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さなぎたに1人  作者: きたお
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第1章 獄(ひとや)にありて何思う

この小説は、もともと「しあわせエントロピー」という題名で私のブログで公開していた作品を改訂したものです。実は、この「さなぎだに1人」が原版で、「しあわせエントロピー」は改訂版のような位置づけでした。「さなぎだに1人」を執筆中に長くなりすぎたことなどを理由に大幅に編集してブログにアップロードした作品が「しあわせエントロピー」でした。ブログにも書きましたが、この小説は乃南アサ氏が作られた「いつか陽の当たる場所」に触発されて書きました。


 小説を書きました。なお、作中に出てくる個人、法人その他の名称は全て架空であり、もし実在したとしても、本作品とは一切、無関係です。また、作者の都合により公開中でも削除されることもあり得ます。では、はじまりはじまりぃ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第1章

ある年の4月半ば、空は青く澄み風も穏やかな日、名も知らぬ小鳥たちが盛んにさえずり、少し離れたところに見える地蔵岳の山頂を覆う雪も心なしか減ったように見えるころのこと。 

 この関東平野北部の地にあっては桜も盛りを過ぎ、季節は初夏と呼ぶに相応しくなりつつあったよく晴れたある日の午後。

 門の前の道路から見ると、コンクリートの壁で囲われたその敷地の奥に壁が白く塗られた如何にも中小企業の本社という外観の建物が建っている。そして、その建物の後ろには灰色の何かが見えた。もし建物の後ろ見える灰色の壁と目の前の敷地を囲んでいる壁に「武州刑務所」と書かれた銘板が取り付けられていなければ誰もここを日本で数カ所しかない女子刑務所とは思わないだろう。

 四方をコンクリート製の高い壁に囲まれた敷地の中には受刑者となった女達が住み暮らす寮舎と彼女らが労役に服する工場などの建物があり、それらから塀の外の世界と繋がった場所に行くためには、幾つもの施錠された扉を通らなければならない。

 受刑者達のストレスと運動不足解消のために、刑務所では毎日、受刑者の女達はグラウンドに出て思い思いに体を動かすことが認められる。無論、刑務所でのことだから、要所要所に何人もの刑務官達が立って彼女らの動きを監視しているのだが、それでも退屈な寮舎での生活と窮屈な工場での刑務内作業に明け暮れる彼女たちにとっては、ささやかな憩いの時には違いなかった。 

 その武州刑務所のグラウンドには、彼女、松田紗月の姿があった。

 午後の日の光を浴びてグラウンドの端に体育座りした彼女の尻にひんやりとした土の感触が伝わる。赤城おろしなどと言われる荒々しい乾いた風はなりを潜め、晩春から初夏に季節が移ろいつつあることを彼女に知らせる風は、優しく心地よかった。

 空を二羽の鳶が舞っていた。

 それらが青い空で円を描いたりしきりに鳴いたりしている姿を見ると何故か彼女の気持ちも和んだ。

 彼女の目の前のグラウンドで不意に数人の刑務官が警笛を吹鳴すると建物の中から赤十字と「法務省」と書かれたチョッキを着た刑務官たちが担架をもって全力疾走でかけだしてくる姿が見えた。最初は受刑者同士の喧嘩かと思ったが、どうも運動の最中に具合が悪くなった受刑者がいたようだ。その時、紗月は、何人かの受刑者が射るような視線でこちらを見ていることに気がつき,咄嗟に膝の間に顔を埋めた。

紗月の目の前で運動している受刑者の女達の中に二十歳台の者は極端に少なく30歳代半ばの紗月でもどちらかというと若手に入る。これは日本社会の高齢化に歩調を合わせて受刑者達もまた高齢化しているためで、日本の刑務所全体で約半数の受刑者が五十歳以上となっている。当然、健康に不安を抱えたまま受刑者となっている者も多数刑務所にいて行刑の現場の負担は増える一方だった。

