11話
恥ずかしながら、今の私にはあまり友達が居ない。
前世でも、陸上をやめてから一緒に遊ぶような友達も居らず一緒にゲームしてくれるのは妹だけという有様だった。部活に精を出しているか受験勉強で追込みをかけているというのもあるが、わびしい青春を送ったものだ。
今世において、屋敷ではランベールお兄様が居たのであまり感じなかったが、よくよく考えればタメ口で話せる相手が他に居ないのだ。屋敷を出てようやく気付いた。村で狩りを教えてくれる大人の男と、子分にしてしまったガキどもという男社会の真ん中にいる状態で、このままちやほやされる状態が続くとちょっとマズい気がする。サークルの姫状態に安住してしまったら悪役令嬢街道まっしぐらじゃなかろうか。
そんなわけで女衆とも話そうと思ったのだが、どうも女衆から――特に同世代からはひどく恐れられ、距離を取られている。声をかけるとまるで道端で出会った熊のごとき扱いをされて軽くショックだ。村長の奥さんやその息子夫婦とは割と話せるのだが、寄り合いや宴会で男衆が私をもてはやすと女衆はどうも困ってるような微妙な気配があった。
「うーむ……」
どうしよう。
そもそも前世が男だったから女社会の謎はわからない。
なので行動あるのみだ。
私は村長の家で寝泊まりをして世話になっているが、この家には村長夫婦とその息子夫婦、そしてその息子夫婦の子供二人が居る。子供は、姉のケーナが10歳、弟のビートが4歳。たまに弟と遊んでやることはあるが姉からは避けられていた。私が狩りに参加したりガキどもを投げ飛ばすのを目の当たりにしているので無理もなかろう。というわけで、たまたま二人きりになったタイミングで、こわくないよーかまないよーと下手に出ながら会話を試みた。
「す、すみません! ご無礼をして! 息をしてごめんなさい!」
この有様である。
「い、いや、そうじゃなくて……ていうか息止めたら死ぬでしょ」
「し、死ねと!?」
「いや生きてくれ」
会話が続かないどころか取っ掛かりすら無い。これには困った。
同世代の友達作ろう作戦は早々にして頓挫してしまいそうな気配だが、こんなことで諦めるわけにもいかん。なので無理矢理彼女の仕事を手伝うという作戦に出てみた。この子は10歳と言えど働き者だ。炊事洗濯は主に村長の息子の奥さんの仕事だが、この子もけっこう手伝っている。また暇な時は織物の内職もしており、子供の割にはなかなかの腕前だ。織物は流石に手伝えないが、洗濯物を干したり水くみを手伝ったり、距離を近づけるため様々な作戦を実行した。
が、根本的な恐怖を払拭するに至らなかった。その場では感謝されるしお返しに食べ物や道具などを貰えるのだが、人間関係的な距離が全く縮まらない。流石に心が挫けそうだ……と思ってたあるとき、いきなり距離を詰める出来事が起こった。
★★★
「ええと……壺に入った漬物がだいたい5食分で……一ヶ月分となると……」
ある日ケーナは、木の枝で地面に落書きをしていた。月々どのくらい食べ物を消費して、どのくらいの金額を使ってるか考えてみろと言う宿題を母親から課せられ、計算に悪戦苦闘している様子だった。この村には野菜……ビタミンを摂取する手段が少ない。山菜が採れると言っても安定供給されるわけでもなく、隣村から漬物を壺単位で買っている。村長の息子夫婦が買い付けしたり在庫を管理しているのだが、その仕事もゆくゆくは子供たちに受け継がせたいようだった。そのためには簡単な計算ができないと話にならない。
こういうのは自分で考えさせた方が良いのだろうが、ついつい、
「一ヶ月大体30日か31日って考えると、30割る5で、壺6つ分だな。年で計算すると、6に12を掛けて72壺」
「ええっ!?」
「で、1壺が大銅貨2枚だろ? じゃあ一年で144枚だな。銀貨で14枚と大銅貨2枚。どう?」
「は、はやーい……!」
ケーナから尊敬の目で見られてしまった。
しかし小学生の算数で褒められるとちょっと恥ずかしいな。
「や、やっぱり領主様の家で計算とか習うの?」
「あ、ああ、そうだぞ。まーそのへん頭脳労働はお兄様の方が遥かに上だが」
「お兄様……もしかして、ランベール様のこと!?」
「ん? お兄様のこと知ってるのか?」
「うん!!!」
「お兄様はすごいぞ。家庭教師が逆に数学を教わるくらいだ」
