二十六壊目「演じる・中」
ほの暗い。昨日の一緒に逃げた時より不気味さが増し、より足を前に出すのを躊躇わせる。受付のところの明かりが消えかかっていて、尚一層際立たせる。ちょうど、スロープのある位置にある赤いランプが僅かに照らしてくれるだけ。懐中電灯を使ってもよかったが、人がいないこの空間では明らかに不似合いだ。相手が誰もいないと思っているうちがチャンスなのだ。
……しかし、その前に気になることがいくつかある。
「……ここは一体何が起こったんでしょうか……? バミューダトライアングルみたいです」
「俺にもわからない」
突如として消えてしまった病院内の人たち。医療関係者ならまだしも、患者までも謎の失踪を遂げている。痕跡一つ残さずに。
「……神隠しですかね」
「それも特大級のな」
「……」
そしてもう一つ。
「……星さん。あなた、何か知ってませんか? なんとなく気にかかるのですけど……」
「……」
星さんは美浦と関係性があるのかどうかだ。美浦のことを多少なりとも知っているから、少なくともないことはないだろう。
皮肉にも彼は僕を助けてくれた。もし、僕が彼について何か気付いたとしても、先手を打たれている。もっとも、恩で返すかどうかは僕の勝手だが。
「……俺にだって、上の連中が何を考えているかわからないんだ。ただの“コマ”だ。それに……」
「それに?」
「助けてあげた恩人に対して言うことか?」
「……無愛想なクセに……」
それ以上は言えなかった。
「それでどうするんだ?」
「……そうですね。とりあえず、裏口ありましたので確認しましょう」
「? 鼠はどうするんだ?」
「負傷する可能性があるので、二階以上から飛び降りることはできません。つまり、こちらが鼠の存在を知れば、いくらでも対処ができるということです」
「なるほど」
しかし、問題はいなかった時の場合だ。その時はどうしようもない。論理的に説いたつもりでも中身は運だけの問題。僕はいる方に全てを賭けたのだ。
僕らは裏口へ向かった。その間は一切の沈黙。行く前に耳を澄ましておくようにお願いしたからだ。しかし、自分と隣の足音しか聞こえなかった。
集中しているうちに目的地に着いた。途中で枝分かれがあり、二階へ続く階段だったが、目的を優先させた。
「……」
行き止まりに穴をあけたようなところだ。その穴がドアのわけだが。平面を二つに分ける赤いのが目の前にいる。
「ガラスは割れてませんね……」
「となると、開いてたか開けたかだ」
星さんが一旦外に出た瞬間、ガラスが一斉に割れる音が響いた。甲高くてうるさい。しかも尋常じゃないほど。慌てて戻ってきた。
「どうしたんです?」
「ビール箱を落としてしまった」
「…………」
かなり抜けてる……。というよりも、置く方も置く方だが。
「それだけじゃない。鍵穴を調べてきたんだ。……どうやら開いてたようだ」
「……空き巣の経験からしてですか?」
「…………」
「じゃ、じゃあ本格的に捜しますか」
「……そうだな。一旦受付に戻るぞ」
「あっ、ちょっといいですか……。……よし、行きますか」
では気を取り直して考えよう。
こんな大きな所で出会う確率はおそらく、一桁以下だろう。だから逆にこちらから訴えかける必要がある。だが、しすぎると逃げられてしまう。その為にも今のあれにちょっとした事を施したのだ。……それはいいとして。
つまり、ターゲットを逃がしてはいけない上に、捕まえるという作業を今日中に手早く行わなければならない。難易度は高い。しかもこちらの存在が気付かれていればいるほど困難だ。
「…………どうする……?」
受付に戻った。ここからが勝負所だ。
「どうする?」
「…………」
あらゆる思考を張り巡らし、僕の中の全てに問いかける。その中で唯一のものは……。
「…………星さん」
「……なんだ?」
「裏口から0626号室へ向かうには、最短距離でどう行けますか?」
「行く途中にあったあれを上って暫く進めば着ける。あと反対側の階段もあるがな」
星さんは受付にあったペンと紙で地図を示してくれた。長方形のような形から枝分かれしていて、短い横棒の中点に階段がある。外れに裏口、他にも三つくらいありそうだ。
「他に出入口は三つあるんですね?」
