AFTER STORY7
「とおさん、頑張りますね」
「そうだな」
とおちゃんは定められた線と線の間を全力疾走する。寸分はみ出すことなどない走りだった。その間実に爽快に気持ち良さそうに走り抜ける。陸上はとおちゃんの天職に違いない。他の部員も負けじと走り込んでいた。それを俺と真乃は端っこにあるベンチに座って見学していた。
少し暑い。太陽が一番高い位置、南中に達しそうになる頃だった。陽射しがほどほどに強く、身体がちょうどいいか過ぎるかくらいの暑さだった。成り立ての時の桜はすっかり失くなり、今は緑が目立つ季節だ。
「眠いです……」
「確かに気持ちいいな……って、寄り掛かるなよ」
「この方が楽なんですよ」
肩の辺りに頭を付ける。少し重みが増すが悪い気分ではなかった。ほっとくことにする。
そしてちょうどよくとおちゃんが戻ってきた。休憩らしいだ。
「おいおい、なぁにいちゃついてんだよ! ムカつく!」
「いや、そんなつもりはない」
「なくても見えるんだ! あぁぁぁぁぁっ! 彼女ほしぃわぁぁぁぁぁぁっ!」
「リアクションに困るな……」
堂々と言えるとおちゃんはすごい。
そして間もなく練習しに行った。
「陸奥実君」
「うん?」
後ろにのけ反って見ると、瑠璃人と若海先輩がいた。
「あれ? 若海先輩は卒業しましたよね?」
「うん。おかげさまで大学も受かったよ!」
「お疲れ様とおめでとうです」
「ありがと、二人とも」
若海先輩はにこっと笑った。
俺らは三年生になり、先輩は卒業生となり新たな道を歩んでいる。
「むつみっちゃんは今日もかわいぃね。特にその瞳はえぐり取りたいくらい」
「やめてください」
「でも、かわいぃからね」
この人は本当にいじるのが好きだな……。
一年前の文化祭騒動以降、俺は素の瞳をさらけ出している。今でもたまに怖い時があるが、それは仕方ないものだ。
「礼香さん、陸奥実君に用事ってそれなんですか?」
「え? 用事?」
「意外ですよね」
「それもなんだけど……。悪いんだけど、瑠璃ちゃんとまーちゃんは席を外してほしいんだけど……」
「はい?」
ちなみに、“まーちゃん”は真乃のことだ。
「大丈夫! むつみっちゃんを食べたりしないからっ。もちろん、私の瑠璃ちゃんを食べたら許さないけどね」
「た、食べるって……」
先輩以外は思わず赤面してしまう。この人はそういうことを平然として言えるからすごい。
真乃と瑠璃人は練習中のとおちゃんの元へ行った。
「ふぁっ、疲れた……」
「お疲れ様です、前橋君」
「はい、アクエリです」
「さんきゅ……」
「しかしよく走りますね〜」
「まぁな。陸上は走り込みが基本だかんな」
「速いです」
「タイムは落ちたんだぜぃ? あいつがいりゃあ、もう少し速かったんだけどな」
「あいつ?」
「あぁ。中学ん時、相棒っつーか親友だよな、そいつが事故で死んじまってな……」
「! そうなんですか……」
「あいつは唯一、オレのことが好きでさ。しょっちゅうコクってきたんだけど……」
「なら付き合えばよかったじゃないですか〜、憎らしいですねっ、このこのっ」
「あいつのこと、異性じゃなくて親友として見てたから、好きとかの感情がなくなってたんだよな。嫌いじゃない、けど……なんつーか……上手く言えないんだけど……。で、事故で死んじまった時に、初めて思った。好きだって……」
「……」
「遅かった、遅すぎた……。そのせいで一ヶ月くらい練習サボっちまって……このザマだよ」
「……」
「すみません。その……」
「いいっちゅーの。過去のことだし。んじゃ、走っかっ!」
「……」
「…………」
「新戸さん」
「何ですか?」
「私、勘違いしてました」
「はい?」
「皆、あのとおさんにさえ、辛い過去があるんだなって……」
「確かにそうですね。でも、そういう“傷み”はなくてはならないものだと思います」
「……え?」
「それが人を強くするんです」
「……ふふ。じゃあ新戸さんにもあるんですか?」
「それはあります。けど、人によっては秘密にしたい人もいるんですよ」
「……って言っても、ばれちゃうかもしれないですね」
「?」
東條さんの振り返った先に、一台の車があった。赤いスポーツカーを乗っている人物、もう一人しか思い当たらない。
そこから一人……いや、三人降りてきた。片方は背の高さから多分虹にぃで、もう一人は短髪の青年、もう一人は白いワンピースに白い帽子を被っていた。僕が見たことない女性……だ。
二人は僕らの前までやってきた。
「友田さん、どうも」
「刑事さん、私は今は“東條”ですから……」
「失礼いたした。許してほしい……」
「いえ、大丈夫です」
「虹にぃ、それに真見さんっ!」
「おひさーだな、瑠璃人」
真見さんの手首には手錠がかけられていた。
「いやいやいや、ついにおれも逮捕だ」
「ど、どうして……?」
「おれの一生を捧げても、どうしても会わせたいやつがいるのさ」
「その方がこちらの……?」
「そうだ」
僕より、虹にぃより年上だと思う女性。
「……馬鹿な男だよ。自分にわざわざ報告しに来るなんてね」
「それじゃあ、申し訳ねぇだろ?」
「まぁ、馬鹿は馬鹿でも、大した馬鹿だ。どこぞのクズよりはマシだ」
虹にぃが一瞬怖かった。
「で、分からないかい? まぁ、無理もないな」
分からない? ということはつまり僕が知っていた人物。でもこんな年上の、それも女性、
「……!」
…………まさか…………。う、うそだよね……?
