯らせろ言うたら犯らせろ!分かったら返事せぇへんかボケども!!」
エスタブリッシュな言動だ。
この男に自分の能力で勝てるか考える。
奴は強い。
体格が良く、筋肉で覆われた肉体。
パンチはスピードがあり、パワーもある。
左目は失っているが体力もあるだろう。
やりあうなら殺すつもりで行かなければこっちがやられる。
だが、そんな殺気を出して合田を殺せば、今度は俺が周囲に疎まれる。
右目で長谷川をねめつけ、にたりと嗤う合田。
(……まあ、俺は長谷川とは違い敵対している訳ではない。適度に頭を下げて餌でも与えていれば当分は安全だろう)
素早く切り替えてどうやってうまく付き合うか思案する。
誰もが合田に従う。
そう思っていた時だった。
狭川が足元のメスを拾い上げた。
合田は長谷川を見ており、正反対に立っていた狭川の動きには気づかなかった。
「うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
奇声を上げて合田に駆け寄り、勢いのままメスを脇腹に付き込んだ。
ブルーのVネックTシャツにじわじわとシミが広がっていく。
「………てめぇ」
首を曲げて右目で狭川を見た。痛みに顔を顰めている。
狭川はメスを引き抜いた。そしてもう一度、今度は腹に突き込む。
「ぐ……」
ナイフを抜き、合田から後ずさった狭川の表情は恐怖に引きつり歪んでいた。
「……おのれ、何してくれとるん……?」
合田は腹を押さえてヨロヨロと狭川に歩み寄るが、狭川は震える手で再度腹に深く突き入れた。
「ぐああああぁ!?」
悲鳴を上げる合田に狭川は何度もナイフを刺した。
先の大寺と合田のリサイタルのように。
「……ぐっ……ぎ……や、やめ………やめてく………ぐ………」
狭川は何かに取り憑かれたように……
いや、狂気に取り憑かれて体中に返り血を浴びながらナイフを振るい続けていた。
合田が倒れても、助けを求めても振るい続けた。
やがて一刀が心臓に刺さり、合田は動かなくなったが、それでも鈍い音を立てながら死体を破壊していく狭川。
彼の精神は限界だったのだろう。
地下に閉じ込められ、引率教員が死に、空気が持たないと告げられ、生命線の酸素ボンベが爆発し、合田にプレッシャーを与えられ、彼の精神は変調をきたした。
今は微かにすきま風の様な声で笑ってすらいる。
暫く、展開についていけない学生たちは呆然としていた。
突然、八代が蹲り嘔吐を始めた。
それで我に返った長谷川が一心不乱にメスを振るう狭川を背後から絞め落とした。
「………取り敢えず、ここの掃除をしましょう。それから今後の事を相談する。それでいいわね?」
惨劇があった後とは思えない中道のセリフだった。
表情も相変わらず無表情である。
恐らく俺も同じ顔をしているだろう。
「八代、お前は部屋に帰れ。連れて行く。俺はこいつを縛る物でも取ってくる。須山は他の人と協力して死体をフリーザーに運び込んでおいてくれ」
八代を支えて立たせる。
彼はまだえづいていた。
「君!何で君はそんなに冷静でいられるんだ!人が死んだんだぞ!」
ラウンジから出ようとすると、背後から長谷川に怒鳴りつけられた。
なぜ冷静でいたらいけないのか、理解が出来ない。
いちいち死人に気を取られていたら自分が死んでしまう。
「あんたが俺をどう思おうとも構わないが、冷静でいることの何が悪いんだ?」
「いや……だが……」
「他人が死んだところで俺には関係ない。あんたの偽善を俺に押し付けるな」
二の句を告げさせない物言いをして八代を支えながら階段を降りた。
俺が何かをしたわけではないのに悪意を俺に向ける長谷川。
何か意図があったのだろうか?
或いは純粋に俺に対して嫌悪感を持ったのか……
どちらかは俺には分からない。
八代を403に突っ込むと自室に戻り、バッグを漁った。
幸いインシュロックを持っている。
それを取り出すとエリア1に向かい、倒れている狭川の脚を縛り、後ろ手に手首を固定した。
この場に大寺の死体がない。
須山と長谷川もいない事から、二人で運んでいるのだろう。
津崎は久方の為になのか、カーペットを布切れで拭っている。
やがて太西と長谷川が戻ってくると、今度は自分も協力し、合田の体を運ぶことにする。
改めて実感するのは此処に集まっている学生たちの精神の異常さだ。
あれだけの惨事の後に平然と後片付けを出来るというのは不自然極まりない。
ましてや、皆高校生なのだ。
下手をすれば……いや、下手をしなくてもトラウマが出来るレベルの惨事である。
汗をかきながら死体をフリーザーまで運ぶ。
マイナス19度の空間にマグロのように男の死体が4つ並んでいるのは不気味を通り越して現実感が無い。自分の気がおかしくなっているのに気付かず、本当は何もかも狂ってしまっているのでは。そんな錯覚の様な感想を抱いた。
今この施設はまさに地獄だ。
俺たちを閉じ込める地の獄であり、まるで悪行を働いた俺たちに責苦を与えるが如く過酷な環境でもある。
何が起きても可笑しくないとは思っていた。
完全に油断していた。
今日は別状は無かったが、やはり危険を避けるのであればエリア1には行くべきではなかったのだ。
お遊びはお終いだ。
気を引き締めなければ。
ここは地獄、戦場なのだ。
狭川を食糧庫に拘束したまま転がしてエリア1にもう一度向かうと、沼木と死んだ人間以外が全員揃っていた。
血痕も拭い取られ、一見すればこのラウンジで惨劇が起こったとは思えない。
顔色は悪いが八代も久方も復帰している。
「………いい」
須山が窶れた久方を見て短くつぶやいた。
こんな時にこの男は、と思わなくもないが害はない。放って置くことにする。
中道は久方と垣野に事情を話したようだった。
人が揃ったのを見届けると垣野が口を開く。
「大寺さんから何処まで聞きました?」
「節電してブレーカーを落とすってとこまでは聞きました……」
恐怖を堪えるような顔つきで答えた津崎。
持ち前の明るさは消し飛んでしまっている。
「うん、そうね。こうなってしまったけど、それでも私達が生還するためにその方針のままでいきます」
ふと、挙動のおかしい久方が目に留まる。
窶れた顔でギョロギョロと目だけで周囲を伺っている。
「もうすぐにでも消してしまうんですか?」
長谷川が問う。
「いえ、電源を落とす前に色々と必要な物でも揃えておいた方がいいでしょ?」
「確かに……」
納得する長谷川。
一方、久方の様子は本当におかしい。
これでは多田や合田、狭川の様になりかねない。
「ひとつ言っておくけれど」
中道が相変わらずの無表情で周囲を見渡し言葉を発する。
「私は誰のことも信用していない。ルールは守る。でももう誰も私に話しかけないで。近付かないで」
冷たく言い放つ。
気持ちは分かる。
他人は信用できない。
中道の方針は、全てを拒絶することか。
だが俺の方針は異なる。
信用はしない。
それでも近くに他人を置き、利用する。
見せかけの仲間を作り、その中に潜む。
それが俺のやり口だ。
中道の様に全てを拒絶すれば角が立つ。
それは愚かな行為ともいえる。
反面、中道の自分に対する絶対的な自信の現れである。
中道の身体能力は優れている。
スラッと伸びた背筋に、ぶれない重心。
歩きも滑らか。
筋肉がついているようには見えないが明らかに何らかの武道経験があるはずだ。
時折見せる妙にくねった動き
恐らく中国拳法だろう。
中国系の拳法と言えば久方も近い動きをする。
久方は中道よりも気持ち重心が低いようにも感じる。
レスリング程度の重心だが、レスリングの肉のつき方ではない。
空手をやっていると言っていたが、それは事実だろう。
食事の時に拳に拳タコができているのを見た。
しかし重心の取り方がいまいち該当しない。
或いは、極真空手と他の武術……それこそ中国拳法の両方を使えるのではないかと予測できる。
少しだけ、望んでしまう。
同年代の相手と戦ってみたいと思ってしまう。
自分のあらゆる能力を鍛えてきたのだ。
その能力が発揮される機会を欲してしまうと同時に、その機会が来ないことを願う。