 突然の体調悪化で担架に乗せられた受刑者はどうなったのだろうと紗月も思わないでもないが刑務所の中が騒がしくなっているようでもないから、大事ではなかったのだろう。

 「松田さん」

 少し経って所在なげに座っている紗月に1人の刑務官が近寄って声をかけた。

 「竹中先生、さっきの人、大丈夫だったのでしょうか」

 刑務所では何故か受刑者たちは刑務官のことを「先生」と呼ぶ。

 「あの人、毎度のことだから大丈夫だわよ、年なのに若い振りするからよ、ああいう人がいるから、私  達も苦労するのよ」

 竹中の言う冗談に紗月は微笑んだ。

 先生達も苦労するよねと紗月は思う。どう考えても分別をわきまえていなければならないはずの年齢になって子どものように駄々をこねる女を紗月は何人も見てきた。そのたびに竹中達刑務官が指導したり時には喧嘩の間に入って仲裁したりしていた。

 紗月が下獄してからの約5年半で顔見知りとなった刑務官達の何人かが不意に紗月の前から消えた。最初は転勤でもしたのだろうと思い気にとめもしなかったが、あとから受刑者同士の噂話で、彼女たちが退職したことを知った。

 受刑者達が世間で挫けて再び刑務所に入るなどという事の無いように刑務官達が意を用いても肝心の受刑者が刑務所に舞い戻る例が一つや二つでは無い。そもそも、実際の受刑者数が刑務所の総定員を越える、つまり定員オーバーの状況では刑務官の人手不足になることは明らかで、結局、各矯正施設の現場では刑務官達の負担が過重になり、そんな展望の開けない状況に嫌気がして、毎年、多くの刑務官が職を辞す。勢い、刑務官の第一線は20代の若く人生経験の未熟な者でしめられ、30歳代の中堅層が薄くなりがちなことは明らかだが、総元締めの法務省も含めて抜本的な解決策を見いだすことは出来ないまま時は過ぎ去り、結局は現場職員達の精神力に依存するしかなくなっていた。

竹中は紗月に並んで屈むと言った。

 「松田さん、この頃、元気ないんじゃないかって、先生達言ってるわよ、何かあったの?」

  紗月は聞かれて、ちょっと、と曖昧に答え、竹中も、そう、と言い、2人してグラウンドに目を移した。

 紗月からするとどんなに親しくしていても刑務官が相手となると言いたいことの半分も言えなくなる。

 紗月が2度目の懲罰を終えて、それ以前とは別の雑居房に入れられたとき、彼女の両側で、彼女を挟んで寝ることになった2人の受刑者が相次いで仮釈放で刑務所を出た。

 紗月は竹中刑務官が隣にいる間もずっと2月、3月と立て続けに仮釈放で刑務所から居なくなった2人の受刑者のことを思い浮かべた。

 彼女たちの罪状など紗月は知らないし、知りたいとも思わない。ただ、紗月が2度目の10日間、独居房で正座するという懲罰を終えて雑居房に移った時に、彼女の両脇に寝ていたのがその2人だった。

 ある日、紗月が悪夢にうなされて目が覚めた時、両脇を見ると彼女たちも紗月の声で目を覚ましていた。ここで喧嘩になってまた懲罰にかけられてはたまらないと思い直ちに詫びた紗月に2人は、気にしないで、私も寝相悪いから迷惑かけるときもあるかもよ、と言って笑った。

 それから間もなく、紗月は2人と仲良くなった。尤も、その2人もそれから間もなく仮釈放されたら、紗月は再び寝るときすらも緊張を強いられるようになったのだが。

 「仮釈放って身柄引き受け人が必要ですよね」

 紗月の言うのに竹中は無言で頷き、相手の心中を忖度した。

 裁判所の判決で決められた期日より以前に被告人が刑務所から釈放されることを仮釈放というが、受刑者がこの制度の適用をうけるためには、刑務所の外で受刑者の身柄を引き受ける誰かが必要で、それが無くては他の条件が整っていても認められない。

