3話
「おにいさまのお見舞に来たのだけど、入っていいかしら!」
従兄の部屋の隣室に控えるメイドに、開口一番で声をかけた。
従兄の傍に常に控えているこのメイドさん、なんというか幸薄そうでネガティブな人で、私は苦手意識を持っていた。が、別にこちらに敵意を持っているわけではないのだろう。子供ゆえの第一印象だけの人間判断に振り回されてはいけない。これからは改めねば。
「あ、え、デジレさま……?」
「どうしたの?」
「いえ、お元気になられたようで……なによりにございます」
いきなりメイドがはらはらと涙をこぼし始めた。え、ちょ、待って。
「だ、だって、私よりおにいさまの方が可哀想だもの……」
「ああっ、なんと健気な……!」
あー、そうだ、この人すぐ泣くから苦手だったのだ。
忠義に厚いから邪険にするわけにもいけないが話が進まなくて困る。
彼女はハンカチで目をぬぐいつつもまだ嗚咽しているのだが大丈夫かなコレ。
もう少し明るい人が傍に控えた方が良いと思うのだが。
「ってわけで、入るわね!」
とりあえずメイドは放っておいて従兄の部屋の扉を開ける。
部屋はカーテンも閉めてまっくらだった。
廊下の光が部屋の中をほんの少しだけ照らす。
どことなくベッドのあたりが膨らんでいる。あそこで寝ているのか。
「おにいさま……起きてます?」
おそるおそる声をかける。
布団がもぞもぞと動いた。
が、言葉を返す様子はない。
「……ふむ」
狸寝入りか。
このまま部屋に下がっても良いのだが、そういうわけにもいかない。
思えば日本の「俺」も、妹が引きこもって四苦八苦したっけな。
……よし。まずは顔を見よう。
「おにいさま!」
おもむろに布団の上へと乗っかったら、ぐえという声が出た。
「何をする!」
「あ、やっぱり起きてた」
布団から少年の頭だけが現れ、きっと睨みつけてきた。なんだ、言い返す元気があるじゃないか。だがその顔は「デジレ」の記憶よりも痩せて……いや、やつれている。赤く、火の玉のような元気の象徴だった髪もぐったりしている。目に隈も出来ていて、やはり外見からして不健康な状態を物語っていた。
「…………デジレか、やめなさい、部屋に帰れ」
「でも、ご飯も食べてないみたいだから……」
そして自分は、おずおずと秘蔵のブツを差し出した。
「……お菓子か?」
「うん」
「…………いらない」
ランベール兄者殿はぷい、と顔を横に向けた。
あっ、てめー私の大好物だぞコレ。
「……食べなければ元気になれませんわ。なにか食べたいものは無いのですか?」
「ない」
「本当に?」
「……」
「本当の本当に?」
すると兄者は布団を被って亀の姿勢へと戻ってしまった。
しまった、これはウザかったか……。
「…………カレー」
「へ?」
「カレーが食べたい」
いや、無いだろう。
まあ遠い異国の香辛料を買い付けることができればこの世界でも再現できるかもしれないが……って、あれ、おかしいぞ。
「おにいさま、いまカレーって言いました?」
「……どうせわかんないだろ」
「ええと、ガラムマサラとかの香辛料を使った、とろみのある辛いスープを、ごはんにかけて食べる……」
「えっ、あるのか!?」
私の説明を聞いた兄様が驚いて声を上げた。もっとも姿勢は亀の子状態のままだったが。
「無いです」
ガラムマサラやクミンは言うまでもなく、おそらく胡椒だって日本のようには安くないだろう。歴史で言うところの「黒い宝石」というほど高価ではなさそうだが、それでも日本のスーパーのようにほいほい買えるとも考えにくい。だいたい、寒冷で乾燥したこの国の気候では自生もしていないだろう。……ていうかそもそも存在してるだろうか?
