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四悔目「温和」

「…………」


 辺りは暗かった。白黒はっきりしていて、今にも雨が降りそうだった。何日か前は快晴だったというのに。そのせいか、蒸し暑さはより強まっていた。

 薄暗さを際立たせる蛍光灯。まだ昼だというのにぼんやりと照らす。教壇にも一つある。そこにいる数学の岡本先生が不気味だった。

 僕はこの感覚を知っている。


「……」


 ……怪談だ。これらと冷房が協同して肝試しに似た環境を作り出している。制服越しに伝わる寒気。どことなく逃げ出したくなる圧迫感。今にも“何か”が出てきてもおかしくはない。

 夏独特の“涼しさ”を体験していた。僕的にはそう感じている。…………まだ昼だ。……大丈夫。

 そんな今日は遂に7月に入った。夏休みまで一ヶ月もない。もし何もなければ、ちょくちょく部活に顔を出そうか。


「……はぁ」


 しかし、何もなさすぎると頭が腐ってしまう気がしてならない。

 ここ最近は僕が手を出す事件はない。虹にぃが回さないようにしているのだが、小さい事件は多発している。僕も“副業”で頭を使いたいのだ。人の不幸を推理ゲームのように楽しんでいるわけではない。いや、少しあるかも……。ただ、日常的よりも非日常的を求めたがるのが人だ。僕もそう。つまり無い物ねだりだ。

 何もなく静かで平穏な生活が一番平和なのはよくわかる。しかし僕自信としては、そこに少しだけスパイスを加えた方がより望ましくなると思う。こんなこと言ったら、虹にぃに怒られるだろうな……。


「せんせぇー!」


「なんだ、藤野?」


「意味わかりませーん!」


「何だってっ?」


 彼はどうなのだろう? やはりバイトか何かで時間を潰すのだろうか? それとも勉強? 彼にしてみれば勉強もただの暇潰しか。


「だってただの方程式だぞ? この式を変形してこっちに代入して……」


「あぁ〜! 日本語プリーズっ!」


 とはいうものの、そうは言っていられない。本業をしなくてはならない。その集大成をご披露するまで残り二週間となったのだ。今日から部活動が休みになるので、一日がさらに早く感じるようになる。でも僕は部活はサボっているので大差はない。

 僕にとってこれは足蹴にできないものだ。学校行事や部活動に積極的に活動していないからだ。よって僕はある意味のがり勉になるかもしれない。


「仕方ない! 藤野は放課後来い! 俺が直々に教えよう!」


「いいっス! お互い暇じゃないスからっ!」


「お前……マジ赤点取るぞ」


「カンペ作ってきてやるっスよ!」


 類はもう一人いる。あちらにいる彼だ。前回のテストではぶっちぎりで彼がトップだった。気持ち悪いほどに差があった。……屈辱だ。絶対に負かしてやる。


「……」


 ……こんなもので意地を張る僕も僕だが、負けず嫌いだから仕方がない。


「カンペ作ってもいいが、全く意味ないぞ」


「何でっスか?」


 大分進んでいた。ノートに書いていない。いけない。今のうちに早く書こう……、


「いいか! 今回のテストは気合いを入れた! 教科書と問題集から出す気はないからな!」


 教科書や問題集からは出ない……っと…………。…………? 出さない? ……え? ということは……、


「つまり、入試問題から出すっ!」


 な…………、なるほど。



なにいぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!



「おかもとおぉぉ! ふざけんなあぁぁあっ!」


「マジ留年確定じゃんっ!」


「やる気出すな! いいよ、いつも通りでいいよおっ!」


「すみません、私眠ります」


「あかん! 真乃やん! 永眠ねむったらあかんでぇっ!」


「…………」


 ブーイングの嵐。でも確かに一理ある。まだ習いたての僕らに、いきなり入試レベルをやらせるのは無理がある。基本問題だけならまだしも、応用問題を混ぜてくるに決まっている。……初心者に力士と闘えと言うようなものだ。


