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スペリオルシリーズ

スペリオル外伝~シュヴァルツラントの姫~

作者: ルーラー

 蒼き惑星ラズライトにあるリューシャー大陸。

 かつて、そこにはひとつの大国が存在していた。

 その国の名は、シュヴァルツラント皇国おうこく

 時の女王、リースリット・フォン・シュヴァルツラントが治めていたその大国は、当時かつてない繁栄と幸福に満ち溢れていた。


 しかし、それは遥か昔のこと。

 人間に寿命があるように、どんな国にも滅びのときはやってくる。

 それが魔族の手によってもたらされたものにせよ、人間同士の争いによって迎えたものにせよ――。



 かつて、リューシャー大陸にはシュヴァルツラント皇国という大国が存在していた。

 だが、その国は内乱によって滅び、のちにおこったフロート公国に呑み込まれることとなった。


 それでも、皇国の民たちが享受きょうじゅしていた繁栄は続いていく。

 規模と形こそ変わったものの、続いていく。

 ただひとり、内乱のおりに姿を消した女王、リースリットだけをけ者にして――。



 かつて、リューシャー大陸には繁栄と幸福に満ち溢れた国があった。

 つまり、いまはもうない。

 この大陸のどこを探そうとも、存在しない。


 だからこれは、フロート公国に存在するシュヴァルツラント領の領主の娘の物語。

 誰よりも平和を望むがゆえに強大な力を求めた、なにかが違っていれば皇国の姫になっていたかもしれない者の物語。

 そして、限りない苦難と絶望の中を歩んできた、ひとりの女性の物語――。


 ◆  ◆  ◆


 それは、蒼き惑星ラズライト歴1907年、火のつき十四日のことだった。


 魔道学会フロート・シティ本部の地下に存在する、特別資料閲覧室。

 本部の会長であるルイ・レスタンスとフロート公国の王族くらいにしか立ち入りを許されていないこの部屋には、現在、その誰とも違う二人の人物の姿があった。


 ひとりは、軽装の鎧ともドレスともとれる、緑色を基調とした上品な服を身につけている女性。

 スカートの丈は短く、肩はもちろんのこと胸元まで露出しているが、そこに下品な印象はまったくない。やや幼い顔立ちではあるが、歳の頃は二十ニ、三といったところだろうか、緑色の宝石があしらわれた髪飾りが、腰まである金色の髪の美しさをより際立たせていた。


 殊更ことさらに興味深そうでも、しかし退屈そうでもなく机に向かって本をっている姿は、彼女の可憐な容姿も相まって、どこか天使を想起させる。

 彼女の名はリースリット・フォン・シュヴァルツラント。一部では皇帝騎士団インペリアル・ナイツと呼称されている組織に属する、シュヴァルツラント領、現領主の娘だ。


 もうひとりの人物――彼女の隣に座って、ペンを片手に書類と格闘している男性は、レオンハルト・ロレン・シュヴァルツラント。

 リースリットの二つ下の弟であり、彼女と同じく皇帝騎士団に所属している、シュヴァルツラント領の次期領主である。

 悩みどころが多いのか、時折ペンが止まり、おそらくは意識せずに長い金色の髪を掻く。わずかに金属音が響くのは、彼が銀色の軽装鎧ライト・アーマーを着込んでいるからだ。


 本のページを繰る音と、紙にペンを走らせる音。ただそれだけがこの室内を満たしていた。

 交わされる言葉は皆無に近いが、だからこそ時間の流れは緩やかで、横たわる空気も穏やかだ。

 しかし、そんな平和な時間にも、やがて終わりは訪れる。


「――失礼、遅くなってしまって申し訳ない」


 そう口にしてはいるものの、そんなことは微塵も思っていないと容易にわかる態度だった。

 扉を開けて室内に入ってきたのは、赤い髪を短く刈った男性。

 現在、三十七にして魔道学会本部の会長を務めている天才魔道士、ルイ・レスタンスその人である。


 読んでいた本をパタンと閉じ、リースリットはルイに如才じょさいなく頭を下げた。レオンハルトも一度ペンを置き、それにならう。


「いえ、魔道学会本部の会長となれば、私たちとの面会よりも優先しなければならないことも多いでしょうから、仕方のないことですよ」


 つい物言いが皮肉っぽくなってしまった。しかしリースリットからしてみれば、それこそ仕方のないことだ。なにしろこの面会からして、彼女はあまり乗り気ではなかったのだから。

