三十二壊目「覚ます」
「……ん……、っ…………」
「……あっ……」
「…………」
「……あっ……あぁっ……」
「い、いた…………」
「せ、せんせぇっ! せんせぇえぇぇっ!」
「……何驚いてんのよ、……!」
「……や、やな、か……」
「お、お兄ちゃん……?」
「お、はょ」
「お兄ちゃあぁぁぁぁぁんっ!」
「いたい……うるさ……」
「先生! 神地先生! 陸奥実さんが目を覚ましましたっ!」
頭がガンガンする。分厚い鉄を何度もハンマーでたたくような衝撃が脳から各部へ伝わる。目が開かない。どこも動かせない。しかし、呼吸だけは辛うじてできた。息を吐くたびに出る温い空気も感じれた。その繰り返しにより、朦朧としていた脳が霧が晴れるようにはっきりしてきて、遂に映像が映し出された。
悲鳴で完全に目が覚めた。そのおかげかせいか、手に温かいのがあった。
八菜は寝ている俺に構わず抱き着いてきた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「わかったから……離してくれ……く、苦しい……」
その後、担当らしい医者が来た。
「陸奥実さん? 私はあなたの担当の神地 徹です。分かりますか?」
「か、かみち……せんせ……」
「ここはどこか分かりますか? 今日は何月何日何曜日か分かりますか?」
「ここは……びょういん、……ひにちは……わかんない……」
「意識は“2”だ。だが、落ち着いてくれば大丈夫だよ」
その後、身体のいろんな部位を動かしてみる。時間が経つに連れて、だ、だんだんと意識がはっきりしてきた。後遺症はないらしい。
「少し、会話が楽になって、……きたよ」
「お兄ちゃん、よかった……!」
「でも、油断しないでくれ。少しでもきついなって思ったら、そこのボタンを押してな」
ベッドの頭の所にナースコールがあった。
「二十分くらいしてから、また来るね」
「は、はい」
先生は颯爽と立ち去った。多忙みたいだ。
看護師も皆立ち去った。部屋には俺と八菜二人になる。
「お、お兄ちゃん……」
「どう、した?」
「お兄ちゃんがどうしてこんな所にいるか……分かる?」
「えっと……」
確か……。
「まったく、久々の休みなのにさ。兄ちゃんが熱出すなんて、情けないよ」
「ほら、香は昔からそうじゃない。出掛けた先ですぐ熱出して……」
「お、俺はだな、……うぅ」
「ほら兄さん、熱さまシート」
「いらんわっ! なめてんのか!」
「いや、香は頭の中空っぽだから熱冷めないだろ」
あっはははははははっ……
「光衛先輩、何とかしてくださいよ〜」
「まあまあ、熱出るのは仕方ないですよ」
「それ、全面肯定っすよ、先輩!」
あっははは!
「父さん、あそこ左じゃない?」
「あそこは狭いからな。真っ直ぐ行こう」
「意外! いつも裏道行くのにね」
「流、今日は光衛君が来てるからな。慎重にね」
「光衛さん、VIP扱いじゃん」
「何てったって熱出す兄さんの先輩だもの」
「おい栞、ケンカ売ってんのか?」
「売ってない、……! お父さん、左!」
「! 危ない!」
「流くん!」
「み、光衛さんっ?」
「うわぁあぁあぁぁぁあぁぁぁあっ!」
……そうだ。皆死んじゃったんだ……。
「父さん、母さん……兄ちゃん、姉ちゃん……光衛さん……!」
「お、お兄ちゃん」
「八菜……わるいけ、ど……席をはずっしてくれないか……」
「で、でも……」
「じゃあさ……コーラ買って、きて……」
「う、うん」
八菜が気遣いながら、部屋を出て行った。
「……ふぅ」
その瞬間、ボロボロと涙が零れていく。
「う、うぅ……ぅ……」
みんな……死んじゃったのか? 昨日はあんなに笑ってたのに……。それに俺、これからどうすればいいんだ……? 誰もいないのに、どうやって生きればいいんだよ……?
