三十壊目「終わる・上」
「いいんですか? それは新戸刑事に伝えるべきでしょう?」
「刑事は今、負傷されている。少しでも刑事の負担が軽くなるように、オレらが尽力しなきゃいけないんだ」
「それは分かりますけど……! 陸奥実 流の妹と友人が、陸奥実 流の新たな殺しを目撃しているなんて刑事知ったら……」
「警官四人と男一人を殺害……。どちらにせよ間違いなく極刑は避けられない……!」
「彼がそんなことするなんて信じらんないっすよ……」
「瑠璃人君、大丈夫かな? 親友でしょ?」
「そうだけど、若海 礼香が撲殺されたことも心配だ」
「妹さんの自供によると、若海 礼香に瑠璃人先輩を取られたことによる恨みらしいですよ……」
「……」
「とにかく、新戸刑事に連絡だ」
暗闇の中に広がる仄かな光。弱々しい。手で包んでしまえば消えてしまうくらいに。でも、それは風船のように膨らみ、だんだんと強くなっていく。そして急に弾けて眩しくなった。闇という闇は一切かき消され、目の前に広がったのは、
「……ん……」
木陰だった。
頭が痛い。どうやら堅い台で仰向けていたようだ。ぎりぎりで寝違えてはいかった。
いくらか青みを含んでいる紅葉が何十何百と折り重なっている。隙間から木漏れ日が照明と陰を作っていた。そして、寝ていた場所である台は木をモチーフにしたベンチだった。堅いわけだ。
俺は半身を起こして辺りを見回す。あまり広くないくせに立派に咲き誇る紅たち。ブランコがあってシーソーがあって……、やけに錆び付いているのが目立つが、機能は十分果たしている。見覚えがあった。
以前の公園だった。
「……真乃と……遊んだ公園……。……?」
ふとして違和感を鋭く感じた。どこかが乾燥しているようだ。
それはもう、見れば一目瞭然だった。
「……! ……なっに、これ……!」
体をつっかえていた手が赤みを帯びていた。紅葉のように。明らかに自分のモノではない誰かのが、ペンキとなって染め上げていた。擦ってみると、ボロボロ剥がれ落ちていく。妙な親密感が練り込まれていた。
「……俺は、何をしたんだ……?」
そして、今度は右のポケットから強調される“存在感”。そっと抜き出して……。
「! これは……」
それも塗り潰してあった。プラスチックで拵えた先は真っ赤。だが、新鮮な輝きを垣間見せる。俺が何をしたのかを如実に物語っていた。
「う、嘘だ……! 嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!」
俺はしてしまったのか! この手で……! ……誰を?
それより、今は何日だ? 身体の時間感覚がかなり遅れている。それに加えて、体中が悲鳴をあげている。筋肉痛のようだ。
「さすがにここに留まるのはまずいし……。一旦帰ろう」
不幸中の幸いにも服などにはついていない。手と顔をなるべく隠せば大丈夫だ。
「被害者から加害者になってしまったな……」
俺は俯き、ポケットに手を突っ込んで、そこから離れた。
「……」
体中がぎしぎし軋んでいる。
しかし、なぜ手が血まみれなのに衣服には一滴もついていないんだ? それに昨日の行動がよく思い出せない。源さん家から出たあたりは覚えているが……。それはいいか。もっと大切なことがある。
「!」
しばらく歩くとパトカーが前からやってくる! 俺は道路に背を向けた。そこには、ショーウインドーに飾られたテレビがあった。
どうやらニュース番組のようだ。画面右上の番組の時計は九時二十三分を示していた。
〈……が四人、惨殺されていたのです。先生、これはどう受け取れるでしょうか?〉
〈そうですね。おそらく犯人は、相当頭が切れますよ〉
〈どうしてですか?〉
〈四つの死体の位置をマーキングしますと……この通り、全て道の分岐点にあります。このことから、犯人は逃げながら犯行に及んだのではないでしょうか。そして……〉
