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胡座  作者: またんご8
2/5

1日目 (6月10日 17:30〜27:00)


起きたのは五時半だった。

丁度三時間眠ったことになる。


夜間にとりわけやることがないのにこんな時間に昼寝をしていては、今夜はさぞかし寝苦しい夜になる事だろう。


目覚ましを端末でセットしておかなかった事に後悔していた。


携帯端末を弄り、メールやSNSのチェックをしていると部屋の外から足音が聞こえた。


俺の部屋は404で、部屋としてはエリア4の端に位置する。

誰かが男湯から出てきた所なのだろう。


気分はやや頭が重く、口内が乾燥しているものの不快感はない。ベッドから起き上がりショルダーバッグから500mlのペットボトルを取り出し、半分ほど残っていたミネラルウォーターを飲み干した。


さて、何から始めるか。


短く息を吐き、ペットボトルのパッケージをむいて物置下のゴミ箱に捨てた。ドア横の洗面台でペットボトルの中を洗い、どこかにあるであろうウォーターサーバーの水を汲みに行くことにした。


ドラムバッグから私服を取り出す。ネイビーに白ボタンのカジュアルシャツとベージュのチノパンを着て、鏡を見る。グリースで撫で上げた頭髪に乱れはない。


空のボトルとセキュリティカード、携帯電話だけを持ち部屋から出た。U字ロックを掛けていなかったのでレバーハンドルを捻るだけでドアは開く。


廊下は静かだった。微かに、何かの機械が唸るような音は聞こえたが、それだけだ。


それが浴場のボイラーのものなのか、発電関連の機械の駆動音なのか俺には分からない。


ホテル錠なのでドアが閉まると自動的に施錠される。

ふと、なんとなく隣の監視室の前に立ってみる。エリア2からここに来るまでに幾つか監視カメラを見た。

ここでカメラ映像のモニタリングや過去のデータのサルベージが出来るのだろう。


常に誰かが監視していると言うことは無いだろうが、何となく良い気分はしない。

この部屋のセキュリティは客室とは異なりカードリーダーで制御されている。


扉の左手にカードリーダーが設置されていた。

リーダーは施錠のランプが点灯している。


ノックをしてみるが反応は無い。

何か問題があった時だけ閲覧するのだろう。


方向転換し、どこかに行こうかと思って歩き出した矢先、403のドアが開き、荷物を持った松井が出てきた。


「お、どうした……えー…」


俺の名前がわからないのだろう


「武藤です」


武藤冬至、我ながら誕生日がわかりやすい名前である。


確か小さい頃父親に、学校の授業の一環で自分の名前の由来を聞くという課題で由来を聞いたところ、どんなに寒い日でも健康に生きていけるように冬一番の名を付けた、ということだった。


都内の都立共学校に通う高校二年生である。


「武藤か。で、まだアナウンスは入ってないだろ?どうしたんだ?」


「暇だったので少し彷徨いてみようかと……まずいでしょうか?」


「いいんじゃないのか?特に禁止事項があったわけでもないし、確かにやることもないしな」


左薬指のシルバーリングを嵌めたまま回転させながら松井は言う。


「では少し散歩でもしてみることにします」


「そうか。じゃあ六時半のアナウンスは聞くようにするんだぞ」


「分かりました」


顔に愛想笑いを貼り付けると軽く会釈し、松井の横を通り過ぎる。


背後で松井の部屋のドアが閉まる音が聞こえた。その後松井も歩き出した。


階段を下フロアに向けて下り始める。

一方の松井は上へ上がっていった。


一フロア下り、エリア5に入る。

入ったエリア5はずいぶんと広く見えた。

奥行は20m程でエリア2と同程度

幅は30mあるのではなかろうか。


壁面に貼られているフロアサインを見る。

左手に等間隔にドアが3つ、手前から防災備蓄庫、倉庫3、倉庫4。


右手奥に厨房らしきものがある。

壁のフロアサインを見ると広い空間はラウンジ2というらしい。

ガラステーブル一脚に対して4脚の柔らかそうな肘付き椅子それが10組置かれている。


ラウンジの中央には大きな柱が2本。左側の柱奥には給湯室らしきものが見える。

そこに向かい、ドアのない入口をくぐる。


手前から順にウォーターサーバー、自動販売機、給茶器が置かれている。

反対にはシンク、手前に各種ゴミ箱だ。


ペットボトルの蓋を開けると入口手前の流しでもう一度濯ぎ、ウォーターサーバーから冷えた水を満タンになるまで注いだ。


一口飲みながら給湯室を出るとキャップを閉めてラウンジ内を見回した。


バスで背後に座っていた精悍な男子学生とソバージュの穏やかそうな女子学生が離れた位置に座っている。男の方は文庫本を読んでいる。ソバージュは単語帳を見ている。


イラッとした。


女の方もこんなところでわざわざ単語帳など見なくてもいいだろうに。自己顕示欲だろう。私は勉強しているいい子です。いい子の私と誰かお話しませんか?


俺はそんな女とは話さない。

等と、性格の悪いことを考えてみるが、予想は強ち間違ってもいないだろう。


確かに顔は随分可愛らしい。厚めの唇と大きな垂れ目が目に付く。

ゴールデンレトリバーを想像させる。


若干茶色がかった髪は細く柔らかそうで、毛先のソバージュもパーマなりヘアアイロンなりを当てているのだろう。


服は白いレースの脛までのロングスカートに淡いベージュ地にピンクの花柄ブラウス、それにブラウンのハイヒールサンダルである。


高校生にしては小洒落ているのだろう。


体つきも女性らしく、身長は座っているからわからないが尻も胸も服の下から存在を主張している。


俺は一瞥だけすると給湯室の壁際の椅子に浅く腰掛け、体を倒した。


この場所だと階段と厨房、ラウンジのほとんどを見渡せる。

対して自分はあまり目立たない。


水をもう一度呷ろうとすると、今度は男子学生が目に付く。


黒の短髪は整髪料などつけていなのだろうが、爽やかで真面目そうな雰囲気を出している。

キリッとしたまっすぐな眉に二重瞼に大きな目。


胸板は厚く、体つきもたくましいが筋肉が付きすぎという事もない。


撥水性の黒い薄手のウィンドブレーカーを肘上までロールアップしている。ズボンはベージュの七分丈。黒いスニーカーを履いている。


イケメンだ。真面目で異性との交友より部活一筋、の様な雰囲気を出しつつもなんだかんだ可愛い年下の彼女がいるのがセオリーだ。


僻むでもなくそう思う。


俺は自分のことで精一杯だ。人のことまで考える心のゆとりも時間も無い。恋人など到底無理だろう。


この男も何故此処で本など読むのか。本など自室で読む方が集中出来る筈だ。そうで無いならそれは読書アピールだ。俺は運動もできるし本も読みますよ、と周囲に主張しているのだ。


ぼんやりと厨房の方を見る。ボールに持ち手がついた黄褐色の容器が積み重ねてあるのが見える。


それ以外はボイル機や揚げ物機。

湯気は立っていないから電源は入っていないのだろう。


天井を見上げる。

このフロアはシステム天井では無く在来天井であった。


照明はスクエア型とライン型を組み合わせて上品に仕上げられている。


シャツの袖口のボタンをはずし、腕まくりすると時計を見る。

ぼんやりしているうちに18:22を針はさしていた。


腕時計を耳元に近づけて見ると小さな音が細かくなっている。

忘れないうちに時計の螺子を巻き直した。


針が動くのをぼんやり見ていると、天井の方でブツっという音が聞こえてきた。アナウンスだろう。ラウンジの天井に何箇所かスピーカーが設置されているのを見上げて確認した。


因みに天井に据え付けられたスピーカーは2種類。

メーカーが異なる。

一種類が一般館内放送用、一種類が防災用のスピーカーだろう。

防災センターがビルから消えて久しい。

災害が起これば政府の災害対策本部から放送が入る。

火災を検知した場合は消防から。

施設には至る所に感知器があり、消防署で何処で家事が起き、どう延焼が進むかもリモートで検知し、趣味レーションに基づき指示が為される。


スピーカーは非常時に電源がオフとなるカットリレーコンセントにて制御されている筈だ。

これは防災信号線が接続されたコンセントで、防災信号を受けて電源をオフにする物だ。


一般のビルでは火災信号を受けて電源断するが、この発電所では震災、漏水、テロ等あらゆる信号を受ける筈だ。


他にも2台の監視カメラが見えた。

ひとつは給湯室北東位置から厨房南側に向けてラウンジ2全体を見渡すように。


二つ目は二本のうち西側の柱から倉庫4、食料庫に向けて。


その時唐突にスピーカーからノイズが走った。


『垣野です。生徒の皆様、引率の先生、並びに職員に連絡です。皆様これよりエリア5のラウンジ2にお集まりください。繰り返します。これよりエリア5、ラウンジ2にお集まりください』


簡潔に繰り返すとブツっという音を立て放送は終了した。

集合場所は今自分がいるここ、ラウンジ2。


何処かへ移動しなくても良いのは運が良い。

もう一度時計を見ると18:26を指している。

やがてラウンジに人が集まってくる。


18時30分きっかりには13人になっていた。驚いたことに小さな女の子もいる。小学校低学年位から中学年位の子で、やたらガタイの大きいワイシャツの上から濃紺の作業上着を羽織った40台前半の男に手を引かれている。


作業着には静岡県の富士山をモチーフにしたマークが右胸元に、背中には国立静岡地下原子力発電所の記載があった。


更に少し遅れて長髪の女子高校生、柄の悪い大柄なツーブロックの男子高校生、ストライプのスリーピーススーツの眼鏡男の三人が入ってくる。


全員がどこかしらの席に着くと、垣野が正面に立った。


「えー、皆さんお疲れ様です。静岡地下原発での全国高校総合学習、これから1週間宜しくお願いします。まず初めに此方の不手際で時間を持て余してしまった事お詫び申し上げます。明日以降は問題無く研修を行えますのでご安心下さい。これから以降のスケジュールをお伝えしますのでメモ等お願いします。後程スケジュールはお配りします。本日はこれから簡単にカリキュラムの説明の後に自己紹介をします。その後は夕食となります。本日の予定は以上として、明日は7時30分から8時30分まで朝食、9時から研修開始となります。研修の詳細については明日お伝え致します。……えー、それと、皆さんに悲しいお知らせです。この施設では通常朝、昼、夕食をコックさんに来てもらって提供していますが、今週1週間は手違いでコックさんが手配されていません。明日の朝手配致しますが、3日ほどは自炊してもらう形になります」


衝撃的な発言だった。

2人組の女子高校生がマジで!?有り得ない!と騒いでいる。

他の面々も唖然とした表情をしている者が多い。


「お静かに。職員も自分で調理して食べますので。料理が作れない人は作れる人にお願いして下さい。折角の研修ですから皆さんには自炊して仲良くなってもらえればと思います。調理場は皆さんの左手の厨房になります。中にチルド室とフリーザーがありますので食材はそこから調達して下さい。食材自体は今日の午前中に納品されてますので鮮度に問題はありません。皆さんの評価点はその分高く採点するので宜しくお願いします」


喋り終わると垣野は横を向き何か小声で吐き捨てた。

恐らく彼女の責任で起こったアクシデントではないのだろう。


ブーイングの嵐が起こった。柄の悪い大柄なツーブロックの男子高校生は大声で罵声を浴びせている。


気持ちは分かるが嫌な気分になる。レストランで金を払っているならまだしもこの研修に直接的な費用は発生していない。施設側を責めるにはにしても罵声を浴びせるのは人としての程度が知れる。


こんな奴とは絶対に一緒にメシなど食いたくない。


という思いは無表情を張り付けて微塵にも表には出さない。


料理は最低限は出来る。問題はない。


「チルド室のなまものは消費期限に注意してください。しっかり食品シールの期限を確認してから使ってください。それからフリーザーの隣のパントリーにはドライ食品、米やパスタの乾麺などが置いてあります。フリーザーには冷凍されたお肉や魚、その他食材がありますのでこれらを煮るなり焼くなりチンするなりして食事にしてください。使ってはいけないものはありませんが、機材の電源の入れっぱなし、火のつけっぱなしには気を付けてください。それでは何か質問はありますか?」


手は上がらなかったが、皆不貞腐れたような表情をしている。


「それではつづきまして」


突如、なんの脈絡もなく。本当に唐突に激しい爆音と共に施設が揺れた。


以前アルゼンチンのメンドーサでマグニチュード9の地震を体験したことがあるがそれとなんら遜色のない揺れだった。


照明が消えて当たりが暗くなる。

耳をつんざく爆音に何かが崩落する音。金属が軋む音、ひしゃげる音が引き続き鳴り続ける。


立ち上がろうとして座っていた椅子が倒れ、頭から床に打ち付けられる。更に転がり、壁に激しく背を打ち付けくぐもった呻き声を上げてしまう。そのまま必死に歯を食いしばりながら体勢を維持し、耐えた。


