9話
ハークレイ家が収める領地は、同格の貴族に比べればさほど広くはないし領民も多くはない。
だが、領地が海に接している。海底まで浅く数多くの岩礁がある、いわゆるリアス式海岸という立地だ。暗礁も多いために大型船は入れず港も作れない。だが魚介類や魚などの水産資源に恵まれ、領民の生活はそれなりに豊かであった。小舟程度ならば問題なく海へ行き来して漁をすることができるし、そう遠くまで船を出さずとも素潜りで魚介類を取ることができる。
また山や森にはイノシシや鹿が数多く生息し、仮に海の幸が不漁でも領民は狩猟をすることで糊口を凌ぐことができる。海山ともに資源に恵まれているのだ。
――が、欠点もある。それは穀物をカネで買うしかないということだ。麦を育てている農民がいないわけではないが、常に領民全てを賄うほどに採れるかというと難しいところだ。平地が少なく農地にできる面積に乏しすぎる。
だから資源に恵まれながらも意外と飢饉に弱いというのが、我がハークレイ家領地の脆弱性なのだそうだ。飢饉のたびに「森を切り開いて農地を増やすべきだ」という意見が出てきたが、それは常に却下されてきた。それは何故か。
「ここ、リンドベル山には大きな気脈が通っている。このあたりの木々を切り開いて丸坊主にしてしまえば、国全体のマナの総量が減ってしまうのじゃ。故にここを領地とする貴族が守らねばならん……これは秘密じゃぞ」
私はいまお祖父様と共に山の中を歩いていた。
屋敷から馬で2、3時間というすぐ近くの場所だ。山といってもそこまでの標高はない。だが面積は広く、森といった方が近いだろう。
馬を山の麓のリンドベル村に預け、もう4、5時間は歩いているだろうか。
お祖父様は勝手知ったる場所のごとく迷わずに鬱蒼とした木々の中を歩く。私は小走り気味にお祖父様を追いかけつつ、お祖父様の話の背景を想像した。
「……そうか、気脈を悪用しようとする人間が出るからですね」
マナの総量が減るとなると、産業や国の防衛など多岐にわたって影響が出るだろう。ここの領主として責任重大だろうな。
「それもあるが、気脈の存在を秘密にしているがゆえに、王家から気脈の管理費や防衛費を貰ってることも秘密事項なんじゃよ。まあ麓の村には力を借りてるから分配しておるが、他の村や町に知られると厄介じゃ。一揆もありえぬ話ではないし」
「そりゃこっそりためこんでたら誰だって怒るわ!」
どうもこのじじい、食わせ者だな……。
我こそは武に人生を捧げた剣客でござるみたいなストイックな顔をしてるくせに、やることはやってる臭いがする。というかウチが伯爵から侯爵へと位が上がったのはお祖父様の代なんだよな。武に長じているだけでは無い「何か」があると見るのが自然なのかもしれない。
「い、いや、そんなこともないぞ。儲けた分は基本的に備蓄の麦にしておるからの。飢饉があったときにはちゃんと領民に放出しておる。そこは代官にも説明して納得済みじゃ」
「あ、なるほど」
「魔力に満ち溢れてる土地というのは山の幸に恵まれるし、魔力の修行にはうってつけじゃ。そんな恵まれた土地にも関わらず管理費を貰うということは、それ相応のリスクを伴っていることの裏返しでもある」
「リスク?」
「山の幸も育つが、同じく獣も強く育つ。更に、強力な魔獣が生まれかねん」
……数年度と予測されたお祖父様の死。
その遠因は魔獣との戦いだったな。
「魔獣とはどんなものなのですか?」
私は内心の動揺を抑えて祖父に尋ねた。
「乱暴に言えば、人間以外で魔力を使うことのできる生き物の総称じゃな。まあ普通、山や森に現れるのは体の大きくなった猪や、凶暴になった鳥なんかが多いんじゃが……。あと、墓地に魔力が集まればアンデッド……動く死体が生まれることもある」
そういえばゲーム中でもその手の雑魚モンスターは現れたな。
ていうか猪って魔力関係なくタフで強いよな。それが強化されたとなるとたまったもんじゃないだろう。
「ただし、肉体を持たず魔力だけの純粋な存在は精霊と呼ぶ。精霊を魔獣扱いしてはならぬぞ。あやつら無駄にプライド高いからの」
「あっハイ」
触らぬ神に祟りなしってか。
「で、この山林には10年に一度、強力な魔獣が現れる。それが出たときは儂……そのときのランベール家の武門の長が率先して、魔獣を退治せねばならぬ。それこそが貴族の務めじゃ」
「……はい!」
これがウチの家のしきたりってわけだな。
……って、待てよ。それじゃあ家の人間はみんな知っているのか?
