第34話 Nightingale
ロザリタははじかれたように顔を上げ、レヴィが指さす窓を見た。
黒煙が立ち上って炎が見える。
換気の為に開けていたそこから、熱をおびた風が入ってきた。
「避難して! 動ける人は怪我人に手を貸してあげて!」
ロザリタの声で、玄関ホールに集まってきた者達はざわめきながらも怪我人を庇いながら屋敷から逃げ始めた。
ジェシカが叫ぶ。
「先生やばい、この屋敷は風下だ、すぐに火の手がまわる!」
「治療途中の人を置いて逃げるわけにはいきません」
毅然とした声で言ったロザリタにジェシカは泣きそうになった。
二階のからレヴィが飛ぶように駆けおりてくる、なぜか背に枕をくくりつけていた。
「せんせー! ほうたい!」
ニコッと笑って作った包帯の箱を差し出したレヴィの頭をロザリタは撫でた。
「ありがとうレヴィ。ラングが調理場でお湯を沸かしているから迎えに行きなさい、お兄ちゃんを見つけたら二人で水をかぶってすぐに河のほうへ逃げて」
「先生は?」
「すぐ行くわ。ほかの手伝ってくれている人達にも伝えてね」
「わかった」
レヴィが頷いて走り出す、と思ったら、突然立ち止まりクルリとロザリタに顔を向けた。
「せんせい、あたしとおにぃはおんがえしできた?」
その言葉に、ロザリタの胸が熱くなった。心臓の奥がザワリとして、唇が震える。
「ま、まだよ! 全然……だから、また診療所にいらっしゃい! 絶対に!」
「はーい」
またねー、と言って、レヴィは今度こそ兄の元へと振り返らずに走った。
梅雨明けの爽やかな夏風が、火をあおってどんどん火災の規模を大きくしていった。
ジェシカの言う通り、火の粉はすぐに燃え移り屋敷の中には黒い煙が立ち込めはじめる。
流れ弾に当たって怪我をした女性の包帯を巻き終わると、意外なことに最後まで残ったスチュアートが患者を背負って悲鳴をあげる。
「行くからな! 僕は、逃げたのではなく、患者を運んだってしっかりと記憶しておくように!」
「早く行けバカ!」
煙が濃度をまして、息がくるしくなってきたなかで、ジェシカはスチュアートを蹴り飛ばしながら急いで口をふさいだ。
「先生! あたし達が最後です!!」
火があちこちに飛び火してガラガラと何かが崩れる音が聞こえてくる。
「先に行って下さい!!すぐに行きますから!!」
「はぁ?! 何言ってんですか!?」
そのとき、ドーンと玄関ホールのシャンデリアが崩れ落ちてきた。
咄嗟に頭を庇って外に逃げたジェシカが顔を上げた時には、ロザリタの姿はどこにもなく、バラバラに砕けたシャンデリアの残骸だけが燻ぶる火の中にあった。
崩れた玄関ホールの向こうに取り残されたロザリタは残っていた薬をかき集めていた。
ないよりはずっとマシと言える量をカバンに押し込んでいく。
すぐ近くでバリンと、炎の熱気で窓ガラスが割れた。それを待っていたかの様に外からの酸素を喰った炎がごうごうとうねりをあげる。
(潮時だわ)
最後の薬をポケットに突っ込んで、ロザリタはカバンを抱えて部屋から出た。
ほんの少しの時間だったのに、炎が壁や天井を舐めるように燃え広がっていて、正面玄関は瓦礫にふさがれていた。
(裏口……)
煙が目に染みる。
荷物を抱えて頭を伏せながら火に飲まれないに走ったが、昨夜からずっと休まず動き続けていたロザリタの身体は限界に近かった。
ドーン、ドーンと屋敷の中では重たいものが倒れる音がしてその度に天井からパラパラと木屑が落ち、ミシリという音を立てて、天井が落下してきた。
反射的に立ち止まったロザリタを何かが突き飛ばす。
「この馬鹿医者!」
ジェシカだった。
庇うようにロザリタに覆いかぶさった大きな身体の向こうで、太い大きな梁がロザリタがひっしに持ち出した薬カバンを下敷きにして燃えさかっている。
「薬が!」
「そんなのいいから!!早く!」
苦い顔をしたジェシカが担ぐようにロザリタを連れ出した。
「ジェシカさん! 戻って! 薬がないと……」
