第4話 Secret pie
「で、三人分の痛み止めを打ってやっと眠ったっていうんですか? 化け物かアイツ」
フォークを口に咥えたジェシカは呆れ返って男が眠っている病室のドアに顔を向けた。
「薬に耐性がついているみたい。でもあそこまで効きが悪いなんて……」
「中毒患者?」
「本人は否定しているし私も違うと思うわ……これまでどんな生活を送ってきたのかしら」
ジェシカに買ってきてもらったパンをモサモサと食べながらロザリタは医学書をめくった。今後の方針を決める上で何かヒントがあればいいのだが・・
ロザリタのめくるページを目で追いながらジェシカはターキーサンドイッチを頬張った。
「アイツ、街中の話題になってましたよ、昨夜のカポネファミリーへの襲撃事件。なんでもボスのカポネに怪我を負わせたのはルチアーノ一家の若い下っ端らしくて、しかもたった一人でやったらしい。死体はまだあがってないからカポネの連中が血眼で捜してるそうです。警察もこの件じゃ結構動いてるみたい」
「わざわざ調べて来てくれたんですか?」
「だーかーら! 街中がこの話でもちきりだっての! 三大マフィアの勢力図が塗り替えられるんじゃないかってあっちもこっちも戦々恐々としてんの!」
「彼は突き出しませんよ」
笑って紅茶でパンを流し込んだロザリタにジェシカは深くため息をついて首を横に振った。
この若い女医は意外と頑固だ。
「先生、あの野郎は街中を巻き込んだ事件の主犯なんすよ。ルッチのところが仕掛けたなら、コーザも黙っちゃいない」
トリナクリアでは『ルチアーノ一家』『ブランド・オブ・コーザノストラ』『カポネファミリー』の三大マフィアが覇権を争っていた。
特に新興勢力のカポネファミリーは容赦がない。
数か月前に突如現れたと思ったら老舗のルチアーノとコーザノストラにあっという間に肩を並べるほどの一大勢力となった。
「ボスのアル・カポネは最近じゃ犯罪王とまで言われ始めてるんです、そのカポネを……」
ジェシカは病室のドアに二重顎を乱暴にしゃくった。
「カポネに怪我を負わせた奴を匿うなんて正気じゃない」
「さっきはいい男だって言っていたじゃないですか、潤いになるって」
「さっきはね」
ふくよかな肩を竦めたナイチンゲールの顔つきは厳しい。
「でも少し冷静に考えたら分かるってもんですよ先生、私は頭は悪いけど馬鹿じゃない」
「そうなんですよね、羨ましいです。私は頭は良いけど、馬鹿なんです」
ロザリタは事も無げに笑うと医者の顔をしてジェシカに言った。
「正気なんてとっくに捨ててきたわ。両手が無くなった人に真新しい死体から頂いた腕をつけたり、来週死ぬ死刑囚の手術をしたり」
「……窃盗団の悪ガキを助けたのも入ってます?」
確かめるように尋ねたジェシカにロザリタは懐かしそうに微笑んだ。
「そんな事もありましたね。今ではすっかり堅気になられたようで、大変助かっています」
ジェシカの大きな身体が居心地悪そうにモジモジと動いた。ほんの少しバツの悪そうな赤みの差した頬に、ロザリタは目を細める。
「いつだってとやかく言われてきましたよ。石を投げられた事も警察に捕まった事もあったけど、外野がなんと言おうが関係ないんです。だってこれは患者と患者の抱える怪我や病気の問題なのだから。瑣末な事がどんな横槍を入れたところでなんの価値も無いんです。」
「先生の立場も瑣末ですか?」
「命の前では」
当然のことのように言ってのけたロザリタに突然ジェシカが勢いよく立ち上がった。眼光鋭く目の前の頑固者を睨んだかと思うとくるりと背を向ける。
「なんか食い物を買って来ます」
「は……はぁ……あの、まだ食べるんですか?」
「口になんか詰めてないと大声で喚き散らしそうなんで」
こうしてジェシカはまた太っていく。
頑固で変わり者の大切な医者のせいで。
十分後、三つもパイを買ってきた看護婦は八つ当たり気味に女医の口にそれらを押し込んだのだった。