十六壊目「惑わす」
「また休みか……」
「あいつ、ここんとこ、休んでばっかだぜ?」
「何かあったのかしら?」
「季節の変わり目だしねえ。体調がよくないだけじゃない?」
「……ふぅ」
「流さん」
「何だよ」
「どうしたんですかね?」
「さぁな」
「さあ、って……流さんは冷たいですね」
「ホンマに冷血人間やなっ」
「俺に変な格好させたやつに言われたくない」
「……許してーなぁ? あれは悪ノリやったんよ……」
「それは置いといて、本当にどうしたんでしょうかね……? まだ一週間しか経ってないのに、もう三日も休んでるんですよ? 心配じゃないんですか?」
「あいつは俺に心配させたくないやつだし、馬鹿なことはしない。食あたりで入院したらしいから、それが長引いてるんじゃないか?」
「それ、信頼しとんのかよう分からんなぁ」
「まぁ、大丈夫だよ。メールでやり取りしてるし」
「それなら……いいですけど……」
「でも確か、瑠璃人は皆勤賞だったな。もったいない……」
「瑠璃人くん、大丈夫?」
「大丈夫です。すみません……」
「びっくりしちゃったっ。瑠璃人くん家から出てすぐに倒れるんだもの」
「すみません」
「一応、学校には連絡しといたから……」
「はい。ありがとうです」
壁に掛けてある部屋にある電波時計は九月六日金曜日、十時九分、室温二十九度を示していた。
。
「……ごめんなさい」
家の鍵をかけて、いつものように学校に行こうとしただけ。そして気付いてみれば、こうしてベッドで眠っていた。おばさんが話してくれるまで、何が起こったのか分からなかった。
体調は……良くない。気怠い。
「最近、虹くんも家に帰ってきてないわね」
「そう、ですね」
「ずっと一人でいたの?」
「はい。虹にぃは仕事で忙しいですから」
「もうっ。うちに来てくれればいいのに!」
子供を叱るよう口調で言う。
「……すみません」
「辛かったでしょ? まったく、あとで虹くんにも言っとかなきゃねっ」
「……」
辛いとか淋しいとか、僕も忙しくてそんなの感じていなかった。それに、いろいろあったし……。
「明日、病院に連れていってあげるから、今日はゆっくり休みなさいな」
「……ありがとうです」
おばさんは微笑んで、部屋を出た。
「……」
れいかさんと陸奥実君、岡本 和美は“手紙”を持っている。れいかさんは来年の四月二日、陸奥実君は九月十六日、岡本 和美は八月二十五日が期限だ。そして岡本 和美は死亡した。その岡本 和美はれいかさんの手紙を知っていたが、れいかさんは彼すらも全く知らないという。ということは……誰かが岡本 和美に情報を提供していたということか? でも、そこまでして、なぜれいかさんに拘る? ……れいかさんを恨んでいる人間による仕業? ……そんな人、思い当たらない。
そして陸奥実君。“手紙”所有者を狙っているなら、間違いなく陸奥実君を狙うはずだ。うまく逮捕できれば、全貌が明らかになるはず……。
……熱いな……。
「?」
額が冷えてくる。気持ちいい……。
「えっ」
一体誰っ?
思わず身を起こしてしまった。額にあった何かが僕の手元に落ちる。
「た、タオル……?」
「あっ、起こしちゃったかしら」
傍らにおばさんがいた。
「あ、茜……さん」
「!」
突然、尻餅をついた。何だか驚いているようだ。
ベッドのすぐ下に水が入った桶が置いてある。揺らめいていた。
「る、瑠璃人くんっ」
「?」
僕の身体を指差す。一体何が、
「……」
……あぁ。なるほどね。
「はだけてましたね」
いつの間にか、ワイシャツのボタンが上から四つくらいなくなっていた。多分、倒れたからだと思うけど、
「……」
じいっと見ていた。
「……きれい。さすが女装してただけのことはあるわね」
「……止めてください」
ヒラヒラと写真を振り回していた。もう忘れていたのに……! 僕の黒歴史だっ。
早く話題を変えよう。
「と、ところで、稔ちゃんはどちらに?」
「みぃちゃんは小学校よ」
「そうでしたね」
急いで体操着に……え? 体操着?
