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胡座  作者: またんご8
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2日目 (6月11日06:20〜22:00)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

                           

考えることは苦痛である、と思っている。


ぼんやりと考えることをやめて生きていくのは簡単なことだ。


辛い事、苦しい事から目を背け、楽な事に逃げれば心は軽くなり、傷付かずに済む。


だがそれは所詮逃避に過ぎない。


苦しむ事を恐れて成長を止め、頭を空にして目の前だけ見て視野は狭く、その歩みは止まり、停滞し、惰性で生きる。


一番大切なことを考えなくていいように、その他の細かいことで頭をいっぱいにして、俺は逃げている。これからもずっと逃げていく。


俺は、弱い人間だ。


自分を見つめ、自分について考え、自分で答えを出していくことはとてもエネルギーがいる。


人に左右されず、自分の意見を持ち、自分で切り開く。


そんな人間に俺はなりたかった。




目を開ける前に意識が覚醒した。


自分の置かれた状況を目を開ける前に判断する。

今は静岡地下原発の山岳発電制御施設に滞在している事を思い出した。


初日に爆発事故があり、脱出が困難な状況。

寝る前と状況が変わっていなければここはエリア4の404号室

そこまで脳内で判断すると目を開けた。


全身が気だるいが、気力で体を起こし、時刻を確認する。現在時刻は06:22。


睡眠時間は3時間ほど。しかし前日昼寝をした為か然程眠気はない。


起き上がると室内のシャワールームで身体を洗った。

水が僅かに残った眠気を根こそぎ流し去っていく。


昨日のことを思い出し、改めて危機的状況であることを実感する。

爆発もそうであるが、人が死んでいるということは状況に更なる暗い影を落としている。


松井將典

彼はなぜ死んだのだろう?


職員たちの様子からして事故死と判断していると思われる。


だが松井は職員ではない。どこかの教師であったはずだ。ならばあの状況下で彼が取るべき行動は生徒の安全の確保と安否確認。彼はそれをせずに管理室へ赴き、挙句感電死した。


緊急時に自分の身の安全を優先したということなのか?


しかしそれならエリア2のエレベーターかエリア1の非常階段に向かうはずだ。誤って管理室に向かうということはないはずだ。


俺に出せる選択肢は2つ。


ひとつは松井が犯人の一味で、どさくさにまぎれて管理室に忍び込み何かをしようとし、誤って幹線ケーブルに接触してしまったという可能性。


ふたつめは状況把握の為に管理室に赴き、そこで何かを目撃し、口封じされた。


以上の二点である。


いや、違う。もう一つだ。


三つめ、彼は何らかの殺される理由を持っていた。


何れにせよ、スパーク飛び散る管理室に態々足を踏み入れるだろうか?

探し物がある部屋をぐちゃぐちゃに破壊するだろうか?犯人の一味なら違和感がある。つまり爆発物を仕掛けた犯人は松井ではない。


ならば別目的で忍び込んだとすれば。


知識が無い人間が漏電したケーブルと接触し感電する事は建設現場に於いての労災中、多くを占める。


知識が無い人間がケーブルに触れてしまう事は良くある。電流は見えないのだ。


そこで現場の様子を思い返す。破損したシステム天井から垂れたシールドの破損したケーブル。


そのケーブルに引っかかる松井。


まず、幹線は断線していたわけではなかった。あくまでシールドが破損していたに過ぎない。

にも関わらずだらりと垂れ下がったケーブル。


本来末端のタップコンセントでも無い限り電源配線は余長をあまり持たない。あのケーブルは誰かが強引に引っ張ったのだ。


それを松井が自ら行い感電するとは考え難い。


つまり事故の可能性は低い。


必然、他殺という線が濃厚となる。

この施設にいる俺と幼女を除いた15人の中に、気付いている者もいるだろう。


そこまで歯を磨きながら考えてからベッドに戻り、PCを開き、データを洗ってみる。


データの改竄は監視室、或いはメインコンピューターからしかできない。

しかもデータは随時俺のパソコンに保存されている。

何者かが新たに映像データを破損させようとした所で俺のパソコンに保存されたデータに影響は無い。


ゆっくりと確認が可能である。


今度は生徒のプロフィールを確認していくことにする。


草野樹 女 16歳 A型 埼玉県在住 料理部


自己主張に乏しく表現は少ないが、明確な意図を持って行動する節がある。対人関係は良好で、クラスの女子の中心人物の周辺にいることが多い。


得意科目は国語、英語。苦手科目は数学、物理、化学


昨日相沢に話しかけていたのはひょっとするとそういうことなのだろう。


彼女の扶養者は父親で、母親も健在の様だ。


合田宗介 男 18歳 B型 大阪府在住 ボクシング部

自己中心的で自分の主張が通らないことに腹を立てる。男尊女卑の傾向もある。が、どんな状況でもその精神性は変わりなく、ある意味強い人間ともいえる。


彼の扶養者は父親だが、両親は離婚しており母親は家を出ている。


狭川道英 男 15才 O型 愛知県在住 漫画研究部


臆病で非社交的。自信に欠ける。精神的な過負荷がかかると切れて豹変する傾向がある。武器を持ちたがる。


勉強は大体出来るが、芸術系と運動は苦手。


なるほど。こんな状況下じゃすぐにストレスは貯まるだろう。臆病そうな割に怒鳴り散らしていたのはそういうことか。あまり関わらないほうがいいだろう。


彼の扶養者は成人済みの姉になっている。


どういうことだろう?


津崎明 女 15歳 A型 神奈川県在住


明るく笑顔を絶やさない快活な性格。友人も多い。

成績は悪いが運動神経は良い。


担任教師からのコメントには悪いことは書かれていない。

彼女も両親が健在である。


中道律子 女 17歳 O型 東京都在住 部活所属無し

成績優秀で評点平均は4.8。ほとんど評価は9か10。芸術で若干落としてはいるが運動も10である。都内の有名な私立の女子校である。お嬢様ということか。しかしコメント欄は芳しくない。


成績優秀で学業に関しては非の打ち所はないが、コミュニケーション能力に欠け、友人は皆無。教師ともコミュニケーションは取らない。いつも一人でいるところが目立つ。


俺にはこの女の事がわかったしまった。


彼女は誰にも気を許していないのだ。


そんな人間がこの環境にあればどうなるか………想像もできない。

一度動き始めれば止まらないだろう。


注意しなければならない。


こういう人間は自分に何ができて何ができないかを良く分かっている、非常に合理的な人間である。

分かる。俺がそうであるからこそ、この女の恐ろしさがわかる。


敵対する様な関係にならなければいいのだが。


そしてこの女の扶養者は叔父であった。


長谷川周平 男 17歳 O型 神奈川県在住 空手部


友人も多く、文武両道の秀才。クラス内のいじめを解決したこともある。女子男子共に好かれる好青年


得意科目は国語、特待生。


確かに俺の目から見ても好印象だ。見方につけておいたほうがいいのかもしれない。


そして彼には扶養者がいない。


久方優香 女 16歳 B型 東京都在住 


都内の私立の女子校に中高一貫で通っているようだ。

成績も優秀である。


正義感の強いクラスの中心的な生徒。友人というより取り巻きが多い。しかし正義感が行き過ぎることもある為、感情の制御しきれないまだまだ子供と言える。


彼女は両親が健在である。


一応一通りは目を通したが、どういうことだろう。扶養者に違和感がある生徒が多数を占める。


片親が合田と八代、両親以外に扶養されているのが狭川、須山、中道、扶養されていないのが俺と長谷川である。


どういうことだろう?


身内に不幸があったものを集めたということだろうか?


両親が居る者は津崎、草野、久方の女性3名。


解せない。


そもそも俺は誰かに強制されてここに来たわけではない。


誘導もされていない。自分の意思で選んでいる。


偶然なのか?


しかしこれについてはいくら考えても結論は出ないだろう。


だが、あまりいい気分ではないのは確かだった。


親のいないものに世間の目は冷たい。

可哀想に、と人は言う。


しかしそれは決して俺を哀れんでいるから出る言葉ではない。

可哀想に、と言う言葉を聴かせる相手に、自分は親のいない子供を哀れむ心優しい人間であるとアピールするための言葉でしかない。


施しを欲したことはない。哀れみは侮辱と映る。ならばせめて無関心であって欲しかった。


その視線が、中身のない言葉が、俺と妹を傷つけてきた。


無自覚の悪意の中、自我を正常に保つために、俺は人一倍努力した。


同年代の人間の数倍、物事を知ろうとした。

人間は、努力や苦労なくして成長できない。




一通り監視カメラで現在の施設内状況を確認し、危険がなさそうなので外に出る。


どんな時でもメシは食う。美味くても不味ても。

それが俺のポリシーの一つである。


空腹では脳の回転も悪くなる。動きも悪くなる。


ましてやここには設備が整っている。

きちんと料理しないのは馬鹿げている。


エリア5に降りるが、人気は無い。

どこかで機械が動く音がした。


冷凍庫の稼働音だろう。そちらの方向から聞こえる。


朝食はなんにしようか考える。

オーソドックスなものでいいだろうか。


大きな鍋があるので其れで米を炊くことにする。しかし体積の割に表面積が多くなってしまうので多めに炊くことにした。


余った分は誰かにあげればいいだろう。


米を磨いでうるかすと冷凍庫に入る。

松井の死体に霜が降りていた。

蹴ってみると完全に硬化していた。


探し物はすぐに見つかった。冷凍の鮭の切り身である。


他には梅干、沢庵などもあるのでいくらか纏めて取り出して流水解凍しておく。


米をうるかすのに30分はかかる。その間にエリア6でも調べておくことにした。


エリア6は降りた先正面に大きな扉がある。娯楽室と書かれている。


中は幾つかの区画に分かれており、1つは入ってみるとダーツバーのような景観だった。

ビリヤード台も二つ置かれている。


誰かが昨日利用したのか、台の一つに玉が散らばっていた。

その光景に哀愁を覚える。


右手にはカウンターがあり、アルコールの類が中には並べられている。


アイラウイスキーの種類が多い様に見受けられる。


幾つかのネイビーのソファーにガラステーブルとダーツ。


高校生が利用するには洒落すぎている。


部屋で壁に向けてダーツでもしようかと10本ほど失敬し、後ろポケットに突っ込んだ。


別の区画は体育館となっており、運動が出来る様だ。


バスケットボールが2つ転がっている。


娯楽室を出て一回りしてみる。


客室が階段から見て左手に5部屋、右手に2部屋。そして奥に6部屋ある。


その他飲み物や軽食の置かれたパントリー、洗濯機と乾燥機の置かれたランドリー、清掃控室、給湯室がある。


階段左手手前から順に601~613となり、昨日映像データを調べた結果から、空き、草野、垣野、元八代、空き、長谷川、中田、大寺、多田、空き、空き、中道、空き、となっているはずである。