天井から何かがパラパラと降ってくる。岩綿級音板がひび割れて石膏が落ちているのだろう。


薄ぼんやりと灯りが点いた。

天井が軋み、嫌な音を立てている。何処かで食器がぶつかり合っているのか鈴の音のように揺れ鳴っている。


阿鼻叫喚だった。ガラスの机、椅子が次々と倒れて揺れによって転がっている。


複数の女性の金切り声、子供の泣き声に男の怒声。


何かが突然俺の頭部にぶつかり、視界が明滅した。


何処かでガラスが割れる音が聞こえる。立て続けにいくつも、何度も。


倒れたガラステーブル同士が転がりぶつかり、近くで激しい音を立てた。


今や鳴り響く音の渦は聴音限界を超えていた。


轟音と振動は優に10分以上は続いて漸くゆっくりと引いていった。


位置確認をすると、ぶつかったのは倉庫3の壁だったことがわかった。


明かりはまだ点かない。


「何があった!?」


「わからん!?前代未聞だ!」


「すぐに調べなくては!」


「なんだこの振動は!大丈夫なのか!」


「ふざけんな!はよ説明せぇ!」


ラウンジ内は騒然としていた。怒鳴り合い、パニックにより半狂乱になった生徒達。泣き続ける幼女。


数人の男たちが走ってラウンジを出て行く。


「垣野さんこの場は頼みました!」


残った垣野が少女を抱きながら学生達に静止を促しているが効果はない。


落ち着け。考えるんだ。

自分に言い聞かせる。


じっくり何が起きたか考察することは出来る。


一つ。これは地震ではない。


理由は誰の携帯端末も地震アラートを発報していない為。


事故か、事件か。分からない。だがこの混乱に乗じて今しかできないことを考えろ。この事故か何かで俺にできることはない。逃げることができないケースを考えろ。落ち着け。落ち着け。怖いのはなんだ。死ぬこと。違う。もっと現実的に考えろ。テロ。それも怖い。だがそうじゃない。


テロは一通りの流れが予測できる。

そして結論づける。


集団パニック。他人が怖い。


即座に自分を落ち着かせ、判断する。

混乱して恐怖に取り憑かれた人間ほど恐ろしいものはない。


人間は追い詰められればどんなことでもする事を俺は知っている。


人ほどエゴイスティックな生物は存在しない。

彼等は予測が出来ないのだ。


自分の身は自分で守る。


様子を見、自分を見る者がいないのを確認すると屈んだまま音を立てずに給湯室の裏から防災備蓄庫に近寄る。


鍵が掛かっている。尻ポケットから定期入れを取り出す。


定期入れには父の生家の鍵が入っている。当然鍵穴は合わない。


俺は鍵を握り締め、スリットガラスに叩き付けた。


音はするが、生徒達の騒ぎで掻き消される。


手探りでスリットガラスに触れる。

罅がが入っているが飛散防止フィルムで飛び散ってはいない。


鍵を擦り付け、シートを破り、そこから剥がすと肘で再度殴り付ける。


スリットガラスが飛び散った。

穴から手を差し込みシリンダー錠を開くと備蓄庫の中に滑り込んだ。


此処まで1分程度。


携帯端末のフラッシュを焚き、周囲を照らす。入り口には光を向けない様注意する。


中は奥行3m×幅6m程の部屋で、両脇の金属製の軽量棚に防災備蓄品が積まれていた。


携帯トイレ、ヘルメット、救急キット等が段ボールに詰められ並んでいた。


食材もある。ご飯の元、そして目当ての水と携帯食料だ。

20人の人間であれば、この部屋のものだけで2ヶ月は生きていけるだろう。


だがそんなことは関係ない。

誰かが武装して食料が自分以外に渡らないようにしたら。


そうなった時、下手にでなくていいように。これは必要なことだ。


棚からまずブロック状の携帯食料の入ったダンボールを1箱取り、続き水の入った500mlペットボトル6本入りの段ボールを引き出す。後はチューブに入ったゼリー状の携帯食料のダンボールを1箱。


これ以上欲張っても仕方がない。取り敢えずはこれで我慢だ。

迅速な行動のおかげでここまで1分半も経っていない。


段ボール3箱を重ねもちあげる。積んだ食料を持ち、スリットガラスから様子を伺う。


混乱はまるで収まっていない。


するりと抜け出、柱の影から階段へ移動。

明かりはまだ付いていない。避難誘導等の明かりを避けてラウンジから出る。


引き止める声はない。見つかってはいない。

一瞬見た様子ではラウンジには11人の人影が見えた。パッと見学生は全員いる。他には垣野、それと幼女か。


階段を足音を立てずに駆け上がり、エリア4に向かい、すぐさま404号室に辿り着く。


カードロックシステムに赤いランプが点灯していた。

解錠されている。


恐らくパニックオープン機能だろう。


パニックオープンとは防災信号、一般的には自動火災報知の火災信号を受け取る事により電子錠が解放されて扉が通通となることを指す。


通常の事務室などは入りをオープンにする事はないが、この施設のセキュリティーポリシーでは客室は入りもオープンにするのだろう。


中で人が倒れていた場合に救出を行う必要があるということだろう。


火災が発生しているのか、それ以外の何かも検知するのかは分からないが、防災用のスピーカーから火災非常放送スピーカーから火災を知らせる放送は流れていない。


事故を検知してパニックオープン状態に切り替わったのだろう。


自室に滑り込むと食料をベッドの反対側のスペースに隠す。

息が荒い。呼吸を落ち着ける。


そして自問自答した。これでいいのかどうか。


いや、足りない。チャンスは無い。今しかない。


研究員は無理だとしても、この施設にいる他の人間の事を知りたい。

どんな性格か知れれば対応もしやすい。人間を見る目に余り自信もない。


気をつけなければならない者、阿ったほうがいい者、その見分けをしたい。


一か八かだ。もう一度部屋から静かに出て403を見る。小さく赤のランプが光っている。


事実同様電子錠はパニックオープンに切り替わっている。

素早く松井の部屋に忍び込んだ。


目当てのものは探すまでもなく見つかる。

部屋を出る直前まで読んでいたのだろう。ガラステーブルの上に写真付きの資料が10枚程置かれていた。


学生調書である。


ミディアムロングの女子高校生が一番上にされたそれを掴むとすぐに部屋を出た。人気が無いか耳を澄ます。


と、誰かが階段を移動する足音が聞こえてくる。


心臓が跳ねるのが分かった。


焦りに手先が震える。


急ぎ音を立てないよう松井の部屋の扉を閉め、同様に自分の部屋を開け、滑り込み、閉める。


だが鍵は閉められない。


現在はこの災害により客室がパニックオープン機能により出入りが通通となっている。


ここでU字ロックを掛けてしまえば自分が部屋に戻った事がバレる。


最も、急いだところで足音の人物がこのエリアに用があるとは限らない。


息を潜め、廊下の様子を伺う。


しかし願望とは裏腹に足音は遠ざかることはなく近づいてきた。


先程の運動と併せ、緊張で全身から汗が吹き出した。

この状況下で食料やファイルを盗んだ事が知れればどうなることか。


敢え無く集団パニックの犠牲になることは間違いない。

俺は移動し、ベッドのマットレスの下にファイルを突っ込むと壁とベッドの隙間に潜んだ。


耳を澄ます。

早足ではあるが、音を抑えるようにしている。


つまり目的は碌な物ではない。


少し離れた所で扉を開ける音がする。

無音の後、扉が閉まる音、そしてまた足音。ドアを開ける音。今度は近い。


天然パーマの部屋だ。

続いてドアが閉まる。再度足音。ドアが開かれる。松井の部屋だ。暫くの無音の後扉が閉まる音がし、足音が近づいて来た。そして404、俺の部屋の前で止まり、部屋の扉が開いた。


何を探している。最初の部屋、天然パーマの部屋、松井の部屋を開けていた時間は短い。ただの物取りではない。


4秒、5秒、6秒、部屋に入ってくる様子はない。


息を堪える。

相手の息使いが聞こえてくる。


入って来たらどうする?

顔を見られずに気絶させる事ができるのか?


いや、そもそも俺の部屋で気絶させられたのだ。下手人は俺と皆が断じるだろう。


ならば………殺す?


部屋に廊下の非常灯の灯りが差し込む。

たっぷり10秒経ち、部屋のドアが閉まった。


ゆっくり息を吐く。

顳顬を汗が伝い、カーペットに滴り落ちた。


足音はそのまま遠ざかり、松井の部屋のドアを開け、再び閉まる音が聞こえた。


こいつは俺と同じことを考えたのだ。


おそらくこの施設で争いが起こる。その為に少しでも情報が欲しいと。


松井ならばそれを持っている。そう考えたのであろう。非常に危機意識が高い。だが俺のほうが早かった。俺が勝った。


戻るチャンスは今しかない。相手は今必死になって松井の荷を物色しているだろう。


無音でドアを開け、出て、閉める。

無音歩行は得意だ。足音が鳴りやすいピータイルだが、靴はランニングスニーカーだ。問題ない。


音を立てず松井の部屋を通りすぎ、階段を下る。

そうしてエリア5に戻り様子を伺う。

まだラウンジは混乱の最中にあった。


明かりはまだついていない。

大柄な男子高校生が垣野に詰め寄り、それを精悍な男子高校生とミディアムロングの女子高校生が諌めている。


素早く入り込み、柱と給湯室を回り込み騒ぎの中心に近づこうとした。

近づこうとして、止まった。


深く息を吐き、給湯室の壁に背を付ける。

信じられなかった。


11人いた。


全身が総毛立つ。目を剥き何度も数え直すが、結果は変わらない。


ラウンジ2から5分前に俺が出たとき、そこには11人の人がいた。間違いない。学生全員、俺を除いた9名と、幼女、垣野。これで11名。そこから松井の部屋を荒らした誰かを1名を除けば10人でなくてはならない。


だが現実にここには俺を除いて11人の人間がいる。

動悸が激しい。だが脳は恐ろしいほど冷静だ。


考えろ。


俺が回り込んだすきに入ったとでも言うのか。

でなければ職員が松井の部屋を漁ったことになる。それは現実的ではない。この状況下で爆発の調査ではなく引率教師の部屋で生徒の資料を漁る事を優先する道理もない。職員が爆発の原因を知っていたとしても、あのタイミングでエリア4に脚を踏み入れることは出来ない。


なぜなら、あいつはエリア4の部屋を虱潰しに確認していた。職員に松井が部屋割りを報告していたとしたら、一発で松井の部屋を開けるだろう。報告をしていなかったとしたら、エリア4からではなくエリア1か6から始めるのが道理。


何故なら松井が報告していなければ職員は誰一人として誰が何処の部屋を取ったかは知らないはずなのだ。


ならば1番上か、1番下から捜索を始める。


つまりあれは職員では無い。部屋の主である松井でもない。


よって学生という事になる。


ならばあいつは俺が忍び込み、回り込んで数を数えた僅か数秒のうちに潜り込んだのだ。気づかれずに。


鳥肌は未だ収まらない。こんな身体能力のやつに俺は敵うのか?


いや、敵わなくても俺は死ぬわけにはいかない。

なら俺は頭で勝負するしかない。


もし俺が何も知らなかったとしたら、人の目を避けることを第一に考える。エリア5から制御室のあるエリア3までは人の移動が予想できる。なるべく人に見つからないようにするならば、エリア6、エリア4、エリア1の順番で調べるだろう。エリア1の人間ならまずエリア6から調べるだろう。彼らは誰が4で誰が6に行ったかが分からない。


エリア4は途中で人とすれ違う可能性が高い。だから心理的に6から先に調べる。


エリア4の天然パーマもありえない。彼なら松井の部屋が403か404である事を知っている。401と自室は開けない。


つまりあいつはエリア6の生徒ということになる。

エリア6には誰が向かったか思い出す。


ロングヘアー、チャラついた馬鹿ピアス、精悍、ソバージュの4人だ。ここから目立っていた精悍な男子学生は除いていいだろう。


残った3人は全員ここにいる。


間違いない。やはり俺が見ていなかった一瞬の隙に混ざったのだ。


鳥肌が立つ。食料や資料を確保したのは間違いではなかった。


取り込むべきなのかそう考えた時、なんの脈絡もなく非常灯の薄ぼんやりしたあかりが消えた。


誰かが悲鳴を上げた。

非常灯の電源は非常用発電機の作動とともに点灯するのが一般的だ。


この施設の場合非常用発電機が必要かは分からないが、何れにせよ非常用電源回路に切り替わっていたはずだ。


それが絶たれたという事は通常電源に切り替える目処が立ったと考えるべきだ。


すっと壁伝いに給湯室影へ移動する。

この一連の騒動が俺を狙うものだったとしたら突っ立っているだけでは危険だ。


自意識過剰かもしれない。しかし自分を守れるのは今や自分だけなのだ。


二度目の阿鼻叫喚の中じっと息を潜めて目を慣らす。

誘導等の緑の灯りが照らす範囲を見つめる。誰も通らない。ラウンジに出入りする者はいない。


何事もなく、唐突に灯りが付いた。

暗闇に慣れ始めていた目が光に刺激されて痛んだ。

ただ事ではないなという在りきたりな感想を抱く。


ラウンジには11人、面子は変わっていない。

だが何か違和感を覚えた。


見回してみても内訳は変わっていない。

生徒9人に垣野、幼女の11人である。

それに違和感がある。


「さっきから一体なんや?!なんで何の説明もせぇへんねん!」


「ですから今他の職員が調査しています!私たちも混乱しているんです!今は落ち着いてください!」


サービス業ではないとはいえ職員がその対応はまずいだろう。

持論だが、クレーマーにはひたすら謝罪するのがベストである。

垣野はひたすら落ち着かせるべきだった。


「なんや!?国民の税金もろて暮らしとる奴が仕事もせんと言い訳するんかい!」


「貴方はまだ税金払ってないでしょ!」


「馬鹿高い消費税払うとるわ!」


柄の悪い大柄な男子学生は青筋立てて怒鳴り散らしている。


彼の剣幕に垣野は顔を青褪めさせて後ろずさる。


危うい。手が出るかにも思われた。

しかしすんでのところで精悍な男子学生が割って入る。


「待ってください先輩。冷静になりましょう。この人を殴っても解決はしませんよ」


「彼の言うとおりよ。職員の方も私たちと同じ心境のはずよ。落ち着いて?」


ポニーテールも精悍な男子学生に追随したが、ばたばたと階段を駆け下りてくる音に意識を取られた。


現れたのは神経質そうな男だった。丸顔の黒のオーバルフレーム眼鏡を掛けた30台前後の男だ。施設が揺れ、停電する前にもラウンジにいた。


先程数人で出て行ったところを見たから、職員の一人なのだろう。彼は血相を変えて取り乱している。重たい前髪が額の汗に張り付き乱れている。陰気な顔つきも合わせて病人のような雰囲気を漂わせている。