うちの家の近く……、惨殺死体……そしてこの血まみれ……まさか……。
「やはり……?」
覚えていないことを追及しても無駄だ。それに確かめる必要もない。
さすがにそろそろまずい。どこかで手を洗いたい。鉄の匂いがする。ちょうど隣にコンビニがあった。中に入る。
「……だから言うてるやろ! ワイらには時間がないんや!」
「そうです! 早く流さんを見つけないと……」
「なぁ、お姉さん。オレらは今、新戸のおっさんに頼まれてるんだが……」
「え? 新戸って……新戸刑事のこと?」
「……そうですけど」
「ほ、本当にぃ! わぁぁぁ! すごぉい! あとでメアド欲しいなぁ!」
「……持ってるけど」
「本当! それくれたら、黙っててあげるわ! 絶対よ! 約束する!」
「わ、わかったよ……。あげるから学校に戻ってくれ……」
「わかったわぁ!」
「はぁ……」
「…………」
「……」
「……むっちゃん、どこ行ったんやろ……?」
「……」
「コンビニでパンでも食ってんじゃねぇか?」
「……言われてみれば、お昼とっくに過ぎてますね」
「そうやったぁ……」
「腹減ったぜ……」
「食べてる暇はありませんよ」
「そりゃあわかってる。……あっ……、コンビニ……」
「諦めぃ。ワイらには使命があるんやで」
「では……連絡してみます?」
「そやな。もう丸一日経っとるし……」
「では早速。…………もしもし? おっさん?」
白黒のモノと余程縁があるらしい。正直おしまいかと思った。
しかし、逃げることに何の意味があるのだろう? 俺は虹さんを突き刺し、あの四人を無惨な姿に変えてしまった(らしい)。それで捕まったら間違いなく重罪。下手をすれば死刑……。
つまり、どちらにしても殺されてしまうわけだ。あるいは“手紙の宣告”はこれを示しているかもしれない。ただし、捕まった場合は免れる可能性はないわけではない。
ならばすぐにでも自首すべきだ。ある意味警察が守ってくれているのだから。
「…………ふぅ」
今はトイレの中だ。用もたしているが、もちろんそれの為だけではない。
「……こんなに鉄臭い……」
手に付いたモノを剥がれ落としていたのだ。一旦家に帰ろうかと思ったが、それはまずい。家宅捜査しているかもしれないし、血液検査が怖い。血はどんなに流しても、決定的な証拠となって残ってしまう。ならばあえて不定的なコンビニを選んだわけだ。たまたま見つけたというのもあるが。
「さて、ついでにこいつも洗うか」
“護身用”のこれは、トイレットペーパーに水を浸して擦り落とす。穢れた紙は小さくちぎって一気に流した。それだけでも輝きを取り戻した。
「……よし、行くか」
念のため、手をポケットに入れて同じポーズを保つ。店員や客の目が怖い。今にでも叫んでしまいたい……。そして店員の挨拶と共に出れた。不振がられることなく。
大通り。人で埋め尽くされている。別に満員電車のようなわけではない。ただ、そんな迫力があった。過去の意識が抜けていない。そんな人だかりの真ん中を車たちが突っ切る。俺はそれに溶け込む。
「家には行けないだろうな……」
時間はまだある。半日以上残っている。その間に何としてでも真実を……、見つけないと! おそらく、それはあそこにあるだろう。
「携帯も抜き取られている……いや、病院から脱走してきたのだからそこに……」
ここから病院はかなり遠い。最悪なことに財布も置いてきてしまっている。自力で行くしかない。
「…………慎重に」
たとえ面識がないからとはいえ、ほんの少しでも油断してはいけない。一瞬でも認識されれば俺の存在は強く、儚く消える。
流れに身を任せればいい。
「一石二鳥だな……」
一つ溜め息をついた。
「真乃……とおちゃん……棗さん……」
もう何日も会っていない気がする。声は聞いたものの。学校がある日は嫌というほど見るというのに、日数が嵩むと、物足りなさを感じる。それに今の状況が現実離れしていて実感が湧かない。明日死ぬということを。
