六悔目「硝子」
虹にぃが帰ってきたのは昨日の夜だった。8日の9時頃だ。その時僕はたまたま僕の家で勉強していた。正直、一日二日で帰ってくるかと思ったが、壮大な会議だったのだろう。
その虹にぃは家に着くやいなや、倒れ込んだのだ。もちろん救急車を呼ぼうとした。でも虹にぃは、大丈夫だよ、と拒んだ。どう考えても無事なわけはない。顔や服を見ると傷だらけの泥だらけだし、クマもできてて疲労困憊なのがわかる。ゲリラ戦でもしてきたみたいだ。
ひとまず徹さんに連絡した。そのことを虹にぃに伝えると、怒鳴り付けられた。虹にぃが怒るのは久しい。
そして間もなく徹さんが慌てて駆け付けてくれた。
一歩も動けないようなので、その場で服を脱がせた。外傷は……古傷だけだ。しかし、断食をしたかのように異常に痩せ細っている。極度の疲労と栄養失調をきたしている。
やはり病院に連れていった方がいい。それを伝えると、虹にぃはただただ、呟いた。
腹減った…………と。
僕の心配は全て思い過ごしだった。虹にぃと友人数人とで山登りに出掛けたらしい。その中盤で遭難。何日も歩き回ったという。食料も多く持たず、十分な対策も施してなかったのが原因だ。これでは、素人以下だ。
しかし、虹にぃが“散歩”から帰ってきてからというもの、不思議なことが起こっている。壊滅的だった料理の腕が良くなったり、家事をするにも気が利いたりするようになった。変なものを食べてしまったのだろうか? 僕としては嬉しいが……。
「どう思いますか?」
陸奥実君はため息をついた。
「どうって……よかったじゃないか。うちの方は進化して、謎の物質を錬成できるようになったんだぞ」
「陸奥実君が指導すればいいのではないですか?」
「手に負えるレベルじゃない。その物質は水に溶かしたら赤くなるんだ」
化学の実験か? もはや、わざととしか言いようがない。というより、試してみたんだ……。
二時間目の英語が終わり、魔の生物が始まる休み時間だった。外は憎らしいほど蒸し暑い。中は対抗するためにひんやりしている。しかし、生物は二つのクラスに別れるため、前半クラスか後半クラスかどちらかが移動しなくてはならない。移動するのは……前半クラス。僕らは後半だ。
「僕は心配です。今までにはない行動ですから」
「大丈夫だろう。もしかしたらハイキングじゃなくて、料理の特訓でもしてたんじゃないか? かなり壮絶だけど」
「……ふざけてます?」
「虹さんのことになると本気になるな」
「当たり前ですよ。それより真面目に考えてください」
眠たそうに欠伸を繰り返す。
「うーん…………虹さん、一人暮らししようとしてるんじゃないか?」
「え……?」
いきなり爆弾発言。
「どうしてですか?」
「それはわからないけど、毎日カップ麺じゃ体が悪くなる。瑠璃人がいなくても自炊できるように……」
つまり、これからのことを考えているということか。
「僕が邪魔になった、ということですか?」
「まさか。逆だよ。お前に普通の学校生活をさせたいからだろ?」
そう考えても虹にぃとしては僕は傍にいてほしくない存在だ。今まで僕が首を突っ込んだ事件は四、五件くらいある。いずれも解決はしたが、危なっかしいのもあった。前回の事件だ。きっとそれがきっかけだろう。
でも、たとえ邪魔でも僕は……嫌だ……。
「どっちにしたって、直接聞けばいいじゃないか。兄弟だし、聞きにくいことじゃないだろう」
「確かにそうですが……」
「何を躊躇ってるんだ?」
「……こちらにも都合があるのです」
ただ聞くだけなのに……、と残念そうに呟く。彼も人のことを言えたものじゃない。
そろそろ時間だ。魔の生物が始まる。僕らは二手に別れて座った。彼は隣の彼女と話し始めている。彼らの関係は進展したりしないのだろうか? 噂は流れているが、その通りのように仲がいい。お互いに意識がないのか? はたまた陸奥実君が持とうとしないだけか? 今後気になる二人組である。
「新戸、聞いたか?」
「? 馬場君……何をですか?」
「生物の先生、今日は忌引らしいから自習だと」
「本当ですか?」
「マジマジ。……さすがにテスト前はきちぃ」
「来週でしたね」
「あぁ。ついでに球技大会のメンバーも決めるみてえ。……うーんと、バスケと野球だったっけな」
「バスケがいいですね。とりあえずやってました」
「マジっ? だったら前橋に言うべきだよ。あいつ、燃えてっから……」