「それ、みぃちゃんのぶる、」
「違います。男性用の体操着ですし僕のです!」
バッグごと全部持ってきてくれていたようで、さりげなく着替えを用意してくれていた。二つともベッド脇の床に置かれている。……でも、
「その手に持っているモノはしまってください」
「ほら、瑠璃人くん用」
「勘違いされるので止めてください」
「今更何着たっていいじゃない……」
泣き落としも駄目です。絶対断固としてしません。
普段は気の優しい人なのに、タガが外れると止まることを知らず暴走していく。その引き金は……僕だけど……。
「ほら、汗かいてるじゃない。ワイシャツ脱いで。拭いたげる」
「い、いいですよ。そんな、……いえ、お言葉に甘えますよ……」
笑いながらポケットから写真をちらつかせる。恐喝だ……。
ワイシャツを強引に脱がせられ、上半身が露となった。なぜかは分からないけど、ワイシャツは汗でぐっしょり濡れている。やっぱり熱か何かあるようだ。
ちょっと冷える……。
「背中からね」
僕の額にあったタオルで背中を拭う。……温かい。
「細いわね〜。うらやましい」
「そうですか? そのせいか、僕は虚弱ですから」
「でも小さい頃は山を駆け回ってたし、中学はバスケやってたって虹くん言ってたよ?」
「それでも風邪はひきやすいですし、体調不良になりやすいです」
「きっとストレスね」
タオルを一旦桶に浸す。
「ストレス?」
そして力強く絞った。
「ストレスが溜まりすぎると、免疫力が落ちるって陽が言ってた」
「でも僕はストレスなんて……」
……ないわけじゃないか。
「虹くんと二人暮らし、しかも虹くんは刑事さんで帰ってこない日もざらにある。……家で無言っていうのは一番応えるんじゃないかしら?」
「……」
最近だって虹にぃとろくに会話していない。でもそれは仕事が忙しいからであって、仕方ないことだ。僕がとやかく言うことじゃない。それに、夏休み中にいろんな出来事があったし……。僕にとってはそれが一番疲れたと思う。なんせ殺されかけたんだから。
突然、背中に妙な感触がした。しかも肩を……抱かれてる……。
「瑠璃人くん」
「は、はい」
べっ別の汗が出てくる……。
「彼女さんもあなたに甘えて、みぃちゃんも甘えて、親友さんだってあなたを頼りにしてるみたいじゃない。じゃあ、あなたは誰に頼りたいの? 甘えたいの?」
「……僕は……別に、」
「瑠璃人くんは気丈夫を振る舞ってるだけ。高校生はまだ親に甘えたい時期なのよ? 反抗期だけどね」
「僕は大丈夫です。虹にぃの仕事を手伝ってますから。それに虹にぃに甘えるなんて気持ち悪いですし」
「そんなんだから虚弱になっちゃうのよ」
後ろから抱きしめる力が強くなる。
「あ、茜さん……?」
「自覚はしてないようだけど、すごいストレス抱えてる。瑠璃人くんは真面目で優しいから、誰かにぶつけることなく溜め込んでる。でも自覚してないから身体が苦しんでる」
「……」
耳元で囁く。
破裂してしまうくらい、鼓動が速い。口で息をしないと苦しい……。
茜さんがこんな風にしてくることは今までなかった。ちょっと天然だから、ハプニングとしてはいくつかあったけど。……僕のことを心配してくれて……?
「ほら、前も拭くからこっち向いて」
なぜか僕は素直に従っていた。
「ん」
「くすぐったいけど、ガマンして」
虹にぃからいろいろと事情を聞いているのかもしれない。
「はい、終わり。体操着に着替えてゆったりしなさい」
「……はい」
半袖と青い短パンを着込む。
「おやすみなさい」
おばさんは僕が脱いだ制服を持って、また部屋から出ていった。
「り、……るり、瑠璃?」
「こっ虹……にぃ?」
「よかった……っ。倒れたって言うから急いで駆け付けたよ!」
「……僕はもう大丈夫ですから……」
「栗原さんにお世話になってもらいなさい。保険証とお金は瑠璃の財布に入れておいたから」
「あ、りがとうです。ところで事件はどういう展開になったんです?」
「……N事件は完全解決した」
「! でも、岡本親子が殺害された件は……?」
「岡本 雅俊は岡本 和美によって殺害されたが、岡本 和美はN事件とは無関係の可能性が高いことが分かった」
「事件としては解決という形ですが、今度は和美さんを殺害した犯人の捜査、ということですね?」
「……瑠璃」
「はい」
「……ごめん」
「どうしたんですか?」
「今まで自分と一緒だったから、瑠璃が大変な思いをしてる。それに今回の事だって……」
「そんなっ! 僕が足手まといなだけですよ! 僕は平気ですから!」
「……瑠璃が自分と一緒にいたいのは分かる。捜査に協力してくれたおかげで解決した事件がいくつもある。でも……な?」
「……」
「瑠璃、今日から栗原さん家に住むんだ」
「嫌ですっ!」
「これは、決定事項なんだ。自分の上の人からも声が掛かってるし、何より栗原さんとは夏休み前から相談していたことなんだ。瑠璃が倒れたって聞いて……意志が固まったよ」
「そんな……! 嫌ですよ!」
「……はっきり言おう」
「……?」
「瑠璃……その、……邪魔、なんだよ……」
「!」
「……ごめん、瑠璃……」
「……」
……
「茜さん、瑠璃のこと……お願いします」
「虹くんの頼みなら断るわけにはいかないわ。でも、一つだけ口を挟ませて」
「はい」
「本当にこれでいいの?」
「……」
「あなたから瑠璃人くんのことを聞いて、辛い人生を歩んできたのは分かる。でも彼は今、どんな心境か分かる?」
「……それは、」
「あくまでも私の想像だけど……あなたに“捨てられた”って思ってるよ、きっと」
「!」
「かつて、本当の母親に捨てられた時と同じようにね」
「……」
「そりゃあ、あなたの選択は間違ってない。傷付けたくないなら、自分に近付けなければいいもんね。……でも、もう一つ選択肢はあったはず」
「じゃあ、自分はどうすればいいんですかっ! 何をどうすればいいのか、分からない……!」
「……とにかく、瑠璃人くんのことは任せていいよ。虹くん、気をつけてね」
「ありがとうございます」
「……あの時、彼女と結婚すれば良かったのにねえ……」




