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第十六話 フェンジェオ その二

 地下深くの牢獄から抜け出したフェンジェオが見たものは、地平線まで続く、荒れ果てた焼け野原だった。

 その光景に驚きながらも、フェンジェオはまず、俯いて自分の身体を眺めた。暗い地下ではしっかりと観察できなかったからだ。


「ううむ、この姿には慣れんのう……」


 彼は牢獄の中で、青年と呼べるほどの姿にまで成長していた。整った面貌と長髪はそのままに、背は格段に大きく伸び、大柄な体型になっていた。二人が用意していた、最も寸法が大きい衣服ですら、少しきつく感じるほどだった。


「兄貴の姿と同じく、兄貴が牢獄にいた間に、この世界も大きく変わっちまってる」


 薄暗い曇り空を見上げながら、ユシェルは語る。


「ある出来事をきっかけにして、霊教に対する抵抗組織ができたんだ。ティアレーと俺が生まれるよりもっと前の話だ。抵抗組織は次第に大きくなっていって、暴力を振るうようになって、組織を支援することを表明する国までぽつぽつと現れはじめた……それからは戦争だ。大量破壊兵器が飛び交って、世界はもうどこに行ってもこんな有様さ」

「その抵抗組織を止めようとしてるのが、私たち“二大魔術師”をはじめとした、第三勢力なんだよ」

「そ。もう霊教は壊滅状態だけど、抵抗組織の目標は他にもある。人類を滅ぼすことだ。組織が疲弊してる今のうちに、楽園を築き上げなくちゃならねえ」

「……楽園とは、何のことなのじゃ?」


 フェンジェオも、その単語の意味を知らないわけではない。だが、空想の世界の言葉だと認識していた。


「一人残らず、みんなが幸せになれる世界だよ。今、そんなの夢物語だと思ったろ? でも俺たちは本気だ」

「実はね、抵抗組織と私たち、ほんとの目的は一緒なんだよ。不幸な人間が誰一人いないようにすること。でも手段が違うんだ。抵抗組織は人類そのものを滅ぼすことで、それを実現しようとしてる。私たちは、楽園を作ることが手段なんだ」

「……なぜ、不幸な人間がいてはいけないのじゃ。不幸になるべき悪人も世の中にはいるじゃろう……わしのように……」


 頭の中に暗い思い出が浮かび上がり、フェンジェオは項垂れる。不幸になりたいわけではなかった。それでも、かつて弟の言ったことは真実だと思った。


「……兄貴、それは霊教の考え方だな」


 そこで、ユシェルは初めて躊躇うような困り顔を見せた。


「……これはさ、言うべきかどうか迷ったんだけどな……抵抗組織ができた理由。やっぱり、教えるよ」


 ユシェルは一呼吸置いて、言葉を続けた。


「霊教の教えは、嘘っぱちだったんだ」


 フェンジェオは、目を見開いて息を呑む。


「……」

「学者たちが、研究で解明しちまった。魂が意志を生み出すってやつ。違ったんだ。魂は、飽くまで身体、つまり脳の命令に従うだけなんだよ。だから全部、物理法則に決められてるんだ」

「……その、だから、フェンジェオさん。自由な意志で悪いことをする人なんて、いないんだよ」

「……っ……な、ならば……っ!」


 膝をついて、フェンジェオは叫んだ。


「ならば、なぜお父様は死ななければならなかったのじゃ!? なぜお母様は裁かれなければならなかったのじゃ!? なぜわしは、あんな思いをしなければならなかったのじゃ……!」

