第9話 There is no god 1
メイスン夫人が娘を連れて訪ねてきたのは翌日のことだった。
「いらっしゃい、よく来てくださいました」
目元が腫れて赤い母娘をロザリタはできる限り丁寧に迎え入れると少しイタズラを思いついたようにアリーに笑いかける。
「いま、脱臼の患者さんがきているの。これから肩をはめるのだけれど、アリー手伝ってくれない?」
「え? わたしが?」
栗色の目をキョトンとさせた少女の手を取ってロザリタは診察室に連れて行くと、中には岩のように大きな男がエルに抑えつけられて汗だくになって震えていた。
「先生! どこに行っちまってたんだよ! 早く治してくれ! もう痛くて痛くて……」
抑えていたエルが呆れたように顔を歪める。
「女の子のまえで泣き言だなんてみっともない」
「エル、無駄口を叩かない。アリー、彼の背中を抑えていて」
「は、はい!」
アリーの手がおずおずと背中に触れると大男は大げさにギャッと声を上げた。
「いきますよ、せーの!」
ごきゅっと骨の動く音とさらに野太い男の悲鳴が上がった。痛みでブルっと大きく震えた巨体にアリーは息を呑んだが、ロザリタはケロッとした顔で大男の肩の具合を確かめている。
「はい、もう大丈夫。しっかりと7日間安静にして、そのあとは予後の体操行ってください」
「せんせえ、痛み止めくれよぅ」
「これくらいの痛みは我慢してもらわないと。さ、お大事に」
しぶしぶと大きな体を丸めて出て行った男を見送ってアリーはホーっと息を吐いた。
「先生、わたしの手術をするんじゃ……?」
「アリー、治療が怖い、そうでしょう?」
直球の質問に少女の身体が硬直し、腫れぼったくむくんでいた目元にまた涙がたまる。
「……はい」
「そうね、誰だって怖いわ。でも怖いのは無知だからよ」
髪を掻きあげてロザリタはカルテノートをつけた。
「アリー、ここに通って少しずつでいいから色々なことを学んでみない? 時間はたっぷりあるとは言えないけれど、貴女のもつ根拠のない絶望や不安を取り除く時間くらいはある」
(面白いことを言う人だ)
用事が済んで診察室から出ていくエルは二人に背を向ける、ドアを閉めるときに聞いたのは凛として力強い医者の言葉だった。
「貴女の命は私が必ず繋げるから貴女には繋げた先を生きる力を得てほしい」
(そして愚かだ)
この世の中で当たり前のように命の保証をするなんて無責任にもほどがある。
(いや、でも……先生は……)
大雨の日、朦朧とする意識のなかで見上げたロザリタの目を思い出す。
(あれは愚かというよりも……)
ザワっとエルの胸元になにか得体のしれない感情がうごめき出していた。怒りとも悲しみとも違う、かといって愉快とは決定的に種類が違うモノ。
(長くいすぎたかもしれない)
そろそろ潮時か。
(壁の補強をして、先生の寝室スペースを作ったあとに……そういえば窓の締りが悪いって愚痴っていたからそれも直してから……)
あれもこれもと浮かび上がる出て行けない理由にエルは苦笑しながら診療所が補修され住みやすくなるたびにパッと笑顔になるロザリタを思い出した。
(まあ、あと少しだけ)
胸に宿る不思議な感覚にくすぐったい思いをしながら、裏庭に足を向けようとしたとき、待合室の方から騒がしい口論が聞こえてきた。