一通り見て回ると厨房に戻って米を鍋で炊き始めた。

火加減の調節はあるが、30分程度で炊くことができる。


ついでなのでもう一つ鍋を使い、味噌汁を作り始める。

食糧庫にあった乾燥ワカメと、チルドの豆腐、滑子を使う。

後は納豆を数パック用意しておく。


火加減を調節し、後は潤かすだけになるとエリア4に上がった。

阿保どもを起こさねばならない。


時刻も8時半を回っていた。

自室から空のカレー鍋をもって出ると、403のドアをけたぐる


「メシを食いたいなら起きろ。今起きないなら自分で作れ。いいな?俺は起こしたからな?」


次に402の前に立ちドアをけたぐる。


「メシの準備が出来たぞ。起きろ。後で作り直すことはないからな」


鍋を抱えて立ち去ろうとすると402から須山が出てくる。

瞼が腫れぼったい。


「起きたか」


「………おはよう………部活で朝練あるから……寝起きはいい……はず」


須山は昨日よりも更にボソボソと喋る。


「十分悪いだろ」


「………八代は?」


「出てこない。起こしといてくれ」


背中越しに伝えると階段を下った。


厨房に入ろうとすると女子が二人、皿を手に立っていた。


「あ、君ご飯作った?」


ポニーテールの女、久方が訊ねる。

やや下方から刺すように真っ直ぐと目を覗き込まれた。


「作ったが?」


少女二人はニンマリと笑って顔を見合わせた。


「朝食お裾分けください!」


「ください!」


「あ?」


突然の事に思わず声が出た。


「あ?じゃわかんないわよ。いいの?」


「お腹すいたなぁ、美味しいご飯食べたいなぁ」


「まあ構わないが」


どうせ米など余っている。


「よっし!朝食ゲット!」


「カップ麺食べなくて済んだね!」


うるさい奴らだ。

朝は低血圧の俺にはハードルが高い。


八代と須山に相手をさせておこう。


「用意するからどこかに座っていてくれ。それと天パと馬鹿が来たら話でもしておけ。そいつらの分も作らなきゃならん」


「天パ?須山って男の子?」


「良く覚えているな。俺の名前は覚えてないくせに」


「え?覚えてるわよ。近藤君よね?」


「優香ちゃん、違うよ!確か伊藤君だよ!」


イラっとする。冗談なのか本気なのか検討が付かない。


「伊藤はないわよ。なんかま行だった気がする」


ならばなぜ近藤と言ったのか。


そもそも初対面の人間との距離の取り方が狂っている。

人の名前を間違えるのはわざとでは無くても謝罪モノだ。


ましてや数度ともなれば嫌われても仕方がないレベルである。


「分かった!真藤!正解でしょ!当たったからデザートつけてね!」


「ずるいわよ!じゃああたし御藤!」


じゃあではない。


「当てに来ている地点で前提が間違っているんだ。気づけ無礼者ども」


「まま!真藤君!細かいこと言ってたら彼女できないよ!せっかくイケメンなんだからさ!」


「いけめぇん?明こういう顔がタイプなの?んー、まあイケメンだけど………あたしのタイプじゃないわね」


何様だ。

心中の苛立ちは微塵も表さず微笑した。


「いやいやいや、優香ちゃん流石に失礼だよ!武藤君イケメンだと思うよ。長谷川君や八代君もイケメンだけど、武藤君は強くて頭良さそうな感じするじゃん」


「よし津崎。お前にはデザートも用意しよう」


「やったぁ!優香ちゃん男なんて褒めとけばこれだよ?」


「あんた…でもイケメンねえ。長谷川くん…も?…イケメン?」


「まさかの…B專?まあ優香ちゃんみたいな美人さんがイケメンに興味ないって言うのはあたしみたいな中の上くらいの鮒ポジにはいいことだけどね」


「鮒ポジってなんだ?」


聞いたことない単語が出たので尋ねる。


「メダカと鮒と泥鰌を一緒に水槽で飼うでしょ?で、餌をあげるとまずメダカが水面近くで選り取り見取りで食べて、落ちて来たのを鮒が食べるでしょ?で、最後に泥鰌が底に落ちたのを漁る。あたしは鮒ポジってわけ」


「………嫌な例えだな。俺はそういうのはよく分からん」


器量はいいほうだと思うんだが………自分に自信がないということか?

津崎の言動を元に性格を推察してみる。


「へぇ。彼女いないの?」


「いた事はないな。自分のことで手一杯だからできてもすぐに振られるだろう」


「中途半端に客観的だねぇ。試しに付き合ってみたりしないんだ。誠実なのか弱気なのか…どっちだろ?」


津崎は小首を傾げてそんな事を言った。

俺の目には彼女は十分以上に可愛らしく見える。


「女子ってのは皆そういう話が好きなのか?………わからん」


何が楽しいのか全くわからなかった。


「それよりさ、須山くんってどう思う?」


久方は急に話題の方向性を変えた。


「須山くん?暗そうだし髪の毛パパイヤってるけどちゃんとすればまあまあ……かな」


「そ、そう?これから来るんだよね?どうしよう、寝癖とかない?」


よくわからない話を始めたので厨房に入る。


味噌汁を再加熱し、たくあんを切り分ける。


鮭を業務用電子レンジで解凍しようとしているとヌラッとした気味の悪い動きで髪の長い女が入ってきた。要注意人物の中道である。


手で胡桃を持つ栗鼠のようにカップ麺を持っている。


俺の姿を見とめると、じっと此方を舐め回すように見回した。


不気味だ。不気味だが、ここは敵対しなくて済むよう胃袋を掴んでおくか。

そんなあざとい判断のもと声をかける。


「なああんた、カップ麺食うつもりなんだったら、今メシを作っているから一緒にどうだ?」


「律子」


「あ?」


「律子」


「名前か?」


「そう。あんたって呼ぶくらいだったらちゃんと名前で呼んで」


「名前なんて、一体何の意味がある?一週間限りの間柄だろう。名前なんて……」


「名前とは個を表すもの。意識していなくとも、人は名前という核に意識が集合して出来ている。名前に意味がないなんて、貴方今にも自殺しそうな人間の言うセリフよ、それ」


「………」


なんだこの強烈なキャラクターは。

俺には手に負えんと内心手を上げる。


「苗字じゃ駄目なのか?」


「苗字はあまり。律子って呼んでおいて」


本人がそう言うのなら仕方がない。


「で、どうするんだ?」


「貴方、名前は?」


「あ?武藤だが」


「名前」


「武藤冬至」


「分かった。食べるわ」


言うとヌルッとした気持ちの悪い動きで出て行った。


なんだあいつ!?怖っ!


しばらく鳥肌が立っていたが、首を振ると再度調理を開始する。


レンジで鮭を完全に解凍するとオーブンに鉄板皿に乗せて焼く。


その間、丼に納豆を8パック開けて味の素と付属のタレを入れ、長ネギを微塵にして合わせると200回かき混ぜる。


納豆は粘りが命である。


発見した盆に小皿に載せたたくあんと梅干を載せ、味噌汁と白米をよそい、然るべき配置にセットしていく。


今の日本人の若者に米や味噌汁の相応しい配置について知っている者がどれほど居るだろうか?


別の小皿には醤油も注いでおく。湯を沸かし、お茶を入れることも忘れない。


鮭も適度な焼き具合でオーブンから取り出して更に盛る。


料理は、愛だ。


食べさせる相手への気持ちだけでは無い。一手間を惜しめば一段味が落ちる。


魚1尾とっても味や硬さが変わってしまう。

愛無くして旨い飯は作れない。


人知れずにやりと嗤う。

盛りつけの美しさ、各食材の彩りは完璧である。


「おい、運んでくれ」


既にスタンバイしていた八代と須山に声をかける。


「やっとできたのか。遅いぞ武藤。お前が遅いからばば抜きしてたんだぞ?このゲーム終わるまでまってろよ」


八代の言葉である。

カウンターに盆7人前を乗せると厨房から出て八代の後ろに立つ。


頭を、掴む。

彼の大好きなアイアンクローである。


「な、何だよ!?」


「調子に、乗るなよ?」


掴んだまま引きずって厨房へ向かう。


「俺が手伝えと言ったら手伝え。お前にそれ以外に出来る事があるか?あぁ?」


「い、いたたたたたたたた!……僕の頭蓋骨がボーリングみたいになっちゃう!」


「運べよ。なあ?何でばば抜きなんかしているんだ?お前のメシだろ?何で運ばないんだ?舐めてるのか?」


「わかった!分かった!やるよっ!」


「お前は何様のつもりなんだ?お前は何様のつもりなんだ?お前は何様のつもりなんだ?」


「ご……めん……なさい………」


「そうか。反省したか。よし」


八代を床に打ち捨てた。


「武藤!僕の扱い酷すぎだろ!」


「メシ、タダで、作ってもらってるお前が、トランプ終わるまで待てとかいうからだろう。もっと常識的な回答を以後期待する」


「クソっ!」


「く………そ………?」


「ひぃぃ!?ごめんなさい!」


八代をせっついていると妙にキリッとした顔付きの須山もやってくる。


「俺も手伝うよ!」


「お前だれだよ」


色気付いた男など糞の役にも立たない。




「なんか、民宿の朝ごはんみたいね」


第一声は久方の侮辱だった。


「……」


「そうだね久方さん。俺、代わりのもの作ってくるよ!」


「いいわよそんな!悪いよ須山君っ」


須山に料理が作れないことは分かっている。あとキャラクター変わりすぎていてドン引きだ。

胸糞が悪くなりそうだ。


女に粉をかける男を見ながら誰が食事をしたいと言うのか。


苛々しながら食事をする。

まあ高校生などこんなものだろう。親に飯を作ってもらって文句を言うだけ。


買い物の手伝いも食器洗いも手伝わない。

そんなものだ。


だがいずれ彼らも理解する。親のありがたみを。

日々の家事がどれ程億劫で、働く事がどれ程辛いのか。


子供が怒られるのは悪い事をした時だけだ。

だが働けば悪い事をしていなくても怒られる。


家事は毎日やらねばならず、サボれば苦しむのは自分だ。

体を拭くタオル、風呂上がりの下着、学校へ行くための制服。


洗濯を失敗すればシャツから臭いが出て恥をかくし、アイロンをかけなければ皺が目立って見窄らしい。


水道もガスも電気も金がかかる。借家なら家賃が、持ち家なら税金が。


生きていく事の辛さが分からないガキを相手にしていても仕方が無い。


「まあまあ!確かに民宿みたいだけど、逆にお客さんとして民宿に行かないとここまでたくさんの品数は出てこないよ?」


津崎は良心的な発言をしている。


「ねえ、僕の綺麗な形の頭、凹んで無い?」


八代は津崎に頭頂部を向けるが一瞥の後に無視されている。


「何………このネバネバは………ウイルス?」


中道は観光客に餌をもらう野生動物のように恐る恐る納豆の匂いを嗅いでいる。


「ウイルスってなんだ。納豆だろう。見て分からないか?」


「…食べた事ないわ。…納豆……あのコンビニの白いパックの中身が…?しかも…臭い……これが食べ物…?」


関西出身の人に納豆が苦手な人がいると聞いた事があるが、見たことも無い人間というのは初めてだ。


皆いただきますすら言わずに俺の料理に箸を付け始める。


久方と須山は2人の空間を作り上げている。聞いている此方が呆れる程初々しい会話を繰り広げている。


此方の発言を聴きやしないだろう。


「納豆………これは……食べ物なの?スライム的な子供の遊び道具ではないの?」


スライム?納豆に対して何を言っているのか理解できない。


「その発想はなかったな………研究して匂いを無くせば納豆は子供の玩具にもなる…のか?」


「武藤君、多分無理だよ」


津崎が冷静に突っ込みを入れた。


「ちょっと、冬至。これ食べて見て。本当に食べ物なの?……なんだか……本当に臭い…信じられない…」


平然と名前を呼び捨てされる。初対面の女に。

この女は異常だ。


「納豆の匂いだね…」


津崎が再び突っ込む。

自ら苦労を背負い込む気概に感心した。


中道が言うので白米に納豆を乗せて食べる。

刻みネギが効いていて塩分も丁度いい。

使うネギによって苦味が出ることもあるが、今回は上手くいった。


「まさか!これを……本当に食べた?……これ本当に食べ物なの!?」


一方須山と久方の2人だけの空間は壊れずに続いている。


「あの二人は放っておけばいい。ところで津崎、滑子の味噌汁はどうだ?鰹で出汁もとった。だが滑子はその独特の食感から嫌う人が多い」


「あたしは好きかな!でも中道さん、納豆を知らなかったって信じらればいよね。なめこも知らなかったりするのかなぁ?」


「納豆って、コンビニに売っているけれど、中身が見えないから買う気が起こらなかったのよ。まさかこんな中身だったなんて……あの時買っていたらきっと開けただけで捨てていたでしょうね。じゃあ…食べるわよ?」


「納豆食べる前に宣言する人はじめて見る」


恐る恐る白米と合わせて納豆を口に入れる中道。


「こ、これは…独特の風味、ふわっとした泡の食感……これが納豆…」


「リアルでグルメリポートする人初めて見た………しかも、納豆で」


「この施設、どうも馬鹿しかいない気がするのは俺だけなのか?」


馬鹿という定義は多岐に渡る。


勉学に優れていても螺子が飛んだ人間はいる。

そんな人間も馬鹿と称される事があるだろう。


自分の食事を他人に振る舞い、食卓を共にしたのは初めてだったが疲れた。

だが、悪くはなかった。


厨房にあった求肥やら寒天やらをつかってクリームあんみつを人数分作って帰ってくると騒がしい雰囲気は沈静化していた。


「どうした?」


席の前にあんみつを置きつつ尋ねる。


「昨日の爆発、結局何が原因かわからないじゃない?」


久方が言う。


「すごい揺れだったよね………で、出られなくなっちゃったんだよね?それに、シャッターが急に閉まって閉じ込められたり………」


「あれはびっくりしたわね」


「………その原因を、職員の人たちが調べてる………」


須山の言葉にスプーンの先で不思議そうに寒天をつついていた律子が顔を上げ口を開いた。


「私は、もう分かっているのだと思う。静岡地下原発は高度な技術を駆使した施設。務める職員も皆一角の人物と聞いたことがある。そんな人達が私達でも気付ける様な事に気付けないとは思えない」


