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第九話 「すっごいね。大きいねーっ」

「じゃ、進んでくれ。このまま真っすぐだ」

「うんっ」

 今のスピードはおおよそ十五キロ。

 安全に停まれるし、無理のない感じだろう。

 ただでさえティナの乗るSTRIDAはリアディレーラー|(後輪の変速機)がない。

 ママチャリとあまり変わらないから、結構ペダルも重いんだ。

 ちょっとしたサイクリングとしてなら十分のモデル。

 ただ、ティナは今日乗り始めたばかりなんだが、そうは見えないくらいに乗りこなしてるんだよな。

 泊の信号が赤になる。

 ティナはそれにちゃんと気づいたようで、しっかりと停まってくれた。

 教えた通り、フロントとリアを同時に使っていた。

 なんつ、物覚えだよ。

「武士ー」

「どうした?」

「これ、すっごく気持ちいいな。馬は乗ったことあるけど、まるで自分の足で走ってるみたいに楽しいぞ」

「そうか。この面白さがわかってくれたなら、俺も嬉しいぞ」

「うんっ」

 俺が何故ティナの後ろを走ってるかというと、急な幅寄せが怖いからだ。

 俺が車避けになればいいと思ってるのもあるな。

 教えた通りにティナは白線のやや外側を走っている。

 本来は内側を走るべきと教える場合もあるが、内側はゴミが落ちていたりするのと、内地ほど路側帯がしっかりと作られていないのもある。

「ティナ、そこを左な」

「うんっ」

 一度部屋に戻ることができた。

 店の鍵を開けて、自転車だけ入れたら二階に上がる。

 そこでサイクルジャージに着替えるためだ。

「ティナ、上はスポーツブラ教わっただろう。あれつけた方がいいらしい」

「うんっ」

「じゃ、ティナは脱衣所で着替えてくれ」

「わかった」

 俺はティナが着替えている間に、上下を着てしまう。

 俺の上下はキャノンデール製のライムグリーンのものだ。

 一号を名乗る俺なら黒地に緑なんだろうけど、それだと熱を吸収しすぎて暑すぎる。

 だからこれにしたというだけだ。

 ティナが脱衣所から出てきた。

 うぉおおおおっ!

 可愛すぎる。

 俺が選んだピンク地に赤のワンポイントの入ったもの。

 腰のくびれ、すげーっ。

 おっぱいでけーっ。

 いやいやいや。

「どうだ? 着心地は?」

「うん。悪くないよ。動きやすいし」

「じゃ、行くか」

「うんっ」

 戸締りをして、店から自転車を出す。

 店の戸締りも忘れずに、と。

 さっき来た道を五十八号線まで戻り、ゆっくりと南下していく。

 自転車に慣れたら、ティナにもロード買ってやらないとなぁ。

 いや、あの腰。

 おしり。

 たまんないっすねぇ。

 いやいやいや。


 左に豊見城警察署が見えてくる。

 ここで右折だ。

「ティナ、ここでな右に曲がるんだけど。まず、信号渡り切ったら停まれな」

「うんっ」

 そう、自転車はどこでも二段階右折だ。

 たまにロードに乗って右折レーンを走る阿呆がいるけど。

 あれ、死にたいのかね?

 交差する信号が青になる。

「よし、今度はあそこで停まれな」

「うんっ」

 時間よりも安全。

 これが一番だよ。

 やっと瀬長島海中道路に入った。

 ここからは信号がない。

「ティナどうだ? 気持ちいいことだろう?」

「うんっ。両方これ海?」

「そうだな」

「すっごいね。大きいねーっ」

 橋を渡ろうとしたとき『キーン』という大きな音。

「武士、武士。あの鳥なに?」

「あぁ、あれはな飛行機って言って、人を乗せて空を飛ぶ乗り物だよ」

「へぇ。うわ、でっかっ! 人ってあれに乗って空を飛ぶんだ……」

 ここは右側にすぐ、那覇空港の滑走路がある。

 そのためジャンボジェット機のダイナミックな着陸が見れる珍しい場所でもあるんだ。

 ここは昔は離島で、地続きになってからは夜のデートスポットだった。

 真っ暗になったこの場から見える那覇の町の光が綺麗だったらしい。

 独り身だった俺には関係なかったけどな。

 それがここ数年。

 立派なリゾート地に変身したってもんだ。

 ティナはアームガードとレッグガードはいらないと言っていた。

 なんと、ドワーフは日焼けしないんだそうだ。

 新陳代謝が高いのか。

 それともドワーフ力なのかは知らないけどな。

「ティナ、それ左な」

「うん。うわぁ。すっごい。海おっきいーっ!」

「だろう?」

「すごいね。綺麗だね」

「よそ見するなよ、もう少し行ったら一休みだから」

「わかったー」

 坂を上り切ろうとしたあたりで、車が沢山停まっているところが出てくる。

「そこ、左に回ってくれ」

「うんっ」

 公演のような感じになっている場所に出る。

 そこで自転車を停めると、二台をチェーンロックで繋いだ。

「よし、そこに座ろうか」

「うんっ」

「ほい、ティナ」

「ありがと。……これ、どうやって飲むの?」

「上をな、こう上げて。軽く押しながら吸ってみな」

「……んくんく。ぷぁっ。これスポーツドリンクだね?」

「そうだ。あとな」

 俺はリュックから袋を取り出す。

 そこにはさっき買ったサクサク皮のシュークリームがあった。

 ひとつ取ってティナに渡した。

「ほい。食ってみ」

「うん。いただきまーす。あむ。うわー、甘い、ねっとりしてて美味し」

「だろう? これがシュークリームってお菓子だ。自転車とかでな、運動すると身体で糖分が消費される。補給しないとな、倒れるかもしれないんだ。だから、こんなときは甘いもの、だ」

