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五悔目「仕事・下」

「いらっしゃい、瑠璃人くん」


「お邪魔します」


 僕は靴を脱ぎ、端っこのほうに整える。


「先にお風呂に入ってきなさい。スッキリするわ」


 促されるまま風呂場に向かう。僕の寝巻はいつの間にか用意されている。服を脱いで中に入った。


「っふぅ」


 蓋を開けると、湯煙がもくもくとしていた。手を入れると少し熱い。湿り気が付いた。

 やや高い位置にあるシャワーからお湯を出す。拡散して溢れ出た。頭から浴びた。時間差で頭皮に到達する。髪を軽く濯いでからシャンプーを手に注いだ。白く濁っている。


「……」


 ゆっくりと柔らかく根本を揉みつつ、洗う。泡が絡み付き、潰れたり滴ったりする。

 泡だらけの手で蛇口を捻り、シャワーを浴びた。……痛い。目に入った……!

 今度はリンス。十分に水を切ってから、リンスを出す。全体にちゃんと馴染ませる。ちょっと待ってから軽く流した。

 体は石鹸で優しく洗う。隅々まで洗い流した。


「……ふう」


 その後にお風呂に入った。


「……きもちいぃ……」


 大体四十度くらいだ。良い具合に疲れが抜けていく。体中に纏わり付いた重りを脱ぎ捨てたようだ。もう何も考えたくない……。


「…………」


 そういうわけにはいかないか。

 虹にぃの出張、陸奥実君の相談、彼女の質問、礼香さんと雛さんの関係……。どれも気になるものばかりだ。しかも今日という日に集約されている。架空の世界ならイベントが起こる兆しに違いない。しかし、だからといって騒ぐことではない。二つを除いて。まず陸奥実君の方から考えよう。

 あの時の口調は慎重で重々しかった。並大抵の悩み事ではないはず。風呂から上がって落ち着いてからメールか電話して伺うべきだ。それでわかるだろう。現時点では推測不可能だ。……ちょっと軽く考えすぎかもしれない。

 そして僕にとって一番気になるのは、あの二人の関係だ。雛さんは確かに“お姉ちゃん”と呼んでいた。でも、礼香さんは完全に否定している。


「……」


「瑠璃人くん」


 お風呂の遮りが開けられた。


「!」


「な、何でしょうか……?」


 そして閉められた。

 …………どうして開ける必要があったのか……。かなり気まずい。


「け、ケータイ鳴ってたから、置いとくから……」


「どうもです」


「ご、ごめぇんっ!」


 ばたんっ、と逃げ去っていった。

 でも僕はお風呂に入っているし、何の問題はない。上半身は見られたが……、と思いきや、自分を見てみた。


「…………」


 入浴剤……入れてない…………。入浴剤……中身無いし……。

 もういい。仕方ない。……それはいいとして……いや、やっぱりよくない。頼むから平穏な生活をさせてくれ。

 雛さんが嘘をついているのか、礼香さんが嘘をついているのかわからない。でも必ず片方はそうだ。僕の感覚では礼香さんが怪しい。名字が同じという理屈は苦しいし、僕の苦手な話題に無理矢理変えた気がしてならない。つまり、あまり触れられたくないということだ。二人は仲が良くないのだろうか……? いや、二人の反応からして、そこまで劣悪な関係ではない気がする。

 逆のこと、つまり雛さんが嘘をついている場合も一応考えてみよう。二人は姉妹ではない。だが、名字が同じだし部活の先輩後輩ということもあり、本当の姉妹なみに仲がいい。……雛さんが示唆していたのがこれだとしても、とりあえず納得はする。ところが落とし穴がある。


「……」


 礼香さんが“困っている”ということだ。らしくない“本音”を出してしまっている。つまり一方的に雛さんが思い込んでいることになる。これはいずれ悪いことが起こる。


「……」


 結局この問題は僕の手の付けようがない。突き詰めたところで、二人の関係を悪化させてしまうかもしれない。もはや時間に任せるしかない。


「さて、そういえば電話……」


 僕は上がり、身体をよく拭いてから電話した。


「? 陸奥実君から……」


 しかし、電話でなくメールだった。


「…………」



[たすけてくれ]



「!」


 誰かに襲われたのか? メールではなく、電話をかけた。

 ……繋がった。


「陸奥実君! どうしましたっ?」


〈八菜が、八菜が……〉


 妹? まさか、そっちの意味で……?


〈……お兄ちゃん……私……食べてよ……〉


 奥の方で聞こえる。呻きながら囁く声が……! あまりに小さく、断片的にしか拾えない。


〈や、止めろ八菜……! 俺はまだ死にたくない……〉


〈だぁいじょうぶ……。ほら、触ってみてよ……。柔らかそうでしょ……? いいんだよ? 我慢しなくてもさ〉


 二人の息遣いが荒い。吐息が生中継される。


〈だから、それは……〉


〈嫌いになっちゃったの?〉


〈好き嫌いの問題じゃなくて、見た目から……〉


 怪しい会話だが、中身は把握できた。そして彼の悩み事も、そういえばあったことを思い出した。


「では陸奥実君、ごゆるりと堪能してください」


〈ま、待て瑠璃人! 見捨てる気か!〉


「邪魔者は退散します」


〈全然邪魔じゃないっ! 落ち込むなっ!〉


「八菜さんとの時間を大切にしてくださいね」


〈ば、バカ! 何言ってんだっ! 瑠璃人、るり〉


 電源ボタンを押した。全てがキャンセルされ、待受画面に戻った。この向こうでは彼が悲鳴を上げているのが想像できた。それとも……?


