第16章 歓迎されて
「おはよう、松田さん」
何かが肩に触れた気がして目を覚ますと昨日見た順照の顔が目の前にあり少し驚いた。
順照は昨日とは色違いの作務衣を身にまとっていた。
咄嗟に紗月は、まずい、と思った。
「おはようございます、すいません、寝坊しました」
余りに慌てていたものだから早口になり、順照への挨拶もそこそこに布団を飛び出ようとして、自分が肌着しか着ていないことに気がつくともう一度、布団の中に潜った。
「おはようございます、すいません、余りにも寝心地が良くて」
「その様だね、随分、ぐっすりとお休みのようだったね、美加子が朝ご飯を作っ ているから食べたらどうだい」
順照が無表情のまま繰り出す嫌みな言葉を受けて、一瞬、紗月は身が縮む思いがしたが、反論も出来ない。
「服を着ておいで」
そういうと順照は部屋を出て行った。
昨日、東京から持参したウサギの形をした時計は7時45分を指していた。
確かに粗相したのは紗月の方だった。
彼女は後ろ手に戸を閉めて順照が部屋からでて直ぐに布団から飛び出した。
「ごめんなさい、実加子さん、手伝いますから」
スーツの上着に袖を通すのもそこそこに台所に行くと実加子の背中に紗月はそういった。
実加子は別段、怒ってる様子でもなかった。
「大丈夫ですよ、気にしないで下さい」
「すいません、実加子さん、疲れが出て、つい」
紗月は加えて言い、実加子はそれを聞きながら笑顔で頷いたが、起こっている様子は無かった。
「あの布団、いいだろう」
「ええ、とっても」
「松田さんが来るって聞いて実加子がどうしてもって言って新しい布団を買っ たんだよ」
紗月の横に立った順昭が言い、紗月は驚いた様子を見せた。
「そうなんですか」
「だって、誰が使っていたか分からない布団に寝るのなんて嫌じゃないですか、 私も嫌だったですから」
実加子は背中越しに紗月たちの話を聞きながら答えた。
「さあ、出来ましたよ」
順照と紗月がテーブルに向かい、実加子がそういいながら、ゆでたソーセージと野菜のサラダを盛りつけ、縁に綺麗な絵柄の着いた皿を目の前に置いた。
「あの、渡辺さん、いろいろと」
そういいながら、紗月は両膝にきちんと手を揃えて、実加子に頭を下げた。
「やめて下さいよ、松田さん、私、嬉しかったんです、松田さんが来てくれる って順照んから聞いたときに。だから、喜んで貰おうと思っただけなんです よ」
「私じゃ不足なのかい」
「そんなんじゃないったら」
紗月は実加子と順照のやりとりを笑顔で見ていた。
実加子が出来た朝食を食卓に並べ、3人で食べた。そして、それを済ませると3人はそれぞれの用事に取りかかった。順照は今日は檀家周りもないので寺の用事で1日を過ごすことにして、紗月は実加子の運転する車で10時を少し過ぎた頃、市内の大きなスーパーに向かった。
庫裏の外に出た二人は並んで空を見上げた。
昨日と同様によく晴れていた。
「寒い」
紗月はそう言うと思わず立ち止まった。
濃紺のスーツの上にグレーのダウンジャケットを着ただけの紗月に釧路の2月の朝の寒さは容赦なかった。
玄関先で少し驚いた様子で立ち尽くす紗月を見て実加子が言った。
「今朝、マイナス10度ですって、車の中はエアコンがあるから大丈夫ですよ」
風が全く吹いていない、潮騒と道路を走る自動車の音以外になにも聞こえない静かな朝。その静けさの中、紗月の吐く息は、朝日に照らされ白く広がりながら真っ直ぐのぼり少しずつ消えていった。
虔陵院を実加子の運転で出た車は、あちこちを曲がったあと、:虔陵院からするとまちの反対側、新興住宅街の一角に立てられた大きなスーパーに着いた。
日本全国何処にでもありそうな大型スーパーの中は平日ということもあって空いていた。
店内では「冬物バーゲン」を知らせる放送が流され、店のあちこちでは「冬物お買い得セール」と書かれた幕が掛けられていた。
紗月が東京から釧路に送った荷物は大きめの段ボール箱に1つ分くらいしかないから、このスーパーでは結構な量を買った。
買い物をしている間中、2人の間に沈黙が訪れたが、紗月は実加子に嫌な印象はなかった。
何時もの癖で優柔不断になる紗月の買い物にも実加子は嫌な顔一つせずつき合ってくれた。代わりに、実加子は自分の買い物は正に即断即決だった。