「あぁ。あそこを含めてな」
星さんは僕たちが入ってきた入口を指差した。
「……それを聞いてどうする?」
「……そうですね……」
僕は袋からぐるぐる巻きにされた太い針金と、白い布で縛り繋げた紐を渡した。
「家から持ってきました。それを使って残りの二つを留めて下さい」
「……よく持って来れたな。それと、これは?」
「ここに戻る間にベッドのシーツやらをもらいました。留める間にそれは垂らしてきてください。途中で無くなったら補充もしてくださいね」
「いつの間に……。……俺は奴隷か」
「……早くして下さいよ! 僕もしなきゃいけないことがあるんですっ!」
野良犬を追い払うように行かせた。さて、僕も用意しようか……。
……
暫くして、星さんが帰ってきた。僕は僕なりにいろいろしていて大変だった。だけど、これで巧くいくかどうか……。
「おい」
「……どうかしましたか?」
「とりあえず一周させたが、やけに臭いぞ」
「まぁ……気にしない方がいいですよ」
やけに臭いを気にしているのが、なんだか幼く見える。
「さて星さん、ライター持ってますか? 持っていたら貸して下さい」
「!」
ちょっと渋っていたが、かなり高そうなジッポを貸してくれた。薄い黄金色に光るそれに刻まれた獅子が印象的だ。お気に入りのようだ。
そして今度は僕が大人らしさを見せる番。作戦開始だ。
僕らは受付の奥の方の部屋で待機した。
「念のためにこれを渡します」
星さんに渡したものは、ちょっとしたコネでもらったガスマスクだ。僕の分もしっかりある。
「よっと!」
布の先っぽを取る。蓋を勢いよく開けると同時に、ぼんやりと橙が灯った。これをすると自分の命に関わるかもしれない。それでもしなければ……。
意を決して橙を近付けた。ちりちりと焼けていき、乗り移った。着火。急いで遠くに投げる。導火線とも言うべき白い布は表現通りに道に沿って燃え渡った。黒い煙を発し始めていた。
炎は導火線を伝ってどこかへ向かう。
「これはまさか……!」
「あなたにここを一周させたのはこの為ですよ」
一階は長方形の単純な造りになっている。非常口やらは離れているが、結局はそれの枝分かれに過ぎない。つまり、縛りに行けばここに戻ってこれるのだ。これが何を意味しているかというと……。
「まさしく、“炙り出し”だな」
「僕の頭の中ではこれしかありませんでした。……そして」
僕はひたすら耳を澄ませる。もし、彼が僕の考え通りだったら……。
「おかしいですね」
「どうした?」
「……まさか……!」
僕の考え通りなら、彼は急いで窓から飛び降りるかと思ったのだが……。彼はまだ中にいるつもりなのか? だとしたら……まずい。
目の前は橙に染まっている。
「彼は命を賭してまで僕たちをおびき寄せている可能性があります」
「…………このままだと本当に大火事になりかねないぞ」
「それに関しては大丈夫です」
問題なのは彼の生存と罠に態と嵌まるタイミングだ。今、考えているのも惜しいくらいだ。下手をすれば、柩で久しぶりの対面だ。そして、彼は準備が調っている。いくらでも対処できる体制にあるのだ。
「…………」
「早くしないとお互いに危ない」
全くもっての正論だ。
「ですが……」
「炎は二階まで燃え上がっているはずだ。だからあいつは逃げれないだろう? 袋の鼠じゃないか! そうするのがお前の策略じゃないのか!」
「…………」
実際、危険なのは彼だけではない。中に居続ける僕らもなのだ。本当だったら星さんは外で待たせたかった。僕が身を差し出してまで解決しなきゃいけない事件だったから……。
「……すみませんね」
「……? 何がだ?」
「あなたにまで危害を加えてしまって……」
「…………それはあいつを捕まえてからにするんだな」
「違いますよ。あなたが死ぬ前に言わないと採算合わないですから」
「……早くしろ」
「わかりました」
僕は背後に設置されている四角い箱に手を伸ばす。ここの予備電源だ。随分と熱が篭っている。僕は黒い出っ張りを上にあげた。かなり不安だ。もし作動しなかったら……。
……バチンッ……
しかし、あっさりと予想を裏切ってくれた。
「……なるほどな」
「少ししたらすぐ行きますよ!」
「行きますよ! マスクはしっかり着けてください!」
