第7章 去る人
暦は2月初めとなった。
我が儘な客のクレームや冷酷この上ない小山田店長にも耐えながら、更心寮と勤め先のコンビニとの往復を続ける紗月だったが、そのコンビニで、この頃、少しだけ気になることがあった。
それは店内でチーフの岸谷利香と並んでカウンターに立っている時に気がついた。
彼女の隣にいる岸谷の体から紗月が覚えている独特の臭気が漂っているような気がしたのだ。そして、それは狭いバックオフィスにもそれは微かに残されていた。
紗月からすると、まさかね、だった。
そして、更に数日経った頃、その日の紗月は午前9時出勤のシフトで、岸谷たちと働いていると、突然、店の前に乱暴に止まった2台の乗用車があり、中から数人のスーツ姿の男女が勢いよく降りて店に入ってきた。
「岸谷利香さんはいますか?」
髪はショートカットで尖った顎をした紗月と年齢が近いと思われる女がカウンターにいた紗月に詰め寄るようにして言い、紗月が呆気にとられていると商品棚の前に立って何かしていた岸谷利香が
「私です、岸谷利香」
と小声で言いながら、こちらの方を見ようともせずに片手を低く挙げた。
「警察です、貴方に覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕状が出てい ます。身に覚えがありますね」
「警察です、みんな、動かないで。下手に騒ぐと罪になりますよ」
店内に入ってきた私服警官のリーダーらしき男が大声で店内に呼びかけて、紗月は固まった。
こうして、岸谷利香は抵抗するそぶりも見せずに他の店員達がいる前で手錠をかけられて店の前に止められた警察車両に乗せられた。
結局、この日は急を知らされ駆けつけた三池商会の幹部によって臨時休業が告げられて紗月達は三々五々に帰宅した。
紗月は寮に戻ると何故か風呂に入りたくなった。そして、入浴を終えると自室に入って、ドアの鍵を確かめると寝間着のスエットをきて布団に入った。
「やっぱり、そうだったんだね」
紗月は布団の下で岸谷利香のことを思い返した。
紗月が、最初に彼女の体臭に気がついたのは何時だったかまでは思い出すことができないが、それが覚醒剤に手を出している者のそれであったことははっきりと覚えている。なにせ女子刑務所の受刑者の半分位が麻薬や覚醒剤がらみで逮捕されて下獄している。その女達と6年間も起き伏しを共にしていたら、その体臭がどんなものかは分かるのだ。
紗月には利香が手錠をかけられた瞬間の表情は分からない、ただ、彼女に逮捕状を示した女性警官に付き添われて店を出ようとした時、一瞬だけ、彼女は顔を上げて紗月を見て、そして、その頬に涙があったことだけは覚えている。
岸谷利香が皆のいる前で警察に逮捕された翌日、コンビニは営業を再開した。
そして、それから更に数日経ったある日の昼頃のこと。更心寮の正面玄関にびしっとスリーピースを着こなして髪をきちんと七三に分けて太い縁の眼鏡をかけた知的な感じのする男が大きな鞄を片手に現れた。
「今日、木田真奈美さんと約束している和田と申しますが」
玄関の壁に設置されたインターホンに向かって彼は言い、職員室から出てきた者が彼を寮の中に案内して、そして、間もなく連絡を受けた木田真奈美が自室からきて、廊下で待っていた彼と一緒に第一小会議室に入った。
この日は紗月は遅番のシフトを言われて昼食を買いに行こうとして階下におりた時に真奈美と一緒にいる和田を見て、おや、と思ったが、他人事でもあるので大して気にもとめずに外に出た。そして、寮近くの商店街で弁当を買って戻ってくると和田が玄関で靴を履いているところだった。
「では、これで」
和田が見送りに出た木田真奈美に挨拶すると彼女も会釈したが、その目は真っ赤だった。そして、彼の姿が見えなくなると真奈美はその場で大声を上げながら泣き崩れた。あまりのことに職員室にいた増井諒順が出てきて彼女の背中をさするなどして宥めてから、一緒に第一小会議室に入った。その中からは真奈美の大きな泣き声が聞こえてきた。
