3日目 (6月12日 04:00〜
幼い頃の夢を思い出す事が出来ない。
無邪気に望んだ大きすぎる夢を皆が諦め出すのはいつからだろうか?
中には夢を忘れず小さい頃から努力を続ける一握りの努力家も存在する。
だが多くの人は漠然と日々を生きて、鮮やかな夢を擦れさせてしまう。
自分に夢があったか覚えていない。努力もしなかった。
しかしこれ程までに人生を捻じ曲げられるほどの悪行など決してした事はなかった。
誰が悪いのだろうか。何が悪かったのだろうか。
そんな疑問もいつしか幼い頃の夢と同様色褪せ擦れ、枯葉の様に朽ちて消えた。
今自分の中に残っているのは絶望でも希望でも無い。義務だ。
一重に必死なだけだった。
生きる事はとても大変な事だ。それでも諦める訳にはいかない。
端末のアラームで目を覚ました。
間の抜けた、しかしどことなく神経に触る音だ。
腕時計を確認すると4:01分を示している。前夜は10時頃に寝たので一応6時間は寝ている。
端末を操作し、アラームを停止するとまだ起ききっていない脳と体に鞭を打ってベッドから起き上がった。
昨日は遊んでしまった。自罰的な気分となる。
俺には目的がある。それを忘れてはならない。
こんな、何処の誰の仕業か分からないテロもどきに踊らされるつもりはない。
昨日は同年代のIQが高く会話の弾む学生と親しく話をできたので浮かれてしまったが、はっきり言ってそんな余裕はない。
将来の夢はない。思いつかないのではなく、無い。
そんな俺ではあるが、やっておきたいことの一つや二つはある。
アラームが自分の予定時刻に鳴ってくれた事に安堵すると眠気を取る為に顔を洗い歯を磨いてしまう。
意識がはっきりするとパソコンを開く。
パスワードを入力してログインすると、フォルダアプリケーションを開き、そこから映像データを閲覧する。
4時に態々起きたのには理由があった。
一日目の夜、俺は『タスクNo1-E 6 月12 日教育カリキュラム04 参考ファイルNo16 要確認』と書かれたメモを拾った。
その内容が気にかかっていたのだ。
6月12日は本日。
予定の時間まで後3分
落ちていたのは管理室前。
この日この時間に管理室前で、という意味のメモだと思っていたのだが、管理室前を映すカメラには人の気配がない。
確認できる全ての監視カメラの映像を確認してみるが、誰かが会話をするどころか人影すら見当たらない。
爆発犯が手引きした共犯者と落ち合うためのメッセージだと思ったのだが、違ったのか。
裏に何か書かれていたわけでもなかった。本当に垣野が書いたメモだったのだろう。
流石に疑心暗鬼になり過ぎていると反省する。
少し前の映像も見てみるが、やはり人の気配はなかった。
不審物も何一つとしてない。
だがこの確認が無駄なことだったとは思わない。
この何が起こるか分からない状況下で、気を張り詰めておくことは最も大切な心掛けである。
インスタントの料理を作らないのにもそう言う念のためという前提がある。
カップ麺などの誰かが食べそうなものでは毒物が混入されていないとも限らない。
食材なら調理中に違和感に気づける。
昨日見ていない更新された映像を一時間半ほどかけて確認していく。
やはり不審な点はない。
時刻は5:36分になっていた。
施設内は冷房が効いているので快適ではあるが、二日間シャワーも浴びていないので、人気のない今のうちに入浴しておくことにした。
下着も変えたい。
部屋のすぐ近くの大浴場に向かう。
脱衣所で服を脱ぐと浴室に入った。
やはり広く、一般的な大浴場のような外観である。
流石にお湯は源泉ではないようで、濁りや湯の花も無いただのお湯だ。
浴槽の蓋の石材に白い成分の沈着が見られる。
ミネラル等の成分が多く含まれていると想定される。
恐らく地下水を引いてきてボイル機で温度調節しているのだろう。
こんな地下2000mで。
やはり金はかなりかけられている。
今頃外は日が昇っているのだろう。
後1週間そこいらで夏至の日である。
俺の誕生日の真逆の日だ。
既に日の光が恋しい。臨めないと分かっていては尚更だ。
次に日光を浴びるのは何時だろう。
もしかしたらもう浴びることができないかもしれない。
それは、まずい。ここで朽ち果てるわけにはいかない。
俺は帰ることができるのか?
