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胡座  作者: またんご8
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1日目 (6月10日 13:30〜14:40)


今まで歩んできた道のりが、振り返ってもそのままその場にあるとは限らない。


最近、なんともなしにそんなことを考えてしまう。

観念的な話である。


自分のありとあらゆる選択が果たして正しかったのか、未だ短い人生ながら考えてしまうのだ。


一体これから自分はどれだけの選択をし、どれだけ間違っていくのか。


間違えることに恐怖を感じる。闇の中で猛獣の息づかいを背後に感じている様な、絶望的で、致命的な恐怖を感じてしまう。

そんな生産性のないことを、よく考えてしまった。




40人乗りの観光バスが唸りをあげて走っている。

威風堂々たる外観のそれは、しかしその実定員限界の四分の一しか人を乗せていない。


うっすらとブラックの入ったカラーガラスの向こうには、舗装されて間もない新しいアスファルトと欝蒼と立ちはだかる森が全てを占めている。


典型的な自然と人工の対比はなんともいえない気分を催させた。


道を敷くためだけに一体どれほどの木を斬ったのか………何が大切で、何が不必要なのかが分からなくなる気がしてしまう。

人が生きる為には、何かの犠牲なしにはいられない。


なんと退廃的な生物なのだろう。


時折、走行に従って木漏れ日が投げかけられて、目を閉じた上から瞼を血潮色に染め上げた。


6月中旬間近ということもあり、日差しはなかなかに暑苦しかった。

しかしその感覚こそが、自分がそこに存在しているという証しでもある。


バスのフロントガラスの向こうには欠け一つ無いオレンジの追い越し禁止車線と、曲がりくねる山道が続き、頻繁に左右に体を揺らされていた。


目的地の名称は、国立静岡地下原子力発電所。

その中でも山岳発電制御施設という名の場所にこれから赴くのだ。


近年国際的な条約により化石燃料の発電的使用は禁じられ、日本から火力発電所は消滅した。


静岡地下原発。

民間の日本発祥である多国籍企業、建築、車両、精密機器、薬品、武器等の多岐に渡る業種にて成功を納め続けている株式会社大日本機械重工


通称‘日重工’JHIと海外では略称されることもある。


世界規模で展開されたこの企業は静岡地下原子力発電所建設に資金と技術を援助し、地震国であるにもかかわらず地下2000mに施設を築きあげた。


昔、日本では大規模な臨界事故が起こり、経済を低迷させることとなった。

その影響下、原発の見直しが検討されたが、危険性と比例するかのごとく高い発電エネルギーを諦めきれず、最先端の遥か先を行く技術の数々を駆使し、世論を納得させるため地下に絶対安全といわれる世界最大の原発を作り上げた。


詳しくは知らないが、微細な振動と超音波を複合させた特殊な振動によりプレート活動を抑えるPAIシステムに、直接大地と構造物本体を接触させず、構造物との間に地震の揺れを大幅に緩和する免震構造を施し地震対策となしたり、そんなノーベル賞並みの技術が多々使われた史上最高の施設とも謳われている。


しかし細かい技術などどうでもよい。

これから行く先で被爆することは無い。

それさえ分かっていればさして気にすることなどなかった。


窓枠に肘をのせさらに掌に頭を乗せた、だらしの無い姿勢でうたた寝から目を開くと、一番前の席に座っていた膨よかな体格の引率教員、松井将典が運転手と会話をしているのがみえた。


あと15分というところか?

動きからあたりをつけて改めてバスの中を見回した。

運転手のすぐ後ろに引率教員の松井。


その左斜め後ろには剃り込みを入れた茶色い5ミリ程度のツーブロックにした大柄な男子高校生。


3つ後ろにはかなりきつめの天然パーマの男子高校生。


天然パーマの右斜め後ろには焦げ茶でソバージュの落ち着いた雰囲気の女子高校生。


ソバージュのまた左斜め後ろには、きっちりワックスで髪をセットした甘いマスクの細面の男子高校生がふんぞり返って無線接続式ヘッドフォンで音楽を聴きながら足を組んで座っている。


