蠱毒の始まり
「――彼は知り合いだったのか?」
宗次の穏やかな顔をしばらく眺めていた影仁だったが、清悟の声に顔を上げた。
「弟だ。だが、鬼人衆のリーダーだった」
「そうか。辛い思いをさせてしまったんだな」
清悟は目を伏せる。影仁は立ち上がると、僅かに頭を下げた。
「いや、こちらこそ助かった。あれがなければ俺は死んでいただろう」
影仁は床に置いていた龍断包丁を見た。最後の戦いで刃こぼれしボロボロになっている。
「すまない。これでは使えないな」
「いいさ。当分は握りたくない。とにかく帰ろう」
清悟は朗らかに笑うと、出口へと向かっていった。影仁は、最後に宗次の顔を一瞥すると清悟の後を追って行く。そのとき――
「――っ!」
激しい悪寒が走った。影仁の全身をおぞましい不快感が駆け回る。影仁は吐き気を催しながらも、ぐっと堪え顔を上げた。
「なんだと!?」
清悟も顔面蒼白にし、震える手で業務用携帯を握りしめていた。影仁は正体不明の不快感に耐えながら目を閉じた。『千里鬼眼』を使わなければならない。そんな気がしていたのだ。
そして、他人の目を借り、目の前に広がった光景は――
「――な、に……」
影仁はその光景に絶句した。目の前に広がるのは地獄絵図。見慣れた夜の街が辺り一面、鮮血に染まっていた。そこら中をゆらゆらと彷徨っているのは、獣鬼、獣鬼、獣鬼。
「くそっ!」
影仁は憤怒と憎悪に顔を歪めながら、別の視点に移る。部活動生だろうか、博奈高校のグランドに立っていた。そこら中で獣鬼と人間の逃走劇が繰り広げられている。だが、こんな広い場所で獣鬼の脚から逃げるのは不可能だ。瞬く間に高校生たちは獣鬼に喰われる。
「そんな、バカな……」
影仁は絶望に目を見開き力なく跪いた。ようやく宗次の言葉を正しく理解した。人類に迫っていた危機とはこれのことだったのだ。彼は言っていた。一般人の脳にも、知らず知らずのうちにオニノトキシンが潜り込んでいると。
それでも影仁にはやらなければいけないことがあった。今はもう、崩壊した街でやらなければならないことが――
「――くっそぉぉぉぉぉっ!」
影仁は叫びわき目も振らず一心不乱に駆け出した。放心して立ち尽くす清悟の横を暴風のように過ぎ去り、城のバルコニーから飛び降りる。そして自分の帰るべき街へと向かうのだった。
その日、都心を中心に日本は崩壊した。突如、人が獣鬼と化し、人を襲い始めたのだ。その脅威は瞬く間に全世界へ広がり、やがて地球上の全人口は獣鬼に逆転された。
「ふははははははははははっ!!」
絶望的な状況の中、愉快そうに笑う男がいた。
だだっ広い部屋に一人ぼっち。部屋には数えきれないほどのモニターが積み重ねられ、なにかしらを映している。周辺の機器からはケーブルが伸び男の体へ繋がっていた。
その男は、地下の研究室に長年引きこもり、黙々と計画を進めていた。床には分厚いレポートのような紙の束がある。その表紙にはこう書かれていた
―『―プロジェクト蠱毒』と――
「さあ、蠱毒の始まりだ」
男は興奮気味に研究資料を握りしめると、一人でひとしきり笑い尽くすのだった――




