第25章 願い
テレビのニュースでは関東地方などでは人々が耐えがたいほどの湿気と高温にさらされている頃、釧路地方の空には鰯雲がたなびきはじめていた。
この日、紗月は田中事務所を定時に退勤して、虔陵院に着いた頃には午後4時を少し過ぎていた。
庫裡の前に車はないから順照達はどこかに出かけているのだろう。
自分の部屋に入り着替えると何時もの癖で窓を開けて外を見る。そして、いつもそうするように、温かい紅茶をマグカップに入れて口をつけた。
窓の外は相変わらず濃い霧が立ちこめている。風向きのせいなのだろうか朝よりも虔陵院の周囲のそれは濃くなった様だ。その様子を見て思わず知らずため息が出て再び紅茶を口にした。そして、机の上にある外国旅行の雑誌を開いた。今、彼女が読んでいる雑誌はトルコ特集を組んでいる。雑誌のページを捲るとトルコの数々の名所旧跡の写真が紹介されている。綺麗な、そして、日本とは比べものにならないほど乾燥した国土の景観は、正に一見に値するだろうと思う。
どうせ世間に居場所の無い身だから気ままなバックパッカーにでもなって世界中を放浪するのも悪くは無いと刑務所の運動の時間にグラウンドに出されて空を見上げながら考えたこともあった。外国でも国内でも良いけれど、旅行に出かけるときは気のあう誰かと一緒に行きたいと思う。雲一つ無い夏空の下に広がる大平原を、心を通わせた男性と手をつないで微笑み会いながらともに歩く自分を思い浮かべて紗月は頬を緩めたが、そんなことはこれから先の人生で期待できないことを思い出すと急に冷静になり手にした雑誌を閉じて窓越しに海霧に閉ざされた空を見上げた。そんなふうにして、時々、紅茶で喉を潤しながら本を読んでいると午後5時を少し過ぎた頃、順照と実加子が外出先から戻ってきたので紗月は早速、茶の間に行った。
「お帰りなさい」
2人は口々に、ただいま、を言い、実加子が手にしたビニール袋から日本酒やビール缶を取り出した。
順照が酒好きということは知っているから驚きはしないのだが、それにしても量が多いような気がした。そうこうしているうちに庫裡の玄関に
「こんにちわ、寿司富です」
という声がした。
紗月は順照から、頼むよ、と言われて財布を渡されたので受け取って支払いを済ませて寿司桶を四つ受け取った。
何のお祝いだろうと思いながらそれらをもって茶の間に行くと実加子が受け取ってテーブルの上に並べた。
「今日は、私の誕生日なんだよ、祝っておくれよ」
順照の言葉に紗月は納得した。
今日も順照が夕づとめをしている間に2人は銭湯に行くことにして風呂道具を持って庫裡を出て、そこから戻ると間もなく順照が既に席に着いた。
順照には好きな地酒「海霧」が、紗月にはビールが出された。見ると実加子がグラスを両手で持って順照を満面の笑顔で見つめている。
「飲みたいのかい?」
「だって、私、町内会の懇親会のとき、途中で具合悪くなってあまり飲めなかっ たし、今日は順照さんの誕生日だし、美味しいお寿司もあるし、だからお酒も 美味しいだろうって」
順照は、あまり沢山飲んじゃ駄目だよ、といいつつ缶入りカクテルをグラスに注いだ。
2人が、順照さん、お誕生日おめでとう、といい、順照が、ありがとう、と言って3人で乾杯した。
寿司桶の中に並べられた職人の手業がしのばれる目にも彩な握り寿司の数々。どれから箸をつけるべきかしばらく迷う。
紗月は少しの間考えてからマグロに箸をつけた。
「おいしい」
思わず声が出る。
順照に勧められるまま口にした「海霧」はなるほど海の物にあう日本酒のようだ。
「奮発して特上にしたからね、遠慮しないでお食べよ」
目の前の寿司の味は格別で、最後に本格手的な寿司をいつ食べたか思い出せない程に遠ざかっていたから、次にどれから手をつけようか迷ってしまう。
「この間、事務所に変な電話があったんですよ」
紗月は箸を動かしながら、先日の昼間、事務所に東京の大谷と名乗る男性から電話があったと言った。
それを聞いた順照は壁に掛けてあったカレンダーを見た。
「田中さんはなんて言ってたんだい?」
「分かりました、とだけ言っていました。」
紗月は「海霧」の入ったグラスを口に順照が何か言うのを待ったが、順照は無口なままだった。その時の順照の表情は、何かを知ってることを語っていた。だが、紗月は敢えて深入りはしなかった。
その日の夜は主役であるはずの順照が、夜更かしするんじゃ無いよ、と言って眠った後も2人は実加子の部屋で酒を酌み交わし、何時床に就いたのかが分からなかった。
翌週、月曜日のこと。
紗月は寝坊して順照に叱られて、慌てて着替えを済ませて朝食を取ると出勤した。