前方にいる人間の細かい特徴や何をしているかは後方からでは分からなかった。


ヘッドフォンの彼の右斜め後ろには俺。


俺の背後に精悍な顔付きでガタイのいい短髪の男子高校生が座る。

恐らく彼は格闘技をやっているのだろう。休憩の乗降車の際に拳ダコが拳に出来ているのが見えた。腕捲りされた腕も筋肉で筋張っていた。


左斜め後ろには背筋を延ばして本を読む髪の長い女子高校生が座る。


彼女の三つ後ろにはやせた気の弱そうな銀縁眼鏡の男子高校生が窓の外をじっと眺めながら座っている。


そしてバスの最後尾席では二人の女子高校生が姦しくしゃべりあっている。


一人はミディアムロングをポニーテールに纏めた勝ち気そうな顔つきの女子高校生、もう一人はミディアムの快活そうな女子高校生だ。

ミディアムヘアの子は声と口数合わせてかなり騒々しい。


俺も含めた十人は皆学生だった。


総合学習社会科研修。

高校を卒業し大学や高専、専門学校に進級、或いは社会人になる前に社会環境を肌見で経験させようという試みであった。


随分と前に始められたこの研修は迎え入れる企業や公共団体側はともかく、学生の親からは評判の良い制度であった。


この研修は高校生3年間の内必ず1回は参加する必要があり、場合によっては不足した単位を補う為の救済措置として実施される事もある。


俺にとっては2度目の体験だった。レポートの未提出が重なり、担任から半強制的に参加させられたのだ。


スケジュール上最も都合が良かったのがこの静岡地下原発での研修であったのだ。

最もレポートは提出できなかったというより、しなかったといった方が近い。


単位自体はレポートの未提出で各教科減点された所で問題の無い成績は取っていた。レポートは時間が掛かる。時間効率が悪いと判断していた。

担任曰く、学校舐めすぎとの事であった。


とにかく静岡地下原発に6月10日から6月16日までの一週間を総合学習として費やすことにしたのだ。


シャトルバス内はエンジン音と最後部座席の2人の女子高校生のしゃべり声しかし聞こえない。

その二人もバスに乗った当初は別々の席についていた為、この十人の中に知り合いは一人としていなかっただろう。


無論自分のクラスメイトもいない。どこか他のコースを取ったのだろう。

一人くらい居ても良さそうものなのだが。


後方へ流れ去る鬱蒼と茂る針葉樹林を眺めながらそんな事を考えた。

無骨な多機能携帯を確認するがアンテナが一本も立っていない。

流石は静岡の樹海近辺というところか。


だが施設では専用のイントラネットの他、フリーインターネット用の回線が引き込まれておりアクセスポイントからwi-fiに接続が出来るらしい。


携帯を手に持っていないと眠れない今時の高校生にはありがたい研修先である。


静岡地下原発の山岳発電制御施設は地下深くに建設されている。

恐ろしい施設だ。埋められたら絶対に地上には戻れないだろう。


窒息死は一見恐ろしい死に方だが、酸素が無くなるとぼんやりしてくるらしいのでその他の痛みを伴う死に方よりはマシかもしれない。


しかし、乗り物は苦手だ。

乗り物酔いは大分回っているようで、胃がむかついていた。

色々な乗り物全てが嫌いだがバスについての不満を語れば、まずその大袈裟な振動が吐き気を誘う。

ついで匂い。なんだか苦い匂いが吐き気を誘うのだった。


目を閉じて頭を窓につけていると車内のスピーカーからノイズが走った。

早かった。そんな感想を持つ。


一度目を強く閉じ、目元を擦る。


浮き出た目脂を落とすとバス正面に目線を移した。

吐き気が酷い。予想が外れたことに若干の苛立ちは覚えたが、バスから早くに解放される事は喜ばしい。


『えー、もうすぐね、発電所のほうに着きます。ですので皆さん忘れ物が無いようにね、よく確認してからバスを降りてください』


松井がマイクを持って話している。

一度カーブを曲がる際によろけた。


あまり聞いている生徒は多くないようである。

この教師はやたらと話が長い。

しかし20も離れた生徒に対して敬語を使う話し方には一定の尊敬の念を抱くことができる。


教師の話は聞いていないが、もうじき到着という状況にバスの中は俄かに騒々しくなる。

各自の立てる物音だ。


はぶられない様にやるかな。


そんなことを考えているとバスは森を抜けてコンクリートで舗装された空間に出た。


一度バスは停車するとイエローとブラックの斑バーが開くのを待つ。

無人のゲートを抜けるとバスは敷地内に入って行き、大型車用の駐車場に停車した。


広い敷地に1台の乗用車が停車していた。

俺の斜め前のヘッドフォン男がようやく機器を頭から外した。

耳にピアスが付けられている。



「まじでどんだけ遅いんだよ。経費ケチってないでもっと高速使えっつーの」


ピアスは欠伸をしながらそうのたまった。

生徒達は東京駅に集合し丸の内南口からシャトルバスに乗車の後、神田橋JCTから有料道路に入り、東名高速道路で静岡県内まで入っている。


ピアスの認識は誤っていた。

此奴は早々にヘッドフォンをして寝こけていたので知らないだけだ。


しかも友人もいないのに独り言である。

もしかしたら俺に対して何かアピールしているのかも知れないが、絶対に声など掛けたくない。


お近づきになりたくないタイプの人間だと判断していた。


バスは空気の抜ける音を立てながらドアを開いた。


『それではね、着きましたので順番に降りてください。……もう一度言いますが忘れ物をね、しないように』


松井がマイクで呼びかけると生徒たちは動き出した。


「何度も言わなくても餓鬼じゃあるまいし、誰も忘れ物なんてしねーよ」


この男はさっきから誰に向かって話しているのだろう?