職員たちは俺たちがそう安安と騙されると思っているのだろうか。
他の奴は知らないが、俺を欺くことは出来ない。
確かに酸素残量は二週間持つのかもしれない。
だが大分昔、2010年に南米チリで起きたコピアポ鉱山落盤事故では、入り口から5000mの距離に閉じ込められた鉱員が69日かけて救出されている。地上からの距離は600m強。
当時より時代は進み技術は増している。
日本の技術力との対比もある。
純粋に比較することは難しいが、2ヶ月以上救出に時間が掛かる可能性があると言うことだ。
耐久限界が1月とも言っていた。
間に合わない可能性は非常に高い。
職員の多田は無駄におびえている。
表情にゆとりはなく、挙動不審だ。
あんなに怯えていれば俺ではなくとも状況が逼迫していることに気付くはずである。
湯船の中で組んでいた足を伸ばす。
また昔のことを考えた。
自覚して考え事をしないと俺はいつも回想をしてしまうのだった。
だが考えど考えど何も解決しない。
何かを変えられるのは生きている人間だけだ。
俺は、妹と二人で暮らしている。
両親は他界した。
二人だけの家族だが、俺と妹はすれ違っている。
中学2年生、14歳の妹だ。
妹が思春期だからすれ違っているのではない。
妹は、何も覚えていない。ショックな出来事を全て忘れてしまった。
人間の脳は自身を守る為に記憶を失わせる事があるという。
だが俺は忘れなかった。
俺は自分の精神を守る前に、妹を守らなければならないと強く認識したのだろう。
俺の脳か精神か、何と表現すればいいのかは分からないが壊れてしまったのだろう。
そんな妹と俺が足並みを揃えられる訳が無いのだ。
俺と妹はそこで分かり合えない精神を持つ人間となったのだ。
料理ができるようになったのは母が料理下手だったからではない。死んだからだ。
作らなければ生きていけない。
食費はなるべく抑えたかった。
両親が死んだのは俺が中学1年の時だった。
遺産や保険金は妹の学費の為に手をつけず、生活費は働いて稼いだ。
幸い法定相続人は俺と妹だけであり、遺産は全て俺たち兄妹が相続した。
父が持ち家を購入していたのが不幸中の幸いだった。
両親の他界時に住宅ローンは残っていたが、住宅ローン借入時に団体信用生命保険を掛けていた為ローンは無くなり、貯蓄額が1000万程。
土地と建物の固定資産税評価額が5000万。
相続税として180万が引かれ、俺と妹は820万で生きていかなければならなくなった。
生活費を月に5万程度に抑えたとしても、俺が成人するまでの余裕はゼロと言っていい。
妹を私立の高校や大学に行かせてやる事など不可能な数字だ。
心情的に親族を頼る事はできなかった。
信用できなかったからだ。
俺はその時には身長が165センチあったので、なんとか年齢を化粧や声音でごまかして働くことができた。
中学生を雇うのは犯罪である。
都立の優秀な高校に働きながらなんとか合格し、大学も国立を目指し、奨学金で卒業する。
或いは良い就職先が有れば就職してしまっても良いが、収入を考えれば大卒の方が良いだろう。
人一倍苦労してきた。
生きるのは辛い。
とても辛い。
何もかも捨て去りたい。
だができない。
どうしたらいいのか分からない。
まともでは無い仕事をした事もある。
現在は雇われている会社が偽造したパスポートで長期休暇の際や、偶に授業をサボって海外の仕事をしている。
真っ当な仕事は高校生には出来ない。アルバイト程度の稼ぎでは俺の目標には到底到達出来ない。
死にそうになったことは何度もある。
つらつらと考えているうちに意識は抽象的な事にシフトしていく。
心というものに執着していた。
俺の精神状態はまともではない。
常に他人を疑い、敵意を隠しつついつも、襲われても反撃が出来るように内心身構えている。
心の定義とは何か。
自分が自分であると認識させ得る明確な証は存在するのだろうか。
そもそも存在とは何か。
人は個で形成された群を己の居場所と認識する。思い込む。
人は人同士で自分の存在を証明し合い、存在を手に入れようとする。
他人の中での相互比較によって自己を確定する。
果たして存在とは如何なるものか……人が普段それを意識する事はないだろう。
人は個人では自分の存在を確定できない。
人と話し、ぶつかり合って初めてここに自分がいると証明できる。
心のやり取りこそが人間に、そこに自分がいるという証明を与える。
生きていると実感させる。
俺は心を閉じている。自分ではどうすることもできない。