「んー、中道さんはともかくとして、狭川はどうするの?」
垣野が今後狭川をどうするか提案をはじめるが、久方は中道を睨みつけていて聞いているかどうかも怪しい。久方の静止をするべき津崎は何かに怯えてしまっていて役に立ちそうにない。
草野は周囲を警戒する栗鼠のように手を口元で組み、おどおどと周囲を伺っている。
須山はぼんやりと久方を見つめ、八代は血色を失った顔で垣野の言葉に耳を傾けている。
最後の長谷川は眉間に皺を寄せて垣野の言葉を聞きつつ視線は久方を追っている。
バラバラだった。
全てがバラバラだ。
協調性など微塵もない。
各自が思い思いの感情を持ってこれから行動していくだろう。
「今は食糧庫に放り込んでありますが」
今の狭川の状態を告げておく。
「そっか。大分いっちゃってたんでしょ?………んー、でも起きたら落ち着いてるか。どうするかは君たちで決めといて」
しかし垣野は適当だ。
どうするもこうするも、俺はあんな危険人物殺してしまった方がいいと考えている。
その意見は採用されないだろうから発言はしないが。
「一ついいですか?」
最後に一つだけ垣野と話しておきたいことがあったのだ。
「なに?」
「俺は施設の爆発犯は二人いると思っています。……そしておそらく、少なくとも一人は生きている」
「根拠は?」
「一昨日職員が此処に配置されてから長らく管理室を空けた職員がいましたか?おそらくいないはずです。長く開ければ後で怪しまれる。つまり、最初の爆発は来訪者の誰かが仕組んだ事のはず。しかし2度目の爆発の犯行はどう考えても固まっていた来訪者には不可能なんです。細かく詰めてはいないのでまだ可能性ですが、その可能性は高いはず」
「………あんた、おかしいんじゃない?」
俺の意見に最初に口を挟んだのは久方だった。
「何がだ?」
「ここはみんなで協力するところでしょうが!どうしてかき乱すことをいうのよ!?」
「何を言っているの?冬至の言ったことは危惧される真実かもしれない可能性。この中に犯人が2人いるかもしれないという可能性を指摘しただけでしょう?忠告ありがとうと感謝こそすれ、罵るのは間違っているんじゃないの?」
「あんた!?」
「大体私からすれば今猛っているあなたも犯人候補よ?もしかしてあなたが犯人だから過剰に反応しているとか?」
「…………………あんた」
ピクリと僅かに眉を動かす久方。
「悪いけど、自分の身を守りたいから私は武装するわよ」
「あんた!!」
瞬間、久方が中道に躍りかかった。
滑らかな足運びで10m程の距離を走ることなく瞬時に詰めると左足を踏み込み、左、右の正拳を放った。
完全に切れている。
「ちょっと!何してるの!」
素早い攻撃を中道は下がることで回避する。
が、直後久方の右後ろ回し蹴りが翻った。
唸りを上げる右足を中道は状態をそらして左手で払い、残った下半身を左足を軸に支え、右足で残った久方の左足を刈った。
久方はいったん宙に浮き、一回転して背から床に落ちた。
受身を取ると直ぐさまその場で倒立し、跳ね起きる。
「あなた達止めなさい!」
垣野の静止は受け入れられず、互いにステップを踏み、間合いを図っている。
接近しようとする中道に、久方は蹴り足を上げて牽制している。
やはり久方は極真空手だ。
一方の中道は組み付こうとすることから柔道か、とも考えたが重心が高い。
予想でしかないが、ショートレンジから上半身を狙いパンチを繰り出すスタイルから、恐らくコマンドサンボである。
二人の激しい打ち合いが始まる。
威力の高い拳打、蹴打の応酬が始まるが有効打はない。
互いに接近し、縦横無尽に殴り、蹴り合ってる。
コマンドサンボも極真空手もバランスのいい格闘技だ。
守ってよし、攻めてよし。
強いていえば威力は極真空手が強く、搦手として一度捕まればサンボからは逃げられない。
敵になる可能性のある相手の戦力分析には丁度いい。
数度激しく打ち合い、離れてを繰り返した後、一度切る。
じっくり見させてもらおう。
次いで動いたのも久方だった。
右足で中段の回し蹴りを放つ。中道はそれを肘で防ぐと鋭利なパンチを顎に放つ。
久方はそれを拳でパリーして打ち落とすとステップで僅かに下がり、逆に前蹴りを放った。
顎に向かう右足を素早く跳ね上げた中道は屈み、素早く潜り込む。
はやい!
左足を抱え込むと持ち上げる。そして首で横に振り、叩きつける。
「ぐっ……」
間違いない。この足を掬う投げ技はサンボの技だ。
そのまま流れるようにアキレス腱を固めようとするがその前に抜け出る久方。
見てとるやいなや中道は宙がえり、自力に遠心力と重力加速を載せたドロップキックを放った。
ギョッとした表情で久方は転がり回避すると立ち上がり、しゃがんで硬直している中道の頭部に回し蹴りを放った。
中道はしゃがんだまま更に体勢を低くし、これを回避。
しかし回避した体勢のまま左手をすらっと伸ばしつつ滑らかに重心を移動させ蹴りが通り過ぎると抑制させていた力を解放し脚をカーペットにすらせるように踏み込み右の貫手を鳩尾に放った。
それを逸らされると左、更に右と同じく貫手。
パン、パン、パンとテンポ良く踏み込んだ足が鳴る。
組付き、引きずり倒す技はサンボの物。
久方の力量がなければ腕や足を取られて固められているだろう。
一方、先程の回避からの流れは中国拳法だ。
力の込め方が美味いため当たれば1、2m飛ばされるだろう。
これだけでは数ある中国拳法のうちのどれかは判別できない。
一度間合いを取った両者は再度ステップを踏み始める。
恐らく、格闘技の相性で勝っているのは久方だろう。
だが運動神経で中道が圧倒していた。
怒り狂ったままでは久方は勝てるかどうか。
次に動いたのも久方であった。
目で追うのがやっとな右の上段前蹴りである。
中道は左腕でガードする。
まともに受ければ中道の細腕など簡単にへし折られそうな威力だ。
それを彼女は巧みに角度をつけて力を受け流していた。
が、久方の膝先が別の生き物の様に動きガードを躱して中道の頭部に当たった。
可変キックの威力は弱まるが、それでも蹈鞴を踏む。
そこに左で前蹴りを突き込んだ。
体勢を落として躱すが左膝を一度抱えるように引いた久方は、右足だけで距離調節をすると即座にもう一度足を上げる。上段からの踵落としはリリースが早かったため中道はよけられない。
腕を上げガードするが、堪えきれずに頭頂に被弾。
「ッ」
中道の僅かな呻き声。
久方は目を血走らせたまま追撃の機会を伺い、バランスを中道が崩している間に構えを取る。
左前に半身を取り、重心を低く落としている。
体の前面で左肘を曲げ、地と水平に。
右は肩から真っ直ぐに地と水平に斜め後方に伸ばし、指先を揃えてクッと上に立てている。
明らかに空手ではない。
そのまま流れるように動き踏み込みながら右の掌を突き出した。
床には毛足は短いとは言え、タイルカーペットが敷かれているのにも関わらず激しい踏み込み音が鳴る。
力の流れを正しく利用した完璧な打技である。
この技もまた中国拳法。やはりどの流派かは判別できない。
中道はこれを体を開いて受け流そうとするが、流しきれずに大きく数歩後退した。
そこに滑らかな足運びで瞬時に詰め寄った久方が正拳突きを放つ。
だが、僅かに深く突きすぎた一撃を見切り、躱すと右手で久方の右腕を掴んだ。
そして体勢を低くして潜り込むと左腿を取り、担ぎ投げた。
サンボの飛行機投げだ。
そのまま素早く首に腕を巻きつけた。
久方は5秒もせずに落ちたが、止めない中道。
殺す気か。だが仕掛けたのは久方だ。自業自得か。
久方は情緒不安定だ。
残せば後々何をしでかすか分からない。
ここで中道が殺してくれるというのならば願ったり叶ったりなのだ。
だから俺は黙って見ている。
しかし当然止める者はいた。
「もうやめて!」
須山が駆け寄って引き剥がそうとするが片手で喉を突かれその場にひっくり返る。
「……武藤!」
咳き込みながら名前を呼ばれる
俺はいいんだがな。
そうは思うが一応組んでいる須山に頼まれれば仕方がないか。
「そのへんにしておけ」