「……どこで聞いたんだ?」
「えーっと……」
前世では男で、大学浪人生でした……と言っても理解できるだろうか。
だが今、兄様は確かに「カレー」と言った。間違いなくそこだけ日本語の単語で、日本語の発音だった。
そしてこの亀の子スタイルでの引きこもり方。
俺のよく知る「誰か」を彷彿とさせた。
それでもこの一言が出たのは、まさに直感と幸運が光ったとしか言えなかった。
「……もしかして、早苗か?」
布団が、がばっと飛んでいった。ランベールがいきなり立ち上がったのだ。
「なな、なななんで……!? ていうかもしかして……!?」
「『俺』だよ、にーちゃんだよ」
★★★
私が五十嵐文彦であったことを話すと、ランベール兄様はすぐに納得した。
日本人しか知らないであろう日本の話、私達しか知らない俺と早苗の話をして、お互いの話にどれも矛盾が無かったからだ。
「さびしがっだよ"お"お"お"お"お"」
「あーあー、わかったわかった、落ち着け落ち着け」
で、私はむせび泣いている前世の妹兼今世のお兄様をなだめていた。
「にーちゃんは、いつ頃から気付いたの……?」
「おととい、庭で木登りして転んだときだな。お前は?」
「……こっちのお父さんが死んでから」
「そっか……」
私は懐かしい気分で妹――じゃなくて従兄殿の頭を撫でていた。早苗が小学生の頃は、よくこうしてよく慰めてやったものだ。
「やっぱアレか、死んで生まれ変わったのかな」
「地震が起きて……お兄ちゃんが庇おうとしてくれたけど結局天井が抜けたから二人してカエルのごとくつぶれたよ。覚えてない?」
「なんかすまん」
よく覚えていないが、かばおうとしてむしろ邪魔になってしまったのか……。
「いや良いよ、助けてくれようとしたんだし……。ま、気にしないで」
「そう言ってくれると助かる……ってか、お前こそ元気だせよ。母さんもじいさんも心配してるぞ」
「…………うん」
「しかしお前がこんなイケメンに転生するとはなぁ」
「イケメンったって嬉しくないよぅ……人生ハードモード過ぎるし……悲観するよ」
「ハードモード?」
ん? どういうことだ? 親父達の件で元気がなくなってただけじゃないのか?
「あ、にーちゃんは原作シナリオちゃんと知ってなかったっけ」
「無双版でプレイしただけだから、なんとなくあらすじで知ってる程度だぞ」
「まずおじいちゃんが10年以内に病気で死にます」
「え、マジで!? まだ元気だろ?」
「でももう60過ぎてるしさぁ……日本だって70過ぎたら流石にヤバいよ」
「うーむ……そうかぁ……」
前の世界のように医療制度が発達しているわけでもない。怪我の回復などは魔法があるから部分的には現代医療よりも凄い場面はあるが、病気の治療や医療に対する考えははるかに現代より劣る。
「で、進退窮まってきて、私が貴族学校を卒業して軍の士官コースに入る」
「すげーな、エリートじゃん」
「…………『ランベール・ハークレイ』ならね」
「ん?」
「中身が『五十嵐早苗』なんだよ、記憶思い出しちゃったんだよ……」
そういえば。
こいつ。
花の女子高生にも関わらずおうち大好き。
前世ではフリースクール通学や退学しての高卒認定受験検討中の。
正真正銘のひきこもりであった。
「……厳しいな」
「でしょ!?」
我が妹……じゃなくてランベールお兄様は前のめり気味に私の肩をがっしと掴む。
「軍みたいな体育会系なんて絶対無理だよぉ……しかも自分を騙す気満々のおっさんに子犬みたいに媚び売らなきゃいけないんだよ……」
「……そういえば汚職の罪を着せられそうになるんだったな」
「その事件がちゃんと解決されるのは主人公とくっつくときだけで、他のルートだとどうなるか微妙にわからないんだよね……自分だけバッドエンドってことも十分ありえるんだよ」