 それでも、一応のフォローは入れておく。


「まあ、普段は閲覧できない資料を読むことができたわけですしね。有意義といえば有意義な時間でした」


 それはもちろん、せめてもの嘘である。


 祖国であるシュヴァルツラント皇国が存在していた頃のことだから、もうかれこれ四千年以上も前になるだろうか。

 リースリットは、遠い昔に滅んだシュヴァルツラント皇国が保管していた『この世界のすべてが記されている書物』――『聖本』を、興味を惹かれた箇所のみとはいえ読んだことがあった。


 厳密に言えば、時の女王である『リースリット』を始めとした幾人もの人物の『記憶を継いだ』だけなのだが、彼女は『継いだ記憶』も『自分の人生の一部』と認識している。

 というのも、受け継いだものが『知識』ではなく『記憶』であったため、リースリットには『当時を生きた実感』があるのだ。

 確かな『実感』がある以上、実年齢が二十代前半であろうと、主観的には四千年以上を生きたのと変わらない。


 いまさっきまで目を通していた本に書かれていたことだって、当時読んだ『聖本』に載っていた範囲から出てはいなかった。

 これでは、お世辞でしか『有意義な時間を過ごせた』という言葉は出てこないだろう。

 ルイは本の表題を確かめようと、リースリットの手元に目をやった。


「『聖界せいかいの知られざる神秘』、か。主に『精霊王』に関して記されているものだったな」


「ええ。例えば『風の精霊王シルフェスは『自由』と『愛』を司る』というような」


「しかし、いまとなってはなんの役にも立たない知識だろう。『精霊王』は第一次聖魔大戦のときに、魔王の手先にされてしまったのだから」


「――堕ちようとも『本質』は変わらない。高位魔族の一体、魔風神官プリーストシルフィードは、かつてミーティアさまにそう言ったとのことですけど?」


「よもやリース嬢、四千年以上もの時間を生きてきたも同然のあなたが、あのような小娘の言葉を信じているのか?」


「まさか。……まあ、本当にそうだったらいいな、くらいには思っていますけど」


「……くだらないな。――それはそうとレオ殿、さっきから気になってはいたのだが、その書類は一体?」


「え? ああ、これですか。定例報告用の資料ですよ、皇帝騎士団の」


「あの腰の重い連中に提出するための、か……」


「言っておきますが、ぼくも姉上もその『腰の重い連中』のひとりなんですからね?」


「ああ、そうだったな。失礼、失言だった」


 ルイは少し気まずそうな表情になって黙り込んだ。

 ひとつ咳払いをし、先を促すのはリースリット。もっとも、彼女は一刻も早く帰りたいだけなのであるが。


「それで、本日私たちをお呼び出しになったのは、どういった用件で、でしょうか? 紅蓮の大賢者さま」


 紅蓮の大賢者。

 それは『魔道学会本部の会長』に次いで有名な、ルイ・レスタンスの二つ名である。

 現在、エリート魔道士が集う魔道学会には『現代の三大賢者』と呼ばれる者たちがおり、そのうちのひとりが他ならぬルイなのだ。


「ああ、それだが。――おい、入ってこい」


 開け放たれたままになっていた扉の向こうへと声を飛ばすルイ。応えて彼の後ろから入ってきたのは――


「クラフェル!」


「なんでここに!?」


 思わずガタッと音を立てて立ちあがるリースリットと、立ち上がりざまにペンを床に落としてしまうレオンハルト。

 黒いローブに身を包んだ老人は、後ろ手に扉を閉めて大賢者の隣に並んだ。


「久しぶりじゃな。ワシらの組織――『暗闇の牙ダーク・ファング』がお主らによって壊滅させられたとき以来じゃから……そう、大体七年ぶりといったところじゃろうか」


 そう、かつてリースリットとレオンハルトは、同じ皇帝騎士団の仲間やガルス帝国生まれの戦士たちなどと共に、目の前の老人が所属していた裏組織『暗闇の牙』を壊滅させたことがあった。