 紗月が下獄してから家族の面会はおろか手紙さえも1度も来たことが無い。おそらく紗月の家族は彼女の身柄引き受けの意向は無いのだろう。家族などから身柄の引き受けを断られた受刑者は、刑務所の中で「保護会」と呼ばれる更生保護法人に身柄を引き受けてもらい仮釈放となることもあるが、紗月の身柄の引き受けの紹介を受けた保護会はどこも「満員」を理由に断った。

 それもあってか、紗月は仮釈放の希望調査にも「希望しない」と回答するようになった。

 「刑務所の中でも嫌われて、保護会からも保護してもらえないなんて、私ってみんなに嫌われてるんで  すよね」

 自嘲気味に言い、地面にでたらめに線を描き続ける紗月の手元を竹中は眉間にしわを寄せながら見続けた。

 「ここが全てじゃ無いわよ、松田さん」

 紗月にしても刑務所が全てだとは思っていない。ただ、ここを出てからのことを思い浮かべることがまるで出来ないのだ。

 「ここを出てから、どうして良いのかがまるっきり分からなくて」

 分からないはずは無いだろうと竹中は紗月の言い分を聞いて思った。

 約6年前に、松田紗月という女医が殺人未遂罪で懲役6年の判決を受けたので武州刑務所に収監するという連絡を法務省の担当部局から受けたとき、刑務所側の誰もが少し驚いた。

 薬物犯罪で下獄する看護師などはたまにいるが、殺人未遂罪で女医が刑務所に入るなど定年退職間近のベテランでも聞いたことが無かった。しかも、三角関係のもつれから恋敵で同じ病院に勤務する看護師を殺そうとして逮捕され、相手が生き残ったから殺人未遂罪になったという、安っぽいテレビドラマのような事件の加害者とあっては、刑務所側の誰もが紗月に興味を持つと同時に軽蔑した。

 そして、拘置所から移送されてきた紗月と接した刑務官達は誰もが不思議がった。みなが想像していたような、非常識なほどに我をはる傍若無人なわがまま女とは正反対の、いかにも育ちの良いお嬢さんといった紗月の人となりは、殺人未遂罪の犯人とは俄には信じられなかった。あれで前科さえなかったら息子の嫁に丁度良いのに、と冗談を言った男性刑務官もいたほとだ。

 紗月が河北大学医学部を卒業した医師であること、彼女の医師免許の効力停止期間は在監中に満了しているから世間に帰ったら医師として働けることは刑務所側の人間なら誰でも知ってるし、紗月にも伝えてある。伝えるどころか、竹中も含めて何人もが彼女に医師に復職するように勧め説得していた。しかし、紗月は頑として首を縦に振らなかった。

 「前にも言ったけど、釈放されたらお医者さんになるつもりはないの?」

 自分の隣に並んで屈んだ竹中が、こちらに顔を向けながら言うのを聞いて、紗月は片方の頬を歪めて大きく頷いた。

 このことは刑務官の誰に対しても一貫して言っているはずだった、もう医師という仕事に就くことはないのだ。

 「患者さんとの信頼関係が作られませんよ、殺人未遂罪で刑務所に入ってた者が医師になるなんて。免  許とかという問題では無くて倫理的に無理です。」

 上手い言い訳だと紗月は自画自賛する。

 職業倫理を盾に取ると刑務官達はだれも曖昧に微笑むだけだった。だが、刑務官達だって、本音に薄々感づいているとは思う。 私は医師という仕事が嫌いなのだ。

 紗月の言い分を聞いた竹中は小さくため息をつくと俯いた。

 刑務所を釈放後、元受刑者たちが世間で就職難に遭い貧困に晒されて、結局、窃盗事件などを起こして刑務所に舞い戻るという例を竹中達は常に見聞きしている。彼女の横で浮かない顔をして職業倫理などというきれい事を言う松田紗月だが、では、彼女は世間でどうやって食べていくつもりなのだろうと思う、事件が原因となって家族と縁を切られて援助は望めないと当の本人が言っているのに、だ。

