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窒息する人魚  作者: Manary
2/5

真昼の波風

 昼のプールは、眩しい。真っ青な空の下、空気も水も透明にきらめく。

 大きく息を吸い、派手に水飛沫を上げて飛び込む。コポコポと泡が私を包み、火照った身体を冷やしてゆくのが心地よい。指先から水をかき分け、スイスイと泳ぐ。

 あっという間に向こう側に辿り着き、壁を蹴ってぐるりと反転。勢いのままスピードを上げる。

 迫ってくる壁に手をつき、水から身体を半分ほど出して大きく息を吸った。

 軽く呼吸を整えていると、わっと歓声が上がった。


「紫すごい!またタイム縮んでる!」

「これなら優勝も楽勝だよ!」

「本当!?やったぁ!」


 ゴーグルを外し、プールサイドに上がりながらガッツポーズ。私を囲む友達に笑い返していると、水着ではなくジャージを着た少女が松葉杖を突きながらやって来る。


「お姉ちゃん、また速くなってる!私と一緒に大会に行こうって言ったのにぃっ!」

「ごめんって。あかねも早く足治しなよ。待ってなんてやらないけどね」

「意地悪!」


 妹の茜は唇を尖らせて私を睨む。ちょっと生意気だが、可愛い。

 濡れた手で頭を撫でようとすると、「わっ、馬鹿!濡れる!今日のセット時間かかってるの、この水泳馬鹿!」と悲鳴を上げる。足が思うように動かず慌てふためく茜の姿に、私たちは笑った。

 少し前に茜は階段から落ちて足を骨折し、出場予定だった二週間後の水泳大会を諦めなければならなかった。そこで、補欠だった私が出場資格を得た。

 罪悪感はある。けれど、心のどこかでチャンスを喜んでしまう自分がいて、浅ましさに苦しくなる。

 いっそ、水に飛び込んで泡になってしまいたい。そうすれば、私の汚れた感情も水が洗い流してくれるだろうか。


「……ちゃん。お姉ちゃん!」

「えっ!あ、な、なに?」

「もう、何ぼーっとしてるの」


 呆れたような茜に、曖昧に笑って誤魔化す。

 そうだ。ここは昼の世界。光と熱に溢れた、人と人が交わる場所。

 だから、今は暗い感情など持ってはいけない。

 苦しむのは夜でいい。夜なら、一人になれる。

 陽光を浴びる美しい水面。そこに映る私は明るく楽しげだ。それで、いい。

 身体を拭き、白のセーラー服に着替え、紺のスカートを引っ張り上げたところで、友人の一人が走ってきた。


「紫、アイツまた来てるよ」

「えー……またかぁ」


 私がげんなりすると、みんな一斉に、


「ほんっとしつこいよね。地味でブサイクな奴がストーカーなんて可哀想」

「でも、覗きしてる証拠はないから、追い払えないし」

「してるに決まってるじゃん、あんなキモ男。しれっとしちゃってさー、ムカつく!」


 私への同情とアイツへの侮蔑で、周りが賑やかになる。

 この頃、私にストーカーもどきができてしまっていた。そいつは家について来たりとかはたぶんしてないのだが(そうであってくれ)、部活の間中、いつも出待ちをしているのだ。部活中以外でも学校にいる時に視線を感じることがある。

 正直、気持ち悪い。

 しかし特に証拠もないし、今のところ被害もないのでどうしようもないのだ。

 いつものように友達に周りを囲んでもらいつつ、塩素の臭いが立ち込めるプールから埃っぽい階下へ降りる。

 いた。

 階段の陰に隠れるように、ひょろりとした男子が猫背気味に立っている。

 もっさりした黒髪に分厚い眼鏡、ヨレヨレのシャツ。痩せて青白く、根暗なモヤシ男子そのものだ。

 そいつは前髪で半分隠れた眼鏡をかけ直し、こちらを凝視してきた。


「ちょっとぉ、邪魔なんだけど。こっちは怪我人なんだよ!?いい加減にしてよ田中!」


 茜が松葉杖をカシャンカシャン言わせて怒鳴る。私にはもったいないくらいいい子なのだ、茜は。……ところで、こいつの名前、田中だったっけ?

 田中(仮)は無言で突っ立ったまま、やはりこっちを見つめてくる。ああ、気持ち悪い。


「えっと、田中くん。私に何か用?」

「お姉ちゃん!何話しかけてんの!」

「そうだよ紫!ストーカーは無視が一番って言うじゃん!」


 本人の目の前でストーカー扱いはマズイような。変に逆恨みでもされたら大変だ。

 ちらっと様子を伺うが、怒った様子はない。というか、さっきから反応がない。


「あの……?ないなら、帰るけど」

「水野さん」


 急に名前を呼ばれてギョッとする。

 そう言えば、田中が何か言葉を発したのは初めてだ。


「俺、田中じゃなくて山田です」

「えっ、そ、そう。そうなんだ、ごめんね」


 やっぱり田中じゃなかった。田中も山田も変わらない気はするけど。


「……俺、水野さんが好きです」


 ピシリと空間が凍りついた。

 そんなような気はした。そんなもんだろうけど、不意打ちはキツイ。どう返せばいいのかわからない。


「一目惚れでした。あなたより美しいひとを俺は見たことがありません。水野さんのためなら何でもします。だから……」

「ちょ、ちょっと待って」


 次々に飛び出す賛辞に目眩がしてきた。どうしよう。今は昼間の私なんだから、上手くやらないと。


「あ、あの。私、部活で忙しいから。付き合ったりとか、そういうのは、ちょっと」


 なかなかの言い訳じゃないか。よくやった、私。

 そう思ったのも束の間、山田はそうですかと呟いて、


「では、いつまで待てばいいですか」

「は?」

「わからないなら、いつまででも待ちます。それまで見つめさせてください」


 山田の表情は変わらない。だが、声に熱がこもるのを感じた。

 どうしよう。

 戸惑いと恐怖に息が詰まる。どうしたら、穏便に済むのだろう。

 その時、カシャンと音がした。


「ちょっと!お姉ちゃんが困ってるじゃん!あんた、さっきからキモいよ」


 茜だった。

 松葉杖を強く握り、山田をキッと睨み上げる。


「言っとくけど山田なんて論外だから。お姉ちゃんには超!イケメンな彼氏じゃなきゃつりあわないの!」

「茜!?な、何言って……」

「そうそう!今日だって同級生に口説かれてたんだから。ストーカーのくせに知らないの?」

「背が高くて髪もあんたと違って茶色で、人懐っこくて優しいよね〜!女子にも大人気なのに、紫一筋ってところがイイ!」

「ちょ、待って!」

「紫は恥ずかしがって彼から逃げてるけど、あんたの出る幕じゃないから」

「失せろ、ストーカー」

「ガリ勉のくせに紫につきまとうな!」


 当事者である私を置いてけぼりにして、周りの山田に対する罵倒は止まらない。

 山田は特にダメージを受けている様子はないが、何かを考えているようだ。

 恥ずかしい。居た堪れない。私のために言ってくれているのはわかるが、付き合ってなどいない。


「ごめん!先行ってるね!」

「あ、お姉ちゃん!待ってよぉ!」

「水野さん!」


 走って逃げ出した。逃げる、逃げる。どこへ?どこまで?

 ただ、息を切らせて走り続けた。

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