「あ、あたしたちでも気付けることって………?」


恐る恐るというふうに津崎が聞く。


俺は無表情で中道の顔を見つつ、視界の隅で他の聞き手の表情を窺っていた。


「きっと原因も結果も全て分かっていて隠している。私たちを不安がらせない為に」


皆、固唾を呑んで中道の言葉の続きを待っていた。


しかし、何が言いたいのか俺には分かった。


おそらくそれは皆も分かっている。


「私はこれは事故ではないと思っている。事故って……こんな大爆発が事故で起きるはずないじゃない」


「…まあ、そうだな」


相槌を打つ。

久方も頷いている。


「事情は分からないけど、私たちがここに来たタイミングで事件は起こった。まるで私達を閉じ込めるみたいに。それなら私達を出す気はない。そういうことよ」


まるで雑談でもしているかのように淡々と話す。

確かにそうだろう。犯人は俺達を出す気はないだろう。


「じゃ、じゃあ爆弾だったってこと!?どうして!?」


不安そうな表情の津崎。


「どうしてかは分からない。爆弾の他にもガス管か、火山性ガスか……何かは知らないけど恣意的なものでしょうね」


「…………つまり、犯罪ってことよね?」


黙って聞いていた久方が、剣呑な空気を纏って口を開く。


「私たち、何も悪いことはしていないのに犯罪に巻き込まれたの?どうして!?」


どうして!?と叫んだ瞬間久方が豹変した。血走った目で憎々しげに虚空を睨み、醜く顔を歪ませる。


「なんで!?どうして!?どうしてそんなことが人間にできるの!?」


ドスの効いた声はかなりの迫力がある。


「落ち着け。冷静に考えろ。考えられなければ死ぬぞ。お前だけならお前の自業自得だがな。巻き添えで誰かが死ぬかもしれない。津崎か、相沢さんの娘さんかわからないが、取り乱すということはそういうことだ」


落ち着かせる様に言葉を連ねる。


「でも!」


聞き分けのない奴だ。


「怒鳴り散らしても犯人やその動機はわからないだろう?」


「………っ」


「俺の考えを話すからそれまで落ち着け。ではまず、なぜ犯人は俺達を全員殺してしまわず、脱出できなくしたのだろうか?どう思う中み、…律子?」


求肥をスプーンで潰して伸ばそうとしていた律子に尋ねた。


「確実に殺すため」


「だろうな。犯人は何故俺たちが此処に来たタイミングを選んだのだろうか?先週は地下原発研修は無かった。先々週には別のグループがやっていた。人が少ない先週にやらなかった理由。それは研修が無かったからだろう」


中道以外の表情に疑問が浮かぶ。


「恐らくこの事件の計画は職員ではこなす事が出来ないものだろう。そもそも、この施設に入る為には手荷物検査がある。職員も行われる。だが俺たちには無かった。犯人は研修生には手荷物検査が行われない事を知っていたんだ。大量の爆発物を持ち込めるのは学生だけ。それに職員は仕事がある。長時間勝手に抜け出せば同僚に怪しまれる。場合によっては何をしているか監視カメラで探されるだろう。爆弾の設置には時間がかかる。つまり犯人は研修という名目である程度自由の利く立場で潜入する必要があった。だから研修期間中に事件が起きた。しかし、研修という形で潜入したことによって施設に滞在する人数が多くなってしまうというリスクが発生した。爆弾は目立たないものじゃない。全員を一箇所に集めて殺しきれる量も持ち込めないだろう。殺しそこねると、逃げられるかもしれない。だから逃走経路を先に破壊した」


「まてよ武藤。それなら初めから少人数の研修期間外なら5、6人殺すだけだから簡単なんじゃないのか?」


八代が訪ねてくる。


「確かにそうとも言える。犯人の動機が不明だから何とも言えないが、しかしすぐに殺してしまってはならない理由があったとすれば?誰かが何かを知っている………とか。………だから落ち着いたほうがいい。冷静であればそういった危機を乗り越えられる可能性は上がるはずだ」


八代は理解して眉を寄せた。

久方も落ち着いたようである。


だが本当は落ち着いてもいられない。

間違いないことが一つある。

犯人が俺を除いた学生9人の中にいるということだ。

加えて松井と八重、沼木を除く4人の中に共犯者がいる。

そう断じる理由もある。


可能性は二つ

一つはこの施設内に探し物、もしくは探し人がいるケースである。

例えば何か重要な情報を持っている人物がいるのは分かっているが、それが特定できていないなどのケース。


この場合犯人は人の出入りが邪魔となる。


しかしそうするとエレベーターを破壊してしまう意味はない。

ブレーカーを落とし、制御盤の鍵を閉めたまま隠しておけば事足りるのである。


では何故破壊したのか?

犯人は何らかの脱出手段を持っているのか?


その可能性はある。


このケースを想定するなら犯人は探し物、探し人の具体的な情報を把握していない可能性が高い。


わかっていれば態々爆破させず何くわぬ顔で一週間を過ごし、そのなんらかと接触すればいいのである。


この説の矛盾点はエアラインを破壊したことである。

これによってタイムリミットが設けられてしまった。


この説では犯人の狙いが俺でなければ、知らなくていいことを知ってしまわなければ無事に脱出できるはずである。


もうひとつの可能性はテロの可能性である。


静岡地下原発の電力供給範囲は西は東京、東は愛知にまで及ぶ。


地下原発からの電力が途絶えれば経済の低迷すら懸念される。


それに国内最大規模の原発がメルトダウンを起こし、万一放射能が地上に漏洩しようものなら、大変な事件である。


日本政府に対し無理難題を突き付けるに足るテロリズムとなるだろう。


昨今の戦争の気配が色濃い中、電力不足に陥ろうものなら………想像するだけで鳥肌が経つ。


或いは海外の仮想敵国が日本国土を攻める為の布石、と捉える事も可能だった。


そして最後の可能性。この17人の中にどうしても、何があっても殺したい人間がいるか。


このケースであればこちらは手の施しようがない。

犯人は自分の命など微塵も顧みないだろう。


怪しい人物を発見したら拘束、殺害する必要も出てくる。

脱出手段も自分で講じなければならないだろう。


「ごめんなさい、ちょっと取り乱しちゃったわ」


久方は冷静に考えたようだ。


「しょうがないよ久方さん」


須山が久方を慰める。


「あたしたちに危害はないかもしれないし、あるかもしれない。脱出を待つだけでは危険かもしれない。だから冷静になれってことね?」


「………久方さんは大丈夫。………俺が………」


「須山君………」


なんだろうこの三文芝居は。


「小学生のロミオとジュリエットかよ」


どうやら八代も同じ感想を抱いたようだが、評価は俺よりも辛辣である。

二人のお陰で気が抜けたのか、あ~あ、と気の抜けた声を出しながら八代はトランプを切り始めた。


「何やるの?」


と、津崎も乗り気である。

中道の方は一つ目の求肥を食べ、残った緑の求肥に小さく齧り付いている。


「求肥、好きなのか?」


「ギュウヒ………牛の皮?」


「いや、牛は関係ない。その緑のは餅菓子だ」


求肥を見たことがないという事実は納豆よりはインパクトが小さい。


プロフィールで叔父が扶養していると知っていたから何らかの事情があると判断した。


「食べ物は詳しくないの。コンビニにあるものは分かるのだけれど……」


「コンビニの食品は添加物が多い。お勧めはしない」


「料理はできないから。でも納豆なら作れそう。どうやって作るの?」


納豆の作り方を尋ねられる。

俺は眩暈がした。


「どうって、パックから出して味の素を入れた。今日のは長ネギを微塵切りにして適度に味付けをしたが………入れるなら紅生姜や卵の黄身もいいな」


「この、これは?」


あんみつの入っていた器を指す。


「あんみつか。和食系のレストランに行けばあるはずだが。気に入ったのか?」


「美味しいわね。冬至はどうしてこんなに料理が作れるの?」


また呼び捨てにされた。


「趣味だな。どんなに嫌なことがあっても晩飯に旨いものを食えば忘れられる。自分で手間暇かけて作るからこそ尚更美味く感じる」


「そういうの、いいわね。私も初めてみようかしら」


何か趣味を見つけることはいいことだろう。


「お昼」


「なんだ?」


「お昼もいいの?」


「ああ、食べたいなら」


「食べたい。いい?」


「ああ」


席を立つ中道に12時にここに来るように告げると自分も席を立つ。中道と話してる間に4人は大富豪を始めていた。


ジャックターンは有りか無しかについて八代と久方が議論を戦わせている。

呑気なものだ。


「………武藤も、やる?」


「いや。昼飯食いたいなら12時にここで」


言うと背中越しに手を上げてラウンジから出た。


階段の手前で腕時計を確認すると09:44を示していた。

昼食までに施設全体を見て回る事にする。


エリア6は見たのでエリア1を見て回ろうと考え、一歩踏み出すと階下から長谷川と狭川が姿を現した。


「やあ、武藤くんだったよね?」


「ああ。朝飯か?」


長谷川と狭川の顔を順に見て尋ねた。


「そうなんだ。寝坊しちゃって」


「武藤君はもうすませた?」


「ああ。そっちはずいぶん遅いな」


「昨日狭川君と遅くまでビリヤードしていたせいで寝坊したよ」


「ビリヤードか。やったことないな」


「僕も一回友達に連れてってもらっただけだけど、狭川君も初めてだったからいい勝負ができたよ。武藤君も後で一緒にやる?」


そう聞かれたとき、長谷川の背後で狭川がぴくりと反応した。

人見知りなのだろう。


それに俺自身遊んでる余裕はない。


「いや、誘ってもらって悪いが昨日のことであまり心のゆとりがない。悪いな」


「そっか。そうだよな。昨日は君も結構動揺してたよね。今は落ち着いてるから勘違いしちゃったよ」


爽やかに笑う長谷川。


「今は状況が落ち着いているからな。何も解決していないとも言うが」


「ああ、まあそうかもね。それとも…………何か知っている?」


長谷川と俺の身長は殆ど変わらない。

目をじっと見つめられた。


こいつは俺を疑ってるのか?


確かに何も知らないわけではない。

監視カメラの映像で把握していることも多い。


だが面の皮の厚さには自信がある。

眉根をよせて訝しむ様に逆に長谷川を見返す。


「知ってるってどういうことだ?昨日の事についてか?」


「いや、ごめん。どうも妙に落ち着いて見えるからさ」


「それは長谷川もだろ」


「僕の場合は合田先輩とのことがあるから、それ以外はどうもどうでも良く感じてしまって」


「あれはまずかったな。まあこれからなるべく会わないようにしていれば問題ないだろう。職員もいるし、自衛の手段もあるだろう?」


「まあね。ありがとう。少し気分が楽になった。それじゃあお腹も減ったし、これで」


二人連れだってラウンジに入っていった。

すれ違う時も狭川とは目が合わなかった。


階段を上ってエリア1に入る。

このフロアにはもうひとつのラウンジがある。エリア5のラウンジがラウンジ2。ここのがラウンジ1である。広さは2の五分の三程度。椅子とテーブルは下のものと変わりない。


人気がない。

右手のドアを開けると中はホールになっている。


スピーチや表彰をする為か、高台があり演説台にはマイクが置かれていた。埃っぽい匂いが充満している。あまり使われていないのだろう。


エリア1の客室は全部で7部屋。入って左手にL字型に配置されている。

手前から101~107である。


監視カメラ映像から入室状況は狭川、空き、合田、空き、久方、津崎、空き、という状況。


他には正面壁際に倉庫1がある。その右手は内側から爆散しており、周囲は煤け、中から機械部品が飛び散っている。


サインマップによるとここはプレート制御機械室。プレート抑制システム関連の機械が設置されていたらしい。


その隣の鋼鉄製扉はこちらに向けて歪にゆがんでおり、隙間からコンクリート片や鉄塊がはみ出している。

使えなくなってしまった非常階段の出入口だ。


その隣にあるドアから外に出ると見たことのない光景が広がっていた。


直径50mの球体に施設が覆われている。被っている外殻はLEDか何かが埋め込まれているのか数色の電光で光り輝いている。


その球体の中心部に林檎の芯のような状態で施設があり、施設を中心として上部と下部、そして中央で十字に構造物で外殻と接しており、固定されているようだ。


風はなく、工場の中のような金属イオンの香りがした。

時々、外殻が軋むような音を上げている。焦燥感を煽る音だ。


上部の構造物は二本の巨大な円柱であるが、所々亀裂が見える。あの二本が地上とつながっていたエレベータシャフトと非常階段なのだろう。太い方は時折スパークしている。そちらがエレベーターか。


この分では再生は厳しそうである。

これがスフィア外殻と言われている施設の外壁だ。

金属イオン臭に耐えられなくなりラウンジ1に入る。

相変わらず誰もいなかった。


一応これで全てのエリアに足を踏み入れたか。


椅子に座り少し状況を整理する。


取り敢えずは自分の危険性についてである。


気になるのはこの施設と原発は行き来ができないと聞いていたことだ。


確かに見たところ離れた原発に続く様な出入り口は無い。

テロ活動に及ぶなら原発に乗り込んだ方が遥かに効果がありそうな物だ。


だが、事件は起こった。これはどういうことなのだろう。


情報か何かが必要ということか?