人と話しても、誰も信用していない。
誰とも心をやり取りしていない。
それは俺にとって、自分の存在を証明できていないのと同義だった。
それは、心が生きていない。
死んでいるということだ。
肉体と精神。この二つを併せ持って初めて、人は生きていると言えるのだと思う。
この二つは双樹のように絡まり合って、どちらが欠けても腐りおちてしまう。
二つ揃っての生なら、俺は生きてはいないのだろう。
心が、存在が死んでいるのだ。
自分の存在を俺は自覚できない。
存在の不確定さは俺から可能性を奪っていく。
同時に孤独を与える。
このまま惰性で生活していくのか。
誰にも触れず、孤独のまま。
誰かに、影響されたい。
それが俺の望む、ただひとつの自らへの希望。
同時に自分の精神性では実現不可能なのも理解している。
誰も信用できないのに、信用できない相手に影響されるはずがない。
先行きの見えない苦しみが常時俺の胃を締め付けている。
特に何もしていないふとした時間に蹲るような激しい痛みを覚える事もあった。
この世界は、今にも足場が崩れ落ちそうな崖っぷちの様に俺には感じられていた。
実際、この施設もいつ崩れ落ちるのか……
この建物は数週間で崩れ落ちる。
そのことに恐れはない。
もう死んでいるのだから自分が死ぬことに恐怖はない。
だが、妹がいる。
彼女を放って勝手に死ぬことは出来ない。
それだけが俺を突き動かす。
妹をきちんと生活させなければ。
妹には人並みの幸せを享受させたい。
だからこそ、俺は絶対に死なずにここを出る必要がある。
出なければならない。
湯に浸かりすぎてのぼせてきた。
体と頭を洗うと風呂を上がった。
いつの間にか、7時半を回っていた。
随分長湯をしていたらしい。二時間弱も入浴していたとは気付かなかった。
そろそろ朝食を作り始めようと考え、部屋をでた。
エリア5に向けて階段を下りる。
調理を開始すると、人影が厨房に入ってきた。
早すぎるとは言わないが、遅い時間でもない。
入ってきたのは垣野だった。
極めて酒臭い。
「う~、………うっ……頭いた………」
二日酔いか。
しかし酷い出で立ちだ。
衣服が乱れ、左のブラ紐が見えており、スカートはズレて、正面にスリットが来てしまっている。
「あ~………お水………青年………お水………」
息も相当酒臭い。
以前メキシコで一緒に組んだミゲルはこれにタバコと虫歯の匂いが混ざった口臭だった。隣にいるだけで気分を悪化させる彼よりはマシか。
酒臭いとはいえ、見目麗しい女性の吐息と思えば役得…なのか?
ある時偵察に出たミゲルが一発の銃声と共に帰らなくなった時、仲間内で敵に口臭で発見されたに違いないと揶揄しあったものだ。
水をお椀に汲むと垣野に渡す。
「武藤です」
「あ~~~、………ぐぇーっぷっ………おっと失礼、武藤ね……」
何も聞かなかったことにして味噌汁に揚げと豆腐を加える。
「何作ってるの?」
「味噌汁です」
しかし着衣の乱れは指摘した方がいいのだろうか?
女性に対する態度がいまいちわからない。
「あ、おいしそう。少しくれない?」
「いいですよ。温め直すので少し待ってください」
垣野のために加熱を始める
「お酒を飲まれていたんですか?」
「ちょっとね。飲まずにいられるかってのよ!」
小さな鍋に水をいれるとそちらも加熱する。
「…………………………」
「…………………………」
しばし沈黙が厨房を支配した。
俺は味噌汁をオタマで撹拌し、垣野はただその様子を見つめていた。
たっぷり時間が経過した頃、俺は静かに口を開いた。
「………出られないんですよね?」
「…………………」
ぽつりとつぶやくと垣野は目を丸くして固まった。
「武藤……だったっけ」
「そうです」
「武藤はどうしてそう思った?」
「あれだけの振動です。随分崩落したのでしょう。1週間そこいらで瓦礫を撤去出来る量ではないでしょう。ましてやここは地下2000メートル」
「あの扉の外が本当に埋まっているかなんて分からないでしょ?」
「積もっていなければいいですね」
「……………………」
「どうぞ」
熱した味噌汁をよそい、垣野に渡した。
湧いた鍋の湯を適当な容器に入れ、Tパックで紅茶を入れると、自分ですすり始める。
「ん………おいしい………生き返るわぁ」
「そうですか」
暫くの間、垣野は熱そうに味噌汁をすすり、全てのみ干すと器を返してきた。
「年の割に随分老成してるわね」
「そうでしょうか?自分では未熟だと思っていますが」
