第5章 あの日
刑務所を釈放されてから1週間を過ぎた頃、紗月は更心寮の五平課長と面談して協力雇用主の三池商会が経営するコンビニエンスストアーで働くために面接を受けることになった。
その日、彼女は寮で夕食を取り終えるとさっさと入浴も済ませて、そして、他にすることも無いので自室のベッドに潜り込んだ。
暗くなった部屋で、彼女は眠ろうとして目を閉じてもさっぱり眠られなかった。
働かなくてはならないと思っている。ただ、不特定の人間と始終、関わらなくてはならないような仕事には自信が持てないだけだ。この気持ちが周囲の誰にも伝わらない。紗月にしても五平課長をはじめとした更心寮の職員たちの善意を疑うことはしないが、もう少し自分の気持ちを汲んで欲しいと思った。
だが、一方で紗月は覚悟を決めなければとも思った。
なにせ更心寮で雨露しのいで温かい食事にありつける期間は原則半年と決められていて、来年の5月下旬の期限以降は自分で働いて稼がなければならない。今の紗月の貯金額は医師だった頃の貯金と刑務所を出るときに受け取った刑務内作業報奨金の残金を合わせて15万円ほどしか無い。これでは2ヶ月分の生活費にも足りない。
いまさら孤独が辛いなどと言うつもりも無い、そんなものは事件以前から味わい尽くして慣れたつもりだ。どうせ分かって貰えないなら、放っておいて欲しいと思うが、世間にそれが通じないことも分かっている。
紗月はつまりは今の私に必要なものは労りやねぎらいではなくてお金なのだと思った。そして、あんな馬鹿な事件を起こさなければ今の様に悶々としながら寝ることも無かっただろうと思い、けたけたと笑いそうになり布団を引き上げて、そして、その中で涙した。
約10年前
松田紗月は母校の河北大学医学部を卒業すると国家試験に合格して医師免許を受けて付属病院に就職し、第1内科の医局員となった。
病院では第1内科に籍を置きながら幾つかの診療科を短期間で回り診察はもちろん患者との接し方を実地で学ぶローテーション研修の制度が取られていて、紗月もそれに加わった。
紗月は手抜き仕事はしない。
彼女は常に最高度の緊張をもって診察や治療に当たっていた。診療科がどこであろうともそれは変わることは無かった。患者にとっては医師が専門とする診療科など二次的問題で、患者の信頼には全力で応えなければならないと思い込んでいた。診療方針を立てようとする度に先輩医師の指導や手助けがあっても、彼女は該当分野の文献や患者のデータを全て検討しようとした。押し寄せる仕事の中で、彼女の志向を全て満足させる時間はないから、彼女としては常に不安の中で働いていた。かてて加えて彼女は大学院の学生にもなっていた。彼女は疲れ切ったが、それでも「新米だから」「駆け出しだから」と自分で自分を励ます日々が続いた。自分の天賦の才など信ずる気持ちにもならず、ただ努力しか無いと思うから、なおさら彼女は疲れた。
2年間の研修が終わり、第1内科の医局で戦力として期待され始めた頃、カルテに残された自分の文字で書かれた投薬指示も自分では出した記憶が無いことが多くなった。それに気がついた時、彼女は文字通り青ざめた。
患者の命を預かる医師が、よりにもよって投薬指示について記憶を無くするなど彼女からすると笑止だった。そんな沙汰を起こす自分が信じられず、程なくして些細な連絡のために看護師から名前を呼ばれる度に彼女の体は、びくん、とするようになった。
彼女が第1内科医局員として働き始めて半年ほど経った頃、彼女の担当した女性患者が死亡した。小さな診療所からの紹介状を持たされて河北大病院を訪れたとき、その女性患者の癌は既に手の施しようのないところまで悪化していて、だから、他の医師の誰も紗月を悪く言う者はいなかった。
だが、患者の家族は違った。