「……そりゃあマズいな」
ゲームをプレイしている最中は、ガードが硬く体力を削るのに面倒くらいの認識だったが、改めてこのランベールの人生を振り返ると艱難辛苦の連続だ。流石に同情する。
「しかし同じ屋根の下で暮らす従兄がそんな苦労してるのに、デジレはなんでああもブクブク太ったアホの子に育ったんだ」
「どうなんだろうね、数少ない家族だし『ランベール』も猫可愛がりしたんじゃないのかな……ていうか」
「ん? どうした?」
ランベールお兄様がうろんげな目で私を見てくる。
「もうすでに、その……ふとい」
「淑女に対してひどいな!? もうちょっとオブラートに包めよ!」
「いやーもう兆候でてるよ、運動した方が良い」
「おまえだってガリガリじゃないか!」
今の従兄は、前の世界の妹以上の痩せ具合だ。
目にクマも出来ていて、見るからに不健康だとわかる。
「とりあえずなんだ、私達はもっと健康になることを目指さそう」
「そうだね……」
「お前が苦労に満ちた人生を送るっていうならできるだけ助けるし、替われるところは替わってやるからさ、元気だせよ」
「うん……」
「それに考えても見ろ。貴族学校に行くってことはお前の推しキャラのダミアンと友達になれるってことだぞ」
私のその言葉を聞いて、ランベールお兄様は時間が止まったように固まった。
「……おい、大丈夫か?」
「にーちゃん」
「にーちゃんじゃないぞもう」
「マイシスターデジレ、天才」
「良いってことよ」
ランベールお兄様の目が爛々と輝きだした。痩せてるのにその野心的な目はちょっと怖いんだが。
というか肉食系になったりしないだろうな。
「大丈夫、ホモの気は無いから。イケメンは眺めるに限るし」
「察してくれて嬉しいよお兄様。まずはメシ食おうぜ。人生大変だとしても今すぐどうこうってわけでもないし、できることがあれば手伝うから」
ぽんと従兄殿の肩を叩く。
が、従兄殿の目はどこか胡乱げだった。
「……んーとさ、にーちゃん」
「もうにーちゃんじゃないぞ。どうした」
「自分も苦労するの確定だけど、にーちゃんにとっても他人事じゃないんだよ」
「ん? そりゃお前の苦労は助けるつもりだけどさ」
「そうじゃなくて……デジレ・ハークレイも大変なんだよ」
「そうなの?」
わかってなかったか……とばかりに従兄は額に手を当てる。
「えーとさ、リュミエーレ王国純愛奇譚って、どんなキャラの攻略ルートを通るにしても共通する部分があるんだよ」
「ふむふむ」
「時系列に語ると、まず庶民だった主人公のアイナが貴族の隠し子ってことが発覚して、しかも魔法の腕も良くて、そこでとある貴族の家の子供になるんだよね。で、貴族学校に入学してくる」
「少女漫画的な展開だな」
「で、学園生活を送ったり夜会に参加したり、貴族社会に溶け込むまでが序盤なんだけど……」
「そこで学園のハァンサムボーイ達と出会うわけだな」
「そこにもデジレ・ハークレイは入学するわけなんだよ」
「まあ主人公と同世代ならそうだろうな」
「で、騒動に巻き込まれて死ぬ」
「まあ作中ではそうだったけど……別に主人公とか国を揺らがせる陰謀だとかに関わらなきゃ済む話だろう?」
そのくらい私でも予想付くぜ、と笑うが、従兄殿は首を横に振る。
「違う、違うんだよ」
「へ?」
「デジレを殺した犯人は、デジレが主人公と対立する以前から付き合いがあるみたいなんだよ。というか犯人は主人公以外の色んな貴族に接触してる。だから主人公と対立しなくても向こうから寄ってくる可能性があるの」
「マジすか」
「デジレを殺したのは『黒手袋の会』って革命組織のメンバーの割と高い地位にいる人間なんだけど、幻術や催眠術の魔法を使って味方を増やすんだよね……デジレもゲーム中、ちらっと催眠を受けてたのを匂わせてた描写もあったし……。かなり厄介だと思うよ」