 だが、リースリットもやはり神ならぬ身。誰ひとり取り逃がさない、などということはできなかった。

 しかし、まさかそのうちのひとりと、こんな形で再会することになろうとは。


 彼女たちの座っていたイスをルイが無言で指し示す。まるで、少し落ち着けとでもいうように。

 彼がここにいることの説明を求める視線を向けながらも、とりあえずはそれに従って腰を下ろすリースリットとレオンハルト。

 ことの説明のためにか、はたまた別の話があるのかはわからないが、ルイとクラフェルも彼女たちと向かい合う位置に腰を落ち着ける。そしてリースリットの正面に座った紅蓮の大賢者は単刀直入に切り出した。


「今日ご足労願ったのは、きみたちにひとつ、相談があったからだ」


「相談、ですか? 私たちに?」


「そう。……いや、あるいは交渉といったほうが正しいかもしれないな。他でもない、シュヴァルツラント皇国の再興さいこうに関することだ」


 シュヴァルツラント皇国の再興。

 その言葉にリースリットの眉がピクリと動いた。

 確かな手応えを感じ取り、ルイは続ける。


「まず、本題に入る前にいくつか確認すべきことがある。あれは1905年の終わり頃だったか。それまではフロート公国から北に広がる海をどこまで行っても、すぐに南の海――『魔海』に辿り着いた。

 しかし、ミーティア・ラン・ディ・スペリオルの報告に基づいて改めて船を出してみたところ、いつまで経っても『魔海』には行き当たらず、そればかりかエルフィー大陸という新大陸を発見することにまでなった」


「ミーティアさまは確か、『界王ワイズマンが無意識下でこの大陸に張っていた結界が解けた』と仰っていましたね」


 『界王』。

 それは非常に気まぐれな性格をした、『神』と『魔王』を創りだした存在のことだ。


「そう。結果、エルフィー大陸のみに留まらず、現在ではルアード、カータリス、ドルラシアといった大陸をも発見することとなった」


「かつて私たちが世界のすべてだと思っていたこの大陸――リューシャー大陸は世界のほんの一部に過ぎなかった。初めてそれを知ったときには、さすがの私もめまいがしました」


「私もだよ。しかも、どの大陸にも我々の大陸とは違う独特の思想や技術が、多かれ少なかれ存在していた。中でも特筆すべきはルアードの民が持つ『キカイ』や『キヘイ』というものを造りだす技術だな。自我がなく、死を恐れず、精神魔術が効かないという『キヘイ』には、特に驚かされた」


「まあ、物理的な破壊の術を使えば倒すことはできそうですが。それでも、この世に生きる者の力関係を容易に変えてしまう技術であることには変わりありませんから、常に気をつけておかなければなりませんね」


「そこだよ。現段階では起こっていないが、外界――四大陸がこの大陸に戦争を仕掛けてくる可能性が、厳然として存在する。そんな事態になっても戦争を回避できるように、あるいはまともに戦えるように、この大陸にある三国は早急に一丸となる必要があるんだ。そうは思わないか?」


 もっとも、あちらが攻めてくる可能性があるというのなら、こちらから攻めるのをあちらが危惧きぐしている可能性も充分にあるのだが。

 まあ、そこは突っ込まないほうが吉なのだろう。

 ともあれ、話の方向性は見えてきた。


「シュヴァルツラント皇国の再興、などという話が持ちあがったのは、だからですか」


 シュヴァルツラント皇国はかつて、この大陸すべてを治めていた。皇国以外に国はなく、それゆえに平和が保たれていた。

 おそらくルイは、当時の再現をしたいのだろう。

 やや表情を険しくし、リースリットはルイに問いかける。


「現在ある三国――スペリオル共和国、フロート公国、ガルス帝国をすべて滅ぼそうというのですか?」


「新たなるシュヴァルツラント皇国に対して、反乱を起こそうという兆しがみえれば、な。どの国も現状を正しく理解し、皇国に政治権を速やかに譲るというのなら、戦争になどなりはしない」