「もしかして、お兄様やお母様もご存知なのですか?」
「うむ。お前の兄、ランベールにも二年ほど前にすでに説明している。ここに来るのはハークレイ家の通過儀礼のようなもんじゃな」
「あ、だからお母様も3ヶ月の外出なんてこと認めてくれたんですね」
「そういうことじゃ」
話が早くてどうも妙だと思ったんだよな。これはウチの家の人間であれば知らなければまずいことだろう。
「魔獣退治には麓の村の人間の手を借りはするが、旗を振る人間が居ると居ないとでは全く違うからな。俺等が体を張るということで、村民も俺等を貴族と認めてくれる。わかるか?」
お祖父様は野卑な笑みを浮かべる。戦場を思い出しているかのようだ。
「……もしかして、その強力な魔獣とやらが現れる時期は近いんですか?」
「まあ、2年前に現れたときは儂が倒したから今は平凡な魔獣しか現れん。おぬしでも大丈夫じゃ」
「……平凡な魔獣?」
「せっかくの初めての外泊じゃ、美味いものが食いたいと思わんか?」
あ、このじじいロクなことを考えてないぞ。
★★★
「リュミエーレ王国純愛奇譚」はRPG要素を持った乙女ゲーだ。
モブ敵も割と種類豊富に存在する。いわゆるスライムとかスケルトンとか。
その中で、ビッグボアという敵がいる。
まあ日本語に訳せば大きいイノシシというわけで、森や街道でエンカウントする。
日本ですら野山でエンカウントするのだからこの世界にもたくさん居ることだろう。
脅威度としては、まあ、大したことはない。
『十代後半から二十代前半くらいまでの、剣を振るったり魔法を使えたりする人物による』
『4人パーティ全員でかかれば』
何の問題もなく狩れる。
ザコだ。ゲームをプレイするプレイヤーにとっては。
でも。
私は。
「ぬううううわあああああああああああ!!!!!!」
丸腰で。
「デジレ! よーく相手を見ろ!」
8歳の女の子で。
「ちっくしょおおおおおおおおお!!!!!!!」
初めての実戦だった。
魔獣というのは気性が荒いらしく、子供の身の私に対しても鼻息荒く襲ってくる気満々だ。
「言っておくがデジレ。チャクラが開いてる人間に対して、魔獣の警戒心は相当強い。魔力を隠す術を身に着けぬ限り逃げられんぞ。ここで仕留めよ」
「そういうの早く言えよおおおおおお!」
お祖父様はにやにや微笑むだけだ。恐らくイノシシ鍋が食べたいとか抜かしていた時点で、このビッグボアが近づいていることに気付いていて、これ幸いとばかりに俺の特訓相手にしたのだ。だが最初のハードルにしちゃタカすぎないかコレは。
ビッグボアは前足でガリガリと土を蹴っている。身の高さは私より少し上だが、体長を考えれば私の体重の10倍近くあるかもしれない。重さというのはそのまま力に変換される。いくらオドに目覚めてチャクラが開いたからといって、私に野生動物を制する力があるのか。
猪の呼吸のリズムが変わる。
来る。
後ろ脚に力をためて解き放ち、押し潰しに来る。
そう覚悟した瞬間、私の時間が圧縮されゆくのを感じる。
張り詰めた弓のように脚が膨らみ、そして力が放たれるのを、この目でしかと捉えた。
近づいてくる猪の顔。猛々しい目が私を射殺すように睨む。
「くっそがああああああ!!!」
両の手を突き出して、今まさに私の体を突き飛ばそうとした猪の頭を押さえる。
鉄塊のごとき重量が骨を通して全身に伝わる。
たまらず後ろに引き下がり、木の幹の刺々しい感触が背中に伝わる。
「……ぅぅうううううううおおおおおお!!!!」
このまま猪が力を込めれば、玉突き事故の真ん中の車のように見るも無残な姿を晒すことになる。
そうはさせまいと渾身の力を込める。
押しつぶせなかったことに驚いたのか、猪は一瞬たじろいだ。
私も驚いた、が、立ち直りは私の方が早かった。
猪の目にふたたび戦意が灯る。負けじと睨み返す。
幾ら耐えたとは言えこのままじゃ死ぬ。危機感が、体を突き動かす。
「まだじゃ! 丹田からオドを燃やすのじゃ!」
「うっ……るせえええええええああああ!!!」
渾身の力を込める。
丹田に意識を込める。
体の中心から末端へ、脚が揺るがぬように、手が離れぬように。
そして芯から直線に放たれる力を、生物的な曲線へと曲げていく。
曲線が螺旋となる。力は体幹から腕へ、腕から手へ、そして手から、猪の体へ。
「……ブモォォォォオオオオオオ!!!」
猪の巨体を、ひねり、真横へと投げ飛ばした。