昨日、今日と釧路は相変わらず海霧の底にある。この気候になれない紗月からするとさすがに朝からげんなりするが、地元の人は慣れているのか達観しているのか、とにかく一切動じる様子は無く、粛々と生きて働いている。その姿に紗月は逞しい人間達を見た気がする。
この日も所長の田中に言われたとおり午後3時には職場を出て徒歩で虔陵院に向かい、午後4時前後には着いた。そして、どこかに出かけていた2人が戻って、順照が夕勤めを終えた頃、
「紗月さん、夕ご飯できたよ」
と言いながら、実加子が紗月の肩に触れた。いつの間にか机に突っ伏して居眠りしていた紗月は2人が帰ってきたことにさえ気付かずに眠りこけていたようだ。
茶の間では何時も通りの夕食を終え風呂に入り、3人でテレビニュースを見た。
一大事のように国政の動きが伝えられるが紗月からすると全て他人事で退屈な代物でしか無い。それは多分、他の2人も一緒だろうと思ったが、ある二ユースを見ている実加子の顔色が変わって一言、テレビの前に並んで座っていた紗月ですら聞き取れないような小さな声で
「お父さん」
と呟いて、そして、自分の部屋に駆け込んだ。
そのニュースは東京に本社のある国内有数の規模を誇る総合商社「四藤商会」の社長が海外における投資事業の失敗で会社に多額の損失が発生したことを記者会見で発表し陳謝している場面だった。
どうしたのだろうと思い、すぐ後を追う素振りを見せた紗月だが、思い直してテレビの前に座り直した。
まもなく順照が寝て、茶の間で1人になった紗月は実加子の様子が気になった。
四藤商会というと少しませている小学生でも知っているような有名企業で株式も公開している。だから、実加子がその株主であっても不思議は無いのだが、ただ、実加子が株式投資をする様にも思えなかった。それに普段とまるで異なる実加子の様子も気になる。
10時少し前、どうにも我慢できなくなった紗月が実加子の部屋の戸を開けた。
部屋は灯りが消され、実加子は蒲団を被っていた。
暗い部屋の底で、実加子は肩をふるわせて泣いていた。
「実加子ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だったら。あっちいってよ!」
心配して実加子の枕元辺りに行き声を掛けた紗月に、普段、実加子が紗月に向かって話すときとは全く異なった険しい声音で良い、紗月は気圧されて部屋を出た。
結局無駄骨を折った紗月は茶の間に戻って灯りを消して自分の部屋に入ると資格試験の勉強を始めた。
机の上の時計が11時を少し過ぎた時間を指す頃、不意に眠気を覚えたので今日はこれまでと思い、寝間着に着替えている最中に部屋の戸を叩く音がした。てっきり順照かとおもって開けるとそこには照れくさそうにしてマグカップと何本かの缶ビールが乗った盆を持った実加子が立っていた。
「良かった、まだ起きていて、入って良い?」
「うん、入ってよ」
紗月は実加子を笑顔で招き入れた。
紗月の部屋の壁に背中をつけて並んで座った2人の前に実加子が持ってきた盆が置かれた。
「紗月さん、さっきは、ごめん、私、つい」
「気にしないでよ、私もこの年なのに泣いてばかりだし」
2人は乾杯と言いながら、実加子は好きなホットココアの入ったマグカップに、紗月は缶ビールに口をつけた。
「私、お父さんのこと、久しぶりに見たもんだから、つい、それにお父さんがあ んなことになっているなんて」
紗月が、実加子が「お父さん」というのを聞いて誰のことを言っているのだろうと思い、はっ、となった。
「もしかして、実加子ちゃんて、四藤商会の」
実加子が無言で頷いた。
四藤商会を経営する四藤家は国内でも有数の正に大財閥だった。
「さっきテレビで頭下げていた四藤義彦さんは私のお父さんなの、私は末娘で、兄、姉、兄の順できょうだいがいるの」
しばらく、部屋には沈黙が訪れた。
紗月は愚かなことだと思ったが、どうしても知りたいと思い実加子に聞いた。
「実加子ちゃん、東京の増井諒順さんと実加子ちゃんは従姉妹同士って言ってな かったっけ?」
「うん、私のお母さんと俊子さんのお母さんが姉妹なの」
「俊子さん?」
「諒順さんが出家する前の名前、増井俊子さん」
実加子は諒順と名前を変えた増井俊子について話す時の顔は、酷く悲しげだった。
「俊子さん、可哀想なんだよ」
実加子の母、光子は旧姓を増井と言い、姉に晴子、妹に彰子がいる。増井家は地元では指折りの旧家で資産家でもあり、長女の晴子が養子に迎えて嗣いで息子の貴之と娘の俊子を設けた。
俊子は難関校の洛西大学工学部でコンピュータ科学を学び大学院まで進んで、そこを卒業後、ある大手商社に就職した。