「ボイコットじゃあ! ストライキを起こせ!」


「懲戒免職! 懲戒免職!」


「PTAに連絡だぁっ!」


「PTA、ピカピカテカテカ、頭つるんっ!」


「やかましいわ! お前らに期待してやったんだぞっ! それにめっちゃ失礼だろうがっ!」


「叱って伸びるタイプじゃねぇんだよ! オレはっ! 母親が赤ちゃんを抱きしめるくらいに優しくしてくれよぉ!」


「そんなん知るかっ! 第一気持ち悪いし!」


 なんか長閑だな……とか思っている自分がいた。






「それにしても、マジ災難だぜ」


「岡本、俺らを留年にする気だよ、ぜってー」


 あの二人は放課後になっても言っていた。


「にぃちゃんはどう思う? この拷問」


「……そうですね」


 この暴挙は数学だけに留まらないらしい。その他の教科もやるみたいだ。ただし、習った範囲のみから出題だ。まぁ、難しいことには変わりない。


「習い始めたばかりですから、それなりに容赦してくれると思いますよ」


「英語とか化学はな」


「いや、英語はきつくね? 範囲かんけーねえし……。どうしよ……」


「僕は生き残るための勉強をします」


「え? あの新戸が?」


「はい」


 手抜きはできないが事情が変わった。全部で確か九科目くらいある。それを全てカバーするには無理がある。しかも残りは二週間。もはや本来の目的を重視するしかない。


「僕は陸奥実君に勝てればいいですから」


 彼に屈辱を味わわせる。それが最大目的だ。


「まぁ、それがトップ争いになるんだろうな……。羨ましい」


「ですが、この機会をモノにすれば、見返せるのではないでしょうか?」


「誰に?」


「先生方です」


「うーん……」


「藤野、頑張れよ!」


「ああ? バッチだって大して変わらんだろうがっ!」


「俺はやればできんのよ」


 心の底から堕ちてほしい……、と内心思う。


「お二人とも頑張りましょうね」


「よーしっ! わかったぜ! 見てろよ岡本! あの眼鏡、サングラスにしてやっかんなっ!」


「意味わかんないし……」


「……?」


 いきなり肩を軽く叩かれた。そちらを向くと、奈多弓さんがいた。


「どうかしました?」


 口を横に伸ばし、気味悪く笑う。


「新戸“先輩”、お呼びやでぇ……ふふふ……」


「……?」


 何が面白いのか?

 ひとまず確かなようなので、帰るついでに寄ることにした。藤野君と馬場君に別れを告げた。

 むしむしする廊下に出ると、目の前の窓際でぽつんと待っていた。俯いている。……彼女だ。通り過ぎていく男子生徒がほとんど振り返っている。さすが。しかし誰にも目は合わせない。