「……」
ならば足掻いてみよう。抗ってみよう。もがいてみよう。
「……」
美浦さん、俺はあなたを裏切るつもりはない。でも気になることが一つだけあるんだ。取りに行くついでにそれを確かめる必要がある。
俺はかなりの時間をかけて、病院にたどり着いた。かなりかかったが、慎重に来たつもりだ。
正面口は気が引けるので、裏に行こう。
その脇に、
「? 病院にビール?」
満杯のビール瓶が入ったビールケース。誰が飲むんだろう。しかもケースの柄にワイヤーがぐるぐる巻きにされていた。それをドアの付近に置き、ワイヤーをドアノブに引っ掛ける。
そして周りを見渡してから、ビールケースをひっくり返さないように、
「誰もいない……。どうなっている……」
病院の裏口から侵入した。鍵がなぜか掛かっていなかった。
俺は何回もここに来たことがあるが、こんなに静まり返っているのは初めてだ。薄暗い。奥の方で点々と一定距離に赤く光っている。道標を成していて頼りになりそうだ。ゆっくり歩き始めた。
「今にも出てきそうだな」
今更怖がってどうする。どうせ俺の“期限”は今日までじゃないか。恐怖とは生きたい願望だ。
ランプと手に触れる壁を頼りに道を進んでいく。確か、俺のいた部屋は0626号室だったな。
……この病院、呆れるほどに広い。同じ一階でもそれぞれから上がると違うところに行ってしまうのだ。しかも俺は裏口という未知の扉から来てしまった。迷子になるのはほぼ必然的だ。
いや、よく考えるんだ。裏口はよく非常口として兼用されることもある。つまり、入口から遠い位置にあるということだ。逆に言えば、すぐに二階へ上がれる位置にいるということだ。
「真っ直ぐ歩いていけば階段にありつけるはずだ」
決して走らずに歩いていくと、案の定、赤が階段を指し示すかのように設置されているところに着いた。
「ここから行けるはずだ」
多少の不安を押し殺しつつ上っていく。二階はすぐに着いてしまうが、考えなければ。移動中にもあらゆる思考を張り巡らさないと……。
美浦の情報が欲しい。病院の看護師なのだからリストくらいはあるだろう。出会った当初はさほど気にしなかったのだが、今になって疑問が浮き彫りになった。
どうして美浦は俺の前に姿を現したのか。俺を刺したのは紛れも無く彼女だ。彼女自身も特徴を見られないように真っ黒のサングラスやマスクをしていた。それは対象が俺だからだと思っていた。……違う。
「ふぅ」
唯一一緒にいた真乃たちに覚られないようにするためだったのだ。
「…………くそっ!」
つまり、あれは俺を殺すためではない。俺と接触する機会を設けるためにやったのだ。しかも殺してしまっても損にはならない。“解放”ヘの道を一歩進むのだから。……しかし、そうすると疑問がまた出る。それは……。
……
「……はっ」
いけない。
「ここは……」
考えに耽ってどこにいるかわからなくなった。動きは最小限に……と思ったら、いつの間にか達成してしまっていた。
「……無意識ってすごいんだな……」
俺はドアノブに手を掛け、捻って中に入った。
……
「…………」
思わず目を疑った。
カーテンで光の通り道を覆っている。まばゆく、鮮やかでとても直視できなかった。洞穴から抜け出てきたようだった。同じ空間なのにこんなに対照的に違うなんて……。
しかし、どことなく懐かしかった。
「なんて眩しいんだろう……」
……とそんなことよりも。
「…………ない」
ここに来た目的を探す。しかし、一足遅かったのか、どこにも見当たらなかった。まぁ、携帯は暗証番号かけてあるし、財布も一、二万くらいとポイントカードくらいだけだ。
「…………」
……被害は甚大だ。通報したいところだが、自分が牢屋に放り込まれてしまう。
「……ならば……」
今度は痕跡を調べてみよう。少なくとも何かがあるに違いない。俺はありとあらゆる、そして考えられるだけの巧妙な場所も全て探した。ベッドの下や隙間、機具類などだ。できれば、俺の意識が無かった時のちょっとした手掛かりでもあれば……。
