獸鬼の脅威
翌日の朝、教室の席へ着いた蒼は昨日のヘージの言葉を反芻していた。一晩考えてみたものの、自分の戦う目的が明確にならない。「う~ん」と首を傾げ眉を寄せる。そうこうしているうちに、高塚が現れ講義が始まった。
「よし全員いるな。本日は獣鬼についての講義を行うが、最近復帰したばかりの大林のことも考えて今までの復習から始める」
高塚は相変わらずの険しい表情で、威圧感を纏わせながら講義を始めた。年齢は三十代前半だと言うが、これでは嫁の貰い手など……と失礼なことを考えていた蒼が前を向くと、般若のような形相の高塚と目が合った。背筋が凍り慌てて下を向く。
「まず、今では比較的大人しくなった獣鬼だが、生物災害直後はその動きが非常に活発で、日本は大都市を中心に次から次へと侵略されていった。当時、奴らに対抗しうる最高の戦力が国営の国防組織ムサシ。つまり、我々が各地の警察や自衛隊と協力し獣鬼を迎え撃ったが、それでも奴らの勢いは凄まじく徐々に押されていった。それでも、我々人間が全滅せずに済んだのは、獣鬼の特性である夜光活性のおかげだ。つまり日中は機能せず、ムサシらの反撃によってなんとか奴らの侵攻を遅らせてきた。やがて、鬼穿の量産に成功し攻勢に転じたことで、獣鬼との戦いは硬直状態に入ったわけだ。そのときには既に日本人の過半数が息絶え、九州、四国、北海道は壊滅し、あらゆる技術も失われたために被害は計り知れない」
蒼は苦しそうに頬を歪める。同期たちは幼い頃から聞かされているような内容だろうが、蒼にとっては二度目だった。ここに入校し初めの頃に聞いたのが最初で、以前いた町では人類の危機など教わる機会もなかった。『鬼敬教』は、ただひたすらにオニノトキシンの素晴らしさと道徳について説いていたのだ。
「それからは獣鬼たちの活動も鎮まり、今に至るわけだ。一部の地域は取り返し、我々も徐々に前へ進んでいる――なんだ、質問か? 村田」
蒼の斜め前に座っていた村田が手を挙げていた。緊張しているのかその腕は小刻みに震えている。
「は、はいっ、質問を許可して頂きたく……」
「構わん」
高塚は許可した。だが低く発されたその言葉にも迫力があり、村田の肩がビクッと震える。彼は恐る恐る立ち上がって声を裏返した。
「む、村田太郎ですっ」
「分かっている」
「っ! え、えっと……徐々に小さな土地を取り戻している話は聞き及んでいるのですが、大都市の奪還が未だに成功していないのはなぜでしょうか? 現在、ムサシが在駐している街の中には、大都市へ隣接している場所もあるはずです。そこから一斉に進軍し、大都市を奪還してしまうのが一番効率的かと……そうすればより大規模な施設の利用や技術の復活が望めるのではないでしょうか?」
村田は言いたい事を言い終えるとすぐに着席した。その肩はもう震えておらず、まっすぐに高塚を見つめている。蒼も村田の言う通りだと思った。小さい町をちまちまと攻めるのではなく、大都市を取り戻して新たな拠点とした方が効率的だ。
しかし、高塚は頬を引き攣らせ目線を落とすと、ため息をついた。
「なぜか、上手くいかないのだ」
「え?」
「村田の言うような作戦は何度も試みられた。だが、ついに一度も成功することなく、大敗を喫した。たとえ昼に攻め入り獣鬼たちを全滅させても、夜になると何倍もの獣鬼がどこからともなく現れ襲い掛かる。これを打開しようと何度も兵を増員したが、いつまでたっても制圧できず、これ以上の犠牲を出せないと判断した上層部がとうとう都市の奪還を諦めた。これらの戦いから分かったことは一つだ。奴らには都市部を守ろうとする明確な意志があるということ」
「そ、そんな……」