そのスーパーの中にあるレストランで昼食を取り終えると駐車場に向かおうとして2人が店舗の外に出た時、紗月の顔に冷たい何かが当たった。
紗月は思わず、きゃっ、と小さく声を上げると顔を背けた。
結構な吹雪だった。
虔陵院を出た頃には晴れ渡っていた空が今は白い雲に覆われていた。
そんな吹雪の中、2人は車に乗り込むと虔陵院を目指して走り始めた。
「つもりそうですね。」
助手席に座った紗月はフロントガラスを通して空を見上げながら言った。
「ええ、今年は雪が多いって、うち檀家さんが言っていました。」
県内の殆どが国から豪雪地域、特別豪雪地域に指定されている秋田出身の紗月からすると、今、目の前にある釧路の雪など「積もっている」うちには入らないのだが、これでも雪が多いという地元民の声を実加子から伝え聞いて、紗月は少し意外に思った。
二人の乗った車がスーパーを出て少したってから、実加子が不意に紗月に話しかけた。
「松田さん」
「何でしょう」
「私のこと、実加子って呼んでくれませんか、渡辺さんじゃ順照さんと混ざっ ちゃって」
実加子の言葉に紗月は笑顔で頷き
「実加子ちゃん、ですね、じゃ私も、紗月で」
と応えた。
実加子は紗月の言葉に照れくさそうにした。
2人は実加子が好きだという地元FMラジオ局の番組をカーラジオで聞きながら無言でいた。そして、多分、もうすぐ虔陵院につくと紗月が思い始めたとき、目の前の家並みの奥にある光景に目がとまった。
コンクリート製でクリーム色に塗られたいかにも頑丈そうな壁。
所々に立てられたサイレン。
紗月はそれらに目を奪われて、一瞬、言葉を失った。
赤信号で止まった車の窓からその建物を指さして紗月は言った。
「実加子ちゃん、あれ」
実加子が紗月の指の方をちらっと見て、こともなげに
「ああ、釧路刑務支所ですよ、男の人達の刑務所」
と言った。
紗月は、その言葉を聞いてそれを指さしたまま助手席で固まった。
「紗月さん、そんなに驚かないで下さいよ、もう私達には関係ないのだから、い いじゃないですか」
実加子はそう言いながら車を走らせて、間もなく虔陵院に着いた。
スーパーで買った物の入った大きめの紙袋二つを手に持った紗月が実加子と一緒に庫裏の玄関に入っても誰も出てこない。土間には順照の靴があるから外出したとは思われない。
2人がリビングに入ると順照は右腕を枕に昼寝の最中で右頬が赤くなっていた。
2人に気がついた順照はおもむろに起き上がった。
「お帰り、松田さん、東京から荷物が着いたから部屋に入れといたよ」
「ありがとうございます」
紗月は言われて早速、荷物を手に自分の部屋に入った。
部屋の真ん中に段ボールの箱が置かれていた。
1年と少しの間、東京で彼女が暮らした証が、たった一つの段ボールボール箱に収まってしまった。
辛い思い出しかない東京暮らし。
刑務所帰りだったから、貧乏だったから、あの東京での暮らしを楽しめなかった。好みの服を着て、美味しい料理を楽しみアイドルのコンサート行く等と言うことは絵空事だった。あったのは、不安だけだった。
段ボール箱の口をしっかり閉じていたガムテープを取り除いて蓋を開けると、新聞紙で出来た兜を被ったミーシャが出てきた。
「ミーシャ」
彼女はそう言うと、部屋の戸が閉められていることを確かめてから、まるで自分で産んだ赤ん坊でも抱くようにしてそれを手に持つと窓際に置かれた机の上に置いた。
「ようこそ、釧路へ、寒そうな町だけど、一緒に頑張ろうね」
彼女はそういうと、その頭に乗せた新聞紙で出来た兜をぽんぽんと叩いた。
椅子にかけ、机に向かってミーシャを見つめながら、東京で暮らした日々のことを思い出した。
今にも崩れそうなおんぼろアパートで一人暮らししていた頃、買い物に出かけた商店街で、誰かに作って貰った紙製の兜を頭に乗せて嬉しいそうにしている幼稚園児くらいの男の子を見て、何故か欲しくなりおもちゃ屋で買った安物の小さな熊のぬいぐるみ。
ミーシャ以外誰とも話すことなく過ごした日が何日もあった。
大きな紙袋に僅かな着替えの肌着とミーシャを入れて、都内の公園で野宿した日々。 寒さはビールでごまかして、空腹はさきいかの燻製で補った何度かの夜。