玄関先で一部始終を見た紗月だったが和田と真奈美との間に立ち入ってはいけない何かがあったのだと思い直して、さっさと弁当片手に自室に戻った。
そして、間もなく3月になるという日、紗月は事前に言われたとおりに朝9時に出勤すると店長に呼ばれた。
なにか文句を言われるようなことでもあったかと思いながら紗月が彼と一緒にバックオフィスに入ると、くるりとこちらを振り向いた彼が作り笑顔満面で紗月に、三池商会がコンビニ事業を他の会社に売却して、買った会社から人員整理を言われているので二月一杯で解雇します、と言った。
店長の笑顔の底にある決然とした意思を覆すことは不可能と悟った紗月は潔く、分かりました、と言った。
そして、退勤して寮に戻ってから職員室に行き居合わせた五平課長に、解雇を予告された、と告げた。
五平は職員室で紗月と向かい合わせになって
「とにかく、新しい職場を探しましょう」
と言うことしか出来なかった。
そして、紗月がコンビニの仕事から戻って間もない頃、更心寮の正面玄関にはきちんとスーツを着てスカートを履いた木田真奈美の姿があった。
「では、今日までありがとう御座いました。皆さんもお元気で」
今日は木田真奈美の退寮の日だった。なんでも大阪で経理員として彼女を雇ってくれる会社が見つかったのだそうだ。彼女の仮釈放期間は2月初旬で満了して今は保護観察官事務所などに届ける必要も無い、全くの自由の身だから転居も誰も問題にしなかった。
紗月が寮生となって約3ヶ月、胸襟を開くと言うほどではなくても気安く話しできる相手の1人が彼女だった。その彼女が退寮すると言うことは寂しくもあったが、今はそれをこらえて微笑んで手を振った。
「紗月さん、五平課長から聞いたわよ、大変だってね」
木田真奈美の見送りを終えて寮生たちが玄関先からいなくなったとき、職員室の前で諒順が紗月を呼び止めた。
諒順は紗月がコンビニから解雇を予告されたことを聞き、彼女に同情していた。
「早速、今日から次の職探しです」
「そう、大変ねぇ」
「仕方が無いですよ」
目の前で眉間に皺を寄せてしきりに同情する諒順を見ながら、紗月は笑顔で言った。紗月にしてもコンビニのパート仕事を惜しいと思うことはないから解雇されたことに何の感慨もないのだが銀行口座の残高が思うように増えないことは頭痛の種だった。
もっとも紗月にしても全部が自分のせいとは思っていない。とくにコンビニを解雇されたことは被害者だとさえ思う。それでも紗月は敢えて誰かを恨むことはよそうと決めた。そんなことで立ち止まっていられるほど恵また環境にいるとは思えなかったのだ。
木田真奈美が退寮してから約10日ほど過ぎたある日のこと、その日は紗月の仕事は休みだった。
紗月はいつも通り時間に起きて朝食を取り終えると自室で簿記検定の勉強を始めた。
10時を少し過ぎた頃、寮に電話があった。
紗月が職員室に行って電話に出ると、相手は先日、アルバイトの面接を受けた協力雇用主の会社の担当者だった。紗月はどきどきしながら電話に出たが、相手は紗月に不採用を告げた。連絡を寄越した会社は大手運送会社のグループ企業で倉庫業を手がけており、仕事は荷物の受け入れ運び出しの伝票整理だった。時給950円の1日6時間のパートで週5日働けるから、毎月最大で約12万円の収入になる。最低限の生活を覚悟するなら中年女の一人暮らし、何とかなる収入は手にできる計算だ。
紗月は期待に胸を膨らませた。
とにかく自活できる、自分の食い扶持を自分で稼げると言うことが嬉しかった。多少、時給が安いことなど気にならなかった。いざとなったら他にも仕事をするとよいのだ。
不採用を告げられて、期待は落胆に、希望は失望に簡単に変わった。
電話が終えて自室に戻った紗月は、目の前にあったプラスチック製の小さなゴミ箱を思い切り蹴り上げた。
そんな落ち込む出来事があっては勉強もはかどらず、彼女は午後0時を少し過ぎた頃、昼食の弁当を買うために外に出た。