前世のあいつ、五十嵐早苗はテストで全科目学年トップ。高校1年の段階で、有名国立大学の赤本で勉強してたレベルだったからな。俺のような文系という名の物理数学お手上げ勢とは全くレベルが違う。この世界において本職の研究者や哲学者ならともかく、子供の家庭教師の知能なんてとっくに超えている。運動音痴のコミュ障ヒッキーでなければパーフェクトだった。
「……そ、その! デジレ様!」
「ん?」
妙にギラついた目をしたケーナが、私の肩をがっしと逃さぬように掴んだ。
俺も初めてビッグボアと相対したときこんなふうに掴んだっけなあと思い出した。
「え、えーと、つい口出しちゃったけど、宿題は自分でやった方が……わからなかったら教えるけど……」
「そ、そうじゃなくて! ランベール様のこと、もっと教えて!」
「へ?」
★★★
ケーナが呼びかけたら女衆が家事や仕事を放り出して集まってきて、流石に村長宅には収まりきらず集会場を使うこととなった。なんだこの状況。
「え、えーと、みんなランベールお兄様のことが知りたいって?」
「お屋敷での様子とか、なんでも良いから、お願い!」
「というかそもそもなんでお兄様のこと知ってるんだ?」
「そりゃ、ウチの村……だけじゃなくて、山間の村じゃ知らない人は居ないよ」
ケーナが言うと女衆一同うんうんと頷く。
そしてケーナは懐から何かを取り出した。
「これ、ランベール様が考えてくれたの」
取り出したのは紐だ。どこかで見覚えがあった。
きしめんのように平べったい形状をしている。よくよく見てみれば荒縄などとは違う、丁寧な織物である。色も二食や三色と糸を使い分けて織られており、この世界の工芸品としてはよくできている方だろう。
「この紐のこと……?」
「知らない? サナーダ紐って言うのよ」
「サナーダ紐……?」
サナーダヒモ。さなだひも……?
「真田紐かよ!」
「だからサナーダ紐だってば」
なんでこんなところに……と思ったが、聞いてみるとこれを伝えたのがランベールお兄様らしい。
この村の男衆は……というか山間部のほとんどの村は狩りをして生活している。狩りというのは毎日の成果が約束されている仕事とはいえない。いくら獣の数が多い山であっても、必ずしも獲物が手に入るわけではないのだ。そして山間部の村の次に多いのが漁村だ。これもまた、日々の成果が約束された仕事とは言いがたい。男が狩りや漁に出ている間、女は家事をしたり内職をして暮らしている。内職と言っても庭先で野菜や麦を育てたり、針仕事をしたり、どの村々でもやっているようなありふれた仕事ばかりだ。だから大した稼ぎにはならない。
「でもこの紐の作り方をランベール様が直接教えてくれて稼ぎが増えたの!」
……そういえばあいつ、ゲーオタから派生した歴オタだったな。あいつの一番好きなゲームメーカーは乙女ゲームと歴史ゲームを作っていて、歴史ゲームにも手を出してからは立派な戦国歴史マニアになっていた。大河ドラマにどハマりして真田紐体験教室に行ったり、歴史漫画にハマって焼き物教室なんかにも顔を出していた。同世代の友達が居ない分、一人で楽しめることにはとにかく貪欲な子だった。しかしまさかこんな風に役立つときが来るとは……。
いや、違うな。
自分の持っているものをとにかく役立てようとしたのだ。領地の村々のため、家族のため、そして危機が訪れるであろう俺のために。運動音痴で荒事には向かないとしても、自分がやるべきこと、自分が役立てることを必死に考えたのだろう。
「……すごいよな、うん」
「伸びなくて丈夫な紐って陸ナマズや四つ足クジラのヒゲなんかを使うんだけど、数は取れないし買うとすごく高いのよね……。木綿ならうちらでも十分手が届くし、出来の良いものは良い値段で売れるから、冬場に食いっぱぐれる心配もなくなったよ」
自分の賛辞をちょっと勘違いしたのか、三十路絡みのおばさまが嬉しそうに語った。
「いやてっきり、お兄様がイケメンだからモテるのかと思った」
「そうよねやっぱり格好良いわよね!」
ケーナちゃんちょっと落ち着こうか。
「若い頃のお館様も格好良かったけど、ランベール様は一味違うわねぇ。ハークレイ家の男の人は武張っている人が多くて、これまであんな繊細でお優しい方はいなかったもの」
50がらみのおばさまが頬を赤らめる。あなたも心が若いねぇ。
