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五悔目「仕事・上」

「……んっ……」


「あっ、起こしちゃったか」


「こんな夜更けにどうしたのです……? 飲み会ですか……?」


「あっあぁ……集会だよ」


「……張り込みですか?」


「いや、上からのお呼び出しだよ」


「そうですか」


「うん。……今日は家に帰れないから、栗原さん家に泊まって。話は通してあるから」


「…………わかりました」


「まさか、淋しいのかい?」


「虹にぃがいなくなると、ギターを弾いても文句を言われなくて済みますからね」


「……」


「嘘ですよ。……いってらっしゃいです」


「うん」






 7月3日、虹にぃは今日一日いない。ある意味解放されている。


「え〜、細胞はですね、分裂して……」


 虹にぃの言う“集会”は滅多にない。たいていは夜遅くなったり、朝早くなったりする。こういう時は大きなヤマにぶち当たる時だと決まっている。すると、僕のところにもいずれ来るかもしれない。警官ではないが、それなりの力はあると自負している。

 二週間後のテストに当たらなければいいが……。


「……染色体は2nという風に……」


 部員とは会わない方が良さそうだ。

 暗い緑の黒板を眺める。そこに白い線が様々な形を成して書かれていく。筆圧が強いのか、粉が舞い落ちていた。

 それらの軌跡をノートに写していく。


「……」


 作業が終わると、耳に意識が向く。

 歯軋りのような音が教室に押し寄せる。連中は不愉快なのだろう。先生が話すタイミングに合わせて鳴き交わす。別に全てを遮ることができるわけではないが、いらだたしい。せめて口笛にしてほしかった。

 しかし目を閉じると、頭の中にこだまする。なんだかどこかが満たされているみたいだった。鈍くても音は濁っていない。このままいけば睡魔の独壇場…………。


「…………」


 ところが、チャイムがしっかりと遮断した。


「はい、終わりです」


 熱弁を奮っていた先生はその熱が冷めたのか、素早く出ていく。その瞬間、急にもどかしくなった。


「はぁ……」


 机にぐったりする。ちょっと余韻に浸っていたかったのに……。

 ふとして、制服の一部が目に入る。


「瑠璃人」


 眼だけ向いた。


「どうかなさいました?」


 右手で下から頭を支える。

 制服もきちんと着こなしている。見た感じはイメージ通りの優等生だ。しかし、きりりとした顔は僕を見下ろしている。


「昼休みだろう? 食いに行こう」


 僕に赤い布で包まれた弁当を見せ付けた。

 それなのに、この声だ。聞くだけで清々しくなれる高音。僕の想像を掻き消す。


「そうですね。久々に学食を行きますか」


 席を立ち、教室を出た。

 むあっ、と熱風が包み込む。冷房の余韻で汗はかかないものの、動けばあっという間だろう。

 僕らはゆっくり歩き出す。


「生物眠かった……」


「呪文を唱えてましたね」


「同じことだけ繰り返してたな。勘弁してほしいよ……」


「そうですね。……聞き飽きました」


「瑠璃人は後ろの方だからいい。俺なんか一番前だぞ? 睡眠チェックが絶えることがない」


「いっそのこと、寝てみたらどうですか? あの陸奥実君が眠るくらいですから、先生もさすがに落ち込みますよ」


「寝てたまるか」


「たいしたプライドですね」


「……まあな。誰かさんと違って真面目に受けてる」


「……前橋君ですか? たしかに、凄い寝言でしたね」


「そ、それは話題にしたくないな……」


「ずっと陸奥実君の名前を呟いてました。唸ったり嬌声を出したりしてましたね」


「……気持ち悪い」


「もしかしたら妹さんかもしれませんよ」


「それはそれで嫌だな……」


「あはは……」


 その後は黙々と歩き続けた。

 陸奥実君は僕のことをちら見してくる。それを笑顔で返す。すると呆れたように手を顔にあてる。何かメッセージを伝えようとしたのだろうか? でも、無言の会話を試みる彼はちまちましていて可愛いげがある。元々女の子っぽい顔だから、というのもあるからかもしれない。ちなみに彼はこれがコンプレックスらしい。

 そのうち、学食に着いた。人が溢れており、座る場所などなかった。熱気と匂いが空間を覆う。


「……」


「満席みたいです」


 陸奥実君は口を開いて呆然としていた。どうやら予想外みたいだ。


「……そうだな。戻るか」


 素っ気ない。

 何もないまま帰るのも損なので、缶のお茶を買って帰ることにした。


「そういえば、なぜ学食なのですか? 教室でも大丈夫な気がしますが……」


「まぁ……な……」


「……、…………ははっ」


「……? 何だよ」


「放課後は暇ですから、声をかけてください」


「……嫌なやつ」


「それほどでも」






 虹にぃは帰ってこない。だから遅くても問題ない。しかし、栗原さん家に泊まるから遅すぎるのは迷惑だ。なるべく早くしよう。


「……あの」


「……はい?」


 しかし、彼がいなかった。隣にいる彼女に聞いてみた。

 大きく長い栗毛の束。丸顔に近いが、顎に緩やかな角度がある。僕の肩くらいしか背がなく、上眼使いで覗いてくる。僕に不慣れなのか、優しい目付きには不安が色付いていた。


「陸奥実君がどこに行ったかわかりますか?」


 こうしてまじかで話すのは初めてだ。


「流さんですか? …………急いで帰りましたよ」


 帰った……?