「え、聞いてないんだけどぉ!?」
「だから今説明してるんだってば」
はぁ、と露骨に溜息をつかれる。待って待って、頭痛いのはこっちだよ。
「で、でも、犯人の名前くらいはわかるだろ?」
「わかんない……」
「そこ大事だよ!? 思い出してくれお兄様!」
「思い出せないんじゃなくて……デジレを殺した犯人は『謎の少女』としか出てこなかったんだよね。シナリオが進めば『黒手袋の会』のナンバー3、鳥兜夫人ってコードネームはわかるんだけど、学園の中でどういう名を名乗ってたか、本名や詳しい身元とか、そういうのはわかんない。あくまで主人公視点でお話が進むから、デジレ視点で誰と知り合ってどういう事件が起きたのかは断片的な情報から推測するしかないの」
「……ど、どうしよう」
俺も十分にハードモードじゃないか。
「……うーん、ぱっと思いつく案ならあるけど」
「おおっ!」
さすがマイシスター! テストで学年トップを叩き出してリア充女子に逆恨みされただけのことはある!
「結婚する」
「へ?」
「一定以上の家格の貴族の子供は貴族学校に通学する義務があるんだけど、それを免除する条件は結婚して他家の嫁になるか、家に出れないような重大な病気があるかのどっちか」
「……つまり、そもそも学校へ行かないってことか」
「うん」
「却下」
「だよね」
まあ貴族である以上いずれは結婚しなきゃいけないのはわかるんだが、流石に頷きがたい。
「確か貴族学校に行くのは15歳からの3年間だろ。それより前……小中学生の年齢で嫁に行くのは抵抗があるわな……ロリコンおっさんだったら目も当てられない」
「まあその危険性がゼロとは言えないね……かといって、ケガや病気のフリするのも厳しいよ。この世界には回復魔法があるからわざとケガしても治っちゃう。回復魔法で治らない病気のフリもマズいね。おばさま……にーちゃんのママが治療のために医者や薬を探しだしたら、家計がパンクしちゃう」
「それ以前に病気のフリなんて演技できねーよ、絶対バレる」
「そっかー……となると、最後の手段か」
「おおっ、まだあるのか!? お前は頭良いからにーちゃん心強いぞ」
「怒らないで聞いてね」
「おうともよ」
まったく心配症だな。愛するマイシスター、もといマイブラザーを怒るわけがない。
「返り討ちにする」
「お前やっぱバカだよ!?」
「いや真面目にそれしかないんだよ……ていうか以外の方法を取ると色々マズいかもしれない」
「なんでだよ!? 変な理由だったらにーちゃん怒るぞ!」
「怒んないってゆったじゃん! 怒んないってゆったじゃん!」
まったくアホの子だな。如何に寛容なにーちゃんとしても堪忍袋の緒というものがあるんだぞ。
「ともかく説明してくれ」
「……原作だと、デジレが死んだことでようやく暗躍する黒手袋の会に近づけるんだよね。ここでデジレ以外の人間が狙われたらシナリオ的にどう転ぶかわかんない。最悪、クーデターが成功して国そのものが大変なことになるかも。そうなったらウチの家が傾くどころの話じゃないよ」
「……具体的には?」
「反革命分子への粛清の荒らしとか……世界史のフランスとか中国みたいに」
「ごめん、にーちゃんはちょっと頭痛くなってきた」
世界が滅ぶとか人類が絶滅するみたいな危機じゃないにしても、故国の危機ってのはやっぱりスケール大き過ぎるわ。むしろこっちの方が生々しくて困る。
「他人事じゃないって意味わかった?」
「深くわかった。とりあえずおいおい考えるとして本題に戻ろう」
「本題?」
きょとんとした顔で従兄殿は私を見つめる。
「飯を食おう」