「おい!大変だ!」


開口一番そう叫ぶがそんなことは重々承知である。


「どうしました多田さん!」


そんな男、多田に垣野が問う。


「管理制御室で男が死んでいるのが見つかった!確か引率の教員だったはずだ!」


違和感の正体に遅まきながら気付いた。

ラウンジ2に松井がいなかったのだ。


これはもうダメだ。やはりさっき動いておいて損はなかった。


そんな事を考えた。


人が死んだという。地下2000mの地下空間での爆発事故。


そして引率教員が死ぬ事態。パニックが起こる確率がいや増している。


恐らく。この大きな爆発と振動は俺達をこの地下2000mに閉じ込めたに違いない。楽観視するべきではない。


ラウンジに残っていた人達が慌てて階段を上っていく。

残ったのは冷たい表情のロングヘアーの女子高生、天然パーマと先程まで垣野に抱かれてい幼女だけである。


幼女は1人で泣き続けている。


状況を確認しに行くべきだろう。

パンツの後ろポケットから多機能携帯デバイスを取り出す。


電波のアンテナ表示が立っていない。

フリーインターネットの何らかの基幹設備が破損してしまったのだろう。


携帯をしまいどうするべきかを考える。

やはり皆の動きに沿って行動するべきだろう。


しかし幼い子供を1人残すのもどうかと逡巡する。

人が死んでいると言うのなら死体を見せるのもまずい。


幼女に近寄っていく。


「お父さんの所に行くか?」


先ほどこの子を連れていた大柄な男が父親なのではないかと予想し、火が付いたように泣く女の子に話しかけた。

幼女は大声で泣きながらも頷く。


「よし………じゃあ泣き止んだら行こう」


そう言うと女の子は泣くのを止め、しゃくりあげる。


あの男はやはり父親のようだ。


パッチリとした可愛らしい顔がこちらを向く。

鮮やかなブルーの、魚のロゴがプリントされたTシャツに、ネイビー地のドットプリーツスカートを履いた背中までのロングボブの幼女の手を取った。


引率の教員、即ち松井が死んでいると言う。


俄かには信じ難かった。

階段を登りながら思考を巡らせる。


松井の部屋を漁った生徒が俺と同じ思考で逆に推察すれば、生徒の書類を盗んだ人間として俺か天パに必ず行き着く。


後から来て松井の部屋を漁った者は俺が先に侵入して書類を盗んだ事を知らない。


奴は書類がそもそも存在しないのか、誰かが盗んだのかも区別がつかない。


だが松井の所持物が無くなった事が分かれば奴は俺か天パを疑うだろう。


いずれにせよ不自然な行動を取り怪しまれれば俺の行動が露見する恐れがある。


松井の部屋を手当たり次第に漁らなくて良かった。


他の生徒と違う動きをするべきではない。


冷静な思考に対し、女の子の手は暖かく、柔らかかった。


エリア3に着くと幼女を階段付近で待たせる。


「此処にいるんだ。絶対に中に入っちゃいけない。待てるか?」


「……うん…………」


幼女は小さい声だが返事をして頷いた。

ちらりと踊り場を見やる。


軽薄そうな男子高校生が手摺りに持たれた掛かっている。顔色が悪い。


死体を見たのだろうか。


視線を切ってエリア3を確認する。


エリア3は凹型のエリアで、階段正面に小窓とカウンターの付いた管理制御質がある。


今はなきビルの防災センターのような作りだ。


管理制御室の入口はその左側面である。

右手にドアが3つ階段側が発電システム制御室、中央が倉庫2、北側には何も記載されていない。


一方の左手はドアはなく、また狭い。監視カメラが1台有り、階段を出てすぐ左手天井から発電システム制御室の方に向けられている。


カメラからは僅かに駆動音が聞こえる。ダミーでは無い。

生徒達は制御室のカウンター付近に所在無さげに立っていた。


人をかき分け制御室に入ろうとすると、何かの爆発によりOAフロアが破損し、スラブのコンクリートがむき出しになっていた。幾らか火花を散らしている機器等が見受けられる。室内のコンピューターも幾つか破損し、煙や火花を上げている。


そして破壊されたシステム天井からぶら下がる、束ねられてアオダイショウの様に太くなった黒い電気幹線ケーブルと接触して虚空を見つめ、口からだらしなく舌を出し、泡をふいたスーツ姿の男が横たわっていた。


間違いなく松井である。


「このケーブルはキュービクルそこの分電盤への幹線セーブルだ。活線時には1KA(キロアンペア)の電流が流れている。絶対に触るな」


がたいの大きい幼女の父と思われる男がいう。


1KA。一般家庭で利用できる電流は50A程度。オール電化契約でも110Aがいい所だ。人間の致死電流は50~100mA。皮膚には電気抵抗力がある為、流石にその程度では触れただけでは死なないが、1000000mAなら触れただけでマクロショックで即死だろう。


一見死体の露出部分に電紋は見られない。衣類を脱がせれば何処かにあるかも知れない。

特段匂いなどは生じていなかった。


松井の右手が力無く垂れ下がっている。右手の皮膚が硬質化しているようだ。間違いない、感電死だ。

触れてしまったのだろう。


室内に巨大な分電盤が設置されていた。


何処かに設置されているキュービクルからこの部屋に天井回しで引き込まれ、通電したままの電気幹線と接触したのだ。


爆発か何かで天井が壊れ、被覆が剥げた幹線ケーブルに接触したのだろう。


電流が流れているかどうか、漏電しているかどうかは見た目には分からない。漏電していても現実では映画のように青い火花など上がらないのだ。


しかし室内は酷い惨状だ。

間違いなく爆発物による爆破の痕である。


「この場所から離してあげることはできないんですか?」


ミディアムロングのポニーテール女子が言う。


「あぁ~?めんどくせぇな」

答えたのは黒地にストライプのスリーピーススーツを着た、ブローリムフレームの眼鏡を掛けた目つきの鋭い、30台後半の男だった。随分と横柄な話し方をする。


「こんなところに放置しておくんですか!?先生がかわいそうです!」


「死んでかわいそうも糞もねーだろぉがよ」


「そういう問題なんですか!?」


ポニーテールはどうも熱くなってしまっている。

偽善というよりは何か別の感情があるような気がした。


「っつせーな……まあこの配線もこのままにしとくわけにもいかねぇし、……どうすっかな……」


男は周囲を見回す。

職員は大柄な男、ラウンジ2に松井の死を知らせにやって来た眼鏡の職員、垣野がパソコンに齧り付いている。


「相沢さん、垣野、多田ぁ、ちと主幹ブレーカー落としてきます。一回端末類シャットダウンしといてもらえますか?」


「分かった。行ってきてくれ!」


「大寺さん、お願いします!」


大きな声で相沢と呼ばれた大柄の男と垣野が返す。

横柄な口調の職員は大寺という名前らしい。


「おいお前ら、これからブレーカーを落としてくる。灯りが落ちたらセンセェの死体を移動しとけ。5分経ったらブレーカー上げっから、もたもたすんな。それまでに移動しとけよ」