患者の葬儀が終わり初七日が過ぎた頃のこと、遺族という男性が2人連れで紗月の許を訪れた。
彼らは紗月に経過の説明を求めた。
遺族の疑念を解くことも仕事と思った紗月は、1人で会議室に入ると懇切丁寧に遺族の疑問に答えた。しかし、相手は、河北大学病院だから助かると思った、の一点張りで紗月の説明など聞こうともしなかった。
話し合いが始まって2時間も経った頃、紗月の頬が大きく鳴った。
彼女は遺族の男の一人に殴られて、避けようとしたこともあり椅子から転がり落ちた。そして、男達は、もういい、と言ってそこを出て行った。
会議室には驚きと悔しさで涙する紗月だけが残された。
似たような事が1ヶ月の間に紗月の身に他にも2件あった。
ある日、紗月は医局に5人いる助教授のなかの筆頭助教授をつとめる高野助教授に呼ばれた。
彼女はてっきり高野助教授が慰めてくれると思って呼ばれた会議室に入ったが、彼は慰めるどころか、紗月の治療のあり方や患者やその家族への接し方についてねちねちと嫌みと批判を繰り返した。彼女は、ひたすら平身低頭するしか無かった。要は、彼は「河北大学医学部附属病院第1内科の名誉を護れ」と言いたいのだと言うことぐらいは、人の良い紗月も分かった。
他人の不幸は蜜の味という名文句があるが、この頃を境に紗月に向けられる第1内科医局の空気が乾燥し冷たくなった。そして、この後、1ヶ月ほど経って、紗月に川田利明という先輩医師が紗月に近づいた。
医師として全力で治療しても救えない命があるという現実と、大学病院なら全ての患者を助けられると思っている世間との間で懊悩し疲労困憊する紗月は、しかし、患者の前に立つときは常に笑顔で穏やかでいることを自らに課して、だから、泣くのは常に自宅と決めていた。
彼女が仕事に押しつぶされそうになり疲れ切って泣きながら、それでも自宅として借りた仙台新内のマンションで持ち帰り仕事をしていた初冬のある夜のこと、川田利明がそこを訪れた。
実をいうとそれまで紗月は彼を意識したことが全く無いというと嘘になる。
彼は紗月より何歳か年上で、180cmの身長があり、高校時代はバスケットボールの選手として活躍したというスポーツマンで、第1内科の医局では若手のリーダーという感じの医師だった。何人かいる女子医局員たちは、皆、大なり小なり彼を狙っていることは紗月も知っていて、だから、遠慮がちにだったが、それでも彼を憎からず思っていた。
「君と一緒に飲もうと思って」
彼がそういうと、紗月が好きな赤ワインを目の前に出した。以前、彼と一緒に出席した飲み会で紗月が偶然、口にしたことを彼は覚えていたのだ。
紗月は、それまで泣いていたが、さらに涙が出て何も見えなくなった。
川田さんは私のことを思っていてくれたんだ、そう思うと体中が熱くなった。
その夜、紗月は彼とベッドを共にした。
紗月は何も言わず、ただ川田の厚くは無いがしっかりと筋肉のついた胸に顔を埋めて涙し、川田は彼女の髪をなで続けた。
翌年の2月頃のこと。
これまで紗月は川田と寝たのは3回ほどしか無かった。もっとも、2人の間で毎日、携帯電話を介したメールのやりとりは続いていて、それが疲れて時として夢も希望も無いような心境になる紗月を慰めた。
その日の夕方、紗月は自分の席のある内科病棟り第3ナースステーションでカルテの整理等をしていると、外の廊下で、松田先生居ますか、と呼ぶ声がした。
河北大病院の第1内科は担当する入院患者も大人数なら医局の規模も大きく、ナースステーションも3カ所に分かれていて、内輪で「メイン」と呼ぶ第1ステーションは医師や看護師たちが24時間詰めているような場所だが、紗月の席のある第3ステーションは間取りも小さくて、その時も、紗月と川田医師、そして看護師が1人居るだけだった。