 僕には目がいったみたいで、いつものように睨みつける。しかし、はっとして不安げな表情を見せた。自分でいろいろ考えているみたいだ。


「どうかなさいました? 陸奥実君はまだいますよ」


「あっ、えっと、そうじゃなくて……」


「?」


 頭一つ分以上に小さい女の子はさらに俯く。髪の毛がゆらりと波打つ。

 青紫の髪でも有名なあの妹だった。この様子からだと、僕に用があるようだ。


「僕に何かご用ですか?」


「……」


 言いづらいことなのだろうか? 視線を逸らすように横目で見たり、爪先で床を蹴ったりしている。

 にしても大分落ち着いた。前回は僕を見るや否や、目のかたきにして睨み付けていた。誰にも突っ掛かり、暴言を吐きまくる。今はできるだけ抑えているようだ。

 少しして、頭を深く下げた。


「……すみませんでしたっ……」


 ……何か悪いことは……していない……はずだ。あの後は一回も接触していない。


「私、新戸先輩に……すごく失礼なことしちゃって……」


 思い出した。……それか。


「……いいですよ。大したことではありませんし」


「け、けど……」


「お互いにそれは忘れましょう。いつまでも引きずっていては先に進めませんから」


「…………」


 まだ言い足りなさ気に見つめてくる。そこら辺は似ていた。その反省の色が見れれば十分だ。

 僕は少し間を空ける。


「では、失礼します」


 しかし、腕をぐっと掴まれた。


「ちょっと待って!」


「? まだ何かありますか?」


 少し唸ってから頷いた。

 さすがに、こんなところにずっといるのは危険だ。ひとまず校舎から出ることにした。どうして奈多弓さんだったのか、意味がわかった。

 今日は七時間授業だから、いつもより遅く帰る。大体5時に終わる。

 校舎の出口に出て地面を見ると、黒い染みが点々に打たれている。その点はさらに描かれていき、一つの形となる。それらが繋がれていく。今、完全に降り出した。

 やはり天気予報は当たりだった。傘を持ってきておいて正解だった。


「八菜ちゃん」


「あ、ひぃちゃんっ」


 声のする後ろを振り向いた。手提げ鞄を両手で持った女の子がいた。友人みたいだ。


「新戸先輩、初めまして」


「え? ……はい。初めまして……」


 この子はそれなりにできている。

 後ろ髪が長いのか、大きくうねりを見せている。耳は隠れそうで、目には髪が入りそう。しかし、清潔感が溢れている。また、それに呼応するかのように、丸い瞳と小さい口、シャープな輪郭を持っている。彼女より多少背が高かった。僕から見ると、おしとやかな雰囲気がある。


「こうして会うのは初めてです。いつもは眺めているだけなので、近くで見ることがないんです」


「? 僕のことをご存知みたいですが……」


「はい。私、吹奏楽部に入部させていただきました」


 それでか。しかし、物好きな人だ。僕みたいな幽霊部員に会いたがるなんて、クワガタを見に行くようなものだ。


「今日は部活やっているみたいですよ?」


「あれは二、三年生のみですから。むしろ先輩はなぜ?」


「どうせ頭がダメだからでしょ? 余裕ないから抜け出してきた……と見た」


 口を吊り上げてニヤつく。


「全く持ってハズレです。僕はただのサボりです」


「なおさらダメじゃん」


 ごもっとも。

 僕はふとして気付いた。


「あれ、二人とも傘をお持ちでないのですか?」


「……はい……」


「だって天気予報なんて八割当たらないじゃん」


 どんどん音が強くなっている。こんな中で帰ったら、ずぶ濡れになってしまう。


「あなたの頭よりはマシです。……二人で僕の傘を使ってください」


「! せ、先輩は?」


 バッグから取り出した。


「僕は折り畳み傘を常備しているので大丈夫です」


「私たちがそちらを使いますよっ」


「折り畳みは小さいですから、入りませんよ」


「でも、先輩が……」


「そうよ。あんたのその真っ黒メガネが曇っちゃうじゃないっ。あぁ〜、メガネドコ〜って」


「眼鏡は関係ないです。気兼ねしないで使ってください」


 僕の傘は大きめなので、何とかなるだろう。それを彼女の友人に渡した。真っ黒くて……虹にぃのだ。


「あ、ありがとうございますっ」


「ありがとね、新戸先輩!」


 早速開いた。ボリューム感溢れる音がした。

 ちょっと粋な計らいをしたかもしれない。でもこれが最良の選択だ。

 僕らは歩き出した。距離的に八菜さんの方が近いらしいので、そちらから行くことになった。つまり陸奥実君家だ。彼らは校門を出て左に曲がる。一方僕は右だ。遠回りになってしまうが、無事に帰すことが先決だ。

 細長い線は勢いよく地面に衝突する。するとそこを中心に円状に粒たちが跳ね上がる。ほんの一瞬にその過程が無限に繰り返されていく。水溜まりに足を踏み入れて、人工的にその過程を作り上げる。ローファーに水が少し入り、足が湿った。

 雨が直接当たっているわけではないのに、Yシャツが袖から肩にかけて肌を透かしていた。青かった鞄は黒くなり、完全に侵入している。幸い、タオルを持ってきていたので荷物は濡れていないはずだ。彼女たちをさりげなく見遣る。僕よりはマシみたいだ。