「うん。おいしっ」

 ティナと一緒に大海原を見渡す。

「何だろう、この匂い」

「これがな、海の匂いだ。潮の香とも言うな」

「ふーん。いい匂いだね」

 今日は思ったよりも日差しが強い。

 ティナも俺も汗はだくだくにかいている。

 だが、いつも感じていた肌を刺すような、焼けるような感覚が感じられない。

 あ、俺もドワーフか?

 これがそうなのか。

 ちゃんと汗腺はある。

 新陳代謝、高いんだろうな、きっと。

 それにもうひとつおかしいことがあった。

 あまり疲れてないんだよな。

 ここまで片道十キロくらい。

 ティナのペースで来たから、三、四十分くらいか。

 その間、ティナを気にしながらだったからあまり覚えていないが。

 息が全く切れない。

 これもドワーフだからか?

 まぁ、あまり深く考えても仕方ないだろう。

 ティナという可愛いイレギュラーが目の前にいるんだ。

 こっちを見るほうが大切だからな。

「どうだ? 自転車慣れたか?」

「うん。すっごく面白いね。あたいの国にもあればいいのに」

「ドワーフってさ、手先が器用なんだよな?」

「そうだね。鎧や剣なんかも普通に作ってるし」

「作ってるのかよ!」

「うん」

「なら、もしかしたらさ。図面があったら作っちゃうかもしれないな」

「そうだね。あ、おかわりある?」

「はいよ」

 俺は袋ごとティナに渡した。

 ティナは嬉しそうに頬張る。


 帰り際にちょっとだけ砂浜に降りてみた。

「ティナ、靴脱いでみな」

「うんっ」

 俺も靴を脱ぎ、砂浜を歩く。

「ここは泳いじゃまずいところだけどな、波打ち際で遊ぶくらいなら大丈夫だろう。ほら、足、つけてみな」

「うわ、ぬるい」

「だろう。こんなもんだ。でもな、ちゃんとしたとこなら、水の中は冷たく感じるんだ。ちょっと指つけて舐めてみな?」

「うん。……からっ! うぁっ、からっ!」

「だろう? これが全部塩を含んでる」

「塩っ!」

「そうだ」

「結構貴重なんだよ。あたいの国では」

「そうなのか?」

「うん。あたいたちのとこにはこういう海ってないんだ。岩塩が取れるだけだから」

「そうか。知らなかったな。ほい、これで口をゆすぎな。綺麗だけど、口塩っ辛いだろう?」

「うん。……あ、飲んじゃった……」

「あほ」

「ふふふ……」

「……あははは」

 ちょっと遊んでから、しっかりとタオルで足を拭いて帰り支度。

 帰りはちょっとだけスピードを出すように言ってみた。

「ティナ、もう少しスピード出せるか?」

「やってみるー」

「あ、でも三十キロまでだからな」

「わかったー」

 するとティナはギアなしSTRIDAのくせに、余裕で三十キロは出している。

 嘘だろう?

 俺だって平地なら巡行できるスピードだけど、ティナのやつ。

 上り坂なのにスピード落ちないぞ?

 あれ?