 紗月はまずいなと思った。

 彼女は竹中達が釈放後に医師になることを勧める動機が善意からであることを疑ってはいない。職業倫理をいうなら、医療過疎に喘ぐ山間僻地などで働くということもまた、十分、それに適うはずだ。だが、紗月はそれをしたくなかった。勤務地を問うつもりは無いが、医師という職業は最早、忌避すべきものでしかなかった。

 「はい、運動終了、集合」

 その時の先任刑務官が号令を掛けて、女たちを建物の中に入れた。紗月も竹中にちょこんと頭を下げて皆について行った。竹中は紗月の背中を笑顔で見送った。


 朝霜がおりても不思議は無いからいにしえびとが「霜月」と名付けたほどに朝夕の気温が下がる11月のある日曜日のこと、紗月が釈放される3日前の朝、武州刑務所で。

 6人部屋を8人で使うという、塀の外の世界と比べるとやや窮屈な暮らしでも、その中で暮らす時間が長くなると人は、慣れる。 窮屈な部屋だから、例えば就寝時の布団の敷き方も、その部屋の住人となった女達は器用に敷き布団や掛け布団を重ね合わせるなどして無駄な面積を使わないようにしながら、同室の者と絶妙に距離を保てるように工夫していた。時には寝相の悪い者もいるが、その女達も自分と枕を並べて寝ている女達の体に触れることのないように緊張しながら寝ていた。だから、この部屋に入ってからしばらくの間は皆、寝不足になるが、それでも半年もたつと殆どの者は慣れてしまうし、そうでなければここでは生活できない。

保安の必要から、刑務官は夜間、消灯後でも30分毎に各部屋をのぞき込み、外観から見て取れる女たちの健康状態や人数を監視する。そのため、部屋は常夜灯がともされ真っ暗になることは無く、常に外から見る者にとって最低限の明るさが維持される。その薄暗い部屋の中、若い女の体が発する酸っぱい香りと、年のいった女の体から出るチーズの様な臭いが入り交じり、慣れていない者からすると鼻をつまみたくなるような一種独特の臭気の底で、その日の夜も女達はすやすやと眠り、朝を迎えた。

関東平野北部の栃木の11月は寒い。

 その日の朝は、この地方の名物と謳われた空っ風が建物の特に北側の窓を強く叩いていた。

 そんな風に揺れてなる窓のなるガタガタという音を聞きながら、女達は目を覚ました。しかし、布団から出る者はいない。こんなことで注意されては堪らないからだ。

 6時半過ぎ、冬の朝日が照らし始めた。しかし、まだ、女達は布団から出ようとしない。

 それぞれが枕を並べて寝ている同室の女達が目を覚ましていることは気配から察し、部屋に時計はないから正確な時刻を知ることはできないが、それでも、あと数分で起床時間となることはわかっていた。

 皆、一様に天井に設置されたスピーカーを見つめた。

「チュンチュン」

 この声の主の鳥の種類まではわからないが、それでも聞く者をして可愛らしい小鳥の声を思わせる。それが聞こえると、各部屋の中が一斉に騒がしくなった。

 こうして、武州刑務所の1日がいつも通り始まった。

「寮舎」と呼ばれる、受刑者たちが各部屋に数人ずつに分かれて暮らしている建物の、部屋の外側の要所要所に制服姿の女性刑務官が無言で立って女達を見守っていた。 刑務所まで堕ちてきた女達だ、大人しそうでも何をしでかすか分からない、刑務官達の少しの油断が寮舎の秩序の崩壊につながり、それが刑務所全体の混乱につながりかねない、彼女たち刑務官はそう教え込まれていた。