「……兄貴」


 ユシェルが、フェンジェオの肩に手を置く。

 そして、言った。


「誰も悪くないんだ」


 それは、あまりにも優しく、あまりにもやるせない言葉だった。


「全部、仕方ないんだ。兄貴も、兄貴の親も、霊教徒も、誰一人悪くなかったんだよ」

「……うああ……ああああああああっ……! ああああああああああああ!!」


 フェンジェオは理解してしまった。この深い悲しみをぶつけるべき相手が、いないことを。憎むべき人間が、いないことを。

 自分の行為を選択できる者など、責任がある者など、この世界に一人としていないのだから。

 フェンジェオにできることは、ただひたすら慟哭することだけだった。




 不幸になるべき人間がいないことを肯定したフェンジェオは、楽園を探し求める第三勢力に加わることを決心し、“二大魔術師”と共にその本拠地に身を置くことにした。


「大規模じゃな……最早、ちょっとした街なのじゃ」


 本拠地を外から眺め、フェンジェオは思わず呟いた。


「ああ。戦争で住処を無くした人たちを、ここに住まわせてるんだ」


 そしてユシェルたちは、長旅から帰還する。最初に立ち寄ったのは、孤児院だった。


「よう、久しぶり! みんな元気してたか?」

「ただいま、みんな」

「ユシェル! ティアレーも! おかえりー!」

「あ、その背が高い人、もしかしてユシェルが探してた人?」

「おう、フェンジェオだぜ!」

「すげー!」

「本物なの!?」


 子どもたちに押し寄せられ、フェンジェオは困惑する。


「ほ、本物とはどういう意味なのじゃ……?」

「霊教に立ち向かった最初の人物として、教科書に載ってるんだよ、兄貴」

「……なるほど、わしは歴史上の人物というわけなのじゃな」


 その事実を知って、フェンジェオはふと思考した。


(ということは、わしは抵抗組織の中では偉人として認識されておるのじゃろうな……ユシェルがわしを探しておったのは、抵抗組織にわしが加わることを危惧しておったからか?)


 そのとき、ティアレーが子どもたちに話しかける。


「みんなごめんね、ちょっとフェンジェオと二人だけで話がしたいんだ。少ししたらまた来るから、しばらくユシェルと遊んでてくれるかな?」

「うん、分かった!」

「なんだ、兄貴と話したいことって?」

「ふふっ、秘密。さ、行こうフェンジェオ」

「う、うむ……」


 二人は応接間に移動する。ティアレーは、職員が茶を淹れるのを眺めながら話し始めた。


「ユシェルってよくここに来るんだけど、どうしてか分かる?」

「……子ども好きなのかのう? ユシェル自身もまだ子どもと言える若さじゃが……」

「そうかもしれないね。けど、私は他に理由があるって思ってる。ユシェルは戦災孤児なんだ」


 出された茶を飲みながら、二人の会話は続く。


「それで、ここの子どもたちに情が湧いておるということか」

「この時代に戦災孤児って、そんなに珍しくはないけどね……それでも、つらいのは変わらないよね。ユシェルは時々、家族の思い出を私に話してくれるんだけど、とっても大事にしてたんだなって分かるんだよ」

「……ああ……わしを探しておったのは、最後に残った家族としてなのじゃな……」


 父を愛した者として、フェンジェオはユシェルの感情を理解することができた。


「もちろん、第三勢力の力になってもらうためとか、抵抗組織に利用されないようにするためっていうのが、フェンジェオを探してた理由ではあるよ。でもユシェルの心には、きっとそういう気持ちがあったんだと思う」

「うむ。打算抜きで、わしを助ける気持ちがあったということなのじゃな……ははっ、わしも兄として、ユシェルのためにならんといけんのう」

「あ、この話をしたことはユシェルには秘密だよ? きっと恥ずかしがると思うから」


 二人はしばらく談笑した後、ユシェルの所へ戻った。


「お待たせ、フェンジェオが帰ってきたよ」

「おう、おかえり! みんな兄貴と話したいってよ」

「うむ。わしも一緒にみなと遊ばせてもらうのじゃ」


 フェンジェオは張り切って、ユシェルと共に子どもたちの相手をする。その様子を、ティアレーは微笑ましく感じた。




 第三勢力の筆頭である“二大魔術師”、ユシェルとティアレーは、確かに強大な魔術師だった。

 ユシェルの魔力量は、フェンジェオのそれと比べても遜色のないものだった。ティアレーの魔力量は二人と比べるとかなり少ない。自らの霊窓の状態だけを保持して、一日ほど世界の時間を戻す一度きりの固有魔術、“一日の霧散”も、使いどころに乏しかった。それでも一般的な魔術師と比べると異様な魔力量であり、さらに彼女は研究熱心で、楽園に一番近づいている者とも言われていた。