紗月は、その男を見て、どきっ、とした。
身なりといい目つき顔つきといい、紗月の一番苦手とするタイプだったが、呼ばれて無視する訳にも行かず、紗月はその男の所に行くと彼は、ある女性の名前を口にした。
紗月はその名前をはっきりと覚えていた。彼女は紗月が担当して治療に当たったが、去年の12月初旬に治療の甲斐無く亡くなった。尤も、紗月にも言い分はあって、彼女は10月半ばのある日、勤務先だった仙台市内の金融機関で昼休み中に倒れ救急車で河北大病院に担ぎ込まれたが、その時には既に癌が手の施しようのないところまで悪化していて、誰が担当しても彼女の死去は時間の問題だった。
「その方は、私が担当した患者さんです、残念ながら昨年の暮 れにお亡くなりですが」
「そうだよな、確かにお前が担当したんだよな」
男はそういうと、死ね、と言いながら隠し持った果物ナイフで紗月を刺そうとした。
紗月は悲鳴を上げて廊下を走って逃げようとし、男は無二無三にナイフを振り回しながら紗月の後を追いかけようとしたものだから、丁度、ナースステーションにいた川田が手近にあった椅子を手にして廊下に飛び出して男と紗月の間に割って入り、そのステーションにいた若い看護師が非常ベルを押したものだから、制服姿のガードマンが2人、慌てた様子で駆けつけて彼を取り押さえた。
男は、その癌で死去した若い女性の父親だった。彼は仙台港を母港とする漁船の乗組員で、娘の死去の時は漁に出ていて死に目に会えず、船が帰港してから親戚の誰かから吹き込まれた根も葉もない噂話を真に受けて紗月を逆恨みして襲ったのだった。
医局の誰もが、この出来事を境に、以前にも増して紗月に余所余所しくなった。そして、この日から数日たって、川田が紗月のマンションを訪れて一夜を共にした。
紗月が逆恨みした遺族に殺されかけてから1ヶ月くらい経った頃のこと、紗月が病棟の女子トイレに用を足しに行くと、同じ第1内科で病棟勤務の紗月と年齢の近い看護師が2人、紗月を見ると驚いたような顔をして逃げるようにその場を去った。
実は、ここ1ヶ月くらいの間、紗月は同じ第1内科の医局員や看護師だけではなく、第2内科など他の診療科や薬局や臨床検査室と言った、紗月からすると「顔と名前が一致する」程度のつき合いの人達でも、紗月の方を見てひそひそ話しをしたり、中にはこちらを指さして笑ったりしている様に見える人がいることが気になっていた。そして、ある日、とうとう我慢できなくなった彼女は第1内科で親しくしていて信頼する年下の看護師に心当たりを聞いた。
紗月の悪い噂が病院内のかなり広範囲に出回っているのだ。 自分なりに一所懸命、時には心身共に疲れ果ててふらふらになりながら、それでも、医師だから、修行中だからと自分で自分を励まして職務に精励した。ただ、医学の限界を超える力は紗月に無い、それくらいのことは誰でも少しでも考えると分かるはずなのに、人は紗月の能力を疑い、人となりを嘲る。
医師として誠実に仕事に向かうことだけ、そして、努力だけは誰にも負けないだけが取り柄の私が、ここで挫けてしまっては今までの年月が無駄になってしまうと思い、彼女は歯を食いしばって屈辱に耐えた。そんなある日のこと、その日、彼女は担当患者の容体が立て続けに悪化したものだから2日連続で殆ど寝ないで勤務した後、文字通りふらふらになって強度の睡眠不足で吐き気まで覚える体調となり、晴れた日には徒歩で通うこともあるマンションと病院との間をタクシーに乗り、やっとの思いで自分の部屋に入ると疲れ果てていたものだから、この日はシャワーたげ浴びて布団に潜り込んで寝た。そして、彼女が帰宅して2時間ほども経った頃、病院で医師や看護師たちとの緊急連絡用に配られる携帯電話が鳴った。