それに気になる点がもう一点。

何故爆発は二度起こったのかということだ。


一度で行なったほうが明らかに容易いはず。


わからない。情報が足りない。

とにかく油断は即死につながると言っても過言ではない状況だ。


自室に帰ろうとすると今度は相沢親子と出くわす。


「おはようございます」


「おお、おはよう武藤くん」


「おにいちゃんおはよう!」


八重の前にかがむと目線を合わせる。


「おはよう」


それを見て相沢がクックと笑う


「武藤君は子供好きか」


「ええ、このくらいの子は癒されます。妹がいるので。今はすっかり生意気になりましたが」


「仏頂面で不機嫌そうに見える割に子供とも目線を合わせるからな。子供が出来て分かったんだが、話す時に子供と目線を合わせる人は本当に子供好きだ。子供も懐く。反面可愛いだの何だの言っていても目線を合わせない人は口だけだな。君はうちの子に懐かれてるぞ」


「………仏頂面」


俺は仏頂面なのか。

よくわからない。

自分の顔を触ってみるが可笑しな所はない。


「これから通信回路を復旧できないか作業しなければならなくてな。これから娘は昼寝させるところだ。今度良かったら遊んでやってくれ。君なら娘も喜ぶ」


そう言って親子は401に入っていった。


頭を掻いてもう一度自分の顔に触れてみるが分からない。

どこか変なのだろうか。


自室に戻るとしっかりロックをかけて本でも読むことにした。


途中洗面台の鏡を覗き込んでみる。そこには確かに仏頂面が写りこんでいた。余裕のなさそうな、眉の寄った顔だ。目つきは突き刺すように鋭く、刺々しい。


この顔は一生このままだろう。歯を出し、笑おうとするが、どうしても黒い、嗤うと表現したほうがいい表情になってしまう。


ああ、きちんと笑うこともできないんだな、と感じる。


ソファーに深く腰掛けると脇のバッグから文庫本を取り出す。


村上春樹の羊をめぐる冒険。1982年に出版された小説で、彼の小説の中で一番好きな作品だった。独特の雰囲気で、自分も何か大切なものを探し出したいという気分になる。


もう表紙に手垢が付き、クタクタになる程持ち歩いていた。


主人公の僕は終始肝心なことを明確には表現しない。

読み手には、僕がどこまでわかっているのかはっきりとは分からない。


だが、何かが起きた時に細部まで物事を理解出来る立場にある人間など殆どいない。


重大な事件に巻き込まれても、実際そこで何があったか全てを知ることはなかなかできないことだと思う。




11時になった。

昼食の準備をするためにラウンジ2に向かう。


そこでは相変わらず4人でトランプをしている。

しかし傍から見るとインディアンポーカーとは随分滑稽なゲームだ。


昼食は何にするか。

食糧庫で天麩羅粉を発見したので、それを使おう。


チルド室で茄子、南瓜、占地、大葉を取り、フリーザーで冷凍うどんとブラックタイガーの殻を剥き、袋詰めして冷凍したパックを取り出してくる。


油とボイル機のスイッチをいれるとエビのパックは流水に付ける。


天麩羅粉の半分は水と合わせて撹拌し、米を研ぐ。


もう一度食糧庫に行くとうどん汁のボトルと醤油、みりんを見つけ、厨房に戻ってタレを作った。


米を炊き始めるとしばらくすることがない。

ぼんやりインディアンポーカーの様子を見ていると厨房に女が入ってきた。ふっくらとした体つきにソバージュの髪、草野だ。


「………天麩羅作るんですか?」


洗って並べておいた海老や、カットした茄子や南瓜を見て当りをつけたらしい。


「ああ」


「お料理、得意なんですか?」


「母親が下手糞でな」


意図的に嘘を付いた。


俺の嘘を信じて草野は苦笑した。


思い出したくない記憶がぶり返しそうだったので何も聞き返さなかったが、草野は焦ったように口を開いた。


「私は中学も高校も料理部に入っていて、お料理を食べて喜んでもらえると嬉しくなるから」


綺麗事だな、と思う。

理想や夢だけでは生きていけない。


そのことは昨夜相沢に媚びへつらっていた草野が理解できていないとは思えない。


「料理は好きだが、自分のためだな。自分で作るものは安心だし、作った苦労の分上手く感じる。食えればいいってことだ」


料理についてだけでは無い。俺は根本的にこの考え方に終始していた。


「考え方の相違だね」


草野は儚げに笑った。

その笑みに込められた感情が読み取れない。


ああ。

それで分かった。

感情など込められていないのだ。


愛想笑いだ。

俺は愛想笑いはあまりしない。


そのせいなのか、草野はフッと怯えた表情をした。


「なんだ?」


「あの……え……と、私、何か怒らせるようなこと………言ったかな?」


彼女は俺が怒っていると思ったようだった。


「いや。愛想が悪くて悪いな。俺はあんたの事はなんとも思っていない」


ご機嫌とりをするつもりはないが、無駄な確執を引き起こすのも良くないので適度にフォローしつつ、バーナーの温度を中火に落とす。


それに嘘は吐いていない。

俺は本当に彼女の事を微塵も何とも思っていない。


油の温度が180℃に達し、ヒーターがぱつんと音を立てた。加熱を止めたのだろう。湯も湧いているので準備を始めていく。

海老の尻尾を潰すと天麩羅粉を付ける。


上手く上げるコツは天麩羅液を氷水で冷やしておく事だ。溶いた天麩羅粉に浸すと背中から油に入れる。一度沈み、浮いてきたらすぐさまスプーンで掬った溶いた天麩羅粉を垂らし、花を咲かせる。