職員の大寺はめんどくさそうにため息をつく。


「多田ぁ!ブレーカー落としてもUPS電源で動くPCあんだろ?それで電源系統図確認して冗長化のブレーカー見つけてしてレシーバーで連絡できっか?」


「できます………3―1L盤からでいいんですね?」


「ああ。5分でできるか?」


「はい……2分もあれば………」


「じゃあ行ってくるから頼む」


言って大寺は踵を返し階段を上がっていった。


「じゃああんたとあんた、手伝って」


ポニーテールが柄の悪い男子と精悍な男子と俺の方向を指差す。


「ちっ、俺に指図すな」


「…はぁ?!」


「俺はやらんで。自分がどかせばええやろ」


柄の悪い男子はにやっと笑って近くの執務椅子にどっかりと座った。


「あんた………最っ低ぇ!あんたはどうなの?」


他に男手は……周囲を見回す。


「とぼけんな!あんたよあんた!そこの泣き黒子!」


火のつきそうな剣幕で胸倉を掴まれた。女性にしては力が強い。


漸く自分が呼ばれたのだと気が付いた。

俺には左目の下に泣き黒子があるのだ。


「ああ……まあいいが。ちょっと待ってくれ」


急いで幼女のところまで戻る。


「おとうちゃんは?」


可愛らしい呼び方だ。


「これからまた真っ暗になるんだが……1人で待ってられるか?」


「……ひとり?」


「ああ。ちょっとだけな」


そう言い、エリア3の奥まった所に連れて行く。このままだと彼女が死体を目にすることになる。


「じっとしてろよ?」


「うん……わかった」


「よし」


頭を撫でてやると不安そうな表情がわずかではあるが緩めてくれる。

それを見て制御室へ戻るとポニーテールに睨みつけられる。


「どこいってたのよ」


「悪いな。でもまだブレーカーは落ちてない。待たせたわけじゃないからいいだろ?」


「まあそうだけど」


まじまじとポニーテールを見ると顔立ちが大分整っている事が分かった。


白いブラウスに赤いカーディガン、下には黒のトレンカの上にキャメルのキュロット、そして焦げ茶のパンプスを履いている。

釣り目がちな瞳はきつい印象が先立つが睨まれてもあまり怖くない。


そのまま20秒程所在もなく待っているとのそりと天パが現れる。


「………先生……死んでるの?」


「ああ。電流が流れてるかどうかは分からない。お前も下手に触れたら死ぬぞ」


天パに状況を簡潔に説明した。


「………分かってる………どうするの?」


「どう?……ああ、これからブレーカーが落ちる。そうしたらここから運び出す」


「ねえ、あなたも手伝ってくれない?あっちの男どもが手伝う気が無いらしくて」


ポニーテールの懇願に天パはあっさりと頷いた。


「分かった」


天パはどうもモソモソと話す男だったが、この時はやけにキリッと答えた。


と、天パが答えた丁度その時に大寺がブレーカーを落とした為か、周囲の灯りが消える。


俺は薄暗がりの中松井の遺体を運ぶ為に屈む。

そこでそれを見つける。


情報コンセントだ。既に刺さっているLANケーブルを離線し、ポケットから取り出した小さな機械を接続する。小型無線ルーターである。


続いてOA床の配線取り出し口から出ているハーネスタップに電源アダプターを接続した。電源が生きていないので当然ルーターは起動しない。


デスク下の配線スペースに素早く機器を隠すと松井の体の横にしゃがんだまま待機する。


暗い中非常灯と多田という男の使うPCの明かりだけが目立っている。


非常灯は点いていない。ブレーカーを落とすだけでは非常灯は点かない。


停電信号を受信しなければ非常灯は点かないのだ。

俺の行動を見咎める者はいなかった。


「じゃあ黒子の人、脇抱えて。君は足お願い」


「おい、お前は持たないのか?」


「え?」


ポニーテールが何言っちゃってんの?という受け答えをする。

頬がひくついた。


「………ちっ」


「女の子に重いものを持たせるべきじゃない」


堪えきれなかった舌打ちに天パが反応した。


「……こいつの指示だろ?なんで俺が顎で使われなきゃなんねえんだよ」


「いいから」


「口だけで自分はやらねぇのか。すげえな」


俺の怒りは天パの一言に散らされたが、嫌味をぶつくさと口に出した。


この位は言っておいていいだろう。いい顔し過ぎて体のいい使いっ走りにされても困る。


しかし1度やると言ったことだ。仕方ない。脇を抱えると天パが脚を持つ。


「………重い」


松井は比較的ふくよかな体型だったのでそこそこの重さがあった。


当然まだ死後硬直は始まっていない。あれば死後2、3時間経過してから始まる。

死体は硬直していた方が運びやすいのだが。


まだ暖かい。あの吹飛ばされるような振動の後に死んだのであれば、死んでから20分も経っていないのだ。


そう考えると不気味である。

こんな地下空間で人が死んだのだ。

一体これから何が起こるのか。自分が何をしなければならないのか。


「よっと」


持ち上げ、移動を始める


「みんな退けて!通るから!」


ポニーテールが携帯端末のフラッシュを焚き、進行方向を照らして進む。人をわけて通り道を作っている。その通り道を苦労して進んでいく。歩きにくい。


「どこに置く?」


「………」


天パに声を掛けるが返事が無い。


「確かエリア5の厨房内にフリーザーがあるって言ってたな。灯りが着くまでは階段手前に置いて、そのあとはそこに運ぼう。腐敗が進んでも先生に気の毒だ」


「………それでいい……けど重い…………」


「女の子には持たせないんだろ?なら仕方がないだろう」


「いや、俺も手伝うよ」


俺と天パの会話に混ざりこんできたのは精悍な男子高校生だった。


「おお、代わってくれるのか。親切だな」


「いや……手伝うって言ったんだけど………」


「冗談だ」


階段まで行き、一度遺体を置く。


「えっ!?ちょ!マジかよっ!?」


暗くて分からなかったが誰か男が慌てて階段を駆け降りていった。

死体に怖気付いたのだろう。


息を吐くと携帯端末のフラッシュを点けて幼女の下に向かった。


「お、泣かずに待ってられたな?」


「おにいちゃん?うん。ヤエないてないよ!」


この子はヤエというらしい。相沢ヤエ。

漢字は八重だろうか?八重とは花片が重なっていることをいう。

転じ、遥か彼方を指す言葉でもある


「灯りがついたらお父さんの所に連れて行ってやる。もう少し待ってろ?」


「うん。まってる」


随分聞き分けのいい子だ。こんな子もいずれはポニーテールの様な女になってしまうのかと思うとやるせない。


俺はヤエの隣りに腰をおろし、壁に背を預けた。

ひんやりとした感覚が服越しに伝わってくる。


「ねえ、さっきのおじちゃんどおしたの?」


死体を見せないようにここにいてもらったのだが、薄明かりの中でも見えてしまっていたらしい。

子供の視力は優れている。


「死んだんだ。人は皆いつか死んでしまうものなんだ」


子供になんて事を言うんだと思いつつもそう言ってしまっていた。

どこかで誤魔化したくないと俺自身が思っていたのかもしれない。


「しぬってなに?しぬとどうなるの?」


「やえは車に乗ったことがあるだろ?車っていう機械がそこには有るわけだが、車だけでは車は走らない。お父さんが操作するから走る。これはわかるよな?」


「うん」


「人も同じなんだ。体があって、そこに魂が入っている。その魂が体を動かしているんだ。魂が体から出てしまうと世の中では死んだ、と言われるんだよ。」


「ええー!でてっちゃうの!?こまるよ!」


「そんなに簡単に出て行ったりはしないよ。体が深く傷ついたりすると、魂が留まっていられなくなる。そうなると出て行ってしまう」


「じゃあヤエは!?」


「うん……今何歳だ?」


「7さい!」


「じゃあ誕生日が後85回くらい來たらだな」


「え~プレゼント200こくらいほしいよ!」


「クリスマスもあるだろ?仲のいい友達をたくさん作れば一度に何個も貰える。200個位余裕だ」


そうは言いつつ自分では無理だろうなと考える。

貰ったら返さなくてはならないし、そもそも貰いたいとも思わない。


「そっか。じゃああのおじちゃんはからだっていうふくをぬいいでどっかにとんでっちゃったのかな?」


話が戻る。


「そうだな。まあそんなところだ」


結局死なんていう難しい概念は身近な人が死なないと分からないものだ。


「いつかは皆そうなる。でもやえがそうなるにはまだまだだ。沢山遊んで、笑い、少し怒ったり泣いたりする。それを繰り返した後だよ」


「へぇ~そっか。おにいちゃんものしりなんだね~。でもおとうちゃんもすごいんだよ!やえがしらないことなんでもしってるんだ!」


「君のお父さんにはそりゃ負けるよ。俺だってまだ17年しか生きてないんだ」


暗がりでにこにこと笑っている。

よほど自分の父が自慢で、好きなのだろう。

こんな娘なら自分も欲しい


そうして同時に考える。

松井は十分生きたのだろうか?


少しして灯りが付いた。


直に大寺も帰ってくるだろう。

ヤエの手を引くと管理室内に向かう。


入口そばの破損した配電ケーブルはもう動き回ってはいなかった。

俺は大柄な男に近付くと声をかけた。


「すみません。娘さんをお連れしました」


「おお、ありがとう!だが今はな。どうしたもんか………」


「すみません。俺もこれから遺体を運ばなければならないので………」


「ああ……じゃあここで少し我慢させるしかないか」


「では俺はもう行きます」


管理室から出て階段へ向かう。

既に待っていた天パとハンサムと共に遺体を抱え、大量の汗をかきながらエリア5まで階段を下りて冷凍庫へ運び込んだ。

冷凍庫はスチール棚が据え置かれた広い空間で、パック詰めされた肉やソースるいが大量に置いてあった。

かいた汗はマイナス19℃の空間ですぐに引いてしまった。


作業が終わるとそのまま自室に戻った。

鍵は開けっ放しだったのでものがなくなっていないか確認したが、紛失物は特になかった。


情報量が多過ぎるのでベッドに横たわり、考えを整理することにする。


まず最も重要な点からだ。


先の事故の際、全体的には崩落音が目立ったが、確かにはじめは爆発音がした。制御室にも爆破の痕跡が見られた。


どのような損傷があるのか正確なことを知りたいが、今はそれを知るすべはない。

職員に尋ねて素直に回答が得られるとも思えない。


だがあの大きな爆発、ただの事故ではない。間違いなく故意。爆発物によるものと考えて間違いない。


爆弾の種類を特定することはできないが、床のえぐれ方からみてセムテックス4と予測できる。つまり意図的に破壊活動が行われたということだ。


職員の様子から事前にテロリストから犯行予告があったとも思えない。犯行声明も出されていなさそうだ。全くもって動機や目的が見出せない。


此処を破壊する事で地下原発本施設で何か悪影響があるのだろうか?

判断材料が少なすぎた。


大人しくしているべきなのだろう。

そう考えていると天井のスピーカーからぶつりという音がする。


『皆さんに説明しなければならないことがあります。至急エリア5のラウンジにお集まりください。よろしくお願いします』


流れ出る音声が歪む程に、大きく力強い声だった

先ほどチラと話した相沢の声だった。


部屋から出てロックを施し、階下へ向かうともうほとんど集合していた。

職員4人が階段の前に立ち、生徒は彼らを正面に直した椅子にかけている。


中には初見のサングラス男もいる


「皆さんにただいまの状況を説明させて頂きたい」


相沢が全員が席に着くとそう切り出した。


「現在、私たちはこの施設に閉じ込められている。エレベーターのブレーカーが落ち、現在回復ができない状態にある。その上非常階段が完全に崩落してしまっている」


「どういうことや!そないな中身ない説明で納得できるわけないやろボケ!」


ツーブロックが怒鳴り散らした。少々人格に難はあるが分からなくはない。


当初の自分の考えが当たったことに眉を寄せる。

学生たちは騒然とし、立ち上がって口々に騒ぎ立てている。


座ったままなのは俺とロングヘアー、天パで、精悍とソバージュは騒ぎ立てこそしないものの立ち上がり不安そうに顔をしかめている。


サングラスの男も座ったままだ。


「落ち着け!」


相沢が一括するとあまりの声量に皆押し黙る。

耳鳴りがした。


「これだけでは無い………垣野君」


「はい………えー、順序だてて説明します。はじめに18:45分に起きた原因不明の爆発により施設内各所が破損、そして非常階段が崩落しました。それと同時に事故の影響により現在エレベーターも稼働することができません。また、爆発の影響が施設自体にも影響を及ぼしており、当施設のプレート活動抑制システムが大破してしまい、稼働しておりません。この結果今まで中和していたプレートの活動が急激に進行し始めております。その影響によりこの施設は2週間で………」


垣野は息を吸い、


「……圧壊します」


そう告げた。


「現在脱出の目処が立っておりません。誠意努力致しますのでご辛抱ください。申し訳ございません」


「た、助けは、い、い、いつくるか、わかってるんですか?」


気弱そうな眼鏡の男子高校生が吃りながら尋ねる。


「それについてもお話があります。先の爆発の影響により上部施設の設備も一部損傷しております。その中にアンテナや通信設備が含まれているものと予想され、現在静岡市内の本部と連絡を取ることができなくなっております。本来この場所は圏外なので外部との連絡は一切できません。元々よほどのことがない限り本部と連絡は取っていないため、この事故が知れるのは人員交代が行われる1週間後となると思われます。従って私たちの救出活動はそれ以降になると思われますが、十分時間的な余裕はあると予想されます」


事故。本当に間に合うならそれで良い。

エレベーターが復旧するなら問題も無いだろう。


だが、あれは爆発物による爆破だ。わざわざ何者かが施設を爆破したというのに、2週間弱足止めされるだけで解決するとは到底思えなかった。


だがこの報告に生徒達は落ち着いたようで、立っていた生徒は席についていった。

垣野は一礼をすると後ろに下がる。

代わりに再度相沢が口を開いた。


「それではこれから救出されるまでの短い時間だが、一緒に協力していくために自己紹介を一人づつしていきたいと思う。まず私から。私は相沢健吾。今は部屋で寝かせているが、娘を連れてきている。娘の名前は八重だ。娘共々よろしく頼む」


彼の大きな体、大きな声に誰も文句を挟めない。一同は相沢に統率されていた。


「前にも言いましたけど、垣野冬子です」


「私は、多田です」


「俺は大寺駿。プレート活動の観測を担当している」


職員が名乗り終わるとサングラスの男が立ち上がる。

焦げ茶の革ジャンに、濃いインディゴブルーのジーンズ、焦げ茶の革靴という出で立ちだ。


「沼木翔也。ライターだ。取材でここに来ている」


始めに沼木が姿を表さなかったのは施設関係者ではないからということか。


「それでは今度は学生の諸君、頼めるかな?」


相沢が言うと生徒達はキョロキョロと周囲を見回す。

誰から言ったものか、牽制しあっている。


仕方なく相沢は1人づつ当て始めた。


松井が死んだ以上生徒の名前がわかるものは本人と、調書を持つ俺だけだ。


はじめに当たったのは気弱そうな眼鏡だった。

ダブっとした明るめのブルーデニムに、白いTシャツの上に白地に青、赤、緑のチェックの半袖シャツを着ている。靴は白いスニーカーという出で立ちである。髪は短めでただ床屋で短くしてもらっただけ、というような浮き上がった髪である。顔も地味で目立たない、どこにでも居そうな気の弱そうな青年である。


「い、狭川道英……です。よ、よろしくおねがいします」


額から汗を流し、どもりながら自己紹介を済ませる。

2人目はポニーテールだった。


「久方優香、高2よ。趣味はチェスとピアノ。学校では英語部に所属してる。スポーツは小さい頃から中国拳法をやってるわ」


一見して彼女の全てを知れるような自己紹介だったが、しかし反芻すれば意外に中身の無い内容だと知れる。


うまい。他人との付き合い方が。自分の事をさらけ出しているようで実際は何も見せていない。しかも、武術を扱えるとさりげなく言うことで与し難しとの印象を植え付けている。


この異常な状況下で女性は男の標的にされやすい。

だから彼女は自分を襲えば痛い目を見るぞと周囲の人間に刷り込ませたのだ。


しかし先程の興奮した様子を思い出す。今の上手な対応と比較してチグハグな印象を受ける。先程からの観察で彼女の性格は把握できている。


頭は切れるだろう。正義感が強すぎる。

精悍と2人でツーブロックを抑えていたのがいい例だ。しかし群れなければそれも発揮できない。


3人目はピアスだった。

7:3で長い前髪を右から左に流したバンドマンのような髪。服装は白地に英語がプリントされたTシャツの上に7部袖の黒いジャケットを羽織り、ボトムスは黒のスキニーパンツ。靴はネイビーのスウェードのプレーントゥーシューズ。


「八代司、東京出身。趣味はまぁ、バイオリンと………あんまり言っても仕方ないか。部活はやってないけど、スポーツは大体何でもできるよ。特にスキーは得意かな」


それだけ言うと前髪を弄って椅子に座った。


俺にはピアス改め八代の性格が地なのか判断できない。


続いて相沢は先程から不安そうに顔をしかめて何か考え込んでいるソバージュに自己紹介を促した。


「君は?」


「わ、私は草野樹……です。趣味は特に……あ、お、お料理は得意です!家庭科クラブに入っています。運動は、あまり得意ではないです……」


恥ずかしかったのか、顔を赤らめて座り込む。自己紹介の際もずっと足元を見つめていた。


先程爆発騒動の前にちらりと見て思った通り、大きな胸が服を押し上げていた。目立たない様に少し緩めの服を着ているのだろうが、それでも目立った。


次にさされたのは俺だった。


「武藤です。どのくらいのお付き合いになるかはわかりませんが、よろしくお願いします。」


簡潔に自己紹介するとすぐに座り込む。


敵になるかもしれない相手に自分を見極めさせるネタを与える必要はない。


俺の自己紹介が終わると相沢はミディアムヘアの女子生徒に自己紹介を促す。


クリッとした快活そうな雰囲気を出す瞳の小柄な女だ。


白地に黒、7分袖のボーダーカットソーに薄いクリーム色の7分丈の緩く、薄手のクロップドパンツの裾をロールアップしている。靴はブラウンのハイヒールサンダルを履いている。


デフォルトの快活そうな雰囲気は萎み、怯えが表情に如実に現れている。


「津崎明、高校1年生です。趣味は特にないです。部活はテニス部です。よろしくお願いします」


イメージに反して簡潔に発言し、座ってしまった。


相当参っているのだろうか?