商社で働き始めて3年ほどして俊子は会社を辞めて大学時代の友人の女と共に貿易会社を起こした。そして、その女は信じ切って俊子が貸した実印まで使って借金を作った上に、逃げた。
俊子は会社を守りたかった、思い上がった挙げ句に会社を倒産させたなどと世間で言われることが嫌だった。だから、その返済資金を得るために元の勤め先の商社のコンピュータネットワークに侵入して自分の銀行口座に金を振り込ませた。
あの商社に自分以上の能力を持つコンピュータエンジニアはいないから犯人が自分だとばれるわけはないと思っていた俊子のマンションに、ある朝、何人もの私服警官が数枚の令状をもって現れて、彼女はその場で逮捕された。
逮捕されてから起訴までの間に彼女の弁護士は被害に遭った彼女の元の勤め先の商社と交渉した。そして、彼女が損害を弁償してくれるなら弁護側証人として担当者が出廷して裁判所に寛大な処分を求める証言をしても良いという言質を引き出すことに成功した。
俊子の両親は金策に奔走した。しかし、どうしても損害額の全部を賠償することはできなかった。
保釈されて実家にいた俊子は父親に蟄居を厳命されて家にいた。そんなある日のこと、母親に買い物を頼まれた。俊子も近所とはいえ久しぶりの外出だから嬉しくて直ぐに出かけた。そして、それから帰った俊子は家の外の物置で自分の胸に包丁を刺して冷たくなっている母親を発見した。家の茶の間の食卓の上には、損害賠償額の不足分については自分の生命保険金で精算して欲しいこと、,娘の俊子の罪は自分が背負ってあの世に行くので許して上げてほしいこと、俊子には幸せになってほしいことが書かれた遺書が置かれていた。
半狂乱になった娘は母の遺体にすがって泣いた。
結局、俊子には懲役2年の判決が下って下獄した。そして、出所後、世をはかなみ母の菩提をともらうために出家得度したのだった。
紗月は実加子の話を無言で聞いた。
諒順と名乗った後の彼女しか紗月は知らない。
紗月は、あの人にも色々とあったんだね、と思う。
とにかく頭の回転の速く聞き役に回るよりは演説する方が得意といった人だが、正鵠を射ているから不愉快にはならない。でも、それだけだった。紗月は慣れたし不快にも思わないが、諒順に厳しさを感じる人がいても不思議は無いとも思う。
「うちのお母さんと俊子さんのお母さん、めちゃくちゃ仲が悪かったんだよ」
実加子が前を向いたまま温くなったココアの入ったマグカップを口にしながら呟くように言った。
諒順と名乗った後の増井俊子と四藤実加子は、お互いに似たような傷を持つ者同士ということもあってか随分と気易く話す仲になった。
諒順の母、晴子は、ぐれた実加子が最初に警察に検挙され女子少年院に送致されたとき、光子を面罵した。だからなのか、諒順が事件を起こした時、晴子から光子に借金を頼むでも無く、晴子は自らの命と引き替えにお金をこの世に残した。
「あの小母さん、見栄っ張りなんだよ、うちのお母さんの姉妹、みんなそうなん だ」
実加子は、幼い頃から母の笑顔を見たことが無かった。母が実加子に向かうときは常に怒声を発していたし、随分、殴られもした。父が居るときは実加子を庇ったが、多忙な人だから不在がちで、実加子は常に母の暴力に怯えながら暮らしていた。余りのことに母方の祖父が実加子が小学校の3年生の時からの2年間を長女の晴子夫妻の家に預かって貰えるようにしてくれた。尤も、この時も、実加子からすると母方の叔母の晴子も従姉妹の俊子も決して優しくはしてくれなくて、歴然と厄介者扱いだったという
2人は壁に背中をくっつけて無言のままで、闇を見続けた。
「私が紀州刑務所を仮釈放になった時、保護会に預けられたの、その時ね、諒順 さんが面会に来てくれたの」
実加子の母と俊子の母は正に犬猿の仲だったこともあり、実加子からすると特に親しみ深く思うことも無かった諒順が突然、施設にいる実加子を訪ねてきたことに驚いた。その時、既に俊子は出家得度して名も諒順と改まっていた。そして、実加子に対して以前と比べて随分と優しくなっていた。それ以降、諒順と実加子は何くれとなく連絡する仲になった。
実加子は仮釈放期間があけると地元の保護会の世話で大阪の弁当工場に勤めるようになった。そして、ある時、工場で倒れた。驚いた工場の人が病院に担ぎ込んで手当を受けた。そして、間もなく、彼女ががん患者ということが分かった。
実加子はこれといって身寄りの無い大阪でがんを抱えながら1人で生きていくことは心細かった。だから、東京の増井諒順に相談した。
とりあえず工場は辞めて、大阪市内に借りたアパートの一室で1週間ほども泣き続けていた実加子の元を彼女から連絡を受けた諒順が訪ねた。