この総合学習にも評価点は発生する。

きちんと参加すれば問題ないが不真面目だと当然減点され各学校に報告される。


この男が減点されて再受講となっても関係ない。

軽薄そうな雰囲気の男子高校生はヘッドフォンの電源を切って青い学生鞄にしまうと立ち上がった。


その時ポロリとスラックスのポケットから黒い塊がまろび出てシートに落ちた。

しかし彼はそれに気づかずに降車していってしまった。


関るのは避けたいと思いつつも、網棚から荷を降ろした後にそれを拾い上げた。

オーディオプレイヤーだった。


再生中の曲は大分昔に一斉を風靡した、サブカル出身のグループアイドルのものだった。


俺はバスから降りると自分の荷物を運転手から受け取っている彼の肩を叩いた。


「あ?なんだお前」


お前こそなんだ。

初対面でその受け答えはどう考えても社会性が欠落している。


怪訝な顔つきをした彼の眼前にオーディオプレイヤーを持った手を翳した。


「忘れたぞ」


彼は俺の手からそれをひったくるが、勢いがつきすぎてアスファルトに落とした。

彼は拾ったブツを心配そうに指でなでながら歩いていった。

耳が赤く染まっていた。


俺は肩をすくめると自分の重たいドラムバックを受け取った。




建坪90程の大きさの味気無い建物の中に入ったのは俺が最後だった。

安っぽくも無いが趣向を凝らしたという風でも無い近代建築だ。


電力会社の運営に左右されない国立の発電施設だ。

金をかけ過ぎれば民意が黙ってはいない。


侮られず、民意を逆撫でしない絶妙なグレードだと思った。


既に他の生徒9人と松井は人工大理石床の上に大きな荷物を置いて待ちの体勢に入っていた。

彼らはフラッパーゲートの前で一人の女性を扇型に囲んでいた。


ワンレンショートボブで前髪を中央で分けた美人の女性だ。

ネイビーに淡いストライプの下がラインスカートタイプのセットアップスーツを着ている。トップスは無地の開襟シャツで、第二ボタンまで開けており、美しいデコルテとシルバーネックレスが垣間見えた。足元はベージュのストッキングにネイビーの6センチヒールを履いている。


今年のスーツの流行からはズレている。

最低限身形は気にしているが、最新の流行を取り入れるゆとりは無く、代わりに無難な選択をしている事が見て取れる。


それだけで彼女の性格をある程度掴むことができる。


身長はヒールこみで俺より十数センチ低い程度。160と少しというところだ。


自分も荷物を置いて振り返るとバスがゲートを抜けて敷地内から消えていくところだった。

あのバスがもう一度ここに来るのは6日後だ。


「えー……皆さんこんにちは!」


『…………』


職員の女は誰も返事をしなかった為か口を閉じてまった。

女性はグ‥と声に詰まったがめげずに再度口を開いた。


「み…みんなもう子供じゃないものね……えっと、私は7日間皆さんに施設を案内することになりました垣野冬子と申します。お姉さんか冬子さんって呼んでくださいね」


『…………』


再度空気が硬直した。

松井は口元を押さえて失笑を見られないようにしていた。


「あのさおばさん、こっちはもう疲れてんだからくだらないこと言わないでくれない?」


オーディオプレイヤーのことなどすっかり忘れた軽薄そうなピアスの男子高校生がちゃちゃを入れた。


垣野は化粧っけは無いが十分若く、美人な女性と言える。

いや、中途半端な表現は良くない。

俺にとってこの人は魅力的だった。綺麗な女性をおばさん呼ばわりなどあり得ない。


垣野は27、8程度と思われる。

失礼な発言だった。


口元をシニカルにゆがめているためわざと怒らせようとしているのだろう。

彼の発言に一部から失笑が漏れる。


皆餓鬼だな。

俺は心中で一笑にふしただけだったが、女性は一度ピクリと頬を痙攣させた……が、なんとか感情を押さえ込んで口を開く。


「えー、女性の扱いもなっていない失礼な糞童貞がいるようですけど………っていうか私もこんなことやりたくなかったわよ。しかたないでしょ私が一番歳が近いから今日中に上げなきゃいけない報告書が三つもあるのにこんなマセ餓鬼………あ、なんでもありません。えーっと、どこまで喋ったかな?あ、そうそう、ここは発電所の上部施設といって、無人管理されている場所でーす」


感情はまったく抑えられていないようだ。


しかし強引に流れを持っていくところは図太いというのだろうか?