「みんなに魔力があれば、不幸なんてほとんどなくなるよね。魔力を他人に分け与える方法を探すのが一番だと思うんだ」


 ティアレーは、魂の機能についてひたすら調べていた。その途中で判明したのは、両親が魂の一部を与えて子どもの魂を作ることで、魔力を子どもに分け与えられることなどだった。


「魔力量が大きい人なら、自然の魂で子どもを作るより、こうしたほうがいいよね。この機能を応用して、誰にでも魔力を分け与えられないかなあ」


 そして、“三大”となった魔術師たちは、力を合わせてその機能を詳しく研究した。

 そんなある日、三人で一つの研究室に集まっていたときのことだった。


「あれ……?」


 ティアレーが突然、怪訝そうに呟いた。


「どうしたのじゃ、ティアレー?」

「……“一日の霧散”が、使えなくなった……あっ、いや、違う、一日後の私が使ったんだ……!」


 “一日の霧散”は、記憶を保持することができない。霊窓の状態から、すでに魔術が使われたことしか確認できなかった。


「ど、どうして……私、何があって、使ったんだろう……」

「……抵抗組織だな」


 暗い声色で、ユシェルが言葉を吐き出した。


「最近、抵抗組織が本格的に、世界を滅ぼす準備を進めてるって情報が入ってきてたんだよ。多分一日以内に、組織が動く」

「えっ、ど、どうしよう……!」

「どうにかして止めるしかないじゃろう……しかし、間に合うかどうか……」

「……いや……その必要はないぜ」


 躊躇いがちに言いながら、ユシェルは顔を上げる。


「楽園を築く方法、もう俺は見つけてたんだ……隠してて悪かった」


 突然の告白に、フェンジェオとティアレーは呆然とした。


「な、なぜ隠していたのじゃ……?」

「……今から話すことは、どうしても必要なとき以外、他のみんなには話さないでくれ」


 ユシェルは、苦々しく笑った。


「人類はみんな、楽園に辿り着ける……俺を除いてな」


 研究室が、しばらく静まり返る。


「どういう、ことじゃ……」

「……まず、聞いてくれ。実は、“世界”っていうのは、一つの巨大な魂なんだよ。それで、その世界の中、自然に漂う魂たちは、全部がその一つの魂……“世界”から少しだけ切り分けられたものなんだ」


 奇想天外な話を、ユシェルは真面目に語っていった。


「このことを発見して、俺は思った。この切り分けられた魂、つまり俺たち人間の魂がもう一つの“世界”になったらどうなるかって。そのもう一つの世界は、当然この世界と比べてとんでもなく小さくなる。それで、その小さな世界に人間が渡るとき、その人が持つ魂は、世界の大きさに合わせて縮むんだよ」