それを繰り返すと海老、南瓜、占地と、こちらは液に浸すだけで落としていく。野菜を落とし終えると冷凍うどんをボイル機の中のバスケットに突っ込んでいく。


男の分は天丼にするためにどんぶりに米をよそい、水で割ったうどん露とうどん用の皿、天麩羅用の皿を盆にセットしていく。

うどんを上げると水で冷やし、天麩羅も油を切って挙げておく。

最後に大葉の裡面にだけ粉と液をつけ、さっと上げる。

後は盛り付けるだけだ。

盛り付け終わると男二人を呼ぶ。


「……あの………武藤くん……」


カウンターの向こうの須山と八代に運ばせていると草野が声をかけてきた。


「なんだ?」


「あの……冷凍庫に……ね、先生が………」


「ああ、松井の死体か」


「私、怖くて入れなくて………それで………」


「それで?」


自分の中では置物と同じような認識しかしていなかったため何が言いたいのかわからない。


草野はしばらくもじもじしていたが、意を決して口を開いた。


「豚肉を……300gくらい取ってきて欲しいんだけど、いいかな……?」


「ああ。どういう形状のだ?」


「えと、ブロック状の普通のなんだけど………」


確かそれならあった。


なる程、死体が怖くて入れないから取ってきて欲しいということか。

それならそうとウジウジしていないでさっさと言えばいいものを。


しかし死体が怖いとはどういうことだろう。

死体となってしまえば動きはしないのに。


さっさと豚肉をとってくると草野に渡し、須山たちの下に向かった。いつの間にか中道も席についている。


「おいおい武藤、何お前、草野さん狙ってんの?」


ニヤニヤしながら聞いてくる八代。


「馬鹿か。女は怖い生き物なんだ。お前はわかっていない。どんなに可憐に微笑んでいても、裏ではこっちを殺す算段をしていたりするんだ」


「武藤君昔何があったの?聞かせてよ!」


津崎だってニコニコ笑っていたって裏では証拠を残さずどうやって仕留めるか考えているかもしれない。


隣の中道は…

普段はどうか知らないが今は間違いなく大葉の天麩羅に惹かれている。


「でも武藤君天麩羅作っちゃうなんてすごいね!海老もレストランみたいに真っ直ぐだよ!」


「コツがある。油に落とす時丁寧に逸らしながら」


「で、武藤。昔お前は女に弄ばれたのか?女の一人や二人弄べよ!」


俺の蘊蓄を遮って八代が下らない話をする。


「八代くんさいてー」


「あんたないわー」


「……まあ俺のことはともかく、俺は武藤と草野さん、無理だと思うけどな」


「無理も糞も興味ない」


「僕の見た感じだと中道さんか都崎さんが相性良さそうだけど」


「やっだ八代くん、あたしと武藤くんがラブラブだなんて!」


津崎がへらりと笑い冗談を飛ばす。


「ラブラブとはいってないけどね」


「いいから冷める前に食え」


俺が言う前から中道は食べ始めている。


ちなみに俺は海老の尻尾は残す派である。


「なに………こんなサクサクの天麩羅、食べたことない」


「揚げたてだからな」


「コンビニの天麩羅はしなしななのに…」


それはそうだろう。衣が蒸気を吸ってしまうからだ。


中道は用意したポン酢に天麩羅を付けて食べている。

天汁がセオリーだが、ポン酢の味の濃さと天麩羅の組み合わせは背徳的な旨さがある。


中道はコンビニで生き長らえているだけあり、ジャンクな味が好きなようだ。


「コンビニとは全ての美味しいご飯が集う場所だと思っていたのに。私は今までゴムのようなインスタントうどんやぶにぶにした衣の天麩羅しか食べたことはなかった………」


「どんな先入観だ。コンビニも美味いものはあるが……一体どんな食生活をしていたんだ?」


「1日1食、コンビニ」


「酷すぎじゃね?花の女子高生の生活とは思えないわ。もっとタピオカ飲んでクレープ食べて、カフェでばえる飲み物飲んで」


八代が突っ込むのもわかる。

須山と久方に突っ込むのは辞めたのかとそちらを見てみると、二人は独特の空間を形成して二人で話し込んでいた。


「近所のコンビニ数件の食料品は全制覇済みね」


「どうでもいいけど凄い。でも早死にしそー」


「確かにそんなんじゃ体に悪いだろう。碌な食生活をしていないみたいだが、強くなれないぞ」


「食事に強さを求めているのは武藤君だけだと思うよ」


津崎が冷静に口を挟んだ。


「でも中道さんそんな食生活だからおっぱいあんまりないんじゃない?」


「………」


襟を引っ張って自分の胸元を除く中道。

なにこの女、怖い。


「八代くんさいてー」


「いたっ!何で津崎さんが蹴るんだ!」


「あたしはちゃんと食べてるけどこんななんです!」


「ごめんなさいごめんなさい!」


「なる程。八代は乳が有るから草野狙い、と。把握した」


「うわぁ、おっぱいで女の子選ぶとか、八代くんほんと最っ低」


「そんなこと一言も言ってないのになんでこうなった!?武藤!どうにかしろ!」


助けを求める八代。

仕方なく八代をフォローしてやることにした。


「俺は海外には何度も行ったことがあるが、日本人が貧乳なのは民族的なものだ。諦めたほうがいいだろう」


「イタッ!?いた!?蹴るな!武藤!フォローになってない!」


「八代くんてすごい失礼。あたしが鮒ポジだから!?」


「な、何鮒ぽじって………どうしよう武藤、この子マジ何言ってるのかわかんない」


騒ぐ奴等を他所に自分の分は完食する。


「冬至、胸は大きい方がいいの?」


「さあ。邪魔なんじゃないのか?知らんが。走って逃げる時に大きいと揺れて痛いとアンジェリカが言っていた」


「アンジェリカ誰!?」


「胸のでかい女だ。グレープフルーツみたいで邪魔そうだった」


「も…揉んだ…?」


「まさか。それにヴァシーも肩が凝って辛いと言っていたが」


「ち、ちなみにそのヴァシーさんはフルーツで言うと?」


「スウィーティーか」


「so sweet!紹介してくれ!」


八代は大声を上げた。


「いや、確か去年モサドに捕まったと聞いてそれっきりだ。死んだんじゃないのか?」


「いやいやいや、なにそのワイルドな設定。いらないから」


「ちなみにアンジェは先々月地雷で吹っ飛んだ」


「いやいや、そういうのいいから!」


「馬鹿だな。人なんてみんなすぐ死ぬんだ。少し早いか、遅いかだ。乳だってこの世の摂理には勝てない」


「なんだよ摂理って」


「重力」


「意味深なセリフ言っても誤魔化せてないよ武藤くん…。つまり武藤君は貧乳派って事?…あ、中道さんうどん露飲んだら体に悪いよ!」


背中を丸めてズルズルとうどんつゆを啜ろうとする中道を津崎が止める。


「烏龍茶と似たような色合いだから飲めるんじゃないの?」


「なんで似たような色合いだからって飲もうとするかな!?」


「うどんに付けたら美味しかったわよ?」


そのまま律子は飲んだ。そしてそのまま正面の津崎に吹きかける。


「大分、濃いのね」


「うわぁちょっ」


仕方がないので厨房からアルコールダスターを持ってくる。


「これで拭け」


「ありがとう………………かっ!?ごっ、はっ?!」


そんなにガッツリ拭いたら気化したアルコールで、という暇もなく津崎は咳き込む。涙まで流している。


「なにこれ酷い!」


「アルコールダスターだ。拭けるし殺菌も出来る。誤飲には気を付けろ。メタノールだから失明するぞ」


津崎は折角のダスターを投げ捨てた。


「殺菌………失礼ね。私の口が菌だらけとでも言うの?あとごめんなさい。烏龍茶とは全く違う味だったものだから……」


「いやいや、それわかってたろ!うどん食ってたんだから!ねえ武藤、この人俺怖い!何言ってるか全然分からん!」


八代の発言など微塵も鑑みず中道は悠々自適にお茶を啜り始めた。


「武藤君、アルコールダスターは顔を拭くものじゃないんだよ?」


「?美容室や床屋でタオル出てくるだろう?」


「それ蒸しタオルだよ!」


もー、と言いながら津崎はハンカチで顔を拭いた。


「悪意があるのか無いのかいまいち分からないんだよなぁ、こいつ」


ああだこうだ言いつつ津崎は顔と髪を拭き終わる。

ヒリヒリする、という言葉は聞こえないふりをした。


その頃には大体皆食事を終えたようだった。

しかし、こんなに賑やかな食事はいつ以来だろうか。


妹と二人で食べていても、会話はない。


「ねえ武藤君」


「なんだ」


「顔痛いんだけど、デザート作ってくれない?」


「その二つ、全く繋がっていないぞ」


「じゃあデザート作って!」


「おいむとぉ~、おれにもでざーとくわせろよぉ~」


八代の猫なで声を聞いた瞬間手に持っていた箸が折れた。


傍若無人な高校生相手にストレスが溜まっていたのだろうか。


「今度また同じ話し方したら奥歯を全部抜く。銀歯も抜く」


「怖っ!なんでだよ!?」


「お前が馴れ馴れしいからだ。本来であれば俺はお前の様な軽佻浮薄な人間とは会話すらしたく無い。益が無い。時間の無駄だ」


手を見ると折れたプラスチック箸の一部が皮膚に食い込み、肌が裂けて血が出ていた。


「きっつー。お前どんだけ僕のこと嫌いなんだよ!」


叫ぶ八代とは対照的に須山が席を立って給湯室に向かっていった。


「血………血が、出てる………」


「ん?ああ」


久方はぼんやりと血の流れる手を見ている。

片手でプラスチックの箸が折れるとは思わなかったのだろう。

自慢だが握力は強い。


「冬至、破片抜いたほうがいいんじゃないの?」

「ああ」

右手の掌に食い込んだプラスチック片を左手で取ろうとする。

両利きだが血で滑り、なかなか抜けない。


「ピンセットがあれば楽なんだが……」


どうしようか悩んでいたら律子が寄ってくる。


「手」


「ああ。すまん」


器用に破片を抜き取ってくれる。


「悪いな。洗ってきてくれ」


傷を眺めながら中道に手を洗うよう言うと、黙って給湯室に向かっていった。


「血が出てる」


突然久方がつぶやく。

そんなことはさっきから分かっているだろうに。


「早く、止めなきゃ……全部出ちゃう……」


「いや、それはないでしょ」


「どうしたの優香ちゃん?なんかさっきから変だし、顔色悪いよ?」


津崎が心配そうに顔を覗き込む。


久方の顔色は不気味なほど悪かった。


須山が給湯室から持ってきてくれたおしぼりで血を拭うと傷口は大して目立たない。


鈍い痛みだけが傷のあった証明である。


「………久方さん、大丈夫?………さては、八代に何か………」


「みんなどんだけ僕の事事嫌いなの?」


「………八代だから、何があっても、おかしくない………」


須山が鋭い目つきで八代を見やる。


「寧ろ初日の言動で誰かに好かれると?本気で思ってるのか?」


「半端ない辛辣さ」


とうとう八代が萎れて俯いた。


「本当に大丈夫か?」


「あ、あはははは!大丈夫よ!」


言いたくないことなのだろう。

それなら態々掘り返す事もない。

どうせ須山にはその内言うのだろうし。


しかしこんなにも下らない事で妙な空気になってしまった。

八代が気持ち悪かったので空気が悪くなるとはどういうことだ。


ジトッと右隣の八代を見るとたらりと一筋脂汗を垂れ流した。


「自分んで言うのもなんだけどさ、僕結構顔はいいと思うんだけどさ」


「本当に自分で言うのもなんだな」


「わかってるわ!……でもこんな扱い悪いポジションにつくのは初めてだよ……」


「生来のポジションだろう」


「うるさいよ!お前らの性格が悪すぎるんだよ!」


興奮して唾が飛ぶ。アルコールダスターで唾が付着した位置を拭き取る。


それを見て八代は嫌そうな顔をした。


「お前に言われたくない。確実にお前の方が性格悪い」


「僕は武藤にこそ言われたくない!」


「八代くんちょっとうるさいから部屋帰ってくれない?」


少し顔色の良くなった久方にきつく言われて八代は眉を八の字に下げた。


「………どうしよう、マジで泣きたくなってきた………」


うるさい八代は放っておいて席を立つと、厨房に向かう。


パフェグラスを3つラックから取り出すとスクープを持ってフリーザーに入る。


少し変な空気になってしまったのでパフェでも作ろうという魂胆だ。

女性の分だけだが。


松井の死体の横でパフェを作り始める。


「なあ先生、チョコアイスが硬すぎて手首がおかしくなりそうだ」


「………」


「あ、フルーツをちょっとカットしてくるから待っていてくれ」


「………」


「先生はココアコーンとコーンフレーク、どっちが好きだ?」


「………」


「コーンフレークか?奇遇だな。俺もだ。ココアコーンは少し硬いからな」


「………」


「完璧だ……ホイップのバラも美しい仕上がりだ。ミントはいるだろうか?」


「………」


「だよな。どうせ食わないからいらないか」


できたパフェをもって外へ出ると草野がいた。


「あ……話し声が聞こえたから誰かと思ったよ………」


「草野か。パフェを作っていたところだ」


そのままラウンジに出る


「あ……あれ?もう一人は?」


「あ?」


怯えた表情で聞いてくる


「だ、誰と話してたの……かな?」


「俺一人だが?……いや、松井がいたな」


固まる草野を背後に席へ戻った。


戻った先では須山と久方が二人だけの空間を作って話し込んでおり、八代が津崎になにやら責められ、中道は人差し指の爪を指でこすってぼんやりしていた。


そこにパフェを投入する。


「武藤君凄い!ありがとう!」


童女の様に喜ぶ津崎に対し、中道はぴくりと猫の様に反応して運ばれるパフェを目で追い、自分の前に置かれると顔を近づけた。


匂いを嗅いでいる。


「武藤、僕の分は?」


「自分で作ればいいじゃないか?」


「なにその不思議そうな顔!むかつくわ!」


「津崎にもらえばいいだろう」


「あ……ほんとに気持ち悪いからごめんね?」


「聞く前からわかってたよ」


須山と久方は昨日出あったとは思えない食べさせあいっこをしている。


最早2人は気にならなくなっていた。


自分の分は作っていないためソファーに背をあずけて様子を伺う。


久方は満遍なく上から順に掬い、津崎はフルーツを残して食べ進む。

中道はスプーンを使ってアリクイの様にコーンフレークから食べている。手首の動きの速さとスナップがそこはかとなく気持ち悪い。


「なあ」


八代が声をひそめて耳元に囁きかけてきた。

全身に鳥肌が立ったが堪える。


「なんだ?」


「中道さん、ちょっと変な動物っぽいけどものすごく美人だよね。知り合いによくテレビドラマに出てる美人女優がいるんだけど………顔のレベルはおんなじだけど、中身っていうかさ、よくわかんないけどオーラ?っていうの?中道さんはなんか凄い。どんな人生経験するとあんなオーラが出るんだ?」


「オーラってなんだ?」


オーラが何かは分からなかったが、彼女に妙な気迫が有るのは俺も感じていたことだ。今は変な動物のようだが、一人で立っている時の彼女は鬼気迫る迫力がある。


威圧感、拒絶感、その他諸々。

鼻先に付いた生クリームを舌で舐め取ろうとして届かず、段々のけぞっていく様からはそんな気迫は微塵も感じられないが。


「武藤と中道さん似てるよ。武藤も自分より大切な子供を狙われてる母親みたいな、後が無いっていう気迫があるし」


言い得て妙だと思った。確かに俺にはそういう面がある。


「僕とは相性悪いとおもうけど武藤は良さそうだし、隣りに連れてたら皆絶対見ちゃうんじゃない?」


「興味無いな」


「………、どうも食生活も危なっかしいみたいだし、ここから出てからも面倒見てあげたら?」


「そんな余裕はない」


俺と中道は似ている。それは認めよう。

だが俺には余裕が無い。自分のことで精一杯だ。これ以上抱えてしまえばもう潰れるだけだ。


中道だって似たようなものだろう。


「じゃあさ、津崎さんはどうだ?どこか危なっかしいけど、お前が支えてあげれば。それに元気で可愛いじゃん。一度懐いたらきっと子犬みたいにずっとついてきえくれそうだろ?」


「お前は俺をどうしたいんだ」


「いや………お前さ……………」


八代はそのまま考え込むように口を閉ざす。


次に口を開いたのは中道だった。

パフェグラスのそこに溜まったヨーグルトをなんとかすくいだそうとしている最中の言葉であったため重さは感じられなかった。


「先生のことなのだけれど」


だがそれはやはり重たい内容なのだろう。


「考えていたのだけれど、なぜ先生はあの時このラウンジを出たのかしら?普通引率教員ならまず生徒の身の安全を確認するはずでしょう?」


律子の言うことは俺も今朝考えたことである。


「あの人は我先にとラウンジから職員に続いてかけ出て行った」


「確かにおかしいわね。でも生徒の安全確保という線も捨てられないんじゃないの?」


「そ、そうだよ!松井先生優しかったし、面倒見のいい先生だよ!」


「まあ、面倒見のいい教師かもしれない。そうではないのかもしれない。なら、なぜ松井は管理室にいたのだと思う?」


訊ねる。

自分一人で根を詰めて考えるのもいいが、やはり議論することで一人では思い至らない可能性に気付けることもある。


「そうね、私があの先生で、優香の言うように生徒の安全確保の為に動いたとしたら、まずはエリア2のエレベーターに向かう」


中道が意見を言葉にする。

だがそうしなかったと俺は考えている。


「それでは矛盾が生じる。話は少し変わるが、垣野さんが状況の説明をしたときにエレベーターは稼働できない状況にある、というようなことを言っていたのを覚えているか?俺はその言葉をブレーカーが上げられない状況と解釈した。ではブレーカーが上げられない状況とはどういうことだろう?」


「ブレーカーを上げるためには何らかの処置が必要ということね。例えばセキュリティカードを使う、とか」


「だろうな。ブレーカーが落ちたのなら上げればいい。現に大寺さんが松井の死体を移動させる時にやっていた。では何故上げられなかった?恐らく、それを操作する為の鍵を紛失していたのだろう」


「そんな怠慢な!」


八代が声を上げた。

俺はそれを手で制する。


「違う八代。紛失とは言ってもただ無くしたのではない。盗まれたのだろう」


「………」


八代は考え込む様に口を閉じた。


「松井がもしエレベーターに一直線に向かっていたのなら、その時にはまだエレベーターは正常稼働していたはずだ。何故なら1回目の爆発の段階でエレベーターには爆発物が仕掛けられていなかったのだからな。一緒に爆破しない意味はない」


「職員は真っ先にエリア3の管理室でメインコンピューターを確認したはずね。それならばそのあとは大破した非常階段を見て、その後エレベーターの無事を確認するはず」


俺の言葉に中道が返す。


「しかし職員がエレベーターを確認しに行った時には既にエレベーターは使えなくなっていた。もし、松井がエレベーターを確認しに行っていたらそんなことにはならないはずだ」


「あの人は職員ではないから、カードキーは手に入れられない。あの人はエレベーターのブレーカーを落とせない。ほかの人がブレーカーをこっそり落としに行ったはず。でもそこにあの人がいたらそれはできない」