「帰ったのですか……。まったく、人を呼び付けておいて……」


 人使いの荒い人だ。


「何かあったんですか?」


「……僕にもわからないのです。何か言ってましたか?」


「いえ、なにも……」


「そうですか」


 今思えば、約束というわけでもなかった。それに彼は小さな悩みを解決してしまったのだろう。だから、急いで避難した。僕と会ってしまっては、厄介事になると考えたに違いない。


「……ありがとうございました」


 なら、ここにいる必要はない。


「……待ってください」


「?」


 出ていこうとする僕を呼び止めた。

 物足りなさそうに見つめてくる。……気になるみたいだ。でも、僕は知らない。寧ろ僕が知りたい。気持ちはわかる。彼女は陸奥実君の……。


「何でしょうか?」


「あ、あのですね…………」


「……」


「…………」


 こくんっ、と固唾を飲み込む音がした。


「……流さんの誕生日って……いつですか…………?」


「……ご存知ではないのですか? てっきりそうだと思いました」


「……」


 陸奥実君の誕生日は……忘れもしないあの日だ。

 よく考えてみると、僕はミスを犯した。僕の今の発言は僕が知っている雰囲気を出している。ここで白を切れば、逆に不信の念を抱かれてしまう。それは結果的に陸奥実君に負の印象を与えることになる。

 ……まぁ、これくらいなら教えても支障はないはず。


「9月16日です」


「! ……そうですか……」


 少し残念そうだ。期待外れのようだ。

 今度こそ帰ろう、とした時……、


「まのやあぁぁぁんっ!」


 遠くから叫び声がした。それはここに行き着いた。

 教室のドアを思い切り開ける。ガラスが……割れた……。


「新戸君やないかぃ! あの、とおやん見んかったかぁ!」


 えらくテンションが高い。


「見てませんが……」


「どうかしました?」


「あのエテ公……」


 まさか…………ついに悪魔の手が……。


「まさか、陸奥実君を……?」


「それはないですっ! ぜったい!」


「…………」


 だが、黙ったままだ。前橋君が“あれ”を正夢にしようとしている……?


「……………………そうや……」


「!」


「本当ですか?」


 それは早く見つけないと大変なことになる。いや、見つけたくないが…………、彼らのためだ。教師の目のつく前に捜さないと、絶対退学だ。


「でも、流さんは先に帰りましたよ?」


「とおやんもやろ?」


「え?」


 冗談ではなくて、本当らしい。僕は九割くらい冗談かとまだ信じていたのに。


「電話はいかがでした?」


「二人ともオフやった。誰か目撃者がおればなぁ……!」


「とりあえず、八菜さんに電話します!」


「知っているのですか?」


「なぜか刺々しく教えてくれました」


「ワイらには教えてくれんかった。なんやねん! あのツンデレ! 調子乗りすぎやっ!」


「とりあえず、落ち着きましょうよ……」


 ぜひとも今のお言葉を聞かせてあげたかった。


「……もしもし」


 繋がったみたいだ。僕らは静かにした。


「あの、流さんいますか……?」


 随分と腰が低い。


「……いえ、携帯電話が切れているみたいなので、かけさせてもらいました。………………あ、そうですか。それだけで大丈夫です。ありがとうございました」


 電話を切った。


「どうやった?」


「どうやら、二人と八菜さんでゲームしてるみたいです」


「なっ、なんやてぇぇっ! 三人ならもっと怪しいやないかぃっ!」


「どんだけそちらに持ってきたいのですか? でも、杞憂に終わるようですね。彼女は前橋君を嫌って……」


 では、なぜ陸奥実君家に迎えた? 今回のは多分即興で決めたのだろう。ならば彼女の反発はさらに激しくなる。そこはきっと陸奥実君が圧力をかけたからとしか判断できない。そう考えるとどうしても家に入れたいという想いが……。


「すみません。確かめに行きます」


「に、新戸さん!」


「待ってやぁ!」


 僕は教室を駆け出していった。

 昼ほどではないが、まだ蒸し暑い。気がつけば汗が顔の横を伝っていた。タオルで軽く拭き取る。

 学校を出ると、空が赤く焼けていた。もう5時を回っていたか。いや、もっと遅いかもしれない。時計を見るのを忘れてしまった。携帯電話で見れるが、面倒臭い。

 急いで行くと、例の場所に彼女がいた。


「瑠璃ちゃん、帰ろ」


「“瑠璃ちゃん”はやめてくださいと常日頃言ってます」


「あっ、待ってよ」


 腕を握られた。……?