「あっ……そっか、魂って魔力の構造体だから……」

「そ。縮んだ分、余った魔力がその魂に溜め込められる。とんでもない量になるだろうな。誰でも偉大な魔術師だぜ」

「……つまり、おぬしが“世界”となって、その世界に人類を移動させるということかの……?」


 あまりにも壮大な話に、フェンジェオの実感は追い付かない。


「……そういうことだ。俺が、“楽園”になるんだ」

「ちょ、ちょっと待って……その、世界になるってことは、人間としての感覚も意識もなくなるんでしょ……?」

「だろうな」

「……そんなの、死ぬのと同じじゃん。みんなが幸せにならないと駄目でしょ……なんで、ユシェルだけ……」

「ははっ、ごめんな……時間切れだ。これくらいしか、思いつけなかった」


 重々しい空気が、三人にのしかかる。


「……ユシェル。この世に未練のないものに、世界になってもらうというのはどうじゃろうか……」

「……駄目なんだよ。世界になる機能を解放するには、魂の意志が必要なんだ。人間の意識が、極限の葛藤で膠着状態になったときだけ、魂が意志を生み出すって分かったんだ」

「じゃ、じゃあ、ほんとは犠牲になるの、嫌なんでしょう……!?」

「……そうだなあ……楽園で兄貴とティアレーと、仲良く楽しく過ごしたいぜ……はははっ……っ」


 その瞬間、ユシェルの身体が光りはじめた。


「ユシェル……!?」

「ま、待つのじゃ!」

「……ごめん、始まったみたいだ……二人の悲しむ顔を見て、生きたい気持ちが強くなったからだな……」


 ユシェルの弱々しい微笑みに、二人の心が痛む。


「もう時間もないから、伝えないといけないことだけ言っとくぜ……楽園で子どもを作るときは、ティアレーの見つけた、魔力を分け与えられる方法にするように、全人類に伝えてくれ。自然の魂だと、魔力量が足りない子どもが生まれてくるからな……」

「……ユシェル、嫌だよ……こんな突然……」

「なぜ、おぬしまでわしから離れてしまうのじゃ……」

「ほんと、ごめんな。俺がいなくなったことは、みんなには適当にごまかしてくれ……それと、最後に……ティアレー……兄貴……」


 その続きの言葉は声にならなかったが、二人はユシェルの口の動きでそれを理解した。


 ——不幸な人間を、一人も生み出さないでくれ。


 そして、ユシェルは消え去った。




 ユシェルの作った世界は、霊界を隔てた別次元の空間に存在した。フェンジェオとティアレーはその世界から、人類が住まうのに適した星を見つけ出し、その星と元の世界の星を繋ぐ、霊界の道を作った。

 二人は抵抗組織に楽園の完成を伝え、滅亡計画を取りやめさせることに成功し、人類の移動を開始させた。世界の人口が極めて減少していたこともあり、人類の移動は、二人が想定していたより簡単なものだった。

 そして、二人が世界を統治する、楽園時代が始まった。


「フェンジェオ。これでほんとに、良かったんだよね」


 官邸の屋上から楽園を見下ろしながら、ティアレーは隣に話しかけた。


「うむ……ユシェルの望んだ、楽園じゃ。わしらにできることは、それを維持することなのじゃ」


 遠い目をして、平穏な世界を眺める。

 魔力が無限にあるわけではない以上、いつかは来る人類の寿命に向けて対策しなければならない。しかし、その策を考える時間は、有り余るほどのように感じられた。

 だが、まだ可視化されていなかった他の問題に、二人はある日突然直面することになる。




 空から何かが飛来したと、通報があった。フェンジェオとティアレーが確認しに行くと、それは小さな建物のようなものだった。二人が警戒しながらその中に足を踏み入れると、壁に映像が浮かび上がった。

 そして、フェンジェオたちのそれとは異なる言語の音声が流れはじめた。


「もしや……異星人の船、か……?」


 映し出されたものは、兵器を持って殺し合う人々。炎と共に崩壊していく街。その有様は、星が終末へと向かうものだった。

 そして次に映ったのは、涙を流しながら、双子をカプセルに入れる、両親と見られる男女。「レキ」「ルキ」と、赤ん坊に向かって何度も呼んでいる。

 映像が終わる。二人は船の中を見渡し、赤子が眠る二つのカプセルを見つけた。

 双子には、身体と魂を一時的に切り離すような術印が刻まれており、カプセルにはその予備であると思われる、空術印が準備されていた。


「これって、つまり……」

「……どこかの星で、人類が自然に誕生した。その者たちは、自然の魂を持って生まれたが故に、魔力量が不十分で、資源を取り合うなどして戦争が起きた。そして、ある夫婦が、子どもを星から逃がすために、宇宙船に乗せて、何らかの固有魔術で半永久的に眠らせた……そういうことかの……」

「……」


 自然に人類が誕生する。ありえない話ではなかったはずだった。しかし、二人は想像していなかった。


「今もこの世界のどこかで、苦しんでおる人類が存在するかもしれないということじゃの……」

「フェンジェオ、この子たちはどうしよう……」

「……永久に、眠らせておくのじゃ」

「でも、この子の親は、どこかの星で目を覚ますことを願ってたはずだよ……」

「しかしのう……」


 フェンジェオは苦悶の表情を浮かべた。


「この子らは、自然の魂を持って生まれておる……わしら人類と比べれば、瞬く間に死んでしまうじゃろう。目を覚ましても、周囲と自分を比べてしまい、幸福な人生を歩むことは難しいじゃろうて……」