「ちょうどいいです。僕も聞きたいことがありましたので」
「そうなん? じゃあ……まえばしぃ! 来てくれ!」
彼は後ろの方の席で男女数人とたむろっていた。怪訝そうにやってきた。
「なんだよ?」
「例の球技大会なんだけど、メンバー決まった?」
「あっ……うーん……」
腕を組む。
「さすがにまだですか?」
「すっかり忘れてた」
「…………」
「……」
「……」
「とりあえず……奈多弓に聞くか」
「その方がいいみたいです」
「待ってくれえぇぇっ! 話を聞いてくれぇぇっ! それと蔑んだ眼で見ないでえぇぇぇっ!」
「わかったわかった。とりあえず小指を差し出しなさい」
「どっからドス持ってきたっ! 犯罪者がいるぅっ!」
「前橋君、よく見てください。包丁ですから、まだ犯罪者ではありません」
「そういう問題じゃねぇっ! とにかく鎮まれ! 紙あっから!」
「“紙”? メンバー表か?」
「ほらよ」
ほどほどに大きい紙に名前がいくつか書いてあった。というより、これ……。
「…………」
バスケットボールに……“似てる人”ランキング? しかも一位は前橋君……。
「何のメンバー表だよっ!」
「え? あれだよ。“そっくりさん”でいいかなぁってな」
「あえて上手い人じゃなくて似てる人にしたんだ……」
「そうそう! バスケットボールのモノマネ……」
「自分で言っててイタイと思いませんか?」
「どっちの意味でっ? オレの今の姿がイタイのか、ボールと似てるのがイタイのか……」
「正直、もうどうでもよくなりました。なので、本題に入ります」
「待て! このままじゃオレはイタイ子のままに、」
「先週の水曜日、陸奥実君家に行きましたね?」
「無視しないで〜。行ったけど無視しないでくれ〜」
「何のためですか?」
「決まってんじゃん! あいつん家でゲームやるためだぜぃ」
「……そうですか……」
「よし、それでだな……っていずこへ行く? なぜオレと距離を空ける? 頼むから離れないで! 悪かった! オレが悪かったから、今までの話を広めようとするな! 球技大会、真面目にやっから! ボランティアとか募金とかもするからあぁぁぁぁぁ…………」
「最近、一緒に帰れるね」
「そうですね」
今はテスト期間だから基本的にはない。だが、やる分には構わないので、会えないこともあるのだ。僕にしてみれば不思議すぎる。この期間も部活に打ち込むと思ったのだが……。
「……?」
それはいいか。ずっと前から前橋君に聞きたかったことも聞けたし、球技大会もバスケに決まったし……。
「瑠璃ちゃんは何やるの?」
「? 何をですか?」
「球技大会だよ」
まるで僕の頭の中を見透かしているみたいだ。
「僕はバスケでもやるつもりです」
「へぇ〜」
ニタリと妖しく笑う。こういう時は変なことを考えているのだ。
「……私もバスケやろっと」
「同じにしても戦うことはありませんよ」
一歩先に行く。僕は後ろから追い付こうとする。
「だから瑠璃ちゃんが、」
「却下です」
「……何も言ってない」
「大体わかります」
「……イマイチノッてくれないね」
ぷいと顔を背ける。
「ノッたら、引き返せなさそうですので」
横顔を僕に見せながら笑う。
「え〜。てことは以心伝心?」
「思惑がわかっただけです」
「私はそんな簡素な人間じゃないですぅ」
頬を膨らませ、つんのめる。でもすぐに笑いあった。
「瑠璃ちゃんといると時間が早く進んじゃうかも」
「老化が進むってことですか?」
むすっと顔を赤くする。
「…………そういうこと言うんだ」
少し怒っている。言い過ぎた……。
「すみません。ぶっきらぼうでしたね」
「今の言葉、忘れないから。覚悟しててね」
「…………」
普段の口調で重圧をかけてくるから、一層怖い。冗談なのか本気なのかわからない。きっと後者だと思うが……。
しかし、ぱっと全てが消え、あの柔らかい笑顔になる。
「冗談」
「……は、……はぁ……」
「たまにはやらないと調子に乗りそうだからね。私は先輩だよ? ちゃんと敬ってほしいな」
「腕はたしかなのは知ってます」
「“腕”だけかぃ! その他はないと!」
胸の辺りをツッコまれた。溌剌と笑っていた。
僕らは歩調を合わせている。周りの景色に目がいかなかった。彼女のひとつひとつの仕草を“観る”だけで面白いからだ。それだけで……。
「ところで、何かあったの?」
「? 特にありませんけど?」
「いつもの瑠璃ちゃんじゃないから、もしかしてって……」