「何故。先に仕掛けてきたのはこのビッチよ」
まあ、そうなのだが
腕を掴む。
「気持ちは痛いほどわかる。俺が律子でも同じようにするが、こんな下らない事で人を殺してもつまらないぞ」
「嫌よ」
二の句を告げさせない勢いで否定される
仕方がないか。
締め上げている腕の強く握る
細い腕なので力を込めやすい。
絞め殺そうと無表情に力を加えていた律子だったが、俺が腕を握り始めてから表情を変える。
「う………ッ……」
「離せ。握り潰すぞ」
実際にはそんな芸当は出来ない。
親指でツボを押し、力を奪っているに過ぎない。
「…………」
顔を歪め、漸く手を離す中道。
直ぐさま久方の下に須山が駆け寄った。
「しかし、キャットファイトなんて初めて見た。なかなかだったな」
「………武藤、それ違うでしょ。こんなのキャットファイトじゃない。これ、プロの犯行だから」
呆れたように八代が突っ込む。
「女と女が戦うのがキャットファイトじゃないのか?」
「どうみても今の殺し合いだったでしょ」
「殺し合いも戦いだろう?」
もうダメだとばかりにため息をつかれた。
久方と中道。俺が戦う事になったらどう戦うか。
久方の長リーチ高威力の蹴りを如何にして躱すか。
中道の素早い動きからの投げ技締め技にどのように対抗するか。
じっくり考えて対策を練っておく必要があるだろう。
落ち着いた中道の腕から手を離し、彼女の耳元に顔を寄せた。
「………あんまり遣りすぎるとお前が狙われるぞ」
小声で伝えると眉を顰める。
「とにかく、私は誰も信用しない。さっきも言ったように武装する。私に話しかける時は死ぬ覚悟をして」
全員に告げるとラウンジから出て行った。
頃合か。
久方の咳き込みながら目を覚ましている。顔にチアノーゼが浮いていた。
「悪いが、俺もお友達ごっこをするつもりはない。八代と須山はどうする?」
残った面々に背を向けた。
「はいはい、お供しますよ」
すぐについてくる八代に対し、須山は久方を見て少し逡巡した。
「……………いく」
脳内でどのような計算が成されたかは分からなかったが、天秤は俺へ傾いたようだ。
帰り際、エリア3に立ち寄る。
エリア3の管理室前には1本の避難用斧が設置されていた。
これには予め目を付けていた。
クリアカバーを肘で叩き割ると中から80cm程の斧を取り出した。
取っ手は赤く、軽量だが丈夫そうな合金製。先端は文庫本サイズの刃先が鈍く黒光りしている。
「そんな物なんに使うんだよ」
「勿論自衛だが」
「聞いた僕が馬鹿だったよ」
欲しいものを手に入れるとエリア4に戻り、3人を引き連れて自室に向かった。
部屋に帰ってくると電気を付ける。八重はまだ昏昏と眠り続けている。
「なあ、爆発犯ってさ、あの沼木ってグラサンが怪しくないか?」
確かに状況だけ見れば沼木は怪しい。
「いや、怪しいのは確かだがあいつは爆発犯ではない」
「なんでわかるんだ?」
「見ろ」
パソコンを開きモニターを見せる。
モニターにはカメラの映像が映っている。
「これは爆発前の映像だ。右端の時刻が正常に映っている。沼木は俺たちが到着する2時間程前に到着しているが、監視カメラを見ていれば爆発が起こるまで部屋から一歩も出ていないことがわかる。改竄した痕跡も見当たらなかった」
話を聞きつつ八代が首を傾げる。
「本当に改竄していないの?もしかしたら気付かれないような改竄かもしれないじゃないか」
いや、と否定する。
「俺が監視室を制圧したのが6月10日PM20:52分。この時確かに監視室のロックは掛かっていた。そのカードキーは第二の爆発時に俺が奪取するまで監視室にあった。話は変わるが、監視室のコンピューターと電波の送受信をできるのは俺の部屋と階下の倉庫3だけだ。倉庫3のカードキーも俺が奪取している」
「だから?」
「前提として、カメラの映像でデータ改竄されたものは一様のウイルスを使われている。指定した区間の映像データを自動で破棄するというものだ。犯人は2人いるとは言ったが、データ改竄の手口は1つ。エリア6にはその手口の改竄はなされていない。仮に沼木が単独犯で、先のウイルスを使わずに犯行に及んだのだとしたら、沼木は人知れず爆発物を仕掛け、カードキーを盗み、映像を弄り、そしてその後カードキーを戻すことになる。この地点で無理難題だが、では戻るときにどうやってエリア6の監視カメラに写った映像を消す?まだ存在していなかったデータにウイルスは送れないし、偽の異変のない映像を記録させたとしても人の出入りが映らなくなるのは不自然だ」
「なる程……」
八代は納得したような返事をしたが、恐らく分かっていないだろう。
俺が明確な根拠に基いて沼木が犯人では無いとジャッジしていると理解したのだろう。
「ま、カードキーを盗みに入るのがまず無理だ。18時に集合した時しか管理室が空になるタイミングはない。その後すぐに爆発が起きたから盗みに入れても返すことは出来ない」
「…………じゃあ。武藤はどうして盗めた………?」
「俺が侵入したときも多田がいたが、衝撃でメガネを落として探していた」
「べんぞうさんかよ!」
べんぞうさんとは八代もよくそんな古い作品のことを知っているものだ。
その作品をリアルタイムで放映されていた世代で生きている人間はもういないだろうに。
「でもそうしたら誰が犯人なんだ?まさか学生じゃあるまいし」
八代に須山と俺が同時に首を横に振る。
「………多分、外と内の、共犯」
「だろうな。職員と学生だろう」
「どうして言い切れるんだ?」
「………こないだも……言ってたけど、外来じゃないと犯行ができない………しかも、沼木はちがう……松井先生も……無理がある……」
「爆弾を仕掛けるには2000メートルの非常階段を昇り降りして爆発物を仕掛けなければならないからな。1段20センチとして100段。数字だけなら5分も掛からないだろうが、実際は体力もあるし、爆発物を仕掛ける時間もある。1時間は見た方がいいだろう。犯行時刻は消されたデータから4時から5時までの1時間だろう」
「………4時半頃、先生、ラウンジ2で見た」
「僕も4時頃そういや見たわ」
そう。確かに松井にはアリバイがあった。
監視カメラでそれは確認している。俺自身が松井と403号室前で遭遇したのは17:30過ぎ。アリバイを証明できる時間帯ではない。だが、爆発物を各所に仕掛け回り、2000メートルの非常階段を上り下りした後の様子とは到底思えなかった。
汗もかいていなければ、服も着替えていない。頭髪から入浴した様子もなかった。
「………エレベーターのブレーカーを落とすのは、学生には無理。先生も死んでた………だから、職員しかない」
「沼木も部屋を出た痕跡はない」
確定事項を纏めると、一次爆発が学生の誰かによるもの。二次爆発が職員の誰かによる犯行ということになる。
だが一つだけ謎が残る。
ゲート施設の爆発についてだ。
監視カメラのデータを見る限り、爆発物がいつ仕掛けられたのか全く分からない点だ。
「それじゃあさ、管理室内の爆発はタイミングを合わせて職員がやったってことか?」
「だろうな」
「じゃあさ、職員も大分死んだし、犯人は残り一人ってことかな?ひょっとしたら合田が犯人でもうゼロかも?」
「早とちりはするなよ。後でアリバイの検証はしてみるが、垣野の可能性は今の段階では残っている。怪しい行動を取らない様に気をつけているのかもしれん」
それに、と一旦言葉を切る。
「生徒は未だ1人しか死んでいない。合田の可能性は言動から低いと見ている。狭川も同じ理由で可能性は低い。その可能性の話を抜きにしても、俺も含めて学生側の犯人が無事でいる確率は10人中の8人だから80パーセントということになる」
「おい!ちょっパオっ」
八代の顔がパキュっという音と共に跳ね上がる。
俺の全力デコピンである。
「声を荒げるな。八重が起きるだろうが」
「……………」
「……………」
押し黙りねっとりした視線を向ける二人。
「同年代の女の子に興味も無い……その割に八重ちゃんには……否定するほうが難しいと思うんだけど」
「そう言われてもな。打算がないのは幼い子供ぐらいだ」
