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第10話 There is no god 2

 エルが何事かと振り返るのと、ロザリタとアリーが診察室から顔を出したのは同時だった。


「ジェシカさん、トラブルで……」


 聞く必要などなかった。

 ロザリタが待合室へ行くとそこにはトラブル以外のなにものでもない異様な光景が広がっていた。

 酒場を改築した待合室ではメイスン夫人を取り囲んでいる教会の修道士と仁王立ちとなって夫人を守ろうと修羅の形相のジェシカが今にも取っ組み合わんばかりに睨みあっている。 

 目を瞬いたロザリタは引っくり返った声を出した。


「な、何事?! えっ、ちょっ、駄目よ! お布施の催促は断って!」


 恥も外聞もないロザリタに後ろからついてきたエルが思わず噴き出したが、ジェシカはそれどころではなかった。


「先生、こいつらアリーを連れていくつもりだ! 教会に監禁するって!」


 修道士の一人が横柄に言った。


「無礼な言いがかりを! 保護だと言っているだろう! 子供を閉じ込めようとしているのはそちらではないか!」

「なんだとこの坊主共っ!」

「ジェシカさんちょっと待って、修道士さまに失礼ですよ」

「でも先生……」


 ロザリタはジッとジェシカを見つめた、それだけで女医が何を伝えたいのか分かったジェシカは唇を噛み、黙ってメイスン夫人の前でさらに不動の姿勢を強くした。

 ロザリタが赤い髪をばさりとかき上げる。


「それで? これは何の騒ぎです? ここは病院ですよ、喧嘩できるほど元気があるかたは来ないでください」

「娘を返せ!」


 修道士たちをかき分けて中年の男が声を上げた。栗色の目の、どこか職人気質を漂わせるのはアリーの父親だ。


「アリー! こっちにこい!」

 父親の怒号にアリーが怯えを見せると夫人を取り囲んでいた修道士が慇懃な咳ばらいをして宥めにかかった。


「娘さんの事を相談されましてね。話し合いの末、教会で保護する事にしたのです。それをこの野蛮で無礼者な部外者が……」

「うちの看護婦です」

「失礼、野蛮で無礼な看護婦が騒ぎ立てたのです」


 司祭に鼻で笑われたジェシカはふくよかな顔を引きつらせた。

 黙っていろと命じられた手前、口を真一文字に結んで耐えているが許可が降りたらマシンガン並みの罵詈雑言を浴びせてやろうと決意する。

 修道士の物言いにロザリタは眉を潜めた。


「保護とおっしゃられますがなんの名目で保護を? アリーは両親も健在です、孤児とは違いますよ」

「あー……先生?」


 修道士の「先生」には「看護婦」と口にしたとき以上の侮蔑が含まれていることは待合室にいた誰もが感じ取った。

 ねっとりとして薄気味の悪い嘲笑が言葉に形を変えてロザリタに向けられている。


「貴女が仰ったと聞きましたが? その娘の身体に……」

「患者の容体は医者の守秘義務です。修道士が罪の懺悔を胸に秘めると等しく私も他言は決してしません」


 ロザリタの顔つきが険しくなるのとは正反対に修道士はますます笑みを深めていく。

「もちろんです、先生。ですがお分かり頂きたい、教会とはすべからく救いを求める者には手を差し伸べるのです。こちらのメイスンさんはご息女の魂を救いたいと願い我々はそれに応じました。親が子を思う気持ちです。無下にできましょうか」

「全く要点が掴めないのですが」


 辛辣に言い捨てるつもりはなかったが、ロザリタはこの手にはうんざりしている。魂の救済は教会の仕事かもしれないが診療所に運んでいい案件ではない。


「アリーが!」


 メイスンが声を張り上げた。よく見ると彼の目元もやはり赤く腫れ上がっていた。


「あんた娘は死ぬって女房に言ったそうだな! 胸にできた石を取らないといけなくて、でもそうするとアリーは……」


 そこまで言ってメイスンはとても口には出せないというように声を詰まらせる。

 夫のうなだれる姿にジェシカの背に隠れていた夫人がしくしくと泣き始めた。妻の悲しみに押されるようにメイスンは掠れた声を絞り出していく。


「身体を切り刻むなんて、この子は何も悪い事をしていない……こんなに元気じゃないか! もし本当に胸に石があるなら悪魔が取りついているに決まってる!」


 メイスンの叫びに修道士達はこれ見よがしにアリーに祈りをささげた。

 待合室にいた患者達がざわめき、少しの恐れと戸惑いを見せながら最早この場では注視の生贄と化した少女をジロジロと見つめる。

 アリーに注目が集まる中、エルは待合室のカウンターに寄りかかると興味深そうにロザリタを見た。

 ムーンストーンの目には言葉にできない期待に満ちた不思議な色が煌めいている。

 自分自身の言葉に勇気づけられたらしいメイスンは鼻をすすってハッキリとした敵意をロザリタに向けだした。


「そもそもアンタが診療所をやる前はみんな病気のときは教会に行っていたんだ! 娘がそうして何が悪い! そうだろう?!」


 口角泡を飛ばしながら同意を求められた待合室の大半は煮え切らない返事をした。

 具合が悪くなったら教会に行き祈りをささげる、奇妙な女の医者が診療所をはじめるまえのトリナクリアでは日常の行動だった。

 顔を真っ赤にさせて怒りと悲しみに身体を震わせるメイスンの肩を抱き、先程ロザリタに薄気味悪い嘲笑を見せた修道士がわざとらしい憐憫の眼差しを湛えて殊更に善人ぶった笑みを振りまきだした。


「そういうことです先生。ご理解いただけましたら娘を……」



「申し訳ありませんがおっしゃっていることは到底理解できません」

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