起床後、彼女たちは直ちに布団を上げ、それを終えると洗面所に向かい洗顔歯磨きを済ませた上でトイレで用を足し、部屋に戻る、この間、僅かに15分。

 人数が人数だから1人1人の作業はとにかく手早く確実に処理することが求められる。それは正に「処理」という言葉が相応しい光景だった。

女同士、場合によっては20歳前の若い者から80歳を越えた老人までが一緒の施設で寝起きするということは、口で言うほど簡単なことではない。その女たちが、刑務官の監視の下、分単位の時間の拘束を受けて同じ作業に従事するということの困難は、経験した者でなければ分からないだろう。

塀の外の社会の朝にはある、慌ただしさの中にもどこか寛いで和やかな空気など微塵もない緊張感が漲った営みの中にあって、少しでもとろい者は、後々、いじめの対象となる。少なくとも紗月はそう思い込み、それを避けるために常に緊張していた。それは、この日の朝も変わらなかった。

「てんけーん」

 刑務官の声が響くころには、女たちは全て自分の部屋に戻り、部屋の入り口の方を向いて正座していた。

 「称呼番号、214、615,321、524、544、874、124、556、みんな異常ありませんね」

 自分の番号が呼ばれる度に彼女たちは元気な声で返事をして、そのたびに出入り口のところにたってクリップボードを手にした刑務官は、それに付けられた名簿と呼称番号と受刑者の顔を確認した。

「第8号室、異常ありません」

 部屋長になっている50歳代の受刑者が言うと刑務官は満足したように頷くき隣の部屋の点検に遷った。

 受刑者たちは、全ての部屋の朝の点検が終わるまで正座を崩してはいけないしきたりだった。

 朝の点検が終わると

「はいしょーく」

 という声がかかる。

 午前7時25分、低いが女性と分かる声で朝食の配布を知らせる声が、それぞれの階の廊下に響いて朝食が運ばれてきた。

 朝食に許された時間は20分しかない。

 昔、蜜柑を入れて運んだ木製の箱のような、受刑者たちの私物をいれる箱の蓋をちゃぶ台代わりにして、女たちは黙々と朝食を口に運んだ。

 彼女たちに許された朝食時間の20分が過ぎ、後片付けが終わると、部屋の外に全員が整列して担当の刑務官の点呼を受けた後、隊列を組んでそれぞれの部屋毎に決まっている工場に向かう。

 紗月は入所時の身体検査等の手続きを経て「524番」という釈放まではここで彼女の名前代わりとなる「称呼番号」を与えられて「新入教育」を受けるために新入者だけの雑居房にいれられた。この期間内に彼女はこれから暮らす刑務所での規則を教わったり服する労役を決めるためのテストを受けたした後、雑居房に入れられたのだが、今、紗月は下獄以来働いている縫製工場で、法務省が外部の民間企業から受注した女性用のブラジャーの部品や本体を作る労役に服している。

 工場について、女達がそれぞれ割り当てられたミシンの前に着くと声を合わせて始業前の安全点検をした後、担当の先任刑務官が確認し、リーダー役に指名されている受刑者が

 「かかれ」

と合図したので、他の女達が一斉にミシンを操作して作業を始めたので、それまで静寂に包まれていた工場の中は途端にミシンなどの作動音が響いて声を張らなければ会話にならないくらいになった。

 紗月は下獄以前は針仕事など学校の家庭科の時間以外にしたことが無く、ましてミシンの操作に携わることになるなど考えもしなかったから、この工場に配属になったころのの仕事ぶりはお世辞にも上等とは言えなかったが、約6年経った今、時間はかかるが仕事ぶりは丁寧で、発注した企業から指導員として刑務所に派遣されてきている男性からも、時として褒められることもある。

 受刑者達で自分の満期釈放日が分かってない者などいない。紗月も例に漏れず、3日後にここを釈放されると知っている。だから、今日のうちに独居房に入れられて釈放に備える。その呼び出しが来るのを今や遅しと待ち構えているが、しかし、そんな心の内など外に現すほど初でも無かった。

