蒼の正念場
「――ほれ、旋回! 緊急後退! きほ……と見せかけてやっぱ緊急後退!」
蒼は夕日を背に、ひたすら型のトレースに精を出していた。これもヘージの指示で、戦闘時に素早く対応できるようにということだ。今ではブーツ噴射の際の左手の動きまで意識している。ヘージ曰く、『足首の動きと手の動きはセットだ。ほとんど反射で噴射方向の移動と操作をタイミング良く行う必要がある』ということだ。要は、いくら足を身体と水平に合わせたとしても、肝心の噴射がなければ動かないということだろう。
そして、それをヘージの掛け声に合わせ毎日続けた。毎日、毎日。
「師匠、いつまでこれやるんですか?」
蒼はヘージの機嫌を損ねないようにおっかなびっくり尋ねる。ヘージは寝そべってあくびをしながら尻をかいた。そのフォームが崩れていないかヘージが見るのは、十回に一回ぐらいだ。
「口答えすんなよ。お前は黙ってタバコ買ってくりゃ……じゃなくて、基礎を身に付けろって言ってんだよ」
「は、はぁ~」
ヘージは首だけ回し蒼の疲れた顔を見て、やれやれとため息をついた。
「しょうがねぇな。次はバーニアのことも教えてやるよ」
蒼の顔が急に生気を取り戻し、目はキラキラと輝きだした。その場で姿勢を正し、「お願いします!」と頭を下げる。ヘージは面倒くさそうにのっそりと上体を起こし、草むらの上にあぐらをかいた。
「……いいか? バーニアを運用する上で重要なのは『残圧』だ。ボタンを離した後の『残りカス』が勝敗を決めると知れ。何度も何度も使い、どれだけ噴射すれば、どれだけガス圧が残り、それでまだどれだけ進めるのかを精密に把握しろ」
蒼は大きく首を縦に振り、慌ててメモを取る。
「これは燃料の節約という目的があった。以前よりも比較的燃料が持つ新世代型ではここまで考えて使っている奴は少ないだろう。だが、自由自在に鬼穿を操るには必須のスキルだ。これが分かっていないと、いつまでも噴射時間の調整で神経をすり減らすことになる。だからその分、鬼穿を使った移動と、武器を用いた攻撃が同時にはできない。鬼穿を手足のように使いこなしたくば、全神経を『残りカス』に集中しろ。いいな?」
「はい!」
希望に満ち溢れた、蒼の明るい返事が綺麗な夕焼け空へ響いた。蒼の快進撃はここから始まる――
それはとある平日の午後。空が雲で陰る中、校庭ではムサシ訓練生たちが緊張感に包まれながら作業準備を行っていた。高塚の指示を受け、黙々と鬼穿を身に着けていく。最後の一人『村田太郎』がインカム、籠手、バーニア、ブーツ全ての装着を完了すると、高塚がいつも通りの険しい表情で告げた。
「本日の摸擬戦も以前同様、私が指名する一対一で戦ってもらう」
その日は、二回目の摸擬戦だった。蒼は拳を握りしめ、必要以上に力んでいた。今までの鍛錬の成果を試すには絶好の機会だ。
蒼が緊張に顔を強張らせながら高塚を見ると目が合った。顎に手を当て興味深そうに蒼を見ていた。しかし彼女は、すぐに目を逸らすとなにも言わず全員に下がるよう伝えた。一瞬、彼女の頬が僅かに緩んだように見えたのは気のせいだろう。
「よし、では最初の組み合わせだが――『山上』と『伊黒』の両名、前へ出ろ」
「え?」
「いいのですか? 高塚講師。彼がまた惨めな思いをしてしまいますが」
山上が口の端を歪め、薄ら笑いを浮かべる。それを聞いた同期たちもクスクスと笑う。最近の山上は増長していた。鬼穿では、誰も自分に敵わないからといって、その実力を過信しているのだ。講師にまで軽口を叩くなど、今までの常識では考えられない。
「無駄口を叩くな。減点するぞ」
高塚がドスの効いた声を発し睨みつける。山上は特に反省した様子もなく「申し訳ありません」とだけ言って前に出た。蒼も無心で山上の前に立つ。
「なんだよその目は」
山上が憎々しげに蒼を睨み付ける。蒼にとっては心頭滅却、山上から見れば余裕綽々に見えたのだろう。だが、蒼にとってはどうでもいい。
蒼は大きく息を吸うと、右足を斜め後ろへ引き、左手を腰に置いて構えた。
「なんだあれ……」
「あんなの教わった覚えはないぞ」
「い、いや……あいつのことだ。どうせ適当だろ」
周囲で同期たちがどよめく。山上も険しい表情で警戒心を露にしていた。
「なんのつもりだ。バカにしているのか」
山上が奥歯を強く噛み憤怒の形相で蒼を睨み付ける。しかし、蒼はなにも答えず――
――バシュゥゥゥン!