寝ぼけ眼で電話に出ると紗月の担当患者の様子がおかしいので直ぐ来て欲しいという連絡だった。
紗月は内心、誰かに代わって欲しいと思ったが、これも修行と思って直ぐに病院に駆けつけ、紗月を呼び出した当直の先輩医師から話しを聞いて、自分の字で書かれたカルテと投薬指示書を見て青ざめた。
彼女のそれは、担当している癌患者への抗がん剤の過剰投与を指示するものだった。たまたまそれを目にしたベテラン看護師が紗月のミスに気がついて慌てて患者の許に同僚の看護師と一緒に駆けつけた時には患者はショック症状で痙攣を起こしていた。幸い、知らせを聞いた先輩医師達が救命措置を施したからそれ以上のことにはならなかったが、あと10分措置が遅れたら患者が亡くなっていても不思議は無かったと2人の先輩は紗月を極めて冷たい目で見ながら言った。そして、とにかく患者の様子を見に行こうとする紗月を彼らは、
「お前に担当する資格は無い」
と言い引き留め、さらに、
「大分、お疲れのようですからお帰りになって結構ですよ、松 田紗月先生」
と声にあからさまに冷笑の気味を乗せて言った。
紗月はその夜、自宅のベッドの中で、泣き続けた。
翌日、彼女は第1内科の上司で恩師でもある一ノ瀬教授の許に謝罪に言った。
彼は紗月にありったけの怒声を浴びせ、紗月はただひたすら平身低頭するしか無かった。
一ノ瀬は、これまでの紗月に自分がいかに忍耐強く臨んできたかを身振り手振りを交えて、くどくどと言いつのり、挙げ句、紗月に謹慎を申し渡した。
紗月の悪評は、これで決定的になった。
翌日、大学は報道陣を前にして謝罪会見を開き、各放送局は夜になってからの大学の外観を放映し、テレビ画面の下の方に「大学側の方針 再発防止の徹底」というおざなりのテロップをつけて流しただけだったが、紗月はそのニュースを自宅マンションのテレビの前に正座して泣きながら見ていた。
結局、紗月の謹慎は1ヶ月ほどで解かれて、医局で働き始めた。
復帰の朝の朝礼で、医局長の横に立って同僚達に挨拶するように言われた紗月は、これまで迷惑をかけたことを謝罪し、
「心を入れ替えて働きますのでよろしくお願いします」
と目の前に並んだ皆に言ったが、誰も何も言わなかった。同僚達の温かい励ましなど期待もしていなかったが、それにしても冷たいものだと思う半面、私は罪人だものねと諦めた。
5月初めの連休も終わった頃のある日の夜のこと、彼女は第1内科の第3ナースステーションの中にある休憩室にいた。
この頃の紗月は、自分でも不思議なほど睡眠時間が短くなっていた。とにかく眠られないのだ。そして、それは宿直のその夜も続いていた。
ナースステーションの室内で物音がしたと思い、そこに出たが、誰も居なかった。気になったので廊下に出て辺りを見回すと階段の辺りに白い何かが見えた気がしたが、気のせいだろうと思い宿直室に戻った。そして、数時間後、また、何か物音がした気がして宿直室を出たが、ナースステーションは相変わらず無人だった。
眠られない夜はこうして過ぎ、紗月は引継を終えると寝不足のまま働き始めた。
もはや同じ医局員達の態度が冷たいなどということを気にかけている場合では無かった、とにかく、他人の何倍も努力して、皆にかけた迷惑を少しでも償わなければと言う一心だった。だから睡眠不足でふらふらになっても、ストレスが原因と思われる湿疹が体のあちこちに出来ても気にせずに働いたし、それが正しいと信じていた。しまいには、吐き気もするほどの睡眠不足が快感になった。
そんな猛烈な勤務が続いていた6月初めのこと、第1内科のナースステーションに紗月を訪ねた人が会った。
彼女の胸には「第1外科 看護師 楠田聡子」と書かれたネームプレートがあった。その彼女が紗月に、少しだけお時間下さい、と言って誘い出した。
