第1話 入学式の悲劇
「奈那子ももう高校生か」
高校の制服に身を包んだ私を見て、おじいちゃんがしんみりと呟いた。
先日大好きだったアイドルの婚約記者会見を目の当たりにしてから、驚くほど生気が無い。孫の入学式というめでたい日に、とんでもないおじいちゃんだと思う。
「そんな落ち込まないで。ほら、もしかしたら麗子ちゃん似の可愛い女子高生がいるかもよ?」
「まじでか!」
麗子ちゃん、というのがおじいちゃんご執心のアイドルである。たぶんそうそう都合よくアイドル似の子がいるとは思わないが、単純なおじいちゃんを釣るためには、嘘も方便だ。
「じゃあ、私もうクラス行くね。おじいちゃん、体育館の場所わかる?」
「バッチリよぅ!」
入学式の会場である体育館に迎うおじいちゃんと別れて、私はクラスに向かった。
クラスの前に名簿が貼りだされていて、自分の名前を探す。ふむ。男の子から順に連番になってるんだ。
「……!!!」
名簿の名前を追ってわずか4行目。私はとんでもない名前を発見する。
櫻井 孝平
さくらいこうへい。私の双子の弟、孝平と同姓同名だった。漢字も同じ。まさか本人?なわけないよね、だって父は、私と母がいた街に、今もいるはずだ。でももしほんとうに孝平本人だったら…
混乱する頭を押さえながら、自分の名前を確認してクラスに入る。同じ中学の親友、秋名里緒の名前も発見済みだ。
クラスでは、出席番号順に机に座ることになっていた。私は恐る恐る4番目の机に目を向けた。
………いた。
だいぶ男らしい顔つきになっているけど、間違いない。黒髪の私と違って、きれいな栗色の髪の毛。くせっけで、風呂上がりと雨の日はいつも爆発してたっけ。切れ長の目もとも、高い鼻筋も、薄い唇も、何もかも私とは違う。でも、彼は孝平本人だ。私の二卵性の弟。血を分けた家族。
どうしよう。どうしようどうしよう。離婚後の父と母は険悪だったから、一度も父の所へ遊びに行くことなんてなかった。まさか再会できるとは思っていなかった。
逸る気持ちに後押しされて、私は孝平に近づいた。孝平は眼鏡をかけた長身の男の子と楽しそうに話していた。
「こ…孝平?」
孝平がえっ?と顔を向けた。名前を呼ばれて振り向く時に、首を傾げる仕草が、懐かしい。目線が合う。覚えてる、よね?
「あの、私、奈那子だよ」
名前を名乗ると、しばらくしてから孝平の顔が驚きと喜びの顔に変化していく。よかった。覚えていてくれたみたい。
「なっちゃん?!懐かしいな〜。小4の時一緒だった子だろ!?」
………え?
「ち、違うよ孝平、私っ」
「はい、席についてくださーい」
先生が名簿を片手にクラスに入ってきた。私は誤解を解きたい気持ちをおさえ、仕方なく席に着く。 どうして?何で覚えてないの?私は孝平を忘れたことなんて一度もなかったよ?
先生の話は何も耳に入らなかった。孝平に忘れられたショックから、あれこれとネガティブな思考に陥った。
「奈那子ちゃん?入学式に行くよ?」
声をかけられ、はっと我に返ると、秋名が覗き込んでいた。他の生徒は、もうみんな廊下に整列している。
「あ、ありがと、秋名」
「フフ。奈那子ちゃん、自分の世界に入るとなかなか返ってこれないからね」
…確かに。
中学で一番仲が良かった秋名。里緒でいいよ、って言われたけどなんとなく呼びやすくて秋名って呼んでいる。ソバージュがかかった茶髪は、密かに私の憧れだ。秋名のたれ目で懇願されると何故か断れない、という伝説も存在した。
「行こ、奈那子ちゃん」
「うん」
私たちは他の生徒に合流して、体育館を目指した。こっそり孝平の方を見てみると、後ろ姿があった。私より小さかったのに、背、すごい伸びたんだなぁ。
式が始まってからも、やっぱり孝平のことばかり考えてしまった。思い出したくなくて、わざと忘れたフリをしているとか。実はただのそっくりさんとか!…ないか。でも、何としても思い出してほしい。どうしたらいいの?