「くそっ! ほとんど真っ暗だ!」
正しく恵みの雨。熱を吸い取ってくれる。
防火用のスプリンクラーを作動させたのだ。すぐに動かしてしまうとただのボヤで終わってしまう。だから、ある程度炎を成長させる必要があったのだ。身を削ってまでも。そしてもう一つの狙いは……。
「下の明かりを辿ってください!」
「わかった!」
このためだ。暗闇に乗じて一気に接近できるのだ。もっとも、彼はどこにいるかは、もう予測できないが。
頭の中に地図を描きながら走っていくと、明かりが一つ分間を空けていた。曲がり角だった。つまりは二階へ行けるはず。案の定、明かりは上に向かっていた。僕らは壁伝いに二段飛ばしで上り切った。
明かりは三つに分かれていた。
「…………」
「もたもたする暇はない! 俺は右に行くっ!」
「わかりました! 真ん中行きます!」
僕らは二手に別れた。星さんの背中はあっという間に黒に混じっていった。
恵みの雨が僕の頭を叩き、顔を伝って中に染み込んでいく。
「……」
僕はゆっくり歩くことにした。
「…………」
靴も思い切り吸い込んでいる。みずみずしさが篭った音がシャワーの音と調和して、あの日のことを思い出させる。もっとも、状況がまるで違うが。
僕が彼を変えてみせる。
「絶対に堕とさせやしませんよ……!」
……ザクッ……
「…………?」
…………
……
痛い。
「う……………」
……
……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……
「うわあぁああぁぁあぁぁあぁぁぁっっ!」
いっ痛い! 何が起こった! 刺された! どこを……誰に……!
「…………あっ……」
「…………」
まさか……陸奥実君……?
「お前……まさか……」
震えていた。
「瑠璃人か……?」
「…………」
「瑠璃人……!」
僕の足は勝手に力を失った。体は完全に倒れず、誰かに支えられている。
虹にぃもこんな気持ちだったのだろうか……。
「何でお前がここに……」
「…………決まってるっじゃないですか……」
あなたを捜しに来たんですよ……。
傷みは徐々に体中に染み渡り、やがて頭が落ち着いていく。刺された所から水に溶け込んでいくのを感じる。僕は仰向けにされた。
なんて一瞬なんだろう。たった一回だけ刺されるだけでこんなに痛いし、全て見えなくなってくる。
久しぶりの再会が本当に棺になるのか……?
皮肉だ。
「大人しく……しろよ……! 血……止めるから……」
「……無理ですよ……。だってこんなに出てるじゃないですか……」
僕は死ぬのか……。その間際に一つだけ思い出したことがある。
“最も親しい友人を殺せば、所有者は救われる”……。陸奥実君は遂に救われることになるんだ。僕を生贄にして。
でも、嬉しい。逆に言えば、陸奥実君は僕を“親友”として認めてくれたんだ。だから僕を殺してくれた……。なんだか気持ち悪い考えだ。これじゃそういう人みたいじゃないか。
……。彼の気持ちはどうなのかはわからないが、僕は勝手に思い込んで行くことにする。
「……陸奥実君」
「……くそ! 水のせいで血が止まらない!」
「あはは……」
策士策に溺れる。
「陸奥実君……」
「何だよ……! 喋るな……」
「……あの……」
その前に陸奥実君に一つ聞きたい……。とても言いにくいことだけど……。
「……僕のことを“親友”と思ってるのですか……?」
「…………」
陸奥実君は押し黙ってしまった。
でもそれは僅かだった。
「当然だろ……」
照れ臭そうに呟いた。…………ありがとう。
「これで僕も少しだけ非情になれます……」
「…………?」
ガンッ!
「……来ましたね」
「大事か? 怪我は?」
「えっと、頭がくらくらします……」
「……救急車呼ぶか?」
「徹さんがいるから大事に至らないと思います」
「……俺は結局、何もできなかったな」
「そんなことはありません! 僕を助けてくれたじゃないですか」
「…………」
「これで貸しが二つになりましたね」
「貸しを作った覚えはない」
「なんで僕の周りには照れ屋さんばかりなのでしょうか……」
「……とりあえず、一件落着だな」
「と言いたいところなのですが、これからが勝負ですよ」