言われるままに紗月は彼女の後について、別の階にある小さな会議室に入った。
紗月が先に入り、後から入った楠田聡子は後ろ手にドアを閉めると紗月の前に回り込み、渾身の力を込めて紗月の頬を張り、殴られた紗月は床に倒れ込んだ。
「何するのよ!」
横面を殴られるなど生まれて初めてのことだったから、紗月も何が何だか分からずにいると楠田が
「この泥棒猫!」
と罵声を浴びせた。
何のことやら分からずに紗月が目を白黒していると
「あんたなんかに利明は渡さない、絶対に渡さない」
と涙を流しながら譫言のように言った。
同じ病院に勤務しているとはいっても、紗月は、自分のことを殴りつけて目の前に仁王立ちになっている楠田聡子とは初対面で、その彼女の口から何故、川田利明の名前が出てくるのかが分からなかった。
「あんた、彼と携帯電話でメールのやりとりしてるでしょ、知 ってるのよ」
目をつり上げて怒鳴りつける彼女の勢いに押されて紗月は頷いた。
紗月は、はっ、となった。
1ヶ月ほども前の当直の夜のこと、宿直室のベッドにいるとナーステーションで物音がした気がして確認のために起きたが誰もいなかったものだから、宿直室に引き返した。あの時、紗月が見かけたと思った人影は気のせいなどでは無く、楠田聡子だったのだ、彼女が紗月がいつも自分の机の引き出しに入れている携帯電話をこっそりと持ち出してメールの送受信履歴を見てから返したのだろう。
紗月は楠田聡子にこの場で殺されると思ったが、彼女は無言で会議室を出て行った後には驚きの余り床から立ち上がる気力も無くした紗月が残された。
それから数日後の土曜日のこと、疲れ切って何もする気ならず、マンションのリビングでテレビの前でうたた寝していた。
医者を辞めようかとこの頃、毎日、考えている。
紗月が救おうと奮励努力しても救えない命があるという現実。
今でも医師になって最初に最期を看取った患者のことを覚えている。その時、紗月は慌てふためき心臓マッサージをしたが、ついに帰らぬ人となった。
遺族からなじられ怒鳴られたのも1度や2度ではない、殴られ、挙げ句の果てに殺されかけた。
だが、医師を辞めたとして、何をして働くというのか。
彼女は、ふと父のことを思う浮かべた。
父も、そして、兄も、仕事を楽しんでいるなどとは見えなかった。皆、歯を食いしばって耐えていた。仕事とは、働くとはそういうことなのだと幼い頃から信じ続けてきた。
今、医師という仕事について、やはり耐えようと思う。耐えてすり切れて死んでしまえば誰か私の墓に花の一輪も手向けてくれる人が居るかも知れないと紗月は思い、そして、疲れたなぁとため息が出る。
リビングに横たわってぼんやりしていると玄関の外に誰かが来た。
川田利明だった。
楠田聡子との一件で、紗月の彼への思いは冷めていて彼からの携帯メールに返信する回数もへったが、仕事で世話になっている先輩でもあるから無碍にも出来ずに部屋の中に入れた。
「どうぞ」
リビングに置かれたテーブルに向かった川田の前に紗月は紅茶を置いた。
「疲れていないかい?」
作り笑顔で言う川田に紗月は上目で鋭い視線を向けた。
2人の間に沈黙が訪れた。
楠田聡子と二股をかけて弄んだ当の本人は、何の痛痒もなく、今、紗月の前に座った。それが彼女を苛ただせた。
「この間、大変だったんだってね」
川田が言いたいことは、紗月にも分かる。恐らく楠田聡子から聞かされたのだろう。
再び2人は沈黙した。
「なんで教えてくれなかったんですか、楠田さんのこと」
紗月は顔を上げて真っ直ぐに川田を見据えて抑揚の無い声で言った。
「まさかあいつが君の所に行くなんて思いもしなくてさ」
紗月がこれまで目にした笑顔の中で、最も下卑たそれを浮かべながら川田は言い、紗月はそれを聞くと何も言う気持ちにならず、下を向いた。それから暫くの間、川田は紗月が聞きたくもない医局内の噂話を1人で話し紗月の機嫌を取ろうとした。