「紐作りだけじゃなくて、洗濯するときはこういう道具を使ったほうが良いとか、食べ物はこうすると日持ちするとか、こういうものを食べると病気にならないとか……。そんな風に女衆の面倒を見てくれたのはランベール様が初めてだもの。みんなランベール様のこと信頼してるわ」
15歳くらいの女の子がうっとりしながら語る。
そういえばあいつ、某国民放送の朝ドラにもハマってたっけな。特に、戦後間もなく物資不足の中、日常生活をよりよくするために奮闘する主人公のドラマを熱心に見てた。朝の連ドラを見れるのはヒッキーの特権よねとか言っててこいつ大丈夫だろうかとひどく心配したが、今はこんなに役立っている。
「だからねー、みんな言ってるの。ランベール様みたいなやさしい人が当主だったら良いのにって」
と、3歳くらいの女の子が言うと、自分とその子以外いっせいに固まった。
そして、何かを恐れるように私の方を見た。
「あ、あわわわ、言っちゃダメでしょそういこと!」
「ご、ごめんね、なんでもないのよ!」
「こ、この子を怒らないでください! ば、罰はわたくしめに……!」
いきなりみんな焦り出した。いやその子の言うことも当たり前だと思うんだが……。
「そりゃランベールお兄様が次の当主だよ。あたりまえじゃん」
「へ?」
ケーナが自分を、不思議そうに見つめてきた。
「私は当主の弟の娘で、ランベールお兄様は当主の長男。誰が聞いたってお兄様の方が継承権は上だってわかるでしょ」
「でも、デジレ様はケヴィン様……お館様から武術を習ってる、習ってます、よね?」
「あー」
なるほど。
今私がここに居る理由が、「次期当主としての教育」と勘違いしてたのか。
「あくまで私が次ぐのはお祖父様の武術であって、それが領主としての教育ってわけじゃないんだよ。大体、領主の仕事ってのは狩りをしたり殴り合いすることじゃない。私みたいなバカじゃなくて、お兄様みたいに頭いい人の仕事だって」
私の言葉を聞いて、みな一様に安心したような顔をしていた。
「なんだー、びっくりした……」
ケーナなどあからさまに安堵のため息をついている。いやそこまで安心されるとちょっと傷つくわ。まあ自分が村民の立場だったとして「イノシシを素手で倒す蛮族が次の領主」と言われたら確かに将来を悲観するかもしれんが。
「デジレ様、じゃあなんで狩りとか武術とか習ってるの? 領主になるわけでもないのに」
また3歳位の女の子が無邪気に尋ね、隣りにいるらしき母親がお前もう黙れとばかりに口を手で抑えた。まあ無礼講じゃ。快く答えようじゃないか。
「んー、まあ、お兄様は剣とか苦手だろうしな。私は逆にこういうのは得意で、稼ぎになる仕事を持ってくるとか、みんなの暮らしをよくするってのはちょっと思いつかない。というか無理」
お兄様とは一年以上会っていないが、家を出て日々努力しているのだろう。そして既に結果を出している。私には逆立ちしてもできないことだ。こんな風に尊敬されているお兄様のことが、誇らしかった。
「領主としての仕事はお兄様にしかできないんだろうなって思う。私はバカだけど腕っ節だけは自身あるから、領主としての仕事はできなくても、領主の代わりに魔獣を退治したり切った張ったしたりってのはできる。だから何ていうのか……私はお兄様の盾や剣だな。そういう扱いが一番しっくり来る」
そう、前世での妹を、今のランベールお兄様を、守ってやろうって思ったから、今の私がある。お祖父様との修業の日々は楽しいが、目的はその楽しさの追求じゃあない。やっぱり家族が好きなんだな。前世では学生のまま死んでしまったが、今世ではあいつに幸せになって欲しいと思う。
「お兄様には危なっかしいことはしてほしくない。幸せになって欲しいんだ」
と、話を締めくくると、女衆が感動に打ち震えていた。
え、ちょ、泣くことないやん。
「意地悪してごめんねぇ……」
「え、意地悪だったのぉ!?」
確かに村長宅の女性以外からはスルーされ気味だったが、あれシカトのつもりだったのか。そりゃイノシシを殴り殺して男衆のアイドルしてるような女が居たら距離も取られて当たり前だろうなーくらいにしか思わなかった。もっとも立場を考えれば私と表立ってケンカできるわけでもないだろう、精一杯の範囲での嫌がらせのつもりだったのかもしれない。しかしそれにしてもお人好しな気質の村人たちだ。むしろこっちが乱暴すぎて申し訳なくなる。
「まー気にするなって、水に流そう。これからもよろしくな」
ケーナに握手を求めると、涙を流しながら握り返してくれた。