「人目を避けた犯人はエレベーターのブレーカーを落とす事が出来ない。或いは松井はエレベーターの前で殺される」



「最初から落ちてたって可能性はないのか?」


「無い。それなら犯人は最初からエレベーターも爆破すればいい。先にも言ったがバラバラに爆破する意味がない。恐らく、爆破犯は一回目と二回目で別人なのだろうな」


考えていて不自然な点に漸く納得する。


一度にやってしまえる犯行が二度起きたということは、そういうことなのだろう。


「松井先生はエレベーターは見ずに管理室へ行ったってことね。でもそれは状況の確認をしに行ったんじゃないの?」


「そ、そうだよ!」


久方の疑問に津崎が食い気味で同意する。


「それは考えにくいな。俺は松井と誰かが話したというような話は聞かなかった」


「でも、それは聞いてないだけで………」


「…………職員の人たち、先生がいつの間にか死んでる………みたいなニュアンスだった………」


「確かにそうね……」


須山の言葉に久方が同調して頷く。


「確かに松井はすぐに出てったのに会ってないってのもおかしいよなぁ」


「これは俺の勝手な結論なのだが、松井は初めからエリア3に向かうつもりだった。事情はわからんが、職員に見つからないよう潜み、管理室がもぬけの殻になった段階で忍び込み、感電死した。一方の犯人はメインコンピューターで状況をほかの職員共々確認し、エレベーターを破壊することにした。そいつにとってエレベーターが利用できる状況は宜しくなかったんだろう。職員たちが非常階段を確認しに行った隙に素早くエレベーターのブレーカーを落とし、すぐにエリア1に向かった。そういうことだろう」


「ああ……そうか、そういうことね。やっと辻褄があったわ。でも冬至、本当に先生は事故死?私は見に行ってないから」


「律子は松井先生が誰かに殺されたって言いたいわけ!?誰に!?誰によ!」


久方がまた暴走を始める。明らかに激しすぎる怒気を抱いている。


「ねぇ……やっぱりおかしいよ………どうしてエレベーター爆発させるの?犯人だって出られなくなっちゃうんだよ?」


眉を寄せ痛ましげに尋ねる津崎。

気持ちは分からなくもない。


「殺されたとしたら、やっぱり犯人は爆発犯なの!?」


「そう決めつけるには時期尚早だが………可能性は事故より高いだろうな」


「自殺って説はないのか?」


突拍子もない事を言い出した八代に肩をすくめる。

こんなところで敢えて自殺する必要はないだろうし、真実が自殺なら最早推理は難しい。


「なぁ………」


うっちゃられたのが不満だったのか、再度八代は口を開いた。


「なんだ」


「いや………なんつーか…………」


しばらく言いよどんでいたが、意を決したのか口を開く。


「僕さ、ちょっとトラウマみたいなので、死体を見ると吐くんだ」


トラウマか。片親なことに関係があるのだろうか?

そもそも死体を見ると吐く、という事は死体を見た事がある、という事だ。


「グロいのがダメなわけじゃなくて、映画とかの死体は平気なんがけど、戦争ドキュメンタリーとかで白黒でも本物が写ってるのは、やっぱり吐く」


「あなたの脳は本物と偽物を判断して吐かせているということ?」


八代の言葉に中道が疑問を呈する。


「死体があるって聞いて、近くまで行ったけど吐かない様に部屋には入らなかった。あれは手伝いたく無いとか面倒だったからじゃなくて吐くからなんだ。だからそんな皆んなで嫌わないでよ…」


そういう問題では無い。

八代が嫌われているとすればそれは松井の遺体や食事を手伝わないことでは無く、初日の横柄な態度にある。


「死体はまだある。トラウマの克服に添い寝してみるか?フリーザーでお行儀良くこちこちに固くなってるぞ。見るか?」


「ねえ!今絶対吐くから無理って言ったよね!?」


「お前の言いたいことはわかった」


「…それもあって厨房に入りたく無いんだ。信じてくれ…」


「男のお願いなど聞く気も起きないが…まあ吐かれても仕方ないしな」


「ああ………頼む」


それっきり八代はその話題を口には出さなかった。

話もまとまったところでお開きになった。




一旦部屋に戻ると怪しげな動きが無いか監視カメラで確認した。


取り敢えず今日は何も起こっていないようでひとまず安心する。


嫌な予感がしたわけではないが、津波の前の引き潮のようで肌がムズムズするような緊迫感がある。


暇ではあるが余りふらつくのもよくないだろう。

ドラムバッグを漁り、タロットカードを取り出して占いでもしようかと考えているとドアがノックされた。


「はい」


立ち上がってドアに向かう。


「相沢だ」


何の用だろう。

監視室のカードキーを盗んだのがバレたか危惧する。

ならば開けない方が良い。


「暇だったらでいいのだが、娘を預かってはくれんだろうか?」


そういうことかと納得する。

それならば問題ない。


「分かりました」


そういってロックを解除する。

八重の声も聞こえているので嘘ではないだろう。


ドアを開くと大きな影がかかる。

俺自身日本人の中では小さくはないが、ここまで体の大きい日本人はなかなかいないだろう。


「すまない。昨日のこともあるし、今週の責任者だからな。娘のことを構っている余裕がないのだ」


「いえ、構いません。元気な子供には癒されますから」


「助かる。遅くに生まれた一人娘でな。目に入れても痛くないくらいで」


「なる程」


「今回は妻が第二子の里帰り出産中で、急なシフト変更でな。無理を言って連れてきてしまった」


「そうですか、大変なことになってしまいましたね。とにかく迎えに来られるまでお預かりします」


相沢はそうだな、といって苦笑すると背を向ける。


「では頼むぞ!」


「分かりました」


というと八重を部屋に招き入れる。

ロックを掛けていると八重が走り出す。


「おんなじだけどおにいちゃんのおへやのほうがきれい!」


「ま、ま……」


止める間もなくベッドにダイブし、バタ足を始める。

俺はハウスダストアレルギーだ。鼻が詰まるから止めて貰いたい。


頭が揺れて今日は側頭部でくくられている、下手くそなツインテールが犬の尻尾のように動いている。


「どうだ、何かして遊ぶか?」


「うん!」


声を掛けると幼女はベッドから飛び降り、元気に頷いた。

ドラムバッグを漁ると、いざという時の枕替わりにしているメロン大のクッションボールを取り出した。


サッカーボールを模した多面型の縫い目には一面づつに国旗がプリントされている。


「ほれ」


それを八重に向かって放る。

優しく投げたのだが、八重は取れない。

そこに幼さを感じる。


取りこぼしたボールをパタパタと追いかけると嬉しそうに笑って拾い上げると投げ返してきた。


コントロールも何もない地面に叩きつけるような投げ方だったが、それでも楽しそうにコロコロと笑っている。


バウンドするような材質でもないので頓珍漢な方向に転がっていくが、足で止める。きちんと投げられていないが、それでもキャッキャとはしゃぐ。


何度投げてもきちんとキャッチできず、投げ方も依然暴投なのでしっかりレクチャーすることにする。


「いいか、学校で一番ドッジボールが強くなるにはボールをしっかり見ることだ」


「ボール?」


「自分の所に向かってくるボールをしっかり見て、取れる所まで来たら取る。しっかり見るんだぞ?」


「うん!」


ゆっくりと取れるように何度も投げていると段々キャッチできるようになっていく。

そこから少しずつ早くしていく。


ある程度時間が経つとなかなか上達していた。

そこで今度は投げるレクチャーをする。


初めはゆっくり投げさせ、まっすぐに投げられるようになると少しずつ強くさせていく。

しばらくすると簡単なキャッチボールが出来るようになっていた。


「どうだ?きちんと取れたほうが楽しいだろ?」


「うん!こんどたいくあったらいっぱいあてるね!」


やはり子供は物を覚えるのが早い。

こんなにも小さな体の中に、同じ生き物なのか疑うほどの可能性をカルスのように秘めているのだ。


一時間ほどそうして遊んでいたが、流石に疲れたようで、八重はベッドに腰掛けた。


そうしてキョロキョロと室内を見渡すと目ざとくガラステーブルの上に置かれたタロットカードを見つける。


「ねぇおにーちゃん、これなにー?」


「占いって知っているか?」


「しってる!おにいちゃんうらないできるの!?すごい!やってやってやって!」


飛び跳ねて占いを要求してくる。


「ヤエしってるよ!うらないってあさてれびでやってるの!たぬきとかきつねがはしるやつ!」


朝ニュースの合間にやっている血液型占いの事だろう。


「あとね、ほしのやつ!やえふたござなの!」


「そのふたつとは違うんだ。このカードを使って占うんだが、やってみるか?」


「やる!」


即答される。

笑みを浮かべ、八重の頭を撫でた。


八重をソファーに座らせると22枚のアルカナをテーブルの上に広げる。


「まずはこのカードに自分の知りたいことを念じて混ぜるんだ。わかったか?」


神妙に頷くと混ぜ始める。


「おかあさんはいつお家にもどってきますか?おしえてください!」


そこまで正確なことはわからないのだが。

そこは騙し騙しどうにかしていくしかないだろう。


「しっかり気持ちはこめたか?」


「うん、はなじるでた」


あわててティッシュを取り鼻をかませた。

どうやらよくわからない力を込めすぎて出てしまったようだ。


「何を考えてた?」


「えっとねー、内緒!」


そういう細かい情報は欲しいのだが。

カードを纏めると左手におき、上から捲っていく。


1枚目は正面に。正位置のLa Maison De Dieu 落雷の塔である。


16番のこのカードの意味は災難、悲惨、突発事件などである。

今の状況を表す位置である。


2枚目は正位置のLa Lune 月のカード。

18番のこのカードは危険、詐欺、悪い力を指す。

目の前の障害を示す位置。


3枚目はLa Roue De Fortune 運命の車。逆位置である。

未来の運命についてを表すカードとなる。


デスやハングドマンであればこの子の将来を案じるところだが、フォーチュンなら…


続いて4枚目

L'imperatrice 女帝。

4枚目は過去を表すが、八重のような少女の過去は表現しにくい。


母性的要素を多く含むのがこの女帝のカードだが、幼い子供に過去を表すカードとして女帝が引かれたのなら、それは母から産まれ、母の愛に包まれたということだろうか。


5枚目のカードはL'amoureux 恋人。そして逆位置。

恋愛、魅力、完全、信用という意味を持つ。

最近の事件をこのカードが表すことになる。


6枚目はLa Justice 裁判の女神。

公正、正義、公平、徳性、善意を表し、場所の意味づけは近い将来に起こることの影響力である。


7枚目はLe Pendu 受刑者、ハングドマン。

犠牲、停頓。強力な外部要因を表し、位置としては現在の状況を示す。


8枚目はJupiter 法王。

慈悲心、善良、同情心を表す。

位置づけは八重が与える影響。


9枚目は逆位置のLa Mort 死神。

急変、損失、死を意味するカード。

彼女の欲求、恐れを表している。


10枚目がLe Jugement 審判

カードの意味が決定、決意、後悔、許容

10枚目のカードは全てのカードの最終的な影響結果である。


「…………………」


難しい。

しかし小難しく言ったところで7歳の八重にはわからないだろう。

簡潔に纏めることにした。


「八重」


「はいっ!」


「あなた最近、クラスの男の子に告白されましたね?」


「こくはくって?」


「好きって言われたことないかな?」


「あー!どーして分かるの?おとーさんにもゆってないのに!」


「いってないのに」


「いってないのに」


言葉を矯正する。


「このカードが教えてくれるんだ」


そう言って恋人のカードを指し示す。


「あなたは今とても困っています。事故で閉じ込められてしまいました」


「えー、そんなのみんなわかってるよ!」


「いいから。で、この先にはもっと危険が待ってます。その先には避けられない運命が待っています」


「えー、やだなっ」


逆位置に出た運命の車だ。間違いなく悪い運命である。


「あなたはこれから起こる出来事で、正義の心を手に入れます」


「せいぎ?」


「正しいことを正しいと言えて、弱い人を助けられる人になれるって事」


俺には到底真似できないものだ。


「あなたは、誰かに優しい気持ちを持たせます」


「やえがやさしくしてもらえるってこと?」


「そうだ。それからあなたは今、変わりたくなかったり、無くしたくなかったりするものがありますね?」


「ん~、なんだろう、わかんない!でもおとうさんいなくなったらやだな……」


「っ!!?」


一瞬息を飲んだ。

そうか!そういうことなのか!……なんて……なんて残酷な……


これは唯の占いだ。確かに俺はこういう方面には強いが、唯のタロットだ。絵を拡大解釈するお遊びだ。


不吉なことを考えるんじゃない。

だが、もしも何かがあったら……誰がこの子を………。


首を振り、気持ちを切り替える。

考えすぎはよくない。


「最後に、あなたは強くて広い心を後悔と共に持つことになるでしょう………こんな感じだ」


「んー、よくわかんなかった。でもありがと」


「どうも」


最後の方は飽きていて良く聞いていなかったようだ。やはりまだ早かったか。


彼女くらいの年頃ならば、自分の血液型が阿弥陀籤で何位か、という分かりやすさが丁度いいのだろう。

俺のタロット………仲間内ではよく当たるってことで人気なんだがな……


少しめげるのだった。


子供を笑わせることの出来る人間になりたいと思う。

唯の希望で実現することはできないだろうが。


その後はダーツの投擲法についてみっちり仕込むことにした。


砂地に水が染み込むように色々なことを覚えられるはずだ、という観念で、イルカに芸を仕込むように大切なおやつと引き換えにゲーム方式で壁にダーツを投げつけさせていたが、4時半を過ぎる頃に八重は目をこすり始めた。