「そうだよ、瑠璃」
「大きくなったね、瑠璃……」
「お、お母さん……なんですか……?」
「うん。ようやく見つけ出したよ……」
「“太陽”の組織力をナメんなよ。もう崩壊しちまったけど」
真見さんの“太陽”が崩壊しても、僕に会わせたかった人物……。
「瑠璃」
「お、かあさん……」
「るりぃぃっ!」
「お母さん、お母さあぁぁぁぁぁぁん!」
うわあぁぁぁぁぁっ、あぁぁぁぁぁ! ぐし、ぐす、うわあっ! あぁぁぁぁぁぁぁん……!
「大きくなった、本当に大きくなったね……。ごめんね、瑠璃。ごめんね……!」
「うっ、うぅっ……! おかあさぁぁんっ!」
「実は、少し真面目な話なの」
声のトーンが少し低くなった。確かに、顔も真面目になった気もしなくもない。
「はい」
俺の隣に若海先輩が座った。真面目な先輩でも、眼差しは柔らかい。
「瑠璃ちゃんから聞いたんだけど、交通事故に遭って一ヶ月くらい意識不明だったんでしょ?」
「え、えぇ」
「実は私も意識不明な時期が数週間あったの」
「そうなんですか」
「それでね、私、初めて会った時に、むつみっちゃんのこと、分かったんだよね」
「……!」
あの日は俺が真乃の家に初めて行った日だから、よく覚えている。去年の九月十五日だ。
そういえば、若海先輩と初対面の時、既に二人が仲がいいのを知っていたような……。
「じゃあ、一つ質問するね?」
「は、はい」
緊張するな……。
「“岡本 和美”って人、知ってる?」
岡本 和美……確か……。
「えっと、岡本先生の息子さんですよね? “手紙”のせいで岡本先生を殺害した人で、その数日後に殺害された……」
「……やっぱり知ってたんだ」
やっぱり?
「そりゃあ、そうですよ。俺は岡本先生の葬式の時に、……?」
岡本先生の葬式……?
「岡本先生は……亡くなっていない……」
「そう! しかも、岡本 和美を知る接点はないはずなんだよ」
「どうしてです?」
「その人は五年前に脳梗塞で亡くなったんだよ?」
「!」
五年前にっ?
「私は彼の妹から聞いたの。この学校にいて、吹奏楽部だから……。彼は意識が戻らずに亡くなったそうだよ」
「……」
じゃあ、俺の頭の中にある記憶は何なんだ……? 架空、空想の話か?
「それに“手紙”ってワードも出たね」
「!」
確かにそうだ。俺の記憶には、それでたくさんの人を傷付けて……たような……。でも、現実は違う。誰も傷付いてないし、死んでもいない、俺は誰も殺していない……。そもそも、“手紙”なんてものもない。それに最後は……、
「流さんっ! だめえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!」
真乃の叫び声がして、左から車がやって来ている。もう死ぬ寸前……のところを、
「!」
「……」
あの男、星さんが俺の手を引いて、
「流君、元気でな」
俺の身代わりに……!
「いやあぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁ!」
星さんが謎の車、……! いや違う! 白いワゴン、
「陸奥実君!」
これは美浦さんの車だ!