 もちろん、そんなスムーズにことが進むわけがない。問答無用で吸収されろ、などと言われて素直に従う国王など『王』とは呼べないのだから。


「そこで、私の力が必要となるわけですね?」


 他の大陸と、ではなく、他の国と戦争をするために。


 リースリットは『仮初かりそめ』ながらも『不老不死の法』を修めている。

 端的に言ってしまえば、自分の意思で自らの精神を『他の容れ物』に移してしまえるのだ。

 そして彼女は、自分の屋敷に『もうひとつの自分の身体』を用意している。それも、その肉体が成長しないように魔術をかけて。


 その『もうひとつの身体』の肉体年齢は十六歳。

 殺される直前に、あるいは老化が進んで生活に不自由を感じるようになった頃に、精神のみをそちらに移す。

 そして、再び『もうひとつの身体』を造り、屋敷に保管するのだ。

 こうすることで、リースリットは半永久的に生き続けることができる。


 しかも、それだけではない。

 四千年分の『記憶』からなる『知識』と『経験』、それに裏打ちされた戦術と魔術がリースリットにはある。

 得物である槍の腕前だって相当なものなのだ。


 しかし逆に言えば、それだけともいえた。

 そもそも、彼女の『不老不死の法』は『仮初め』のものなのだ。

 『記憶を継ぐ』ための魔術から得た、『副産物』なのだ。


 シュヴァルツラント家に産まれた長女は、例外なく『リースリット・フォン・シュヴァルツラント』と名づけられる。

 そして、代々受け継がれてきた『初代』――シュヴァルツラント皇国の女王、『リースリット』の『記憶』を継がされる。

 そうやって、四千年前から現在に至るまで、幾人ものリースリットが『四千年前を生きた実感』を子々孫々ししそんそん、遺してきたのだ。


 しかし今代こんだいのリースリットは、次代に『リースリット』の名と『記憶』を――限りない苦難と絶望の記憶を受け継がせるのを良しとしなかった。できなかった。

 そして彼女は思いついた。

 『記憶』ではなく『精神』を継承けいしょうさせることはできないだろうか、と。


 記憶を『受け継がせる』とは、言い換えれば記憶を『移動させる』ということだ。

 ならば、『記憶』ではなく『精神』を移動させることもできるのでは。

 『代わりの身体』を用意し、そちらに『精神』を移動させ、やがて産まれるかもしれない自分の娘の代わりに、己だけが永遠に『記憶』を継ぎ続けることもできるのでは。

 このような『記憶』の連鎖を、自分の代で終わらせる――否、留め続けることもできるのでは。


 それを現実に成すための魔術は、四千年分の『記憶』の中に存在している『知識』を用いれば、難なく組み立てることができた。

 結果として得たのが『仮初め』の『不老不死の法』。

 まだ産まれるかもわからない自分の娘のためを思い、苦難と絶望の記憶を継ぐ最後の人間となるために組み立てられた、この世でもっとも高潔こうけつなる魔術。


 とはいえ、この『不老不死の法』はあくまでも魔術の範疇はんちゅうを超えていない。

 『精神の移動』は術を発動させた瞬間のみにしかできず、前もって術式をととのえておくなどということは不可能だった。

 要するに、即死級の事態には対応できないのだ。

 むろん、肉体は無事でも精神が破壊されてしまえば、やはりその不死性は失われてしまう。


 ともすれば弱みともなるこの欠点を、リースリットは誰にも漏らしていなかった。

 そう、肉親である弟に対しても、である。

 もっとも、レオンハルトやいま目の前にいる紅蓮の大賢者くらいの実力者であれば、それくらいのことは見透かせているだろうが。


 結局、『仮初め』の『不老不死の法』は、あくまでも『仮初め』なのだ。

 死の恐怖など、一滴たりとも拭えはしない。