「実加子ちゃん、連絡をくれてありがとう」
洋服姿の増井諒順と実加子は部屋の中で抱き合って泣いた。
諒順は全てを聞いた上で実加子の希望を容れて釧路の虔陵院に居る渡辺順照の許に身を寄せるように取り計らった。
実加子が大阪を出発する前日、諒順は彼女の許を訪れて一緒にホテルに泊まった。
諒順も実加子とその実母、光子との間柄がこじれていることは当人達から聞いていたが、それでも恐らくは双方にとって今生の別れとなると思い、光子に自分の携帯電話の番号を教えて指定した時間に電話をくれるように頼んでいた。だが、待てど暮らせど電話はならなかった。
しびれを切らせた諒順が光子に電話すると、電話に出た光子は平然とした声で、実の娘の実加子と話すつもりはないと言い放った。生来の気の強さを現した諒順は、それでも胸に宿った怒りを抑えた口調と声音で光子を説得に掛かったが、押し問答をしている間に携帯電話機のバッテリーが上がってしまった。
電話越しの2人のやりとりを横で見ていた実加子は、何故か可笑しそうに笑った。
実加子とて自分の起こした数々の不始末が家族に迷惑を掛けたことは分かっていた。それでも、自分を産んだ母親から、せめて今生の別れに一言、建前でも良いから、労りと慰めの言葉を聞きたかった、そして、その言葉を聞けた喜びを胸にそう遠くない将来に心静かにあの世に旅立とうと思っていたが、母にその思いは通じなかった。
「あの夜は諒順さんとずっと話していた」
灯りを消した紗月の部屋でも、その時の実加子が笑顔だと言うことははっきりと分かった。
「諒順さんね、私は尼失格だって言ってたの」
「あの自信たっぷりな諒順さんが?」
その大阪のホテルでの夜のこと、諒順は実加子と並んでベッドの上に座って実加子の方は見ずに静かに実加子に語った。
諒順は、私は生まれつきできが悪い、といい、どんなに修行しても仏様の慈悲を受けられる様なガラではないと実加子に言った。
「でも、だからこそ、仏様の慈悲にすがるって。私にはそれしかできないって言 ってたの」
紗月は実加子から諒順の話しを伝え聞いて、そして、彼女の顔を思いうかべながら、缶ビールを飲んだ。
「仏様にすがるか、私には無理だな」
紗月は実加子の方を見て微笑んだ。
「紗月さんって頭良いから自分で解決できちゃうよね」
「そんなことないよ、私なんて普通だよ。」
紗月が実加子に言ったことは素直な感想だった。
彼女は中学生の頃から努力だけは人一倍のつもりだった。だから通っていた学習塾で受けた模擬試験でも得意にしていた数学と理科が全国でも指折りの順位になったことが何度かあった。高校に進学してもその努力は変わらず、常に学年でトップクラスの成績だった。だが、それだけだった。勉強が特に好きだった訳ではない。嫌いではなかっただけだ。
「生まれつき頭の良い人っているものだよ、大学生だった頃に思い知ったよ」
紗月は缶ビールを少しだけ飲んでから、呟くように実加子に言った。
「紗月さん、そんなに辛かったのに医者を辞めようとは思わなかったの?」
「正直、楠田聡子を刺す直前まで、医者を辞めたいと思ったことはあったよ」
紗月は実加子に問われてぎくりとしたが、酒のせいもあって正直に言った。
「でも、それって逃げるってことだって思ってた」
紗月は他人に最も触れられたくないことに答えている自覚はあるのに、自分でも不思議なほど冷静だった。
「私ってさ、何も出来ないって自覚はあるんだよ、こんな私だから家族から見捨 てられたら生きていけないって、小さい頃から思ってたんだよ。だから、勉強 では努力したよ、それ以外に私に取り柄なんかないってことは知ってるからね、 まあ、結果としてあんな馬鹿なことをして家族に、それこそ地獄を見せたのだ から世話はないけどね。今から考えると河北大学病院で働くことに拘らなくて も医者の仕事を続けることだって出来たのに、あの頃の私は河北大学病院でな ければだめだって、ここを辞めると言うことは医者を辞めることだって信じ込 んでいた。医学部で同期だった人達であの病院に残った人の方が少ないのに、 私も馬鹿だったって思うよ。医者だった頃のことは殆ど思い出せないけど、た だ、あの病院を辞めたら恥ずかしいって思ってたことは覚えている。意地にな っていたんだね。東北地方はどこでも医者不足でね、どこか小さな町や村の診 療所の先生になっていたら、それに癌治療なんて分野を専攻していなかったら、 あんな事件をおこしはしなかっただろうとは思うよ」
実加子は紗月の方を向いて深く頷いたが、紗月は彼女の方を見ようともせずにビールを飲んだ。
「私、寂しかったんだ」
