かりそめの平和
それからの実習では蒼は大活躍だった。
その流れるような鮮やかな鬼穿捌きは、同期だけでなく指導員たちの心すら魅了した。次第に、同期たちは今までのことなどなかったように蒼へ話しかけるようになった。
「いい加減教えてくれよ、伊黒くん。そんな技術を独り占めするなんてずるいぞ」
座学の休憩時間、蒼へ詰め寄って来たのは村田だった。眼鏡を光らせ鼻息荒くしながらメモ帳を握りしめている。蒼は悩ましげに唸る。
「そうは言ってもなぁ……結局は籠手を捨てて、バーニアの残りカスに集中しろってだけだし……」
もちろん、それだけでは断じてないが、蒼は人に教えるのが下手くそなのである。この問答を何度も繰り返しているが、一向に話が進まない。二人が「むむむ」と頭を抱えていると、
「それだけなわけがあるかよ。まあ、あれだけの芸当、俺らに真似できるかどうかがまず怪しいが」
二人の横から割り込んだのは山上だった。その後ろには以前、蒼が徒手格闘で怪我をさせてしまった同期『大林道夫』の姿もある。大林は、ボウズ頭にがっしりした体つきだが、穏やかな性格で表情はいつも柔らかい。
あれから山上は態度を改め、少しずつ蒼と関わるようになっていた。大林も骨折した骨はすっかり完治しているようだ。
大林が興味津々といったように前に出て声を弾ませる。
「いやぁ、大したもんだよ、お前の鬼穿捌きは」
蒼は目を見開いた。大林が蒼へ向けるまなざしがあまりにも穏やかなものだったから。とても全治1ヵ月以上のケガを負わされた相手へ向けるまなざしとは思えない。
とはいえ、さすがになにも言わないわけにもいかず、蒼は神妙な表情で頭を下げた。
「大林さん、訓練では怪我をさせて本当にすみませんでした」
「いいっていいって。みんな見てるだろ? 頭上げてくれよ」
大林の慌てた声に蒼が頭を上げると、彼は頬をかきながら苦笑していた。
「わざとじゃなかったんだろ? もういいって。それに聞いたぜ。山上がやり過ぎちまったってな」
「それについては悪かった」
今度は山上が謝る。
「こいつ、本当はいいやつなんだ。許してもらえると助かるぜ」
大林が両手を合わせ、「頼む!」と申し訳なさそうに頭を下げる。謝るはずが逆に謝られ、蒼はかなり混乱した。だが同時に、少しずつ、わだかまりが解けていくのを感じていた。
定時後、蒼はいつも通りヘージの元へタバコを持っていく。空を見上げると黄昏が美しく懐かしさすら覚えた。今までは景色などに浸っている余裕はなかったが、成長すると見える景色も変わるのだと気付く。
蒼が夕焼けで輝く川に見惚れ突っ立っていると、橋の下の草むらであぐらをかいていたヘージが声をかけた。
「なんだよ、楽しそうだな」
「はい、師匠。師匠から鬼穿の扱い方を教わったおかげで、訓練校で皆から認められるようになりました。本当にありがとうございます」
蒼は心底嬉しそうに語る。誰かから認められるということが、ここまで嬉しいことだと初めて知ったのだ。今までは、周囲から疎まれ嫌悪の視線を向けられてきたからこそ、なおさら蒼の心は満たされていた。
そんな表情を見たヘージは「ふっ」と優しげに微笑む。
「やっぱガキってのは笑ってるのが一番だな。それが年相応ってもんだ。さてと……」
ヘージが珍しく自分から立ち上がり、橋の下の影を出て川の手前で腰を下ろす。あぐらをかき、黄昏に輝く川を眺めながら蒼へ声を掛ける。
「おい蒼、お前も座れ。今日はタバコはいらないからよ」
蒼はタバコの箱をポケットへしまうと、ヘージの隣に腰を落とした。
「急にどうしたんですか?」
「なに、お前も技術面に関しちゃ相当成長したからな。周りから認められているのも、大した進歩だ」
「あ、ありがとうございます」
蒼は照れくさそうに「えへへ」と笑う。それから二人は無言で川を眺めていた。その穏やかな水の流れに心が洗われるようだった。
やがて、ヘージは急に真剣な表情を作り、蒼の目を見た。
「お前はなんのために鬼穿を使う? なんのために戦う? お前は誰かに認められるために鬼穿の使い方を学んだのか?」
蒼が息を呑む。ヘージのその鋭い眼光に怯んだ。そのまなざしは強く、なにかを伝えようとしているかのようだ。蒼はなにか言わなければと必死に脳を回転させるが、上手く考えがまとまらない。頭の中で、あれは違うこれも違うと葛藤し唸るばかりで、いつになっても明確な答えは出なかった。
ヘージは、蒼の心などお見通しだとでも言うように表情を和らげ、前を向く。
「獣鬼との戦いってのは、そういう慢心が身を滅ぼすんだ。なにも戦闘での死だけじゃない。気付いたときには、自分のプライドがズタズタに引き裂かれ、認めてくれていた仲間も失い、心が壊れる。だからお前は明確な目的を持て。周りの反応に一喜一憂するな。いいんだよ、周囲に合わせなくて。お前には類い稀なる身体能力と、俺から伝承された鬼穿の技術があるんだ。お前はお前にしかできないことをやれ」
ヘージは、遠い過去を思い出すかのような遠い目をした。蒼は言葉を発することはできなかったが深く頷き奥歯を噛みしめる。
やがてヘージは、のっそりと腰を上げ橋の下へと歩いていく。その途中で立ち止まり蒼へ振り向くことなく告げた。
「さっきの質問の戦う目的だがな、仇である鬼へ復讐するためだとか、人に害を成す鬼を滅ぼすためだなんて言うやつがいる。だが、それだけはやめておけ。大事な人や仲間を失うことになるぞ」
ヘージのその声は今まで一番重く、彼の後悔を吐露しているようでもあった。
――――――――――
それは明け方のこと。
まだ日が昇らず薄暗い時間。
住宅街の裏手にある墓地では異変が起こっていた。
雑多に並んだ墓石の下からなにかが生え始めていたのだ。それも一つだけでなくあらゆる場所から。次から次へと勢いよく、地面を突き破る。
色白で生々しく細長い。棒状のそれの先には五本の指。
苦しそうに宙をかいて蠢いている。
それは――死んだはずの『人間の手』だった。