車から美浦さんが出てきて、向こうから真乃が、
「!」
俺に拳銃を向けて……!
「颯、そおぉぉぉぉぉおぉぉっ!」
その直後、俺の視界は真っ黒になった。
星さんは俺を助け、犠牲になってしまった。星さんは光衛さんだ。だが、光衛さんは交通事故の時に俺の家族と一緒に亡くなった……。しかも、光衛さんを殺したのは美浦さんで、俺を殺したのは真乃……! 星さん、光衛さんは亡くなったが、俺は死んでいない……。
この記憶も……ありえない架空の話なのか……?
「私もね、“手紙”のせいで瑠璃ちゃんをレイプしてしまった記憶があるの。しかも私は最後、妹にバットで殺された……」
「……」
“手紙”。内容を覚えてないものの、それのせいで惨劇が起こったのは、記憶にある。もちろん、今までそんなことなかったし、ぴんぴんとしている。
「まぁ、そのおかげかどうかは分からないけど、私は妹と仲良くなったし……良かったって思うよ」
「俺も……そうですね」
この呪われた瞳を皆が認めてくれた。
「あとね、もう一つだけ違和感があるの」
「何です?」
「ボーズー、まーちゃん、瑠璃ちゃんと八菜ちゃんそして……むつみっちゃんは一緒にいること多いよね?」
ボーズーはとおちゃんのことだ。
「ま、まぁ……お昼も一緒に食べてますから……」
「何か一人だけ足りない気がするの……」
「……俺もそう思ったんですよ。何かこう……欠けてるというか……」
一体誰なんだろう? すごく気になるけど、記憶を引き出そうとすればするほど、薄れていく気がした。……それに架空の話だ。そんなに気にしなくてもいいはずだ。
「むつみっちゃん」
「はい」
「はむはむしていい?」
「な、何ですか? “はむはむ”って?」
「これのこと」
「うわっ」
「あれ? 耳たぶはそんな弱くないんだ。瑠璃ちゃんは弱点なんだけど……」
「びっくりしましたよっ! それに、やめてください! 瑠璃人だけにしてください」
「瑠璃ちゃんは今、感動の再会中だからね。今はむつみっちゃんをつまみ食い」
「だぁぁっ! やめてください!」
「若海先輩」
「い! まーちゃん……」
「よかった! 助けてくれ!」
「流さんは首筋が弱いんですよ」
「え? ホント? どれどれ」
「ひゃぁ」
「ホントだ!」
「真乃! いらんこと言わんでいい! しかもいいようにされて悔しくないのかっ?」
「……たまには傍目からも悪くないですね」
「この変態二人組いぃぃぃぃっ!」
「あはははは!」
掴んでいた大切な糸を引きちぎってしまい、奈落の底へと落としてしまう。その意味を失った糸は新たな意味を求めて、あなたの身体に絡み付く。どんどん絡まり、戒めの枷として意味を得る。人は後悔の念に駆られ、身体だけにあった戒めの枷を自分の首へと締め上げてしまう。気付いた時にはもう動くことも、呼吸さえも司られてしまっている。あなたはまさにそうだった。絡み付きすぎた糸が視界を狭め、口を塞ぎ、もはや後悔と自責の鎖を紡ぐことしかできなかった。
でも、あなたの耳にそっと問いかける音、温もり、想い……それらが全てを断ち切った。……これからあなたを待ち受けるのは醜く、辛く、心を砕かれるような真実。でも、文字や音でない“何か”をあなたは感じたはず。戒めの枷じゃなく、後悔の鎖じゃなく、人と人を繋ぐ……“絆”。きっと向き合える。その絆の意味を深く心に刻んでいれば……。
そして、私はこれ以上は関わってはいけない。やっと帰ってこれたんだから、私がいては同じになってしまう。でも、もう悲しくはない。私の喜びはそれなんだから……。
あなたはこれから先、私とは逢えない、逢わせない。私はもう来ることはない。私の中にある無限に広がる記憶の中に、ひっそりと、でも一番の輝きを放つ一粒としてしまわせてもらおう。私の永遠に朽ちることのない……。
あなたはとてつもない輝きを放つ光を見つけた。影なんて作る余地もないほどの光。でも、眩しいからって振り向かないで。影ができてしまうかもしれないから。真っ直ぐその中を突っ切っていって。影の存在を忘れる時がくるまで。その先にあるのは必ず光だから……。
「……ばいばい、むっちゃん」
……完