紗月は暗くした部屋の一点を見つめながら再び口を開き、実加子も同じように紗月の方を見ようともせずに暗闇を見つめた。
「私と年の近い先生達は患者や家族から感謝されたり、たとえ患者を救えなくて も、先生ありがとうって言われたりしてた。私はそんなことが一度も無かった。 私だって少しは医者になって良かったって思ってみたかったのに」
「確かに、それって辛いよね」
「河北大学病院は東北地方の医療の拠点の一つになっていてね、入院患者も病状 の進んだ人が多いの。言い訳にしかならないけど私以外にも若い先生たちの担 当した患者さんたちも死んだ人達は珍しくないんだよ。でも、助けられないま でも延命した患者さんやその家族の人達から、先生、ありがとう、とか、お世 話になりましたとか言われていた。今更だけど、私だって一生懸命やったんだ から、少しは温かい言葉を聞きたかったよ、でも、私が言われたのは、恨み辛 みばかりだった、挙げ句の果てに遺族から殴られたり殺されかけたり、まさに 散々だったな」
「友達とかには相談しなかったの?、紗月さんって友達が沢山いそうだどね」
「いることはいたよ。でも、私が友達だって思っていても、向こうは違ってい た」
紗月は携帯電話を取り出すと実加子に例のインターネットにアップロードされた医学部5年生だった時に一緒に病棟実習を終えた仲間と医学部校舎の玄関で撮った写真を見せた。その写真には「医学部と書かれた看板を指さして笑っているのが犯人の松田紗月です」と説明が添えられていた。
「この写真がインターネットに?」
「私の名前をポータルで検索すると事件が出てくるの、そして、それとリンクし てこれが表示されるようになっているの」
暗くてよく見えないが、紗月は真っ直ぐ前を見ながらうつろな目をして言った。
「これでは紗月さんのことが皆に知られてしまうよ。誰がこんなことを?」
「私の右隣に立っている人いる佐藤明子という人。この間、ここに来た藤田登喜 子さんが教えてくれたの。実加子ちゃんを診ている藤田先生と彼女は河北大病 院の第2内科で一緒でね、藤田先生が河北大病院から釧路に来るときに開かれ た送別会で明子が直接、藤田先生に言ったのだって。彼女ね、事件の時に私が 言い訳ばかりしているから、それが医者としても人間としても許されないから 義憤に駆られてそんなことしたのだって言ったてそうだよ。私、医者だった時 も患者さんや家族に病状の説明以上のことは言わなかったはずだし、裁判の時 も何を言っても無駄だと思って、はい、としか言わなかったのだけどね」
紗月は寂しそうな微笑を浮かべながら実加子に言った。
「私と明子は大学生だった頃からの友達でね、親友と言うほどではなかったけど、 結構、一緒に遊んだりした仲なの。就職も一緒に大学の病院で、所属も私は第 1内科で明子は第2内科だった。明子なら私が仕事で苦労していたことを分か ってくれるって思ったの。だから、刑務所にいたときに1度だけ明子にお手紙 書いたの。何を書いたかなんて殆ど忘れてしまったけど私のことを覚えておい て欲しいと思ってね、刑務所の中で一緒だった人達から塀の外で1人で生きて いくのは大変だって、やっぱり誰かに助けと欲しくなるものだって聞かされて いたからね、明子に何かをして欲しいとは思わなかったけど、せめて、私のこ とを忘れないで欲しいって思ってね。でも、明子からの返事は無かった。ある わけないよね、こんな写真をネットにアップするくらいなんだから、私から気 持ちが離れていたのだよ」
「その佐藤明子という人はひどいよね」
「結局、私は医者だった頃は独りぼっちだったということだね」
暗い部屋の中、良くは見えないが紗月は無表情で皮肉っぽい口調で言った。
「いまさら言っても仕方が無いけど、私が楠田聡子を刺そうとしてマンション を出るときに、私のことを殴ってでも止めてくれる人がいたら、あんなこと にはならなかったと思うよ。やっぱり独りぼっちは駄目だよね」
そう言いながら、紗月は実加子を見つめて、それから、酷く遠い目をしながら小さくため息をついた。
「この間、藤田さんが来た時に、私が医者になって病院に初めて出勤した日 のことを覚えていてくれて、それで私も思い出しちゃった、私もあの頃は 元気だったんだなって」
紗月は体育座りになって片方の手で缶ビールを持って膝頭に顎を乗せるようにしながら実加子の方を見ようともせずに呟くように言った。
「確かに、この頃、紗月さんは元気になったよね。」
紗月は実加子に言われて苦笑しながら頷いた。
紗月が虔陵院で実加子達と暮らすようになって間もなくの頃のこと、夜中にトイレに起きた実加子が紗月の部屋から聞き慣れない物音が聞こえてきたような気がして、そっと戸を開けると布団の中で紗月がうなされながら寝ていた。