「……分かったよ。私が、この子たちを預かるね」

「うむ、頼んだのじゃ……このことはくれぐれも内密にな」


 その出来事からフェンジェオは、悩みつづけた。


 ——不幸な人間を、一人も生み出さないでくれ。


 ユシェルの言葉を、一瞬たりとも忘れることはなかった。確かに、フェンジェオの住む星だけであれば、その願いは叶えられている。

 だが、“世界”全体を見ればどうか? 実際に、滅びゆく星の映像を見てしまった。どう救えばよかったと言うのか。




 それから五年。いつものように、フェンジェオが自室で頭を抱えながら、職務を行っていたときだった。


「……フェンジェオ」


 ティアレーの声を聞き、扉を開ける。彼女は泣き腫らした目をしていた。


「どうしたのじゃ?」

「……ルキが死んじゃったよ。私のせいだ……」

「ルキ……?」


 目を細めて考え、やがてその名前を思い出す。


「お、おぬし……!」

「私が間違ってた、フェンジェオの言う通りだったんだ、鳥かごの中でも幸せならって思ってた……っ、でも、その幸せすらあげられなかった、いや、違う、ただ二人の笑顔が見たかったんだ、それで……っ!」

「待て、落ち着くのじゃ、このままではまずいのじゃ!」


 事態は察せられた。宇宙船の双子、レキとルキの目を覚まして、隠して育てていたのだ。そしてルキは、魔力を持っておらず、魔術師にとってはなんでもない病気や事故で死んでしまったのだろうと推測された。

 残されたレキ。彼女を救う方法は、一つしかない。

 さらにもう一つの世界を作って、そこに送ることだ。

 それは、魔力を持たない人類をさらに誕生させることでもあった。世界に漂う魔力の量は、生前の魂の魔力量に比例する。ティアレーの魔力量では、その世界に誕生する人類のすべては、まったく魔術を使えなくなるだろう。


「ううううううっ……!」


 ティアレーの身体が、輝きはじめる。もう、何を施しても無駄だった。


「……なぜじゃ……なぜなのじゃ……」


 なぜ、不幸がやむことはないのか。


「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……!」


 そして、ティアレーは消滅した。

 三大魔術師は、今や一人だけとなった。


「……ティアレー……わしは、どうすればよいのじゃ……」


 そう言って、しばらく放心していたフェンジェオだったが、やがて鈍くなっている頭で、それでも思考しはじめた。


(ユシェルの“結合”……あれを双子に用いて、他人に魔力を渡せるような固有魔術を持った、強力な魔術師を生み出せないかと思っておった……ユシェルが消えた今、もはや実現不可能じゃと思っておったが……)


 フェンジェオは、ある可能性に思い至っていた。


(……自然の魂が、“世界”から切り分けられた一部じゃというのなら、ユシェルの魂から切り分けられた、この世界の自然の魂も、“結合”を持っておるのではなかろうか)


 つまり、レキをティアレーの作った世界に追放する前に、双子を宿した女性を連れていき、その双子に向けて“結合”を使わせる、ということを思いついたのだった。

 そして、フェンジェオの予想は当たっていた。レキはフェンジェオの指示通りに“結合”を使って、双子の片方の魔力吸収量を犠牲にして、もう片方のそれを莫大なものにした。そして両方に、固有魔術の“放出”と“吸収”をそれぞれ持たせた。




 双子のどちらがどちらの固有魔術を持つかまでは、魔術で確定させることができず、魔力吸収量の高いほうが、魔力を渡せる“放出”を持つことに賭けるしかなかった。そしてフェンジェオは、賭けに負けた。人類史上最強の魔術師として生まれたのは、“吸収”を持つほうだった。フェンジェオは、その女児をリミニアと名付けた。


(“放出”を持つほうであれば、あるいは宇宙を巡って、魔力量の足りない文明を救うことができたかもしれんのう……)