「……………とにかく……僕は違うからな」
拗ねたようにいう。
これが世に言うツンデレというやつか。
気持ち悪いだけだが。
「1つ言っておく。俺はお前たちと一緒に行動はしているが信用しているわけではない。端的に言えば八代の悪目立ちするキャラクターを隠れ蓑にして、須山のパソコン能力を利用しているだけだ。俺から裏切ることはないが、裏切りの可能性は常に考慮している」
いい機会なので本音を話しておいた。
これを聞いて離れていくのならそれでいい。
後で目論見がバレた時に予期しないタイミングで牙を剥かれるより遥かにいいとの判断である。
だが、次の八代の言葉に俺は戦慄することになる。
「………それが武藤のトラウマなんだな」
「!!?」
全身総毛立った。
肩がひくりと痙攣した。
考えていること全てを見透かされている感覚。
知らず指の甘皮を食いちぎって僅かに出血する。
小さい頃からのストレス時に取る癖だ。
「俺はこれでも須山と武藤のこと信じてる。……裏切ることなんてない」
須山もうなづく
だがそれでも俺は
「口ではなんとでも言える」
そう言った。
俺は誰も信用できない。
しないのではない。できないのだ。
八代の言うとおりだった。
俺はトラウマで他人を一切信用できなくなった。
相手がどんなに善良で、自分に好意を持ち、自分の為を思っていても。それが脳では理解できても、決して信じることができない。
「なんか、武藤と中道さんって似てるよな」
恐らく、傍から見るとそうなのだろう。
しかし張本人としてみれば異差がある。
根本が例え同じだったとしても、出来上がったものは似たような別物。
DNAが数%異なるだけでチンパンジーとゴリラの様に異差が出る。
そんなようなものだ。
そしてチンパンジーとゴリラは交配出来ない。
「僕は武藤がそう思ってても気にしない。取り敢えずここから出るまではよろしくってことで」
八代は高慢そうな表情で笑った。
態とそうしたのだろう。
その後は此れといった会話もなく解散した。
腹が減ってきたので1日目に確保していたブロック状の携帯食料を二箱食べる。
八重は寝息を立てている。
当分起きる様子は無かった。
PMの1時になるとパソコンを開いた。監査室の主装置には無停電装置が搭載されていなかった。ブレーカーが落ちれば監視カメラのデータ更新ができなくなる。
パソコンも充電できなくなるので今のうちしかない。
まずは垣野の行動を洗ってみる。
彼女の部屋は603
09:31分に施設に到着した垣野は不自然な行動を取ることなく制御施設に入っている。5分後には603に入室。
そして09:55に603を出て、手ぶらで管理室に直行している。
12:20、垣野が管理室を出て15分程で戻る。
この間何をしていたのか訝しみ、同時刻のデータを漁ると、一度ゲート施設まで上がり、沼木を出迎えていたことが分かった。
沼木へ金属探知機によるボディーチェックもしている。
荷物と同様。
怪しい挙動は無い。
その後垣野はもう一度管理室を出る。
時刻は14:20。
5分後に垣野は俺たちと合流している。
沼木や俺たちと合流した際も垣野は不審な動きを取っていない。
案内後は管理室に入り、18:27に漸くエリア5に向かっている。
肝心なのはここから。
垣野はラウンジ2で爆発後に生徒達の沈静化と八重を相沢に預けられている。
カメラの角度から映り込んでいないものがいるため誰が松井の部屋に侵入したかは判然としない。
俺が候補に上げた長谷川、中道、八代はいずれも映り込んでいないことからそちらは把握できない。
確かに言えることは、間違いなく垣野はずっと映っているということだ。
職員側の犯人がしたことは、管理室内に爆発物を仕掛けること、監視室のコンピュータにウイルスを送り、4時から5時の幾つかの映像データの部分消去と管理室内とエリア2の映像データを完全消去すること。最後に1度目の爆発直後にエリア2のエレベーターのブレーカーを落とし、その後隙を伺って爆発物を仕掛け、タイミングを見計らって爆破である。
間違いない。
間違いなく垣野にブレーカー落としは不可能。エリア5から出ていないのは俺の肉眼でも確認済みである。
以上を持って垣野の犯人説は完全に除外出来る。
次に俺は残った職員の動きを調べる。
始めの爆発前後から確認し始める。
使うのはエリア3管理室前の映像だ。管理室内のデータは完全に消去されているので利用できない。
18:30分の一時爆発が起きる。
集合の放送が入ったのが18:26
放送を入れたのは相沢である。
映像によると18:20に多田が管理室から出てきている。
そして18:26に相沢が、18:27に垣野が出てきている。
最後に出てきたのは大寺
そういえばラウンジに最後に入ってきたのは大寺だったことを思い出す。
そして18:42に走って相沢がやってくる。続き大寺、多田。
3分後に相沢、多田、大寺の順で再度管理室から出てくる。
最後にエリア1の映像。
非常階段前に到着した順は相沢、多田そして遅れること約1分で大寺である。
もし職員どうしがグルでなければ、管理室に爆発物を設置するのは困難である。
非常階段、エリア2の監視カメラ、その他重要機材には学生側の犯人が仕掛けなければならない。
しかし、管理室だけは職員が詰めているので学生は不可能。
カメラも侵入者などを映していない。
ならば必然、職員が管理室に爆弾を仕掛けたことになる。
爆発時刻を設定しておけば目立つ監視カメラ以外の設置は容易だろう。
だが、監視カメラは違う。
犯人は事前にスーパーコンピューターやその他の機材下などに時限爆弾を設置。
何くわぬ顔をし職務中に幾つかの監視カメラの映像データにウイルスを送りつけ、人がいなくなった管理室で最後に監視カメラに爆発物を取り付ける。
予めセットしておけば取り付けには1分も掛かるまい。
つまり、1分でも一人で管理室にいたものが職員側の犯人である。
大寺駿。
彼しかいない。
彼は爆発後、非常階段の様子を走って見に行くのが僅かに遅れている。
この間にカードキーを奪った。
同時に非常階段前に着くのは1分遅れている。
エリア2でエレベーターブレーカーを落としてから向かったからだろう。
では何故予めエレベーターを破壊しておかなかったのか。
これは予測になる。
大寺が死亡した以上確認は取れないが、本来の計画ではエレベーターも18:30に破壊する予定だったのだろう。
だが学生側の犯人のミスで、エレベーターが破壊されていないことを大寺は駆け戻った監視室で知った。
チャンスは少ない。爆弾を自室まで取りに戻れば誰かに目撃される可能性も高まる。
だからはじめにブレーカーを落としておき、後々隙を伺って爆発させた。
これが俺の予測。予測とはいえほぼほぼ真実であろうと見ている。
しかし分からないことは残っている。
学生側の犯人が何故エレベータを爆発させなかったのか。
松井は何時の間に管理室に侵入したのか。
松井が侵入したであろう時間帯に映像の乱れはない。
18:45に職員が非常階段に向かってから、18:56に一旦停電により映像が途切れる。再び稼働したのが18:59。多田と大寺が二人で管理室に戻ってくるのが19:01
この2分間にも乱れはない。
当初俺は、松井が剥き出しの電源幹線ケーブルと接触したから停電が起きたのだと考えていた。
しかしどうも違うようである。
停電期間中に松井は侵入した。
停電理由は不明。松井が落としたか、ほかの誰かか。
その隙に侵入、しかしブレーカーを大寺と多田で上げたことによりその時被覆の剥けたケーブルと触れていた松井は死亡。
そういうことか。
だがやはり死人に口無し。
松井が何故停電中に侵入したかは分からない。
限りなく事故死に近いが何分停電中。故意かもしれない。
松井は爆発物を仕掛けた犯人ではないのはカメラと須山、八代の証言より明らか。
大寺が犯行を目撃されたために消したのかとも考えたが、大寺はブレーカーを上げたあとは相沢か多田と常に一緒にいる。
その先は外れだろう。
態々死んだようにすら見える。自殺志願者か?