「他にご用件は?」
しばらくして、精一杯、先輩の顔を立てて言う紗月に川田は潮時と思い席を立った。
帰り際、紗月のマンションの玄関先で靴をはくと彼は紗月に真っ直ぐに向かい一文にもならない笑いを浮かべながらあることを言った。
紗月が自分についてのあること無いことの噂が病院中、時には患者にも流れていることは知っているが、その殆どは楠田聡子が流したというのだ。
紗月は川田が消えた玄関で、しばらくの間、立ち続けた。
確かに抗がん剤の過剰投与を指示して患者が危うく死にかける事故を起こしたことは事実だし、それ以外にも小さなミスをあちこちで起こした。だから、悪い噂の原因は全て自分の頼りない仕事ぶりにあると思っていた。
紗月はリビングに戻ると床に座って泣き続けた。
医師という仕事を辞めた方が世の中のためなのだろうか、でも、辞めたとして次に何の仕事をするというのか。医師以外に私に何が出来るというのか、彼女は分からなかった。
それから1ヶ月くらいも経った頃のこと。
とにかく頑張ろうと思い、過労でふらふらになりながら働き続けていた彼女は、ある日のこと、担当した高齢の患者から、先生、残念だったね、と言われた。
患者から慰められるようなことなどあったかしらと不思議に思い問い返すと、その元助産婦という年上の女性は、紗月が誰が父親かもはっきりとしない子どもを妊娠して流産し子どもを産めない体になったという噂を聞いたという。
紗月は笑顔で否定したが、内心は穏やかでは無かった。
むろん、紗月にしても28歳のこの時まで全く男を知らない体では無い。男と初めて寝たのは大学一年生の時に、当時、好きだった同じ大学の別の学部に通う男子学生とだった。今だって、川田利明に言い寄られてから5回ほど寝ているが、その時もきちんと避妊はしている。だから、流産云々という根も葉もない嘘は下らない話しと聞き流すことも出来るが、それでは紗月の気持ちが収まらなかった。
「どこで、そんな話しを聞かれたのですか?」
「どこでって、ほら、私、先週、外科で手術を受けたでしょう、 その時の外科の看護師さんが言っていたの」
紗月は作り笑顔で訊いて、訊かれた方も紗月に同情しながら答えた。
その嘘を広めた看護師の名前を確認する必要などなかった。
紗月は全身が熱くなるような錯覚を覚えて、第1外科にどなり込んでやろうかとも思ったが、それはさすがにこらえた。
6月の中旬の日曜日、紗月は珍しく休むことが出来て、気分転換しようと思いキッチンに立った。普段、食事は外食かコンビニの弁当で済ませていたから料理などしたことが無く、だから、取り出した包丁の切れが悪くなっていることも、その時に気がついた。このままでは料理など出来そうも無いので、彼女は、住んでいるマンションからは結構な距離になる仙台の郊外にあるホームセンターに向かい包丁を買った。
翌日の月曜日からまた忙しい日々が始まった。
このところ、紗月は自分の体が宙に浮いているような感覚を覚えることがあるが、大して気にはしていなかった。そして、火曜日、水曜日と例によって誰が何をしても助けられないような病状になってから紗月が担当になった患者の容体が急変し紗月の目の前で亡くなり、彼女は結局、殆ど寝ずに仕事をして48時間勤務となった。そして、水曜日、さすがに疲れ切った紗月は、吐き気を覚えてふらふらになりながら、それでも午後7時過ぎになんとか退勤でき、徒歩でマンションに向かった。
紗月が病院の正面玄関を出て背中を丸めて敷地を歩いていると駐車場から出てきた車が人通りのある場所では非常識な程の早さで紗月に近づき、一瞬振り向いた紗月は、慌ててよけようとして転び、挙げ句の果てに地面を這いつくばって逃げた。