「……ん?」
それらしき何かがあった。
「…………」
客用に重ねて用意してあった円椅子の隙間だ。ほんの少しだけ白い角が見える。盲点だった。
椅子を持ち上げてみる。……。
「…………これは……」
脳に刻み込まれたそれが滲み出るように中を満たしていく。一杯になった時、記憶として嫌でも思い出されるのだ。
「…………一体誰のだ……?」
そこには手紙が置かれていた。とりあえず手に取り、中身を見ようとしたが、
「!」
見れなかった。
「……?」
外の方から強烈な瓶の割れる音が聞こえた。多分、来る前に仕掛けていた罠にかかったんだと推測した。警察? でもあまりにも早い対応だし、どうやってここにいるのを突き止めた? ……予想したくない答としては……、美浦さんの裏切り。
「……」
手紙をポケットに入れた。
美浦さんがなぜ病院から人を消し、俺をそこに誘導するような作戦を考えたか。それは俺を囮にし、自分が海外逃亡する時間稼ぎだとすれば納得がいく。
「どうしたんです?」
「ビール箱を落としてしまった」
「…………」
「それだけじゃない。鍵穴を調べてきたんだ。……どうやら開いてたようだ」
「……空き巣の経験からしてですか?」
「…………」
「じゃ、じゃあ本格的に捜しますか」
「……そうだな。一旦受付に戻るぞ」
「あっ、ちょっといいですか……。……よし、行きますか」
「…………どうする……?」
「…………」
まずい。……非常にまずい。遂に誰か来たようだ。
「……」
もし、美浦のアジトがここならば、来た人間は当然掃除の為としか思えない。複数人は確実にいる。そいつらは任務遂行の為なら、手段は選びはしないだろう。そんな連中から逃れることができるのだろうか?
「……相手はプロだろうな。以前みたくはできない」
あたかも自分がやったように呟く。幸か不幸か、当時の記憶はなかった。
手に持っているのは安っぽいナイフ。尖っていなく、柄はプラスチックで拵えてある。
「…………やるしかない……か……。真実を確かめるためにも……」
この瞬間から俺は殺人鬼に戻ったのだ。無実の殺人鬼に……。
「時間はない。確実に仕留めるんだ……」
見つけたやつをポケットに無造作に突っ込む。そして、右手には唯一の武器を握り締める。不思議と手に馴染んでいて、身体の一部と化したような感触だった。
ドアを目の前にして、ゆっくりと引いた。
「…………」
頭だけ廊下に出して左右を確認する。中から差し込まれた光がある程度助けてくれたものの、奥の方は暗くてよくわからない。
「……!」
ふと気付いた。急いで退く。
相手は先程の通り、俺を完全に消すために来た。ならば準備は怠らないはずだ。暗いところでも見えるように暗視スコープの類を持っているかもしれない。向こうが見えるのにこちらが見えないという非常に不利な状況下にいることになる。
「暫くはここにいた方が……。……?」
そういえば、引っ掛かったんだよな……。
「…………!」
外に仕掛けたモノは外からでも内からでも発動するように細工をしておいた。ばれないようにしたものの、病院にあるのは明らかに不自然だ。だが、割れた音は確かにした。あんなお粗末な罠に、しかもプロが果たして引っ掛かるだろうか。考えられるのは二つ。
ただの間抜けかそれぐらいの別の連中かだ。
「…………」
もう少しここで考えてみよう。
間抜けはいいとして、仮に別の連中だったら誰なのか。どちらにしても俺を追っていることに代わりはあるまい。美浦以外で俺を追っている連中……。
「……まさか……」
警察? いや、そちらの方が自然だ。ということはつまり……。
「虹さんたちか……」
美浦か虹さんたちか。どちらにしても状況は最悪だ。……いや、できれば虹さんたちの方がまだ……いい。
「よし、道はまだある……!」