七番目は天パだった

黒いパーカーにブルーデニム、靴はネイビーのスニーカー。いかにも不満があります、というようなむっつりとした表情をバスの中からずっと浮かべている。


「……須山諒太……趣味はパソコン……………部活は陸上……」


やはり不貞腐れたようなぼそぼそとした話し方をする。


パソコンが趣味と聞き利用価値について考える。松井の部屋を漁っていないと確定している事も大きい。


どの程度の能力があるか分からないが、死体運びで少々の接点も出来た。俺はは須山を利用することに決める。

同じエリア4というのも利点である。


「俺は合田宗介や。趣味は写生、部活はボクシングをやっとる。高3やから何かあったら俺にいうてきぃ」


合田は随分と自分に自信があるようだ。身長180cmほどで、黒のVネックTシャツは確かに筋肉で膨らんでいる。

縦にオレンジのラインが2本入った黒いジャージに、ブルーのクロップスを履いている。


こんな環境で年もボクシングもない。

武器さえあれば筋肉もただの肉達磨だということがわからないのか。


下らない。


「中道律子」


九人目のロングヘアーの女子生徒は簡潔に名前だけを告げて座る。


鋭い目付きに背まで伸びる髪、かなりの美人だが表情には攻撃性がある。


よろしくと言わないのはよろしくするつもりがないということか。


無地のシンプルなグレーの7分袖Tシャツに黒いスキニーパンツ、季節感のない茶色いひざ下までのロングブーツを履いている。


他の人が着ればちぐはぐに感じるそれらも、色白で細身の彼女…中道が着ると似合って見える。


髪の毛はあまり手入れしていないのか無造作に見えた。ボサボサという事は無いが所々毛先が跳ねており、長い事美容院に行っていない事が察せられた。


美人ではあるが冷たい印象しか抱かせない。他者を拒絶するオーラを出している。


最後に立ったのは精悍だった。


「長谷川周平です。趣味はトライアスロン、部活は空手部です。1週間と少しよろしくお願いします」


腰を30°曲げ、キチッとしたお辞儀をする。

いかにも正義感が強そうであり、また逆に頑固そうでもある。


このちぐはぐなメンバーと箱詰めされて一週間。


人死にも出ている。

二週間以内に出られる保証もない。


さて、どうしたものだろうか。




自己紹介後、すぐに一同は解散となった。職員の多田、ライターの沼木、女子学生の中道はエリア6に、職員の大寺と垣野は階段を上って消えていき、残ったものは晩飯を確保しようとしていた。


「もー!どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのよ!」


「優香ちゃん落ち着こうよ……なるようになるから考えても仕方ないよ」


久方を津崎が宥めている。

相沢が食糧庫に入っていき、合田、狭川、草野がそれに続く。


俺は立ち上がると、天パ改め須山に近づいた。


「なあ、須山って言ったか?確か同じフロアだったよな?」


須山はムッツリとした表情で見上げてきた。


「今からカレーを作るつもりなんだが、どうせなら大量に作ろうと思っててな……一緒に食べるか?」


告げると須山はうなづいた。

満更でもなさそうだ。


「これでも自炊してるから得意でね。味は心配しなくていい」


肩をすくめてみる。


「402だったよな?部屋で待っててくれ。2時間もあれば出来ると思う」


「………わかった………」


それだけ答えてエリア4へと上っていった。

それを見届けると食糧庫へ向けて歩き始める……と、途中で肩を掴まれた。

振り返って相手の顔を確認すると、整った顔立ちのピアス男が見える。


八代司だった。


「食べてやるよ。まずいかもしれないけどこの際仕方ない」


偉そうに言った。

少し前とは打って変わって健康そうな顔つきである。


「いや、俺のメシはまずい。やめておいたほうがいい」


「そこをわざわざ食べてやろうって言ってるんだ。嬉しいだろ?」


さて、どうしたものか。


「君がいいと言ってくれていてもな。吐くような料理をわざわ食べさせるのは俺の道徳心に反する」


真摯な態度で告げると八代はグ、と詰まった。


「ま、まあ吐くような料理かは僕が食べて判断してやるよ」


いい加減うざい。


見回すと、ラウンジに人がいなくなっていた。

やってしまうか。


うんうんと一人でうなづくとおもむろに八代の顔に手を伸ばす。


「なんだやめ………痛、いたたたたたたた!やめろ!何か出る!」


腕の筋肉が盛り上がり、右手の五指が八代の顔を歪ませる。

アイアンクローである。


「やめろ!やめてくれ!」


うるさくなってきたので一度離してやると耳元に顔を近づけ、囁く。


「調子に乗るなよ?食べさせてくださいだろう?世間の常識学んでから出直してこいカス」


顔を押さえる八代に優しくルールを教えてやる。

このまま大人になったら彼が可哀想だ。


「で?何?食いたいのか?食いたいんだったらちゃんとお願いしてみろ。ほら、聞いててやる。それともゲロマズイ俺のメシは食いたくないか?それならそう言え。ぁあ!?」


「ま、まて!悪かった!食わせてくれ!レトルトにはトラウマが……」


「ごめんなさい食べさせてください。だろ?」


「!?………………ぅ……………」


「いや別にまずい下痢みたいなカレーだからさ。嫌なら食わない方がいい」


「……………………………さっきは悪かった。食べさせてください……………」


「おー、そこまで言うならまあ食わせてやってもいいかな。ハッ!」


にやりと笑うと八代は屈辱に顔をしかめる。


「どうした?なんだその顔?調子が悪そうだな。無理して食うこと無いぞ?無理は健康に悪い」


「頼む食わせてくれ!料理どころかインスタントも作れないんだ!」


わざとらしい俺のセリフに屈っし、八代は叫ぶ。


「最初から普通にそう言っていればよかっただろ………」


立ち上がると八代を立たせてやる。


「悪かったな、顔掴んで。まあでも態度のなってないお前が悪い」


「………それ謝ってんの?」


ツッコミは無視して歩き出す。


「自己紹介の時とキャラ違いすぎだろ……凄いにこやかだったじゃん…」


ブツブツ言いながら椅子に腰掛けている

鼻で息を吐くと肩をすくめて食糧庫に入った。


「あ、あの……相沢さん?私、料理は自信あるので、どうですか?ご、ご一緒しませんか?」


入ると丁度、草野が相沢に上目遣いで話しかけている所だった。


「お、いいのかお嬢ちゃん。実は私は料理が得意ではなくてな……娘もいるんだが……」


草野は心無しか胸を強調するようなポーズをとっている。

確かに草野の胸は平均以上に発育しているようだったが、俺は女性で乳首がついていればなんでもいいという考えを持っているので特段どうとも思わない。


女性は乳ではない。浮き出た美しい鎖骨、のけぞると綺麗に浮き出る肋骨、鍛えられた女性特有の臍上のまっすぐな窪み、スラリと細く、かと言って弾力も併せ持つ美しい足。要はバランスだ。


だが俺でも無ければ思わず盗み見てしまうような魅力的な体つきである。


現に合田はチラチラと草野の胸元を盗み見ている。

露骨だ。草野は気付いているはずだ。


襟から覗くなかなかの谷間を覗き込んでいるのだろう。

しかし草野には残念なことだが、対象である相沢には全く相手にされていない。流石は子持ちだ。


それはそうだ。彼は様々な難所を踏破して可愛らしい女児をもうけているのだから。


おままごとを尻目に食材を探す。


シナモンスティックにローリエ、カルダモン、クミンパウダー、カレー粉、にんにく、ターメリック、唐辛子、スターアニス、ブラックペッパー。


欲しいスパイスが全て揃っている。

空きダンボールにスパイスの中瓶を突っ込んでいく。


更にコーヒークリーミー、強力粉、サラダ油、塩、砂糖、ベーキングパウダーを取ると、それらを持って隣のチルドへ向かう。


玉ねぎ、無糖ヨーグルト、牛乳、卵、トマト

全て抱えて厨房に置く。

厨房には長いまな板が腰の高さの金属台1面に敷き詰められ、様々な器具が置かれている。


レンジで代用しようと思っていたにもかかわらず大型スチームコンベクションオーブンまである。


フリーザーに入るとまず松井の死体が目に付いたが無視して、パック冷凍された鳥肉とバターを取り出し流水解凍を始める。


塩、砂糖、重そう、ベーキングパウダー、牛乳、卵、水、無糖ヨーグルトを混ぜ合わせ、強力粉をいれ、まとまったらサラダ油を投入、発酵させ始める。


2時間もかけたくないため、ヒートランプをつけて適当に置いておく。


その間にシナモンスティックとローリエを細かく刻んで、カルダモンも手で軽く潰しフライパンでサッと炒め、クミンパウダー、カレー粉、スターアニス、ブラックペッパーと、むいてすりおろしたニンニクを加える。


焦がさない様に注意しながら火が通るまで炒めたら、荒熱を取り、すり鉢にナツメグと一緒に入れ、すり棒でパウダー状にする。


そろそろ解凍し始めた鳥モモを半口サイズに切り分ける。それにヨーグルトをまぶし置いておく。


熱した鍋にサラダオイルを入れ、すりおろしたにんにくを入れて中火で焼き色がつくまで炒め、トマトを手で潰してから鍋に入れ、一緒にターメリックと唐辛子を入れる。


3分しっかりと炒め、肉を漬けたヨーグルトごと加えてサッと炒めてブラックペッパーをふる。


肉が漬かる位に水を入れ、弱火にした状態で分煮込み始める。

煮込みには30分つかうので、ふうと息をつき厨房を見回す。


集中していて気づかなかったが、いつの間にか草野がいた。

手を洗いズボンのポケットから携帯を取り出す。電波のアンテナが圏外になっていた。


気を取り直し料理の進捗を確認する。

発酵を進めていたナンの様子を見る。

既に1時間半経っているが傍目からは発酵の進み具合など分からない。


生地を丸く整形し、ラップで包み、また発酵に入る。

これを10作った。

ここで最初に作った特性スパイスとバターを鍋に入れる。

10分煮てブラックペッパーを適度に入れていく。


後は発酵させた生地を丸く手で伸ばしていき、コンベクションオーブンに入れる。

ナンがふっくらするとオーブンから取り出し、先程の鍋を持って厨房から出る。


「取りに来い!」


八代を呼び、鍋を持たせ、深皿とオタマ、大きめの皿、スプーン、コーヒークリーミー、焼きあがったナンを取りに戻る。


「お前………すごいな………」


「バターチキンカレーだ。ゲリみたいな外観だが味は自信がある」


「…下痢とか言うの辞めろよ!」


「大声出すな。トマトベースだから煮込んで酸味を消して濃厚にする事がポイントだ。煮込みが足りないとサラサラしてトマトの酸味や……」


「…言いにくいんだが、あんまり興味ねぇ」


「取り返しがつかない要素としては、塩の入れ具合だな。熱いものは味を感じ難い。あまり塩分を案じないからと言って塩を入れすぎると…」


作り方のポイントについて話しながら階段を上っていく。

エリア4に着くと402のドアを叩く。

すぐに須山が顔を出した。


「………入って……」


チラと八代を見て後、言葉少なく招き入れた。

須山の部屋は俺の部屋同じ構成だった。


カーペットの上に八代が持っていた鍋を置き、ナンをもった皿をガラステーブルの上に置く。

それぞれの皿にカレーとナンを取り分けると、カーペットの上に車座になって食べ始めた。


「…………いただきます………」


「いただきます」


それから後は猛然と食事を始めた。

2人ともナン3枚も食べれば十分だったようで、満足そうな顔をしている。


「………それにしても大変なことになったな。運が悪いよ」


はじめに切りだしたのは八代だった。

須山が空になった皿の一点を見つめながら頷く。


「運か。俺は……偶然ではないと思っている」


俺は八代の言葉にそう答えた。


「……どうして………?」


「管理制御室の惨状は見ただろう?普通床やパソコンが突然爆発するだろうか?」


「僕は制御室は見てないけどさ、原発を管理する施設が何もなく爆発するとは思えないね」


他の生徒も薄々唯の事故ではないと感づいているということか。


「お前らはどう思っているんだ?」


聞くと、須山がベッドの上に置いてあったパソコンを持ってくる。


「……さっき、気になって構内のメインネットワークの無線電波を拾って施設の端末にリモートデスクトップアクセスした……。そこから、この施設の管理システムを確認したけど………」


そこまで言うと画面を俺と八代に向ける。

背筋が泡立っていた。


その無線電波は先程松井の遺体を動かす前に自分が取り付けた無線ルーターの物だ。


当然無線電波にはセキュリティが掛かっている。須山は短期間でそのパスワードを解除したのだ。


しかし手間は省ける。必要な物は須山に調べて貰えばいい。


モニターでは立体製図ソフトウェアが展開されており、デジタル3Dマップが反映されていた。


須山は当たりだった。俺にはハッキング能力はない。


俺の無線ルーターのセキュリティはまだしも、管理システムのセキュリティも突破したのだ。パスワードを破る為のアルゴリズムツールなどを持っているのだろう。


内心の黒い思惑は露とも見せずに、モニターを見る。


「………今のが……この施設の立体マップ……」


須山は一度パソコンを回収し、操作する。


「………これが………爆発後……」


思ったよりも現状は厳しいようだ。

立体マップのあちらこちらにエラーの引き出しが出ている。


どのように爆発物が仕掛けられたのかは分からない。

被害はまず、上部施設のMDF室と屋上の電波設備、そして機械室のエレベーター制御盤が。加えて2Kmの非常階段が完全に崩落し、使用不可能。


そして地下施設ではプレート活動抑制システムとスーパーコンピューターが破壊されている。


「傾向を見るに、この損傷ポイントが恣意的に破壊されたとするなら。爆破を行なった犯人は俺達をこの施設に閉じ込めておきたいということになるな。アンテナや通信設備を破壊する事で内部から救助を要請できない様にし、仮に助けが来ても外部からエレベーターを操作させない事により助けには時間も掛かる。つまり、閉じ込めておきたい」


二人は頷く。


「エレベーターだけ生きているのがいい証拠だ。犯人は自分が脱出するためにエレベーターを生かしてある。エレベーターを破壊し、非常階段を残しておいても閉じ込めた人々は脱出することができる。つまりだ。この事件を起した犯人はさっき自己紹介した17人の中にいるということだ。外からではエレベーターのブレーカを破壊できないからな。」


須山は唇を噛んでうつむき、八代は信じられない、というような表情で俺を見つめてくる。


「信じられないか?」


「……いや、武藤の言ってることは間違ってない。筋道立ってるから真実だと思う。でも一つ分からないことがある。わざわざ閉じ込めるくらいだったら殺したほうが早い気がするんだけど、どうしてしないんだ?松井だって事故死だって誰かが言ってたし……。僕だったらわざわざ大掛かりに閉じ込めるくらいなら殺す方が早いと思うんだけど」


「それは俺も考えていたが………やはり閉じ込めないと、逃げられてしまう可能性があるだろう。ということはだ。犯人は、俺達を何らかの事情で2週間弱ここに閉じ込めていたいのか、或いは………確実に全員殺しておきたい、というどちらかの思惑を持っていることになる」


「考えたくもないことをあっさりと……」


須山にパソコンを借りると立体マップを詳しく見ていく。

何かが腑に落ちない。


それが何かが思い至らない。


マップを拡大し、エラーが出ている箇所を細かく見る

地上ヘ続く3本のラインがある。内2本はエラーの吹き出しが表示されている。


3本は、マップ中央から伸びるものがエレベーターで、Under a power failure(停電中)と表示されている。


左端の非常階段ともう一本の細いラインにはPerfect destruction(圧壊)と表示されている。


なんだこのラインは。

調べるとエアラインとある。


「!」


非常階段の損傷の煽りを受ける形でエアラインが完全に破損している。つまり空気はこの施設に入ってこないということになる。


現在非常階段が圧壊して埋まっている以上地上と繋がっているのはエレベーターだけ。そのエレベータもブレーカーが落ちていて稼働できない。


「まて、何故エレベーターのブレーカーは落ちた?エレベーターのシャフトで爆発は起きていないし原発からの電力供給ラインも正常だ。ブレーカーさえ上がれば脱出出来る。では何故ブレーカーを上げない?………上げられないんだ!ブレーカーに問題は起きていない!犯人は何らかの方法でブレーカーを上げられなくしている!」


俺の剣幕に二人は戸惑いながらも話を聞いている。


「犯人は本当に俺達を閉じ込めたいか?………いや、必ずどこかで足がつく。全員殺してから脱出したって足はつくはず…………なら………」


考えろ。冷静に慎重に、しかし即座に。自分ならならどうするか。足がかりを残したくないなら、必ず成し遂げたい何かがあるなら。何故プレート活動抑制システムを破壊して期限を2週間にしたのか?