 それでもリースリットは、自分が理想とする未来を掴み取るために戦うと決めた。

 この世界から争いを永久に失くしたいという願いのために戦うと決めた。

 この世に起こり得る、ありとあらゆる争いを防ぐために戦うと決めたのだ。


 自分の命が尽きる、そのときまで。

 あるいは自分が、この人ならと思え、仕えることのできる『王』が現れる、そのときまで。

 自らの持つ知識と力とをもって、争いに対する抑止力であり続けよう、と。


「――なるほど。あるいはこの面会、私にとっても有用なものとなるかもしれません」


 それは本心なのか、それともルイに合わせただけなのか。

 呟くように漏らされた彼女の言葉に、紅蓮の大賢者は満足げにうなずいて、


「ときに、参考程度に聞かせてもらいたいのだが。きみが望む理想的な世界の在り方とはどういうものなのかね? 『永遠に平和である世界』などという幼稚なものではないと思うが」


「そうですね。そんな夢を信じられるほど私は幼くありませんから。それに、『永遠』――『変化のない永遠の時間』は、『停滞』となんら変わりありません。……私の思う理想の世界、ですか。それはつまり、私の目指している世界、ということでよろしいのですよね?」


 ルイが無言で首を縦に振るのを認めてから、リースリットは数秒間目を閉じた。もっとも、その答えはすでに決まっている。何度も考え、明確なビジョンとして頭の中に描いてきたのだから。


「――私が目指すのは、『平等』かつ『公平』な世界、ですね」


「ふむ。すべての国の民をシュヴァルツラント皇国にまとめたとしても、その内側で争いは起こる。主に貧富ひんぷなどの差で。ゆえに皆を公平なスタート地点に立たせ、平等に幸福を享受できる世界にしよう、というわけかね?」


「いえ、すべての者に平等に努力する機会を与え、その努力に対し、公平に結果がもたらされる世界にする、ですよ」


 リースリットの否定に、ルイは面白そうに口許を歪めた。


「確かに。『平等』は意味を間違えれば、ただ人間を堕落させるだけの毒になるものな」


「ええ。それに努力した者が、しなかった者よりも豊かに暮らせるのは道理です。もしこれが否定されるというのなら、それこそが『不公平』というものですよ。仮に努力した者としない者とに、『公平』に同様の結果が与えられる世界であるならば、努力に価値を見いだすことが困難――いえ、不可能になってしまいます」


 ルイはそれに「なるほど、なるほど」とうなずいていたが、おもむろに身を乗り出し、


「では、そろそろ答えを聞くとしようか。まずリューシャー大陸全土では、現在、モンスターの凶暴化現象が起こっている。原因は不明だが、おかげで他の国を攻めるにしても、共闘をもちかけて取り込んでいくにしても、非常にやりやすい状況になっている。

 次に私はクラフェルという人材を捜し当て、取り込んだ。ここしばらくは干されていたようだが、裏世界でつちかった、召喚術を始めとする数々の技術は、間違いなく私の役に立ってくれるだろう。そして、最後に私が必要とするのが――」


 やや間を置き、紅蓮の大賢者は告げる。


「――きみたち、皇帝騎士団の全面協力だ。幸い、皇国の再興という目的がきみたちにはあるようだしな。利害は一致しているといえるだろう」


 リースリットの目的は『この世界から永久に争いを失くすこと』であり、シュヴァルツラント皇国の再興にはそこまでこだわっていないのだが、まあ、そこに関してはひとまず流すことにした。


「私の要求は大したものではない。ただ、他の大陸から攻撃がくるまでに、この大陸に存在する国をひとつにまとめておきたい、というだけのことだ。皇国の王になりたいなどとも思わない。……まあ、私も人間だから、宮廷魔道士として召し抱えられたい、くらいの欲はあるがね」