希望とは裏腹に、結末がどうなるのか知りたい自分がいた。
「……ふぅ」
いつにもなく緊張する。どこから襲われてもおかしくないのだ。だから神経を研ぎ澄ましておく必要がある。普段こういうことはしないから余計に疲れてしまうのだ。それに美浦に関しての情報も探さなくてはいけない。まるでスパイゲームをしているようだ。
歩いていくと、病室とは少し違う部屋が迎えてくれた。かなり厳重そうだ。
「…………ありそうだ……」
金庫のように分厚いドアだ。そのくせにダイアルでなく、一般の鍵になっている。しかもノブもちゃんとある。一体なんの為なんだかわからない。
「開いてる……なんてことはないよな……」
試しに捻ってみると……。
「…………」
何の抵抗もなく捻れた。
「! なんだこれ……!」
しかし、押せない。確かに開いているはずなのだが……。
「くぅぅっ!」
全力で押してやっと体を横にしてぎりぎり入れるくらいになった。汗出てきた……。
確かに、全部金属でできていれば重いに決まっている。でも尋常ではない……。ある意味、防犯である。
やっとの思いで入ってみると、案の定だった。
「段ボールだらけ……」
整理されているとは思えない杜撰な部屋だ。ただ重ねてあるだけではないか。
この部屋は病室と同じくらいの部屋だ。窓はなく、さらに薄暗い。電気を付けても逆に浮き彫りに見えるくらい。段ボールの塊は左右二カ所に分けられていて、左側が圧倒的に多い。
「右から片付けよう」
ということで右から手を伸ばしていった。
少ないといっても、二十以上はくだらない。一番上から見ていこう。
「さて……、…………?」
初っ端の一枚目の題目はこう書いてある。
[“N”宛]
……“N”? 続きを読んでみる。
[“N”へ
もしこれをあなたが見ているのなら、私はこの世界にいないでしょう。でも悲しまないでください。あなたは物事を純粋に受け止め、諦めない力を持っています。何回でも挑戦して目醒めさせてください。あなたは不可を可にできるのです。
しかし、これを見つけた時点では間に合わないかと思います。私がいないのですから。次の時はどうか私の代わりに、あるいは一緒に手伝ってください。]
「…………」
これは察するに、筆者が“N”という人物に送った遺書みたいだ。一見、“N”にメッセージを綴ったようだが、内容が深い。
筆者は自分の死を予期して書いた。つまり、命を取られるのに十分に値する人物だ。そして彼(彼女)の信用できる人間、“N”。イニシャルならば普通は“R・M”のように二つのアルファベットを使う。もしかしたら“N”は愛称かもしれないし、暗号かもしれない。
「他にも調べてみよう。“N”がわかるかも………ん?」
二枚目を取ろうとする前に目が無性に痒い。周りが少し煙たく、息苦しい。急いで床に伏せた。
「なんだ? これ……」
煙たかったのがだんだんと黒みを含んでいく。そして何よりも焦げ臭かった。ま、まさか……。
「か、火事か!」
まさか奴らは俺を病院と共に焼き尽くす気なのか。あるいは窒息死とかで……? なんて大胆なんだ!
「おっ落ち着け! ……落ち着け……」
こういう時こそ落ち着かなければならない。
相手が俺ごと病院を焼き尽くすというのが魂胆なら、まだ先はある。知られてはまずい物が凝縮しているに違いない。そして、ここにあるのが値するだろう。つまり、これらを誰かに渡せれば……。
しかし、時間は長くない。酸素が足りなくなるかもしれない。
「…………よし」
俺はさらに漁ることにした。できるだけ迅速に。
「…………水?」
突如として部屋を包み込む水滴たち。天井にいくつか付いている金属から吹き出していた。瞬く間に全身が重くなった。ほんの一瞬だけあの時の湿りが思い浮かぶ。しかし、ほどなくして沈澱していった。
その前に大変なことになっている。
「濡れちゃまずい……!」
部屋に積まれた紙たちが水を吸ってしまう!