「!」
突如、ノック音がした。
「はい……どっうぞ」
がちゃりとドアが開けられる。そこにいたのは、
「あ、なたは……」
「いや〜、久しぶりだね、流クン」
丸々と肥えた豚のような男が入って来た。
「君が交通事故に遭ったと聞いてね〜、すっ飛んできたよ……」
父さんの兄弟だ。この人は一番会いたくない人だった。
「いやぁ、どうしたもんかね……」
このゲスは陸奥実家の問題児だ。過去にも性犯罪をして、逮捕歴もある。でも、金と権力でモノを言わせるから、尚更に質が悪い。だから俺は警戒心を緩めなかった。
「……」
「そんな怖い目するなよ。君の新しい父親なんだからな」
「! どう、いうことでっすか……!」
「いや、流クンはまだ中学三年生だ。だから保護者が必要だろう? それで身内で相談した結果、私が面倒見ようというわけだ」
「う、そだ……!」
こんなやつと家族になるなんて嫌だ! 死んだ方がまだマシだ!
がらりとドアが開いた。
「お兄ちゃん、コーラ、……!」
八菜の顔が一瞬にして青ざめる。しかもこのクズは八菜の父親……! 一応表向きは父親ではいるが、八菜もこのクズの被害者なんだ……。そして、俺も……こんな身なりだから……。
「八菜ちゃんじゃないか〜……」
「!」
この下品で下卑た笑み。それを見るたびに、身体が凍るように震え上がる……。八菜も震えて……。
「相変わらずお義兄ちゃん想いだね〜」
「……」
八菜は一切目を合わせない。それを確認した後、俺に一瞥した。俺はそのアイコンタクトの意味を理解した。こいつ、俺が承諾しないと八菜を……!
「じゃあな流クン、愛しの息子よ……」
「……」
こんなやつ、何でこの世にいるんだよ……。たとえ誰かが認めても、俺や八菜は認めない!
「!」
急に寄ってきて、俺の頭をわしづかみにする。
「っ!」
「愛しの息子よ、なぁ?」
「……」
くそ……、くそ……!
「……は……い……、とうさん……」
「いぃ子だ」
「お、お兄ちゃん、そんな……」
仕方ない、……仕方ない。ごめん、八菜……。
その時だった。
「失礼するよ」
ノックせずに勢いよく、誰かが入って来た。背が高くてやせ細っている。
「あんた誰だ?」
やつが睨みつける。
「警察だ」
「けっ警察っ?」
なぜ警察の人が……?
「陸奥実 茂、児童虐待の容疑でご同行願おう」
「は、はぁ? お前、頭馬鹿か? 俺はむしろ、流クンの親になるんだぜ?」
「お前が昔から虐待していたが、とうとう麻薬に手を出すとはな。しかも、そこの女の子にそれを強要し、暴力を振るっていたのも分かっている。奥さんが自供しているから、大人しく捕まるんだな」
このゲス、人間として終わってる……。
「ぐぬ……」
「おい、こいつを連行しろ」
「はいっ!」
「!」
続々と屈強そうな人たちが六人入って来た。さすがにこの人数では歯が立たないと判断したのか、ゲスは大人しく出ていった。
「や、やな、おまえ、大丈夫なのか……?」
「平気。わたし、臭いも何も吸ってないよ。全力で抵抗したからね」
「よかった……」
二度とあいつの面は見たくない! 八菜にまで酷いことしやがって……。殺しても殺し足りないっ!
先ほどの背の高い警察官がこちらにやってきた。む、無意識に身構えてしまった。
「……怯えなくていいよ。あの男の言ったことはデタラメだ」
「……あ、ありがとう……ごっざいます」
「君が陸奥実 流君か。話は八菜ちゃんから聞いてるよ」
「あ、あの、あなたは……?」
「あ、あぁ……申し遅れたね。自分は新戸 虹晴。皆から虹って呼ばれてる」
「虹さん、ほんとっに……ありがとう……」
本当にありがとう……。
「いいよいいよ。あのクソヤロウの逮捕なんて“おまけ”なんだ。本題は君のお見舞い」
そう言って、俺に渡したのは一枚の紙だった。
「これって……」
「君は自分の養子になってもらうことになった。それが証明書みたいなものだよ」
「!」
確かに、そのような内容が綴られている。
「なんで……?」
「実はね、お兄ちゃん……、お兄ちゃんのお兄様の遺書が見付かったの」
「に、兄ちゃんの……?」
「そこにはこう書いてあった」
[どうもどうも、何か遺書ってどう書くか分かんないけど、俺なりに書いてみるわ。流宛てというか、家族の誰でもって感じなんだけど(笑)。
もし、俺がいなくなったり死んだりした時は、俺のパシリ(新戸 虹晴)にお世話になるように伝えてあっから、よろしく。まぁ、家族解散みたいなことになっても心配すんな。俺のパシリに一言言えばいい。
それと、遺産相続とかもきちんと家族に分配してくれよ。一人の場合は総取りだけど(笑)。俺の遺産はもう一枚に書いてあっから、そこんとこヨロ。
P.S.