それは証拠隠滅のためだ。

結論を出す。


「犯人がエレベーターを使い脱出する意思が有るとする。尚且証拠隠滅として施設は2週間で破壊するよう細工する。その場合犯人は俺たちの生存には頓着する必要はない。ここにいま誰がいて、いつまで入る予定だったかはどこかで必ず記録されているはずだが施設が圧壊するなら捜査はできず、誰が脱出し、誰が潰れたのかという区別はつかない。全てがわかる頃にはぐちゃぐちゃに押し潰された上に腐っている筈だ。この場合犯人が目的を達成したならば、エレベーターで逃げ出したあと爆破して俺達を置き去りにするだろう。もう一つ、もうここから自分もろとも誰も出す気はないのなら………俺なら早々に爆破して最後の道を塞いでしまう」


「パソコン、貸して!」


須山がパソコンを取り返し、すぐさま操作を始める。


「ダメだ、IPアドレスもMACアドレスも何も分からないから…多分監視室のシステムは独立したネットワーク上にある………管理室の、コンピューターからは接続できない……」


「じゃあエレベーターの監視は出来ないってことじゃないか……」


「くそ!……いや待て………」


俺の部屋の隣は監視室だ。もしかしたら。

思い至り、どう動くか考えようとしたところで本日二度目の大きな振動と爆音に襲われる。


「須山!」


「データ、更新したけど、ダメだ!」


激しい揺れの中立ち上がる

手遅れだった。だがこれから先は遅れる訳にはいかない。

状況は詰みかけている。


この振動と爆音はエレベーターが爆破されたことによる爆発音と振動だ。

揺らされながら壁伝いに歩きドアノブに手をかける。


「どこに行くんだ!?」


八代に呼び止められる。


「須山!奪えるだけの権限をメインコンピューターから奪ってくれ!スーパーコンピューターが破壊された今ならできるはずだ!八代は来い!管理室にいくぞ!」


俺は死ぬわけにはいかない。死ぬことはできない。


部屋を出るとふらつきながら階段を目指す。

振動はさっきより激しく、進むことすら難しい。


その中を執念で進み、手すりを伝って階段を上る。


「いいか人が来る前に管理室に行く!着いたら階段の前で見張りをしてろ!俺が戻る前に人が来たら理由を付けて足止めしろ!」


「ぐ……っと、わ、わかった!」


未だに揺れ続ける中駆け上がる。

俺は松井の死体を見た時にセキュリティガードや鍵の置き場を目にしていた。


職員達は揺れが収まり次第ここに駆けつけるはずである。

時間との勝負だ。


管理室の対応窓口から中を伺うと職員は多田1人であった。

その多田も振動の中床に這い蹲り、手探りで何かを探している。

少し離れた場所には彼のメガネが落ちている。


ついていた。


即座に入口まで回り込み、ドアを開け、侵入を果たす

足音を立てないように気をつけつつセキュリティカード置き場に向かう。


金属製の蓋を開くと監視室と倉庫3、発電システム制御室の3枚のカードキーと対応するシリンダーキーを奪う。

残念ながらビルマスターキーは置かれていなかった。


その他の鍵は役に立つかはわからないが、ダミーにはなる。


目的が監視室であると悟られないための措置である

急ぎ蓋を閉めると金田の様子を伺う。


彼は今俺に背を向けて床をまさぐっている。

気づかれていない。


後は人が来る前に部屋に戻る

そのまま制御管理室を出て八代を引き連れて階段を下る。

その頃には揺れも収まりつつあった。


「足音立てるなよ」


そういいエリア4に向かっていると下方から抑えた足音が聞こえてくる。


職員なら足音を殺す必要はない。その上、上の階を目指しているとなると目的は俺と同じだ。


ならば尚更見つかるわけにはいかない

エリア4に目撃される前に潜り込むと402に入ってしまう。




帰ってしばらくするとエリア3に向かう足音多数と喧騒が聞こえてくる。


須山は402に待機して引き続きバレないよう水面下でハッキングができないか試行錯誤してもらい、俺と八代も時間をずらしてエリア4に上がっていった。


「今度は一体何なんだ?」


隣りにいた津崎に尋ねてみる。


「わ、わかんないよ………また爆発だって……どうして!?全然わかんないよ!?」


津崎はかなり取り乱しているようだった。

女子高生がこんな状況に陥れば混乱に陥るのも当たり前だろう。


この程度で済んでいるだけ彼女は一般的な同年代よりも落ち着いていると言えるだろう。


「まあ落ち着け。騒いだって暴れたって状況は解決しない。落ち着いて自分なりの答えを出すのが一番の先決だ。そうだろう?」


「…………」


一歩踏み出し、制御室の中を見ようとすると右足のつま先だ何か小さいものを蹴った。

何かと思って拾い上げる。


紙切れをクシャクシャに丸めたものだった。

広げてみるとクセのない綺麗な文字で


『タスクNo1-E 6月12日 教育カリキュラム04 参考ファイルNo16 要確認』


とだけボールペンで記載されていた。


もう一度メモを丸め直して床に放る。

垣野のメモだろう。


制御室内では職員4人が忙しなくコンピューターを操作している。


そんな中、合田が怒声を上げた。


「どうなっとんねや!ええ加減にせぇ!」


「ちょっと待ちなさいよ!職員の人達も今調べてるじゃない!」


職員に詰め寄ろうとする合田を久方が止める。


「うるせえボケ!てめえは少し黙っとれ!」


一方で狭川も半狂乱になって喚き散らしている


「ぼ、僕はまだ死にたくない!何なんだ!お前らどうにかしろ!出られなかったらどうするつもりなんだ!」


「狭川くん!騒いでもどうにもならないよ!落ち着こう!」


「うるさい!うるさいうるさい!僕は死なない!絶対死んでたまるか!」


「まだ死ぬと決まったわけでは!」


錯乱して暴れる狭川を長谷川が羽交い絞めにして抑えている。


じっくりと周囲を観察する。

この中に爆発犯がいるかもしれないのだ。見たところ不自然な態度をしている人間はいない。みな混乱し、怯え、そして理不尽な事態に怒っている。


「邪魔すんじゃねぇ!」


合田が怒号を上げて静止していた久方の胸元を掴みあげる。


「合田さん落ち着いて!」


長谷川が静止に回るが聞く耳を持たない。


「うるせぇぇ!誰も信用できるかボケ!ほんまはおまえが爆弾でも仕掛けたんじゃないんかい!」


「そ、そんな!俺はそんなこと!」


「黙れ偽善者野郎が!」


「な……いくら何でも、言っていいことと!悪いことがあるだろあんた!」


「図星やったんやろ!?化けの皮剥がれとるで!はっ、年上にタメ口ききおって、ええ加減にせぇ!」


こめかみに青筋を立てた合田が久方から手を離し、拳を握って鋭いストレートパンチを放った。


感情に任せて放ったにしてはための少ないかなりのキレのパンチである。


ボクシングをやっているというのは本当のようである。それも2年や3年どころではない。


恐らく階級はアマチュアのライトヘビー級。


いきなり至近距離から放たれた高レベルのストレートパンチだったが、長谷川は咄嗟に左の掌を当てて打ち落とすと即座に襟首を右手で掴み体を回転させ、合田の脇下に肘を入れて投げた。素早かった。


この攻防は恐らく3秒もかかっていない。

合田はボクサーだ。受身も取れずにピータイルの上に倒れた。衝撃のために一時的に呼吸困難に陥っているのか、口を鯉のようにぱくつかせている。


「…………あ……す、すみません……」


咄嗟の防衛本能に基づいた反応だったのだろう。自分が何をしたのか遅ればせながら理解した長谷川が謝罪するが、目を血走らせた合田は無言で立ち上がる。


完全に切れている。

そう、切れている。躱すだけならば丸くも収まっただろうが、合田も取り返しはつくまい。


ギラギラとした目で長谷川を睨みつけ、拳を握り締める。その拳が素早く顎の前まで引かれ放たれた。


その瞬間、合田よりも一回りも大きい手により彼のうでは掴まれ、渾身のストレートパンチは未遂に終わった。


相沢だ。


「お前たち、不安な気持ちはわかるが少し落ち着いてくれ。こんな状況だからこそ落ち着かないでどうする?」


「で、でも!え、え、エレベーターはもうつ、使えないんだろ!?もうで、出られないじゃないか!」


「待ってくれ待ってくれ。きちんと説明する。………確かにエレベーターは破壊された。だがこの施設が圧懐するのは最低でも二週間後だ。長く見積もればひと月はかかる。その間に地上から掘り進めれば十分に脱出は可能だろう」


相沢は大きく深い声で皆を諭す。皆が相沢の方を向き、彼の声に耳を傾けた。


半分切れかけていた狭川もどうやら落ち着きを取り戻せたようだ。


だが俺は知っている。

エアラインは既に崩れ、つまり、現在空気の循環は断たれている。


ひと月分の酸素が果たしてあるのだろうか?

人の一日の酸素消費料は600Lだった筈。

後で計算してみる事にした。


加えて21世紀初頭に起きたチリのコピアポ鉱山落盤事故では救出に2カ月以上も要していた。


当時より技術も格段に進み、また技術力の高い日本国内とは言えそれ程早く救助されるのだろうか?