「そういうとこ。武藤と同い年だったら、年上に褒められれば少しは嬉しく思うものでしょ?そしてそれを隠そうとして黙り込んだり、減らず口を叩く。武藤は今、ほとんど表情に出ないくらいで、嫌そうな表情をした。自分が未熟者だって武藤は本当に思ってる。それは自分の限界や、至らなさを知っているってこと。自分のできること、できないことをはっきりと分かっている」
垣野の言葉を聞きながら紅茶を静かにすすっていた。
受け答えは一切しない。
「君には一切の衒いがない。君の青年時代はとっくに終わってしまったみたいね」
少し寂しそうに垣野は微笑んだ。
俺を哀れんでいるのだと分かった。
いい人なんだと分かった。
「本当は武藤の言う通り、厳しい。その対策を今日練る事になるけど、多分スフィア外殻以外の全てのブレーカーを落とすことでまず酸素の維持をしていくことになると思う。そこに酸素ボンベの酸素を放出してどうにかなるかならないか………。エレベーターシャフトか非常階段孔にどれだけ残骸が体積しているかにもよる。本当に何もわからない賭けよ。スーパーコンピューターが損壊した影響でスフィア外殻の耐久度の演算もできない」
「でしょうね」
温くなってきた紅茶を一気に飲み干した。空の器を洗ってしまう。
「今はあらゆる回線を使ってなんとか連絡を取れないか試してる所。光回線ベースからの公衆網、FAX用アナログ回線。MDFの端子盤の荷札に直接アナログ電話機を繋ぎ込んでもみる。応答がないか誰か一人が番をすることになったんだけど、昨日は私が当番で、あんまりにも何の返答もないからお酒飲んじゃった」
垣野は苦笑すると背を向けて立ち去っていった。
最後に
「ごちそうさま」
という声が聞こえてきた。
「……………」
俺は肩をすくめると米を炊き、おかずを作り始めていった。
冷凍庫に入るとウインナーとベーコンを取り出してきて流水解凍を始める。
レタス、トレビス、オニオン、人参とオニオンドレッシングを混ぜ合わせてトスサラダにしているとラウンジに昨日の5人が集まりつつあるのが見えたので、卵のスクランブルと目玉焼きのオーバーターン、ウインナー、ベーコンを焼いて盛り付けていく。
後は6人分のコーヒーを入れて米をよそった。
食事は特に文句もつかず、いたって平穏だった。
中道はどうやら納豆が気に入ったようで、皆が食事を終えても白米をもう一度よそいに行き、残っていた納豆でもう一杯食べ始めた。
それを尻目に兼ねてから気になっていたことを口に出してみた。
「なあ、お前らはどうしてこの施設での研修を選んだんだ?」
「あたしは面白そうだったからよ。全電子制御の地下発電所。かっこよくない?」
はじめに答えたのは久方。
「裏目に出たな」
「うっさいわね!」
中道が空になった納豆の入っていた容器を持って立ち上がり、再度厨房へ向かっていく。
「武藤は?」
「ん、一番マシだと思ったからだ」
「マシって何だよ。意味わかんないんだけど」
八代に尋ねられて嘘を付いた。
「須山はどうなんだ?」
「……………将来、此処に勤めたいから」
「はぁ!?マジかよ。将来見据えすぎだろ」
須山の答えに八代が仰天して食い気味に突っ込む。
「………総合学習で、来ておけば、有利になるかもしれないと思って……面接とかで………」
須山の強かさに八代は若干引き気味だ。
だがこの位強かな人間が将来成功する。
「こんなとこに就職かよ……考えらんねーな」
「ここっていうか…………発電所関連」
中道が容器にまた白米を入れて戻ってくる。
どうやら容器にこびりついた納豆のネバネバで一杯食べるようである。
「律子はどうなんだ?」
今にも箸を口に突っ込もうとする中道に尋ねた。
名前で呼ぶ事にもやや慣れつつある。
中道は一度箸の上の白米を見つめたあと俺に目線を合わせる。
「さあ?強いていえば自分探しかしら」
違和感の残る答え。
何か裏の事情があるのかと邪推する。
「あたしはなんとなくかなぁ………八代君は?」
津崎は特に何か考えてここを選んだのではないようだ。
「俺は楽そうだと思ったのを選んだんだ。………裏目に出たけどね」
中道を除く5人から失笑が漏れた。
朝食を終えると一人でエリア6に降りた。
食事中に長谷川が狭川を連れて降りていくのが見えたためだ。
二人を探して娯楽室に入ると、彼らは一緒にダーツをして遊んでいた。
「きみか」
気付いた長谷川が声をかけてくる。
一方の狭川は振り向かず、じっと立っていた。
俺に何か思い入れでもあるのだろうか?