翌朝、実加子が恐る恐る紗月に昨夜のことを聞くと紗月は恥ずかしそうにしながら悪夢にうなされることが多くて、中途半端な時間に目が覚めてしまい寝不足になることが多いと言った。それからというもの、実加子は夜中に紗月の部屋から聞こえる物音に気を配るようになった。
「突然、泣き始めることもあるよね」
実加子は真っ直ぐに前を見ながら言った。
紗月は田中事務所で働き始めるまでは日に3度の食事を順照たちと共にしていた。
彼女が庫裡で暮らし始めて10日ほども経ったある日のこと、3人が食卓に向かって昼食を取っていると突然、大粒の涙をこぼした。それを見た順照と実加子は驚いて、順照が声をかけたが当の紗月は何のことだか分からない様子できょとんとしたまま箸を持つ手を止めた。
紗月は順照に言われて壁に掛けてある鏡に映った自分の顔を見ると確かに涙を流していた。そして、ドライアイが酷くて、と言ってごまかした。
悪夢にうなされることも気持ちとは関係なく涙が出て慌てることも少なくなってはいる。だが、全くないわけではない。
「紗月さん、思い切って、専門の先生に診てもらったら?」
「嫌だよ、そんなこと」
紗月は実加子に言われても言下に否定した。
「なんで嫌なの?」
「どうせ医者には治せそうにないと思うんだよ」
「そうなの」
実加子は暗い部屋の中でもはっきりと分かるくらいに嫌悪感を表情に出して言う紗月の様子を見て口を閉じた。
「私、大学時代、精神医学は大の苦手科目でね、だからなのかな、信頼する気に なれないんだよね」
「紗月さんにも苦手科目ってあったんだ」
「あるに決まっているよ、その科目の教授は酷いセクハラ親父でさ、女の子を顔 で差別するって女子はみんな言ってた、本当、大嫌いだった。」
紗月が憤懣やるかたなしといった口調で言い、その様子を見た実加子は苦笑した。
「医者になって直ぐの頃のことだけどさ、病院の恒例行事で、その年の新人たち が集められたことがあってね」
彼女は河北大病院に就職して1ヶ月と少しが過ぎた頃のこと、病院の会議室に手の空いている新人医師達全員が集められた時のことを実加子に話した。
対象となった若手達が席に着いたのを見届けてから、壁側に並んでいた数人の各医局の幹部達の中から某講座の教授が正面の演壇の前に立った。
彼はひとしきり今年の新人達を見ていて気がついたことや医師に勉学は欠かせないこと、そして、患者への気配りなどを求める話しをした。
紗月からすると演壇の向こう側にたって講演会の弁士のような口調で話す白衣姿の教授の言うことは殆ど言わずもがなのことに思われて、あくびをかみ殺すことが精一杯だった。ただ、最後に彼が
「医師が患者を救うなんてあり得ません、だから、先生達が担当した患者が健康 を取り戻しても、それは先生達の手柄ではありませんし、また、もし患者が死 亡しても、それは先生方の力不足などでは無くて患者がもって生まれた寿命が つきただけのことなのです、医師とはその程度の仕事に過ぎません」
と言うのを聞いた時にはそれまでこらえていた眠気が吹き飛んだ。そして、辺りを見回すと当の教授を軽蔑している様子を隠そうともしない医師もいた。
「そんなことを言うお医者さんもいたんだ」
紗月が話しを区切ったとき、実加子は少し驚いた様子で紗月を見つめた。
「私もその先生の話しを聞いたときにはびっくりしたよ、その時の私はまだ希望 に燃えていたし、何よりも患者さんを元気に出来る医者になれるって信じてい たしね。でもね、今、こうなってみると、あの先生の言うことは本当だったっ て思うよ。今の私は医者ではないから言えるけど私が主治医として治療して救 えなかった患者さん達は、私以外の医者が治療しても死んでいたと思うんだよ ね。医者だった頃のことは殆ど思い出せないけど、ただ、あの人達の体自体が 抗がん剤の効果をはね返してしまう力を持っていたような気がするんだよ」
ここまで言って紗月は話しの相手が実加子だってことに気がついて
「ごめん、実加子ちゃん、そういう意味では無くて」
と慌てて言い、実加子は
「いいよ、私は別に気にしないよ」
と紗月に笑顔を向けてたので紗月は安堵した。
それきり2人は再び黙ってしまった。
「説教されるのも嫌だしね」
紗月は片手にビール缶を持ったまま実加子の方を見ながら言った。
「説教?」
「楠田聡子を刺したことが本当に悪いことだとはどうしても思えないんだよ。で もさ、これって他人からすると非常識なことなんだよ。私も誰かに分かっても らえるなんて思ってないけどね。もし私が今の心の状態を治すために専門医に 診てもらって、それで貴方は間違ってるとかって言われてもね、私が間違って いることは分かってるんだからさ」