虹晴、お前は栞と結婚するからいいとして、流のことを頼んだぜ。(ハート)]
「遺書の形式、ぶち壊しだな」
でも、そこが兄ちゃんらしい。
「陸奥実君は自分と法律がしっかりと守ってくれる。だから安心していいよ」
「よかったね! お兄ちゃん!」
「……うん……」
あんなやつに比べれば、この人の方が断然信頼できる。
「この後は、徹がメンタルケアしてくれるはず」
「て、てつ?」
「あぁ。神地 徹先生だよ。あいつとは昔からの友人でね。いろいろと助かってるんだ」
「そう、ですか……」
気が抜けて、思わず涙が溢れてきた。
ゆったりする暇は意外になかった。
虹さん立ち会いのもと、いろんな手続きとか書類を記入することが多く、それと並行してリハビリも受ける。本当は名字も“新戸”にした方がいいが、俺は陸奥実のままにしてもらい、虹さんにも承諾してもらった。
ゆっくりできたのは三日後。その日も八菜が来てくれた。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「何でもない」
「何でもないなら呼ぶなよ……」
「だって、やっと目覚めてくれて……嬉しいから……」
「どのくらい意識なかった?」
「……一ヶ月くらい……」
「ごめんなさい」
そんなに目覚めなければ、確かに心配する。まさに奇跡の復活だ。
「今日は何しようか」
「お兄ちゃんとおしゃべりしたい」
「まだ話すことあるのか?」
「そりゃあ、……?」
ノック音がした。
「開けますよ〜」
ひょこひょこ歩いて、ドアを開けた。するとそこに、
「こ、こんにち、は……」
女の子が立っていた。お見舞いの品をどっさりと近くに置いた。初めて見る娘だ。髪が肩あたりまでのショートで、栗色だった。
少し怯えていた。
「えっと、あんた誰?」
直球すぎるだろ、八菜!
「わ、私は……“友田”と言います……」
「えっと、友田さん? 初対面だと思うんですけど、部屋とか間違えたりしてないですか?」
「い、いえ。私は陸奥実さんに、」
いきなり、叩く音が聞こえた。何と言うかビンタした時の音のよう……、
「……」
いや、八菜が彼女にビンタしていた。
「や、八菜、何してるんだよっ? すみませんね、八菜は少し、」
「この人殺しいぃっ!」
「!」
……部屋がびりびりと響き、やがて無音と化した。彼女は床に顔を伏せたまま、八菜を見上げようとしない。一瞬にして、空気が殺伐としていた。
「……」
「あんたのせいで、お兄ちゃんはこんなメに遭ったのよっ! どうしてくれんのよっ!」
「……ごめんなさい」
「謝ればいいと思ってんのっ?」
八菜の豹変ぶりに、少し怯える俺。事態を飲み込めないので、
「ど、どういうことだよ、八菜?」
直接聞いた。
「こいつの家族の乗った車とお兄ちゃんたちが乗った車が衝突して、お兄ちゃんたちしか被害が出なかったのよ」
「えっとつまり、交通事故の相手方ってことだな?」
「そう!」
友田さんは土下座になった。
「本当にごめんなさい……」
「謝ったってお兄ちゃんの家族は戻らないっ! 内臓でもなんでも体売って弁償して命で償えっ!」
「八菜っ!」
ぴくりと俺の眉が動いた。
「お前、言い過ぎだ。しかもそれを言う資格はお前にはない」
「で、でも、」
「今のはあのゲスと同じだ」
「! ……ごめんなさい……」
八菜はふらふらと部屋から立ち去った。
「ほら友田さん、こっち座りなよ」
「そんな資格は……私にはないです……」
「なら断る資格もないよね?」
「!」
俺が椅子を差し出すと、ちょこんと座った。
「もう、過ぎたことだから……そんなに自分を責めなくていいし、俺はあなたを責めない。友田さんの家族もね」
「……」
そう言われてもって感じなのは当たり前か。暗い表情は一向に冴えない。
「十分、色んな人に責められただろう? 八菜も含めてだけど……」
「……はい」
「頼むから自殺だけはしないでほしい……」
「!」
「……これ以上、人が死ぬのを聞きたくないし、見たくないんだ……」
「……」
やっぱり駄目らしい。……仕方ない、荒療治だ。
「! きゃっ」
ぐいっと顔を手繰り寄せた。
「……」
彼女の顔が急に赤くなる。
「友田さんはきっと、笑ってる時が可愛いよ」
「……え?」
俺は不器用な笑顔を見せた。
「だから、これからはお互いに笑って生きていこう?」
「!」
そうしたら、彼女の頭から湯気が……?