「新入生代表答辞、三木祐介」
周りから小さく黄色い声があがり、はっと顔をあげると、さっき孝平と話していた眼鏡の男の子が答辞を読むところだった。
彼が首席だったんだ。みき、なんて珍しい名字。まじまじと顔を見ると、女の子の黄色い声も納得できる。少し長めの髪は、脱色しているのかだいぶ色素が薄い。眼鏡の奧には孝平よりも切れ長の鋭い目があった。顔立ちが整っていて、かつ首席。もてるに違いない。
三木くんは、孝平の友達なんだろうか。友達なら、双子の姉の話、聞いてないかな。でも、私が話しかけたとき、すごく怪訝な顔で見られた。たぶん知らないんだろう。
やっぱり人違いだったのかな、と落ち込みながら退場の列に加わる。保護者の間を通り抜けるとき、人違いという選択肢は見事に消え失せた。
父がいた。
それはもうばっちり目が合って、向こうはばっちり気まずい顔をしていた。やっぱりだ。彼は孝平本人だ!私は間違ってなどいなかった。
はやる気持ちでホームルームを終えると、急いで孝平の元へ行く。彼のそばにはやっぱり三木くんがいて、仲良しなんだと確認。
「孝平!」
さっきよりも自信たっぷりに呼び掛ける。
「ねえ本当に私のこと覚えてない?」
「え、だから小4の…」
「違うよ!奈那子!あなたの双子の姉!」
教室が静まり返った。生徒はまばらで、迎えに来た保護者も何人かまざっていた。孝平が大きくため息をつく。一瞬眉が釣り上がったように見えた。
「あのさー、お前なんかおかしいんじゃねぇの?」
「え」
孝平の言葉とは思えない、残酷な言葉。
「俺には双子の姉なんていない。いるのは小3の妹だけ」
そんなはずない。だってお父さんがいたんだよ!反論したいのに、口がうまく動かない。
「だいたい双子にしては全然似てないし」
「そ、それは二卵性だから…!」
「それにさっき名簿みたけどさ、お前沢原奈那子だろ?名字も違うじゃん」
「だから親が離婚して……本当に覚えてないの?!」
信じられない。信じたくない。やっと会えたのに、ひどすぎる。
「だから、覚えてないんじゃなくて、知らねえの!」
なかば怒鳴るような孝平の声に、身が竦む。三木くんが、やめておけ、と制止する。
「だってこいつ絶対頭おかしいよ。俺帰る」
孝平はあからさまに機嫌を損ね、教室を去った。三木くんも、それじゃ、と足早に立ち去る。
残された私は、一人やり場のない気持ちに支配されていた。
泣いちゃダメ。ダメなのに、ぼろぼろと涙があふれてくる。孝平に嫌われた。三回めの入学式も、嫌な思いしかできなかった。夢ならいいのに。目が覚めて、そこには仲が良かった頃のお母さんとお父さんがいて、孝平がいて、みんなで遊園地に行くんだ。
「奈那子」
誰かに声をかけられて、涙を拭う。
「お、とう…さん?」
そこにいたのは、紛れもない。私のお父さんだった。と言っても、もう昔の話だけれど。
「久しぶりだな」
不器用に笑いながら、父が話しかけてくる。最後に会ったときより、白髪もしわも増えていた。私は返事をしなかった。自分がみじめに思えたけど、返す言葉が見つからなかった。
「恨んでる、か。当たり前だな。孝平を奪ったんだもんな」
「…!」
孝平という言葉に無意識に反応してしまう。あれはやっぱり本物だ。じゃあどうして知らないなんて言うの。
「何も言わないでいいから、聞いてくれな?」
父は、ゆっくりと話し始めた。