一方マスクはにやついたままだ。


「そもそも、この山岳発電制御施設は国立静岡原子力発電所の安定的な稼働を補助するための施設となります。施設は発電所本体から電力が送られて来ており、そのエネルギーを利用して本体を災害から守る為に凡ゆる監視や制御を行なっています。例えば本体の核融合炉がメルトダウンしそうな時も、此処から遠隔で対処することが出来る仕組みになっています。細かい技術の話は2日目のカリキュラムとなってます」


垣野は一旦言葉を区切る。

俺は周囲の生徒の様子を伺っていた。

ピアスは意外にも話を聞いている。大柄な剃り込み男は多機能携帯電話を弄っている。髪の長い読書女は腕を組んで何処か虚空を眺めている。


ポニーテールは真面目に話を聞いており、ミディアムはそんな彼女に話かけてはあちこちを指差している。


天然パーマの男子高校生、精悍なスポーツ系のイケメン、穏やかそうな見かけのソバージュ女子、気弱そうな銀縁メガネも同様に真剣に聞いている。


「上部施設では手荷物検査等で危険物の持ち込みをチェックしています。テロ対策です。その他設備としてはネットワークの一部基幹、アンテナ設備、万が一地下施設からエレベーターの操作ができなくなった場合に使用するエレベーター操作装置等がありますね。当然地下から監視も出来ます。そこ、監視カメラがあるでしょ?」


垣野は天井を指し示す。

良く目にするドーム型監視カメラが設置されていた。


「不審者が映り、通報装置を起動させる事で警察署から受電があります。銀行の支店と一緒ですね。他には地下施設からの脱出経路である非常階段の出入り口があります。地下にいるときに万が一エレベーターが動かなくなった場合、緊急信号を町の総合本部に送り、そこから派遣された人員がそこの装置を操作してエレベーターを動かします」


垣野はそういうと女子2人組のそばの壁から突き出た大きな装置を指差した。


「非常階段の入り口扉は強固で爆発物でも破壊できません。外からはセキュリティカードと網膜認証、パスワードが無ければ開きません。侵入は不可能です。ですが、アンチパスバックではないので逆に中から出るのはノンセキュリティですから安心してください。………はい。ここでの説明は以上です」


垣野は事務的につげた。

松井が生徒達にトイレ休憩の指示を出す。

数人が垣野に案内されて消えていく。

警備員が居ないのが気になった。


ドアが開いていたので特に気にしなかったが正面の入り口脇にもカードリーダーが設置されている。

カードリーダーを持たない人間はそもそも施設に入れないと言う事だ。

今は既に扉は閉まっている。まるで砦の様だ。


恐らく乗って来たバスに対してもIDが事前に発行され、ゲートで読み取られていたはずだ。

それが無ければ発報し、地下の施設で通報等の処置を行えるはずだ。

だから警備員など要らないのだろう。


ランニングコスト削減のためにイニシャルコストをかけて設備を作ったと言う事だろう。

ゲートとこの上部施設で最低2人。

一昼夜で警備費10万程度と概算金額を想定すれば1年も運用すれば元は取れるはずだ。


周囲を観察しているとトイレ組みが帰ってきた。


「えー、今日皆さんは学生という事で手荷物検査はスキップします」


垣野は言うと女子2人組の側のエレベーター端末を操作した。

液晶に数字が表示され、どんどん減っていく。

数字の減る速度からエレベーターの速度を計算する。

緩やかに数字が増え始め、直ぐに物凄い勢いで減り始める。

1秒あたり30メートルと少し。時速100キロメートルと言ったところだろう。


分速に直せば1600メートル。

一般的なエレベーターの最高速度は分速50メートルだ。

超高層ビルでも時速30キロメートル程度が一般的だ。

かなりハイスペックなエレベーターであった。

この情報は公式情報に記載されていない。


と、そのとき俺の隣にいた気弱そうな眼鏡の男子学生が恐る恐るといった様子で挙手をした。


「はいそこの君」


さされた彼はおどおどしながら口を開いた。


「あ、あのー……エ、エレベーターと階段って壊れちゃったり…とか、その、しないんですか……?」


「その心配はありません。この施設は過去のマグニチュード9の地震データ及び直下型地震のデータなど複数の状況下を想定して建設されています。物理的に起こりえる自然災害では倒壊しない耐震建築をおこなっており、実験もすませています。だから大丈夫ですよ」