こんな地下で、態々?
松井のことを考えても仕方がない。取り敢えず、犯人の一人を殺害した合田には感謝しなければ。
面倒な合田を殺した狭川にも感謝だ。
あの程度の人間たちに持ち合わせる敬意はない。
敬意を捧げるのに相応しいのは相沢の様な人間だ。
自分の子の為に命を張れる人間。
俺の両親のような。
一つ謎が解けた。モニターを見続けるのは疲れる。
ソファーから立ち上がると腰に手を当て、背を反らす。
パキパキと脊椎のリンパ液中の気泡が弾ける音がした。
これは余り体によくない。
弾けた衝撃によって骨が少し欠けてしまう。それはすぐに再生されるのだが、余分に再生するために多少出っ張り、続くことによって隆起し、神経を圧迫するようになるという。
ベッドの八重を覗き見ると汗をかいていた。
寝苦しそうにしている。
1度部屋を出るとフリーザーに向かった。そこで相沢の遺体を漁り、カードキーを発見する。
それを手にエリア4の401に向かい、中で相沢の荷物を纏めると自室へ運んだ。
(こういう時は……)
両親が他界してから暫く、妹は今の八重の様に悪夢に魘されていた。
そんな時は濡れたタオルで体を拭いていた。
きっと妹は気付かなかっただろう。
八重にも同じ様に、絞ったタオルで体の汗をぬぐってあげた。
父親の夢でも見ているのだろうか。
俺には彼女の苦しみを取り除くことはできない。
彼女が自分で乗り切るしかない。
できるのは、体や生活の世話だけだ。
最も、幾ら世話をしたところでこの施設から出られなければ何の意味もないが……
考察をしているうちに時刻は4時を回っていた。
ぼんやりと八重を見つめながら脱出手段を講じる
しかし何のアイデアも浮かばなかった。
ここは地下2000mだ。
早々都合のいい手段などあろうはずもない。
俺は、死ぬのか?
肌に感じる危機感はあれど、差し迫る死に対する現実感を持てなかった。
無事に出られる可能性は低い。
言い換えれば死ぬ可能性は高いということだ。
この子も……こんなに幼くして死ぬのか?そんなことがあっていいのか?
ならばどうする?
酸素が足りたとしても、プレート活動抑制システムは既に大破している。
1月は持たないと言っていた。
俺は生きなければならない。
施設が圧懐したとて、しばらくは生き残れるのではないか?
だがその時は酸素が足りなくなるだろう。電気分解装置も圧懐により破損するはず。
その時は。
やってしまうか。
俺が残った命を刈り取る。
そうなれば酸素の消費量は減らせる。
殺して、殺して、それでも足りないなら、八重を………
そう。殺せばいいのだ。
他の連中も同じことを考えるだろう。
八代には人は殺せない。
須山には自ら殺しを行おうとする機能はない。
久方も何もしていない人間を殺すことはできないはず。
狭川はもう終わりだ。何もさせない。
残った中道、津崎、長谷川はどうだろう?
長谷川は最後まで全員で生き残る手段を探そうとするだろう。
津崎は以外に打たれ弱い。どう転ぶか分からない。
中道は……やる。
あの女は間違いなくやる。
あの女なら自分が生き残るためなら幼女だって殺す。
脇にある斧のひんやりした持ち手を撫でた。
まずはあの女だ。
最初に殺すのは中道だ。
殺される前に殺す。
そこで1つ忘れていたことに気付いた。
(まて!大寺は何故エレベーターを破壊した!?学生の犯人は何故エレベーターを破壊しなかった!?)
全身に鳥肌が立った。
(そうか!そういうことか!)
分かった。何故二度も爆発が起きたのかが。
1つの可能性が急浮上する。
非常階段及びその他機材の破壊と管理室内の爆発は同時に起こった。
きっかり18:30分に起こったのだ。
犯行時刻は予定されていた。だから同時に爆発が起きた。しかし学生の犯人はエレベーターを破壊しなかった。
何故か?それは自分の逃走経路を確保しようとしたためだ。それに気付いた大寺はエレベータを破壊した。
これはどういうことか。
恐らく大寺は計画の全貌を理解していた。
だが、学生側には計画の全てが伝えられていなかったのだ。
この異差。犯人同士は互いに面識は無かったと思われる。
学生側の犯人は侵入先で計画の全貌を知らされることになっていたに違いない。
第一の犯人は脱出経路を必要とした。
(脱出しなければならない犯行だった!だからエレベータを残した!だが大寺は破壊した!脱出しなければならないのに!)
ここから導ける可能性は1つ。
たった1つ
「大寺は、脱出経路を知っていた」
知らずのうちに口に出していた。
その希望的な推理に全身総毛立っていた。
恐らく、犯人にはまず施設に滞在する人間を足止めするという計画があった。
同時に犯人が脱出する計画もあった。
学生の犯人は脱出のためにエレベーターを破壊しなかった。
しかし、大寺はもう一つ、何らかの脱出経路があることを知っていた。
だから残ってしまったエレベーターを破壊したのだ。
犯人は大寺と学生の誰かの二人で間違いないだろう。
三人以上いればもっとスムーズに犯行を行えるはず。
エレベーターの爆破忘れなども起こらなかったに違いない。
(脱出手段がある!犯人は手段を知るためにまだ殺しにはかかってこないだろう。だが、知れば確実に殺しに来る。早くに見つけ出す必要がある)
仮に犯人が銃器を持っていてもこの施設の頑丈なドアなら防ぐことも出来る。
部屋に立て篭もっている限り死ぬことはない……が、脱出もできないか。
その時廊下から微かな足音が聞こえてくる。
足音は段々と近づき、俺の部屋の前で止まった。
急いで八重を抱きかかえ、ベッドと壁の間に横たえると、斧を手にとった。
コツコツとノックされる。返事はしない
「ちょっと。武藤?居るのはわかってるのよ!」
垣野の声だ。
彼女は実行犯ではない。
しかし、俺の命を狙っているかもしれない。
「早く返事をしなさい!怒るわよ!」
怒ればいい。
「武藤!」
うるさい。八重が起きてしまうので仕方ないと判断。
「何の用だ?俺を殺すつもりか?分かっていて開けはしないぞ」
「何馬鹿なこと言ってるの!いいから早く開けなさい!」
「話ならドアを開けなくても出来る」
外からため息が聞こえてきた。
「全く。くだらないこと言ってないでいいから開けなさい」
「開けなければならない理由は?」
「人と話す時は顔を見ながら。小学校の時教わらなかった?」
しつこい。
これは殺るしかないか。
ロックだけ解除し、ドアを開けさせる。
銃器を持っているか?持っているならまず蹴り上げる
斧を上段で構えつついつでも左足が出るようにしておく。
(足音は一つだった……いや、おぶっている可能性も)
ドアが開く
手に武器は……無い。
だが隠し持っているのかもしれない。
斬り殺すか……
「何やってんの!そんなもの仕舞いなさい!」
酒瓶片手に怒鳴られてしまった。
酔っ払いか。
「全く。こんな状況だから仕方ないのかもしれないけど、もうちょっと何とかならないの?……早くそれ下ろして!」
怒られて渋々斧を下ろした。
だが油断はしない。半身でいつでも攻撃を受けてもいいように姿勢は保つ。
「ほんとそういうのどうにかならないわけ?」
「無理です。そこまで要求されるのであれば殺します。話があるのでしたら動かずにお願いします。少しでも怪しい素振りを見せれば殺します」
「………まあ、しょうがないか………。話なんだけど、八重ちゃんってどうなってるの?」
俺の肩越しに部屋を覗く垣野
「動くな!」
斧を瞬時に振り上げる。
「ちょっ、分かった分かった!動かないから落ち着いて!」
「動いたら殺すと言ったはずです」
「分かったから落ち着いて!」
「……………こんな状況です。分かってるんですか?先程殺し合いがあったばかりです。状況判断くらいしてください」
「はぁ……。わかったわよ。それで?八重ちゃんは?」
「ベッドの向こう側に寝かしつけています」
「なんでそんなところに?」
「垣野さんが来たからです。発砲された時当らないよう」
「………あのねえ。銃なんて持ってないわよ」
「口では何とでも言えます」
俺の目を見て本気と悟った垣野はもう一度ため息をついた。
俺は厨二病をこじらせてこんなことをしているわけではない。
自分と八重の命を守るためだ。
自分の命を守るためなら何人だって殺す。
「八重ちゃんは武藤が面倒見るのね?大丈夫なの?」