「ふあ」
「お、おい、大丈夫?」
目がぐるんぐるん回ってる。荒療治すぎたっ!
「ごめん、ナースコールナースコール!」
ブザーが部屋中に響き渡った……。
「お兄ちゃんは顔が可愛いんだから、口説いちゃダメだよ」
患者がお見舞いに来てくれた人のためにナースコールをするという、変な事態になった。
彼女は安静を取り戻した後、お帰りになった。足元がふらついてたけど……大丈夫なのか……?
「そういうわけじゃないだろう?」
「わたしだってお兄ちゃんと一緒にいると、たまに恥ずかしくなるもん」
「なんか、人を猥褻物のように言うなよ」
「ワイセツブツって……!」
八菜まで赤くなった。……変なこと言ったかな……?
「? あれ、椅子の下に何かある……?」
そこは彼女が座っていた椅子の下だった。忘れていったのだろうか。
八菜が徹底して調べている。
「炭素菌が混入されてるかもしれ、」
「大丈夫だ、貸して」
強引に奪う。
封の裏面に名前が書いてあった。……俺の名前だ。
「俺宛てみたい」
「どうせなら開けてみれば?」
「そうだな」
俺は丁寧に封を切り、中を拝見した。
「……」
[陸奥実 流さんへ
今回の件で、本当に申し訳ありませんでした。心よりお詫び申し上げます。私たち一同は陸奥実さんに一生を尽くす所存であります。本当に申し訳ありませんでした。
友田一同]
「……」
「何これ、みじかっ! 完全にナメてるじゃないっ。こうなったら尽くしてもらおうじゃない!」
「八菜、やめろ」
「え、で、でもさ、絶対失礼だよ。こんなの、裁判で情状酌量狙いだよ」
「殺意はない。偶然の事故なんだ。……それに……」
文は確かに短いかもしれない。でも、点々と紙にしわが寄っていて、字が震えている……。
「……とにかくやめよう。これ以上責めても何もならないよ」
「……ごめん」
八菜は俺の気持ちを感じ取ってくれている。それは嬉しい。けど、間違った方向にならないようにしなきゃいけない。
俺は八菜の頭を撫でてあげた。
「あはは」
小さく笑った。
「そういえば、もう一つあるんだった。枕の下にあったよ」
そう言ってポケットから取り出したのは手紙だった。高級感溢れていて、西洋の貴族が出すような作りになっていた。蝋で封をしてある。八菜の反応からして、経緯は知らないようだ。もちろん俺も知らない。
「枕の下か……」
「ねぇ? どうせなら開けてみようよ」
「……そうだな……って、差出人の名前が書いてないし」
俺の名前も書いていなかった。
慎重に封を取って、中身を取り出した。一枚しかない。なんだか恥ずかしいので八菜に見せたくなかったが、熱烈に頼み込むので仕方なしに見せた。
「何も書いてないじゃん」
「…………」
「もったいないよ。こんな高そうなのに……」
「……じゃあこれで紙飛行機でも折るか」
「えっ? 飛ばしちゃうの?」
「何も書いてないって言ったの、お前だろ…………っと、できた。八菜、窓開けてくれ」
「う、うん……」
腕を垂直に曲げ、指先で摘んだ紙飛行機を、
空の彼方に飛ばした。