いや、そうではない。
彼はコミュニケーションが苦手なのだろう。
長谷川以外と話しているのは切れている時と僅かな例外くらいしか見たことがない。
「聞きたいことがあったんだが、いいか?」
「なんだい?」
訝しげに眉をひそめる。
突然来て突然聞かれれば訝しくも思うだろう。
「いや、大したことじゃない。どうしてこの施設での研修を選んだのかを聞いて回っている」
「なんだ、そんなことか」
長谷川は人好きのする笑顔で笑った。
「ここには人がたくさん来て、色々な人と知り合える機会だと思ったんだ」
「実際は10人しかこなかったな」
「そうだね。それにこんなことになってしまったね」
苦笑する長谷川。
「狭川君はそういえばどうしてここを選んだんだい?」
俺の問いには答えなさそうな狭川に、気を回して聞いてくれる。
「ぼ、僕は……その、余り、人が選ばなそうなところを……」
「なんだ、真逆じゃないか!同じところなのに僕と全く逆の印象を抱いていたんだね。不思議だな」
そう、不思議なのだ。
聞いている限り誰かに仕組まれた形跡はなく、自分で選んだはずであるのに、今この施設に入る生徒達は俺を含めて複雑な家庭環境のものがほとんどだ。
それは不自然だった。
俺は誰かに命令されたり、仕向けられてこの施設に来たわけでは断じてない。
ダーツを再開し始めた二人に軽い礼をこ述べると自室に戻ることにした。
自室に戻るとパソコンを起動させて監視カメラの映像を調べ始めた。
風呂に向かってからのデータを洗い始める。
エリア3管理室前のデータを見ていた時だった。
多田という職員が管理室を出て、エリア3の右手に向かっていく映像が映っていた。
5分前の映像である。
そちらに誰かが向かったことは昨日今日とないはず。何かあるのだろうか?
何か嫌な予感がした。
気になって見ていると大寺が何かを探すようにキョロキョロしながら管理室から出てくる。そしてエリア3右手を覗き込む。
すると何かを見つけたようで、奥へ向かって歩いていき、カメラの視界から消える。
何かあったのだろうか。
エリア3には案内プレートがなかったために、あちらに何の部屋があるのか分からない。
須山に施設マップのデータをもらおうか考えていると、現在映像に切り替えた映像の中、血相を変えて管理室に駆け込む大寺が映り込んだ。
何が起きたのだろう。
鳥肌が立っていた。間違い無く問題が起こっている。
これまで大寺は俺に見える範囲では焦る事なく冷静な様子を見せていた。
その大寺が慌てかけずっている。
少しして今度は大寺が相沢を連れて再度問題の箇所に走っていった。
ここからでは何が起きているのか全くわからない。
だが間違いなく何かが起きたのだ。
行くべきだろうか?
いや、それはない。
危険だ。何が起きているかわからないのだ。
だがここにいたままでは何がどうなっているのか全くわからない。
イライラしながら見守っているとカメラに幼い少女が映り込み、そちらに向かっていくのが映った。
!!!?
危険ではないのか。
大丈夫なのか。
何もわからない。
少女は飽く迄他人だ。
他人の命一人の為に自分の命をベットする必要はない。
無意味である。
そんな自分の思考にどうしようもない嫌悪感を抱くが、だが自分の理念を変えることは出来ない。
どうする?危険ではないのか?
何が起きているかわからない。
ひょっとしたら自分の命に関わることになるかもしれない。
しかし
何もないかもしれない………。一瞬だ。一瞬行って、彼女だけ連れ戻そう。
決めて立ち上がった。
走ってエリア3に赴く。
少女は………。いた!
彼女だけ連れて暫く部屋で遊んでやればいいのだ。
「来るなああああ!」
「落ち着くんだ多田。そんなことをして何になる!」
多田の怒号と相沢の説得か。
どういうことだ。
「こっちへ来たら撃つぞ!脅しじゃないぞ!」
(撃つ!?どういうことだ?銃器を持っているのか!?)