「妹と二人で暮らしてきたので多少の経験はあります」
緊張感で脇がじっとりと湿ってきたのがわかる。
八重の話は導入に過ぎないだろう。
この後何か面倒な話題が出てくるに違いない。
「もう一つあるんだけど」
予想通りだ。
「狭川をさっき食糧庫に運んだわよね?それで彼の見張りと食糧庫、倉庫4の見張りをして欲しいのよね」
出た。面倒事だ。
「何で俺なんですか?」
「しばらくしたら適当に交代してくれればいいから。それに監視室のカードキーが無くなっちゃってさ。色々やんなきゃいけないこともあるし」
その無くなったカードキーはとやらは今垣野の半径150センチメートル以内に存在している。
俺のポケットに。
お首にも出さないが。
「理由になってませんよ」
「見張りのルールでもなんでも、武藤に任せておけば上手くいくと思ったからよ」
垣野が手に持っていたオールドグランダッド114の瓶を呷った。
よくもまあそんな強い酒をラッパで。
ウイスキーは以前気付けで飲まされた事が一度あるだけだ。本来高校生は飲んではならない。あの時、俺ちには一生ウイスキーは飲めそうに無いと思った物だ。
「はぁ……俺はどちらかと言えば信用できない類の人間だと思うのですが」
「いやいや、私の目は間違ってないよ」
一体何の根拠があるのだろう。
よっぷの話を鵜呑みにするのは間違いか。
「長谷川の方が適役では?久方もいます」
「久方は情緒不安定だし、長谷川は……う~ん……長谷川よりも私は武藤の方が好きなのよね」
「…………」
どうにも逃げられそうに無かった。
ならば、と口を開く。
「頼みたいことがあります。それとの交換条件なら構いません」
「おー。私に出来ることなら」
言ったな。言質は取った。最も垣野の損になるようなことではない。
「詳細は端折りますが、爆発犯の一人が大寺であることが分かりました」
手の持っていた瓶がゴトリと廊下に落ちる。
「ちょっちょっちょっと待って!え?私達爆破されたとか言ってないわよね!?」
「大体の人が気づいてます」
垣野の動きに警戒してピクピクしてしまう。
「爆破犯が大寺さ………大寺?何で分かったの!?」
「面倒なので詳細は。ただ、確実です。共犯者についてはまだ何とも言えませんが」
監視カメラの影像から推察したとは言えない。
垣野は取り落とした角瓶を拾い上げるとキャップを開けて中身を煽り出した。
どうやら一気に酔いが覚めてしまったらしい。
「……………………………オーケー。もういいわ。分かった。それで?頼みって何?」
「恐らくなのですが、大寺がエレベータを破壊した背景には、脱出経路が他にあるからと思われます。ですので、メインコンピュータのデータを全て洗い出して脱出経路の痕跡を探し出して欲しいというのが頼みです」
垣野は目を見開いた。
無事に脱出する算段だ。
断るはずもない。
「……確かに……そうね。職員が知らない脱出経路か………分かった。時間はかかると思うけど必ず探し出す。任せなさい」
「ではお願いします。脱出経路は必ずはある筈です。何らかの資料や痕跡が端末上に残っているかは分かりませんが」
「じゃあ武藤は見張り頼むわよ。3時間くらいしたら変わっちゃっていいから」
そう言って部屋の前から立ち去っていった。
右手で揺れる酒瓶が不安ではあるが。
見張りか。面倒だ。
一旦部屋に戻ると部屋の電気を切って廊下に出た。
エアコンが切れているのか、若干暑苦しい。
空気が澱んでいるかのように感じる。
斧の持ち手を扱きながらエリア5に向かう。
気になっているのは中道だ。
あの女は離別して早々に荷物を纏めてどこかに消え、以来監視カメラには一度も写っていない。
食糧庫を覗いてみると狭川が背を入口に向けて横たわっている。
縛って放り込んだ時と体勢が変わっていない。
まだ気絶しているのだろう。
長谷川は上手く絞め落としていた。
運ぶ時に脈と呼吸の確認をしているので死んではいないだろう。
給湯室に入ると浄水器から水を出して手で受けて飲み干す。
暇つぶしに給湯室の壁を斧で小突いて時間を潰す。
時刻は16時半過ぎ。
ここで3時間を潰し、誰かに変わればいい。
監視カメラではこの位置は把握できない。
仕方がないが見張りをしてくれと頼まれ、交換条件を出した以上役割は果たす。
それに合田や狭川のようにトチ狂った人物に食料を駄目にされるのも困る。
給湯室の照明を切った。
堂々と立って狙われることもない。
給湯室の入口に潜むように立った。
給湯室はどうも鉄臭くて不快な気分になる。
そういえば、こんな風に見張りをしたことが何度もあったことを思い出す。
俺は紆余曲折を経て機械系多国籍企業の兵器部門で情報課に所属している。
各地で起こる紛争、戦争下で兵器の需要は鰻上りだ。
正規兵は自国製の兵器を利用することが多いが、輸入するケースも多い。
俺が所属しているのは日本重機械工業と対になる兵器開発を行なっているヘクレプティカ・インダストリーである。
ヘクレプティカは機械メーカーという謳いであるが、日重工と同様に事業展開のメインは兵器。
情報部所属の俺の仕事のメインは、輸送である。
兵器を売買するにはリスクが付き纏う。
コンテナ輸送するのであれば、そのコンテナを狙う相手には事欠かない。
安全なルートを模索する必要がある。
へクレプティカの情報課輸送担当官は必ず一人輸送に付き添う。
情報課本部からの情報を元にプランを立て、輸送ルートを決定する。
特に開発したばかりの兵器を輸送する際には国家所属の秘密工作部隊に襲われることもある。
そんな時は応戦しなくてはならない。
武器ならば多少の損失ということで良くはないが、まだいい。
しかし新兵器であれば別だ。
情報は必ず守らねばならない。
襲撃に際して銃を撃ったこともある。自分が生き残るためだ。
両親を失って糧を得る必要が生じた時、俺は暴力団に所属しようとした。
組が武器をへクレプティカから買い付けようとした取引に俺は同行していた。
組は企業との取引をフィリピンで行ない、国内に持ち込もうとしていた。俺はただの荷運び要因でしかなかった。
そこでトラブルが起きた。
取引を任されていた男が取引直前に目覚まし用途で合法ハーブの檳榔を噛んだのだが、体質的に効果が出やすかったようで、酩酊・興奮してヘクレプティカの担当者に絡み、銃を抜いたのだ。
撃ち合いになったが、ヘクレプティカ担当者とその護衛達はプロだった。
あっという間に暴力団関係者は全員殺され、俺のような小銭稼ぎの荷運び要員にも被害が出た。
俺は生き残った。
そしてヘクレプティカの担当者に自分を雇ってくれるように売り込んだのだ。
その希望は叶えられた。
そして鍛えられ、実働部隊として組み込まれる事になった。
初めての仕事で襲撃を受け、情報課の輸送担当官が殉職した際に止むに止まれず代わりにルートを考え、無事に輸送を遂げた際に成果を認められる、情報課に配属される事となった。
俺は輸送に失敗したことは無い。
お蔭で俺と妹の学費程度であれば得ることができた。
母方の祖母が身元を引き受けるという話が両親の死後直ぐに出た。
だがそれを拒否した。
俺は狂ったように保護されることを否定し、扶養の手続きもなされることなく現在にいたっている。
高校さえ出てしまえば何の問題もなくなる。
遺産は相続税はかからなかったものの、家と土地の固定資産税や生活費を考えれば使う事はできない。
俺には今後どれだけの金が生きていく為にかかるのか分からない。
両親の残した家で、妹の何不自由ない生活を守為には、俺は働かなければならなかった。
開発した兵器の基板などを日本に販売する事もある。
俺は10代である事を隠れ蓑に貿易前に不穏な動きが無いか事前調査し、何度か襲撃を未然に防いだ。
そんな実績もあり国外の輸送も任される機会に恵まれた。
相手は商品を強奪しようとする、言わば強盗だ。
後悔はなかった。
相手が悪いと割り切っている。
物思いにふけっていると時間もあっという間に過ぎ去り、直に19時半になろうとしていた。
見張りなど必要ないほどに何もなかった。
皆自室に篭っているのだろう。
疑心暗鬼になるのは致し方無い事。
何一つとして動かない3時間。
それはそれでストレスが溜まる。
しかし、そこに嫌な予感を抱かせた。
不自然なのである。
思えば初めから不自然だった。
(狭川が気絶させられたのは何時だ?)