気持ち良く晴れた青空を見上げると気持ちも一緒に晴れ上がりそうになり、急いで弁当を買って寮に戻ることもないだろうと思った彼女は寮の敷地と接している大きな公園の周りを一周することにした。
公園に植えられた樹木の枝では小鳥たちが盛んにさえずっていた。生まれて初めて東京で暮らすことになった紗月からすると都心にこんなにも緑があることが意外だった。彼女はそんな春まっさかりの公園を見て去年の三月のことを思いうかべた。
あの頃も今と同じくらいに鬱屈していた。同じ雑居房でそれなりに仲良くしていた2人の受刑者がそれぞれの家族に身柄を引き受けてもらって紗月より先に仮釈放で外に出た時は、2人のことが羨ましくて仕方がなかった。
紗月は足を止めるともう一度、大きく伸びをして、そして、空を見上げた。
事件を起こしたせいで天涯孤独となった中年女の身の上では考えることなど無駄なことだと分かっているはずなのに、今、また考えている。そんな自分に紗月は半ば呆れた。考えている暇など無いのだ。退寮期限がくる5月下旬頃までには仕事にありついて日銭を稼がないことには日干しになってしまう、それは嫌だった。
「紗月さん、何してるの?」
寮を出てからしばらく歩いたころ、紗月の背後から呼ぶ声がして振り返ると諒順だった。
「おでかけ?」
「いえ、お弁当買うついでに散歩です、諒順さんは?」
「宗派の用事でね、終わって戻ってきたところよ」
二人は連れだって公園の周囲を更心寮を目指して歩いた。
「木田さん、元気にしてるかな」
紗月が不意に言った。
「気になるの?」
「気になるって言うか羨ましくて」
「何がそんなに羨ましいのよ」
「だって、彼女、経理の仕事見つけられて。私も事務系志望なの にさっぱりで。この頃は諦めようかってなってるから」
紗月が仕事探しに苦労していることは五平たちからも聞かされているから、諒順は横に並んで歩く紗月に同情した。
「木田さんは税理士資格や秘書検定1級、他にも幾つか資格を持 っている人だからね、欲しいところもあるわよね」
「そんなに資格持っているんですか」
「東京では彼女の起こした事件のことが引っかかって何処もとっ てくれなかったけど今度の大阪の会社は大丈夫みたいだって言 ってたわよ」
「私じゃ無理なわけですよね」
紗月が事務系志望とはいっても、事務仕事で使えそうな資格は何一つ持っていない。唯一、資格といえるのは医師免許だけだった。
「元気出さなけりゃ駄目よ、紗月さん。きっと紗月さんのことを 分かって雇ってくれるところがあるからさ」
紗月は諒順に言われて、小さく頷いた。
「私、この頃、接客業でも良いなって思うようになったのですよ ね」
紗月は俯きがちになりながら諒順と並んで歩いていて小声で言った。
「事務系志望は諦めたの?」
「諦めたつもりはないんです。第一志望はそれだけど、でも、難 しいことも分かるから、少しは妥協しようって思うようになっ て。だって、5月の末頃には寮を出なければならないから、そ れまでに少しでも貯金を増やしておきたくて。要はお金なんで すよね」
「お金かぁー、確かにそうだよね。お金がなくては何も出来ない ものね。私の宗派もお金がなくて困ってるもの」
「諒順さんたちもですか」
「ええ、そうよ。今日の会議だって前半は宗派の運営に関する会 議で後半は仏教の勉強会のはずだったの。私は後半の勉強会が 目当てで出席したようなものなのに、前半の会議が長引いてね。 それも、ようはお金が足らなくてやり繰りが大変だってことで さ。お陰で勉強会はお座なりになったのよ。今時、気前よくお 布施してくれる檀家さんなんて少ないしね、大変なのよ」
諒順は苦笑しながら眉間に皺を寄せて紗月に言い、それを見た紗 月は小さく笑った。
紗月は諒順に要はお金だと言ってから再び俯いて歩いた。