僕は普段通りだ。いや、正確には別の意味で乱れている。でも、変な心配はかけないほうがいい。
「そうですね。例の彼の彼女について考えてます」
「え? あの子……彼女いるの?」
「いますよ」
「へぇ〜。いるんだ……」
「……………………」
「私はいないとおもって……」
「…………」
意外に驚いていた。いやまさか……、いやいや、別にそうでも僕には関係ない。彼はルックスもいいだろうし、淋しがり屋だし…………、きっと中身は優しいし…………さらには…………、
「……ちゃん? 瑠璃ちゃん?」
「はい」
「どう思う?」
「どうって……」
何を言っていたのかわからない。完全に聞いていなかった。長引かせても仕方ない。思い付くままに答えよう。
「彼はいい感じの人だと思います。あぁ見えて結構淋しがり屋なのですよ」
「……? 瑠璃ちゃん違うよ?」
「え?」
「その子と瑠璃ちゃんは似てるよねって言ったの。聞いてなかった?」
「す、すみません……」
「何考えてたのかな? 誰のこと?」
本当に鋭く突いてくる……。だから僕はこの人といると、調子が狂う。
「とりあえず、陸奥実君とは似てないです」
「誰のこと?」
「……どうしてもそちらに持ってきたいのですか?」
「そこは気になるよ〜」
「そうですね……強いて言うなら……虹にぃのことです」
「? ……こう……にぃ……?」
そういえば、礼香さんは知らなかった。
「僕の兄です」
「へぇ〜へぇ〜」
手を上下に振って“何か”を押す動作をする。その後、僕の顔を覗き込んだ。
「心配の種はお兄さんのことだね?」
軽く微笑む。
「……はい」
「それって……あっ……」
辺りを見回すと、左側に僕の家があった。ここでお別れだ。
「あぁ〜あ……もう着いちゃったよ」
「礼香さんの家まで送りましょうか?」
「大丈夫。こう見えても逃げ足は速いんだから」
「そうですか?」
「それとも私の家までハムハムする?」
「尚更怪しいです」
「あははっ……」
「…………」
「……」
「……」
僕の目をまじまじと見てくる。少し恥ずかしくて視線を外した。彼女はそれを微笑した。
「……また明日ね」
瞳にわずかに影が差し込む。
「はい」
にこりと笑う。そのまま背を向けて歩いていった。夕闇に身を浸らせながら。
「なぁ、とおちゃん」
「なんだよ?」
「棗さんとはどういう知り合い?」
「お? 気持ちわりぃな……。東條に言い付けんぞ」
「真乃は関係ない。……ちょっと思っただけ」
「ちょい待ってて。……センセー! オレ、帰るわっ!」
「あぁっ? ふざけんなっ! あと二本走れよ!」
「かったりぃっ! 明日、倍やっからいいっしょ!」
「陸上ナメんなよっ! そういう甘えがだな……、」
「行くぜぃ、陸奥実」
「いいのか?」
「帰ろうぜぃ〜」
「あ、あぁ……」
「ところで、なんだっけ?」
「何だっけって?」
「さっき言ってたろ? えぇーと……あれだ、あれ!」
「棗さんのこと?」
「そうそう! ……って言ってもなぁ……。なんつーうんだろ……腐れ縁ってやつかな?」
「いつから一緒?」
「小学校からかな? そん頃にたしか、関西から引っ越してきてよ、席が隣だった……」
「幼なじみか」
「っていう設定」
「設定か!」
「いや、スマン……。マジだよ。んで、やたらと絡んでくるから、すぐ仲良くなった。それが今に至るわけだな」
「俺とかより、とおちゃんの方が発展してそう」
「あーっ、ないないっ。ありえね! 恋愛にはなんねぇよ」
「どうして?」
「恋人でもなんでもねぇ。オレらは“親友”なんだよ。そこに恋愛感情は芽生えねぇ」
「んー、よくわからないな」
「なはは……、オレにもわかんね……。もう止めよーぜぃ。面白くねぇし、グダグダになるし」
「俺的にはもう少し掘り下げたい」
「情報料取んぞ。……着替え、終わったぜぃ。帰るか」
「帰りにファミレス行こう。二百円以内なら奢るから」
「やっす! お前、かわいい“妹”を置き去りにしておくつもりかよ? 早く帰るぜぃ」
「それはただ、とおちゃんが会いたいだけじゃん」
「だからよ……くれよ」
「あははは…………は無理だ………………」
「……いいだろ………………」
「…………じゃ……なぐら…………」
「ぜん……よけて…………よ…………」
「…………」
「……」
「…………」
「………………」
「……」
「…………」
「お兄ちゃん」