ラウンジ1に集合し、大寺と合田が死んだのが1時
現在時刻は19時半。
狭川が絞め落とされてから6時間は経過している。
(あいつはどんな服を来ていた?)
確か、白地に水色のストライプのシャツを着ていたはず。
赤いシャツでは無かったはず。
どうして6時間も目覚めない?
さっきから慣れてしまっていたが、この不快な鉄分の臭い。
斧片手にゆっくりと近づき、食糧庫に入った。
食糧庫内に人はいない。
そう、人はいない。
狭川はもう人ではない。
死体を足で仰向けに転がすと、虚ろに乾いた狭川の瞳と目があった。
シャツの腹部には穴が空き、グロテスクな傷口が見える。流れ出た血液をシャツが吸い込み、赤黒い色の服へと変貌させていた。
苦痛の表情を浮かべ、狭川は息絶えていた。体の脇に合田の命を奪ったメスが転がり、黒ずんだ血液で刃先をコーティングしている。
その時、背後で物音がした。
素早く斧を構える。
振り返っ立っ先には久方が立っていた。
(こいつがやったのか?)
そんな予測をした俺にとって久方の言葉は理解できないものだった。
久方は俺を見つめ、右手の斧を見つめ、狭川の虚ろな表情を見つめた。
「…………………どうして」
「?」
「…………………どうして、そんなことができるのよ!!?」
充血した狂気を孕んだ視線で睨みつけられる
直後、久方は嘔吐し始めた。
(彼女は犯人ではない。彼女であれば血の出るような殺し方はしないはず)
ビチャビチャと吐き続ける久方。
吐きながらも、俺を睨みつけてくる。
一体どこからこれほどまでに他人を憎めるのかと驚く程の憎悪がその視線には篭っている。
食糧庫から出て扉を閉める。
これで暫くすれば彼女の吐き気も収まるだろう。
「見張りの代わりに来たのか?」
話しかけるが暫く返答はない。
漸く落ち着くと拳で口元を拭い、立ち上がる。
「許せない!こんな酷いことするなんて!」
何か勘違いをしているようだ。
「何を言っている?」
気色の悪い女だ。
「こんな!こんな事!人間は!」
そこまで叫ぶと再度嘔吐を始める。
何を言っても彼女には通じないだろう。
「………まあいい。交代の時間だから俺は戻る」
顰めそうになる顔を何とか無表情に保ってラウンジから去った。
部屋に戻る前に管理室へ向かう。
狭川のことを垣野に報告しておかなければならない。
ノックをしてから管理室に入った。
思えばこうして礼儀正しく入ったのは初めてだ。
「どうした武藤。ああ、見張りが終わった頃か」
パソコンのモニタから視線を上げて目が合う。
「冬子さん。狭川が死亡していたのですが。俺の前に見張りをしていた人間はいるんですか?」
垣野は『もう驚かないぞぅ』と苦々しい表情でつぶやいた。
「武藤の前には誰にも頼んでないわよ。死んでってどうして?」
「大寺の持っていたメスで一突きです。眼球の乾燥具合から死後5時間程度。大体13時半から14時半。要は運ばれて1時間以内でしょう」
「………もう6人も死んじゃったのね……」
つぶやいた彼女は悲しんでいる様子ではなかった。
しかし、何らなの苦悩が見て取れた。
それがどのような感情に由来するものなのかは分からなかった。
国語は苦手だ。
人の心情は上手く理解できない。
「こういう閉鎖的な空間で緊迫した状況に立たされれば自分の利益に走るものです」
賭かっている物が金などの二次的なものではないのだ。
命という欠かすことの出来ない物が、自分や他者の行動如何で失われるのだ。
何が起こっても仕方がない。
初日に食料を確保しておいたことに安堵した。
「………脱出手段についてなんだけど」
しばしの沈黙のあと、話題を変えた垣野が口を開く。
「まだはっきりとしたことは分からないけど大寺用のフォルダ内に隠しフォルダが見つかった。その更に内部に252bitの暗号型ロックファイルがあったのよ。この中に何かあるのは間違いないわね」
「252bitですか。随分と厳重ですね。後で須山を寄越します。役に立つはずです。恐らく破れるでしょう」
「須山?……ああ、確か無口な天パの子ね…………でも252bitよ?」
bitとは2の乗数で表される。
1bitのロックであれば2文字のパスワードであるが、252bitのロックは無量大数を超える文字の組み合わせがパスワードである。
「随分と知られたくないデータのようですね。ですが破れなければ脱出できません。頑張ってもらうしかないでしょう」
「………まあ期待せずにまってるわ」
ため息をつきながらデスクの下からのポルフィディオの瓶を取り出し、一口煽る。
随分といい酒を飲んでいる。
バーから見つけてきたのだろう。
「ところで武藤」
「なんです?」
垣野はちらちらと管理室の外が見える窓を伺うと、誰もいないのに拘わらず声を潜める。
「君たち学生って狭川、須山、草野、合田、津崎、中道、長谷川、久方、武藤、八代の10人……これで全員よね?」
指折り数えながら尋ねられる
律儀に名前順である。
「そうですが」
「女の子は草野、津崎、中道、久方、八重ちゃんだけよね?」
また嫌な予感で背が粟立つ。
「まさか冬子さんまで知らない女がいる、なんて言いませんよね?」
尋ねると垣野は口に含んでいた酒を顔面に吹きかけてきた。
40度のアルコールが目にしみる
(いたたたたたたた!熱い!熱い!目が焼ける!)
しかし、瞬き一つせず、表情も変化させない。
顔を拭うのも負けな気がしたのでそのままでいた。
「それっ!誰が言ってた!?」
「八重です。灰色の髪の女が風呂から出てきて歩いて行ったと。二日連続で」
「………………………私の見間違いじゃなかった………1時間程前にそこの窓の前を横切って階段に向かっていったのが見えたのよ」
またか。
知らない女が潜んでいるというのか?
それにしては風呂に入ったり堂々としすぎである。
俺がその女の立場であれば見つかってはまずい環境であると判断し、一切姿を見られないよう最新の注意を払う。
(………人間なのか?)
そこが問題である。
俺はよく見るのだ。
そういうよくわからないものを。
それがタロットや嫌な予感がよく当たる原因であるとも考えている。
「冬子さん………その女に…………………足はありましたか?」
「ちょっと」
「この施設で死んだ女の話とかはないんですか?」
「私はそう言う話は信じないの。馬鹿なこと言わないで。足なら……………あれ?…………足………」
「……………」
「………いや、そんなはずは。でもあの時は吃驚して深く考えなかったけど、足、無かった……?いやいやいや。マイナスプラシーボよ!」
これはビンゴなのではないのだろうか。
だとしたら相当面倒な事態だ。
他の人間に憑いてもらうしかない。長谷川あたりに。
俺は後で塩でも容易しておこう。ポカリでいいだろうか?
