第17話 Watershed
意識アリ。
手足のしびれなし。
左右の瞳孔の大きさ、違和感なし。
呼吸音、正常。
聴診器を首にかけたロザリタは力強く頷いた。
「問題ありません」
路上に寝かされたままの貴族の男が尊大な態度で語気を強める。
「そんなわけあるか、よく診ろ、血が出ているじゃないか」
起き上がって、よくみろと擦り傷を見せてくる貴族を無視し、ロザリタは紙にサラサラとメモを書いて、押しつけた。
「ご自宅に医者がいらっしゃいますね? そのかたが事故を聞きつけてやってくるまで動かないで下さい。メモはドクターに渡して、では失礼」
見物人が止めるのも聞かず、ロザリタは踵を返して花売りの兄妹のところに戻った。
怪我をして眠っている妹を、目元を真っ赤にしながら心配するラングに、ロザリタは顔を歪めた。
「ごめんなさいラング、あちらをさきに診ておかないと煩いから。レヴィは大丈夫よ、骨折はしているけど脳震盪を起こしているだけ」
「のう……?」
「気絶しているってこと、添え木になる物はあった?」
「これでいいかな」
エルが布に包まったナイフを差し出す。
ラングがアッと声を上げて自分のポケットを確かめた。
さっきまで握りしめていたモノが無くなっている。
「いつ……?」
遮るように貴族の罵声が飛んできた。
「おい! 私はどうなる!? 怪我人だぞ!」
ロザリタはまったく聞こえない風に、ナイフを添え木にしてレヴィの右手に包帯を巻いた。
女医の態度は、礼儀知らずどころか医者として最低の振舞いだと、顔を赤くして貴族は叫んだ。
「金か!? 命を商売にしおって貴様!」
喚く声を徹底的に無視して包帯を巻き終えたロザリタはエルに顔を向けた。
「エル、レヴィを運んでくれる? 一応診療所に連れていくわ、いいでしょうラング」
「う、うん」
少年を促して立ち去ろうとするロザリタに、貴族は唾を吐く。
「このヤブ医者が! 後悔させてやる!」
罵声に、幼女を抱えたエルがピタッと身体を止め、貴族を振り返る。
氷のように冷めた相貌、視線にとらえた者を恐怖に突き落とす鋭い眼光。
一度顔を見れば忘れられない、記憶のなかの畏怖の男とピタリと面影がかさなって、罵声主は震えあがった。
「エル」
たしなめるようにロザリタに名を呼ばれても、エルは睨みつけるのをやめない。
「エル、おねがい。ここでレヴィが目を覚ましたら可哀想だわ」
細い手にそっと肩を触れられて、エルはようやく感情の矛を収めた。
人垣を割り、去っていく街医者たち。
それを震えて見つめる貴族を、野次馬たちは好機の目で見つめていたが、やがて飽きて、バラバラと自分の生活へと戻っていった。
「閣下! ミシュリアーノさま! あぁ、良かったご無事で」
そんなときだ、ヒイヒイと息を荒げて、ピカピカの診療カバンをもってお抱えの医者がかけつけたのは。
「遅れて申し訳ございませ……閣下?! お顔が真っ青ですよ!」
「あ、あ……あの女はなんだ?!」
ミシュリアーノからは血の気が引いていた。
元から悪い顔色が死人のようになっている。
「あの! 女の医者は?! なぜ、ヤツが一緒にいる!?」
「女の医者?」
「赤い髪の……メモを寄こしたぞ! コレだ!」
「おお! ドクター・コフレドール!」
医者は天を仰いで雇い主からメモを分捕った。
「誰だ?! どこに住んでいる?! 何者だ?!」
「変わり者の貧乏街医者ですよ」
ただし、この辺じゃピカイチの。
そう胸中でごちながら、医者はメモを読んだ。
『内臓疾患の疑いあり、口臭に注意されたし』




