雑学まみれの近所のお姉さんは好きですか?
「こんにちはー! 汐緒さん、コーヒー……って、クリス社長んところのノベラロイドのメジェドさんじゃねーすか」
癖毛の東洋人、アメリカ系チャイニーズにも見えなくないが国籍不詳。世界的指名手配犯、蘭。各国によって名前は変えているが、昨今は神保町のヘカのマンションで暮らしている。サマードレスに薄めの化粧なのはオフなのだろう。そんないでたちの彼女がちょっとお茶しにやってきたわけだ。
「こんにちはでありんすよ。蘭お嬢様。お目付役のヘカさんはどうしたかや?」
「三徹で倒れてるんすよ。ところでお二人でなんの話してんすか? 自分も混ぜてくださいよ」
店内備え付けのタブレットで今話している作品を表示させて渡す。
「『堕ちた神父と血の接吻 ― Die Geschichte des Vampirs ― 著・譚月遊生季』。へぇ、BL作品っすか? ヘカ先生いい時に来れないんすね。このコンラートさんという方はお祖父さんのお話からするにモーラ系統なんすね。それにしてもこの三話目はいい味を出してるっすね」
汐緒もメジェドも頷く。
非常に心地よい筆運びと言えるだろう。まさにそんな事が本当にあったかのように淡々とコンラートから語られる過去の情景。文章で情景を語るというのは小説において一つの芸術とも言えるかもしれない。
「神は全ての事をお救いになるとこれらの人類は信じているわけですが、神が救うというのは無に帰すという事でしかなく、やはり聖職者といえども異端であったコンラート神父は酷い扱いを受けてきました。ただ聖職者になれたというのも異端を出したからとも考えられます」
「おや、それはどうしてかや?」
汐緒はブックカフェ『ふしぎのくに』お手製の焼き菓子をオーブンから出すとそう質問する。ショートニングではなくしっかりとバターの香るビスケット。
「あれっすよ汐緒さん。意外と教会関係者に異端者っているんすよ。今はまだ丸くなったっすけど、本作当時水準のイエスズ会はまさに世のルールに近い部分があったんすよ。身内から穢れがでているコンラートさんをいつでも異端審問にかけられる事と、かける際に神の試練だなんだと言って弾圧し放題っすからね。ゲルマン系の人は合理的な考えを持つ方が多いので、まぁ側から見ると残酷なんすよ」
そういう事である。危険因子を手元において置けば裁きやすいのだ。
余談ではあるが驚く事にイエスズ会にはまさかの進化論を説いていた神父なんかもいたりして、現在に至ると結構グダグダなのである。
本来コンラートが神学の道を進むことができた背景を鑑みるとこの辺りが妥当だろう。神は人々に平等かもしれないが人々は人々に平等ではないのである。まさに当時のイエスズ会は我が国の上級国民に近い感じだったのかもしれない。
「コンラートさんはそんな生臭坊主達と違って、しっかりと教えに倣って模範的な態度などがじわじわ評価されたんでありんすな? 待望に神父様になったところで、幼き日のヴィルに出会うでありんすよ」
本作でも語られているが、政府と教会が対立していた。かつての寺院が治外法権的位置合いにあったなど、昔からこの手の文化は触れにくい部分がある。
「ドイツ文化圏で教会が政府と対立するくらい力があった事を考えると、教会関係者の政治参入、プロイセン議会とかが出てくる頃がたけなわっすから大体」
「1870年より少し前くらい〜1880年が本作の時系列と予測ができます蘭女史、本作で語られる警察組織も恐らく1820年代頃に確立したものと予測できるので。その間50年前後というところが妥当でしょう」
気になる人はエヴァンスとかいうおじさんが異様にドイツの警察の歴史について詳しいので調べてみるといい。
教会が教会らしい事をコンラート神父が行なっている部分、ヴィルに読み書きを教えるシーンであるが、ノブリスオブリージュが行われている事からも教会権限が大きかったと言える。
逆転になるのだが、宗教は権限がないとお金集めをするしかないので、こういった施しをすることができない。が、宗教が権力を持ちすぎると当然暴走する。これは日本史でも世界史でも証明されている。
実に世の中とはうまくできている。
「ハインリッヒ神父はもう神父じゃなくて、天使でありんすな?」
「曲解していない聖書を形にしたような人っすね」
「それに比べてコンラートはまだまだです」
おかしな宗教を除けば表向きは全ての宗教は無に至る事。死に挑戦する事であり、本当の意味はまともな人になりましょう! と言う事なのだが、色眼鏡なく見渡せるハインリッヒ神父は非常に高い水準の識者であるといえる。洗礼やらくだらない修行ではなく他者から認められる事を是非とするのは宗教的教えに合致する。
方や、コンラート神父は物乞いが凄いと言うヴィルの意見に納得してしまっている。物乞いもまた施しを与える者もどちらも等しく神の試練の最中であるという事、生きる為に奪い食らい生きる事が悪い事かどうか? 一般論で言えばどちらとも言い難いが、教会的観点から言えば悪い。このあたりの判断があまりにも聖職者らしくない部分がコンラートの良さであり、そして弱さになるのだろう。
「相当ハインリッヒ神父の指導が甘めだという事ですね」
「懺悔に対して説教がなってないっすねコンラート神父」
「二人ともめちゃくちゃ言うでありんすな。そもそも神父だって人間でありんすよ。想うところの一つや二つはあって当たり前かや。だからコンラート神父は上手い事説法してるでありんすよ!」