紗月をもう少しで轢きかけた車のテールランプが赤く光り、運転席の窓から1人の女が顔を出して
「さっさとどこかに行っちゃいなさいよ、この藪医者」
と紗月に罵声を浴びせた、どこかへ走り去った。
顔はよく見えなかったが、紗月は声を聞いて、紗月を轢きかけたのがだれだか分かった。
それは楠田聡子だった。
紗月は気を取り直すと立ち上がり、服についた埃などを軽く手で払うと自宅を目指して歩き始めた。
自宅に着くと紗月は食事も取らずにシャワーだけ浴びて、出るとそのままベッドに倒れ込み、俯せになって身動ぎ一つしなかった。 医師という仕事に未練など無くなって大分、経つ。今はただ責任感だけが働く動機だ。
もう嫌だ、全てが嫌だと思いながら、疲れ切った紗月はそのまま眠りに落ちた。
翌日は木曜日で、この日は、紗月は珍しく休暇を取っていた。それというのも彼女は7月に札幌で開催される幾つかの大学の合同研究発表会の席での報告を一ノ瀬教授から命じられており、だからこの日はその資料の整理と作成のために、マンションに居ることにしたのだ。
紗月はどんなに疲れ切っても仕事から手を抜くことはしない。
朝は6時に起きて、それから昼食の時を除いて、夕方までパソコンの前に座って発表の原稿を作っていた。
夕食の時間になり、彼女はキッチンに立つと慣れない手つきで、野菜を切っていた。そして、左手の薬指を浅く切ってしまった。
切り傷は浅いほど傷みが強いことがあるが、この時の紗月の傷は正にそれで、彼女は傷ついた手をぶらぶらさせた。
この時、紗月の中で何かが弾けた。
もうどうなっても良い、紗月はそう思った。
今まで堪えてきたが、あの楠田聡子だけは許す気にならなかった。特に彼女の運転する自動車が疲れ切って退勤する途中の彼女に近づいて
「 さっさとどこかに行っちゃいなさいよ、この藪医者」
と大声を上げながら走り去ったことは、今、思い出しても身震いする。
紗月は、部屋着から、出勤の時に着ている服に着替えると、これもいつも使っているウエストポーチに果物ナイフと財布を入れて病院に向かった。
楠田聡子を探しに病院の第1外科のナースステーションに行ったが、その時は緊急の手術とかで彼女は不在だった。そこにいた看護師に今日の楠田の勤務を訊くと相手は紗月が第1内科の医師ということは知っていたから簡単に午後11時に退勤となる準夜勤だと教えてくれた。
紗月は顔見知りなどに見られてもと思い、それでもしばらくは病院のロビーで時間を潰した後、一端、自宅に戻った。
楠田聡子が退勤するまで、あと約5時間はある。
今日、楠田聡子を刺さなくてはと紗月は思った。
あの女を生かしておくことだけは出来ない。
あの頑健そうな体格、勝ち気そうな目つき顔つき、他人を押さえつけることが天命とでも言うかのような声、どれもがこの世で害悪でしかなく、だから、今日、その害悪を取り除かなければならない。
紗月の決意は最早、毫も揺るがなかった。
その日の午後11時を15分ほど過ぎた頃、楠田聡子は同僚達と、お疲れ様、と挨拶を交わして河北大病院の職員通用口を出た。そして、すこし歩くと彼女は近づく足音に気がついて立ち止まり振り向こうとすると、右腕に激痛を感じ悲鳴を上げてその場に倒れ込んだ。その彼女に頭からすっぽりとジャンパーのフードを被った何者かが覆い被さり、更に彼女の背中を2カ所刺した。刺された楠田聡子が悲鳴を上げて、それでも四つん這いになって逃げようとして、刺した人物はその背中に乗ると刃物を振り上げて最後の止めを刺そうとしたとき、通りかかった誰かが大声をあげ、それを聞いてナイフを手にしたまま何故か右足を少し引きづりながらその場から走って逃げた。