予想以上に危険な状況だった。
この場からすぐに立ち去るべきだ。
心臓が激しく鼓動しているのをはっきりと感じていた。
「何があったんですか?」
近くにいた大寺を見つけて事情を尋ねる。
「多田のクソ野郎ぉが酸素ボンベを独占するために武器持って隅の部屋に立てこもりやがった!あんのカス!」
「…………」
角から顔だけ出して覗き込むと相沢が一人、ドアのそばに立って説得をしている。
部屋はガラス張りの大きな窓が付いた部屋で、中から撃たれれば簡単に貫通するだろう。飛散防止シートなど先の破れたコンドーム程度の役にしか立たないだろう。
「何故武器があるんですか?」
「テロ対策だよ。一応な。この施設は原発を生かすも殺すも自由に出来る。流石に臨界事故なんかを起こそうとしてもプログラムにはじかれるだろうが、停止や可動なんかはわりかし簡単にできんだよ。変な勢力に簡単に乗っ取られないようにある程度の防衛はできるよう銃器が保管されてたんだが、酸素ボンベも同じ部屋に保管されてたから取り返し様がねえ」
大分まずい事態のようだ。
武器庫に多田は立て篭もっている。
他に武器はないということだ。
「僕は死なない!このボンベは僕のものだ!」
「酸素ボンベを独占しなくとも死にはしない!」
相沢は壁に張り付いている。
射線に出ないようにだろう。
八重は大寺と父の中間ほどで父の様子を見守っている。
相沢は娘がいることに気づいていないようだ。
「何で死なないなんて言い切れる!」
「死ぬとしても無関係な学生が優先だろう!」
「いやだ!これは僕のものだ!誰にも渡さない!早くどこかへ行け!」
多田の行為は犯罪なのだろうか?
日本の刑法第37条の緊急避難。
カルネアデスの船板で知られる有名な問題である。
もし本当に酸素ボンベが人一人の命しか救えないのであれば、多田による独占は罪ではないのかもしれない。
法律に詳しくない俺には判別はつかない。
「相沢さん、どうすんすかこれ」
「説得しかない」
「じゃあ俺ぁ垣野よんできますよ」
大寺は言うと背を向ける。
そろそろ潮時だ。
嫌な予感がする。
こういう時は自分に従うに限る。
早く八重を連れて危険のない場所に行ってしまおう。
その時、相沢が前に進み始めた。
それを見た八重が父に駆け寄っていく。
相沢は手を上げて多田の視界に入る。
俺は駆け出すと八重を捕まえる。
だが遅かった。
今の多田は普通の精神状態ではない。
手を挙げたところでどうにかなる事態ではなかったのだ。
「多田、聞いてくれ」
相沢の行為は多田を刺激しただけだった。
「ああああああああああああああああああああああ!くるな
くるなくるなくるなあああああああああ!」
多田はマシンガンの引き金を引いた。彼の手元のマシンガンが火を吹き、1秒間に20発以上の弾丸を射出する。
訓練を受けているのだろう。セーフティバーによるロックも解除済みだった。
だが、その弾丸が相沢に届くことはなかった。
それは相沢と多田の二人にとっても誤算であった。
ガラスは対弾ガラスだった。
撃たれた弾はガラスに蜘蛛の巣を多数作りながらも、跳弾していった。
兆弾はあちこちへ乱反射し、室内のあらぬ方向へ飛んでいく。
「まずい!八重!」
捕まえた少女の手を引き走る。だが、逃げ切れはしないだろう。
跳弾した弾丸数発が多田の体に打つかる。貫通する事は無いが、相当な痛みはあるはずだ。
「ああああああああああああ!!!?」
だが彼の不幸はそれだけでは終わらない。
跳弾の一発が多田の右手にあたり、彼はマシンガンの引き金を引いたまま咄嗟に腕を動かした。
マシンガンは球を吐き出しながら斜線を大きく反らせた。
その先には酸素ボンベが置かれていた。
球の1発が酸素ボンベにあたり、穴を開けた。
間抜けな音を立てて小さな穴が開く。
穴から吹き出た高圧ガスが摩擦熱でタンク容器を高温にしていく。
タンクは高温化し、酸素の影響により燃焼し始める。
そして爆発。
空気の抜ける音がし始めたとき、俺は八重の体を覆うように廊下に倒れ込んだ。
息を吸わないよう八重の口を塞ぎ、自分も息を止める。
なんで俺は部屋にいなかった………俺は……ここで……
そして、爆発。
立て続けに数度爆発する。
酸素ボンベの数、爆発はあるだろう。
空気が灼熱化する。
爆発はドアを吹き飛ばし、火炎が吹き出る。
轟々という熱の吹き荒れる音が耳に聞こえる。
痛みはない。ただ吹き飛ばされないように必死に廊下に這いつくばっていた。
大分長く感じた。
しかし大した時間は実際立っていないだろう。
酸素は瞬時に燃焼するのだから。
「うわっ………ぁ……」
階段の方から大寺の声が聞こえた。
爆風によって吹き飛ばされたのだろう。
異臭が漂うが、どうやら収まったようである。
人の焼ける嫌な臭いと、血の匂いが様々な異臭に混ざっている。
八重は……守れたか。
だが、俺は……
俺は?