両腰からバーニアを背面噴射し駆け出した。風を切りけたたましい音を響かせながら雷のように一直線に。
「んだよ、結局前と同じか!」
ニヤリと不適な笑みを浮かべ、左籠手の装甲を下へスライドさせる山上。
蒼は山上の目前で噴射を止め、走行の補助をガスの残圧へと切り替えた。左手はまだ腰に添えたままで、右の拳を山上の顔面へと突き出す。
――バーニアにばかり気をとられてたら他の挙動に集中できないだろ。ボタンを押し終えたら、すぐに思考を切り替えろ。計算通りの挙動をするかなんて不安に思考を割いている余裕はない――
蒼はヘージの教えを忠実に守り、右で攻撃に左で緊急回避に集中する。
「ふんっ、そらっ!」
次の瞬間、山上がブーツの噴射で左に水平移動する。しかし、それは蒼も読んでいた。むしろ、前回と全く同じ動きに驚いたほどだ。蒼が攻撃を外し、そのまま横を通り過ぎると、その背後でバーニアの噴射音が唸り出す。山上は『慢心』が過ぎた。
蒼は、徐々に勢いを失うガス圧に身を任せると目を瞑り、ヘージとの鍛練を思い起こした。そして、絶対の自信を持って叫ぶ。
「――旋回!」
同時に、ブーツの右から短い噴射。それに合わせて右足首を捻り、体が左方向へ回転する。さらに、体が半回転もしないうちに、左のブーツからも噴射。綺麗な弧を描き、左足首を捻った蒼は――
「なっ!」
山上に対面していた。山上は信じられないものを見たというように、目を見開き顔が強張っている。だが蒼の後頭部を狙っていた山上の拳は、蒼の顔面すぐ手前まで迫っていた。
「っ!」
蒼は冷静に、左手を腰から離し籠手で受け止める。
――ガン!
衝突した山上の拳の皮が剥け血が滲む。
「うっ……」
蒼はその隙を逃さず右腕を引き、勢いを失った山上を力一杯殴り飛ばした。
渾身の打撃が頬へ直撃した山上は耳から地面に激突し、砂塵を巻き上げて動かなくなる。
「――そこまで!」
高塚が声高らかに終了を宣言。
「……………………」
一瞬の静寂。そして、
「うおぉぉぉぉぉ!」
「すげえぇ……」
「な、なんだよさっきの挙動、初めて見たぜ!」
拍手喝采の嵐が校庭を襲った。同期たちが興奮に鼻息を荒くし叫ぶ。中には声も出せず驚愕の表情で固まっている者もいる。高塚の後ろに控えていた指導員たちも口をあんぐりと開け、唖然としていた。
「まったくお前という奴は……私好みの表情をしていたからなにを仕出かすのかと思えば……大したもんだよ」
高塚は声を弾ませながら蒼へ歩み寄ると、彼の髪をわしゃわしゃと豪快に撫で回した。彼女は蒼の変化に気付いていたのだろう。そしてそれがどんなものか知りたくなった。蒼の顔がやる気に満ち溢れていたからこそ、あえてこの対戦カードにしたのだ。
「あ、ありがとうございます!」
蒼は目をぐるぐると回しながら一歩下がり礼をする。こんなに嬉しそうな高塚が初めてで、内心戸惑う。蒼が目を回している隙に、周囲を同期たちが囲んでいた。
「ねぇ、どうやったらあんな挙動が出来るの? あんなの講義でも教わってないよ」
「お前、実はすげぇ奴だったんだな。笑って悪かったよ」
「今度、俺に鬼穿の捌き方を教えてくれ!」
蒼がかつてない好奇の視線に戸惑っていると、
「ってぇなぁ……」
山上が殴られて腫れた頬をさすりなが立ち上がった。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄った蒼に山上は目を丸くしたがすぐに目を逸らす。
「けっ、勝者の余裕かよ。けど……今回は俺の完敗だ」
そう言って踵を返した山上は、高塚に戦闘での負傷を訴え保健室へと歩いて行った。