 くだらない話に盛り上がる。僕を減らず口でけなし、それを僕が返す。二人に挟まれている友人が笑う。あの二人とは違った楽しさがあった。

 この友人の名前を呼ぼうとした時、聞いてないことに気付いた。


「ところでお名前は……?」


 にこやかに微笑む。


「はい。私は若海わかみ ひなです」


「……わかみ……?」


 “わかみ”……って言えば、僕の知る中では一人しかいない。いや、まさか……たまたまに……、


「はい。吹奏楽部部長、若海 礼香の妹です」


 違いなくない。

 この人が妹……? いや、よく見れば、この雰囲気は似てなくもない。彼女も静かにしていれば、おしとやかなのだ。ただ変なところがあるが。それがあったら……。


「ひぃちゃんはね、若海先輩をソンケーして入ったんだよ? 誰かさんと違ってね」


「いや、私はそれにしか興味がなかったので……はい……。お姉ちゃんは本当にすごいんです……。足元にも及ばないくらい……」


 こんな健気な娘が人を弄ぶことをするだろうか? 個人的にはしてほしくない。しかし彼女の……妹……。あの“技”は継承されているかもしれない。

 あれから会うたびに何かとされている。エスカレートしていないのが幸いだが、正直気分は……良くない。ある意味恐怖だ。


「確かに。れ……若海部長のフルートには脱帽します。相当な努力の賜物なのでしょうね」


「はい。私もお姉ちゃんみたいに上手くなりたいんです」


 頼むから、変なことを吹き込まれていないでほしい。

 とりあえず話は普通に進み、終わりが来た。陸奥実君家に着いたのだ。


「じゃあ二人ともさいなら〜!」


「八菜ちゃんまた明日!」


「さようなら」


 陸奥実君たちもマンションに住んでいる。部屋数は確か……十八……とそんなに大きくはないが、真新しい。彼らは三階あるうちの真ん中に住んでいる聞いた。家賃とか大丈夫なのだろうか?

 その門前で傘は彼女に手渡される。そして走り去っていった。鉄板を踏み鳴らす音がする。


「あなたの家はこの先ですか?」


「いえ、新戸先輩と同じ方向です」


「…………!」


 しまった。早く気付くべきだった! 当たり前だが、礼香さんと彼女は同じ家にいるのだから、帰る方向は同じだ。つまり状況は……大して変わらない。


「新戸先輩、帰りましょうか?」


「え、……はい」


 気が張っているくせに気後れする僕。弱点(?)を触られると身体が硬直してしまうのだ。だから余計に弄られてしまう。ちなみに僕にそういう気があるからでは断じてない。断じてっ。

 僕らは歩き出した。雨の音など気にしていられなくなった。

 最悪の事態を回避するには、そういうネタを作らせなければいいのだ。彼女はその中から弱みを見つけるのが上手い……、と最近漸く気付いた。

 彼女たちを嫌がっているわけでは決してない。これは無意識的な防衛反応だ。


「先輩?」


「何でしょう?」


 平然に。


「先輩はどうして部活をサボっているんですか?」


「……」


 部活動を素直に頑張る彼女にとって、僕はさぞ異質に見えるのだろう。


「お姉ちゃんは先輩を高く評価してました。部活の話になれば、先輩の話は必ず出るほどです」


「……そうですか」


 それはどちらに捉えればいいのかわからない。


「知りたいですか?」


「……いえ。先輩にも都合があるでしょうから。……お姉ちゃんにも、瑠璃ちゃんを責めないで、って言われてます」


「いっ家でも“瑠璃ちゃん”と?」


「……そうですよ、“瑠璃ちゃん”先輩」


「…………」


 どこからか、寒気が立った。






「お帰り、瑠璃」


「こっ虹にぃ……、今日は早かったのですね」


「いやぁ、今日は自分が当番じゃないか」


「と、当番ですか……。……そう、でしたね……」


「ん? 顔色悪そうだけど、どうしたんだい?」


「……身体が冷えたのでしょう。雨が降っていますし……」


「そうかい? 早くお風呂に入りなさい。さ〜て、夕飯な〜にっにしよっかな〜」


「せめてカレーかオムライスが……、」


「よし! 今日はシチューだ!」


「! あっあの、虹にぃ、僕がやりますよ。ついさっき料理の話をしてて、隠し味についてだったのです。それを試してみたい、」


「ダ〜メ。今日は自分だからね。第一隠し味を使わなくてもいいじゃないか」


「しかしですね、同じものなら一味深いものの方が、」


「ごちゃごちゃ言わずに座って待たんかいっ。さもないと……」


「すっすみません! 大人しくしています……………………」


「そうそう。それでこそ……って、あれ? シチューのルーってどこだっけ? ……いいや。マヨネーズでもできるだろ。色が似てるし……いや、それとも……」


「……まだ死にたくないです」


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