「おにーちゃん、やえね、すこしねむくなってきちゃった……」


かなり動いていたので疲れたのだろう。


「じゃあ少し寝るか?」


「うん……」


ベッドに八重が横になったので布団をかけてやる。


「お父さんが来たら起こしてやるからぐっすり寝な」


合皮の1人用ソファに腰掛けタロットを片付ける。

そのままぼんやりと考え事をし始める。

暫く取り留めのない思考に浸っていると寝息が聞こえ始めた。

八重の顔を見ると完全に眠っていた。

あどけない寝顔だ。


幼かった頃の妹を思い出した。

こんな子が不幸になるのは間違っている。


八重が眠ってしまったので電気を消して延々とぼんやりしていた。電気を消してしまうと室内は何も見えなくなってしまう。八重の寝息以外に音は聞こえない。


そんな中で俺は昔のことを思い返していた。


幼い頃によく、家族でピクニックに行った。

父と母と妹と。


とにかく母は不注意な人で、料理が焦げていないことはなかった。


塩と砂糖を間違っていたり。


だからピクニックの時は母はおにぎりしか作らなかった。

7歳の時……どんなことをしていたか、どんな事を考えていたか…思い出すことはできなかった。


小学校に上がる直前、そういえば家族でお花見に行ったか。


途中のコンビニで弁当を買って、ポテチを食べた枚数で妹と喧嘩をして、芝生で寝転んで、帰りに俺が蛙を捕まえて、自分も欲しがった妹が池にはまったんだったか。


それからどうしたのだろう。

昔の記憶が薄れている。


当たり前のことだが俺には重要なことだった。

小学生の時、他にはどんなことをした?

思い出せない。


中学生は?

中学生は、そうだ。あれがあった。


ああ………


覚えている。あれは覚えている。


もう俺はこのまま進むしかない。

最近は、楽しいことなど全くなかった。


ブツッというスピーカーの接続音で目を覚ました。


いつ眠ってしまったかはっきりしない。

とりとめのないことをずっと考えていたようで、気分が沈んでいる。


何を考えていたのか思い出せなかった。

何かを諦めたような気だけはしたのだが。


ズキズキと頭が痛んだ。

俺は母の遺伝で偏頭痛持ちだ。

顳顬を親指で押し込み揉み込んだ。


『職員の相沢だ。今から大切な話があるので至急エリア3の管理室前に集まっていただきたい。』


少し焦っているのか、普段より早口に聞こえた。

大方エアラインが潰れていることに気づいたのだろう………


いや、違うか。それは昨日の時点で分かっていたはず。酸素残量についての問題か?


寝ている八重を抱きかかえると部屋を出る。ロックを掛けると八代と須山も部屋から出てくるところだった。


エリア3に着いたのは俺たちが最初で、後から津崎、久方、狭川、合田のエリア1の生徒、そして中道、長谷川、草野、サングラスの沼木で全員が集合する。


全員が集まったのを確認すると、相沢は管理室内に全員を詰め込む。


抉れた床、に壊れたパソコンも何台かある。

天井にも煤けた抉れ跡がある。そこに監視カメラがあったのか。


管理室の一番奥には100インチ程のプロジェクタースクリーンが下げられており既に映像が映し出されていた。

昨夜須山に見せてもらった電子マップである。


「落ち着いて聞いて欲しい。………この施設のエアラインが爆発の影響で潰れている事がわかった。だが安心して欲しい。これから君たちに協力してもらえれば数週間は持つはずだ」


読み通りではある。


「エアラインは施設内と外の気圧差を利用して空気循環を行う設備だ。計算によるとこのままでは空気は4日半しか持たない」


思ったより早い。

俺と同じ感想を皆持ったのか、引いているようだ。


「すみません、ひとついいですか?」


挙手すると全員が俺を見た。

ついでに腕の中の八重もジロジロと見ている。


「なんだ?」


相沢の許可が出たので口を開く。


「この施設は相当な面積があります。1フロア構造物込で750平米高さ3mとして単純計算すると発電所内の気体体積は約2250立米あるはずです。2250立米をリットル換算すると2250000リットル。酸素は大気中の20%なので酸素量は450000リットル。人間一人が一日に吸う空気は酸素量が約600リットルなので16人で消費すれば46日は無くならない計算になります。それがたったの4日でなくなるというのはおかしな話だと思うのですが、何か大量に酸素を消費する機材かなにかがあるということですか?それなら一刻も早くその機材を停止するべきだと思うのですが、未だ停止していないということはそれを止めることで生命活動を維持できなくなる、ということですか?」


一気に全て話してしまうと奥の方の職員たちがやれやれという塩梅に顔をしかめた。


「確かにその通りだ。ここは地下2000メートルだろう?」


「はい。地圧ですか?」


「そうだ。普通2000メートルも体の上に土砂を積み上げれば重さで死んでしまう。地中の空間ならば、圧迫により気圧が上がってしまう。スフィア外殻は唯の防護殻ではなく、あれ自体が圧力を逃す機械なのだ。あれの稼働時に酸素を消費している事がわかった」


「なる程、勉強になりました。ありがとうございます」


礼を述べた俺に相沢は一瞬ポカンと惚けた表情をしたが、頭をかいてごまかした。


「………ちょい待てや。こいつが納得しても俺が納得せぇへんで。4日で酸欠になるんやったらそんな機械意味ないやろ」


「スフィア外殻の可動を停止すれば一時間で圧死する。代わりに施設内に貯蔵されている酸素ボンベの口を開いて徐々に空気も流す。それにエアラインが潰れたといっても空気の流入は一応あるようだから二週間は持つだろう」


「なんや、最初からそう言うたらええやんか」


合田はバツが悪そうに頭を掻くと管理室から出ていった。

それを皮切りに皆散っていく。


俺も八重を相沢さんに預けると管理室から出た。


酸素残量については何とかなるという事がわかった。

だが脱出手段については初日の話以降何もない。


一週間で瓦礫撤去できるとは思えない。

考えながらふらふらとエリア2に上がってみる。


エレベーターのドアは非常階段の様にゆがんではいないが、脇の表示パネルには何も示されてはいない。


ここから見るとただ主電源が落ちているだけにも思えてくるが、実際は崩落していることがスフィア外殻に出た時に分かっている。


エレベーターのドア脇には1m四方の金属ボックスがあり、非接触式のリーダーが付いておりロックされていた。

ロックを解除しないと蓋が開けず、中を操作できない。


そう判断して振り返ると階段付近の天井が抉れているのが見て取れる。

そこに監視カメラがあったということだ。


「ん?」


エレベーターから見て左手の壁に掛け時計が設置されている。

この時計の時刻は俺の腕時計と同じ時刻を示していた。


衛星時計は爆発の際に電磁波の影響で全て狂っているはずである。

時刻が正しいということは、衛星時計ではないということか。


古い、オーソドックスな掛け時計だ。

調べてわかる。


単三電池式の電波受信機能の無い時計だった。

単三電池式の時計は燃費が悪いということでずいぶん前から出回っていないはずである。


俺のアンティークと似たりよったりの珍しさだ。

07:07をさしている。

腕時計を確認するが、同じである。


そういえば腹が減っている。

飯時か。


エリア5に下りてラウンジに入ると嫌な視線を感じた。

視線の先を見ると数人の男女。

座るだけで早く食事を提供しろと訴える浅ましい視線である。


「冬至。お腹が減ったわ」


中道が瞬き一つせずに直視してくる。

また名前を呼び捨てにされた。


冬至という名前は漢字が漢字なので呼ばれるのが少し恥ずかしい。


嫌味のひとつでも言ってやろうと思っていたのだが、毒気を抜かれてしまった。


図体と頭だけ育った餓鬼のような奴等だ。

仕方がない。作るのは嫌いではない。


「一時間待て」


言って厨房に向かう。

米をとぐと、フリーザーから一枚ずつパッキングされているサーロインステーキを取り出す。ステーキの方は流水解凍を始め、倉庫4に向かうとチヂミと玉ねぎとにんにく、ジャガイモ、ガーリックマーガリンを、食糧庫から醤油を取り出してくる。


剥いたにんにくをチップ状にカットし、油でさっと揚げる。

チジミは洗って5cm幅にカットした後にボイルする。


玉ねぎをスライスして、ジャガイモもチップ状にしてから米を炊き始めた。

フライドしたにんにくチップをボールに入れ、ガーリックマーガリンを加えると蓋をしてレンジで軽く加熱。ガーリックマーガリンが溶けていることを確認すると醤油を加えてソースが完成する。