 そうして。

 ルイ・レスタンスは。

 シュヴァルツラントの姫に『交渉』を持ちかけてきた。


「リースリット・フォン・シュヴァルツラント。どうかシュヴァルツラント皇国の再興に力を貸してくれないか? 他でもない、この大陸の平和を保つために」


 ルイから一度目線を外し、リースリットは目を閉じて黙考もっこうする。

 果たして、この申し出を受けていいものなのか、と。


 彼女の感情は、拒絶すべきと訴えている。

 しかし、他の大陸――特にルアード大陸の有する『キカイ』というものに思考を巡らせると、不安を抱かずにはいられなかった。

 この誘いを一蹴いっしゅうしてしまうことに、ためらいを覚えずにはいられなかった。

 ルアード大陸の民が『キカイ』などというものを造ったように、いつかは自分の存在が抑止とならなくなるほどの『力』を行使するようになる者が現れるのでは、と思わずにはいられなかった。


 ――人は学ぶ。ゆえに、自分が仕えようと思えるような『王』も、いつかは現れる。


 人間というものを、かつてリースリットはそう評した。

 しかし、界王の結界とやらが解け、外界というものの存在を知ったいま、彼女はこうも思ってしまうのだ。


 確かに人は学ぶ。

 だが、容易たやすく堕ちもする。

 ゆえに、似たようなところを行ったりきたりすることになる。


 現に、リースリットが未来の『王』と見込んでいた人物のひとり――スペリオル共和国の第二王女は、神によって人間の限界というものを痛感させられ、向上しようという意思を失いつつある。

 思考することをすべて神に任せ、自分はその手足になってさえいればいいのだと、そんな虚無感に囚われてしまっている。


 もちろん、ミーティアならいつかは立ち直ってくれるだろう、とは思う。

 けれど、リースリットの中にある冷静な部分が『それは希望的観測にすぎない。もっと現実的に、彼女以外の『王』たるものを探すべきだ』と囁きかけてもくるのだ。


 では、いま目の前にいる男はどうだろうか。

 リースリットの求める『王』の資質を、ミーティアの十分の一であっても備えているだろうか。

 自分が仕えようと思えるような一面を、果たして持っているのだろうか。


 リースリットのいう『王』とは、国を――あるいは大陸を統べる存在のことではない。

 世界を――この大地に住まう、『すべての『生命いのちあるもの』を等しく照らす愛』を持つ者のことだ。

 『王の愛』とでも呼ぶべきものを備えている者のことだ。

 世界を永遠に照らし続けていく愛を、自分を救うためのものではなく、他人を――民衆を救うための愛を持っている者のことなのだ。


 まるでルイを焦らすかのように、リースリットはまぶたを閉じたまま思考を続け。

 やがて、数分に渡ろうかという沈黙ののちに、彼女はようやく顔を上げた。その瞳に深い知性の光をたたえて。


「――申し訳ありませんが、あなたがたに手を貸すのはご遠慮させていただきます」


 こうなると思った、と無言で苦笑を浮かべるのはリースリットの隣に座っているレオンハルト。

 一方、ルイは少し沈黙したのちに問いかけてくる。


「……なぜかね? 悪い話ではないと思うが?」


「理由は……まあ、いくつかあるのですが。まず、私がシュヴァルツラント皇国の再興にそれほどこだわっていない、というのがひとつ」


「再興を望んだことがない、というのかね?」


「いえ、もちろん皇国がないよりはあったほうがいいですよ。でも、そのときに死んでしまった民が生き返るわけではありませんから」


「…………」


 険しい表情をして黙り込むルイに、リースリットはイスから立ち上がりながら被せる。


「ニつ目の理由ですが、あなたからは野心しか感じられませんでした。私が『王』と見込める人物ではなかった、ということですね」


 ともすれば矛盾しているような彼女の言葉に、大賢者は眉間みけんにしわを刻みながら問いを重ねた。


「つまり……あれかね? 皇国の王になりたいなどとも思わない、と言ったことが失敗だったと?」


「私の言う『王』は、それとはまた違うのですが……まあ、そこは正しても正さなくても同じことですね。あなたが私の求める『王』の器ではなかったという事実は、どうしたってくつがえらないわけですから」