相沢の言葉に安心したのか学生達がパラパラと帰っていく。


合田も興奮が収まったのか、一度長谷川を睨みつけてから階段を上っていった。


根本的には何も解決していないが、取り敢えず何事もなく事態は収まったようだった。


そのことに安堵しため息をついて部屋に戻ろうとすると肩を叩かれそうになった。

咄嗟に振り返ってから背後に軽く跳んで躱す。


「そんなに驚かないでくれ。ただちょっと、この子を預かって欲しいんだ」


振り返った先には不自然な状態で手が空を切っている相沢がいた。


相沢の左手は彼の半分ほどの身長しかない八重と繋がれている。


「いえ、すみません。気配に驚いてしまって……。娘さんをですか?自分の部屋で寝かせてあげればいいんですか?」


「いや、後で迎えに行こうとは思っている。どうも君に懐いているようだったから君に頼みたいと思ったんだが……」


「ええ、いいですよ。自分はエリア4の一番奥の部屋です。用事が終わったら迎えに来ていただけますか?」


「そうか、すまないな、ありがとう」


いえ、と断って視線を八重に合わせる。


「じゃあ付いて来てくれるかな?」


「うん」


心細そうに一度父親を見上げたあと俺の前まで進み出てくる。


「よろしくお願いします!」


大きくお辞儀をしたため、髪の毛がバサリと顔にかかってしまっている。


「八重、いい子にしてるんだぞ」


相沢は一度大きな手で八重の頭をなでる。


「あ、相沢さん!保管されていたカードキーが5枚なくなっています。ご存知ですか?」


垣野が早足で歩いてくると相沢に訪ねてた。

俺が盗んだのは3枚だ。2枚は一体誰が持っているのやら。

俺にはエリア6を寝床にした学生の誰かだと思えた。


「セキュリティカードか?どこのものだ?エレベーターのブレーカーのものなら無い事は把握しているが」


「ブレーカー以外に5つなくなってます!」


背後でそんな会話が聞こえる。


成る程。エレベーターを制御する盤の鍵が奪われていたのか。

だから職員達はブレーカーを上げられないと表現したのだ。


「武藤……おまえそんなに……」


するりと八代が寄ってきて人聞きの悪いことを言う。


「俺じゃない。俺は目的のものとフェイクの3枚だけだ」


つまり、誰かが何かの用途で奪ったということだ。

残りの2枚が何処のカードなのか知りたいが、ここで聞くのは不自然だろう。


階段を下りながら考えているとふいに手が引かれる。

その方向を見ると八重がいる。


「どうした?」


階段を下りながら顔を覗き込む


「うん、あのね、ヤエおなかすいた。ごはんたべたい」


「食べてないのか?」


八重は首を振る


「いただきますしようとしたらね、どーん!ってなってグラグラって。それでシチューこぼれて食べれなくなっちゃったの」


「食べられなく」


「食べられなく」


幼女の言葉使いを矯正しつつ考える。

草野は相沢親子のためにシチューを作ったが爆発の際に鍋ごとこぼしてしまったということか。


幸い部屋にはバターチキンカレーとナンが一枚残っている。


「実は部屋にインドカレーがあるんだが、食べるか?」


「いんど?」


「八重がいつも食べているカレーライスは元々インドっていう国から来たものだ。それを日本人の好みに味を変えている。インドカレーはインドの味だ」


「うん!食べてみる!」


八重はキャッキャとはしゃぐ。

子供ははしゃいでいるのが一番自然だ。


「八代、厨房から皿とスプーン持ってきてくれ。後は倉庫から還元濃縮のオレンジジュースを頼む」


「え……僕かよ。………………めんどくせぇ。須山に頼めよ」


「須山にはやってもらってることがあるだろう」


「…………………厨房だろ?僕パシリかよ……つーかお前ロリコンだな」


そのままエリア5に降りていく八代の尻をけたぐる。


「馬鹿!階段だぞ!死ぬわ!?」


「いや、幼女に触れない分お前の尻に当たることにしたわ」


「墓穴ほった!?」


尻を押さえる八代を尻目に402のドアをノックした。

3秒ほどでむっつりとした表情の須山がドアをあけた。


それから数分して八代も戻ってくる。


手には伝えたものが全てあったが、顔色が優れないようにも見える。


「どうした?厨房で何かあったか?」


時間的にそんな暇はなかっただろうが一応訪ねてみる


「ああ、草野さんがいたから食器取ってもらった」


そこまで行ったなら自分で取った方が早いだろうに、何故人に取らせるのか。


この男の自意識はどうにも解せない。

と考えつつも八重のために準備を整える。


「いただきまーす!」


にこにこと元気良く食べ始める八重を尻目に複雑そうな表情の八代を見る。


「僕をパシリにするなんて……」


「よく考えたらお前がいなくなれば酸素消費量が減るな」


「おいおい、何言ってるんだ?僕は働きたくて働きたくて仕方ないんだぜ!」


見事な方針転換である。


「だって。八重、この男が裸馬してくれるらしいぞ」


「裸馬てなに!?」


「ほんと!やったあ!」


「だから何!?」


しばらくして八重の食事が終わると部屋を移動することにする。


鍋だけ持つと八重と共に部屋を出た。


「ちょっと待っててな?」


八重を待たせ先に部屋に戻ってまずいものが露出していないか確認し、鍋を隅に置いて廊下に出る。


まだ八代と須山は出てきていない。


「八重はいつ此処に来たんだ?」


「今日!」


「初めて来たのか?それとも何回も来てるのか?」


「ううん、はじめて。もうすぐ赤ちゃん産まれるの!それでね、おじいちゃんとおばあちゃんのとこにね、お母さん行ってて、八重は学校あるから帰れなくて、でも学校あるのにお休みして此処に来たの。お父さん急なお泊まりのお仕事で仕方ないんだって!」


要約すると母親は里帰り出産中で彼女の祖父母の元におり、八重は父と2人で生活していた。

しかし急遽相沢に泊まりの、つまりこの施設での仕事が入り、1人置いていくわけにもいかず連れてきたと言う事だろう。


学校は休ませているのだろう。


八重は質問されて答えるのが楽しい様で、明るく笑いながら話をしていた。


しゃがんで目を合わせていると彼女のつぶらな目や幼いながらも整った顔立ちがよくわかる。


相沢にに似なくて親族皆が喜んでいる事だろう。


「この研修、女の子可愛い子ばっかりだよね。僕、誰か狙おっかな。取り敢えず連絡先でも明日聞いとこ。まあ女の子には困ってないんだけど!ハハッぐっほぇっ!?……でる!」


八代の腰を抱き気持ちを込める。

幼女に下品な会話を聴かせるな、と腕に気持ちを込めて八代を諭した。


「女なんてそんないいものじゃないだろ。人間なんて須く信用できないが、男と女だったら俺は女の方が信用できない……くそっ!…許せん!」


「僕のお腹よく分からない理由で潰すなっ!……どんだけ女関連で嫌なことあったんだよ……」


「久方さんはそんな女じゃない!」


どんよりした目付きの須山がいきり立った。


「いやお前、久方とあったの今日初めてだろ?」


八代が片眉を上げ怪訝な表情で須山を見る。


「前世で会ってる筈だからから20年位だと思う」


「あー、出た出た。ヤバいやつだわ。きんもー」


くだらない話をしつつ404に入る。


「ん?あれ?時計がズレてる。今何時だ?」


八代が自分のデバイスウォッチを眺め、何度か液晶をタップして首を傾げた。


腕時計を見ると08:46を示している。

恐らくこの時間は正しい。


「………5時……俺のもズレてる………」


八代に須山が答えた。

須山が腕に嵌めているのはオーソドックスなフォルムのアナログ針時計である。電波時計なのだろう。


「なんでだ?だいたい今は8時か9時くらいだろ?武藤のは何時になってる?」


「俺は3時だ。ズレてるな」


平然と嘘をついておいた。自分だけ正しい時間を知っているというのは何かの時に役に立つかもしれない。


「どういうことだ?」


「どうだろう………須山、この施設に地場か何かからの電磁波を拡散させる装置はあるか?」


「………ん」


須山は持ってきたノートパソコンをガラステーブルに置き、自分は脇の椅子にかけて操作を始める。


「……あった………」


「どこにある?」


「……違う、あった。………あったけど、今は壊れてる」


やはりか。


「なんだこれ、今度は6時になってる。よく見たら細かく前後してるんだけど」


「ここは地中2000mだからな。しかも方角を狂わせる事で有名な青木ヶ原の樹海も近い。周囲に地場があるんだろう。地下で衛生時計が電波を受信できないどころか、強烈、或いは特殊な電磁波が発生していてそれを時計が勝手に受信してしまっているんだろうな」


デバイスウォッチや電波時計は壊滅だろう。


「……元々は、機器によって……電磁波を散らしていた………でも爆発でそれも壊れた………」


「そうか、それで時計が……携帯も使えないし、ほんと最悪」


しかし、俺の持つ時計は自巻き式で電磁波の影響は受けない。つまり俺の時計は正しい時刻を表している。


「ねーおにいちゃん、おなかいっぱいになったらねむくなっちゃった」


八重が無邪気に言葉を発した。


「これだから餓鬼は」


「おい、仕方ないだろ、まだ7才なんだぞ。お前の瞼切り取って一生眠れなくしてやろうか?」


「なんでそんな怖いの…?」


八代に凄みながらも八重の手を引き、ベッドに寝かせてやった。


「お父さんが来るまでここで寝ているといい。来たら教えてあげるから」


「ありがとう!おやすみなさい」


安心させようと言葉を紡ぐとニコリと笑って目を閉じる。

ベッド付近の照明を落とすと時期に寝息を立てはじめた。


寝顔を無表情に見ている自分を嘲ってくる八代の尻に全力でキックを入れる。


たっぷり2分無言でのた打ち回る八代。


「僕の肛門括約筋、壊れてない?」


漸く立ち直ると尻を撫でながらそんなことを言う。


「……キレの良い蹴り………何か格闘やってた?……ムエタイっぽいけど………」


2人をあしらって狂ったデジタル時計の表示を見ていた。


「でも、さっきの……合田と長谷川の喧嘩、見てて思ったけど………嫌な予感、する」


「それは僕も考えてたよ。それで考えたんだけど、僕たち3人で組まないか?」


組む。

よく分からない言葉ではある。今日出会った人間の何を信じればいいのか。


しかし自分から言わないようにしていたが、自分でも考えていたことでもあった。


その為に須山にカレーを作った。


うまく立ち回らなければこの施設で無意味に淘汰されてしまう可能性もある。


須山は黙って頷いた。どこかぎこちなさは感じるが組みたいという意思表示だろう。


「武藤は?」


「組むって表現、ダサくないか?でもまあ、仕方ないか」


渋々といった演技をして頷いておく。

望んだ通りの展開だ。


「なら、脱出するまで俺と須山と八重で協力していこうか」


「僕抜けちゃってるけど!?」


「うるさい、八重が起きるだろうが」


「発案者が抜けてる……!」


「仕方ないだろ、お前の部屋はエリア6だろ?組むのは難しい。じゃあな」


「今日が初対面なのに扱い雑じゃね?」


からかうのにも飽きた頃、ドアがノックされた。

コンコンではなくガスガスという激しい音ではあるが。

誰か尋ねると相沢である事がわかったので素直に開けた。


「娘は……寝ているか。ありがとう武藤君」


「いえ、癒されましたので。可愛らしい娘さんですね」


「ああ、私に似なくて良かったと思っている。」


がたいの大きな男が照れる姿は目に汚物だった。


「そうですか?目元と口元は相沢さんに似ていると思いますが」


「そ、そうか?」


「ええ。ご飯は食べさせておきました。また何かあれば仰ってください」


「それは、申し訳ないが助かる。こんな状況だからな」


相沢は溜息をつくと眠ったままの八重を抱えて部屋を出る。


「本当にありがとう。何かあったら言ってくれ。それでは」


簡潔に言うと去っていった。


やっと邪魔が行った。


ここからが本番だ。


鞄を漁り、10テラバイトのソリットステートドライブ2つとケーブルにノートパソコンを取り出した。


ソリットステートドライブには事前に改造が施されており、中のデータを相互に自動転送出来る。無線でミラーリングがでからと言うことだ。


自身のパソコンに接続し問題無く稼働する事を確認する。

パソコンはメモリ数も増設しており処理能力はかなり高い。CPUも現在一般に出回っているものより優れている。


容量もSSD、HDD共にかなり容量が大きい。


「まず裸馬はエリア6から403に移ってこい。組みたいのならだが」


「裸馬って僕か………裸馬ってなんなんだ、マジで気になる」


ぶつくさ言いながら八代は部屋を出て行く。


「須山はエリア1の階段とラウンジの境目のシャッターを下ろしてくれ。シャッターの制御権は奪えてるか?」


「………ん」


「なら頼む。そうすれば職員たちは管理室に集まる」


「………シャッター制御室じゃなくて………?」


「シャッター制御室を隔離しても目立った害は無い。監視カメラ以外は全てメインコンピュータから操作できるんだったな」


「うん。監視カメラシステムは独立したネットワークで構築されてる。主装置がメインネットワークから切り離されてる」


「メインサーバは確か破壊されていなかったはずだが、ハッキングが何かで操作はできるか?」


「…客室の壁のLANポートは全部一般のネットワークでこの施設のメインネットワークには直接は繋がってない。今掴んでる電波はメインネットワークに繋がってるけど、電波強度が強くないから処理速度が…。なんとかそれで試して見る」


エリア3の監視室に俺が置いた無線ルーターの事だ。

強力な電波を飛ばせるよう改造を施してはいたが、間にOA床、スラブ、在来天井を挟めば電波は大幅に減衰する。


寧ろ電波を掴めているのが幸運と言えるだろう。


「しかし監視カメラ映像をメインサーバ経由で引き出せないのは何故なんだ?監視カメラの構成自体が独立している事に違和感は無いが、普通データを引き出せるように同一ネットワーク上に乗せないか?」


「……サーバー上に過去の映像を引き出して保存した形跡がある……だから、元々は同一ネットワーク上にあった…はず…」


「今回の件で上位のネットワークスイッチが破壊されて確認できなくなった…か?」


「………多分?」


「そうか………だが、監視室にレコーダーがあるはず。そこに蓄積されている可能性は高いだろう。須山、監視室をこれから制圧する。頼むぞ」


「………分かった」


チノパンのポケットから監視室のセキュリティキーを取り出し、先に取り出した機器をポリエステルの巾着に入れて持ち部屋から出る。廊下に人気はない。大浴場の男湯にも靴は置かれていない。誰もいないようだ


足音がないことを確認しシリンダーキーを監視室のロックに通す。


セキュリティカードを使わないのには理由がある。

恐らく紛失したセキュリティカードの権限は既に失効している筈だ。


その状態でカードリーダーに読み込ませれば当然アラートが上がる。何処のカードリーダーでアラートが上がったかは管理端末上一目瞭然だ。ログも残る。


しかしシリンダー錠をシリンダーキーで解錠すればアラートは上がらない。


鍵は何の問題もなく開いた。

素早く滑り込みドアを閉める。


その際ドアのと三方枠の隙間にセキュリティカードを挟み、締め切らずに外の音が聴こえる様にする。


ドアは僅かに開いているだけなので注視しなければ僅かに開いていることは分からないはずだ。


無人の監視室は4畳程の縦長の狭い部屋で、正面には18枚のモニターが縦3横6で設置され、内5つが砂嵐を映し出していた。

モニターの左上にはがそれがどこの映像なのかを示す表示がなされており、映している場所がどこかすぐにわかる。


砂嵐のモニターは一つがゲート施設エレベーター前

二つ目がエリア2エレベーター前

三つ目がエリア3管理室

四つ目が非常階段地下500m

五つ目が非常階段地下1500mである。


この五つが爆発により破壊されたものということだ。


一つ目が破壊された理由は脱出するところを目撃、記録されないためだろう。


二つ目も同様。


三つ目はメインコンピューターがある部屋の監視カメラは何かと邪魔だということか。


四つ目五つ目は非常階段が破壊された時に巻き込まれたのだろう。


モニター手前にはデスクトップパソコンとコンソールがデスクに固定されている。


その横にはハーフラックが据え付けられており中に大手メーカーのロゴが入った機器がマウントされている。


「……レイドファイブか……」


レコーダーは冗長化構成の手厚いタイプであった。

俺は巾着に予め入れていたゴム手袋を嵌め、スリープモードだったパソコンをエンターキーで作動させた。


画面が表示されてすぐにエラーメッセージが立て続けに数個表示せれる。


Error.