「なに言ってんの?! 先生のほうが大事!」
屋敷の中は火の海だった。すでに人が通れるようなスペースはほとんどないなかを、ジェシカは強引に突き進んだ。
裏口にやっとたどりついたとき、炎をまとった瓦礫が二人に降りそそぐ。
バキバキとひと際大きな音がして家が傾く直前、ロザリタとジェシカが間一髪で屋敷から抜け出した。
「勘弁してよ! マジで死ぬとこだったんだから!」
ジェシカがぜぇぜぇと喘いだ。
屋敷全体が轟々と燃え盛って崩れ落ちていく。
地面に座りこんだロザリタは呆然と炎を見上げて、呟いた。
「モランは……灰になってしまうんですね」
他の遺体も運び出すことは出来なかった。
「生きてる人間第一主義のくせになに言ってるんですか」
これでよかったと、ジェシカは心から思った。けっきょく、あの焼死体の中にエルがいたのかはわからずじまいで、それはロザリタにとって悪くないことなのかもしれない。
「ごめんなさい」
震える声で女医が言う。
「ごめんなさい、薬も燃えてしまった……もう……」
「なに言っての」
ジェシカが喘ぎながら笑う。
「薬があったって、先生がいなきゃ元も子もないっつの。そういうこと、ちゃんと考えて下さい。なんの為に皆こんな時に手伝いに来たと思ってんだ……アンタが大事だからだよ」
実際、頼んでもいないのに診療所の手伝いに駆け付けた者が大勢いた。
屋敷に火の手が回っても、誰一人怪我人を置いて逃げた者はいない。それはいままでロザリタが街の人々にしてきた事だった。
「これまで馬鹿みたいに助けてきた甲斐があっ……ゴホッゴホ!」
ジェシカが呻いて咳き込んだ。
慌ててロザリタが背中を擦ろうと伸ばした手が触れた途端、ジェシカは小さく悲鳴を上げる、ロザリタの手にねっとりとしたものが触れた。
木片が突き刺さり、皮膚が焼けてめくれていたジェシカの背中があった。
息を飲んだロザリタの目の前で、崩れる様にジェシカが倒れた。
「ジェシカさん!!」
「ははっ、なんかこんなこと、前にもありましたねぇ」
乾いた声でジェシカが笑う。
ロザリタは慌ててポケットをまさぐった、一つだけ持ち出すことができた消毒液。蓋をあけようとすると、ジェシカの丸い手が弱弱しくロザリタを止めてきた。
「ダメだろ……それはさ、患者のために使わなきゃ……あたし達の患者に」
消毒瓶を持つロザリタの手が震えた。
ジェシカの言わんとしていることがわかって、だからそれ以上聞、きたくなかった。
「あたしは大丈夫……ちょっと煙を吸って、動けないだけ……だから早く、先生は患者のところに……」
ジェシカは患者じゃない、あくまでロザリタと一緒に人を助ける側の人間だ。
どんなときだって、そうしたい。大事な彼女の先生がそうであるように。
「あたしだって看護婦なんだ……」
ガラガラと崩れる音と一緒に火が勢いを増して辺りをのみこんでいくさまに、ジェシカが舌打ちする。
「くそっ、こんなとき、エルがいりゃぁな……先生担がせて、とっとと行かせるのに」
エルの名前にロザリタの顔が強張った、それを見てジェシカが笑う。
エルの言うとおり、ロザリタにはジェシカのような人間が側にいないと苦労するだろう。
「先生……、アンタ、身内によ、わ……」
「ジェシカ!!」
眠りにつくようにまぶたを落としたジェシカの腕を取って脈を確かめる。煙をすって気絶したようだ。
(傷はそれほど深くない、脂肪が盾になってる)
握り締めた消毒液を見つめる。
(薬がたりない、消毒液も、なにもかも……)
たとえ、ジェシカの言うとおり、彼女に使わないとしても、こんな小瓶、すぐになくなってしまう。
(なにか、なにか他に……薬、せめて痛み止めだけでも……)
パッと、ロザリタの頭のなかに光明がさした。
「痛みを……止める」
あるじゃないか、それも売るほど。
「カポネの麻薬」
ロザリタは顔をくしゃくしゃにして、白衣を脱いだ。炎が唸りを上げて、辺りを真昼の様に照らしていた。