涙でにじんだ夜空を見上げながら、無言でそれらを胃に流し込んで、ため息をはき出しても独りぼっちだった。
住むところもなく食 べる物にも事欠いた日もあった。
刑務所の方がましだとすら思った夜もあった。
それでも紗月は、この苦しみの原因の全てが自分にあると自覚していた。そして、誰かのぬくもりが欲しいと心の底から希った。
今、釧路のこの寺に来てあの日々を思い出しても不思議と涙は出なかった。
しばらくの間、無言でミーシャを撫で続けた。
ふと窓に目をこらすと、ガラスの向こうに揺れ落ちる何かが見えた。
内窓を開けた。
白くて砂粒のように硬そうな雪が少しの風に流されて斜めに後から後から落ちてきた。
「寒そうだね」
紗月はそう言うと窓を閉めて机に突っ伏した。そして、そのまま、眠り始めた。
「紗月さん、お風呂入ってよ」
机に机に突っ伏して居たはずの紗月がいつの間にか床にごろ寝していた。その肩に実加子が軽く触れた 。
目を開けると直ぐ近くに髪が濡れていて頬が薄桃色に染まっている実加子の顔があった。
「ごめんなさいね、夕食の支度のお手伝いしなくて」
「それはいいの、私、やったから」
「順照さんは?」
「夕づとめの最中。それが終わったらお風呂に入って、その後、夕飯」
話しながら、実加子は笑顔になった。
紗月は、いま行きます、と言うと実加子は笑顔で頷いて部屋を出て行った。
陽はとっくに沈んでしまい、部屋の中が暗くなっていた。
今、何時だろう、と床から起き上がって机の上に置いた時計を見ると5時半を少し過ぎていた。
どのくらいの間寝ていたのだろう、紗月はそう思うと突然、顎の辺りに痒みを感じた。指で触れるとねばっとした液体があった。
やだ、私ったらよだれ垂らして寝ていたんだ、しかも、それを実加子ちゃんに見られたなんて、紗月はそう思うと思わず赤面した。
何かの物音を聞いたような気がして立ち上がり、内窓を開け外を見ると、青黒い夜空と紗月との間で、白くて砂粒のように硬そうな雪が強い海風の中、幾筋もの枝に分かれては縦に横に集まり流れて地面に落ちて少しずつ積もっていく光景があった。
海は時化て風は強くなり、辺り一面を地鳴りのような音が包む中、風で鋭く舞い飛ぶ雪は外窓のガラスに当たっては砕けて溶けて流れて消えた。
紗月の生まれ育った秋田県の沿岸部は一般に風が強い、だから、彼女も幼い頃から吹雪きは見慣れた光景だった。
「秋田と似てるね」
思いい出してはいけないと自分に言い聞かせ続けた秋田のことども。それが、今、こうして虔陵院の窓から見える釧路の吹雪を目にすると、思い出された。
「ミーシャ、見てごらん、寒そうでしょ」
紗月はミーシャを抱き上げて外を見せながら、そういった。
紗月が風呂から出ると入れ替わりで夕づとめを終えた順照が風呂に入り、出て3人がそろ ったところで、夕食となった。
それぞれに少し上気して頬を薄桃色に染めて席に着いた3人の目の前のテーブルには何かの魚の刺身、日本酒、ビールがあった。
順照が風呂から出た頃を見計らって取りかかった串揚げもできあがり、夕食が始まった。
「紗月、こんな時に言うのもなんなんだけど、お願いがあるんだよ」
順照が沈んだ声音で話し始め、紗月は少し身構えた。
「言いにくいけど、毎月3万円ほど収めてもらえないかい」
「わかりました」
東京で暮らしたアパートを脳裏にちらと思い浮かべた彼女は、直ぐに応じた。
「難しい話はそれくらいにして、暖かいうちに食べようよ」
しばらくたって、2人のやりとりを脇で見続けていた実加子がいい、順昭は日本酒を、紗月はビールをそれぞれの目の前に置かれたコップに飲み物を注いだ。
「ねえ、順照さん、今日はいいでしょう、紗月さんの歓迎会なんだから」
実加子はグラスを片手に順照にねだった。
「今日だけだよ、明日からは駄目だからね」
グラスを口に付けかけ苦笑している順照から言われた実加子は、嬉しそうにビールを手にしたグラスに注いで
「では、改めて、松田紗月さん、ようこそ虔陵院へ、釧路は寒い町だけど、と っても良い町だから、3人で仲良くやりましょう、では、勧杯」
と言いながら片方の腕を前に突き出した。
「勧杯」
他の2人は声を合わせてグラスに口を付けた。
「紗月さん、この串、暖かいウチに食べてよ、結構、自信作なんだ」