「そうなの」
「川田さんのことなんてどうでも良いけど、彼女、私と初対面で何も知らない私 を殴ったり、私が尻軽女で、それで子供が出来て堕ろそうとして失敗して2度 と子供を産めない体になったとか言いふらしたり、今でも冗談じゃ無いって思 ってる。」
「その楠田という人を刺したことは正しかったってこと?」
「馬鹿なことしたとは思ってるよ。刺さないで殴るくらいにしておいたら良かっ たんだよ。あんな女を刺して、それで刑務所に行ったのでは私が大損だって、 なんで気がつかなかったのだろうって思っている。悪いかどうかはその後って 感じだね」
紗月にしても川田と寝る前に男を全く知らない体では無かった。大学に入ってから好きな男子学生と数度、寝ていた。だが、まるで売春婦の様に男をとっかえひっかえして交わったつもりも無く、ましてや妊娠など一度も経験していなかった。
「何よりも許せなかったのは、楠田聡子から藪医者よばわりされたこと」
紗月は実加子に、楠田聡子が運転する車に轢かれそうになり転倒して、そして、その彼女に向かって、聡子が、高笑いしながら、藪医者、と嘲ったことを実加子に話した。
「私だって、自分が腕の良い医者だったというつもりは無いけどあの一言はどう しても許すことが出来なかった」
紗月は闇の中に視線を泳がせながらビールを飲もうとして缶が空になっていることに気がついて、2本目の缶を開けた。
「要は楠田聡子から逃げ出すために病院を辞めたら良いだけなのにさ、そしたら、 あんな事件を起こすことも無かったのにね。でも、あの時は私が逃げ出す必要 は無いって、出て行くの向こうの方だって思っていた。変なところでプライド 高いんだよね、私って」
紗月はビールのせいもあって、事件後、今日まで誰にも話したことの無い本心を口にして、そんな自分にびっくりした。
「プライド高いか、それって、私も同じだよ」
実加子もプライドの高い女だった。だから、女子だけで結成された暴走族の一員になり、少年院を退院してからリーダーになった。そして、同じ暴走族の中で派閥抗争になってサブリーダーだった女子と乱闘の末、転倒した相手の子が死亡して、実加子は殺人犯として逮捕されたのだった。
「あの子を殺すつもりなんて無かった。ただ、仲間の前で私に謝って欲しかった。 そうでなければ自分のプライドが守れないって思ってた」
それきり2人は肩を並べたまま前を見続けて口を閉じた。
「でも、だからって、いまのまま苦しみ続ける必要は無いよ」
しばらくの間、2人がいる紗月の部屋は静寂に包まれて、それに耐えかねた実加子が話し始めた。
「私ね、藤田先生に私のことを話したの」
大阪から釧路に流れ着いて数日経った頃、実加子は順照に伴われて釧路**病院を訪れた。
大阪の病院で書いてもらった紹介状を受け取った藤田医師は早速、実加子を検査して、そして、日を経ずして彼女の病状が既に手遅れだと分かって、実加子に告知した。
藤田医師からそのことを言われた実加子は狼狽えて怯えて、彼の面前も憚らずに嗚咽した。
そして、それから実加子は藤田医師の診察を受けるようになった。
いつのことだったか、実加子は藤田に黙っていることが辛くなって自分の過去を全て打ち明けた。
そのとき藤田は実加子を真っ直ぐに見つめながら
「医師は患者さんの将来に関心を持ちます。渡辺さんの過去は治療に必要がある 場合以外は関心を持ちません」
と言った。
「私は紗月さんより頭が悪いから思うのかも知れないけど、お医者さんなら紗月 さんを元気にする方法を知っていると思う。直ぐには完全に元通りは無理でも、 きっと紗月さんを元気にしてくれると思うな」
紗月は実加子に言われて、彼女の方を見ながら涙した。
「紗月さん、私、紗月さんには元気でいて欲しいよ」
「ありがとう実加子ちゃん」
実加子は紗月の体を両腕で抱きしめて言い、紗月はそんな実加子の肩に顔をつけた。
紗月にしても苦手科目だったとはいえ医学生だったころに教わった精神医学の内容を少しは思い出して、自分の気持ちが健康な状態にあるとは言えないことは分かっていた。
彼女は時々、自分の中で何がわだかまっているのだろうと思うことがある。
夢や希望などは事件を起こして拘置所に入れられたときに棄てたはずで、社会に出てから生き甲斐など求めることは贅沢すぎることも刑務所の中で分かったはずだった。今日、明日、この虔陵院で順照や実加子と仲良く暮らしていたら、東京で味わったようなどん底の暮らしを経験せずにすむことは分かっているのに、不意に気持ちが沈んだり涙を流したり、全身から汗が噴き出すような思いをしている。まるで医師だった頃に仕事で疲れ切っていた頃の自分のようだった。そう、あの頃に似ている。医師という仕事だけでなく人生そのものに疲れ切っていたあの頃に、そして、事件を起こした。