慌てて駆け寄った同じ病院の別の診療科に勤める看護師が急いで楠田聡子を助け起こすと、彼女は、死ぬ死ぬ、と言いながら泣いていた。助け起こした方は大慌てで病院の中に駆け込み保安室の警備員に連絡し、それから以後、病院内は大騒ぎになった。
担架で救急救命室に運ばれた楠田聡子は傷の手当てを受けたが、その治療に当たったベテラン外科医は治療を終えてから、あの程度の怪我で死ぬ奴はいない、と後輩の医師に呟いた。
病院から事件発生の通報を受けた警察は直ちに付近一帯に緊急配備を発令し、そして、日付が変わって間もなく、病院付近の路上で通報された加害者の服装と似た服を着ている人物にパトカーの乗務員が気がついて職務質問を実施、質問された人物が犯行を認め、手に持った果物ナイフの刃先に血痕らしく物が付着していたことから、取りあえず警察署に同行させた。こうして、松田紗月は殺人未遂罪で逮捕された。
裁判で、紗月の弁護を担当した弁護士は新倉といい、紗月の上司であり恩師でもある河北大学第1内科の一ノ瀬教授が秋田の紗月の実家に、娘の事件の弁護を依頼するように斡旋し受任した弁護士だった。
紗月は警察の取り調べには素直に応じた。
彼女の裁判では、紗月が被害者の行動を把握したのが犯行の数時間前であること、被害者の受けた傷が致命傷ではないことから、人間の肉体の構造を熟知した医師である紗月が被害者を刺したときに強い殺意をもっていたと断定出来ないこと等、警察検察側の言う「強度の計画性」「残忍な殺意」の裏付けは弱かったが、弁護側は何故か紗月に有利な弁論は一切展開せず、ひたすら彼女を平身低頭させ更生を誓わせるだけだった。紗月が犯行直前まで異常な過重労働な晒されて結果として精神がバランスを欠いて責任能力に疑問がある、などと主張することもなかった。事件の捜査の過程で第1内科から紗月の勤務状態に関する資料の任意提出を受け分析に当たった県警や地検の係官達すら紗月のそれが裁判で争点になると思っていたから、弁護側が争わないことには驚いて、法廷を担当した検事は部下の検察事務官に、あの弁護士は手抜き仕事をした、と紗月の判決後に小声で言った。
裁判で紗月が最もショックだったのは、検察側証人として川田利明が出廷し、紗月の気持ちが迷惑だったと証言したことだった。被害者の楠田聡子も紗月を許す気持ちなど微塵も無く、厳罰を求める意見書を裁判所に提出した。法廷を担当した検察官も、その意見書に書かれた余りにも激越な楠田聡子の言葉に辟易し、検察官室を訪れた担当の県警の捜査員にその意見書を指で指しながら、女は怖いねえ、と冗談を交えて言った。
ともかくも、裁判所の判決は、その年の11月の中旬頃に、松田紗月に殺人未遂罪で懲役6年に処すると宣告した。
判決の日、紗月の許を新倉弁護士が訪れ、これ以上、法廷闘争を繰り広げても刑罰の軽減の見込がないこと等を諄々と説き、紗月もすっかり気力を無くしていたから素直に彼の言うことに従い、こうして彼女の懲役6年と言う判決は第1審で確定した。
逮捕起訴されてからの毎日、拘置所の硬いベッドの上で、紗月は、もうどうでも良いよ、と考え続けた。
ひたすらまじめに働いてきた父と、子どもや家を護るために明朗に快活に日々のつとめを果たし続けた母、そして、裁判官をしている年の離れた兄。皆、自分の事件で迷惑していることだろう、それを思うと、自分の刑期を云々することが許されるとは思えなかったのだ。
そして、判決が確定し、彼女はその年の11月下旬に栃木県にある武州刑務所に収監されて6年間の刑期を過ごして、釈放後、更心寮に住むようになった。
地獄とさえ思った刑務所から出られたというのに、なんだか全てが他人事のようでふわふわしている。それでも一つだけ確かなことは、背中で感じる布団の感触だった。
この日、更心寮の人の街路樹は穏やかな風に枝を揺らしていた。