 フェンジェオは、リミニアの魔力量が一体どれほどなのか確かめたくなった。そして、レキを追放してから世界を覆うように作った障壁を、官邸の部分だけ解除し、装置に乗せて人類が元いた世界へと向かわせた。

 元の世界からユシェルの世界、ユシェルの世界からティアレーの世界へと上がる際には、魂が縮んで魔力が発生する。しかし、その逆に下がる際には、魂が膨らんで、その分の魔力が必要とされる。だから、どこまで下がることができたかによって、正確な魔力量を図る事ができた。

 それが重大な過ちとなることを、フェンジェオは予想できなかった。


 リミニアを乗せて元の世界のほうへと向かった装置は、彼女を乗せずに帰還した。不審に思ったフェンジェオは元の世界に渡った。すると、元の世界で繋がっている部分が空中であることが判明した。


(……もしや、リミニアはここから落ちてしまったのか……?)


 そもそも、リミニアが元の世界に到達できるほどの魔力量を持っていることが誤算だった。それほどの魔力量を持っているなら、空中から落下した程度では命に別条はないだろうが、流石に赤子が自力で帰っては来れないだろうとフェンジェオは判断した。




 地上に降りてリミニアを捜索しはじめ、十日経っても見つからない。どうしたものかと頭を悩ませていると、霊界から引っ張られるような感覚に襲われ、フェンジェオはユシェルの世界に戻された。


「な、なんなのじゃ……?」


 官邸の一室。目の前に立つのは、黒髪を肩まで伸ばした気弱そうな少年と、くすんだ灰色の髪の、妙な笑みを浮かべる少女の二人だった。


「あ、あの……はじめまして。ぼくは、ユシェルだよ」

「ふ、ふふ、ゼイネです、あなたはフェンジェオさんですよね?」

「……」


 突然のことにどこから突っ込めばいいのか分からなかったが、フェンジェオはとりあえず最初に引っかかった部分から尋ねていった。


「ユシェル、じゃと……?」


 あの活発な赤髪の少年とは、似ても似つかない。


「えっと……リミニアに、付けてもらった名前なんだ」

「……どういうことじゃ……」

「そうですね、私から説明させてください。まず、フェンジェオさんが下の世界に十日いる間に、こっちでは七千年ほど経ったんです」


 ゼイネは、世界の時間の流れの違い、二千年前の楽園時代の終わり、魔王ユシェルの事情、それらを説明していった。


「……それで、イオリさんに“開錠”を奪われてしまって、もうどうしようもなくなって、やけになって藁にも縋る思いでフェンジェオさんを探してたんですけど……まさか下の世界にいるとは思いませんでした。魔王様がもしかしたらっておっしゃって、それで見つけられたんです」

「……世界に入っちゃうと、時間の流れが変わっちゃうから、霊界から世界の淵をなぞるように探したんだよ」

「……」


 下の世界にいる間に起こったことを、頭の中で整理する。

 上、つまりティアレーの作った世界のとある星、地球で、レキが“集約”によって勇者と魔王を作り上げて、魔力を人類に供給した。それとほぼ同時に、勇者が誤って下の世界に転移した。

 その後、真ん中、つまりユシェルの作った世界で五千年が経った頃、上の世界で魔王が負魔力を放出したことによって、上の世界の地球は滅び、真ん中の世界の楽園時代も終わった。

 それから真ん中の世界で二千年が経った頃、リミニアは自力で下の世界から真ん中の世界に帰還し、タノスに発見されてファノールドの王女となった。

 そして十一歳になったリミニアが遺跡調査で上の世界に転移し、魔王と出会い、真ん中の世界に連れて帰った。そしてリミニアは魔王の術印を吸収して犠牲になるために、上の世界に封印されることを選んだ。

 タノスが上の世界を“施錠”する際に、フェンジェオが張っていた障壁をすべて解除したことによって、勇者は真ん中の世界に戻ることができた。

 そして勇者はレキの手帳を読むために“開錠”を持つミュシエを探してそれを使わせ、魔王の真実を知った。そして、上の世界のリミニアと会うことを望む魔王に“開錠”を使わせないために、ミュシエを“分散”によって保護したのだった。