「……帰ろ」


「……はい」


 その眼は反則……。瞼が眼を少し覆い、潤んでいる。茶色い層の中心点は僕を捉えていた。

 そうだ。


「……あの」


「ん? なに?」


「ここで女の子のような顔をした男子を見かけませんでしたか?」


「あっ、あの“コ”? 知り合いなの?」


 運がいい。


「あと、頭が坊主で背の高い男子もいましたか?」


「うん! いたいたぁ〜!」


 キャピキャピ笑い飛ばす。本人がいたら怒るだろう。手の仕草で頭を強調していた。


「何か言ってませんでしたか?」


 こんなことを聞くのはほぼ無駄だ。赤の他人の会話など耳に入らない。


「うーん」


 何か手掛かりがあれば……。


「ゲームがどうのこうのってだけしか……、あ、あと、女の子の顔したコが、“俺は強いよ”って……」


 なんとナルシストな。

 とりあえず、目的はゲームらしい。ならば、今回の騒動はただゲームをしに陸奥実君家に行っただけに留まる……?

 今冷静に考えてみたら、ただの勘違いではないか? 友人を誘うのは普通だし、妹が何と言おうと招くのは勝手だ。それに、前橋君が見たという夢はあくまでも夢に過ぎない。


「…………」


 僕らが勝手に騒いでいただけなのだ。何の心配もない。

 メールして知らせよう。携帯電話を開き、適当な操作で送った。これでいいはずだ。


「じゃあ、行こっか」


「はい」


 僕らは歩き出した。歯軋りは聞こえない。代わりに、どこまでも透き通って伸びていきそうな音がどこからかする。でも頼りない。昼の時のように空間を埋めつくす力強さがなかった。

 コンクリートの地面を踏み締めて歩く。いつになく陽気な彼女は僕と会話を弾ませる。部員とは会うつもりはなかったが、彼女は例外だ。ほとんど毎日一緒に帰っているからだ。でも、そちらの話はしなかった。性格上、感情的になってしまう。特に礼香さんはそう。他愛のない話で盛り上がって一日を終えたいに違いない。……どういう気分で僕と帰って談笑しているのだろう?

 そういえば、一体どのくらい待っていたのだろう? 放課後になったのは4時30分くらい。ということは陸奥実君たちもそのくらいのはず。確認したところ、今は6時近い。とすると、大分待っていることになる。……申し訳ない半面、奇妙だ。メールで僕に連絡もせずにずっと校門にいたというのか?


「あのさ、今度一緒に勉強しない?」


「…………………………」


 いや、多分部活で時間を潰していたのだろう。あるいは図書館で勉強だろう。だが……。

 考えようとした矢先、ねぇっ、と遮った。僕が難しいことを考えていることを見抜いているのだろう。


「……礼香さんの邪魔になってしまいます。……受験……ありますし」


「……いや?」


「そういうわけではありません。複数人と勉強すると話したくなります。すると勉強の効率が悪くなります。よって、勉強は一人でするものだということです」


「………………」


「……」


「……瑠璃ちゃんは相変わらず堅いね」


「すみません。こういう気性ですから」


「あれ? ムキになった?」


「なってません」


「なった。だって声が荒いもん」


「……なってないです」


「拗ねてる……。う〜ん……それはそれで中々かわいい」


「……!」


「瑠璃ちゃん……」


「そ、そういえば、一昨日に礼香さんの妹に会いましたよ」


「?」


「確か……えーっと…………、……ひな……雛さんですよね。礼香さんに妹がいるなんて知りませんでしたよ」


「……」


「……あれ? 名前を間違えましたか?」


「……うーんとね……えっと、何て言えばいいのかな……」


「“雛”さんですよね?」


「そうじゃなくって……」


「では、何なのですか?」


「…………」


「……」


「?」


「とにかく、よろしくお伝えくだ、」


「私に妹なんていないよ?」


「……え?」


「私、一人っ子だもん」


「だ、だって 吹奏楽部の一年生で、名前は若海 雛ですよ? 名字だって同じですし……」


「名前は知ってるけど妹じゃないね。名字が同じだからってそう言われるなんて……、ちょっと困るな……」


「……すみません。そうですか……。僕の聞き間違いですかね」


「瑠璃ちゃんはお疲れ様だねっ。癒してあげよっか?」


「いいです。自分の心配だけしてください」


「……かわいいなぁ……いい?」


「駄目です。今、真剣な話をしています」


「じゃあこの話は終わりにして、早くしようよ? できれば座りたい」


「妖しいですよ!」


「あれれ〜? 何を考えてたのかな? 焦ってる焦ってる。……かわいいなぁ……」


「どこがですかっ? 前から思っていたのですが、僕みたいな冷徹人間のどこに可愛いポイントがあるのですか?」


「全部」


「………………」


「特にその冷たさがなくなった時だね」






「お兄ちゃん」


「何?」


「ゲームしよ」


「……昨日も夜更かしして、今日もする気か? テスト勉強しろよ」


「だって前橋先輩に負けたんだもん」


「とか言って、ちゃっかり華を持たせただろう?」


「お兄ちゃんだってそうじゃん。実力の半分も出してないくせに」


「……とりあえず、俺は眠い」


「イヤだーっ! 朝まで眠らせないよ!」


「静かにしろよ。近所迷惑だ」


「もっと騒いでやるもんねっ!」


「やっぱり相談すべきだったか……」


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