村田の声は震えていた。今度は高塚へではなく獣鬼への恐怖でだ。
「話を戻そう。最近、獣鬼の活動が活発化していると本部より通達があった。どうも、数ヵ月前の著名な研究者の死亡事件以降、急に動き出したらしい。先日の『鬼敬教』の町を包囲したのもそうだ。加えて、奴らは進化を見せている」
「し、進化?」
大林が硬い表情で疑問符を浮かべる。
「そうだ。先月、関東地区で戦っていたムサシ戦闘員が多数死亡したが、そのときの獣鬼たちは高く跳躍したという。つまり、鬼穿でいくら高度を上げようとも、やつらの跳躍力を見誤れば捕まるということだ」
教室がどよめく。衝撃的な事実だった。鬼穿の空中戦安全神話が崩れたのだ。訓練生たちの顔が恐怖に歪むのも無理はない。
「大都市での無限増殖もそうだが、奴らに常識は通じない。皆、戦場に出たときは心してかかれ」
それから、高塚から他拠点での近況報告が読み上げられたが、話に集中できる者はいなかった。
「――しかし、獣鬼ってのはとんでもないな」
「ああ、まったくだぜ」
昼の休憩時間、大林と山上が蒼の目の前で嘆いていた。大林は丸い頭を抱えて唸り、山上は長い金の前髪をかき上げ天を仰ぐ。
「――それはそうと、蒼の使う鬼穿が獣鬼相手にどこまで戦えるのか見てみたいな」
大林はそのツンツンのボウズ頭を撫でながら唐突に蒼へ話を振る。蒼は「う~ん」と眉を寄せた。
「まだ対人戦ばっかで獣鬼を摸擬した訓練をしていないので、全くイメージ湧かないですね……」
「そういやそうだな。獣鬼の動きなんてまともに見たことないし……」
「近いうちにビデオかなんかで奴らに関する教育もあるそうだぞ。結構ショッキングな内容だからゲロ袋を準備しておいた方がいいぜ」
山上がカラカラと笑う。大林は頬を引き攣らせげんなりし、蒼も少し腰が引けた。
しばらく獣鬼について語っていた三人だったが、蒼はふとヘージの言っていたことを思い出す。
「……二人は、なんのためにムサシへ入ったんですか?」
それまで笑いながら冗談を言い合っていた山上と大林がきょとんと固まると、顔を見合わせ山上が怪訝そうに声を低くした。
「なんだよ急に」
「あ、いや、そんな深い意味はなくて……なにか理由があるんだろうなと……」
「まあいいじゃねぇか将吾。減るもんでもないしよ」
大林が山上の肩を軽く叩き語り始めた。
「例の生物災害はな、俺が七歳のときに起こったんだ。だから途切れ途切れではあるが、平和な日本てのも知ってるんだよ。で、一番記憶に残ってるのが家族で行った『遊園地』だったんだ。アトラクションだなんだっていうのはもう記憶にないが、物凄く幸せだったってことだけは覚えてる。思い起こすたび心が温かくなるぐらいには……俺は取り戻したいんだ。遊園地をじゃない。家族が幸せに暮らすことのできる平和をよ」
言い終えた大林は少しばかり頬を紅潮させ、恥ずかしそうにそっぽを向く。
蒼は心を揺さぶられた。遊園地というものは、幼い頃に絵本で読んだ程度だったが、大林の溢れるような温かい気持ちに強く共感した。目頭が熱くなる。
「おいおい、なにうるうるしてんだよ。こっちが恥ずかしいだろ」
「す、すみません」
「謝んなよ。さて、お次は――」
大林がニヤニヤしながら山上へ顔を向けると、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。大林は「くぅ~」と悔しそうに顔をしかめ、山上はほっと胸を撫で下ろす。
蒼はヘージの言った理由がようやく分かった気がした。人にはそれぞれの思い出や悩みがあり、叶えたい願いは千差万別なのだ。そして、その実現に必要なときだけ武器をとればいい。ただそれだけのことだった。




