第26話 Thank you
ロイに、荷物のように引きずられているのは警官のオスメニアだ。
「オスメニアさん!」
「おぅ、先生……無事か。まったく、連れ込む男は選んだほうがよかったな」
鼻血を流しながら、ギロリとオスメニアがエルを睨み上げる。
「タレコミがあったぞ、アンタが連れた優男が、カポネそっくりだってな。余計なお節介で来てみればこれだ……金にならんことはするもんじゃないな」
リーがオスメニアのハゲかかった頭を乱暴に掴み上げた。
「言ったのはどこの誰だ?」
「お前さんがた、この街のルールがわかってねえな。警官にモノを尋ねるときにゃ金をもってくるんだぜ」
「検討はついてる」
微笑んだエルがオスメニアに銃口を向ける
「ウチのカモだろう? ミシュリアーノ。僕の不興を買ったと思って警察に泣きついたんだ」
オスメニアが舌打ちをした。
エルが笑う。
「腐敗の警官にはご退場願おう」
「やめて! 殺さないで!」
拳銃の撃鉄を起こしたエルの腕にロザリタがしがみつき、叫ぶ。
「エル!」
「ローズ」
銃を持ったままの手で、ロザリタの腰を抱き寄せ、耳元でエルはささやく。
「キスして」
甘えるようにねだられてロザリタは目を丸くした。
(どこまで残酷なの……)
今、このときにロザリタを求めるなんて。
(イヤ)
ロザリタの目から涙が溢れた。
(こんな触れかたはイヤ)
いつの間にか芽生えていた感情。
吹けば散ってしまいそうな、小さな花のような。
それでも、たしかに芽生えた感情。
それを、目の前の命と秤にかけて。
ロザリタはゆっくりとエルに顔を近づけた。
ムーンストーンの目にうつる自分を認めて、目を閉じる。
悲しいくらい優しくて、温かい唇に触れた。
柔らかくて心地の良い感触に背筋が粟立つ。
添えられた手も、服越しにピタリとくっつく身体も、愛おしくてイヤになる。
麻痺しかけた頭の片隅で、銃声が鳴った。
パッと身体をはなし、硝煙のあがる銃と血を流す警官を呆然と見下ろす。
「なぜ……? なんで撃ったの?! エル!!」
オスメニアへ駆け寄ろうとするロザリタをエルが痛いほどの力で抱きしめた。
血と硝煙とエルの匂いに包まれてロザリタの目頭が熱くなった。
「酷い、だってちゃんと……」
「キスしてくれたら撃たない、なんて言ってない」
不満を持った声が皮膚を通して直接身体にひびく。
「ローズ、キミの男は傲慢で欲深く、残酷でエゴイストだ。誰かの為にキスなんてしたらいけない。分かったなら、もう一度」
長い指先に、顎を取られる。
今度は恭しさすら感じるほどもったいぶって
吐息で唇を湿らせ、柔らかさを楽しむようにそっと触れてきたかと思えば
濡れた舌に刺される。
甘い毒を注がれたように、ゾクゾクとエルの熱が、無防備な粘膜を犯していき
ロザリタはたっていられなくなった。
くたりと、力の抜けたロザリタの頭を、あやすように撫で、病室のベッドに腰かけさせたエルが蠱惑的に耳元でささやいた。
「これから僕の仕事ぶりをみせてあげる」
名残惜しそうに身体をはなしたエルと、リーから真新しいジャケットと帽子を手渡され、慣れた動作でそれを着込み、襟を正す。
たったそれだけなのに、男の雰囲気がガラリとかわった。
診療所で世話になるいかがわしくも気のいい青年から、鋭く居丈高な、マフィアの頭目のソレがむき出しとなる。
「さてと、腹に鉛玉ぶち込まれたのは実に久しぶりだった。心配かけたね、家族たち。またこうして可愛い兄妹子分と会えて嬉しい。さて……モランくん」
それまで蚊帳の外に置かれていたモランにエルは微笑んだ。