彼女は大学を卒業してから事件を起こすまでの間、医師として働いていた。その間には僅かながらも貯金も出来ていたし、下獄したときは病院の退職金もあったはずなのに、彼女の銀行口座にはそれらは殆どなかった。大方、実家の家族がどうにかしてしまったのだろうと察しはつくが、それにしても、それらのお金があったら、もう少しゆとりを持ってこれからの人生を模索できたかも知れないのにと思うとため息が出そうになる。
紗月と諒順が公園に沿って歩いていると、犬を連れた中年の女性が公園の出入り口から飛び出してきて辺りを見回し、そして、紗月たちを見つけると大慌てで駆け寄ってきた。
二人ともその女性のことを知っていた。
彼女は寮の最寄り駅の近くにある商店街で営業している「和菓子おおもり」の女将だった。彼女は地区の更生保護女性会の役員も引き受けていて更心寮で行われる寮生と女性会会員との交流会にも積極的に参加していた。
目を大きく開けて興奮した面持ちで無言のまま紗月たちに彼女に駆け寄り、何も言わずに片方の手で紗月の手を引っ張って、もう片方の手に犬のリードをもったまま公園の中にある神社の境内に引っ張っていった。
紗月が訳も分からずに女将に引かれていき、後を諒順がついて行った。そして、小さな本殿の裏に回ると、女将は口をぱくぱくさせながら指で何かを指し示した。
その指の方を見ると黒い何かと、その横に何かが見え、それを見たときは一瞬、紗月と諒順は止まった。
女将の手を取り二人して恐る恐る忍び足でそれに近づくとのぞき込んだ。
間違いなかった、それはモスグリーンのスーツを着た大人の女性だった。顔の半分が地面にくっついて見えなかったが、紗月には何処かで見覚えがあるような気がした。
「死んでるの?」
あまりのことに呆然としていた紗月は、大森屋の女将の声に我にかえった。
目の前の女性の腹部、丁度、へその辺りに深々と包丁が刺さっていて、下腹部全体が赤黒く染まっていた。
紗月はゆっくりとそれに近づいて、そっと頸動脈の辺りに触れた。
生きているなら当然あるべき脈拍がちっとも感じられなかった。
「亡くなっています」
紗月は目の前で冷たくなって横たわる女を見ながら後ろにいる2人を振り返らずに言った。
「この人、木田真奈美ちゃん、だよね」
おおもりの女将が半分、涙声になりながら言い、その声を聞いて紗月は確かに思い出したのだが、この遺体は先日、更心寮を退寮して大阪の会社に就職したはずの木田真奈美だった。
「とにかく、連絡を」
「携帯電話は?」
「私、寮で禁止だから持っていないんです」
「ごめん、私も寮においてきちゃった」
「これ、使って」
おおもりの女将が差し出したそれを受け取った諒順は、しかし、何処に電話をかけて良いかも分からずにとりあえず、路上で倒れている急病人を見つけた、と119番通報した。そして、5分もしないうちに救急車が来たが、肝心の木田真奈美が死亡していると言うことが分かると無線で本署に通報して引き上げて、代わりに数台の警察車両がやってきた。
到着した警察官たちは早足で紗月たちに近づいた。
「警察の者ですが、第一発見者はどなたですか?」
現場責任者と思しき私服姿の中年男が警察手帳を彼女たちに見せてから言った。
「私です」
「おおもり」の女将が手を挙げた。紗月と諒順はそれぞれ別の警察官から事情を聞かれた。そして、一通り事情聴取が終わり三人はそれぞれに住所と連絡先を告げると開放された。
「おおもり」の女将は紗月たちとは反対回りに公園の周囲を歩くというので分かれて、諒順と紗月は連れだって寮まで歩いた。
その道すがら諒順は問わず語りに木田真奈美のことを紗月に話した。
木田真奈美の実家は以前、駅前商店街で小さな不動産屋を営んでいた。店は小さくて住居は別のところにあったそうだが資産家として有名だったらしい。その木田家の娘として生まれた真奈美は成績優秀で超のつく難関私大の経済学部に現役で合格した。そして、卒業後は誰もが知る財閥系の大手銀行に入社したというから正に順風満帆を絵に描いたようなエリート街道を驀進していた。結婚も東大卒の同僚に見初められて30歳前にしたというから、今の日本では間違いなく勝ち組といって良い。