「異星人の双子……固有魔術を持っていたとはのう」


 しかし、それは結果として、楽園の崩壊を招いた。


「フェンジェオさん、お願いです。魔王様に、その強大な力を貸してください!」

「……リミニアが死んじゃうのも嫌だし、リミニアに会えないのも嫌だ……」

「……」


 フェンジェオは目を細め、遠い昔、弟分が残した願いを思い出す。


 ——不幸な人間を、一人も生み出さないでくれ。


 その願いを叶えるための楽園は崩壊した。ならばもう、手段は一つしかない。

 かつてのある組織が取ろうとした手段。


「……この世界を、滅ぼせばいいのじゃな?」


 それは偶然にも、魔王たちが別の目的のために取りたい手段と一致していた。フェンジェオは、寂しく微笑む。


「あっ……そうです! そうなんですけど、魔王様まで死んじゃったら駄目でして……それと、フェンジェオさんも死にたくはないですよね……あと、それでミュシエさんを殺した後、どうやってその魂を持った人を誕生させて、“開錠”を使えるような年齢まで成長させるかも問題でして……それと、リミニアちゃんにどうやって長生きしてもらうかも思いつかなくて……フェンジェオさん、何かいい方法はないですか?」

「そうじゃのう……」


 しばらく思案して、閃く。


「……レキとルキが入っていたカプセルに、魂と身体を一時的に切り離す固有魔術の空魔術が残っておる。この官邸を探せば見つかるはずじゃ。それをおぬしに使っておいて、ミュシエを殺す瞬間だけ、わしと魔王と勇者が下の世界に避難しておけば、“この星の全人類の抹殺”が達成されてミュシエは死ぬはずじゃ。その後速やかにこの世界に戻り、魔王か勇者が“結合”によって、おぬしの身体とミュシエの魂を繋ぐ。そうすればおぬしは一度だけ“開錠”の術印を刻めるようになる。あとは上の世界で、リミニアに刻まれた“集約”の術印を、勇者の対をなす固有魔術、“分散”によって解除すればすべて解決じゃ」

「……すごい……」

「すごいです、フェンジェオさん! こんな一瞬で、そんな鮮やかな解決策を見つけるなんて!」

「まあ、どうやって勇者に協力してもらうかが問題になるがのう……とりあえず、勇者を攫ってしまってから考えるとするのじゃ。はっはっは」


 フェンジェオは思った。これが人類の歴史の終焉なら、悪くはないと。


(……最後に、ユシェルと言う名の者の、幸せを見届けられるのじゃから)


 ◆


「これが、すべてじゃ。疑問はすべて解決したかのう?」

「……ああ……」


 伊織は俯いたまま、頭を縦に振る。

 そして、顔を上げた。


「誰も悪くないんだな……」


 その顔には、フェンジェオと同じように、寂しい微笑みがあった。


「そうじゃとも。おぬしも、おぬしの友も、誰も悪くないのじゃ」

「……分かったよ。ありがとう、フェンジェオ。話を聞かせてくれたおかげで、気持ちが楽になったよ」

「叶うのならば、その礼はユシェルに向けて言ってもらいたいのじゃがのう……」

「いや、ユシェルのその言葉で、気持ちが楽になっただけじゃない。この現状を打破する方法を、あなたの話のおかげで見つけられたんだ」

「……それはなんじゃ?」


 まさかこの状況から、自分たちには歯向かえないだろうと思ってはいたが、フェンジェオは訝しむのを止められなかった。


「そんなに警戒しなくていい。この方法は、あなたの望みも叶えることができる……楽園を再び築き上げるんだよ。すべての世界のすべての人類を救って、魔力を持たない人類は誕生させない。不幸な人間が誰一人いない、正真正銘の楽園だ」

「……なんじゃと」


 フェンジェオの目が丸くなる。そんなものを、どうやって実現させるのか。


「そのためには、あなたの協力が必要なんだ……フェンジェオ」


 手を差し出される。牢獄から抜け出したあの日と同じように。


「俺と手を組もう」


 雲間からガラス越しに差す光が、伊織の笑顔を照らした。

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