言って垣野は微笑む。

幾度となくその回答をしてきたのだろう。


だが安心はできない。2000メートルの階段を登る労力が加味されていない。どれほどの苦行かが。


垣野が述べた通り、事実今までこの施設で事故が起こったことは無い。東海地震にも耐えきり、何のアクシデントも無く地下二キロに鎮座し、唸り、静岡地下原子力発電所を守り続けているのだ。


諭されるように言われて眼鏡の彼は納得したのか口を噤んだ。

事前に調べた限りでは外部からこの施設を壊すことが出来るものなど無い。


完全な施設だと全ての情報が告げていた。


完璧など有り得るのだろうか?憎たらしく感じてしまう。

自分が完璧な人間では無い事など皆が自覚している筈だ。

完璧な人間になりたいと思っている人は多い筈だ。


だが現実は理想に届かない。劣等感を抱き、時に憎しみを持つことになる。


俺はこの施設の完成度の高さに妙に自身のコンプレックスを刺激されていた。


「今エレベーターを呼んでいるので少々お待ちください。2分程度で到着します」


垣野は立ち位置を変え、堅く閉じた扉わきにあるパネル上部が皆に見えるようにすると、まるで雨が降っているか確かめるように手の指を揃えて平を上に向け、その手で指し示した。


「あ、なんか数字書いてある」


女子二人組の内、長身のポニーテールがつぶやいた。

エレベーターの深度表示は勢い良く数字を減らしていた。


「この数字はエレベーターとこの上部施設との距離を表しています」


常に最高速度で動くなら1分と少しで着くだろうが、動き始めの加速時と到着前の減速時を踏まえれば2分ということなのだろう。


「すごく早いですね!このつまみを回せば速度が変わるんですか?」


エレベーターの扉横に胸までの高さの金属製の細長い直方体があり、ボタンやつまみがいくつか付いていたが、そのそばに立っていた2人組のもう1人、小柄で髪が短い方が操作板を覗き込みながら声を上げる。


「このエレベーターの最高速度は時速100キロに達ます。数十年前に当時の中華人民共和国で日本製のエレベーターがギネスに乗りましたが、それが75キロ……あ!ちょっと勝手に触らないで!」


「え?」


小柄な女子生徒がつまみをひねろうとする手を慌てて掴む垣野。


「おもちゃじゃないのよ。ココが原発関連施設だってことを忘れないで。私たちは毎日細心の注意を払って過ごしてる。どんな小さなミスでも臨界事故につながる可能性がある……そういう覚悟のいる職場なんです。ここは」


そう言われ、女子生徒はおとなしくなった。

そんな騒動を終えると、三秒ほど大きくも小さくも無い音でブザーが鳴った。


「それじゃあ開きますね」


垣野がフラッパーゲートを抜けて壁面のパネルを操作し、扉が開く。

ドアは思っていた場所よりも外側から蛇腹状に開き、エレベータ内部が姿を現す。

その中の想像以上の広さに俺も、周りの人たちもしばし言葉を失った。


俺の知っている最も広いエレベーターの何倍の広さか。

優に100㎡はあった。

高校の教室より一回りも二回りも広いエレベーターを誰が想像できるだろうか。


「驚かせようと思って黙っていたんですが……静岡地下原子力発電所に物資を搬入できるのはここだけです。全ての部材はこのエレベーターに積む必要があります。時には特殊な運搬用重機で搬入しなければならない事もあります。ですからそれなりに広い内部のエレベーターが必要になります……では皆さん、乗り込んでください」