実加子はそういうと皿に盛られた揚げ物の刺さったかなりの数の串を指さして、言われた紗月は言われるままに串の一つを手にとって皿に盛られたソースを付けて口にした。
「美味しい」
肉の種類は分からないが決してくどくない味が舌を楽しませた。
「何の肉だと思う?」
実加子に尋ねられても紗月は答えることが出来なかった。
「鯨なんだよ」
「鯨って、あの海で泳いでいる鯨ですか?」
「うん、釧路沖で調査捕鯨が実施されていてね、お店で売られているんだよ。 因みに刺身も竜田揚げも鯨で私が作ったんだよ、このベーコンは檀家さんが 自分で作った物のお裾分け、今日は紗月さんの歓迎会だからさ、奮発したの」
鯨を食用にしていたと聞いたことはあったが、生まれて初めて口にした。
「紗月は酒はビールだけかい?」
「いえ、ワインや日本酒も飲みます」
それをきいた順照は戸棚から盃型のグラスを取り出すと、目の前に置かれた日本酒を注いだ。
「この釧路の福司という日本酒メーカーが作った酒でね、「湿原」とい うお酒なんだ。私は辛口の酒が好でね、少し飲んでごらん」
言われて紗月はそれを口に含んだ。
辛口ではあるが不思議と尖ったところのない味で、飲みやすかった。これに鯨の刺身がよくあった。
「いいだろう」
「ええ、美味しいですね」
「私はひやだね、それに酒肴は海の物だね。」
順照はそういうと又、自分のグラスに口を付けた。
本当に美味しそうに酒を飲む人だと紗月は順照を見て思った。
紗月も空腹だったせいもあって随分と箸が進んだ。
串には鯨肉だけのものもあるが、他にホタテの貝柱や鯨肉の間にピーマンを挟んだ串など中々、凝った趣向の物もある。どれも実加子のお手製だと言うから、彼女には料理の才がある様だ。
暖かい串に刺身、ベーコン、そして、温かいご飯にシジミの味噌汁。そのどれもが温かいことが嬉しかった。
東京で更心寮を出て以来、殆どの食事はコンビニで買って済ませていた。
冷え切っていようが不味かろうが気にしなかった。だから、今日、紗月は久しぶりに「食事をしている」と思った。
隣の椅子に腰掛けた順照が仕草で紗月に盃を促した。
紗月は少しだけ遠慮するそぶりを見せたが、それでも順昭に注いでもらい「湿原」を口にした。
鯨以外にも近くのスーパーで買った刺身のお作りがテーブルの上に出されていた。
紗月はそれにも箸をつけた。
なるほど順照の言うとおり酒が刺身を引き立てた。
「ねぇ、なんでみんな、黙っているのよ」
実加子がビールの入ったグラスを片手に他の2人に言った。
虔陵院に到着してからまだ24時間と少ししか経っていないのに2人と紗月の間では話が弾む訳がなかった。
「折角の紗月さんの歓迎会なんだもん、これじゃ寂しいよ」
言われて2人は苦笑した。
それから3人は他愛もない世間話や檀家の噂話に興じた。
食べ始めてから1時間半ほどもたっただろうか、テーブルの上があらかた綺麗になり、酒もなくなったころ、紗月の歓迎会はお開きになった。
「では、最後に紗月さんからご挨拶をお願いします、拍手」
美加子が酒に酔って頬を染めながら手を叩いて、言われて紗月はおずおずと立ち上がって、深々と腰を折ってから
「こちらへは東京の増井諒順さんのご紹介で参りました」
それきり紗月は何を言うと良いのかが分からなくなり黙り込んでしまい、そして、不意に涙があふれてきた。
「紗月さん」
「紗月」
他の2人が慌てた様子で声をかけた。
「よろしくお願いします」
涙声で言う紗月の言葉を聞いた2人は小さく拍手した。
「紗月、安心おし、私ら仲間だよ」
順照の言葉に紗月は涙で頬をぬらしながら何度も頷いた。
紗月の横に座った実加子も泣いていた。
何故、こんな時に泣くのか、紗月自身も分からなかった。ただ、拒絶どころではない形で人から虐げられて流れ着いた釧路のこの寺で、温かい部屋と寝床と食事をあてがわれたことが紗月には嬉しかった。
紗月が2人に励まされて泣き止んでしばらく経って、順照は
「では、そろそろお開きだね」
と言い、他の2人も頷いて、3人が声を合わせて、ごちそうさま、と言った。そして、さすがに酔った様子の順昭が後始末を紗月達に委ねると、お休み、と言い残して自分の部屋に引き上げた。