「実加子ちゃん、私、病院の藤田先生にどこか良い先生はいないか聞いてみるよ」
2人はしばらく無言になり、そして、紗月はビールを一口飲むと小声で実加子に言った。
紗月に言われて実加子は明るい顔になった。
紗月にしても、不安が無いわけでは無い。
釧路市内の何処かの専門医の診察を受けて、それで相手から説教されたら、堪ったものではないとは思う。何よりも折角、薄れかかっている医師だった頃の辛い記憶が再び鮮明によみがえりそうで嫌だった。
「実加子ちゃん、もう寝ようよ」
「うん、紗月さん、今日はありがとうございました、明日からもよろしくお願い します」
実加子が、正座して改まった口調で礼を言うものだから紗月も実加子に倣って正座して頭を下げた。
実加子が去った部屋で、紗月は蒲団を敷いて枕に頭を乗せて目を閉じたが、一向に眠られなかった。
紗月は私は何も分かっていないだけなのだろうかと思う。彼女の気持ちは別として、世間からすると取るに足らない動機から他人を殺そうとして、その罰として6年間刑務所に入れられていた中年女でしかない、後ろ指されても仕方の無い存在に成り下がってしまったという現実を受け入れることでしか生きていけないのだろうかと思う。だが、それでは、余りにも我が身が惨めで不憫だった。だが、一方で、このままで良いとは思えなかった。何よりも、今のままでは辛すぎた。この辛さに耐える自信がなかった、そして、限界を超えてしまったら、再び何かの事件を起こしてしまうかも知れないという不安もあった。実加子や順照のことを考えるとそれはあってはいけないことだった。
紗月は、灯りを消した部屋で布団に入りながら目を開けた。
彼女は私だって楽になりたいと思う。
あの事件以前の苦しかった頃、彼女は楽になろうとすることを敗北と思っていた。そして、限界まで行ってしまった。
千々に砕けた思いを抱えながら、それでも、楽になろうとすることは恥ずかしいことではないよねと思い、彼女は再び目を閉じるといつの間にか穏やかな寝息を立て始めた。
そして、数日後のこと。
紗月は藤田登喜子に電話をかけた。要件は実加子に言ったとおり、登喜子の夫の藤田医師に釧路市内の心療内科を紹介してもらうためだった。
登喜子に代わって電話に出た藤田医師は、紗月から話しを聞いてから、彼はある心療内科医院を紗月に教えた。藤田が言うには彼の病院のスタッフの内の数名が、この心療内科を受診しているのだそうだ。
「松田君、君は医学概論は誰に習った?」
紗月は用件をおえて丁寧にお礼をいってから電話を切ろうとしたとき藤田が唐突に言った。
紗月は一瞬戸惑った後、
「公衆衛生学講座の大河原教授でした」
と言った。
「僕と同じだね。あの先生、医者には医師ともう一つ、慰める者と書く慰師も必 要だ、僕は体力に自信が無いから、医師よりも慰師の方がありがたいという話 しをしていなかった?」
「私も聞きました」
公衆衛生学講座の大河原教授は長身痩躯の男性で、いつも茶色のおよそ流行を意識しているとは思われない背広を着ているものだから枯れ木が歩いて話しをしているように見えたが、その明晰で快活な話しぶりは紗月たち医学生から人気があった。
「君は、十分、辛い思いをしてきたのだから、癒やさた方が良いだろう」
紗月は電話の向こうの藤田医師の暖かい人柄を思い浮かべながら、電話機を片方の耳に当てたまま深々と腰を折ってから、丁寧にお礼を言い、電話を終えた。
そして、さらに数日後、紗月は田中事務所を休ませてもらい、実加子の運転する車で藤田から聞いた心療内科医院を受診した。
紗月を診察した医師は女性だった。紗月が医師免許も持っていて、そして、殺人未遂罪で6年間服役した経験があると聞いても、一切驚いた様子を見せることなく
「安心して下さい、ここには色々な経歴の人が来ますから」
と言っただけだった。
結局、その医院では紗月に通院を勧め、そして、飲み薬を処方した。
その病院からの帰りの車の中で紗月は実加子に
「ありがとう、実加子ちゃん」
と言った。
「何よ、水くさい、私と紗月さんの仲じゃない」
実加子は前を見てハンドルを握りながら言った。
「実加子ちゃん、私、2段階作戦を思いついたんだ」
「二段階作戦、何それ?」
「まず楽になる、そして、その後に元気になる」
紗月の拙い冗談に2人は微笑みあった。
この日の釧路の空には鰯雲が見えていた。