垣野は手元の液晶端末で何処かと連絡を行う。

少ししてフラッパーゲートが開いた。

垣野はいたずらっ子のような笑みを浮かべてはじめに搭乗し、松井から順に次々に乗り込んでいく。

最後に2人組の女子高生が長身、小柄の順に乗り込み全員が匣の中におさまった。


「じゃあ閉めますね」


垣野の言葉と共に音も無くスルスルと素早くドアが閉まった。

その閉まる速度にもテロ対策が講じられていそうである。


丁度、自分たちが入って来た正面入り口とその向こうにゲートが見えた。入口のガラス戸越しに少し傾いた陽光が垣間見えた。


まぶしさに目を細めるが、一瞬その光をずっと見つめていたいと思ってしまう。

我ながら女々しい。一週間地下に潜る事が深層心理下では恐ろしいのだろう。一月日光を浴びられなかった経験が有るのにも関わらず。


口角を顰め、雑念を払う。

逡巡の隙にドアは閉まりきり、陽光は遮られた。


エレベーター内は温かみのない蛍光灯の光で満たされている。

中は金属の匂いが漂っていた。まるで空気中に微量の金属イオンが漂っているのでは、と考えてしまうような不快な臭いだった。


一同は離ればなれになるでもなく、密集するでもなく、広い内部で中途半端にたたずんでいた。


「このエレベーターは2分半で到着します。今凄い速さで下がってますが、Gの対策も施されてるので何も感じないでしょう?…積載重量限界が20tという事も加味すると実は最先端の技術が使われているんです。最もそんなに積載したこともする予定も無いんですが」


垣野の説明を聞きながら自分の荷物をそっと、音が立たないように床に置く。

かなりの重量があったため、肩が解放されて背筋も伸びる。

垣野の説明は依然続いているが、学生たちからは相槌すらなかった。


高校生とは応応にして残酷なものである。


左腕を上げて時刻を確認する。

2時23分

小さな音を立てて秒針が動いている。


近年めっきり見かけなくなったアナログ時計である。それも自巻き式。父から貰ったアンティークである。

修理に出すだけで数万円は取られる。


大分前から時計全般は電波時計から衛星時計に代わっており、同じアナログの見た目でも構造は大きく異なっている。


腕時計も携帯端末と連動した衛星時計が主流である。

今時中国の僻地や砂嵐の最中にですら電波が届く程の技術の発展である。


だが特殊な電磁波が放射される環境下以外で衛星時計を狂わせることはできない。


かつて使用されていた時計は撥条式であった。それが電池式に変わり、時を経て時計は電波時計を増やしていった。腕時計も長らくは電池式であったが、腕時計自身が時を刻んでいたものが、現在は電波の受信により時を修正、電波が届かない環境下では最後に受信した時刻を下に時を刻む為、地上にいる内はコンマ数秒の狂いもないものがほぼ全てである。


それでも俺は骨董品レベルのアナログ時計を愛用していた。自巻き式の為、電池交換も必要ない。


自らの力で時を刻むこの父から貰ったアンティークに、俺は並並ならぬ執着を抱いていた。


エレベーターの上部に、液晶パネルが表示されており、黒色の文字で1900が示された。瞬きをすればそれも1910に替わっている。


そろそろと判断してドラムバックの肩掛けひもを持った。

タイミングを見計らってドラムバックを持ち上げた時、エレベーターの下降が終わり、スルスルと金属扉が開いた。

そういえば、降りている感覚すらしなかった。

無駄な技術力である。


「はい、到着いたしました。ここが発電所管理施設です。ここで地下原発に異常がないかなどデータを管理しています。気象庁と連携を取り地震の観測情報や富士山の噴火情報等も即時入手し、本体と有事の際の連絡を取ります。因みに現在此処に常駐しているのは私を含めて4人。1人休みなんですけどね。少ないと思うかもしれませんが、今は地殻が安定しているので。これが地震が頻発していれば20人を超えることもあります。今は異常がないか監視しつつ機材のチェックを行うだけですので。………それでは順番に降りてください」


扉脇に陣取っていた松井を先頭に学生が降り、最後に垣野がエレベーターを降りた。

出た先は広い空間だった。オーソドックスなチャコールグレー系のタイルカーペット張りを基本とし、導線上に幅5メートル程の臙脂色のタイルカーペットが貼られている。

まるでレッドカーペットだ。


奥まで20m程敷かれている。部屋事態の広さは目測で奥行き20m×幅20m程。高さは3m強くらいか。天井はグリッドのシステム天井。


天高は一般的なオフィスビルよりもある。


エレベーターから出て右手には受付が。その背後に扉が一つ。簡素なスチールドアだ。スリット窓が付いている。

そこから明かりは漏れていない。サンドシートが張られており中の様子は確認できないが人はいない様だ。


扉の脇の透明アクリルのサインプレートにはカッティングシートで事務室と記載されている。

左手には同じスチールドアが手前5m以内に二つ、手前の部屋が電気室、その隣が通信設備室と記載されている。


壁はコンクリートに白い塗装が施された簡素なものだ。なるべく低コストであるイメージを持たせようとしているのだろう。

が、それがむしろ胡散臭い雰囲気を醸し出させている。


「皆さんお疲れ様です。長旅で疲れていると思いますので詳しい説明は後にします。ここは管理施設2階、エリア2です。施設は六つのエリアで構成されていて、上から1,2,3,4,5,6。宿泊する部屋があるのはエリアは1,4,6。申し訳ないですが、部屋割りを決めていた担当者が急遽病欠してしまった為部屋割りが有りません。皆さんでお好きに選んで一週間過ごしてください。えー、男の子のみんな?ここは至る所に監視カメラがあるけど部屋にはついてないから……」