「武藤のせいでプラシーボに………」
「前任の職員が残っていたのでは?」
「学生と同じ年頃の女よ。私が知らない職員ってこともないでしょう」
「………………………」
考えるのをやめた。
現実的に監視カメラを把握している自分が見たことがない時点で潜入であるとは思えない。
八重の言葉を俺は余り相手にしていなかったが垣野までとなると放っておくわけにもいかない。
「でも潜んでいるっていうのもね~」
「幽霊という選択肢はないんですか?」
「幽霊!?だからそんなものいないの!」
「幽霊か魂か、どう表現すればいいのかはわかりませんが俺は何度も見ています。例えば………あれはアゼルバイジャンのハンケンディからイラクのニネヴェ遺跡付近のパルチザンに重火器をトラック2台で陸輸していた時でした」
「待て待てその設定おかしいでしょ」
「可笑しく有りません。国境線と100キロ程の距離を保って南下していました。ある夜、白いダイヤモンドとして名高いウルエミ湖付近の平地で1晩明かすことになりました。仕事で知り合ったブラジル人にカポエイラを教わっていて、大分身に付いたので本来は相手に当てないというルールのあるカポエイラを曲げて試合おうということになりました」
「だから設定おかしいって。中二病か!」
「違います。普通です」
「どこが普通だ!普通の感性おかしいでしょ!」
「とにかく23時から26時位まで休んでは戦ってを繰り返していたんです。………その時トラックとは反対側から男の声が聞こえてきたんです。振り向くと遠くに男の姿が見えました。………でもおかしいんですよ。周囲は街灯一つない平地です。俺たちは小規模なキャンプファイヤーで暖を取っていました。声の男は百メートルは離れているのに、何故姿が見えるのでしょうか?火から少し離れれば自分の足元すら見えないのに。それなのに男が呼んでいるのが見えるんですよ。それに男がいる場所は湖が広がっているはずです。ありえないんですよ、そこに人がいるのは。部隊の一人がHK50を持って向かったんですが……俺は辞めたほうがいいと言ったんです。でもそいつは『It will come out all right, if it shoots for the time being.』なんて馬鹿なことを言い出して……向かっていったらドカンですよ。進行方向に地雷があったんですよ。その瞬間俺は見ました。その男がニタリと嗤ったんです。次の瞬間には消えていましたが。翌朝確かめてみるとどうもTMー46対戦車地雷が設置されていたようで……ぐちゃぐちゃでした。………これだけじゃありませんトルコのタトゥワンから………」
「わかったわかった。武藤はお化けを信じてるんだね。なんだ、意外と可愛いとこあるじゃない」
「信じているとかそういう問題ではないです。現にそういう現象が起こり得るということです。昔の有名な日本の心理学者も自著で述べていますが、死んだ人間は死ぬ直前に比べて僅かに体重が軽くなるそうです。曰く、それが魂の重さなのではないか、と」
「はいはい」
「因みに魂の重さとはわずか数ミリグラムであるそうで……」
「もういいわよ。それより幽霊じゃなく、私や八重ちゃんの勘違いじゃないなら、灰色の髪の女は何者だと思う?」
俺の発言を患わしそうに右手でしっしと払う仕草で止め、垣野が問う。
「特殊部隊員というのが妥当でしょうか。無防備な俺達を殺して回っていないということは何か探し物があると考えるのが自然でしょう」
「ん~、情報とか?確かにパテント取れる技術が目白押しだものね、この施設。機材の設計図でも入手すれば一儲けだし」
だが、監視カメラに映っていないのは不自然である。
俺が一度も目にしていないのは。
帰ったら確認してみるか。
垣野との話は終わりにし、自室に戻ることにした。
自室に戻る最中に須山の部屋と八代の部屋を訪ねると狭川の死亡を伝え、注意を促す。
その後須山には垣野の所でセキュリティーを破りに赴かせ、八代は404に連れて行く。
「なぁ、僕は何すればいいんだ?」
「……え?……お前何かできることあったのか?」
「不思議そうな顔するな!めちゃくちゃ傷付くだろうが!」
「悪い。冗談だ。無駄飯くらいお前でも食えるよな」
「そうだよ!僕だってそのくらいは……できるに決まってんだろ!ふざけんな!もっと色々できるわ!」
「確かにそうだな。呼吸もできたな。………?酸素無駄に使ってないか?」
「よし、その先は読めてるぞ!」
「酸素無駄遣いしている分寧ろ邪魔なんじゃないか?………おい、呼吸を止めろ」
「予想以上に辛辣だ!」
騒ぎながら部屋に入ると八重が起きてしまうので八代の唇を摘み、ロックを解除する。
ソファーに座るとパソコンを開く
「……………!」
エリア1の映像が破損している。
俺のパソコンにウイルスを送る手段はないはずである。
となればカメラが破壊されたということか。
「垣野が灰色の髪の女を見たという」
「だれ?」
「わからん。足が無かったらしい」
「まさか幽霊なんて言わないよね?」
「さあ、わからん。6時半前後にエリア3のカメラに映っていれば…………」
しかし、映像には結局女の影は映っていなかった。
「……おい、これなんだ武藤?」
八代が声を出してモニターを指差す。
特に誰も映っていない。
だが
「これ………人の影?」
影だけがスッと、エリア3から出ていくのが監視カメラに写っているのだった。
モニターに表示される時刻は電磁波によって乱れているが、逆算すれば時刻は6:38のデータであった。
ただ、影だけが不気味に映り込んでいた。
睡眠を取る前に食糧庫へ向かった。
飲み物を2L確保しておこうと考えたためだ。
ラウンジに入ると食料庫の前に長谷川が立っていた。
見張りをしているようだ。
「………君、久方さんが狭川君を君が殺したって言ってたけど、本当かい?」
なる程、久方のあの時の反応はそういうことか。
誤解をあの時解いておくべきだっただろうか?
しかし、やってもいないことを丁寧に解説し、無実をアピールするのは沽券に関わる。
そんなみすぼらしい真似はする気はない。
「まさか。今の俺の武器はこの斧だ」
斧の赤い持ち手を扱く。
「そんなもの……持っていたらそれは疑われるよ」
「勝手に疑えばいい。俺は疚しい事はしていない」
泥棒はしたが、そんなものはコンビニでもらう割り箸の仲の爪楊枝並みに存在感の無いものだろう。
「なるほどね」
食糧庫のドアを開けると狭川の死体が無い
血液が広がり、引きずられた痕跡もある。
「運んだのか?」
「冷凍庫にね………ほんとに君じゃない?」
目を覗き込んで聞かれる。
疑って……いや、確認か?
「俺がここに来た時には死んでいたようだ。正直な話、見張りに必要性を感じていなかったからな。狭川の様子を確認しなかった俺も疑われて当然なのかもな。まあ、俺を縛って転がしておけば次に殺されるのは俺になるだろう。犯人にとっては思うつぼだな」
お茶のペットボトルを1本手に取る。
「はははっ、確かにそうだね。僕も気を付けなきゃな」
こんな状況で笑える長谷川も十分異常なのだろう。
肩を竦めて見せるとフリーザーに向かう。
フリーザーに入ると氷を探した。
ロックアイスの封が切られた袋があった。
それを脇に捨てると新しいロックアイスの封を切り、その中から2,3個氷を取り出し、持って外に出た。
フリーザーの重たいドアを開けると灯りが消えていた。
ラウンジの緑の非常灯だけが光源である。厨房内ではほとんど何も見えないといってもいい。
手探りでグラスを探すと中に氷を入れ、お茶を注いだ。
一気に飲み干してしまうと氷だけになったグラスと2Lのペットボトルを手に自室に戻った。
時刻は21時。
停電が開始されたということだ。
部屋に戻る。カードリーダーのランプはグリーンに点灯している。ロックがかかっている。セキュリティ設備主装置用の電源はブレーカーを落としていないか、無停電装置或いは非常用発電機回路で電源供給を行っているという事だ。
ドラムバックからLEDライトを取り出す。
70M届くという8000円もしたものだ。
その明かりを頼りにソファーに掛けると足を投げ出す。
(明日、この子は起きるだろうか?)
昏昏と眠る八重の寝息を聞きながら考える。
15分程かけて日記を書いてしまうとすることもない。
ライトを消すとそのままの姿勢で目を閉じた。
全ては垣野と須山次第。
二人に賭けるしかないのだ。
第一の犯人と狭山殺しの犯人は誰か、考えようとしてそのまま意識を手放した。
意識が落ちる直前、母の顔を思い出していた。
血まみれの、母の顔を