その彼女の人生は、しかし、突然、暗転した。
会社は彼女に女性だけで編成された投資チームを任せた。会社としては若手から中堅にさしかかっている社員を競わせて勝者を優遇するつもりだった。
彼女は、その能力を遺憾なく発揮して計画は順調にすすんでいだが、しかし、部下の女性との間柄がぎくしゃくした。そのことを上司に訴えて、自分か彼女のどちらかの配置を転換するように懇願したが、受け入れられなかった。会社としては女性の社会進出を支援する企業として彼女を広告塔としても活用したいと思っていたから、なおのこと、彼女に忍耐を強いた。会社の無理解と仕事のプレッシャーにさいなまれた彼女は、ついに薬物に手を出した。そして、警察の捜査の網にひっかかった彼女は逮捕された。
敵の多かった彼女に周囲は冷たかった。
結局、彼女は裁判にかけられて、懲役4年の実刑判決を受けて武州刑務所で服役した。
夫とは離婚されて婚家はもちろん実家との縁も切られた真奈美は刑務所を出て、天涯孤独だった。
「この間、寮に木田さんを訪ねてきた人は?」
「木田さんの離婚したご主人に雇われた弁護士さんよ。」
その弁護士は、二人の間に生まれた一人娘が自殺したことを伝えに来たのだった。有数のお嬢様学校に通う娘は母親が事件を起こして服役したことを気に病んでいて、さらに周囲から、そのことをネタにいじめられたりもしていた。たたでさえ思春期を迎えた子供の内面は不安定になりやすいのに、ましてや母親が他人にいえない経緯を背負って、それが原因となっていじめられたとあっては自殺もあり得た。木田真奈美が人目もはばからずに泣いたのは、そのことが原因だった。
紗月はあらためて彼女がみた生前の最後の木田真奈美の姿を思いうかべた。
彼女が更心心寮から出た日、寮の玄関で見送りのために紗月や他の人達1人1人と握手し、お礼を言って、最後に
「皆さん、お世話になりました、私もこれから元気に頑張りま すので、皆さんもどうかお元気で」
と言ったときの、彼女の爽やかな笑顔が思い出される。そして、それから僅かの間を経て、彼女は包丁を自分の腹に突き刺して死んでいった。
「彼女、もしかしたら私たちに嘘ついていたかもしれないの」
「嘘ですか」
木田真奈美が大阪に見つけたという就職先の名前をはっきりとはさせなかった。無理に白状させるわけにもいかないから彼女を問い詰めるようなことはしなかったが、不安に思われてはいた。
寮についた二人は玄関で別れて、諒順は早速、職員室で居合わせた畑井寮長たちに木田真奈美の自殺の件を報告した。無論、寮の職員たちは大騒ぎになった。
一方の紗月は自室に戻ると弁当を買い忘れたことさえ思い出さずに机に向かって、そして、震えた。
彼女が下獄したとき、既に同囚達は事件のことを知っていた。中にはTVのワイドショーの取材班が彼女の実家に押しかけて、インターホン越しに母が応対していた様を見て、それを同室の者の前で事細かく言う者もいた。
紗月はその時の両親の気持ちを思って泣き出しそうになった。それでも、在監中、時が経つにつれて面会に1度も来てくれないばかりか、心を込めて書いた謝罪の手紙にも梨のつぶてだった家族を冷たいと思う気持ちが全くないというと嘘になる。事件を起こしたことは弁解できないが、でも、私だって辛い思いをしていたということを家族には分かって欲しいと思って人知れず泣いたこともあった。
彼女は、今見てきたばかりの木田真奈美の亡骸を思いうかべた。
自分の罪が一番大事に思う人の命さえ奪ってしまう、その現実を突きつけられて、木田真奈美は自ら命を絶った。
紗月の家族も事件のせいで世間の嗤い者にされて、地獄を見たつもりになっていても不思議はない。
カーテンを引いて薄暗くなった自室で机に向かいながら、彼女は自分の罪は刑務所での日々で清算されたなど考えることは許されないと知り、そして、小刻みに震え続けた。