ボイルしたチヂミを水で冷やしたあと絞り、ジャガイモを油に落とす。フライドポテトにするつもりだ。


そろそろ米が炊ける頃になるとサーロインを袋から取り出し電源を入れておいたグリル板に落とし塩とブラックペッパーを振る。その横ではスライス玉ねぎをソテーし始める。


米が炊けたので火を止め、蒸らしに入ると肉をターンし、フライドポテトを油から上げてソテーも回収する。

最後にチヂミにバターと塩を加えると蓋をしてレンジで回す。


大きめの皿にフライドポテト、チヂミ、スフレにいれたにんにくソースを配置し、玉ねぎのソテーをを広げ、その上にサーロインを置いた。


ライスを装って完成である。

色合いも素晴らしい。肉もウェルダンの柔らか焼き加減。

冷凍肉だが。


まあいいだろう。いい肉であることはわかる。ファミレスで頼めば1800円級だろう。


各自に運ばせると席に着いた。

ステーキは好評だった。


一つ付け加えるなら、中道はナイフを使ったことが無いようで、フォークでさしたステーキを食パンを食べるかのごとく口に入れていくので非常にビジュアル的によろしくない。


なまじ容姿が優れているだけに指摘もしづらい。

須山と久方は俺の意識が自動的にシャットアウトしているようで、もう視線も向かない。


2人で何処かへ行けばいいのに。


八代は今朝から思っていたが、非常にマナーがいい。米粒一つ残さずに音も立てず食べていく。


津崎は特徴はない。


俺はどうだろう。

強いていえば食べる速度が早いぐらいか。



夕食後、俺の部屋、404号室で俺と中道は睨み合っていた。


「中道!」


「律子」


「………律子…この写真を返して欲しければ………わっているな?」


「な………何をさせるつもり………?」


中道が一歩後ろずさって顔に疑念の表情を表す。


「決まっている。俺の言うことを全て聞け。俺の言う事を全て聞く奴隷となれ」


「そんな要求、飲めるわけないわ」


「いいのか、そんな態度で。この写真をばらまくぞ」


「くっ……卑怯な男。………何をさせるつもりなの?」


やっと要求を呑む気になったか。


「ふん。最初から素直にしていればいいものを。…………こいつを綺麗にしろ」


「こ……こんな汚いものを私に?……信じられない。でも、やるしか………ッ」


「早くしないか。そこまで拒絶するなら俺は構わないが」


漸く素直になったのか、中道は俺の前に四つん這いになった。


「わかったわ。だからばらまかないで。お願い。………こう?………ふっ…………んっ…………はぁ………」


ここまでしないとこの女は俺の部屋に自分で零したポテチも片付けられないのか。


「二人を見ないでその会話聞いてると背徳的に聞こえるわね」


「二人とも無表情だけどねー」


こそこそと久方と津崎が顔を見合わせ会話している。


「お互い無表情で楽しんで…る?……この二人、ほんっと変人だよな」


ちなみに写真の内容は揶揄われて赤らんだ中道の顔である。


テーブルの上に置かれたタロットカードを見て占いを求めた女子3人に対し、八代が揶揄いを入れたのだ。


写真撮影中のフラッシュ設定をしている際にたまたま撮影してしまったのだが、中道は異様に恥ずかしがり消去を求めて来た。 


それだけの話である。


「私にこんなことをさせて、ただじゃすまないわよ」


「お前がこぼしたんだろうが!!」


津崎がベッドで笑い転げている。俺のベッドで。


中道は零したポテトチップスの数を拾い集めている。

女子達は拒絶したにも関わらず俺の部屋にゾロゾロと踏み入り好き放題している。


見られてはならない物が見つからないかヒヤヒヤしていた。

松井の部屋から盗んだ資料や壁の穴だ。


「だいたいお前ら、俺がさんざん吟味して選んだおやつ1000円を食い散らかして、巫山戯るのも大概にしろ」


「研修でおやつって概念もおかしくないか?」


余計な事を宣う八代にデコピンを放つ。

パキュ、という音と共に八代は悶絶した。


「出かけるときにはレーションの付け合せにおやつと相場は決まっているはずだろう?」


「相場って、お前にそんな意味分からん相場を教え込んだのは一体どんなやつなんだよ……」


「王さんだ。ジークンドーの師でもある」


「武藤はブルースリーでも目指してたのか?」


「あははははははは」


津崎がベッドに突っ伏す。


「おい津崎。お前の体臭がベッドに染み付くから直ちに降りろ」


「し、しっつれいなぁ!あたし臭くないからっ!」


「自分の体臭はわからないというからな」


「!?うそっ」


津崎からは別に匂いはしないが、そういう一般常識ということで。


「ねえ武藤、そろそろタロット占いやってくれない?」


久方は俺と八代に君を付けなくなった。

何故須山と二人でいないのだろう。

ふたりでどこかに行けばいいのに。


「ねえねえ!あたしもやってよ!」


「……………」


津崎と中道も寄ってくる。

一列に並んでいるところがうざったい。


小学生か。八重の方がまだ節度があった。

つまり現在の彼女らの知能指数は7歳児以下という事だ。


「面倒だ。どうせ1枚目は落雷の塔しか出ない」


「えええ!そんなのわかんないじゃん!」


「そうよ。いいから早くあたしと須山くんの相性を占いなさいよ」


「そうだ武藤!占うんだ!」


キリッとした顔付きで自己主張する須山を殴りたくなる。

我慢だ。


「ははははははっ、出る!脳みそっ!」


指を指して笑い始めた八代にアイアンクローを決めた。


「お前はややこしくなるから黙っていろ」


「………なんでこんなに痛いの?ただのアイアンクローだよね?どう考えても力強すぎでしょ」


「条件がある。3人でじゃんけんしろ。順番を決める。ただし、最初の一人を占った時に、1枚目にザ…タワー、落雷の塔のカードが出たら後の二人は後日だ」


そのセリフを聞き、中道がきゅっと目を細めた。

自身の手を眺め何か考え込んでいる。


どうやら本気で勝ちに行くようだ。

ジャンケンを始める3人。


中道は津崎と久方の手の中間あたりを見つめている。


結果は中道が勝った。

初めは中道がちょきを出しかけていたのを俺は見ていたが、二人がグーをだしかけるのを見てパーに変えていた。


驚異的な動体視力である。


「勝ったけど」


「よし」


中道をソファーに座らせタロットを切る。

中道に混ぜさせてタロット占いを始めた。


1枚目は案の定落雷の塔


「あんた如何様してるでしょ!」


「切ったのは律子だ。それに落雷の塔は災難を表すカードだ。そして1枚目は現在を表す。この施設に閉じ込められている人間でこのカードが出ない人間はいるわけがないだろう」


「…………ほ、本物……?」


「イカサマじゃないの!?」


「…………無駄な、才能……」


ガヤが何かを言っているが相手にはしない。


「疑おうが勝手だが、今日は律子だけだ。………それにしても、命に関わる怪我をするみたいだな。逆位置の悪魔………これは、なんと解釈すれば…………いや、だが。お前を救うものがある?………難しいな、チャリオットがあるからな……難しい…………それに太陽のカードか…………」


少し手をにぎってもう一度太陽のカードを見る。


「………太陽の意味は勝利、成功、幸福、誠実……それが未来に?………危険、水………いや、…………手…………」


皆が占いの様子を固唾を飲んで見守っている。


「分からん。律子、俺の手を握ってくれ」


中道は言う通りひんやりとした手で俺の左手を握る。

中道の手を握ったとき、激しい水の奔流と差し出される手をみた。

いや、見た気がした。


「わかったぞ。中道はこれから水に関する災難に遭う。…………その時に誠実な人間がお前に手を差し伸べるはずだ。その手を取ることがお前にできればお前のこれからは動き始める。だが、どうも読みにくい。恐らく今のままでは十中八九手を取らない。その時は………死ぬな」


「どうすればその手をとれるの?手って、実際は何のことなの?」


「………わからん。手としか。その時になれば律子に理解できるんじゃないか?……とにかく、手を取れれば未来が開けるようだ。取れなければ死ぬ………具体的なことは分からない。だが、近い。近くに起こることだ」


自分で言っておいてなんだが、中道はその手とやらを掴むことはできないはずだ。


中道は俺と同じだ。


他人に手を差し伸ばされてもその手を掴むことのできない人間だ。


占いを終える。


「なんか、めちゃくちゃ本格的なんだけど、どうしてもあたしにはやってくれないわけ?」


「ああ。今日は八重と中道の2人にやってしまった。一日に3人以上やると、3人目は集中力切れで大外れする」


「………なら仕方ないわね。明日絶対須山君との相性を占ってもらうわよ!」


「しかし武藤、お前八重ちゃんほんと好きだな。お前の八重ちゃんに対する愛情をちょっとは僕にもわけろ」


「お前に?無理だな。気色悪い」


「ロリコン!ツンデレ!」


「………」


めんどくさくなってきたのでベッドに入り込む。


「眠いから早く出て行ってくれ」


「明、何か面白いもの無い?」


「ノートパソコンあるよ!」


「よ~し!ハードディスク行ってみましょう!」


「みましょう!」


「高校生の男子といえばエロよ!男なんてどーせハードディスクにはエロ動画とか写真がたくさん入ってるんでしょ?武藤の性癖、M字開脚で見せてもらいましょう!」


「しょう!」


久方に津崎が相槌を打つ。

須山の肩がピクリと上下したのを俺は見た。


「いやいやいや、それは流石に同じ男として可哀想すぎるんだけど……」


「俺はエロ動画など見ない」


「うっそうそ。絶対嘘」


「嘘だね!13ちゃんでは高校生男子はマンドリルだって書いてあった!武藤くんだってほんとはあたしに」


調子に乗る津崎を無表情で眺めた。


「そんな熱い眼差ししたって………やだっ!妊娠する!」


「お前みたいな貧乳、男は一瞥もくれねーよ……おッ」


馬鹿な八代だ。

こいつは一日に何回暴力を振るわれれば満足できるのか。

レバーに肘鉄されて悶絶している。


久方は俺のパソコンを開いている。

ま、パスワードがあるんだが。


「津崎」


「何!?あたしのパンツ!?ダメダメダメ!5万円以下じゃ売らないよ!」


「誰がお前みたいにしょんべん臭そうな女のパンツにぎゃああああああ!?」


チョキで目をつつかれる八代。


「冬至」


「次から次へとなんだ。早く出て行け」


「さっきの写真なのだけど」


「ああ、あれは消したぞ」


「嘘ね」


ゆっくりと顔が近づいてくる。

気持ち悪い。


「そんなに信用できないのならデータフォルダを見せてやる」


端末を渡した。アドレス帳とメールボックスにはロックがかかっているので問題ない。

受け取って操作を始める中道。

だがないものは無い。

他人の写真など残す必要など無いのだから。

俺のデータフォルダはカラだ。


「……今時の高校生のデータフォルダが空……?」


久方が小さく呟き俺を僅かに怯えた様子で見た。

一方で中道は闇雲に携帯を弄っている。


「このユーザーフォルダはなに?ロックがかかってる」


「ユーザーフォルダ?なんだそれ?」


「これよ」


近寄ってきて端末の画面を見せつけてくる。


「しらんそんなもの。俺の携帯は電話とメールにしか利用していない」


「いいからパスワード」


「そのパスワードは知らん」


ぐりぐりと端末を顔に押し付けてくる。

その際に中道は目を抑え座り込んでいる八代の体を跨ぐ。


「やめろ、端末に付いた細菌が顔に付着する」


「早く。しつこい。見せるだけでしょ?」


「だからいじったことがないフォルダだと………」


「私の写真、何に使う気。まさか、如何わしい事にっ!?」」


「もうやだコイツら…早く帰って…」


押し合いをしているうちに中道の膝が何度も八代の頭と接触したせいで八代が呻く。


八代が目潰しされた目を閉じながら膝を避けようとしてもがく。


「痛いな……ほんとにみんなして」


そのまま俺の襟首を掴んでいる中道の股間に顔を突っ込んだ。


「あれ?なんかイイ匂い」


これは終わった。


テニスのウィンブルドン決勝戦の最中にコートにマッパで飛び出していくようなものだ。


「なんだこれ、前が見えない」


どかそうとして掴んだのは中道の尻。


「柔らかい………え?………」


ようやく気づく。


「こ、こ、ここここれは違うんだ待ってほんと違うわざとじゃなくてちがっ違う待ってごめ………………いってえええええええええええええええええええええええ!?」


中道はまず髪を掴んで八代を立たせると首を掴んで引きずり上げ、宙に釣る。


なんて力だ。


ついでそのまま壁に叩きつけた。

細腕の何処にそこまでの力があるのか。

首を掴む手を左手に変え、エルボーを決め始めた。


数発の攻撃の後手を離すと八代は崩れ落ちた。

中道は崩れ落ちた八代のマウントを取り、八代の顎を掴んで握りしめた。


面白そうなので止めはしない。観察に徹する。


「殺す」

セリフの過激さの割には感情の起伏が無いて平坦な声である。


「まあ多分いい匂いが駄目だったんでしょうね」


「中道さんも感情的になることあるんだねぇ」


「でもいいエルボーだったわね。腰の入り方が、こう……」


「体重移動に無駄がなかったね。持ち上げてもバランス崩してなかったし、凄い技術!」


「あのマウントの取り方、見ろ。手首を膝で押さえつけている。ああなれば俺も抜けられないだろうな」


「痛い痛い痛い痛い!僕の綺麗な顔がっ!……評論してないで助け……取れる!ほんと目取れるマジ!目出てくるから!」


暴れてマウントから脱しようとするが、見た目からは想像もつかない強靭な押さえつけで八代はジタバタするだけに終わっている。


「………地味に…辛そう……」


「変わったお仕置きだね。なんか、小さい頃から仲良い幼馴染みたい」


さて、このくらいだろう。

頃合を見計らって肩を叩く。


「そろそろやめておけ。俺の部屋だ。もう十分だろう?」


言うと中道は肩で息をしながら立ち上がる。


「研修も無くなったし、暇よね。まぁ今日はもう寝ますか」


俺のベッドから久方が立ち上がると津崎と須山が続く。


「ちゃんと、研修…受けたかったけど」


「えー、あたしはちょっと暇だけど研修無くなって嬉しいなぁ」


「じゃあね武藤。明日も朝ご飯よろしく!」


3人が部屋から出て行く。

少し遅れて中道も俺に背を向ける。

出て行き様に小さく手を胸元で上げて無言で部屋を出ていった。


後には口を押さえて涙を流す八代が残されている。

こいつを俺がどうにかしないとならない。


八代のケツを軽く蹴っていると数発蹴った所で反応した。


「どうだ、お前が今まで経験した女と比べて律子の股ぐらはどうだった?」


「わ…………わざとじゃないんだけど……」


「羨ましいな。よく漫画で主人公がそういう美味しいポジションにいるよな。昔に読んだ。アーオレモ主人公属性身ニ付ケタカッタゼー」


「棒読みじゃないか!明らかに羨ましがってない!」


「で、どうだった?」


「い、いい匂いだった…なんの匂いだろう……」


「死んどけ」


八代の大好きなアイアンクローをしたまま引きずって廊下に放りだした。

部屋にロックを掛け時計を見るとまだ21:57だが、もう寝ることにする。


昨日はあまり寝ていないから丁度いいだろう。

日記を付け、端末でアラームの設定をする。


端末の時刻も狂っているので腕時計と見比べて数時間後になるようセットすると、電気を消してベッドに横になる。

今日は何も出来なかったという焦燥感と共に眠りについた。


皆様の推理を感想等でお待ちしております。


罔象の杜 というファンタジー小説を連載しております。宜しければ読んでみて下さいください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] タロット占いや地下原子力発電所と推理ものとして特色があって続きが見てみたくなります。
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