相撲の合掌捻りのように決まったが、そんな洗練された技じゃない。
湧き上がる力で無理矢理投げ飛ばしたようなものだ。
猪の巨体は真横へと飛んでいき、木の幹にぶつかって轟音を立てる。
木の幹がめきめきと折れ、そして木と猪の巨体が地面に落下して更に大きな轟音と衝撃を産んだ。気付けばかすかに聞こえた鳥や虫の鳴き声は一切聞こえなくなり、しびれるような静寂があたりを包んでいた。ようやく、自分がビッグボアを倒したのだと気付いた。
「があああああ!!!!! っしゃああああああ!!!!!!」
自然と自分の口から咆哮が出た。
「油断するな! まだじゃ!」
「え」
気付いたときには鳩尾に猪の頭が潜り込んでいた。
まずい、今度こそ死――
「……ぐっ!」
思った以上の衝撃はない。
疲労した体でもギリギリ踏みとどまることができた。
理由はすぐに気付いた。
後ろ脚が動いていない。
脚が折れたか、いや、後ろ脚2本とも動かないとなると腰骨がおしゃかになったか。
それでも前脚だけで私のところへ突進してきたのだ。
不屈の闘志――感動と恐怖を覚えた。
「……こなくそおおっ!」
私の体も、無傷じゃない。
押し合いへし合いしている内に気付けば服もボロボロで体は傷だらけだ。
だがこの猪のように致命的な傷を受けて、それでも抗うことができるか。
わからない。
ただ、今抗うことができるなら、全力で抗う。
少しでも力をかき集めて、殴る。殴る。
技もへったくれもなく、拳を握る。
身体に残る力を拳へとかき集めて、打つ。
猪は拳を物ともせず、まっすぐにぶつかってくる。
気付けば拳は赤く濡れていた。
自分の血だ。
猪の牙にかすり、猪のぶあつい皮膚に押し負けて、殴る手の方が傷を負う。
それでも無我夢中で殴った。しゃにむに拳を打ち続けた。
ひたすらに殴り続け、それが永遠の時間のように――
「……それまでじゃ」
お祖父様が、そっと私の肩を叩いた。
何を言ってるんだ、猪の目は、今も私を強く睨んでいるじゃないか。
そう思ってお祖父様の顔を見ると、お祖父様は首を横に振った。
目の前の猪に既に命の脈動が無いことを、気付くことができなかった。
★★★
お祖父様は持ってきたロープを木にひっかけて釣り上げ、そしてどこにでもあるごく普通のナイフを使って魔獣の巨体を起用に血抜きしていく。
疲れ果てた自分は、木の幹に体を預けて座り、その様子を眺めていた。
珍しく私もお祖父様も無言だった。
「……よし、こんなものじゃろう」
ふう、と息を吐いてお祖父様はナイフを仕舞い片付け始める。
「お祖父様」
「なんじゃ、デジレ」
「生きるのって……大変ですね……」
「そうさな……」
お祖父様は、遠い目をしながら山の向こうを眺める。
昼下がりの太陽は、青々とした木々を眩しく照らしている。
「お主は長生きしろよ」
「はい」
そしてお祖父様は猪の巨体を引きずりながら麓の村まで戻った。相変わらず、まったく年齢を感じさせない剛力だ。百キロは軽く越す……もしかしたら二百キロ近くはありそうな猪を運んでいるというのに、私に軽口を叩く余裕すらある。
そして日暮れ前までに麓の村にたどり着くことができた。お祖父様がたまたま近くに居た男に声をかけると、男は驚いて村民を集めだした。村長らしき老人が来ると、お祖父様におずおずと話しかけた。
「お、お館様……、まさか、この子に魔獣と戦わせただか」
老人は驚愕に目を開きながら尋ねる。
「うむ、こやつは……」
自慢げに語ろうとしたのだろうが、村人達の目線が妙に冷たい。
「こ、こんな幼子に魔獣退治させるとは、お館様、鬼畜過ぎる……」
「いくらなんでも酷い……」
「お、鬼じゃ……鬼がおる……」
ふむ。
確かに今、私は満身創痍だ。
お祖父様に手当を受けたとは言え、髪も荒れ放題で血で汚れた服を洗うような余裕もなかった。それに対してお祖父様は無傷だ。ビッグボアの血抜きをするときも手際がよく、汚れ一つついていない。
「ちょ、おい! 誤解するでないわ!」
あまり誤解でも無い気がするがなぁ……正直死ぬかと思ったし。
嘘泣きして困らせてやろうかな。
だがせっかく勝利しての凱旋だというのに『可哀想な子』扱いされるのもちょっと癪だ。
「へっ、このくらい楽勝でしたわ」
私は胸を張って、余裕ぶって答えた。
「どうじゃ儂の孫娘は」
お祖父様は私の背中をばしばしと叩いて笑う。
が、村民達は流石に、自分とお祖父様、そして運んできたビッグボアを見てドン引きしているようだった。




