第13話 lovesick
「この世界は平等じゃない」
エルの吐息がロザリタの唇をくすぐる。
「昨夜だって、柔らかいベッドの上でぬくぬくと寝息を立てるじいさんの屋敷の裏路地で女の子が強姦されて殺されたそうだよ、どちらも命に違いはないのに、決定的に同じじゃない」
「なにが言いたいの……?」
ロザリタはほとんど喘ぐように囁くしかできなかった、エルのまつ毛がロザリタの前髪に触れそうなほどに近いこの距離でしっかりと唇を動かしたら触れるべきでないところが触れてしまいそうで怖かった。
「でもキミはこの決定的に違う両者を等しく扱うことができるんだろう? 神にもできないことがキミにはできる、恐れずに胸を張って」
「等しくは扱えないわ」
絡めとろうとしてくるムーンストーンの目から視線を外し、背をしならせたロザリタはようやくこれはあまりよくない距離だという危機感を持った。
「老人と若者ではそもそも体力の違いが……」
「キミは気高く傲慢な人だ、ローズ」
細い腰を抱く手に力を込めてエルは逃すまいとさらに身体を寄せてきた。
「僕の赤い薔薇。キミを愚かだと嘲笑った罪を許しておくれ」
ロザリタの口元が引きつる。
「き、気にしないで。医者ってみんなどこか変わったところがあるのよ」
「僕も変わり者だとよく言われる、似た者同士できっとうまくいくさ」
「ちょっと放して……」
「これは運命だよ」
両手でエルの身体を押し離そうとしてもロザリタの力ではビクともしなかった。先程の喧嘩といい、目の前の男は数日前に重傷を負ったとは思えないほどの頑丈ぶりにロザリタは初めて患者の身体強度を恨んだ。
「なのね、エル。よく聞いて。私はなんでも拾ってくるの、犬でもちょっと変わり者の男でも、怪我をしている生き物はよく拾うのよ。だから……」
「僕達が出会ったのは運命なんだ」
違う、自分の悲しいサガだとロザリタは泣きたくなった。
「僕はキミに出会うために生まれてきたんだよ、僕はキミの傲慢が理解できるし、キミもきっと僕を理解できる」
「ねえ、さっきの喧嘩で頭を殴られた?」
意識障害かもしれない、そうであって欲しい。
しかしすぐそこにある熱を帯びたエルの目はしっかりと焦点も定まっていて、うすら寒い睦言を吐く声はハッキリとしていた。
極めつけには蕩けるような甘い笑顔は血色良好で急病人とはほど遠い。
「景色の綺麗な場所に僕達の診療所を建てよう。キミの赤い髪が映えるように壁は白にして、庭ではハーブを育てる。そこで咲き誇る一輪の大輪の薔薇がキミだよローズ」
エルの薄い唇がゆっくりとロザリタに近づいてくる、背をしならせても腰に回った腕のせいでそれ以上は逃げられない。
高い鼻先がロザリタの頬にスリっと触れてそこからゾクゾクとした甘さが背筋に走り身体中が感電したようにビクンと勝手に跳ねた。
(ダメ、ダメ、ダメ!)
理性が激しい警告をいくらがなり立てても男の身体を突き飛ばせる腕力がいきなり発揮されることはない。
「好きだよローズ」
「まっ……」
拒否は最後まで言うことができなかった。
「テメエなにしてやがんだこのスケコマシがあああああああ!」
警察に連行され、やっと帰ってきたジェシカがエルに向かって渾身のタックルをおみまいしたからだ。
赤い髪が衝撃で巻き上がりエルの身体が吹っ飛んでカウンターの上を転がって向こうへと消える。
「あたしをサツに売っといてその隙に先生にツバつけようなんざいい度胸じゃねえかぁ!」
「ジェ、ジェシカさん落ち着いて……!」
「離してください先生! コイツ、半殺しにして男娼屋に売ってやる!」
「落ち着いて!」
怒れるジェシカを宥め。昏倒したエルを病室のベッドに寝かしつけ、ロザリタはエルがおかしくなってしまったことを事細かに彼女の右腕である看護婦に相談した。
「意識障害とは違うみたいなんです、薬物かしら? いまさら何らかの副作用が脳に出てしまったのかも」
「先生、そいつは誤診ってやつだと思いますよ」
ジェシカは忌々しそうに断言した。
「アイツは古今東西、大昔からある難病に罹っちまったんです」
「そんな病気が?! 医学書に乗っているかしら……病名はわかりますか?!」
「恋です」
その日、ドクター・コフレドールは匙を投げた。病と名のつくものに闘わずに敗れた、彼女の完全なる敗北だった。