 話の終わりが近いことを悟ったのだろう。

 レオンハルトが書類をしまい、軽く伸びをする。


「それに、仮にあなたが『王』の器であったとしても、やっぱり姉上は首を縦に振らなかったと思いますよ。姉上はスペリオル共和国の第二王女――ミーティアに少なからず思い入れていますから」


 弟が立ち上がると同時、この場を去ろうとリースリットは足を踏みだした。

 第三の理由を静かに語りながら。


「そして、私に大陸支配の野心はない。これが最後の理由です」


「しかし、かつてシュヴァルツラント皇国は大陸全土を統一、支配していたのだろう?」


「ええ、それは偽りなく」


「皇国は確かに一度、滅んだかもしれない。だが、同じてつを踏まなければ――」


「過ぎた支配は、必ず反抗を招きます。確かに、当時の失敗を教訓とし、もう一度皇国を興せば、なるほど、あなたの仰るとおり、同様の破滅は防げるでしょう。けれどいずれ、それとは異なる破局が訪れますよ。

 この世界は、多くのものを望めば相応のものを失うようにできているんです。当然、すべてを望むのならば、やがてはすべてを失うでしょう。……神ならぬ身である以上、多くを望むべきではないんです」


「だが……だが! それでは、きみの望む世界とて……!」


 その一言に、リースリットの歩みが止まる。

 耳に……いや、心に痛い言葉だった。

 心に直接突き刺さるようだった。

 けれど彼女は、それを表に出すことなく。

 ただ、レオンハルトの腰にある一振りの剣――斬竜剣ざんりゅうけんに、穏やかな視線を向けた。


「――そのために、私はエリュシオンを探しているのです」


 エリュシオン。

 それは『聖界』に存在するという『理想郷』。

 神の住まう世界にある、小さな孤島のことだ。


「神ならぬ身であるがゆえに叶わぬのなら、他ならぬ神に助力をえばいい。それは道理でしょう?」


「――正気かね……?」


「少なくとも、私には狂っているという自覚などありませんね」


「私からしてみれば、そうは思えないな。大陸支配を望むほうが、発想としてはよほど常識的だ」


 まだ諦めていないのか、とリースは小さく嘆息する。


「そして、また滅びることになるわけですか? あなたは私に、二度も皇国の『死』を見ろ、と?

 あの生命の息吹の感じられない荒野を、炎に呑み込まれる民のしかばねを、世界の終わりへと向かって急速に回る火時計を見たかのような錯覚を……あの地獄を、もう一度味わえと?」


