老兵の意地
同時刻、ヘージは重たい腰を上げ、河川敷を離れて住宅街へと向かっていた。獣鬼襲来の放送が流れたからだ。ヘージとしては、このまま流れに身を任せて死ぬのもやむなしと考えていた。しかし弟子の顔が脳裏をよぎり、一応の悪あがきはしておこうと思ったのだ。
しばらく歩いていると、すっかり辺りは暗くなっていた。これでは人のいる建物に入ろうとしても開けてくれないかもしれない。しかし、そんな心配は杞憂に終わる。
「なんだこりゃ」
その鼻で笑うかのような軽い声は、目の前に広がる光景に対してあまりにも不釣り合いであった。民家が連なる路地には、大量の血が飛び散り、広い通りに出ると大勢の人が叫びながら逃げ惑い、次から次へと現れる獣鬼に喰われていた。周囲を見ると、民家の玄関はボロボロに突き破られており、隠れる意味などないと思い知らされる。
「あ、やべっ」
ヘージの存在に気付いた獣鬼が三体ほどいた。それらは前方からのっそり近づいて来る。ヘージが久々の恐怖に足を震わせていると、
――バシュゥゥゥン!
鬼穿のバーニアを噴かせ、一人の戦闘員が降りてきた。その若い男は、ヘージの目の前に着地すると、腰のマシンガンをとり前方の獣鬼たちへ乱射した。
「死ねバケモノォォォ!!」
数秒で獣鬼は沈黙。
「大丈夫か、おっさん! ここら辺は危ないから、河川敷の方へでも逃げな!」
若い戦闘員は早口にまくしたてると、籠手のバーニア噴射ボタンを押し、推力走行で街の中心へ向かって駆けていく。そしてすぐに、横から現れた獣鬼とぶつかりバランスを崩して倒れた。若い男の断末魔が暗闇に響き渡る。
「ちっ、これじゃどこにいても同じだろうよ……」
ヘージは忌々しそうに呟き、行く当てもなく歩いていると先ほどとは別の戦闘員の死体があった。ヘージはそれに歩み寄り、開いたままの瞳を閉じさせてやると、その装備に手をかけた。
「ちょいと借りてくぞ」
ヘージは無表情で呟き、慣れた手つきでベルトとブーツを装着した。籠手には興味すら持たない。試しに腰のボタンで各部位の噴射をしてみる。
「あいつら無駄な使い方をしている割には、結構残量あるじゃないか。さて、戦況はっと――」
ヘージは薄ら笑いを浮かべると近くの壁に寄りかかり、インカムを装着して無線を傍受した。少し聞いただけで、戦況が良くないのだと分かる。
「蒼、無事でいろよ……」
我ながら甘くなったと思った。自分がなにをしたいのかさえ見失うほどに。やがて、ヘージの視線の先で戦闘員の死体がゆっくりと立ち上がる。
「アァァァァァ」
同時に、その死体の背後から三体。ヘージの背後から二体。
「アガァァァッ!」
さらに上から一体が降って来る。恐らく、近くの民家の屋根から飛び掛かってきたのだろう。
その個体はヘージの真上から、牙を光らせまっすぐに落ちてくる。しかし――
――バシュッ!
ヘージの右足からガスが噴射され、その体が右へスライドする。標的を失った獣鬼は、頭から地面に激突し頭蓋が砕けた。
「……遅えよ雑魚」
ヘージは普段より遥かに低い声で呟くと、底なしの憎悪を秘めた瞳を獣鬼たちへ向ける。
獣鬼たちはゆらゆらと体を揺らした後、一斉にヘージへと駆け出した。
ヘージは慌てることなく、ベルトに固定された右肩の剣を抜き――
「なんだ、そんなに腹が減ってんのか? いいぜ、たらふく食えよ。老兵の意地と誇りってやつをよぉぉぉ!」
ほんの数秒だった。
計六体の獣鬼は、一瞬にして首を失う。
それが、かつて『飛鳥第十班』の班長として名を馳せた『平子鋭二』の実力だった――