神は絶対である。
しかし、神が作った人間は不完全である。そんな不完全な人間が作った環境はそれこそ不完全であり、割り切れないものであると答えた。
兵士の略奪と陵辱、それとヴィルが生きる為の人殺しの違いを考えたとてコンラート神父に違いは考えつかない。
死は唯一平等に人間に与えられる物である。ただし、兵士も命懸けの場所にいてそうでもしないと気が狂う状況かもしれない。
だがしかしいずれも生きる為に他者の命を奪う愚か極まりない事。
「命を奪うという事は神が許すわけはないと考えるでありんすな?」
「ヴィルさんの考えは一応教会的な考え方で言えば、懺悔し神は許してくれるハズっすよね? それが、人々の為に何かを生涯奉仕するのか、それとも死刑台に立つのか、説法する人で変わるんでしょうけど。コンラート神父はここも割とうまいっすよね?」
「自死も、生涯の償いも自ら選ばせていますからね。今まで手塩にかけて教育しヴィルであれば、もう正しい判断ができると言うコンラート神父の考えもあるのでしょう。それにしても時系列はドイツ皇帝期、パプアニューギニアあたりを攻めていた頃として大体当初の予想と合っていますね」
余談ではあるが一番力を持っていてかつややこしかった時代のドイツである。ベルリンの壁があった頃よりも中々に凶暴な時代である。
ヴィルの悩みも考えも、いずれまとまりそうになる。そこまでコンラート神父は熱心に彼を更正させたとも社会復帰させたとも言える。自分を絶対的な悪としているヴィルに対して神の従順な僕であるコンラート神父はまさに許しを代行しつつあった。
この時点では、ヴィルのストッパーこそがコンラート神父だったのだろう。
「大円団! とはいかないかや。何故、コンラート神父がノストラフェルトゥに至ったのか、それはあちき達が聖人と今の感性で感じていたハインリッヒ神父にあったでありんすな?」
当時ドイツは教会勢力中央党の弱体化を目論んでいた政府があり、結果として大幅に教会権力は失われる事になるのだが、本作にあるような蛮行の一つや二つはリアルに行われていたかもしれない。
「何故政治に宗教が関わってはいけないかわかるっすか?」
「理想と思想は違うからです。さらに現実を踏まえるとそれらのベクトルの矛先が交わる事がない故でしょう」
「…………うん、このスパコン少女がいると説明が楽でいいっすね。とは言えこの島国日本ですら二つ程、形式上は違うと言いながらも宗教勢力が政治に絡んでるっすからね。それも何故かわかるっすか?」
「資金集めがうまいからです」
教会勢力の政治参入、資金源と民衆囲い込みには一躍買うかもしれないが、それ以上の脅威は権力の力関係が変わる事。
教会と暴走とでも銘打てば、それらメリットを享受した後に排除する事も容易く、政治家はやはり賢しい。
「吸血鬼の悪い噂について全て事実無根だとコンラート神父は語ってるでありんすよ」
「とも言えるっすけど、ベースはあるっす」
「はい、噂には必ずその背景があります」
太陽の日に浴びられないのは、光線過敏症。十字架を恐れるのは、水を飲んだ時に激痛反応を起こす狂犬病。ロザリオつけてる人しかいないのでそれをつけてるから苦しんでいると思っている。
鏡に映らないのは、なんらかの病。ここではあえてライ病というマイナーな名前にしておく。この疾患で鏡を見るのが嫌になった女性から。
神に叛いた者がなると言われたのは黒死病。
全て原因は違うのだが、そう言うのを複合して化け物の症状にしたわけである。
ドラキュラとはドラゴンの訛り、ドラゴンとはあの羽を生やして飛ぶトカゲではなく、本来よくわからない化け物。日本語では妖怪的な意味が本来はある。
そしてそれら謎の奇病をドラキュラと呼び、後付けでドラキュラが吸血怪物となり現在に至る。
恐るべき伝言ゲームであり、人伝に伝わる伝言が曲解していく証明にもなる。
「コンラート神父も言ってるでありんすよ。得体のしれない物、この場合は事でありんすな? 奇病に対しての偏見かや。昔は日本でもエイズの人と一緒に食事をしたら感染るなんて言われていたでありんすよ。これも大嘘かや。人間は理解できない事を納得させようと想像力を働かせて何かに例えるでありんすな? かくいうあちきもまたそういう物から生まれた化生でありんすよ」
汐緒は女郎蜘蛛の大妖怪、しかしその正体を知る者は数少ない。
「汐緒さん、今のは中々雰囲気があってよかったっすよ! ヴィルさんの好きの形が変化しそうなところで……そろそろお店が賑わいそうっすね」
「残念であり、多くの読者とイベントに参加する事、興味深くもあります」
お昼時から、主婦層や大学生、夕方から中高生。そして夜は会社勤めの方がやってくる。
汐緒は常連客の好みに合わせて飲み物の準備を始める。
まさに今より、BLフェスタ開店といえる。
『堕ちた神父と血の接吻 ― Die Geschichte des Vampirs ― 著・譚月遊生季』本作の作品の魅力を考える際に時代背景という物がミーティング時に語られ、皆さん本当に歴史がお好きなんですよね。色んな参考資料が飛び交い、ドイツ旅行のお話まで飛躍されていました。コンラートさんとヴィルさんの共依存のような関係性、これもまた本作の時代から生活環境、経済状況から追いかけていくと面白い発見があるかもですねぇ!




