第33話 Luciano
谷底から転げ落ちるトリナクリアの秩序はあっという間に失われた。
暴力と金がルールだった街は無法地帯となって、強者も弱者もない。
サルバトーレ・ルチアーノが長年かけて作り上げた秩序はなくなってしまった、木端微塵にされたのだ。
愛おしい自分の一家と同じように。
ルチアーノは葉巻をくわえて、燃えさかる事務所を見上げた。
火の中には自分に付いてきて人生を捧げた男達が未だに炙られ続けている。
「それで、無事だったのはお前だけか? 揃いも揃って、焼かれちまうとはどういうわけだ?」
弔いのように煙を吐き出したルチアーノに、煤けて赤らんだ顔に涙を浮かべて、入り口の見張り番をしていた少年が、嗚咽を堪えて頷いた。
「なんとか数人は運び出して……息のあるヤツは診療所のドクターの所に……ただ、誰が誰やら分からなくなって」
少年はグシャグシャと頭を掻きむしった。
「俺にもどうしてこうなったかわからねぇんです! モランが帰ってきて、それでドミニク・トムと残ってた兄貴達が話をするって言って……俺はまた外の見張りに立って……したらいきなり事務所が爆発して」
「モランが帰ってきただと?」
ルチアーノは荒々しくオウム返しに尋ねた。
「親分に話があったみたいで……」
「カポネをやって、無傷で帰って来たっていうのか? 無事でいたならなんで何日も雲隠れしていた? その馬鹿を事務所に入れたのは誰だ? なんの為の見張りだ? あぁ?!」
「す、すみません! でも……ぎゃっ!!」
動かなくなるまで少年を蹴り潰したルチアーノは、判別のつかなくなったボコボコの顔に唾を吐き捨てた。
「カポネ狩りだ! あの野郎殺してやる!」
折れた右手を庇いながらラングの妹レヴィは、左手だけでふわふわの枕から肌触りの良い枕カバーを器用に引き抜いた。
(これは、あとでもらえるかな)
お手伝いの駄賃として、レヴィが使ってもいいか、先生に聞いてみよう。
空に浮かぶ雲の様な柔らかい枕で寝たら、きっと天国にいる気分になれるはずだ。
枕を誰に見つからないようにベッドの下に隠したレヴィは、集めた布を持って寝室を出た。
今朝早くから街のあちこちで始まった銃撃戦で、兄はレヴィの手を引いてすぐに診療所に走った「怪我もしていないのにどうしたの?」と聞くと、兄は真剣な顔で「先生を手伝うんだよ。いまこそ受けた恩を返すんだ、矜恃のあるやつは、きっとそうする」と言っていた。
優しい女先生はレヴィも好きだったので手伝うのはちっともイヤではない。
先生の側にいれば怪我をしてもすぐ治してもらえるので安心だ。
「あぁ、レヴィまた持ってきてくれたの。」
広い広い、どうしてこんなに広くする必要があるのだろうというほどに広い屋敷の一部屋に、山積みになったシーツやカーテン、テーブルクロス、はてはネグリジェを丁寧に切り裂いて包帯に変えていく作業をしていたおばちゃんたちが、こっちにおいでとレヴィを手招きした。
「作った包帯を箱に詰めて、先生のに持っていっておくれ」
「わかった」
「手伝いに来るなんてあんたら兄妹を見直したよ。運び込まれてわめいている馬鹿共に、爪の垢でも煎じてやりたいね、先生の仕事を増やして」
レヴィは真剣な顔でうなづいた。
「恩返し。おばちゃんも恩返し?」
「下宿の不良看護婦がうるさいからね。それに先生にはなんだかんだで世話になってるし」
このおばちゃんたちもキョウジがあるようだ、とレヴィは関心しながら、包帯をつめた箱を片手で持ってロザリタを探した。
(あかいかみ、あかいかみ)
廊下や他の部屋にいるのは血の赤ばかりで、あの力強い赤じゃない。
すると玄関ホールからひと際大きなざわめきが上がった。
(あっちかな)
二階の吹き抜けから顔をのぞかせると、大人たちが大火傷をしている患者を運び込んでいた。
「あ、せんせい」
ざわめく大人達の中で、ひるがえる唯一の赤を見つけると、同時にレヴィの目の端に違う赤をとらえた。
「息のある奴だけ運んだ! 誰がドミニク・トムかわからないんだよ! とにかく助けてくれ!」
ルチアーノ一家の若い男がロザリタの白衣の裾をつかんで懇願する。
運び込まれた数人を確認したロザリタは首を横に振った。
「死んでいます」
「せめて誰がドミニク・トムか分かんねーのか?! 親父になんて言えば……」
「すいません、検死は後日に」
次の患者にいこうとするロザリタに、ルチアーノ一家の若い男が強引に引きとめて、怒鳴った。
「今見ろ!!こっちが優先だ!!オジキの死体も分からねえなんてどの面下げて言えると思ってんだ!」
ロザリタに掴みかかる男を苛々したようにジェシカが突き飛ばした。
「誰のせいで街中こんなになってると思ってんだ!!さっさと出てけ!!誰かコイツ追い出して!!」
「おい、コラ!離せ!!ぶっ殺すぞ!!」
怪我人を運ぶのを手伝っていた街の人間達がルチアーノ一家の男を羽交い絞めにして、外へと連れて行ったのを見送ってジェシカは鼻息荒く悪態をついた。
「元気な人間にようはねえよ! 怪我してからきな! ねぇ先生!……先生?」
ロザリタがルチアーノ一家の男が運び込んだ遺体のひとつを凝視していた。正確には遺体のとある一点を。
「先生? なにして……まさかそいつ生きてるんですか?!」
「この傷跡」
腹部であろう場所にかろうじてわかる縫合跡。見覚えのある、ありすぎるソレに動揺を隠しきれない。
「……モラン?」
「なんだって?」
ジェシカが目を瞬かせ、絶句した。全身の火傷で判別はつかないが、ロザリタが自分の手術の後を見間違う筈が無かった。
ジェシカは残りの運ばれた遺体に目をやる。
モランがこうなってしまったなら、一緒に出て行ったエルは?
並んだ、誰かも分からない、このなかの誰かがエルだったら?
「せ、先生……患者が待ってます。あとでゆっくり供養してやりましょう」
ジェシカがロザリタの細い腕を掴んだ。無理にでも離さないと。
ロザリタは動かなかった、焼けただれたモランを見つめて目から大粒の涙が零れた。
「だから……行っては駄目と言ったのに」
引きとめればよかった。もっと、違う道があると、彼に示さなければいけなかったのに。
ロザリタの弱々しい声を聞いて、ジェシカは膝から力が抜けそうになった。
「せん……」
「かじだよー!!」
吹き抜けの2階部分から顔を出したレヴィが大きな声で叫んだ。
「あっちのおやしきから、ひがでてるよー!」