リビングのソファに腰掛けて食事の後始末をする実加子の後ろ姿を見ていると申し訳なく思い手伝いを申し出たが、実加子は、今日はいいです、といって断った。そして、未だ寝ないで下さいね、と紗月に言った。
夕食の後始末を終えてエプロンをとった実加子が冷蔵庫から缶ビールを二つ取り出して手にもつと紗月のそばにやってきた。
「美加子ちゃん、まだ飲むの」
「今日は飲みたい気分なの、順照さんのお許しも出たし、一緒に飲もう」
そういうと実加子は缶の口を開けて紗月にわたした。
2人は小声で勧杯した。
「実加子ちゃん、さっきはごめんね、私、変な時に泣いちゃって」
「そんなこと、気にしないでよ」
実加子は紗月に言われて、缶ビールを片手に笑顔で言った。そして、ローカルニュースを見ようといってテレビをつけた。
8時45分から始まる道内ニュースはこの日も大雪や低温による交通障害や道内各地の冬祭の様子などを伝えていた。
地理に疎いということもあり、紗月はニュースで地名を言われても場所が直ぐに分かることは殆ど無く、「胆振の厚真町」と言われてオホーツク海側のどこかに目を遣ったほどだったから、テレビ画面の上の方に「午後8時53分 警報 暴風雪 釧路根室十勝地方の全域」と出てもぴんとこなかった。
「ねぇ、実加子ちゃん、釧路根室十勝地方ってどこ?」
テレビに顔を向けながら紗月は実加子に聞いた。
「釧路と、根室、十勝だよ」
「私達が今、居るのって、釧路だよね」
「うん、釧路だよ」
「ということは、この町に暴風雪警報が出たって言うこと?」
「うん、そういうこと」
なるほど先ほどから外では風が強くなっているようだった。
画面は変わって明日の予想気温になった。
釧路地方は最高気温がマイナス4度、最低気温がマイナス12度と表示された。
「明日も真冬日だね」
実加子はそういうとビールを口にした。
釧路暮らしの先輩然としていう実加子が紗月からすると面白かった。
実加子は紗月と並んでソファに腰掛けた。
「実加子ちゃん、今日はありがとう」
紗月はそう言って頭を下げた。
「気にしないでよ、紗月さんが来てくれて。本当に嬉しかったんだもん」
紗月は無言でちょこんと頭を下げた。
出会ってから1日と少ししかたっていない2人だから一緒に居ても話は弾まない。紗月からすると過去を探られることはやはり嫌だし、そうかといって、これからのことについて話すほどの仲でもない。
「この子、可愛いよね」
いつの間にか実加子がテレビのチャンネルを変えるとまだ十代と思われるアイドルの女の子達が歌ったり踊ったりしていた。
「うん、可愛いよね」
実加子に適当に調子を合わせたが、刑務所の中にいた時はむろんのこと、更心寮にいたときは部屋にあるテレビを殆ど見なかったし、そこを出てからはテレビを買わなかったから、芸能人には紗月は疎くなっていた。
途切れ途切れになりながらも世間話に興じていたが、午後9時半を少し過ぎた頃、紗月は左肩に重さと微かな暖かさを感じた。
実加子が頭を乗せていた。
考えてみると 今日一日、朝から紗月の買い物につき合って、その後、3人分の夕食を作るために働いたから、疲れていてもおかしくはないのだ。
紗月は実加子を起こすと2人で飲んだビールの空き缶を始末した。
「実加子ちゃん、ストーブ止めないの?」
実加子がストーブを止める素振りをしないままリビングの灯りを消したので不思議に思って紗月が尋ねた。
「明日の朝の寒さで水道が凍るかも知れないからね、今晩は止めないんだ。」
実加子の言うことを聞いて今朝の寒さを思い出した紗月は、だから、尤もなことだと思い、お休み、といい自分の部屋に入った。
今日買ったばかりのパジャマに着替えて、外の様子を見ようとして内窓を開けると外窓のガラスに溶けかけた雪がくっついて視界を遮っていたが、それでも猛烈な風で雪が舞っている様が見える。
明日は早起きして除雪だね、紗月はそう思いながら内窓を閉めてから布団を敷いて潜り込んだ。
紗月は、自分の過去がどの位2人に知られているのか確かめようとして、言い出せなかった。
なるようにしかならないよ、私の力じゃどうにもならないことが殆どなんだから、紗月はそう思いながら、明かりを消して真っ暗になった部屋の底で目を閉じて、間もなく、すやすやと寝息を立て始めた。
この日の夜の釧路は、この冬何度目かの吹雪に見舞われた。