 刑務所に入るまで作業を始めてから2時間もたったころだろうか、肩に無線機を付けた竹中刑務官が紗月に近寄ってきた。

 「524番、一緒に来なさい」

「はい」

 紗月は、きたな、と思った。そして、席を立とうとしたときに、紗月の隣の席で作業していた女が、ちっ、と舌打ちし、それを聞いた紗月も、ムキになってにらみ返した。その女は同じ雑居房で紗月の隣で寝ている殺人罪で懲役13年の判決を受けて服役している22歳の女だった。彼女と紗月とは徹底してそりが合わず、お互いに距離を置くことに腐心していた。

 「作業に集中しなさい」

 竹中刑務官は紗月に舌打ちした女に注意すると、早く来なさい、と紗月を促した。

 紗月は言われるままに彼女の後をついて行くと、今朝まで寝起きしていた雑居房の押し入れにしまってあった、朝食の卓袱台代わりに使った木製の箱を開けて中ら私物を取り出すと竹中が差し出したプラスチック製の網目かごにいれた。そして、そのかごをもって竹中の後をついて行き、廊下を挟んで両側に独居房が並んだ場所に連れて行かれた。

 「入りなさい」

 独居房の一つの鉄製の扉を開けると竹中は紗月を中に入れてから扉を閉めて外から鍵をかけた。

 「良かったわね、松田さん、あと3日の辛抱よ、聞いていると思うけどこれから先は特に許可を求めな  くても横臥は自由ですからね、昼寝してても良いのよ」

 鉄製の扉に明けられたのぞき穴から中に入れられた紗月に笑顔で語りかけた竹中は、では、と言い残して軽く挙手の礼をするとどこかへ行った。

好きにしていても良いと急に言われてもと思いながら、紗月は入れられた独居房の中を見渡した。

 当たり前のことだが、今の時間は独居房の受刑者たちも工場でで作業している。残っているのは紗月も2度経験した懲罰で決められた日数の正座を言い渡された女達ばかりで、彼女たちも一切、話すことは禁じられているから、建物の中は静まりかえっている。 畳三畳ほどの広さで入り口と反対側の壁の辺りに背の低い衝立があって、その向こう便器がある。壁には洗面台が作られていて、天井ギリギリといった高さに窓が開けられている。昼間なのに部屋が薄暗い感じがするのは省エネのために蛍光灯が消され、なおかつ天井の窓が小さいからだろう。何故、窓が小さいのか、詳しい理由を紗月が知るわけもないが、一説には、窓が低くて大きいと、その鉄格子にタオルなどを掛けて首つりする者が出かねないからだという。だからなのか、扉のドアにノブはなく、その開閉は常に刑務官が外から行う仕組みになっていた。

 竹中刑務官にも言われたが、この釈放直前の独居房においては割と自由が認められていて、ごろ寝していても保安点検で30分毎に扉に開けられたのぞき窓から中を見た刑務官にとがめ立てられることはないから、紗月は畳の上に横になった。

 背中に伝わる畳の冷たい感触が心地よい。

 いよいよだね、あと3日だね、紗月は横になりながらそう思った。

 思えば6年間は長かった。

 11月下旬に誕生日があるから間もなく28歳になるという11月中旬に判決を受けて、判決の宣告が午前中だったから、その日の午後には裁判所に裁判を確定させるための手続を取った。あれから6年がたった。

