第12話 There Is No Rose
「いたたたた、もっと優しく扱ってくれないか先生」
血がにじむ口元に消毒液をたっぷり浸み込ませた脱脂綿を押し付けられて文句をのたまうエルにロザリタは鼻息荒く怒った。
「貴方なんてこれくらいで充分よ、まったくなんてことをしたの! 修道士様に殴りかかるなんて!」
ロザリタは消毒液でひたひたになった脱脂綿で乱暴にエルの傷口をポンポンした、つい先日大怪我をしたばかりでまだ治りきっていないというのに、喧嘩など言語道断だ。
「ジェシカさんだって暴れていたじゃないか、なんで僕にだけそんなに怒るのかなぁ」
「エル、自分の立場が分かっている?」
雨の夜、三大マフィアの一強であるカポネを襲撃した……かどうかは実際のところまだよく分かっていないが、カポネファミリーが下手人を探し回っていることは街中の誰もが知っていて、騒ぎを起こせば見つかる危険が高くなる。
「呆れてものが言えないわ、もしバレたらどうするつもり? この街では警察も汚職まみれよ、見つかったら売られちゃうんだから」
「だからちゃんと隠れたじゃないか」
「ジェシカさんに全部なすりつけてね、帰ってきたらきっと半殺しにされるわ」
「そうしたらまた治してくれるんだろう?」
さらりと金色の髪を揺らしながらヘラっと笑う男には確信があった。例えどんなに呆れられても必ず彼の先生は治してくれる。
言い返せなくなったロザリタはムッとして、せめてもの抵抗で腕の傷に絆創膏をパシンと軽く叩き張った。
「痛っ」
「あんまり調子に乗ると、怪我をするのが金輪際イヤになる方法で治療をするから覚悟なさい」
「怖いなぁ、僕にもあの女の子のように優しくしておくれ」
アリーのことだ。
「これからどうするのか先生も混ざって話していたけれど、大丈夫そう?」
「手術はもちろんするわ。お父さんは渋ったけれど最後には納得してくださったし……」
石工技師のメイスンは昔堅気の頑固者で信心深い男だが、娘への想いは本物で、父親自身子供の病気を受け止めきれずにいただけだ。
「どうすることがいいのか、本当は分かっていたけれど感情が追い付かなかったのね」
「魂なんてものは存在しないんじゃなかったっけ?」
「感情は別よ、私達の脳が感覚器官を通して受け取った刺激を元に思考が作られていくの。それぞれの成育環境や感覚器の精度によって異なるけれど、そうして発達した思考によって……」
「僕の先生は小難しい話となると饒舌になるようだ」
そっと、エルの手が伸びてロザリタの腰まである長い赤毛をひと房すくいとり、恭しく唇を当てた。
まるで隷属の誓いでも立てるような仕草に感情と思考の区分の説明をしようとしていた女医の心臓が跳ねる。
毛先に唇を当てたまま、エルの目が乞いねだるようにロザリタを見つめた。
深い夜の月明りのように、どこか危険で微かな仄暗さを持つ月光の魔力で身体が動かない。
呼吸すら慎重に吐かないと囚われてしまいそうだった。
エルの口元が薄く歪む。
「教会の後ろについているのはブランド・オブ・コーザノストラだ。かなりの癒着で修道士の横暴の揉み消しもやっている。今日のことを報告したらきっと診療所にも仕返しがくるだろう」
「え、あ……」
「安心して、僕が先生を守ってあげる」
クルリと、エルはロザリタの毛先を自分の指に巻き付けた、まるで宝飾品を愛でるようにうっとりと髪を撫でエルにロザリタの鼓動がますます速くなっていく。
「て、鉄砲魚に、そんな期待はしていまいせん」
「なかなか人に進化させてくれないのは、男としての僕が怖いから?」
ヒュッと喉が鳴った。胃の腑がストンとどこかに落っこちてしまったような喪失に血の気が引いていく。
「患者を怖がる医者はいないわ」
「キミのその線引きに付き合ってあげる気はないよ、ローズ」
絡ませた髪に愛おしそうに唇を当てながらエルのムーストーン色の目がロザリタを捕えようとしてくる。
鋭利な光を帯びる視線にどうしていいかわからず顔をそらすと、許さないとばかりに髪を引っ張られた。
「エル、なんだか変よ」
「命の無常を語るキミはとても素敵だ」
ゆっくりと首を傾げてエルは面白そうに笑う
「僕も同じことをずっと思っていた。魂なんてこの世の中じゃなんの役にも立たない。命はひとつでいつか終わりがくるのに肝心の神は命に関われない。けれど僕らは違う、それが真実だ。僕はキミを他の誰よりも理解してあげられる」
固まるロザリタの腰にエルがするりと手を添えた、お互いの体温が感じられる距離、熱を持った吐息が肌を湿らせる距離に、硬直がさらに増すロザリタを見つめてエルはクスクスと笑った。