「……さて、夕食みたいですね」


 着替えて居間に行った。






 僕の家のお向かいさんが、この栗原さん家だ。おばさんがなにかと世話好きで、僕ら二人を気にかけてくれる。とてもいい人だ。しかも、最近はさらにご近所付き合いが盛んみたいだ。とはいうものの、栗原さん家もこちらに来たのは約七年前らしい。年齢がわからないが、見た目は若い。

 夕食も終えて、のんびりしようと部屋に行く途中だった。


「瑠璃兄ちゃん」


「はい?」


 振り返ると、そこに彼女が歩いてきていた。


「今日はうちにおとまりするの?」


「そうですね。虹にぃが出かけましたから……」


「やったぁ!」


 僕の腹ぐらいしか背が高くない。

 彼女はみのるちゃん。小学生に上がりたてだ。真ん丸の顔と眼。とてもかわいらしく、眼が輝いていた。髪の毛を後ろで二つに分けている。


「みぃね、おっきくなったら瑠璃兄ちゃんとけっこんするぅ!」


「?」


 子供の話ではよくあることだ。


「瑠璃人くん」


 その脇からひょっこり現れた。

 稔ちゃんの母親であるあかねさんだ。色白で聡明そうな顔付きをしている。長い髪の先端はくせっ毛なのか、緩いカーブを描いている。少し見下す程度に高い、自称“お姉さん”系の女性だ。


「私も結婚する!」


 これは冗談では済まされない。丁重にお断りさせていただいた。この人は案外天然系だったりする。

 テレビをつけると、ちょうどニュースだった。


〈――――続いてのニュースです。今朝、加納 祐樹さん58歳が散歩しているところを何者かに襲われました。では、中継です。……橋本さんっ〉


〈……はい。こちらの小道が現場です。検察官たちが立入禁止のテープの中で捜査中です。かなりの重傷ですぐに病院に運ばれました。……どうやら命に……〉


 おばさんはテーブルに肘をついて見ていた。


「この世も末ねぇ。安心して散歩もできないなんて……」


「本当ですね。どうして簡単に悪事に走るのかわかりません」


「虹くんはこれで行ったのかしら?」


「それはないです。犯行時刻の前でしたから」


 僕としては虹にぃとは無関係であってほしい。できることなら犯罪がなくなってほしい。虹にぃはいつも死と隣り合わせの世界にいる。頭ではわかっていても胸の奥が締め付けられるように痛い。犯罪さえなくなってしまえば……。


「ところで、ご両親ってどんな人?」


 笑顔で言った。


「? ……そうですね……」


 正直いって、ごく普通の親だ。歳の離れた僕ら兄弟を分け隔てなくしてくれたし、仲も良かった。ただ、二人で暮らすのには猛烈に反対された。というより、この問題は高校受験から派生されたものだ。語ると長くなるので、ここではしないことにする。


「普通でしたよ。よく遊んだりかまってくれたりしましたし……」


「性格的には?」


「うーん……、父さんはメリハリのある人で、遊ぶときに遊んで仕事をする時はする……、そんな人です。母さんはいつもほほえましい人です。たまに怒るのですが、武器はフライパンでしたね……」


「……良い家族!」


「そうですか?」


「私もそれを目指そうかしら」


 フライパン片手に怒るのを目指すのだろうか……?


「でもなぁ、夫がねえ……」


「! そこからは勘弁してください」


 こういう流れは決まって愚痴になる。一部の人を相手にしていた経験が活きてくれた。

 稔ちゃんはキョトンとして僕らを見上げる。話についていけてないみたいだ。おばさんが抱き抱えて僕の視線に合わせた。ニッコリと笑ってくれた。


「そんな家庭なのに、どうしてこっちに来たの? まさか家出じゃなさそうだし」


「…………少し言いづらいですね」


「何かしらの理由はあるでしょう?」


「それはあります」


 いつもに比べて鋭い。別に隠すわけでは……ちょっとあるが、これは彼に影響しやすい。それに僕自身としても話題にしたくないものだった。


「たまたま高校がここの近くだったので、一緒に住むことにしただけです。家から通うよりはいいと思いました」


「そうなの? 大変ね……」


「ねぇ、瑠璃兄ちゃんたちのおウチはとおいの?」


「けっこう遠いと思います。電車でも数時間かかります」


「……そんなに? こんなところまではるばる……」


 わざとなのか天然なのかわからない。でも、それ以上は聞き出せないのがわかったようで、キッチンに行った。

 僕は稔ちゃんに少し話をしてから部屋に戻った。そしてベッドに身を投げた。

 栗原さん家は部屋数が多いので、一室が僕と虹にぃのとなっている部屋がある。これは虹にぃが頻繁に出張をするので、了解を得てもらっている。栗原さん一家は三人家族で僕らで家族五人としたいらしい。

 本当に世話好きな人だ。


「虹にぃ……」


 実際虹にぃはどうなのだろう? ただの飲み会なのか? それとも大きい事件の集会? どちらにしても無事に帰ってきてほしい。……虹にぃ……虹にぃ……。


「……ん……」


 とても眠い。ベッドで横になるとすぐそうなる。眠い。しかし、机に置いた携帯電話が振動で知らせる。


「……ねむい……」


 寝るには早過ぎる。わかっているが、眠い。


「…………」


 すーっと瞼が閉じていく。下がりながら理性が瞼を持ち上げる。でも、理性なんかちっぽけなもので……、かんたんに寝て…………。


「…………………………」


 おやすみ。


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