誰も笑わなかった。

俺自身も下ネタにドン引きであった。


何にしても適当だ。研修で自分で部屋を選ぶなど聞いた事もない。


多機能携帯電話の液晶画面を確認するとキャリアの電波強度はゼロだったが、しかしWi-Fiの電波強度は高い。


上部施設に通信設備室かなにかが有ると垣野は言っていた。

恐らく構成としては上部施設のどこかにMDF|《主配線盤》があり、そこからこの地下施設にまで光幹線が引き込まれて何処かにあるPD|《primes distribution》盤から光回線が引き込まれているのだろう。


PD盤から開通したフリーインターネット用の回線は終端装置でメタル配線に変換され、スイッチを経由して施設内各所に設置されたアクセスポイントに分配、そこから電波を発しているのだろう。


ネットワークにパスワードは掛かっておらず、選択すると直ぐに接続が出来た。

インターネットブラウザを開いてみると、問題無くホームページが表示された。速度も速い。


施設内各所にWi-Fiの電波を飛ばしているのだろう。

天井を見上げるとシステム天井の岩綿吸音板に四角い機器が設置されていた。


何処かインターネットのコラムか何かで読んだ話だが、この地域の特性として強力な磁場があり、何らかの装置でそれを相殺していると聞いたこともあった。


それが本当なら磁場の相殺ないし軽減する装置が無ければこのアクセスポイントもノイズで通信速度が減衰したり、そもそも電波を掴めない可能性もある。


いずれにせよ学生にとって命の次に大切な携帯は、一週間家にいるのと同じ環境で利用できるという事だ。


垣野の言う通り卑猥な目的に使う事も可能だろう。

一方で垣野は下ネタが不発に終わったことにめげ、一瞬落ち込んだ顔を見せた。


悪い人間ではないのだろう。


「まぁいいです。とにかく、お好きに部屋を選んでください。学習スケジュールも休んだ担当者が管理していたので、現在確認中です。一旦皆さんは自室で休んでいてください。六時半に放送を入れます。今がだいたい二時半ですので、四時間程ですね。ま、寛げるかどうかはわかりませんけど」


垣野はそう言うとカツカツとヒールを鳴らして正面の階段へと歩いていき、階段を下って消えていった。

どうにも一言多い女性である。


ピアス男の言葉に怒っているのかもしれない。

こういう場面で自分の感情を隠さない所は営業やサービス職ではなく技術者なのだな、と感じた。


「えー、まあね、ここを選択したのを運の尽きだと思ってね、一週間頑張ってくださいよ」


松井の言葉に漸く生徒たちから失笑が漏れる。


「私もね、君たちと一緒にここで過ごすんですから。大好きな野球もね、見られないんですよ。だから君たちもね、寺で修行すると思って、ね?我慢してくださいよ」


松井はまだギリギリ30代であろうか。

生徒の心をつかむのがうまい教師である。


おそらく国語科と思われる。


皆が多少沸く中で、俺もハハと軽く声を出して笑っておいた。

その場の空気に馴染んだふりをするのは、とても大事な事である。


漸く、生徒たちがのろのろと移動を始めた。そこに混ざり、1週間過ごす部屋を探すことにする。


団体がエレベーターの反対側にたどり着くと、11人のうち4人が広く無機質な階段を上っていき、エリア1に消えていった。


それを尻目に俺を含め7人が階段を降っていった。

数階分階段を下りると4人がさらに階段を降っていった。

階段脇の金属プレートにはB4Fとの記載。


ちなみにB4FのBとはbasementベースメントの略である。

ベースメントは地下室といった意味で、逆に地上部はground(グラウンド)である。

日本の建物は1Fと表記されているが、もとはその上にGがつくのだ。


B4F、ベースメント…フォー…フロア。そこで1週間過ごすことに決めた。


俺の前を天然パーマの男子学生と松井が歩いている。

エリア4で寝泊りするのはこの3人ということだ


B1に4人、B4に3人、B6に4人、職員は4人と先程言っていたし、その他何らかの人員がいたとしても、この地下2000メートルの巨大な施設の人口は、今現在20人にも満たないのである。