「キミには色々世話になったね、じつに見事な手並みで僕を陥れてくれた。キミたちの行動は雑で穴だらけ、綿密さもなにもない、じつにお粗末なものだったが、だからこそ僕は油断してしまった。早速落とし前をつけたいところだけれど、キミからは面白い話が聞けたし、枕を並べたよしみだ……どうだろう、僕と来ないか?」
モランは最初、言われた事がよくわかっていないようだった。
口を数度パクつかせた後、奇妙な声がやっと出ただけだ。
リーが呆れたように言った。
「カポ。コイツは公開処刑です、仲間に迎え入れるなど到底……」
「彼は役にたつよ、なにせルッチの内情も知っているし、成金ブランド野郎が一枚噛んでいることも僕に教えてくれた。どうだろうモラン、悪い話じゃないと思うけど」
モランは怯えていたが、突如提示された未来に縋りつきたいことを隠しきれていなかった。
「おっ、俺はルチアーノ一家の幹部に……」
「ルッチは助ける気は無いだろう、この数日キミたちを探して動きまわっていたのはウチだけだ。切り捨てられたね、モラン」
同情の眼差しを浮かべてエルは手を差し伸べた。
「カポネを追い詰めたキミをあっさり切り捨てるルッチに義理があるかい? キミはもっとデカイことができる、そうだろう? 僕とくれば、相応しい場所を用意するよ」
エルの声音には得体のしれない奇妙な、身体の奥の底から何かが湧きあがるような魔力があった。
モランがエルの手を取る。
まるで、患者が医者に助けを求めるような光景。
モランの顔は青褪めていたが、目はどこか興奮したように煌めいている。
呆然としていたロザリタの頭の中で警鐘が鳴った。
「モラン……駄目、行っては駄目」
モランにロザリタの声は届かなかった、彼は振り返ることもせず、痛む身体を、ロイとバルサに連れられて出て行った。暗闇の中に消えていくモランの背中にロザリタは叫んだ。
「モラン!戻ってきて!」
「そんな心配してやることはない」
エルが肩をすくめた。
「アイツも悪党だ。ヤツら、どうやって僕を殺そうとしたか知ってる? ウチの売人をたらし込んで、薬を横流しさせたんだよ。僕はそういうことは許さないから、必ず売人を殺しにやってくると踏んだ。結果は先生も知っての通り、僕は売人を制裁したあと、待ち伏せしたモラン達に撃たれた。モランはね、僕を殺す為だけに哀れな子羊を生け贄に捧げたんだよ」
生贄の子羊、という言葉にロザリタは動揺した。
「それは……」
「用水路の死体はカポネファミリーの麻薬売人。彼を殺したのは僕だ、時期をみて目立つところに投げてこいとウチの連中に命じておいた」
エルはロザリタから視線を外して血を流して倒れる警官を見た。
「警官さんがもし生きていたら、教えてあげるといい。腕のいい医者なら、助けられるかもね」
試すかのように笑ったエルに、ロザリタは歯を食いしばった。
(私が、オスメニアさんを見捨てられないのを知ってて……!)
リーが躊躇いがちになにかをエルに耳打ちした。
エルは名残惜しそうにため息をつき、帽子をとってロザリタを見つめる。
「……僕はいつ死んでもいいと思ってた。だから撃たれて、死ぬと分かっても……死に際のみっともないところを家族に晒さないようにすることで精いっぱいだった。誇りだけが僕の生き甲斐……だけど先生に逢って……僕は変わった。生きたい、明日も生きて先生に逢いたい……だから、それを邪魔するモノをすべて滅ぼそうと思う」
どんな手を使ってでも――
「僕を助けてくれてありがとう」
最上級の紳士の礼でガブリエル・カポネは心からの感謝を伝えた。
「また来るよ、今度はあんな地味な花なんかじゃなくて、先生に似合う薔薇の花を贈るから、待っていて」
そう言って、エルは仲間が待つ闇夜の中へと姿を消した。
突如として急襲したマフィア達は、嵐のごとくロザリタの心を荒らし、大きな爪痕を残して、診療所から出て行った。