The virus was detected.

There is a possibility that data might be damaged.


発信元のIPアドレス及びmacアドレスを調べればすぐにウイルスの送り元の特定もできるだろうが、管理室のメインコンピューターだと半ば分かっているのでその作業は行わない。


送り元のアカウントも須山に頼めば特定出来るだろう。しかし犯人が自分の身元が割れるアカウントを使うはずも無い。


恐らくは証拠となるデータを残さないためにウイルスを送ったのだろう。


つまり、先程の予想は正しかったことになる。


監視カメラの主装置は元々この施設のネットワーク上にあったが、先程の破壊活動で上位のネットワーク機器も破壊されたのだ。


でなければメインコンピュータからITV|《監視カメラ》システムにウイルスを送ることはできない。


直接この部屋から感染させたという可能性もあるが、それはこれから映像を見ていけば分かることだろう。


通常レイドファイブタイプのハードディスクはデータの破損に強い。


しかし後程確認はするにしても態々ウイルスを送っている時点でデータが正常とも思えなかった。


部屋は個別空調が効いており涼しかったが、緊張にだらだらと汗をかいていた。


誰かに発見される危険性を排除しなければならない。

なるべく時間をかけないように行動しなければならない。


だらだらと流した汗がインナーに染み込み体に張り付く。気分が悪かった。


手始めにコンソールを操作して監視カメラの管理ソフトを確認する。


ソフトのパスワード検索に手間取るかと思われたが一般的な管理者権限用パスワードで呆気なくログインすることが出来た。


次に持参したソリットステートドライブをコンソールに接続し、アプリケーションを操作して映像の保存先をソリットステートドライブに変更する。


自身のパソコンにも受け様のソリットステートドライブを接続すると呆気なく転送が開始された。


次いで自分のノートPCのドライブからディスクを抜き出し、コンソールのドライブに入れて起動させる。

目当ての物はすぐに見つかった。


Cドライブ上に管理ソフトの実行ファイルを発見した。


周辺のデータごとROMに書き込みを開始する。

書き込みには三分かかる。


その間に俺は左側の壁を拳で軽く殴る。


その感触ににやりと笑った。

在来壁だ。


在来壁は天地レールを走らせた上にスタッドと呼ばれる軽鉄の柱を建て、そこに石膏ボードを貼り付けるタイプの壁である。


白く塗装された壁の目立たない位置にプラスドライバーを突き刺し穴を開けると小型セイバーソーで穴を広げていく。


石膏ボードは9mm厚の2枚貼り。直径5センチの穴を開け終わると中に充填されたグラスウールを、カッターで切断する。


コンソールを確認するとディスクへの書き込みは終了していた。

後は改造SSD間の電波が遮られない限り延々と転送は続く。


ノートPCを確認するとSSDへつつがなくデータの転送が行われている。


成功だ。後は人に目撃されずに帰るだけである。


これで自分の端末に管理ソフトをインストールすれば監視カメラの映像を見ることができるだけでなく、操作も可能となる。


プログラムを最小化し、壁にかけられていする画鋲で掛けられていたマニュアルの位置をずらして穴を塞ぐと荷物を片付け


マズイ。


集中していて気づかなかった。

背後から視線を感じる。


焦る。


マズイ。見られた。


荷物を探るふりをして考える時間を稼ぐ。


勘違いではない。外の雑音が先程より大きく聞こえる。

きちんと閉めておけばよかった。今となってはその後悔も遅い。


マズイ、マズイ。誰だ。


焦りながらも何をするべきか考える。


ヤるしかない。


僅かな時間で判断、袋の中からボールペンを取り出しキャップを開ける。


瞬時に振り返り扉の隙間から除く眼球を確認。


扉に体当たりし相手を吹き飛ばす。

扉が肉を打つ鈍い音とともにずっしりとした衝撃が肩口から伝わる。


相手が倒れたところに馬乗りになって喉を掴みボールペンを突き立てようとする。


「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


八代だった。

行き荒く殺気を迸らせながら血走った目で睨みつける。


「どういうつもりだ俺の邪魔をするのか殺すぞお前」


首を締め上げながら顔を近づけて聞く。


「そ、そ、そんな殺人鬼みたいな顔するなよ………ちょっと驚かせようと思って立ってただけだろ?」


「お前の脳みそには腐ったプリンでも入っているのか?こっちが誰にも見つからないように慎重に作業している中でお前は道案内のように部屋の前で中を覗き込んでたわけか………お前は馬鹿か?…そんなに遊びたいなら……殺すぞ!」


恫喝しつつ更に首を締め上げる

と、俺の部屋のドアが開き須山が顔を出す。


「…………どうしたの」


須山の顔を見て落ち着きを取り戻すと再度監視室に入り、荷物を持って出て、ロックをかける。ノブから指紋をぬぐい取ることも忘れない。


八代は俺の殺気に当てられたのか腰を抜かしている。

部屋に戻ろうとすると八代が追いかけてくる。


「待ってくれ!俺が悪かった!頼むからはぶらないでくれ……」


「俺はお前と組んでもろくな事にならないと確信した。そうだろ?くだらない理由で邪魔をして計画を破綻させる恐れもあった。バレていたらどうするつもりだった?生徒が入れるはずもない監視室に入っているのがバレたら、こんな環境下だ。俺が犯人にされる恐れもあった。俺の中でのお前の評価は、そんなことも分からない低脳足手纏い、或いは俺を陥れようとした敵の二択だ。」


「…………悪かった。もうしないよ」


「ふざけていられる環境下ではない。生きるか、死ぬかだ。次は敵対行為と見なす」


どうやら本当に反省したようで、部屋に入るとしゃがみ、絨毯を毟り出した。


「荷物は移動したのか?」


「隣の部屋に運んだよ。でも先生の部屋大分荒れてたんだが?」


「なんだその目は。俺は荒らしてないぞ………とにかくその荒れた部屋は片付けておけ。お前の寝床なんだから」


「わかったよ」


八代が出ていく。腕時計を見ると十時を回った所だった。


「須山もそろそろ。今日は助かった。調べたことは明日報告する。須山も何か分かったら頼む」


「…………わかった………」


簡潔に返事をすると須山も帰っていった。




ドアにロックをかけると先程監視室から開けた穴の反対位置を見繕い同じ様に穴を開けた。グラスウールを取り除くと少し位置はずれたものの無事貫通を確認できた。ベッド脇のコンセントとノートパソコンをアダプターで繋ぎ、映像データを転送しているフォルダを開く。中は監視カメラの位置ごとに更にフォルダが分かれていた。


一つづつ確認していくことにする。


まず始めに、今日の午前8:31分に白いワゴン車が一台到着し、垣野、相沢親子、金田、三石が施設に入る。その2時間後に見知らぬ4人が施設を出てワゴン車に乗り込み、そのまま出発している。入った5人、出た4人に不審な点はない。


また、ワゴン車の運転手は車からは出ているが、施設の外の自販機でコーヒーを買い、合計7本の電子タバコを吸うだけで施設内には足を踏み入れていない。工作を行える余地はない。職員の週一での入れ替えは今日行われていることは間違いない。やはり外部に気づかれるには一週間必要ということだ。


12:22、一台のシルバーのセダンが入場している。

出てきたのはサングラスの男沼木だ。沼木はキョロキョロしながらも怪しい行動はせず、施設に入っている。

この車は俺達がこの施設に着いた時に駐車してあった事を記憶している。


そして14:13、俺たちの乗ってきたバスが到着、10分後にはゲートから去っている。運転手はバスから降りていない。それ以降ゲート前と上部施設上の監視カメラには一切の異変はない。


これより外部からの侵入者説を完全排除できる。


ついで施設内の監視カメラだが、爆破されたと思われるものは皆18:35以降のデータが存在していない。

上部施設の映像データは不自然な改ざんが見られなかった。にもかかわらず18:35になると唐突の閃光と共に映像が終了する。


爆弾が仕掛けられた痕跡が上部施設には無いのだ。数週間にわたる映像を見返すが、爆弾を仕掛けている映像もデータが改竄された痕跡も発見できなかった。


これはおかしな事だ。

爆発物を設置した様子が無いのに爆破されているのだから。


上部施設では分かっているだけでMDF室の通信設備、エレベーター制御装置、監視カメラの三点が破壊されている。


確かに爆発は起こっているのに、爆発物を仕掛けた瞬間が分からない。


一方非常階段のデータは16時から17時の一時間分の時刻タイマーがフリーズしており、データが改竄されたことが分かる。この1時間の間に犯人は非常階段に爆発物を仕掛けたということだ。


そしてウイルスを送るならメインコンピューターを使うか、直接監視室を利用するしかない。ということはウイルスを送り映像を消した犯人は職員と見て間違いないはずだ。


エリア1の映像であるが、この監視カメラのデータも途中でフリーズしている。やはり16時から17時の一時間である。


それ以前は14:25に狭川、久方、合田、津崎が荷物を持って各部屋に入っていく映像と、15:03から10分間合田がシャドーボクシングをする映像、15:33から20分間エリア1のラウンジ1で読書をしていた久方と15:55に106号から出てきた津崎が数分話し、非常階段入口横の扉を出て10分後に戻ってくる映像が注目するべき映像か。


しかしそれも変わっている、というだけでとりわけ不審な点はない。


一方エリア2の階段付近からエレベーター方面を写したものと、エリア3の制御室内のものは一切の閲覧ができないほど完全にデータが破損していた。映像データを開くことすらできない。


もう一箇所エリア3にある制御室外のモノにはデータ破損が存在しない。このデータには20:27から激しい振動が加わり、直後垣野、大寺、相沢が制御室から飛び出している。


その後俺と八代が走ってくる映像が写りこんでいる。セキュリティカードとシリンダーキーを奪取した時のものだ。


俺達が去って数十秒後、影が映り込むが姿を表すことなく立ち去っている。


階段から管理室の様子を伺い、そのまま踵を返したのだ。何者だろう?


エリア5には監視カメラが2台ある。

ひとつは階段前からエリア5のラウンジ2左半分と防災備蓄と倉庫3を、もうひとつはラウンジ2の右半分と厨房方向を映すものであるが入口やラウンジが辛うじて映らない範囲が存在しており、松井の部屋を漁った人物はその間隙を塗って出入りしたと思われる、特定はできなかった。


また厨房方向を映している物には映すものにはデータに破損が見られるのだが、破損の仕方がエリア3以上とは異なっている。


今までのものは映像がフリーズしてタイマーのみが進むという破損状況であったのに、この2つはブラックアウトするのである。


その異差は明らかに不自然。


別の方法、別のウイルスで別の人物がカメラ映像を破損させているのだ。


2つは別々のウイルスで引き起こされたと考えるのが自然である。


犯人は2人いる?


そんな疑問が浮かぶ。


エリア6はロの字状のフロアで、外周に幾つかの客室とその他の部屋が配置され、中央に遊戯室が存在する。監視カメラ映像には不自然な箇所はない。


今後どこかからウイルスが送られたとしてもその時にはデータは俺のパソコンに送られている。心配はない。


それに加えて監視カメラの情報を入手出来る電波状況の部屋は404とボイラー室、エリア5の倉庫3のみ。404は俺の部屋。運のいいことに倉庫3の鍵はダミーとして奪取してある。

ボイラー室に注意しておけば俺がカメラに写りこんで何かをしても問題はないということだ。


腕時計を見ると02:46を指していた。


監視カメラの映像を洗うのは辞めにして手帳に事細かな日記を付けた。


その日に何があったかを書き記すのは3年ほど前から始めた習慣である。


それが終わると松井の所持していたファイルを見てみる。


時間も時間だったため見るのは須山諒太と八代司の二つに留めておく。


須山諒太 男 16才 A型 福井県在住 陸上部


積極性に欠けるところがある生徒。自立して行動することがほとんどない。

友人は少なく、協調性にかける。


との記載がある。


確かにそうかもしれないが個人的にはそれは問題足り得ない。


得意科目は数学、情報、英語 苦手科目は国語、生物


ここまででは彼のことはあまりわからない。


しかし扶養者が須山姓ではないのだ。


森本、という者が扶養していることになっている。父方の叔父夫妻のようだ。


これ以上のことは記されていない。


八代司 男 17才  A型 東京都在住 部活所属無し


高慢で高飛車な面がある。自己主張も多く暴言が目立つが、ある程度の関係性を持った相手には余り不快な言動はしない。


今日一日関わった感じではその通りだろう。


成績は可もなく不可もなくだが、一度教師への暴言で厳重注意をされたようだ。


そして八代は父と死別し、母の旧性を名乗っていることが分かる。


いかなる事情かまではさすがに記載は無い。


気を許したわけでは無いが、二人とは当分組むつもりでいる。


いざというときは切り捨てればいい。


ついでに自分のプロフィールも見てみる。


武藤冬至 男 16才 AB型 東京都在住 部活所属無し


目立たない生徒ではあるが病欠が多い。遊び歩いているという話も聞かないが単位取得ギリギリの出席状況も多い。

医者からの診断書も出ており、注意する状況でもないと判断。


得意科目は英語、数学、物理、化学、生物。苦手科目は国語


家族 妹一人

扶養者 無し




挿絵(By みてみん)

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