その何とも言えない事実に背筋が粟立ってしまった。

どことなく不気味な感覚に俺は興奮した。


正面では松井と天然パーマが廊下の壁に貼り付けられた金属製のフロア案内用サインプレートを確認していた。

エリア4のフロア案内である。


縦が短く横が長いL字型の廊下のフロアで、大部分を大浴場が占めるエリアである。


階段側が南であり、北東部が女湯、北が男湯。女湯入口はフロアに入りすぐ右折後の突き当たりに。西側壁沿いに南からまずシャッター制御室なる部屋。4部屋の個室に一番北側の個室が監視室となっている。監視室の右手に男湯入口があるという概要であった。


風呂に着替えを持っていくのを忘れてもダッシュすれば見られずに部屋まで戻れそうだ。


3人は無言のまま歩き出す。

1番南、シャッター制御室の1つ北の部屋、レバーハンドルのドアノブには入室中の札がかけられている。


職員の誰かがここに泊まっているのだろう。

天然パーマはその1つ隣の部屋に、松井は天然パーマの隣の部屋に。俺は松井と、監視室の隣の部屋に入っていった。


部屋には鍵はかかっておらず、レバーを下げて部屋に入ると予想よりも広い部屋が広がっていた。


室内に入ると右手壁面に機器が設置されており、セキュリティカードが差し込まれていた。


機器の隣の突起には予備なのかシリンダーキーがぶら下げられている。


セキュリティカードを抜き取り機器のSETボタンを押し込むとアラームが鳴り、背後で扉にロックが掛かった。


これでアンロック状態だった扉がホテル錠形式に変更された。

全面にベージュの絨毯が敷き詰められ、シングルベッドが一つ、奥の壁から75cm程開けて頭を右につけておかれ、その手前で丸い直径90cmのガラステーブルが存在を主張していた。


テーブルの中央にはテレビのリモコンが置かれている。

先程抜き取ったセキュリティカードの券面を見る。


カードは透明のプラスチック製で、磁気テープと、白の印字でThe Shizuoka underground nuclear power station operation and maintenance facilities area 4 04(静岡地下原子力発電所管理施設エリア4,4号室)と記載されている。


ドラムバッグを鈍い音をさせて絨毯におろし、背負っていたショルダーバッグはガラステーブルの上に置くと、ガラステーブル左手の焦げ茶の一人がけソファーの座った。


なめらかで、ひんやりした感触の皮である。

匂いを嗅ぐ。革特有の匂いはしない。合皮だ。


体を仰向けにして仰け反らせると、背骨あたりがポキポキと乾いた音を立てて鳴った。


「……あぁー………」


両手で顔を覆い、こする。

乗り物は苦手であった。特にバスは苦手な方で、その上山道を慣性に振り回されながら運ばれてきたのだ。

大分気分が悪かった。


ベッドの脇、ドア側のサイドボードに傘のついた照明がある。

ベッドの枕元の板には液晶パネルが埋め込まれている。

14:33と時計表示されている。


液晶パネルで照明の入り切りもできるようだ。


「二時半か………」


独り言は誰に聞かれることもなく、妙に音も匂いもしない空間に溶けていった。

短く一回溜息をつくと立ち上がり、内側のレバーハンドルに吊るされていた入室中の表示を取り、外側にかけ直した。


入り口の扉を見つめた。扉はずいぶんと重厚そうに見える。

拳で軽く叩いてみると中身の詰まった金属の音がした。


しかし鉄扉では無い。鉄扉程扉は重たく無かった。

位置的にこの部屋が防火区画であるとは考えにくい。

意図が分からない。


しかし一般的なビルでの考え方でこの施設を図ってはいけないだろう。


テロ対策が必要と政府が考えた施設なのだ。

十分なテロ対策が建設の段階で成されているということなのだろう。


ドアの下を覗き込むと、しっかりと密閉されていた。

厳重で頑丈な、高級ホテルのような部屋である。


この施設を建築した日重工には黒い噂が絶えない。

政府と癒着しているなどのネット上での噂は山程存在する。


国領省高官に献金し、官僚は発注を日重工に委託、予算も本来の必要量よりも多く設定し、日重工は資材納品などを偽造し、浮いた予算を更に収益に上乗せしている。そんな噂が存在した。


だが官庁からの受注は必ず入札を行わなければならない。

入札を行う業者が提示金額の相談をすれば談合となる。

談合が発覚すれば業務停止や罰金などの制裁もある。

あり得ないことだ。


首の関節を鳴らしながらベッドの前に移動すると着て来た制服を脱ぎ去る。ブレザー、スラックス、ワイシャツをソファーに放り投げると薄ピンクのタンクトップとボクサーブリーフ姿になり、ベッドに横になった。


ひと眠りすれば気分の悪さも薄れるだろう。





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