体に痛みはない。
やけど一つ負っていないようである。
一体何故。
爆風と一緒に破片などが吹き飛ばされたはずである。
無事であるはずがないのだ。
振り返ると、ヒグマのような影が俺に覆いかぶさっていた。
俺と八重を守って、相沢が険しい表情で歯を食いしばっていた。
「相沢さん!」
相沢の背は焼け爛れ、破片が背中に刺さっている。
彼はそのまま背中から崩れ落ちた。
タイルカーペットが吸いきれない血液が、廊下に広がっていく。
首にも破片は刺さり、咳き込むと鮮やかな血液が口の端から垂れる。
炎を吸い込んで肺が焼け爛れたのだろう。
「………ん…………う…………あぁ………やえは…………ぶじか…………?」
言葉を発することだけでも驚きである。
彼はもう助からない。
「やえは………やえ…………」
「生きてます!生きてます!」
「よ………かった………私だけでは………まに、あわなかった……ありがとう……」
「俺もあなたに助けられました」
八重を助けようとしなければ、俺は相沢に守られる必要も無かったと言う人もいるだろう。
だが、咄嗟に助けようとしたのは俺の判断だ。
誰かの所為では無い。
俺の定義では、俺は間違い無く相沢に命を救われたのだ。
「……たのみが………」
「なんですか?」
相沢の目を見て、焼け爛れた手を取り尋ねる。
「むすめを………むすめを…………たのむ…………」
荒々しく胸を上下させ弱々しい声を上げる相沢に、俺は頷いた。肯定した事が分かるように目を見て力強く頷いた。
「分かりました。必ず。……子供は、好きですからね……」
微笑を作り顔に浮かべる。
相沢は安心したようだった。
八重を呼び、父親の手を取らせる。
ここからは親娘の時間だ。
俺は邪魔でしかない。
立ち上がり、二人から離れようとすると階段を駆け上がってくる多数の音が聞こえてきた。
相当の騒ぎだ。寧ろ遅かったと言える。
「お、大寺さん!?」
垣野の声だ。俺が今いる位置からだと倒れた大寺の足だけ見える。
垣野にはまだ俺達は見えていないだろう。
大寺は吹き飛ばされて頭を打ち、気絶でもしたのだろう。
エリア3には長谷川、垣野、久方、津崎、八代の順に上がってきた。
「うっ……」
誰かが上がってきて早々口元を押さえてえづき始める。
女の声。久方と思われる。
そして吐瀉。
音からして朝食を完全に吐瀉してしまっただろう。
彼女の位置では何も見えないはずである。
臭いだろうか。
俺は親子から離れて階段方面に向かう。
白いオックスフォードシャツの右肩が火に炙られ焦げて穴が開き、インナーが露出していた。
久方が津崎に支えられてフェードアウトする所だった。
そして残った者達が倒れた大寺より先に進み、飛び散った残骸や横たわる相沢と父にしがみつく八重に目を向けたあと俺に視線を合わせる。
「ちょ、ちょっと!一体何があったの!?」
垣野に詰め寄られる。
表情に余裕はない。
「多田が酸素を独り占めしようと立てこもりました」
「なんてこと………」
「相沢さんが説得しようとしましたが過剰に反応してしまい、銃を乱射し始めて………跳弾がボンベにあたって爆発、恐らく多田はバラバラです」
ややこしいので分かりやすく真実とは稍異なる理由を説明した。
「相沢さんはどうなの!?」
「もう、無理でしょう……」
「エリア2の事務室奥に救護室があるから運ぶわよ!」
相沢の下に向かおうとする垣野だったが、俺は彼女の進行方向に進み出て遮る。
「何!?早くしないと!」
「待ってください」
「何言ってるの!そこをどいて!」
「もう無理なんです。相沢さんは間違いなく運んでいる間に死にます。体中の皮膚が焼け爛れ、頸動脈も切れて、肺も機能していません。助からないんです。…………俺は残りの僅かな時間を、八重に使ってあげて欲しいと思います。八重の傷ができるだけ深くならずに済むように。相沢さんが最期に娘と2人きりの時間を過ごせるように」
「……………」
垣野は少しの間眉間に皺を寄せ考え込んだが、納得したのか、諦めたのかはわからないが悲痛な表情で親子の様子を見守ることにしたようだった。
代わりに長谷川と八代に大寺を運ぶように指示を出す。
「死んでいいような人じゃなかった……」
俺に聞かせるつもりなのか、自分に聞かせているのかわからないような小さな声で垣野は呟く。
「皆死にます。人間はそんなに丈夫じゃないんです」
「……………」
呟きを拾い返した言葉に対し、垣野は何も言わなかった。
息も絶えだえに娘に何かを伝える父。
父の体にしがみつきながら泣く娘。
目を伏せる。
こんな光景、日本から出ればどこにでもある。
タロットカードの通りに八重は大切なものを喪失する。
やがて彼女は何度も父を呼び始めた。
父親の反応は既にない。
火が付いたように泣き喚く八重に近づくと肩に手を置いた。
八重は反応することもなく延々と泣き続けた。
幼いながらも父ともう話す事が出来ないと理解したのだ。
賢い子だ。
小さな両手で必死に父の体にしがみつき、顔を擦りつけた。
どうしてこんな不幸が起こるのだろう。
彼女が一体何をしたというのだろう。
世界はどうしようもなく理不尽だ。
ゴミのような悪党が他人を踏みにじって幸福を得て、善良な弱きものが惨めに不幸へと落とされていく。
人間とは醜い生き物だ。
たった一人のエゴイストが、善良な父の命と無邪気な娘のささやかな幸福を奪ったのだ。
これからこの少女はどうなるのだろう。
泣き続ける八重の姿を見て、垣野は涙を流していろ。
だが俺は泣く事はできなかった。
ただ彼女の不幸を哀れんでいた。
彼女は最後に、どんな言葉を貰ったのだろう?