 俺もそんなにきつくない。

 おっかしいな……。


 信号待ちを含めても、行きの半分で部屋までついてしまった。

 それも疲れてないどころか、息が上がってない。

 それはティナも同じだった。

 ただ俺もティナも汗だく。

「楽しかったー。また連れてってね」

「お、おう。じゃ、風呂入ったら飲みにいくか」

「うんっ」

 俺はティナに鍵を渡した。

「俺、自転車しまっとくから、先に風呂入っちゃってくれるか?」

「いいよー。ありがと」

 流石に外ではティナはベタベタしてこない。

 ティナが先に行ったのを確認して、俺は店に自転車を置きに行く。

 ワックスを塗ってあるからって潮風の強いところ行ったから、明日にでも水洗いしてやらないとな。

 沖縄の塩害は舐めたら痛い目に会う。

 なにせ、車のマフラーがサビて折れるくらいだからな。

 壁にSTRIDAをひょいとかける。

 確かにおかしい。

 前よりも楽々持ち上げられるからだ。

 CAAD12も壁にかけてからしっかりと戸締り。

 換気扇を忘れてなかったから、店内はそれほど暑くはなかった。


 部屋に入るとティナはもう風呂に入っているみたいだ。

 俺はドリンクボトルを洗っておく。

 樹脂製で魔法瓶みたいに中空で作られている。

 樹脂と樹脂の間に薄いアルミホイルみたいなものがあるだけなんだが、安かったのに思ったより保冷効果があった。

 ティナと飲んでるときに、小さい氷が残ってたからな。

 アルペンのプライベートブランドなんだが、税込み千円切ってるのに結構優秀だな。

 自転車は明日起きたら水拭きしておこう。

 毎回洗車するのが本当はいいんだが、そこまで手をかけてる暇はない。

 錆びそうな部分はオイルを差してあるから大丈夫だ。

 自転車は沖縄でも室内保管すれば、そんなに錆びることはない。

 ティナと俺のヘルメットの内側を軽くウェットティッシュで拭いて、除菌剤をかけておく。

 もちろん汗を吸ってる顎のストラップも。

 こうしておけば、次に使うときも快適に使えるってもんだ。


 そうこうしてると、ティナが風呂から上がってくる。

「武士、お風呂ありがと」

「あぁ、髪は俺が入ってからでいいか?」

「うんっ」

 ティナと入れ違いに、俺は脱衣所に入る。

 置いてある籠にティナが脱いだレーパンとジャージが入ってるな。

 このレーパン、ティナが直に……。

 いやいやいや。

 俺は変態じゃないぞ。

 俺とティナのレーパンを裏にひっくり返し、ジャージも洗濯用のネットに入れて、洗濯機へ。

 こうしないと、痛むんだよな。

 中性の洗濯洗剤を入れて、スイッチオン。

 風呂場に入ると、ティナのやつ、お湯溜めててくれたんだな。

 軽くシャワーを浴びて浴槽に浸かる。

 ……ふぅ。

 俺は腕を見た。

 確かに日焼けした感じはないんだよな。

 今日一日ティナと自転車で走ってきたが、疲れたり息が切れたりしたことはなかった。

 だんだん人間離れしていく自分に驚いているというか、怖いというか。

 ドワーフってこんなに身体能力高いのか?

 それとも心肺機能が高いのか。

 どっちにしても、疲れないのは助かるけどな。


 風呂から上がり、ティナの髪をドライタオルで拭う。

 ティナ用に買ってきたブラシで髪を梳く。

「んー、武士」

「ん?」

「侍女より上手」

「どういたしまして」

「そういやさ、ティナ」

「んー?」

「お前、凄く覚えが早いよな。交通ルールとか、自転車の操作方法とか」

「それは武士からもらったんだよ」

「俺から?」

「うん。あたいの半分あげたけど、武士からも半分もらったからね」

「半分って?」

「あのね──」

 ティナが言うには。

 『婚姻の口づけ』とは、俺の身体とティナの身体に起きた変化。

 目のことだな。

 これはティナの国で王族のみが使えるものらしい。

 王女や王太子が与える加護みたいなものだ。

 ティナが求めるものの対価として自分の半分を与えるそうだ。

 ティナが求めたのは俺の知識。

 ティナがたちが対価として与えるのは王族の力。

 これは昔、隠し事をしないという誓いで始まったんだそうだ。

 ただ、俺が人間だったことでどういう効果が現れるかわからないそうだ。

 まぁ、死ぬようなことがなければ構わないけどな。

 その証として、瞳が入れ替わるんだそうだ。

 ドワーフの間でも瞳の色は全員が同じというわけじゃないらしい。

 王家の既婚者は、皆、オッドアイらしいのだ。

 もし、俺たちが喧嘩別れしたとしても、ティナの瞳は変わらないらしい。

 元々、一生添い遂げる覚悟がないとこの力は使えないそうだ。

 ちょっと待て。

 ってことは、ティナは俺と添い遂げる覚悟をしたってことか。

 ちくしょう。

 やられた。

 この話自体が、ティナからの求婚そのものじゃないか。

 ならば俺も覚悟を決めなきゃならないな。

「話はわかった。それでこの世界での基礎的な知識は覚えたってことだったんだな」

「うん。だって、武士と暮らしていくのに、必要なものでしょ?」

「あぁ、まいったな……」

「武士、困った?」

 俺はティナの脇に手を入れてくるっと反転させる。

 こっちを向いたティナの背中に手を回してぎゅっと抱きしめた。

「武士、どうした?」

「ティナ。お前の気持ちはよくわかった」

「ほんと?」

「あのなティナ」

「はい」

「俺は一度結婚、失敗してるんだ。前の嫁さんに逃げられちゃってな──」

 俺はティナにすべてを打ち明けた。

 ティナは俺の目をしっかりと見て、聞いてくれた。

「──こんな、俺なんかでいいんだな?」

「武士じゃないと、やだよ」

「ティナ」

 俺の声のトーンが変わったのに気づいたのだろうか。

 ティナはちょっと身体をこわばらせた。

「はい」

「俺と一緒になってくれ」

「……はい。喜んで」

 俺とティナの唇が自然に重なる。

 俺はこのとき、初めてティナを受け入れる覚悟をした。


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