「……今度は、そうならないかもしれないだろう?」


「なりますよ、必ず。興せば滅びる、それが国というものです。そう、それは人の持つ寿命のごとく」


 空気を弱々しく震わせるその声に、ルイはあざけるような笑みを浮かべた。


「まさかとは思うが、それのみを恐れて踏みだせずにいるのかね? だとしたら、多くの者から失笑しっしょうを買うことになるぞ?」


「……あの滅びを実感として知っていれば、恐れもしますよ。笑いたいのなら、どうぞ遠慮なさらずに笑ってください」


 強がりではなかった。

 それほどのものを、かつて『リースリット』は経験したのだ。

 そして、ルイの目的は彼女の協力を得ることであり、断じて嘲笑ちょうしょうすることなどではない。

 だが、それでも。


「驚いたな、そのようなことを恐れていたとは。時の女王は、かつて多くの国を滅ぼし、大陸の統一を果たしたのだろう? その記憶を――」


「ええ。だから、滅びたんです」


 ルイは、その記憶を継いでいるというのに、とでも言いたかったのだろうか。

 それを遮り、厳然とした事実をリースリットは口にした。


「多くの国を滅ぼして大陸を支配したりなどしたから、シュヴァルツラント皇国は滅びたんです。不満を抱いていた一部の者が引き起こした内乱によって、滅んだんです」


 そもそも、そんな記憶を継いでいるからこそ、誰よりも国を興すのを恐れるのだというのに。

 と、そこに割り込む声があった。


「その口調、よほど自分に自信を持っておるようじゃな。リースリット・フォン・シュヴァルツラント」


 それは黒いローブに身を包んだ、裏世界に住む老人。

 リースリットたちと浅からぬ因縁を持つ、クラフェルだった。


「じゃが忘れぬことじゃ、お主は全知でも全能でもない。いやむしろ、ひとつの裏組織を壊滅させる際、数人の取り逃がしを出すくらいには能無しじゃよ」


 クラフェルの挑発に、レオンハルトとルイが表情を固くする。

 無理もない。もし、ここでリースリットが戦闘の意思をみせようものなら、魔道学会の本部ごと、この地下室は崩れ落ちてしまう。

 レオンハルトはおそるおそる姉の横顔をうかがった。そうして見た彼女の顔に浮かんでいたのは、呆れたような苦笑のみ。


「あら、自力ではなにを成すこともできない無能者に能無しなどと評されてしまいましたね。では、私からもひとつ。クラフェル、人間以下の外道であっても、口を開くのは自由です。

 けれどそのようなさえずりでは、相手の心を逆撫でることなど到底できませんよ? 私に怒りを抱かせたいのなら、まずは自らの力でなにかを成すということを憶えてからでないと」


「…………!」


 口を半開きにし、クラフェルは絶句した。

 先ほどの挑発、あるいは命を投げ捨てる覚悟で口にしたものだったのかもしれない。

 これで話は終わりだな、とレオンハルトが胸を撫でおろしつつリースリットを促した。


「――では帰りましょうか、姉上」


「そうね、レオ。――では紅蓮の大賢者さま、ごきげんよう」


 リースリットはどこまでも優雅に腰を折り、弟を伴って扉へと向かう。

 それにルイは不機嫌さを隠そうともせずに吐き捨てた。


「ああ、ごきげんよう。この私の話を蹴ったこと、のちのち後悔することにならなければいいがね」


 しかし、それで二人の歩みを止めさせることなどできはしない。

 扉に手をかけながら、リースリットは静かに返した。


「ご心配なく。いまのあなたでは、私になにかを後悔させることなどできませんよ。それに、仮に私が後悔するような『なにか』をあなたが起こせるというのなら、それはそれで喜ばしいことでもあります。それだけあなたの器が大きかったと――あるいは、私が求める『王』にふさわしい器であるかもしれない、ということなのですから。

 ああ、もしそれが証明できた暁には、また声をおかけください。そのときには、喜んであなたにお仕えするといたしましょう」


「……っ!」


 拳を堅く握り込むルイ。

 しかしリースリットは、もはや反応を返すことすらしない。

 そして部屋を出る直前、レオンハルトが呟くように言葉を発した。


「すべての国を滅ぼし、新たな国を築く……。しかし、その犠牲となった者たちの血に塗れた手で、果たしてどれほどの国を創ることができるでしょうかね」


 それは紅蓮の大賢者に対する問いかけのようでもあり、ふと思いついたことをただ口にしてみただけのようでもある言葉。



 蒼き惑星歴1907年、火の月十四日。

 この日に行われた、紅蓮の大賢者ルイ・レスタンスによるリースリット・フォン・シュヴァルツラントとの『交渉』は、こうして決裂したのだった――。

とある連載作品の幕間劇を独立した短編にするため、リメイクしてみたのですが、いかがでしたでしょうか?

時間軸的には『虚無の魔女 ミーティア』と同じ頃になるのですが。


そしてなにげにこの作品、タイトル詐欺もいいところなのではないかと思っていたり。

なんせタイトルに『姫』と入っているにも関わらず、登場するのは『領主の娘』ですからね(汗)。

見方を変えても、せいぜい『王女』どまりですからね(滝汗)。

でも、この凛とした感じは『姫』としてもいいのではないでしょうか?

なんにせよ、楽しんでいただけたのなら幸いです。

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