 ここ1年ばかり、紗月は釈放後の暮らしが不安だった。

 紗月は刑務所の実施する職業訓練課程に応募した。

 法務省は受刑者達の社会復帰策の一環として刑務所内で幾つかの職業訓練を実施しているが、紗月は応募の度に、今回は、と言われ続けて、ついにどの課程も受講しなかった。

 紗月も2度も懲罰にかけられている受刑者が易々と受講を認めてもらえるとは思っていなかったが、あるとき、しびれを切らした紗月がなぜその課程に参加が認めてもらえないのかを竹中刑務官に訊いた。訊かれた竹中は、担当では無いので、と言うだけで要領を得なかった。尤も、紗月も気付いてはいた。刑務所の中では、釈放後に世間で食べていくために役立ちそうな技能を持っている受刑者は限られている。だから、それらの者達の教育訓練を優先したくなり、紗月の様に、今の日本で安定した暮らしに最も近道の医師免許を持っている者の希望等後回しになっても仕方が無いのだ。

 畳の床にごろ寝してひんやりとした感触を背中に受けながら、紗月はここでの6年間を思い浮かべた。

 今にも雨が降り出しそうな冷たい風の吹く6年前の十一月末に紗月はここに来た。逮捕されて拘置所にいる間に少しずつ覚悟が固められていて、だから、あの移送の日、拘置所を出るときは平然としていたと思う。だが、護送バスに乗せられて刑務所に着いた時には、それはもろくも崩れて、泣いていた。

 新入検査で全裸にされて体中の穴という穴を調べられ、新入り達の入れられる部屋に入った日から6年が過ぎた。

 どこに行くにも、例えば工場で作業中に隣の席の人間に仕事について質問するのも「交談します」と言って手を挙げて刑務官の許可を得なければならない毎日。さらにそれを終えて雑居房に帰ると今度はそこでの人間関係にも気を配らなければならない。疲れる毎日だったと、今、思う。

 ここで親しくなった人はいない。 

 他人の気持ちなどお構いなしに自分の我を押し通そうとする女、とにかくだらしなく、そのことを注意されるとムキになって反論する女、自分が世の中に中心にして貰わなければ気の済まない女など、紗月からするとつき合いをお断りしたくなる女達が多かった。その刑務所から、3日後に釈放される。

 嬉しくないはずは無いのだが、ただ釈放の日が近づくにつれて、釈放後に世間での暮らしを思いうかべては不安に駆られることが多くなった。

 事件を起こしたせいで職場の同僚や学生時代の友人、知人はもちろんのこと、親兄弟の誰とも連絡が取れなくなった。今更、世間で医師として働くつもりなどないから、まずは職探しから始めなければならない。それ以前に、住む場所を決めなければならないのだが、そう簡単にはいかないことは同囚達から聞かされている。

 考えるほどに、あーあー、だった。

 3日後の釈放の朝、予定では誰の出迎えの無いことになっている。仏教の某寺から教誨師として武州刑務所を訪れ更生保護法人日本仏教団体連絡会更生保護会が運営する「更心寮」で保護司としても活動している増井諒順という尼僧が、そこに入寮するために仲介の労をとってはくれた。その諒順が月曜日に大阪で用事があり前日から出かけるとかで来られないという連絡があった。他に出迎えてくれる人など居るわけも無いから、1人で出所ということになる。それでも、紗月は僅かな希望があった、もしかしたら、家族の誰かが、おかえり、と言って刑務所の前でむかえてくるのではないか、と。


この小説のタイトル「さなぎたに1人」の「さなぎだに」とは日本古語で現代語訳すると「それでもなお」と言った意味になります。

 正直言って、この小説を書くまでは刑務所とは縁もゆかりも無い暮らしを送ってきました。ですから、幾つかの本を読んで勉強しました。以下に、参考にした文献を挙げて、著作された諸氏に謝意を表する次第です。

 外山ひとみ 「ニッポンの刑務所30」

 坂本敏夫  「女子刑務所の全て」

 坂本敏夫  「刑務所ムショの全て」

 インターネットで閲覧可能な法務省法務総合研究所の研究資料、法務省矯正局、援護局の矯正、更生保 護に関する記事

 なお、この小説は平成25年当時の資料に拠っていますので、たとえば刑務所の収容者数が収容定員を超えているといったことは平成30年現在には解消されているかも知れません。

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