しかし、全然手遅れだった。どうやら、段ボールは防水加工されていなく、ふやけてしまっていた。もちろん中身も駄目だった。生き残りは……。
「持って帰りたいが、諦めよう」
目の前にいたら怒鳴り付けてやりたい。いてほしくないが。
そんなことよりも、この行為を理解できない。どちらも消却したいのなら、ほっとけばいいだけだ。なのに強行手段を台なしにさせた……。
考えなければならないのは、俺を殺すのが目的なのか否かなのだ。つまり、直接手を下すか捕まえるかのどちらかということ。一体何の理由でかはわからないが、どちらにも言えることが二つある。
「……行こう」
ここに留まっていても時間の無駄だということ。
俺は中腰になって部屋から出た。上は真っ黒になっていて見える見えないの問題ではない。かといって中腰になってみても、視界はあまりよくなかった。下手したら……。
そしてもう一つ。
「…………ふぅ」
直接出会うことだ。
相手は何らかの理由で直接殺しに来る。俺との接触は避けられないだろう。だから逆に利用して、迎え撃ってやる。これで。
しかし、俺の元来の目的が違うことにやっと気付いた。それは美浦の情報だ。あくまでもそれが知りたいわけであって、敵を殲滅するのは違う。
「…………ひとまず、様子見ってことにするか」
しかし、修正はきかなかった。
俺は右手で逆に持って慎重に歩いていった。
「……」
スプリンクラーからのシャワーの音とぴちゃぴちゃと水のはねる音。そしてそこに足を運ぶたびにする水を含んだ足音。暗かった視界が黒煙によってさらに暗闇と化す。
重い身体を引きずり、俺はある十字路に差し掛かった。
「!」
何かが聞こえた。スプリンクラーやその他の音じゃない何か……人の声……がした気がした。
「…………!」
「……」
はっきりと聞こえないが、確かに聞こえる。それに足音も……!
「…………」
本当にわずかな音だが、間違いない。こちらに来る……!
「……」
しかし、急に足音がその他に紛れた。走っていたのかもしれない。
「…………」
「………せやしませんよ……!」
「!」
声、通ったっ!
俺は意を決して、
「…………?」
…………
……
刺し込んだ。
「う……………」
手応えがダイレクトに伝わる。分厚いステーキにナイフを刺した感触だった。しかし切れ味が悪く、深くない。
「うわあぁああぁぁあぁぁあぁぁぁっっ!」
「!」
耳をかち割るくらいの声。でも、知りすぎている声だと感じた。
「…………あっ……」
「…………」
「お前……まさか……」
無意識に震え出す。
「瑠璃人か……?」
「…………」
「瑠璃人……!」
倒れかける瑠璃人の身体を俺が抱き留めた。
そんな……そんな……!
「何でお前がここに……」
「…………決まってるっじゃないですか……」
お、俺は虹さんだけじゃなく、瑠璃人まで……!
「大人しく……しろよ……! 血……止めるから……」
「……無理ですよ……。だってこんなに出てるじゃないですか……」
瑠璃人から漏れ出す血。それを手にのせると、薄くなり、やがて消えた。水で洗い落とされていく。
全身から溢れ出る汗と涙も水に流されていった。
「……陸奥実君」
「……くそ! 水のせいで血が止まらない!」
「あはは……」
笑うなよ……。絶対助けるから、死なないでくれ、瑠璃人……! お前が死んだら……。
「陸奥実君……」
「何だよ……! 喋るな……」
「……あの…………僕のことを“親友”と思ってるのですか……?」
「…………」
俺の身を案じて……? 親友どころじゃない。……命の恩人なんだよ、二人とも……! それを俺は我が身カワイサに……手に掛けた……。
「当然だろ……」
「これで僕も少しだけ非情になれます……」
「…………?」
気付いたら何も見えなくなっていた。
「……陸奥実君が捕まったそうです」
「そう」
「彼、警察官四人と一般人一人を殺したそうですよ」
「! なぜっ?」
「一般人の方は、妹の陸奥実 八菜と友人の若海 雛が学校に監禁され、彼女らを助けるためだと陸奥実 八菜が証言しました。おそらく警察官四人は道中だと思われます」
「……八菜ちゃんが……」
「陸奥実君は間違いなく極刑です」
「…………」
「味方だった新戸刑事を刺してしまったことによって警察はもちろん神地先生も敵に回してしまった」
「陸奥実家からは勘当されてるから、八菜ちゃんも味方になれない……」
「陽先輩は彼を切り捨てたから関係なし、と……」
「……」
「とりあえず作戦通りですけど、あとは逃げるだけですね」
「……颯……」
「早く行きましょうよ」
「楠波」
「はい」
「私、彼を見殺しにしたけど、これはカウントにはならないかしら……?」
「分かりません……」
「今思えばあの時、彼を殺していれば、こんな苦しい思いをしなくてすんだ……」
「颯君を殺した気分ですか?」
「そうね……」
「……」
「やっぱり切り捨てなんてできないわ……!」
「! 先輩っ?」
「行くわよ!」