これからに希望を持てるような言葉を貰えたのだろうか?
知りたくはあったが聞くべきことではないだろう。
たっぷり数時間も泣き続けた後、八重は顔を上げた。
「おとーさんのたましい、でていっちゃったの?」
真っ赤に腫らせた目でしゃくりあげながら聞かれる
1日目の会話を覚えていたのだろう。
「出て行ってしまったな。でも消えてしまった訳ではないんだ。もう助けてはもらえない。だから、強くて正しい大人に八重は成長するんだ。八重のお父さんはそんな八重の成長をずっと見ているはずだ。立派なお父さんに恥じない様な立派な大人になるんだ」
自分のことは棚に上げて俺が彼女になって欲しいという理想像を告げた。
俺は、正しく成長できなかった。
「はじない?」
「お父さんが流石私の娘だ、と思える様な自慢できる人のことだ。そうなれれば何十年か先に八重が死んでしまった時、どこかで再開したお父さんに褒めてもらえるはずだ…。そしてお母さんと一緒に幸せになって、安心させてあげるんだよ」
もしそうなら、俺は父と母になんと言われるのだろう?
しかし、後悔はない。俺はもう曲げられない。止めることは出来ない。
「なんにもわかんない………やえ………どうしたらいいの?おとーさんいないのに………どうすればいいの?」
「…………」
「おとーさん、おとーさん、おとーさん………」
八重はまた泣き出してしまった。
ずっと見守っていた垣野であったが、悲痛な表情で見ていられないというように顔を背ける。
「おとーさん、おとーさん、やえをおいてかないで、おとーさん………」
「…………」
父の為に泣き、今度は自分のために泣き続ける童女の頭を俺は抱えた。
「八重のお父さんはもういない。でもお母さんがまだいるだろ?………俺がお母さんに会わせる。だから俺についてくるんだ」
「………おにいちゃんが?」
「八重のお父さんに頼まれた。八重を無事に家まで返すのが俺の仕事だ。ずっと泣いていても構わない。きっとお母さんの所まで八重を連れて行く」
「……ほんと……?」
「ああ。本当だ。だから今日はもう休みなさい」
「…………うん」
泣き疲れていたのか、或いは精神を守るかのように八重はふっと気を失った。
6歳の少女に父の死は重すぎるだろう。
彼女はどうなるのだろう。
両親を失った時、俺は変質した。
心に罅が入った。
時を重ねるごとにその罅は深くなり、今ではもう取り返しがつかない。修復することはできない。
彼女はきっと答えを出す。
タロットにもそうあったし、俺自身も彼女は乗り越えていける強さを持っていると感じる。
彼女はきっと立ち直り、その過程で何か尊いものを得る。
それを守らなければならない。
俺には手に入れられない、『答え』
俺は盾だ。
希望を託した八重を守る、盾。
この身を盾とし何かを守る。
それが俺の本質である。
4年前に手にした形質だ。
盾は、安全を保証する。
安全を与える。
俺は一方的に与えてきた。
見返りは求めずにただ………
俺の心は何も得られない。
人を信じられないからこそ与えられることは無い。ただ与えてきた。
そのまま、きっと摩耗していく。
俺の生は義務でしかない。
何も、望んだことはない。




